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初めてこのサイトに来られた方は、こちらもご覧ください!寒別駅跡は、国道276号線から脇道に入った先にホーム跡を遺していました。という事で、即認定です笑
2026.09.13
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初めてこのサイトに来られた方は、こちらもご覧ください!北岡駅跡からは、線路跡に沿った農道を歩きます。進行方向左手には築堤跡が続き、そのやや後方には羊蹄山が見えます。農道沿いはずーっとじゃがいも畑です。途中、大きなトラクターに数人が乗り込み収穫作業を行う姿も見かけました。国道276号線に到達するまではひたすらじゃがいも畑と羊蹄山でした。その後は国道276号線の歩道を歩きます。国道沿いに道南バスの寒別バス停が見えたらその裏手が寒別駅跡です。
2026.09.13
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初めてこのサイトに来られた方は、こちらもご覧ください!北岡駅跡の辺りは一面畑と化していました。道路を少し先に進み、小屋を違う角度から眺めます。断定はできませんが、駅の待合室のようにも見えます。という事で、北岡駅跡認定完了です。
2026.09.13
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初めてこのサイトに来られた方は、こちらもご覧ください!京極駅跡から北岡駅跡の間は、線路の近くを歩ける道路がなく、尻別川の対岸を走る道道478号線を歩きます。途中ふきだし公園の先に、セイコーマートのPB、京極の名水の工場とおぼしき建物を見かけました。まだまだ線路は遠いです。その後、一旦倶知安町に入ります。北岡駅跡の所在地は京極町で、尻別川の対岸にあります。中野橋という道路橋を渡ると、すぐに胆振線跡と再会しました。踏切跡のようです。踏切跡から倶知安方を望みます。遠くに小さい小屋があり、そこが北岡駅跡のようです。
2026.09.13
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初めてこのサイトに来られた方は、こちらもご覧ください!京極駅跡は、巨大な農業や施設に姿を変えていました。駅跡を背に駅前通りを望むとその先には羊蹄山が。駅前通りを歩き、振り返って京極駅跡に別れを告げます。
2026.09.13
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初めてこのサイトに来られた方は、こちらもご覧ください!脇方駅跡〜京極駅跡に向けて出発します。写真は最終処分場付近から京極方の路盤跡を望む図です。歩き始めてすぐ、道路は川を渡りますが、その橋の名は「鉄見橋」。かつては鉄道の姿を見ることができたのでしょうか。今は鉄道跡を確認する事はできませんでした。その先、か細い道路が京極方面に伸びています。道路脇からヒグマが出てきてもおかしくないシチュエーションです。参加者全員が鈴を装着して鳴らしながら歩いていきます。途中、無駄に道路がカーブする地点がありました。踏切跡と思われます。イタドリの奥には線路跡が続いている模様です。線路跡は道路の反対側、山肌に築堤を残しながら進んでいきます。道路は細いままですが周囲の木々は減り、遠くには羊蹄山が見えてきました。その先で築堤はワッカタサップ川の手前で再度道路と交差します。川にかかる橋から下を覗くと、なんと脇方支線の橋脚が残っていました!この橋は平成三年に完成したとの事なので、最終処分場を作る際に道路を整備したものなのでしょうか。その下に橋脚が残されているとは、驚きでした。橋を渡ると線路跡は畑に呑み込まれていました。姿もありません。途中、畑の中にカルバートが佇んでいました。これが鉄道時代のものなのか、鉄道から道路に転用された後のものなのかは不明です。その先も畑に呑み込まれた状態は続きました。再度ワッカタサップ川を道路が渡った先、道道から北に逸れると線路跡を転用したと思われる道路の起点がありました。綺麗に整備されています。道路幅から鉄道路盤の転用であるものと推察されました。この道路からも羊蹄山はその姿を見せてくれました。京極の市街地に入る頃、道路の左側にイタドリの茂みが現れます。ここから線路跡は道路から分かれていたようです。その先の市街地では一部畑として再利用されたりして痕跡をたどることはできます。さらに先に進むと、公民館や体育館などの公共施設が並ぶ場所に出ました。この辺りで胆振線の本線と合流していました。本線の東京極方面を覗きます。図書館の裏側を胆振線は走っていました。その先、国道を渡ると線路跡には大きな倉庫ができていました。その倉庫に沿って歩くと京極駅跡跡に辿り着きます。
