顕正会脱会のススメ!

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国分ひろし@ Re:悪戯で書き込みする馬鹿どもへ お客様個人をどう傷つけたのでしょうか? …
2011.02.07
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カテゴリ: カテゴリ未分類
私に直接メールも電話をする勇気もなく、モバゲーやGREEにて、愚痴っている方がおるようですが、私はネットでしか騒げない根性無い方は相手にはいたしません。

昨日、私と直接話したいという方と楽しく食事をしながら、ネットの事や仏法の話し、学会や顕正会が何故?あのような団体になり、破門したか?を話しをしました。

折伏とは、私はネットでグダグダなやり取りでなく、きちんと会っての対話が大切だと改めて感じました。

ネットでグダグダ同じ繰り返しをし理解をしないし、はなっから否定や揚げ足取りをしたり、個人批判をしたり、はたまた、ネットの書き込みだけで人を判断する人とは、ネットでは話しにならないと思っております。そういう人は、ネット依存症だと思ってます。やはり、きちんとした対話をするなら、現実にやるべきでしょう。きちんと話し合いしたいなら、楽しく食事しながらやればいいのです。昨日は、有意義な対話になりました。これが本来あるべき折伏なのです。それを拒否し、ネットで陰口を書いたり、はっきり言うが根性無しです。勇気ない人間がする卑怯なやり方です。

そういう、人が見てない場所での陰口や悪口、馬鹿にする書き込みは、まるで、ある名誉会長さんと何がどう違うのでしょうか?他人が、見ていないからと、悪口や馬鹿にする。はっきり言って最低な人間です。きちんと対話をしない。しようともしないで、グダグダやる。何が解決するのでしょうか?直接の対話をする勇気ない方々には、はっきり言って私を馬鹿にしたり悪口をネットに書く筋合いありません。

私は、オープンにしきちんとした現実での対話を望んでいるのです。ネットではやりません。はっきり言ってくだらないからです。顔が見えない。表情や考えや目的が見えない場所でのやり取りは、時間の無駄です。それを永遠にやりたいなら、勝手に私の悪口、誹謗、批判おおいに結構でございます。私は彼らがネットで騒ごうとも相手しません。

対話が大切なのです。きちんと、対面し話し合いが大切なのです。楽しく食事しながらの対話が大切だと思います。

私のこの考えを否定するのは、自由でございます。私はネットな書き込みでグダグダやるよりは、直接対話をしたい。話し合いをきちんとしたい。それだけでございます。そういう方は、大歓迎です。ネットでの非礼をお互い謝罪しきちんと対話をする。それがお互いのためだと思います。

さて、三証について説明をしたいと思います。


文証とは文献上の証拠をいい、その教えが仏の説法である経典を根拠としているかどうかで正邪を判定することです。『涅槃経』には、
「若し仏の所説に随わざる者有らば、是れ魔の眷属なり」とあり、大聖人は、
「経文に明らかならんを用ひよ、文証無からんをば捨てよ」(聖愚問答抄 日蓮大聖人御書389頁)と文証の重要性を説かれ、文証のないものを用いてはならないと示されています。
理証とは、その宗教の教えや主張が道理に適っているかどうかを基準として正邪を判定することです。その宗教が自説の正当性をどんなに主張しても、それが道理に適ったものでなければ、必ず破綻をきたします。
それとは逆に、正しい道理に基づく宗教は、いかなる力をもってしても崩すことはできないのであり、これについて大聖人は、
仏法と申すは道理なり」(四条金吾殿御返事 日蓮大聖人御書1179頁)と仰せです。正しい宗教は普遍妥当性を有するものでなければならず、この一大道理に貫かれた教えこそ法華経であり、その根本の法が大聖人の仏法なのです。
現証とは現実の証拠をいい、その宗教を信仰して現れる実証をもって正邪を判定することです。この現証について大聖人は、
「日蓮仏法をこヽろみるに、道理と証文とにはすぎず。又道理証文よりも現証にはすぎず」(三三蔵祈雨事 日蓮大聖人御書874頁)と仰せられ、三証の中でも特に現証の大切さを説かれています。
正しい宗教には、因果の道理によって正しい現証があるのであり、邪な教えを信ずれば悪果を招くことになります。特に新興宗教などは現世利益を誇大に宣伝していますが、これらは理証も文証もない、その教祖の思いつきなどによるものであり、このような邪教を信ずれば、ついにはその身を滅ぼすことになります。これについて大聖人は、
「法に験 <しるし>の有る様なりとも、終には其の身も檀那も安穏なるべからず」(諌暁八幡抄 日蓮大聖人御書1531頁)と仰せられ、邪宗教の現罰の相を教えられています。
これに対し、大聖人の仏法でいう現証とは、正しい道理(理証)と経文(文証)に裏打ちされたもので、現実の身に成仏という最高の境界を得るという即身成仏に極まります。


前にも書きましたが、日蓮正宗を否定するなら、その思想や宗教が、日蓮正宗より正しいときちんと証明しなければならない。
ニセ本尊にしても、本尊は誰が書いていいか?血脈相承にしても、学会や顕正会や五老僧や、今まで日蓮正宗から離れた僧侶や破門された僧侶等も、きちんと三証で説明できるのです。

何故?おかしくなったか?何故?破門されたか?

私の仕事が落ち着いたら、徐々に書いていきたいと思います。
私は、仕事に現実にての折伏に忙しくなりました。





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Last updated  2011.02.07 20:37:47


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