顕正会脱会のススメ!

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国分ひろし@ Re:悪戯で書き込みする馬鹿どもへ お客様個人をどう傷つけたのでしょうか? …
2013.01.24
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mixiで、他法華講から叩かれて、mixiで逃げ現実に私との法論から逃げている。自称俳優ことmixiでのhideであるが、こりずに自身のブログで騒いでるようである。

戒壇の大御本尊についても、二箇相承について、散々破折を加えたが、懲りずに習ひそこないの学者が騒いる。

ここで、惠妙(株式会社惠妙発行)から、ネットに蔓延る邪義を破すシリーズを転載する。

(『慧妙』H24.7.16)

 昨今、インターネットの掲示板の利用が問題となっている。というのも、不特定多数が匿名(とくめい)で情報交換する掲示板において、薬物の取り引きや売買春の勧誘、さらには殺人予告や集団自殺の呼びかけなど、さまざまな犯罪に悪用されていからである。
 この問題は世法だけに止まらず、宗教上においても当てはまる。仏法に無智浅識(せんしき)なる者どもが、自身の我見のもとに好き勝手に己義を唱え、正法誹謗(ひぼう)の重罪のかぎりを尽くしている現状が、ネットの世界で蔓延(まんえん)しているのである。
 このような宗教上の犯罪者を、世間のネット犯罪のように警察が取り締まったり、法律で裁(さば)くことはできないが、必ず仏天の厳罰によって裁断される、と確信するものである。
 さて、今回は、本門戒壇の大御本尊への誹謗のなかでも、大御本尊が板本尊であることから起こる疑難をとりあげる。ネット上には、
 「板本尊は大聖人御在世には存在せず、大聖人滅後、門下弟子によって造立されたものである」「文字の部分を削ることは大聖人の御聖意に反する」「大御本尊の元となる楠(くすのき)は当時、身延には自生していなかった」「大聖人当時は金箔(きんぱく)、漆(うるし)を買う資金がなかった」などの疑難がある。

 大聖人御一代中に顕(あら)わされた多数の御本尊には、それぞれ建立意義と目的に異なりがあり、御本尊図顕(ずけん)における大聖人の御化導を相伝仏法の上から正しく拝さなければ、本義を見失うこととなる。ゆえに、正法不信の者がいくら邪智(じゃち)浅見をもって御本尊の深義を理解しようとしても、けっして大聖人の御聖意に辿(たど)り着けることはない。
 当宗僧俗はすでに周知のことであるが、大御本尊が何たるかを知らない者どもに、簡略に説明しておこう。
 元来、大聖人所顕(しょけん)の御本尊は、大きく2種類に分けることができる。
 1には、弟子や檀那への個人に与えられた御本尊である。これは、主に授与者の信行の対象として安置すべき御本尊であり、ほとんどの御本尊に授与者の名前が認(したた)められている。
 2には、特別な意義と目的のもとに顕わされる御本尊で、その時々の境地より御図顕され、授与者が示されていないものもある。
 戒壇の大御本尊が、このうちの後者に当たることは言うまでもない。
 当宗においては、戒壇の大御本尊をもって信仰の主体としている。その理由は、大聖人の宗旨が戒壇の大御本尊に極まるからであり、法義的に三大秘法のすべてを惣在(そうざい)する上から「三大秘法惣在の本尊」と称し、また末法万年の衆生を救済するために万人を対象として御図顕され、一閻浮提(全世界)すべての人々が信受すべき御本尊である意味から「一閻浮提総与の本尊」とも称するのである。
 これは大聖人が、『観心本尊抄』に
 「此の時地涌千界出現して、本門の釈尊を脇士と為(な)す一閻浮提第一の本尊、此の国に立つべじ」(御書P661)
と仰(おお)せられ、さらに『三大秘法抄』に
 「三国並びに一閻浮提の人懺悔(さんげ)滅罪の戒法のみならず、大梵天王(だいぼんてんのう)・帝釈(たいしゃく)等の来下(らいげ)して踏(ふ)み給ふべき戒壇なり」(御書P1595)

 そして、26世日寛上人も、大御本尊について
 「故に弘安元年已後、究竟の極説なり。就中弘安二年の本門戒壇の御本尊は、究竟中の究竟、本懐の中の本懐なり。既にこれ三大秘法の随一なり。況や一閻浮提総体の本尊なる故なり」(文段集P452)
と、大聖人の「究竟中の究竟」「本懐の中の本懐」たることを仰せである。
 つまり、本門戒壇の大御本尊とは、個人に与えられた一機一縁の本尊とは意義も目的も一線を画す、特別な本尊であり、大聖人が末法万年の一閻浮提の衆生救済のために、紙幅ではなく、木の板に認(したた)められたことは、むしろ当然と拝せられる。大御本尊の建立意義を正しく拝せば、板御本尊である道理も必然性も理解できるのである。


 宗旨の根幹と御本尊建立の意義に迷い、正しい宗門史を理解することもできず、支離滅裂な愚論を展開するネット上の誹謗者には、大御本尊の真偽を語る資格など微塵(みじん)もなく、増上慢も甚(はなは)だしいと、念告しておく。(つづく)





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Last updated  2013.01.24 22:00:03


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