2026.09.13
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初めてこのサイトに来られた方は、こちらもご覧ください!胆振線ウォーキングですが、いきなり同線で一番ディープな脇方支線の脇方駅から開始です。ここはかつて日鐵鉱業が鉱山を経営していた場所で、国鉄脇方駅の他に小中学校や郵便局などもありましたが1969年に閉山され、1970年には無住化した地域です。脇方支線も1970年に廃止となりました。駅前広場のようなスペースには、記念碑や鉱山設備のようなものが残されていましたが、無論誰もいません。駅の跡には藪が深くて近づけず、少し先にある最終処分場付近まで行き、かつての脇田駅があったと思われる場所を望みます。この藪の奥に駅があったとは俄に信じられませんが、56年前に廃止されたことを思えば納得もできると思い直し、京極に向けて出発しました。
2026.09.13
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初めてこのサイトに来られた方は、こちらもご覧ください!本日朝の出発地点でもあった、目的地の小沢駅に到着しました。今も函館本線が走る現役の駅になります。岩内線は駅本屋側のホームを使用していて、始発列車と終列車は倶知安方から渡り線を通って岩内線ホームに進入してきたものと思われます。無事完歩したことを祝い、岩内線が現役時から存在したと思われる年代物の木造跨線橋で締めたいと思います。
2026.09.13
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初めてこのサイトに来られた方は、こちらもご覧ください!今回の北海道廃線現調ツアーの最終日は胆振線を初着手します。昨日は函館本線比羅夫駅の民宿に宿泊しました。今回は自家用車で参加した同行者がいるので、比羅夫から脇方駅跡までは自家用車での移動です。なかりせば、比羅夫発の始発列車に乗り、倶知安駅からはタクシーを利用する予定でした。ありがたく恩恵に預かってスタート地点に向かいます。
2026.09.13
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初めてこのサイトに来られた方は、こちらもご覧ください!国富駅跡から道道に戻り、終点から更に先へと歩き出します。この道道の進行方向右側に沿って走る線路跡は、その先で国道5号線を潜ります。我々は国道5号線まで登ります。登って突き当たった先の国道5号線を右折するとすぐ先に「くにとみこせんきょう」という銘板を発見しました。国富方と小沢方両方を望みます。漢字で表記された銘板も発見しました。その先岩内線跡は山肌に沿って小沢を目指します。途中の道路との交差点、踏切跡と思われる地点でもその姿がよくわかりました。わかりにくいですが、写真のほぼ真ん中を横断する電線の下に岩内線の路盤跡、少し上に函館本線の路盤があります。この先、小沢の集落ではこの高さが同じになり線路は合流していました。小沢の集落に入り、今は廃業してしまって買えないから名物トンネル餅の看板のある交差点を左折すると小沢駅です。
2026.09.12
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初めてこのサイトに来られた方は、こちらもご覧ください!道路自体はその先まで伸びているにもかかわらず、停車場線の終点を示す看板付近にある右側方向に逸れる路地に入るとそこには国富駅構内だったと思われる広場がありました。叢の中には国富駅のホーム跡が眠っていました。という事で国富認定完了です。次は今日の終点の小沢です。
2026.09.12
