北海道廃線2000キロ ― 廃線跡を歩く・写真で記録するウォーキングブログ ―
2026
2025
1月
2月
3月
4月
5月
6月
7月
8月
9月
10月
11月
12月
全1件 (1件中 1-1件目)
1
はじめに:一歩踏み出す、歴史の轍(わだち)へ群馬県・横川駅から長野県・軽井沢駅まで。かつて信越本線の一部として、多くの旅人と物資を運んだこの区間には、日本の鉄道史において「最も過酷」と呼ばれた峠がありました。1997年の北陸新幹線開業とともにその役割を終えた線路は、今、自分の足で歩ける遊歩道「アプトの道」として再生されています。見上げるような高い空と、深い緑に飲み込まれそうなレンガの遺構。なぜここに、これほどまでに巨大な鉄道施設が必要だったのか?今回は連載の幕開けとして、私たちが歩くこの「廃線跡」に刻まれた、104年にわたる闘いと進化の歴史を紐解いていきましょう。1. 鉄道の限界に挑んだ「最大勾配 66.7‰」明治時代、東京と北陸を結ぶ大動脈として建設が始まった信越本線。その最大の障壁が、横川〜軽井沢間に横たわる標高差553mの急斜面でした。ここに敷かれた線路の勾配は、驚愕の66.7‰(パーミル)。これは「1,000m進む間に66.7m登る」という計算になります。通常の鉄道が滑り落ちてしまうほどのこの急坂を克服するため、当時の技術者たちはある特殊な仕組みを導入しました。2. 歯車で登る「アプト式」の時代(1893年〜)1893年(明治26年)、ドイツから輸入された「アプト式」が採用されました。• 仕組み: 2本のレールの真ん中に、歯車のような「ラックレール」を設置。機関車側の歯車をこれに噛み合わせて、力強く坂を登る方式です。• 過酷な旅: 当時は蒸気機関車。26ものトンネルが続く区間では、乗客も乗務員も機関車の吐き出す猛烈な煙に包まれ、まさに命がけの越境でした。現在、遊歩道として歩ける「めがね橋(碓氷第三橋梁)」などは、このアプト式時代の輝かしい遺構です。3. 日本初の電化と「峠のシェルパ」EF63(1912年〜1997年)煙害を克服するため、1912年には日本で初めての幹線電化が達成されました。そして1963年、さらに輸送力を高めるため、アプト式を廃止して通常のレールで登る「粘着運転」へと切り替わります。ここで主役となったのが、伝説の電気機関車「EF63形(通称:ロクサン)」です。すべての列車が横川駅で停車し、後ろに2両のEF63を連結。後ろからグイグイと列車を押し上げるその姿から、この機関車は敬意を込めて「峠のシェルパ」と呼ばれました。また、この連結作業にかかる「待ち時間」が、あの有名な駅弁「峠の釜めし」を全国区の人気へと押し上げたのです。4. 1997年、歴史が動いた日100年以上にわたり、技術の粋を集めて守り抜かれた碓氷峠の鉄路。しかし、1997年10月1日の北陸新幹線開業により、その歴史に終止符が打たれました。新幹線がトンネルで一気に峠を駆け抜ける裏側で、横川〜軽井沢間の在来線は廃止。しかし、線路が剥がされた後には、私たちが今歩くことができる「道」が残されました。 次回予告:標高940m、軽井沢から始まる「下り」の旅歴史を知ると、ただの道が「物語の舞台」に見えてきませんか?次回の記事では、いよいよ軽井沢駅を出発。かつて特急「あさま」がEF63に支えられながら慎重に下った、あの急勾配を自分の足で辿ります。高原の風を感じながら、深い森の中に突如として姿を現す巨大なレンガ遺構。そして、歩いた後に待っている「最高のご褒美」とは……。「第2回:軽井沢から霧積の森へ。標高差553mを下る廃線ウォーキング」 EF63 回顧録 [ (鉄道) ]ビコムベストセレクション::碓氷峠の鉄路よ永遠に... 平成9年秋に廃止となった信越本線・横川ー軽井沢間の記録 [ (鉄道) ]
2026.03.20
コメント(0)