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初めてこのサイトに来られた方は、こちらもご覧ください!【初めてお越しいただいた皆様へ】本ページは、旧国鉄 相生線(美幌〜北見相生 36.8km)の沿線探索結果を網羅したサマリーページです。下記の沿線概念図から、各地点の現地の状況や残存する遺構の写真を直接ご覧いただけます。【アイコン凡例】★(星マーク):橋台、信号機、保存車両など「明確な遺構・見どころ」があるスポット●(丸マーク):駅跡の特定、転用状況(公園・パークゴルフ場など)の現場確認レポート※各項目のテキストリンクをクリックすると、現地で撮影した詳細な写真付きの探索記記事へ移動します。======================================================国鉄 相生線(美幌 ─ 北見相生 36.8km)沿線概念図======================================================【 至 北見 / 網走 】│├─[ 石北本線 ]─┐│ (0.0k) [美幌] ─────────┴─── [日本甜菜製糖専用線]│├─●せせらぎ公園および美幌市街地内における線路跡の状況を確認(25.07)│ (旭通) *仮乗降場──●駅跡らしき場所は特定(23.05)・●駅跡を再確認・駅への階段も確認(25.07)│├─●旭通仮乗降場付近は魚無川沿いの遊歩道に転用(23.05)・●魚無川沿いを再度探索(25.07)├─●上美幌駅前後はパークゴルフ場に転用(23.05)・●パークゴルフ場の先の線路跡の状況も確認(25.07)│(6.2k) [上美幌]──●駅跡はパークゴルフ場化・駅前通りが駅跡を主張(23.05)│├─●上美幌駅の手前付近から線路跡がパークゴルフ場に転用(23.05)・●再訪時もパークゴルフ場は健在(25.07)├─●寺院の脇に築堤跡を確認(25.07)│(豊幌) *仮乗降場──●駅跡と思われる空地を確認(23.05)・●駅跡に建つ公民館に接近(25.07)│├─★草木に埋もれる橋台を確認(23.05)├─●築堤跡と思われる道を確認(25.07)│(11.9k)[活汲] ──●駅前通りが駅跡であることを主張(23.05)│├─●活汲駅手前から線路跡に沿って歩くも遺構無(25.07)├─★活汲第一バス停付近の小さい川を渡る橋の橋台跡を発見!(23.05)・★再訪時も橋台健在!(25.07)│(達美) *仮乗降場──●駅跡と思われる空地を確認(23.05)・●再訪により場所特定の精度向上(25.07)│├─★朽ちた腕木式信号を確認!(24.04)・★再訪時も腕木式信号は健在!(25.07)│(16.6k)[津別] ──●駅前商店跡・駅前旅館跡確認(23.05)─── 列車交換可能駅 / 貨物側線・ホーム│├─●線路跡が公園に転用・そこから津別駅方面へ線路跡確認(23.05)│ (高校前) 仮乗降場──●駅跡と思われる場所には遺構は無(23.05)│├─●線路跡から少し離れるが津別21世紀の森キャンプ場には保存車両他が有(23.05)│ (20.8k)[恩根]──●バス停を拠り所に駅跡を特定・遺構無(23.07)│├─★標識が残存!(23.07)│ (24.7k)[本岐] ──●バス停を目印に駅前通りを歩き駅跡に到着(23.07)―─ 旧延伸計画名残の側線・切欠きホーム│(大昭) 仮乗降場──●バス停を拠り所に駅跡を特定・遺構無(23.07)│(開拓) 仮乗降場──●バス停を拠り所に駅跡を特定・遺構無(23.07)│(32.3k)[布川]──●バス停を拠り所に駅跡を特定・遺構無(23.07)│├─●線路沿いの同道を歩く(23.07)│(36.8k)[北見相生] ──★駅舎残存・保存車両有!(23.07)── 終着駅 / 木材集積場 / 機関車庫・転車台跡===========================================================
2026.08.16