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初めてこのサイトに来られた方は、こちらもご覧ください!幌似駅跡を発ちます。駅前から国富方面に延びる道を歩いていきます。程なくその道は国道276号線と合流します。ここから先は歩道が整備されていました。途中、道の駅之新設工事にも出くわしました。岩内線沿線に新たな道の駅がとはいえ新たな『駅』ができるのは数奇な運命にも思えます。その先で国道の旧道が合流してきました。即ち岩内線の廃線跡は道路から分離されることを暗示しています。その先すぐ、進行方向左手にある野菜・果物の直売所の裏手から、岩内線の築堤は復活しました。国富駅までほぼ途切れずに築堤が続いていました。国道276号線と交差する、踏切があった地点です。湧別とかいて、「わくんべつ」と読むバス停の近くです。その先も築堤はしっかりとその存在を残していました。その先の国富の集落からは、国富の駅跡に向かう「停車場線」が健在でした。国道を右折し国富駅跡に向かいます。
2026.09.12
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初めてこのサイトに来られた方は、こちらもご覧ください!幌似駅跡は「幌似鉄道記念公園」として整備されています。駅舎は若干位置をずらしたようですが、その姿は現役時代と変わりません。ホームには貨車と客車も保存されています。客車は車内にも入ることができました。駅舎の中には廃止直前の時刻表や運賃表、さよなら列車のヘッドマークや周辺駅の看板等が整然と展示されていました。駅舎にベンチがあったので、岩内駅跡付近のセイコーマートで購入したおにぎりを食べて遅い昼食としました。
2026.09.12
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初めてこのサイトに来られた方は、こちらもご覧ください!前田駅跡を出発。また進行方向左側にある農道に戻り、ひたすら歩きます。農道は中の川を渡るとすぐに終わり、また縦一列で歩かなければならなくなりました。当然歩行者などいないだろうと思っていましたが、途中リュックを背負った男性1人が反対側の路側帯を歩いて来ました。おそらく我々と目的は同じものと思われます笑直線道路がおわると幌似駅跡はすぐです。幌似駅跡の姿が見えてきました。
2026.09.12
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初めてこのサイトに来られた方は、こちらもご覧ください!前田駅跡は、この看板の国道276号線と道道1174号線が交差する付近にかつて存在しました。痕跡を求めて国道276号線の車の往来が途絶えた隙に反対側に渡り、かつての駅前の痕跡を探します。まず目につくのは「前田旭バス待合所」と掲げられた小屋です。過去の航空写真を見ると、この小屋が存在する敷地がかつての駅ロータリーだったようです。というわけで、前田駅跡はこの付近と認定することにしました。
2026.09.12
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初めてこのサイトに来られた方は、こちらもご覧ください!西前田駅跡を出発し、しばらく歩くと線路跡は直線となりました。ここから幌似駅跡手前までは直線が続きます。前述の通り岩内共和道路には歩道が無く、路側帯を縦一列、子供の「電車ごっこ」状態で歩かなければならないので、皮肉にも鉄道廃線跡を歩く隊列としては良いのかもしれませんが、車がひっきりなしに通るこの道路では安全面・精神衛生面ともに良いものではないので、途中から現れたかつて線路脇を走っていたと思われる農道を歩くことにしました。はじめは砂利道の農道でしたが、やがて舗装された生活道路に変わりました。岩内線現役時代からあったと思われる古い建物も混在する集落に入ると前田駅跡はもうすぐです。
2026.09.12
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初めてこのサイトに来られた方は、こちらもご覧ください!西前田駅跡は、その先のカーブの途中にありました。特定するための情報としては、事前に調べた位置情報の他には、地図を見ると写真右側にある木々の奥側道路から岩内共和道路に向けて伸びる路地があり、かつて駅に向かう道だったのではと推察できるレベルしかありません。ともあれ西前田駅跡と認定しました笑
2026.09.12
