confuoco Dalnara
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しかし、フラクタルな世界に光は見えた。ユ・アイン、スティーヴン・ユァン(연상엽)、チョン・ジョンソ主演村上春樹「納屋を焼く」原作イ・チャンドン監督『バーニング 劇場版 버닝 Burning』(2018年)(以下、映画の核心に触れる部分もございます)小説の構造を超え奥深く引きずり込む、メズマライズさせる世界の描写が究極の映画表現。主人公ジョンス自身の部屋、ジョンス自身の家が出てこないことを見澄ました。ジョンス自身の家が描写されないナラティブを通して、偶さか文芸創作科を卒業して小説家になろうとするジョンスのフィクションの部分は初めから大きくなるかもしれない。100%ジョンスの脳内の出来事・フィクションとは断定できないが、<自分の、自分個人の家が出てこない>即ち地に足のついていないような根無し草のようなジョンスのスタンスそのものが映画の中での観察者・第三者としての側面をふわりと浮かび上がらせる。もちろん、ジョンスは世界の外側から小説を書く立場だけではない。イ・チャンドン監督が20世紀に書いた小説「진짜사나이(本物の男)」では同じ方向を向いて同じ方向を目指していたとしても知識人の目の高さ・視線の高さと下から見上げる労働者の眼の高さのギャップには距離を感じざるを得なかった。距離・裂け目と段差・格差のある両者によりどこか世界から事態からは遠かったがジョンスの目の高さはヘミと同等に低く、世界の内側にいてコミットメントも出来る(する)距離感、そして当事者・内部者でありながら小説家としての外部者でもある二重性を浮かび上がらせていた。自分個人の、自身の家が描写されない、世界を浮遊しているようにも見えるジョンスは3つの家、父の家(旧世代、ポストモダンに置き去りにされたような。フォークナーの世界。パジュという北朝鮮との国境に近く、北朝鮮からの放送が聴こえるシチュエーションも地上最後の分断国家として前世紀からの古い体制、構図を引きずっている)ヘミの家(搾取され消費され『消され』る側の)そして現代のギャツビー・ベンの家、3つの場所を行き交うプロセス自体がジョンスがその世界に内在する一方で外在もする自在な観察者として俯瞰する視点を示してもいる。小説を書く人として、村上春樹の世界のようにリアルとフィクションの境界を往来する一方で映画の中では3つの家、のそれぞれの人間たち、そしてビニールハウスの間をめぐり世界の構造と秩序を露わにしていく。あるいは、自分の家ではなく父の家に滞在しているジョンスは父の世代の憤懣を引きずった現実にもいる。親世代の憤懣のフレームにも引っ張られている若い世代を親の古い家に住む・住まざるを得ない姿で象徴もしフォークナーの世界と村上の世界二つの世界が混沌する二重性を示すかのよう。ヘミも本来はグレートハンガーだけ希求して形而上学的に生きたいのだろうが実際はリトルハンガーとして、汲々とする生活。北向きで陽の射さない部屋にはけれど、光を求めるサンキャッチャーが置かれていた。小さく目に留まったサンキャッチャーは日の当たらない場所・日陰から光を見上げる、光のある方を希求する哀しみを宿していた。しかし、陽の入らない部屋には高い南山タワーの「恩恵」によってのみ一日のうちたった一瞬だけ、日が射す。光を求めても、サンキャッチャーを動員しても自力では光を獲得できない、光は与えられない生活が示唆されている。スタートからして光のない、日陰の底辺で、リトルハンガーから始めざるを得ないということ。グレートハンガー、生の意味を探求する以前に生命をギリギリ維持するための光を求める最底辺から始めさせられているというこの世界。メタな息遣いで世界の構造、搾取される構造、ビニールハウスが「消える」秩序とベース 베이스 が規則的に刻まれるリズム、その繰り返しを描写しながらジョンスは傍観者ではなくその、「納屋を焼く」構造・秩序に切り込んでいく。その怒りや哀しみはジョンスが内在する世界なのか(リアルなのか)外在する世界なのか(フィクションなのか)はわからない。しかし、少なくとも観客にはジョンスがその唾棄すべき構造、秩序、循環、フラクタル(fractale / fractal)と切り結び世界の秩序と構造に風穴を開けようとする意志があったということが見える。たとえ意志が彼自身の小説の中にしか存在していなかったとしてもコミットメントの炎は納屋を焼く火の上位にあるメタな火 バーニング Burning として刻印される。世界は混沌としている一方で格差に搾取、疎外はもはや資本主義社会・新自由主義経済(エコノミック・ネオリベラリズム)の中で固定され秩序 Order として維持されていく。消えたヘミの後にはヨンジュという女性がそのヘミがいた場所を埋めるかのように登場し納屋を焼く~フラクタル反復が世界の構造としてジョンスの目の前に現れたが...ジョンスが燃やしたのは原稿用紙の内側なのか外なのか。しかし、mesmerizing フラクタルな秩序の中に、炎の光は見えた。ジョンスが坡州の父の家にもどり家の中を見回した時に映った額に入った写真の顔を見て、あっと思っていたが...『スパイネーション / 自白 자백』『共犯者たち 공범자들』の反骨のジャーナリスト、チェ・スンホ 崔承浩 최승호 氏が父役。ジョンスの父の弁護人を演じるのはリベラル派のムン・ソングン 文盛瑾 문성근。その父は詩人ユン・ドンジュ 尹東柱 윤동주と同郷で友人のムン・イクファン 文益煥 문익환 牧師、1970~80年代は民主化運動を主導した。余談だが、こういったキャスティングも、深読みすると興味深い。to be continued...!?buzz KOREAClick...にほんブログ村 韓国映画にほんブログ村 映画にほんブログ村 映画評論・レビューにほんブログ村 韓国情報にほんブログ村 K-POPにほんブログ村Copyright 2003-2024 Dalnara, confuoco. All rights reserved.本ブログ、サイトの全部或いは一部を引用、言及する際は著作権法に基づき出典(ブログ名とURL)を明記してください。無断で本ブログ、サイトの全部あるいは一部、表現や情報、意見、解釈、考察ロジックや発想(アイデア)・視点(着眼点)、写真・画像等もコピー・利用・流用することは禁止します。剽窃厳禁。悪質なキュレーション Curation 型剽窃、つまみ食い剽窃もお断り。複製のみならず、切り刻んで翻案等も著作権侵害です。
Feb 1, 2019