アメリカでは11月8日に中間選挙の投票があり、その結果で内政だけでなく、外交や軍事に関する政策に大きな変化があるかもしれない。冬の到来はアメリカに従属する政策を進めてきたEU諸国の社会生活に深刻な影響を及ぼすことは不可避だ。
冬になるとウクライナ東部のステップ(大草原)では地面が凍結、木々の葉が落ちるわけだが、ロシア軍はそれを待っていた。そのタイミングに合わせて兵器をドンバス(ドネツクやルガンスク)の周辺へ兵器を移動させ、動員した兵士を訓練してきた。さまざまなことが動き出す可能性が高いのだが、いずれもジョー・バイデン政権にとって都合は良くない。そうした中、 アメリカ軍の原子力潜水艦「ロード・アイランド」がスペインのジブラルタル港から離れて地中海へ入り、黒海へ向かっている という。
アメリカ海兵隊の元情報将校でUNSCOM(国連大量破壊兵器廃棄特別委員会)の主任査察官を務めたスコット・リッターも指摘していたが、 すでにウクライナでドンバス/ロシア軍と戦っているのは事実上、NATO軍 である。
ウォロディミル・ゼレンスキー政権は18歳から60歳の男子が出国することを禁じ、動員の対象にしているが、兵器はアメリカ/NATOが投入しているが、訓練が不十分なまま最前線へ出されているため、ロシア軍のミサイルや航空兵力による攻撃で多くの戦死者が出ている。アメリカ政府はウクライナの外で「アル・カイダ方式」を使って傭兵を集めるしかないだろう。
早い段階からアメリカ陸軍のデルタ・フォース(第1特殊部隊デルタ作戦分遣隊)やイギリス陸軍のSAS(特殊空挺部隊)が戦闘に参加していると伝えられているほか、ポーランドの正規軍やシリアのアル・タンフにあるアメリカ軍の基地で訓練を受けたダーイッシュ(IS、ISIS、ISIL、イスラム国などとも表記)の戦闘員がウクライナへ送り込まれているともいう。アメリカ陸軍第10特殊部隊グループはドイツで訓練の準備を秘密裏に進めているとも言われていた。アメリカの統合参謀本部は「ウクライナ司令部」を創設するとしているが、すでに戦闘の指揮はNATOが行うようになったとも言われている。
短期的に見ると、ウクライナでの戦闘は2010年から始まる。この年の1月から2月にかけて行われた大統領選挙で東部や南部を支持基盤とするビクトル・ヤヌコビッチが勝利、7月にヒラリー・クリントン国務長官(当時)はキエフへ乗り込み、ヤヌコビッチに対してロシアとの関係を断ち切ってアメリカへ従属するように求めたが、拒否。そこからバラク・オバマ政権のクーデター計画が始まったと言われている。オバマ政権は2013年11月にクーデターを始動させ、14年2月にヤヌコビッチの排除に成功した。その時、クーデターの実行部隊として使ったのがネオ・ナチだ。
このクーデターを現場で指揮していたのがビクトリア・ヌランド国務次官補(当時)。2014年2月上旬、クーデターが山場を迎える直前に彼女は電話でジェオフリー・パイアット米国大使に対し、「次期政権」の閣僚人事について話している。その中でヌランドは混乱を話し合いで解決しようとしていた「EUなんか、クソくらえ」と口にしたのだ。
ヌランドは父方の祖父母がウクライナからの移民だが、現国務長官のアントニー・ブリンケンの父方の祖父もウクライナ出身。ヌランドもブリンケンもユダヤ系だ。ちなみに、アメリカの反ロシア戦略で重要な役割を果たしたズビグネフ・ブレジンスキーはポーランドの生まれだが、一族の出身地ブゼザニは現在、ウクライナに含まれている。オバマはブレジンスキーの教え子だ。
オバマ政権で副大統領だったジョー・バイデンもクーデターに関与していたが、その副大統領の国家安全保障担当補佐官を務めていた人物がジェイク・サリバン。現在、国家安全保障担当大統領補佐官として好戦的な政策を推進している。エール大学出身なので、おそらく在学中にCIAからリクルートされたのだろう。大学時代、ローズ奨学生としてイギリスのオックスフォード大学へ留学している。
2009年にオバマ政権へ上級顧問として参加、中東から北アフリカにかけての地域で実行された体制転覆工作にも加わったマイケル・マクフォールもローズ奨学生としてオックスフォード大学に留学している。2012年1月にロシア駐在大使として赴任したが、この年の3月にはロシアで大統領選挙が行われ、ウラジミル・プーチンが当選している。この選挙で反プーチンの工作をマクフォールは指揮、「ロシアのリセット」を目論んだ。ちなみに、ヒラリー・クリントンの夫、ビル・クリントンもローズ奨学生としてオックスフォード大学へ留学している。
このオックスフォード大学にある学生結社「ブリングドン・クラブ」が現在の好戦的な政策に関係していることは本ブログでも書いた。例えばボリス・ジョンソン、デイビッド・キャメロン、ジョージ・オズボーン、トニー・ブレアといった後の政治家、そして金融界に君臨しているナット・ロスチャイルド、あるいはポーランドのラデク・シコルスキー元外務大臣、ロシアを第1次世界戦争へ引き込む上で重要な役割を果たしたフェリックス・ユスポフもメンバーだった。
ローズ奨学生はオックスフォード大学の大学院生に与えられ、学費を支払うローズ・トラストは1902年にセシル・ローズの意志で創設された。ローズ奨学制度の人脈がセシル・ローズの戦略と無関係だとは考えられない。
ローズが優生学を信奉、アングロ・サクソンを最も高貴な人種だと考えていたことは本ブログでも何度か触れた。彼は1877年6月にフリーメーソンへ入会、その直後に書いた『信仰告白』を書いが、その中で彼はアングロ・サクソンは最も優秀な人種であり、その居住地が広がれば広がるほど人類にとって良いことだと主張している。領土を拡大して大英帝国を繁栄させることは自分たちの義務であり、領土の拡大はアングロ・サクソンが増えることを意味するとしている。(Cecil Rhodes, “Confession of Faith,” 1877)
こうした考えをローズは彼のスポンサーだったナサニエル・ド・ロスチャイルド、ウィリアム・ステッド、レジナルド・ブレット、アルフレッド・ミルナー、ロバート・ガスコン-セシル、アーチボルド・プリムローズたちへ説明したとされている。その後、プリムローズの甥にあたるアーサー・バルフォアもローズのグループへ入った。(Gerry Docherty & Jim Macgregor, “Hidden History,” Mainstream Publishing, 2013)
ここからローズ人脈が始まり、現在も世界に小さからぬ影響を及ぼしていると考える人もいる。ハルフォード・マッキンダーという地理学者が1904年に「歴史における地理的要件」というタイトルで発表したユーラシア大陸の海岸線を支配して内陸部を締め上げ、ロシアを征服するという長期戦略はローズたちの戦略でもある。
その影響を受けていた「封じ込め政策」のジョージ・ケナン、あるいは軍事クーデターや空爆を指揮してきたヘンリー・キッシンジャーでさえ反対する好戦的な軍事作戦をローズ人脈は推進してきたが、「汚い爆弾(放射能爆弾)」を爆発させ、その責任をロシアになすりつけ、ロシア征服に結びつけようという作戦はロシア側に漏れ、公表された。ローズ人脈は追い詰められているだろう。