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廃線跡を歩きながら、失われた鉄道の記憶と地域の歴史をたどっています。 こんにちは。当ブログ「北海道廃線2000キロ ─ 廃線跡を歩く・写真で記録するウォーキングブログ ─」を運営している喜多美歩です。「はじめての方へ」では、このブログの活動内容や北海道廃線2000キロプロジェクトについてご紹介しました。この記事では少し視点を変えて、「なぜ私が北海道の廃線跡を歩くようになったのか」についてお話ししたいと思います。活動のあゆみ鉄道に興味を持つ ↓廃止された鉄道や駅跡に関心を持つ ↓仲間との北海道廃線跡ツアーに参加 ↓北海道の鉄道遺産の奥深さに魅了される ↓東日本大震災を契機にウォーキングに目覚める ↓廃線跡ウォーキング開始(筑波鉄道跡など) ↓北海道での現地調査を本格化 ↓計画・実踏・振り返りを繰り返し独自の調査スタイルを確立 ↓北海道廃線2000キロプロジェクト始動 ↓そして現在```鉄道そのものより「失われた鉄道」に惹かれた子どもの頃から鉄道には関心がありました。学生時代は列車に乗ることそのものを楽しむ、いわゆる「乗り鉄」でもありました。その後、駅舎や鉄道遺産に興味を持つようになり、やがて廃止された路線や駅跡へ関心が移っていきました。現在では、失われた鉄道の痕跡をたどることが活動の中心になっています。使われなくなった橋梁や築堤、線路跡。地図から消えてしまった駅の痕跡。そうした場所を訪ねるたびに、「なぜここに鉄道が必要だったのだろう」「なぜ廃止されてしまったのだろう」と考えるようになりました。廃線跡は単なる鉄道遺構ではありません。その土地で暮らしてきた人々の歴史や産業、地域の発展の記憶が刻まれた場所でもあるのです。北海道との出会いそうした関心が次第に向かった先が北海道でした。かつて北海道には全国有数の鉄道網が存在しました。炭鉱、農業、林業、水産業。それぞれの産業や人々の暮らしを支えるため、多くの鉄道路線が建設されました。そして時代の変化とともに、その多くが廃止されていきました。現在も各地には、駅跡や橋梁、築堤、切通しなどの痕跡が残されています。私が北海道の廃線跡ツアーへ参加したとき、そのスケールの大きさと地域ごとに異なる歴史の奥深さに強い衝撃を受けました。以来、北海道は私の活動の中心となっています。能取湖沿いに続く湧網線の廃線跡。北海道の風景の中で鉄道の記憶をたどる楽しさに魅了されました。 大きな転機私の活動に影響を与えたものの一つが、東日本大震災でした。震災当日、首都圏では帰宅困難者が多く発生しましたが、私は地方出張中で免れました。自分なら家まで歩いて帰れるだろうか。そう思い自宅から職場までの鉄道に沿って、毎週末早朝に歩いてみることにしました。当初、防災訓練のような位置付けで始めたウォーキングはいつしか習慣化し、私のその後の人生を健康面でも、趣味面でも大きく変化させる出来事となりました。「見る」から「歩く」へ震災以前は駅跡や保存施設を訪ねることが中心でした。しかしウォーキングが趣味に加わったことで、「駅だけではなく、その駅と駅の間も歩けば良いのではないか」と思うようになります。駅跡だけでは路線の全体像は見えてきません。実際に歩くことで、- なぜこの場所に線路が敷かれたのか- どのような地形を通っていたのか- 沿線にはどのような集落があったのか- どのような遺構が残っているのかが見えてきます。こうして私の活動は「廃線跡巡り」から「廃線跡ウォーキング」へと変化していきました。筑波鉄道跡。廃線跡を実際に歩く楽しさを教えてくれた思い出深い路線の一つです。北海道を歩いて見えてきたもの活動を始めたきっかけは鉄道への興味でした。しかし歩き続けるうちに、私が見ているものは鉄道だけではないことに気付きました。廃線跡をたどっていると、- 地域の歴史- 人々の暮らし- 沿線の風景- 食文化- 温泉や観光資源など、さまざまな地域の魅力に出会います。空港から地方都市へ向かい、バスや徒歩で地域を巡る。その過程で出会う景色や文化も、廃線跡ウォーキングの大きな魅力になっています。私は次第に、「廃線跡を歩くことは、その地域を知る旅でもある」と考えるようになりました。現地調査を終えた後、地域ならではの食や文化に触れる時間も廃線跡ウォーキングの楽しみの一つです。 現在の活動スタイル現在は首都圏を拠点に、航空機・鉄道・路線バスなどの公共交通機関を活用しながら北海道各地の廃線跡調査を行っています。限られた休暇と予算の中で効率的に調査を進めるため、- 情報収集- 訪問計画立案- 現地踏査- 記録整理- 振り返りを繰り返しながら活動しています。