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初めてこのサイトに来られた方は、こちらもご覧ください!岩内駅から廃線跡である道幅の広い道路を歩くと程なく突き当たりとなりました。その先は道路の真ん中が植込みとなっていて、両脇には細い道路があります。真ん中の植込みがかつて線路だったと推察されます。はじめのうちは畑などに転用されていました。その後ただの空き地となりました。この状態は共和町との境界付近、国道229号に呑み込まれるまで続きました。この国道は岩内線の路盤を転用したものであることは、歩き始めてすぐに旧道跡と思われる道路跡が現れたり、鉄道を彷彿させる緩やかなカーブで確信できました。その後国道229号線は左折し、岩内線跡は国道276号線に引き継がれました。その後も鉄道カーブは続きますが、国道276号線に入ると歩道は無くなり、少し広めの路側帯を歩きます。この道は通称「岩内共和道路」というようで、大型トラックなども行き交うため歩く環境としてはあまり適してはいませんが、縦一列の隊列を組んでひたすら西前田駅跡を目指して歩きます。
2026.09.12
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初めてこのサイトに来られた方は、こちらもご覧ください!小沢駅前の国道5号線上にあるバス停から乗車し、終点の岩内バスターミナルに向かいます。ここが岩内線の終着駅、岩内駅の跡です。道の駅も併設され、飲食店を中心に商店も複数営業していて周辺の雰囲気は明るく、鉄道廃線によくある退廃感は全く感じられません。岩内線の痕跡は、かつての駅前通りに今も残る「停車場」の語句と、国鉄岩内線開通当時の駅舎の写真を紹介する碑がある程度でした。ここから小沢駅まで戻るウォーキングか始まります。
2026.09.12
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初めてこのサイトに来られた方は、こちらもご覧ください!前日札沼線を歩いた後、小樽まで移動しました。早朝から手宮線の跡を歩き、隣友市場で朝食に刺身天ぷら定食を頂きました。本日は岩内線を歩く予定です。小沢駅近くのバス停から北海道中央バスの路線バスに乗り岩内バスターミナルに向かいます。小樽からは同行メンバーの車に便乗させてもらい、臨時特急ニセコを小沢駅で見送りました。岩内線の営業キロは12.1キロですので、15キロ前後歩く想定です。昨日までは単独行でしたが、今日からはグループでのウォーキングとなるので趣も異なります。最後までしっかり歩きたいと思います。
2026.09.12
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======================================================国鉄 岩内線(小沢 ─ 岩内 14.9km)沿線概念図======================================================【 至 倶知安 / 小樽 】│├─[ 函館本線 ]│(0.0k) [小沢]──●旧岩内線ホーム・木造跨線橋(26.09)│├─●国道5号線国富跨線橋・函館本線との合流手前の築堤等(26.09)│(2.5k) [国富]──●草叢の中にホーム跡を発見(26.09)│├─●路盤跡・築堤等を確認(26.09)│(6.0k) [幌似]──●「幌似鉄道記念館」として駅舎・ホーム・車両を保存(26.09)│├─●廃線跡の道路転用区間(26.09)│(9.0k) [前田]──●駅前跡のバス待合室確認(26.09)│├─●廃線跡の道路転用区間(26.09)│(12.1k)[西前田]──●岩内共和道路に完全に吸収されていることを確認(26.09)│├─●岩内駅手前の市街地に残る路盤跡と、国道に転用されている線路跡(26.09)│(14.9k)[岩内]──●岩内バスターミナル・道の駅・駅跡の碑等(26.09) ↓ (黒松内方面) 未成線計画
2026.09.12
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初めてこのサイトに来られた方は、こちらもご覧ください!新十津川駅後にも浦臼駅と同様のモニュメントがありました。レールエンドの近くにもモニュメントが。駅舎は解体されましたが駅前は広く、かつての小さい駅舎が脳裏によぎりました。これで2020年廃止区間は完遂。2つの駅名標を比べるとなんか違うなぁ…ともあれお疲れ様でした!
