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2013.01.24
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―古文書の曲解(きょくげ)も、自己矛盾により論理破綻―

 前号において、本門戒壇の大御本尊が板御本尊である意義について簡略に説明した。今回は、「板本尊は大聖人御在世には存在せず、大聖人滅後、富士門流(日有上人時代)によって造立されるようになったものであるから、戒壇大御本尊は偽作である」との疑難について破折していく。
 この疑難の根底には、大聖人の御書や富士門流上代の文献に板本尊に関する記述が確認できない、とする考えがあるのだが、しかしながら、これを理由に大御本尊を否定することはできない。
 なぜなら大御本尊以外の大聖人の数多(あまた)の御本尊であっても、そのほとんどが御書や上代の文献に記されていないからだ。したがって文献に記述がないことをもって大御本尊を否定する根拠にはならないのだ。
 まして大御本尊は、他の一機一縁の本尊と異なり、一切衆生を救済する一閻浮提総与の御本尊である。この出世の本懐である重宝を末代に残すためには、安易に口外しないなど、重々の配慮をもって厳護されたであろうことは当然のことである。

 さて、大御本尊が御板であることを理由に難癖(なんくせ)をつける輩(やから)に対し、門下上代において板本尊が存在していた証拠を示そう。
 まず、 日蓮正宗に伝わる板御本尊のうち、戒壇の大御本尊を除いて最も古いものは、栃木県信行寺に伝わる8世日影上人造立の板御本尊である。
 この御本尊は、総本山に所蔵される弘安3年の大聖人御真筆御本尊を謹刻されたものであるが、このような化儀を日影上人が独創するとは考えられず、大石寺門流の伝統を踏まえ、造立された御本尊であることが明白である。したがって、板御本尊造立の始まりが日有上人からである、とする疑難は崩壊しているのである。
 次に大聖人滅後の身延山に、板本尊の存在を確認できる文献がある。身延の古文書(身延山33世遠沽院日亨の記とされる)に
「一、板本尊 本尊は祖師の御筆を写すか、下添え書きは第三祖向師の筆なり、下添え書きに云く、正安二年庚十二月日右日蓮幽霊成仏得道乃至法界衆生平等利益の為に敬って之を造立す」(『身延山久遠寺諸堂建立記』日蓮宗宗学全書22-P56)
とあり、大聖人御筆の御本尊を模写した板本尊が、民部日向によって造立されていたことが判(わか)る。それは、もともと身延山久遠寺の本堂に安置されていた大御本尊を、日興上人が身延離山の際に富士へ御遷座(せんざ)されたため、その後に民部日向が、大御本尊を真似(まね)て板本尊を造立したものと推察できるのである。
 さらに、身延上代の別の板本尊の記録と思われる中山3世日祐の『一期所修善根記録』には、
 「身延山久遠寺同御影堂、大聖人御塔頭、塔頭板本尊 金箔 造営修造結縁」(日蓮宗宗学全書1-P446)
と、観応2年に修理された身延上代の御影堂には板本尊が安置してあった、と記されている。
 この他にも身延では、日向造立の板本尊以外に、行学院日朝(日有上人と同時代)が大聖人御真筆の御本尊を彫刻して板本尊を造立した記録が残っているなど、複数の板本尊の存在が知られている。
 またさらに、中山門流の宝物記録である『本尊聖教録』(大聖人滅後50年頃、3代日祐著)には「板本尊一体」と記されており、当時、中山門流にも板本尊が存在していたことが判る。
 これらのことから、日有上人以前の日蓮門下最上代より、板本尊造立の史実が存したことが判明し、それが造像本意の他門にまで及んでいることは、滅後の弟子たちが身延における大聖人・日興上人の大御本尊安置の化儀を踏襲(とうしゅう)したもの、と考えるのが当然である。
 しかして、これらの史実は、大御本尊の成立時期が宗祖御在世乃至日興上人身延在住期にまで遡(さかのぼ)ることを意味しており、日有上人が初めて板御本尊を造立したなどとする見解は否定されるのである。

 次に、この民部日向造立の本尊について、近年、ネット上において異論を唱える者が出てきた。
 その主張とは、「日蓮正宗、日蓮宗を問わず、板本尊ではないが、板本尊そっくりのものがかつては多数存在していた。したがって、1300(正安2)年12月に日向造立の板本尊なるものも、『日蓮幽霊成仏得道乃至法界衆生平等利益の為に敬って之を造立す』と書いてある文があることからしても、これは板本尊というよりも、当時、中国から伝来して仏教界に普及しはじめていた本位牌や寺位牌をモデルにした板位牌だったと考えられる」というものである。
 この主張は、門下上代に板本尊が成立していたことの傍証となる日向造立の板本尊を、何とか否定せんとする苦し紛(まぎ)れの説だが、はたして、日向が造立したのは「位牌」だったのだろうか。

 また、先に引用した『身延山久遠寺諸堂建立記』には、
 「一、板本尊本尊は祖師の御筆を写すか」
と、明らかに板本尊と明記してある。これをわざわざ「板位牌だった」などと解釈する方が無理な話だ。しかも、この文献の別項目には、位牌に関する記述も示されており、筆録者が板本尊と位牌とを別物としていることが明らかである。
 以上のように、 日向が造立したものを「板本尊」と断定したのは、当宗ではなく日蓮宗なのである。
 これらの史実から、板本尊造立という化儀は、けっして大石寺門流独自のものではなく、むしろ、大聖人の化儀を門下の弟子たちが継承したもの、と見るべきである。

 また現在、ネット上において散見される大御本尊に関するさまざまな誹謗(ひぼう)は、三宝破壊の逆徒が我見をもって唱える、全く根拠のない邪義である、と喝破(かっば)するものである。








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Last updated  2013.01.24 22:07:05


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