この過程で培ったノウハウについては、別記事「廃線跡ウォーキング実践講座」で詳しくご紹介し、「北海道の廃線跡を訪ねたいけれど、首都圏からだと遠くて叶わない」と考え諦めている方への参考情報として提供していきます。これからの目標現在は「北海道廃線2000キロプロジェクト」に取り組み、北海道の旧国鉄廃線をできる限り歩いて記録しています。廃線跡は年々姿を変えています。線路が撤去される場所。駅跡が再整備される場所。自然へ還っていく場所。今日見ることのできる風景が、数年後にも残っているとは限りません。だからこそ私は、自分の足で現地を歩き、写真と記録として残していきたいと考えています。失われた鉄道の記憶をたどりながら、地域の歴史や風景もあわせて伝えていくこと。それが、このブログを続けている理由です。草に覆われながら静かに残る旧標津線上春別駅ホーム。こうした風景を記録として残していくことも、北海道廃線2000キロプロジェクトの大切な目的の一つです。 これからも一歩ずつ歩きながら、北海道に残る鉄道の記憶と地域の風景を記録していきたいと思います。おすすめページ▶ はじめて当サイトをご覧になる方へ▶ 北海道廃線2000キロプロジェクトとは▶ 廃線跡ウォーキング実践講座▶ 北海道旧国鉄廃線 路線一覧▶ オホーツク地方の廃線跡まとめ▶ 十勝地方の廃線跡まとめ
2026.08.15
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初めてこのサイトに来られた方は、こちらもご覧ください!このページでは、北海道廃線2000キロ計画の路線別進捗状況を一覧形式でまとめています。踏破距離や未踏区間は随時更新しています。なお、踏査状況は現地を実際に歩いて確認した区間を基準として集計しています。全体進捗━━━━━━━━━━━━━━北海道廃線2000キロ計画総合進捗(2026年5月現在)━━━━━━━━━━━━━━総延長 2,021.4km踏破 547.6km未踏 1,473.8km踏破率 27.1%━━━━━━━━━━━━━━ 全線踏破達成路線【全線踏破達成】■江差線(木古内~江差)42.1km■手宮線(南小樽~手宮)2.8km■歌志内線(砂川~歌志内)14.5km■函館本線上砂川支線(砂川~上砂川)7.3km■興浜南線(興部~雄武)19.9km■渚滑線(渚滑~北見滝ノ上)34.3km■相生線(津別~北見相生)36.8km■根北線(斜里~越川)12.8km■士幌線(帯広~十勝三股)78.3km■石勝線夕張支線(新夕張~夕張)16.1km地域別進捗【オホーツク地方】■渚滑線(渚滑~北見滝ノ上)34.3km 全線踏破■湧網線(網走~中湧別)89.8km 踏破60.5km(網走~佐呂間)/未踏29.3km■相生線(津別~北見滝ノ上)36.8km 全線踏破■根北線(斜里~越川)12.8km 全線踏破【根釧地方】■標津線(標茶~根室標津)69.4km 踏破24.6km(西春別~中標津)/未踏44.8km■標津線厚床支線(厚床~中標津)47.5km 全線踏破■白糠線(白糠~北進)33.1km 未踏33.1km【十勝地方】■士幌線(帯広~十勝三股)78.3km 全線踏破■広尾線(帯広~広尾)84.0km 踏破22.0km(帯広~幸福)/未踏62.0km■池北線(池田~北見)140.0km 踏破23.4km(境野~北見)/未踏116.6km【道南地方】■松前線(木古内~松前)50.8km 未踏50.8km■江差線(木古内~江差)42.1km 全線踏破■瀬棚線(国縫~瀬棚)48.4km 未踏48.4km■岩内線(小沢~岩内)14.9km 未踏14.9km【道央・空知地方】■手宮線(南小樽~手宮)2.8km 全線踏破■札沼線(北海道医療大学~石狩沼田)82.5km 踏破33.8km(北海道医療大学~浦臼)/未踏48.7km■幌内線(岩見沢~幾春別)13.6km 未踏13.6km■幌内線支線(三笠~幌内)7.2km 未踏7.2km■万字線(志文~万字炭山)23.8km 未踏23.8km■歌志内線(砂川~歌志内)14.5km 全線踏破■函館本線上砂川支線(砂川~上砂川)7.3km 全線踏破■夕張線(紅葉山~登川)7.6km 未踏7.6km■石勝線(新夕張~夕張)16.1km 全線踏破■根室本線(富良野~新得)81.7km 未踏81.7km■胆振線(伊達紋別~倶知安)83.0km 未踏83.0km■胆振線京極支線(京極~脇方)7.5km 