2026.09.11
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初めてこのサイトに来られた方は、こちらもご覧ください!南下徳富駅跡の先は立入禁止の看板は出ていないものの、柵があるので自重し、線路につかず離れずで走る「西一線」という道路を歩きます。程なく線路跡は小川で寸断。賢明な判断でした。西一線は、この後新十津川手前までほぼ歩きました。下徳富駅跡手前からは路盤が道路として転用されていて、立入禁止の看板も無かったので進んでみることにしました。駅跡近くの農業倉庫が見えてきました。下徳富駅は間もなくです。
2026.09.11
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初めてこのサイトに来られた方は、こちらもご覧ください!柵の奥手にかつてホームがあったようです。
2026.09.11
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初めてこのサイトに来られた方は、こちらもご覧ください!線路跡は相変わらず田圃の中を進みます。早い田圃では稲刈りをしているところも有りました。田圃の水路のような小川の橋が撤去されているのも変わらずです。その先で大きな変化がありました。区画整理事業が進行中で、重機が働いていました。これでは線路がどこにあったかわからない…と思いましたが、途中の水路にヒントがありました。おそらくアンダーパスの構造になっている部分が線路跡なのでしょう。そんな造成地のエリアを過ぎ、新十津川の街が近くなってようやく線路跡が公園として姿を現しました。その名も「駅跡地さくら公園」。分かりやすい鉄道カーブを描くこの小径を歩くと新十津川駅跡にたどり着けるようです。
2026.09.11
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初めてこのサイトに来られた方は、こちらもご覧ください!この写真の右下、砂利道が合流してくる辺りが駅舎、正面が駅ホームだったと推察されます。駅舎跡から駅前通りを望みます。逆に駅舎を望む図です。次は新十津川です。
2026.09.11
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初めてこのサイトに来られた方は、こちらもご覧ください!於札内駅を出発するとすぐに周辺が稲穂でいっぱいになりました。砂利道が小川に突き当たったので左折し、札沼線の線路と交差する点の橋梁は撤去されていました。札沼線の橋梁は殆ど残存していないです。しばらく歩くと農免農道にでました。この道を歩いて南下徳富駅跡に向かいます。農免農道を右折し、踏切跡を撤去して真新しいアスファルトに変わったゾーンに、JR北海道の立入禁止柵がありました。南下徳富駅跡はこの先です。
2026.09.11
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初めてこのサイトに来られた方は、こちらもご覧ください!「駅前通り」の突き当たりはL字に曲がり、曲がった先が少し広くなっていました。ここが駐輪場などだったのでしょうか。ここでもWikipediaなどを確認、線路との位置関係からこの藪の奥が駅跡と特定しました。
2026.09.11
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初めてこのサイトに来られた方は、こちらもご覧ください!鶴沼駅を出発すると、少し先に大きな穀倉が現れました。札沼線の沿線は石狩平野で稲作が盛んです。ちょうど実りの季節で稲穂が首を垂れていました。稲穂の中をかき分けるように道を歩き、於札内駅があったと思われる方向へ細い路地に入ったところ、小川の橋の銘板に於札内駅が生存していました。その先の踏切跡から於札内駅方面を望みます。道路は少し回り込んで、線路と直角の関係の、「駅前通り」を思わせる路地へと進んでいきます。この突き当たりに於札内駅があるはずです。
2026.09.11
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初めてこのサイトに来られた方は、こちらもご覧ください!鶴沼駅跡です。念のため、Wikipediaの現役当時写真を現地で確認しました。写真の右側にホームがありました。という事で、於札内に向かいます。
2026.09.11
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初めてこのサイトに来られた方は、こちらもご覧ください!浦臼駅のモニュメントを出るとすぐにレールは無くなりますが、路盤はまだ歩ける状態となっています。立入禁止の表示も見当たらないので歩いてみました。程なく小さな小川が横切り、橋梁は撤去されていたためここまででスタンドバイミーは終了となりました。国道に戻ります。国道沿いにある浦臼神社ですが、かつて線路はこの奥にありました。気になり参道へ入ってみると…かつては石段の手前の参道に踏切があったものと推察されます。その後も踏切跡と思われる箇所では浦臼方と新十津川方を眺めて往時を偲びました。鶴沼駅跡は、鶴沼公園を過ぎ、鶴沼の集落も過ぎた街外れの、国道から路地を入って奥まった場所にありました。
