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2013.01.11
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死後の世界は必ずある。

阿闍世王が釈尊に質問をしたというのです。「仏様、あなたの言われるとおりなら、悪衆生は死後、地獄に堕ちるわけですが、どうして、それを知ることができるのでしょうか。誰か、見てきた人でもいるのでしょうか。また、死後に餓鬼界や畜生界に堕ちる、あるいは人界や天界の衆生として生ずる、ということを、どうして知ることができるのでしょうか。誰か、見てきた人がいるのでしょうか」と。

これは今日においても、世間の謗法の人々を折伏した時に、往々にして出る質問であります。「死んだ後のことなど、どうして分かるのか」「死んで帰ってきた人はいない、誰が見てきたのか」等という質問がそれです。

これに対し、釈尊は「よく聞きなさい。わかるように説明してあげるから」と言われて、臨終の相に差別があることを説かれています。

すなわち、「人が命を終えて地獄に堕ちた場合には、15種類の相が顕われる。餓鬼界には8種類、畜生界には5種類、人界・天界にはそれぞれ10種類の相がある。だから、臨終において、15種類の地獄の相が顕われたなら、その人は地獄に堕ちたのである」と仰せられたのです。

何故、このように臨終の相に違いが顕われるのか、といいますと、生と死の境である臨終は、一生の総決算であるとともに、死へのスタートです。それ故、臨終の相には、その人が生前、どういう生き方をしてきたのか、死後、その生命がどうなってしまうのか、ということが如実に顕われるのであります。

もし臨終において、皆、同じ相になって差別がなかったなら、死後に成仏や堕地獄という差別がある、といっても信じられないかもしれません。ところが、臨終の相には厳然たる違いがあって、正法を信仰して成仏した人は成仏の相、謗法を犯した人は地獄の相になって、亡くなるのです。

つまり、死後の命に差別があるからこそ、その違いが臨終の相に顕われてくるのである、と釈尊は示されたのです。

では、地獄に堕ちた場合の15の相とはどのようなものか、一つずつ見ていきましょう。



「二には、その両手を挙げて虚空を捫す」ーー悶絶して、手で空を掴む。

「三には、善知識の教に相い随順せず」ーー臨終に至ってなお、成仏の法に従おうとしない。周囲でお題目を唱えるように言っても、嫌だといって従わない、という姿です。

「四には、非号啼泣嗚咽して涙を流す」ーー狂乱して泣き叫び、嗚咽して、涙を流す。

「五には、大小便利を覚せず知ぜず」ーー本人の意志と関係なく、大小便が垂れ流しになる。

「六には、目を閉じて開かず」ーー苦しみのあまり、固く目を閉じてしまう。

「七には、常に頭面を覆う」ーー苦しみのあまり、手で顔面をかきむしったり覆ったりする。

「八には、側に臥して飲す」ーー倒れたまま飲み食らう。本当に、喉が渇いたり、お腹が空いたというのでなく、神経に異常をきたして、手あたり次第に飲み食いする、という状態です。

「九には、身口臭穢なり」ーー身体が腐って、口や皮膚の毛穴から腐敗臭が出てくる。これは、医療に従事している人からよく聞く話です。たとえば、癌の患者が亡くなる時などは、生きているうちから凄まじい臭いが出て、病室の前を通っただけで、身体に臭いが移ってしまうことさえあるそうです。

また生前に限らず、臨終の後においても、腐敗臭を放つのは地獄に堕ちた相です。現代では、遺体をドライアイスで凍らせた上、棺に消臭剤を入れたりして、腐敗臭を防いでいますが、この経典の説かれた3千年前には、ドライアイスも消臭剤もありません。ですから、そのような処置は取らない、遺体を自然のままにしておく、ということを前提にして、腐敗臭が出てくるのは地獄に堕ちた姿だというのです。

「十には、脚膝戦掉す」ーー恐怖のために、足や膝が震えてしまう。臨終は生と死の境ですから、臨終が近付いてくると、死後の恐ろしい地獄の苦を感じ始めるため、恐怖して震えだすのです。

「十一には、鼻梁欹側す」ーー鼻筋が曲がって、生前と全く人相が変わり悪相となってしまう。まるで般若の面でも被せたような相に変貌してしまうこともあります。



「十三には、両目変じて赤し」ーー両目が真っ赤に血走ってしまう。

「十四には、面を仆して臥す」ーー苦しみのあまり、顔を枕に臥して悶絶し息絶える。

「十五には、身を屈めて左の脇を地に著けて臥す」ーー苦しみのあまり、身体をエビのように屈め、横になったまま息を引き取る。

釈尊は、この15の相を挙げて、「もし臨終に臨んで、これに該当する姿が顕われたなら、その人は間違いなく無間地獄に堕ちたものと知りなさい」と説かれました。








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Last updated  2013.01.11 23:35:48


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