未踏7.5km【道北地方】■留萌本線(留萌~増毛)66.8km 未踏66.8km■深名線(深川~名寄)121.8km 未踏121.8km■羽幌線(留萌~幌延)141.1km 未踏141.1km■天北線(音威子府~南稚内)148.9km 踏破7.1km(声問~南稚内)/未踏141.8km■名寄本線(名寄~遠軽)138.1km 踏破25.3km(興部~門別)/未踏112.8km■興浜北線(浜頓別~北見枝幸)30.4km 踏破17.7km(浜頓別~目梨泊)/未踏12.7km■興浜南線(興部~雄武)19.9km 全線踏破【日高地方】■富内線(鵡川~日高町)82.5km 未踏82.5km■日高本線(鵡川~様似)116.0km 踏破20.8km(鵡川~日高門別)/未踏95.2km おすすめ記事・はじめての方へ・北海道廃線2000キロ計画・オホーツク地方の廃線跡まとめ・十勝地方の廃線跡まとめ
2026.08.14
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幻の釧美線構想と津別の林業を支えた鉄路はじめに相生線は、美幌駅から津別を経て北見相生駅までを結んでいた国鉄の地方交通線です。 1924年に美幌~津別間が開業し、翌1925年に北見相生まで延伸されました。全長36.8kmの路線は、地域住民の移動手段であると同時に、津別地方の林業を支える産業路線としての役割も担っていました。1985年4月1日、国鉄再建法に基づく特定地方交通線として全線が廃止されています。 現在では北見相生駅跡を除き大規模な遺構はほとんど残されていません。しかし沿線を歩くと、駅前道路や旧駅名を残すバス停、土地利用の痕跡から、かつてこの地を列車が走っていたことを感じ取ることができます。 第1章 相生線とはどんな鉄道だったのか【路線概要】路線名 国鉄相生線営業キロ 36.8km起点 美幌駅終点 北見相生駅開業 1924~1925年廃止 1985年4月1日駅数 14駅(駅・仮乗降場含む)交換可能駅 津別駅【全駅一覧】駅名種別特徴・接続現在の主な状態美幌起点駅石北本線接続JR駅として営業中旭通仮乗降場-痕跡薄い上美幌駅-農地・跡地豊幌仮乗降場-痕跡薄い活汲駅-バス停・旧駅前道路達美仮乗降場-痕跡薄い津別主要駅列車交換可・津別森林鉄道接続腕木式信号機・記念碑高校前仮乗降場-痕跡薄い恩根駅(昇格)-バス停名として存続本岐駅木材集積拠点パークゴルフ場(東屋)大昭仮乗降場-痕跡薄い開拓仮乗降場-痕跡薄い布川駅(昇格)-跡地・農地北見相生終着駅林業拠点・釧美線構想終点道の駅あいおい(車両・駅舎保存)美幌-旭通-上美幌-豊幌-活汲-達美-津別-高校前-恩根-本岐-大昭-開拓-布川-北見相生 第2章 幻に終わった釧美線構想相生線は、もともと単独のローカル線として計画された路線ではありませんでした。 その起源は、釧路と美幌を結ぶ「釧美線」構想にあります。明治末期から阿寒を経由して釧路と北見地方を結ぶ鉄道計画が構想され、1922年の改正鉄道敷設法では「釧路国釧路ヨリ北見国相生ニ至ル鉄道」として規定されました。 しかし財政事情などから全線建設は実現せず、美幌側から建設された区間のみが開業しました。 1924年11月17日に美幌~津別間が開業し、翌1925年11月15日に北見相生まで延伸されます。こうして完成したのが現在「相生線」として知られる路線です。 もし釧美線が全通していれば、後に釧網本線が担うことになる道東内陸部の南北連絡機能を担っていた可能性があります。しかし歴史は別の道を辿り、相生線は未成幹線の一部として終着駅を持つローカル線となりました。 第3章 津別開拓と林業を支えた相生線〇網走川流域の開拓相生線が走った網走川流域は、開拓によって農地や集落が形成された地域です。 津別を中心とする一帯は森林資源に恵まれ、開拓の進展とともに木材産業が地域経済の柱となりました。 〇木材輸送路としての役割相生線は旅客輸送だけでなく、木材輸送路として重要な役割を果たしていました。 津別町は町域の大部分を森林が占める木材の町であり、沿線には製材施設や木材集積場が存在していました。現役時代の写真を見ると、本岐や津別周辺には大量の原木が積み上げられており、林業と鉄道の結びつきの強さがわかります。 〇津別森林鉄道との接続1927年には津別森林鉄道が開通し、山中で伐採された原木が津別駅へ運ばれるようになりました。 