2026.09.11
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初めてこのサイトに来られた方は、こちらもご覧ください!浦臼町営バスは定刻に旧駅前に到着しました。ここはかつてのウォーキングの終点で、年月も経っていないので印象は変わりませんでした。今日のウォーキングはここから開始です。
2026.09.11
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初めてこのサイトに来られた方は、こちらもご覧ください!前日名寄本線の中湧別〜遠軽間を歩いた後、特別快速大雪に乗車、旭川駅で投宿したので、今日は近くの廃線をウォーキングすることにし、札沼線の浦臼〜新十津川間を歩くこととしました。旭川から滝川まで函館本線で移動し、バスで浦臼に向かいます。以前北海道医療大学〜浦臼間は歩いていますので、今日完歩できれば2020年に廃止となった区間は完遂となりますので、確実に歩き切りたいと思います。浦臼へは浦臼町営バスを始めて使います。
2026.09.11
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初めてこのサイトに来られた方は、こちらもご覧ください!日没時間間近でしたがようやく遠軽駅に到着しました。営業キロは15キロ強でしたが道路を歩くと余計に時間がかかることがわかります。当初計画では湧別駅跡から中湧別駅跡も歩く予定をしていましたが、短縮して正解でした。今は主のいない駅そばのブースが佇みます。この駅そばも名寄本線の証人だったのですが、2019年に廃業。その後2025年には遺志を継ぐ方が現れ復活したのですが、1年のみの試みとなってしまったようです。ということで、今日の名寄本線ウォーキングは終了です。遠軽駅構内から見える瞰望岩と記念撮影をして締めます。この後はもちろん反省会です笑
2026.09.10
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初めてこのサイトに来られた方は、こちらもご覧ください!北遠軽駅跡を発つとすぐ、視界が開けて来ました。線路跡もデントコーン畑の脇を走ります。線路跡と並走する道路がないので一旦迂回しましたが、その後線路跡は道路と並走するようになります。このように、路盤跡もわかる部分もありました。この後線路跡は道路に対して徐々に高度を上げます。住宅街に入ると山肌に築堤を築いて走るようになりました。最終的に名寄本線の線路跡は遠軽駅構内に呑み込まれました。現在の石北本線だけの遠軽駅は単純なスイッチバック構造の駅ですが、かつてはスイッチバックの先に名寄本線の線路が延びていました。
2026.09.10
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初めてこのサイトに来られた方は、こちらもご覧ください!工業団地から続く道と名寄本線は合流していました。写真左側、樹木が並ぶ辺りに線路は存在していたと思われます。名寄本線の廃止から40年弱経過した現在、線路跡も自然に還っていることがわかります。北遠軽駅跡はこの付近と推定しました。
2026.09.10
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初めてこのサイトに来られた方は、こちらもご覧ください!開盛の集落を歩く途中、路線バスが追い越して行きました。名寄本線のこの区間は北海道北見バスが走っていて、本数もそこそこあり、万が一の体調不良時も比較的安心な路線です。国道242号を線路跡は横切ります。トラックが走る辺りが線路跡と推定されます。サナブチ川で行政区画が湧別町から遠軽町に変わりました。名寄本線の旅もあと少しで終わりです。名寄本線は国道242号からは少し離れ、小さい工業団地の裏側を走っていました。工業団地の区画が終わるとこのような砂利道となり、この先が北遠軽駅跡なのですが、この区間は木々が繁っていて視界が開けず、今日の区間で1番ヒグマのリスクを感じた区間でした。音楽の音量をあげ、鈴を鳴らしながら進みました。
2026.09.10
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初めてこのサイトに来られた方は、こちらもご覧ください!開盛駅跡には「開盛驛跡之碑」が残されていました。この集落にとって駅がとても重要な存在だったことを窺わせます。周囲は比較的新しい一戸建て住宅が建っていました。ということで、記念撮影です。
2026.09.10
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初めてこのサイトに来られた方は、こちらもご覧ください!共進駅駅跡を出ても、玉葱畑は続きます。この畑の奥を名寄本線は走っていました。その後、湧別川を渡ります。線路もこの写真の奥手で川を渡っていたはずですが、痕跡はありません。やがて開盛の集落に入りました。大きい集落で、駅跡に到達するのはまだ先で、10分弱を要しました。国道242号から路地に入ると、駅跡はもうすぐです。
2026.09.10
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初めてこのサイトに来られた方は、こちらもご覧ください!共進駅跡に到着です。右の倉庫付近が駅跡です。道路から見ると不自然な角度に立っていて、線路跡上に建っているからかと推察されます。ということで、勝手に駅跡認定しました笑
2026.09.10
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初めてこのサイトに来られた方は、こちらもご覧ください!上湧別駅跡を出ると、線路跡は農業倉庫の間を通ります。現役当時も倉庫はあったのでしょうか…その後線路跡は玉葱畑の中を通っていきます。農業用の大型トラクターが通るからか、砂利道は硬く踏み固められていました。その後道路は玉葱畑に飲み込まれ、線路跡上を歩くのは不可能となり、迂回しながら共進駅へと向かいます。この写真の右手前から左奥に向かって線路は走っていました。左奥には小さく共進駅後が見えています。
2026.09.10
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初めてこのサイトに来られた方は、こちらもご覧ください!上湧別駅跡から駅前通りを望むの図
2026.09.10
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初めてこのサイトに来られた方は、こちらもご覧ください!北湧駅跡を過ぎると、一瞬並走道路が無くなりました。ただ、その後即座に復活。名寄本線と並走が続きます。上湧別駅の手前は舗装道路でした。
2026.09.10
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初めてこのサイトに来られた方は、こちらもご覧ください!北湧駅、元仮乗降場は現在チューリップ公園になっている付近との情報がありました。屯田兵の生活が体験できる施設もへいせつしていました。駅プレと一緒に記念撮影です。
2026.09.10
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初めてこのサイトに来られた方は、こちらもご覧ください!中湧別駅構内付近は運動場の様相です。この歩道を遠軽方面に歩きます。構内を出る辺りで、線路跡は道路に変わります。その後はひたすら直線道路を歩いて北湧仮乗降場跡に向かいます。北海道のウォーキングらしくなってきました。
2026.09.10
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初めてこのサイトに来られた方は、こちらもご覧ください!中湧別駅跡は道の駅になっていますが、その中に鉄道記念館という名目で、駅跡のホーム、跨線橋、車両を保存しています。今日は平日でしたので空いていて快適でした。
2026.09.10
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初めてこのサイトに来られた方は、こちらもご覧ください!羽田空港を発ち、紋別空港へ降り立ちました。空港から連絡バスに乗り、ウォーキングの出発地点を目指しています。今日は、名寄本線の湧別駅跡から遠軽駅跡までを歩く予定です。営業キロは21.1キロ、おそらく歩行距離は25キロ程度になるものと思います。6月以来の北海道廃線ウォーキングを楽しみたいと思います!
2026.09.10
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初めてこのサイトに来られた方は、こちらもご覧ください!道の駅なかゆうべつでバスを降りました。すぐ隣が中湧別駅跡なのですが、バスの車窓で気になるものを見かけたので少し市街地を逆戻りしてみます。中湧別神社の参道脇にそれはありました。現役当時の中湧別駅の駅名標と思われます。ここにおわします理由はわかりませんが、よいものを拝まさせて頂きました。
2026.09.10