津別駅では森林鉄道から相生線への積み替えが行われ、木材輸送の拠点として機能していました。1963年まで森林鉄道が運行されていたことも確認されています。 第4章 相生線の全盛期戦後になると沿線人口の増加に対応するため、旭通、豊幌、達美、高校前、大昭、開拓などの仮乗降場が設置されました。また、恩根や布川は後に正式な駅へ昇格しています。 1980年代初頭の時刻表によると、相生線では複数往復の気動車列車が運転されていました。津別駅では列車交換が行われ、美幌を経由して石北本線へ接続していました。 終点の北見相生駅には複数の側線や木材関連施設があり、林業輸送の拠点としての性格を持っていました。第5章 相生線の廃止高度経済成長期以降、自動車の普及と道路整備によって鉄道利用は減少していきました。 木材輸送もトラック輸送へ移行し、1979年には貨物営業が廃止されました。 1980年の国鉄再建法施行後、相生線は第一次特定地方交通線に指定されます。1981年には廃止が承認され、1985年4月1日に全線が廃止されました。 1922年(大正11年)改正鉄道敷設法により「釧美線(釧路〜相生)」構想が規定される。1924年(大正13年)美幌〜津別間が開業。1925年(大正14年)津別〜北見相生間が延伸開通(相生線全通)。1927年(昭和2年)津別森林鉄道が開通。津別駅が木材輸送の重要拠点に。1979年(昭和54年)トラック輸送への転換により、貨物営業が廃止。1981年(昭和56年)第一次特定地方交通線として廃止が承認される。1985年(昭和60年4月1日)全線廃止。バス路線へ転換。第6章 現在の相生線北見相生駅跡現在の相生線を代表する保存施設です。 旧北見相生駅は現在「道の駅あいおい」として整備されており、駅舎、ホーム、キハ22形気動車、構内除雪車キ700形、機関車庫などが保存されています。駅舎の移設計画に対して地元有志による保存活動が行われ、現在の保存につながりました。 津別駅跡沿線最大の町だった津別でも、駅施設そのものは失われています。 しかし駅前旅館や駅前商店だった建物が残るほか、構内信号だったと考えられる腕木式信号機が現在も残されています。 本岐駅跡本岐駅の駅舎は現存していません。 現在はパークゴルフ場として利用されており、ログハウス調の東屋が設置されています。駅前広場や駅前道路の形状から、かつてここに駅があったことを読み取ることができます。 なお、『北海道 地図の中の廃線 旧国鉄の廃線跡を歩く追憶の旅』によると、1990年当時は駅舎が残り、宿泊施設として活用されていました。 その他の駅跡活汲、恩根、布川、開拓、大昭などでは駅施設はほぼ失われています。 その一方で、 駅名を残すバス停・旧駅前道路・取付道路・パークゴルフ場や広場への転用地などが残り、注意深く観察することで駅跡を推察できます。 第7章 廃線後40年の変化相生線は廃止後まもなく、鉄道施設の撤去や土地利用転換が進んだ路線でもあります。 堀淳一は『北海道 地図の中の廃線 旧国鉄の廃線跡を歩く追憶の旅』の中で、1990年時点の津別駅について「痕跡すら残さず、きれいに消え失せていた」と記しています。また、連続して歩ける廃線跡もほとんど残っていなかったとしています。 その後、本久公洋『北海道の鉄道廃線跡』でも、駅跡の多くが農地や公共施設へ転用されている様子が紹介されています。 そして2020年代の現況でも、その傾向は大きく変わっていません。 つまり相生線は、「廃止から40年経って遺構が失われた路線」ではなく、「廃止後早い段階で急速に風景へ溶け込んだ路線」と言えるかもしれません。 時期記録・文献現地状況・特徴1990年堀淳一『地図の中の廃線』津別駅跡は綺麗に消失。本岐駅舎は当時宿泊施設として残存。2000年代本久公洋『北海道の鉄道廃線跡』駅跡の多くが農地や公共施設へ転用。北見相生駅の保存活動が定着。2020年代(現在)当ブログ調査遺構はほぼ消失するも、旧駅前道路やバス停名として地域に浸透。第8章 相生線を歩いて感じたこと相生線には、士幌線のコンクリートアーチ橋や羽幌線の巨大コンクリート橋のような象徴的遺構は多くありません。 歩いた距離に対して収穫が特別多い路線とも言えないでしょう。 しかし、 幻に終わった釧美線構想津別森林鉄道との接続林業によって栄えた地域駅前道路やバス停に残る記憶をたどっていくと、失われた鉄道の存在を確かに感じることができます。 相生線は遺構を見る路線ではなく、土地の歴史を歩く路線である。 それが実際に沿線を歩いてみて感じた、この路線最大の魅力でした。 もっと相生線を知りたい方へ【おすすめ書籍】『北海道 地図の中の廃線 旧国鉄の廃線跡を歩く追憶の旅』著者:堀淳一出版社:亜璃西社1990年時点の相生線跡の様子を記録した貴重な現地踏査記録。 『北海道の鉄道廃線跡』著者:本久公洋出版社:北海道新聞社北見相生駅保存活動や現存遺構について詳しい。 『消えた鉄路を歩く 北海道(道北・道東編)』相生線の歴史、時刻表、配線図、沿線地図を収録。 『北海道の廃線アルバム』著者:野沢敬次出版社:アルファベータブックス現役時代の相生線や木材輸送の写真を多数掲載。 【映像資料】NHKアーカイブス国鉄相生線の現役時代を記録した映像。 よみがえる新日本紀行 北海道・相生線HTB北海道テレビ現役時代の相生線の映像記録。 国鉄&JR北海道の廃線路線シリーズ「相生線」 【地図・一次資料】国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス国立国会図書館デジタルコレクション歴代時刻表現地踏査記録【関連記事】相生線ウォーキングガイド相生線全駅ガイド北見相生駅跡訪問記津別森林鉄道ガイド※本記事は文献調査と現地踏査結果をもとに執筆しています。
2026.08.01
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初めてこのサイトに来られた方は、こちらもご覧ください!現在作成中です。相生線の記事は以下の構成で順次公開予定です。・【相生線】歴史と路線概要⇒釧美線構想と津別林業の歴史|遺構少ない廃線跡を歩く魅力とは? ・国鉄 相生線(美幌 ─ 北見相生 36.8km)沿線概念図で見る探索記録・相生線ウォーキングガイド・相生線全線踏破記録
2026.08.01
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初めてこのサイトに来られた方は、こちらもご覧ください!北海道廃線2000キロプロジェクト北海道には、かつて約2,000kmもの国鉄廃線が存在していました。その多くはすでに線路が撤去され、駅も消えました。しかし、現地を歩いてみると、築堤や橋梁、街並みの中に鉄道が残した痕跡を今も見つけることができます。「北海道廃線2000キロプロジェクト」は、その約2,000kmの廃線跡を自分の足でたどり、失われつつある風景と地域の記憶を記録していくプロジェクトです。現在の踏破距離は547.6km。まだ道半ばですが、一歩ずつ記録を積み重ねています。かつて道内各地を結び、地域の暮らしや産業を支えていた多くの鉄道路線。しかし、国鉄再建や地域交通の変化に伴い、それらの多くは廃止となりました。現在では線路は撤去され、駅舎も姿を消した場所が少なくありません。それでも現地を歩いてみると、築堤や橋台、橋梁、駅跡、街並みなど、かつて鉄道が存在したことを伝える痕跡が今も各地に残されています。私は、そうした北海道の廃線跡を実際に歩きながら、その姿を写真と記録として残す活動を続けています。このページでは、その取り組みである「北海道廃線2000キロプロジェクト」について紹介します。北海道廃線2000キロプロジェクトとは北海道内の旧国鉄廃線の総延長は約2,000kmに及びます。この計画は、それらの路線跡を可能な限り自分の足で歩き、路線の歴史を調べる廃線跡の現況を記録する鉄道遺構を確認する地域の風景や文化に触れることを目的とした個人プロジェクトです。目標は単なる全線踏破ではありません。時間の経過とともに姿を変えていく廃線跡を記録し、今しか見ることのできない風景を残すことも、この活動の大切な目的です。この活動の原点私は1975年生まれで、首都圏で育ちました。北海道の国鉄路線が次々と廃止されていった1980年代、まだ子どもだった私には、自分の力で北海道を旅行することはできませんでした。そのため、現在では廃線となっている多くの路線について、現役時代に訪問する機会を持つことができませんでした。後年になって振り返ると、それは少し心残りでもありました。大学時代になると、鉄道好きの仲間たちとともに、自動車で北海道各地の廃止路線を巡るようになりました。20年以上前に車で訪問した際に購入したばかりのデジカメで撮影した旧標津線奥行臼駅。若い頃から北海道の廃線跡を訪ね歩いていました。駅跡や橋梁、旧線路跡などを訪ねることはできましたが、当時はまだインターネットやスマートフォンが普及する以前の時代でした。GPSによる位置記録も一般的ではなく、記録の中心は紙の地図やフィルム写真でした。そのため、「どこを歩いたのか」「どのような状態だったのか」「周囲にどのような風景が広がっていたのか」を現在のような形で詳細に残すことはできませんでした。20年以上前に撮影した旧士幌線のコンクリートアーチ橋。現在は樹木の成長により、ここまでの全景を確認することは難しくなっています。また、自動車による訪問と徒歩による訪問では、見える景色も大きく異なります。車で移動していると、駅跡や橋梁など主要な地点を効率よく訪ねることはできます。一方で、路盤の高低差小さな橋台や橋脚線路跡の痕跡集落との位置関係駅前から続く街並みといったものは、実際に歩いてみて初めて実感できることが少なくありません。廃線跡が地域の中にどのように存在していたのか。そして今、どのような姿で残されているのか。そうしたことを理解するためには、自分の足で歩くことが最も確実な方法だと感じるようになりました。現在の「北海道廃線2000キロプロジェクト」は、若い頃に車で訪れた場所を改めて歩き直す旅でもあります。かつて見た風景を確認しながら、当時は残せなかった記録を今の技術で残していく。その積み重ねが、この活動の大きな原動力となっています。「2000キロ」という名前についてこの計画の名称は、鉄道紀行作家・宮脇俊三氏の名著『時刻表2万キロ』へのオマージュでもあります。宮脇氏は全国の鉄道路線を乗り歩き、その旅を記録として残しました。私の場合は鉄道に乗るのではなく、すでに姿を消した鉄道路線の跡を歩いています。もちろん規模も内容も大きく異なりますが、「鉄道を通して地域を知る」という姿勢には共感するところがあります。北海道各地の廃線跡約2,000kmを歩きながら、その風景と記憶を記録していきたい。そんな思いを込めて、「北海道廃線2000キロプロジェクト」と名付けました。---━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━北海道廃線2000キロ計画 進捗状況(2026年8月現在)━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━総延長 2,021.4km踏破距離 547.6km未踏距離 1,473.8km踏破率 27.1%未踏率 72.9%詳しい路線別踏査状況はこちら→ 北海道廃線2000キロ計画 路線別進捗一覧 進捗状況■■■■■□□□□□□□□□□□□□□□27.1% ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━まだ道半ばではありますが、一歩ずつ記録を積み重ねています。---主な訪問路線オホーツク地方湧網線相生線名寄本線渚滑線興浜南線池北線(ちほく高原鉄道)十勝地方士幌線広尾線池北線(ちほく高原鉄道)その他札沼線手宮線歌志内線上砂川支線留萌本線天北線興浜南線富内線日高本線江差線ほか活動の進め方訪問時には可能な限り、訪問日現地写真位置情報歩行記録現況メモを残しています。また、事前には路線史の調査地形図の確認航空写真の確認アクセス方法の検討なども行っています。若い頃に訪れた場所を、今は自分の足で歩きながら記録し直しています。今後の目標2026年中に踏破率30%達成未訪問路線の調査地域別まとめ記事の充実廃線ウォーキングガイドの整備訪問記録の体系化これからも北海道各地を歩きながら、少しずつ記録を積み重ねていきたいと思います。おわりに廃線跡は、単なる鉄道ファンのための遺構ではありません。そこには地域の歴史があり、人々の暮らしがあり、今も続く風景があります。この計画を通じて、北海道各地に残された鉄道の記憶と地域の魅力を記録し、発信していきたいと考えています。北海道の歴史や歩く旅に興味をお持ちの方は、ぜひ各記事もご覧ください。
2026.08.01
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はじめての方へこんにちは。「北海道廃線2000キロ ─ 廃線跡を歩く・写真で記録するウォーキングブログ ─」 をご覧いただき、ありがとうございます。このブログでは、北海道各地に残る鉄道廃線跡を実際に歩き、その様子を写真とともに記録しています。訪問計画の作成から現地踏査、帰宅後の整理まで、その過程を含めて記録しているブログです。北海道の廃線跡を歩くということ北海道には、かつて地域の生活や産業を支えながら、その役割を終えて姿を消した鉄道路線が数多くあります。路線が廃止されて何十年も経過した場所であっても、実際に歩いてみると、•駅のあった場所•築堤や切通し•橋梁跡•線路跡の遊歩道•駅前から続く街並みなど、当時を想像させる痕跡に出会うことがあります。廃線跡は単なる鉄道遺構ではありません。私は、そこに地域の歴史や暮らしの記憶が残されていると感じています。だからこそ、地図や航空写真だけではなく、自分の足で歩き、その土地の風景や空気を感じながら記録することを大切にしています。北海道廃線2000キロプロジェクトこのブログでは、北海道の旧国鉄廃線をできる限り歩いて訪ねることをライフワークとして続けています。現在管理している記録では、•北海道旧国鉄廃線総延長:約2,021km•踏破距離:約548km•踏破率:約27%となっています。また、訪問時には可能な限り、•訪問日•現地写真•位置情報•歩行記録•現況のメモを残しています。目標は単なる全線踏破ではありません。時間の経過とともに変化していく風景や、今だからこそ見ることのできる廃線跡の姿を記録として残すことも、この活動の大切な目的です。オホーツク地方と十勝地方との関わりこれまで歩いてきた路線を振り返ると、オホーツク地方と十勝地方の記録が比較的充実しています。これは当初から特定地域に絞って活動したというより、首都圏からのアクセスのしやすさが大きく影響しています。私自身、関東から現地調査を行う際には、•女満別空港•オホーツク紋別空港•とかち帯広空港などを利用してきました。その結果として、オホーツク地方では•湧網線•相生線•池北線(ちほく高原鉄道)•名寄本線•渚滑線•興浜南線十勝地方では•士幌線•広尾線•池北線(ちほく高原鉄道)などの記録が蓄積され、このブログでも多くの記事を掲載しています。興味深いのは、地方空港によって首都圏から比較的訪れやすい地域でありながら、かつての鉄道網の歴史や発展の痕跡が色濃く残されていることです。空港を使って現地へ入り、バスや徒歩で地域を巡りながら廃線跡をたどる。その過程で見えてくるのは鉄道の歴史だけではなく、その土地の風景や食、人々の暮らしです。私は次第に、「廃線跡を歩くことは、地域そのものを知る旅なのではないか」と考えるようになりました。廃線ウォーキングが持つ可能性この活動を始めたきっかけは鉄道への興味でした。しかし実際に歩き続ける中で、廃線跡にはそれ以上の可能性があると感じています。例えば、•地域の歴史を学ぶ機会•健康づくりを兼ねたウォーキング•美しい風景を楽しむ旅•公共交通を利用した周遊観光•地元の飲食店や宿泊施設を訪ねるきっかけとして活かすことができるかもしれません。実際に現地を歩くと、駅跡だけでなく、•地元のお店に立ち寄る•温泉に入る•地域の文化に触れるといった体験が自然と生まれます。私は、廃線跡を単なる鉄道ファンのための対象としてだけでなく、「地域の歴史や風景を楽しむ新しい歩き旅の素材」としても発信していきたいと考えています。このブログについてこのブログでは主に次のような内容を掲載しています。計画編•路線の歴史調査•地図の確認•アクセス方法の検討•事前準備実踏編•現地ウォーキング記録•写真紹介•遺構の現況•旅の記録資料編•路線データ•関連文献•歴史資料•情報収集メモガイド編(今後充実予定)•モデルコース•アクセス情報•歩行難易度•補給ポイント•注意事項おすすめ記事※一部準備中•北海道廃線2000キロ計画•オホーツク地方の廃線跡まとめ•十勝地方の廃線跡まとめ•湧網線ウォーキング記録•相生線ウォーキング記録•士幌線ウォーキング記録おわりに北海道には、かつて人や物資を運び、地域の発展を支えた鉄道路線の痕跡が今も数多く残されています。廃線跡を歩くことは、鉄道史をたどるだけではなく、その土地の歴史や風景、人々の営みに触れることでもあります。このブログが、北海道の地域や歴史、歩く旅に興味を持つきっかけになれば幸いです。どうぞごゆっくりご覧ください。ブログ管理人プロフィールはこちらです
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