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初めてこのサイトに来られた方は、こちらもご覧ください!【初めてお越しいただいた皆様へ】本ページは、旧国鉄 相生線(美幌〜北見相生 36.8km)の沿線探索結果を網羅したサマリーページです。下記の沿線概念図から、各地点の現地の状況や残存する遺構の写真を直接ご覧いただけます。【アイコン凡例】★(星マーク):橋台、信号機、保存車両など「明確な遺構・見どころ」があるスポット●(丸マーク):駅跡の特定、転用状況(公園・パークゴルフ場など)の現場確認レポート※各項目のテキストリンクをクリックすると、現地で撮影した詳細な写真付きの探索記記事へ移動します。======================================================国鉄 相生線(美幌 ─ 北見相生 36.8km)沿線概念図======================================================【 至 北見 / 網走 】│├─[ 石北本線 ]─┐│ (0.0k) [美幌] ─────────┴─── [日本甜菜製糖専用線]│├─●せせらぎ公園および美幌市街地内における線路跡の状況を確認(25.07)│ (旭通) *仮乗降場──●駅跡らしき場所は特定(23.05)・●駅跡を再確認・駅への階段も確認(25.07)│├─●旭通仮乗降場付近は魚無川沿いの遊歩道に転用(23.05)・●魚無川沿いを再度探索(25.07)├─●上美幌駅前後はパークゴルフ場に転用(23.05)・●パークゴルフ場の先の線路跡の状況も確認(25.07)│(6.2k) [上美幌]──●駅跡はパークゴルフ場化・駅前通りが駅跡を主張(23.05)│├─●上美幌駅の手前付近から線路跡がパークゴルフ場に転用(23.05)・●再訪時もパークゴルフ場は健在(25.07)├─●寺院の脇に築堤跡を確認(25.07)│(豊幌) *仮乗降場──●駅跡と思われる空地を確認(23.05)・●駅跡に建つ公民館に接近(25.07)│├─★草木に埋もれる橋台を確認(23.05)├─●築堤跡と思われる道を確認(25.07)│(11.9k)[活汲] ──●駅前通りが駅跡であることを主張(23.05)│├─●活汲駅手前から線路跡に沿って歩くも遺構無(25.07)├─★活汲第一バス停付近の小さい川を渡る橋の橋台跡を発見!(23.05)・★再訪時も橋台健在!(25.07)│(達美) *仮乗降場──●駅跡と思われる空地を確認(23.05)・●再訪により場所特定の精度向上(25.07)│├─★朽ちた腕木式信号を確認!(24.04)・★再訪時も腕木式信号は健在!(25.07)│(16.6k)[津別] ──●駅前商店跡・駅前旅館跡確認(23.05)─── 列車交換可能駅 / 貨物側線・ホーム│├─●線路跡が公園に転用・そこから津別駅方面へ線路跡確認(23.05)│ (高校前) 仮乗降場──●駅跡と思われる場所には遺構は無(23.05)│├─●線路跡から少し離れるが津別21世紀の森キャンプ場には保存車両他が有(23.05)│ (20.8k)[恩根]──●バス停を拠り所に駅跡を特定・遺構無(23.07)│├─★標識が残存!(23.07)│ (24.7k)[本岐] ──●バス停を目印に駅前通りを歩き駅跡に到着(23.07)―─ 旧延伸計画名残の側線・切欠きホーム│(大昭) 仮乗降場──●バス停を拠り所に駅跡を特定・遺構無(23.07)│(開拓) 仮乗降場──●バス停を拠り所に駅跡を特定・遺構無(23.07)│(32.3k)[布川]──●バス停を拠り所に駅跡を特定・遺構無(23.07)│├─●線路沿いの同道を歩く(23.07)│(36.8k)[北見相生] ──★駅舎残存・保存車両有!(23.07)── 終着駅 / 木材集積場 / 機関車庫・転車台跡===========================================================
2026.08.16
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廃線跡を歩きながら、失われた鉄道の記憶と地域の歴史をたどっています。 こんにちは。当ブログ「北海道廃線2000キロ ─ 廃線跡を歩く・写真で記録するウォーキングブログ ─」を運営している喜多美歩です。「はじめての方へ」では、このブログの活動内容や北海道廃線2000キロプロジェクトについてご紹介しました。この記事では少し視点を変えて、「なぜ私が北海道の廃線跡を歩くようになったのか」についてお話ししたいと思います。活動のあゆみ鉄道に興味を持つ ↓廃止された鉄道や駅跡に関心を持つ ↓仲間との北海道廃線跡ツアーに参加 ↓北海道の鉄道遺産の奥深さに魅了される ↓東日本大震災を契機にウォーキングに目覚める ↓廃線跡ウォーキング開始(筑波鉄道跡など) ↓北海道での現地調査を本格化 ↓計画・実踏・振り返りを繰り返し独自の調査スタイルを確立 ↓北海道廃線2000キロプロジェクト始動 ↓そして現在```鉄道そのものより「失われた鉄道」に惹かれた子どもの頃から鉄道には関心がありました。学生時代は列車に乗ることそのものを楽しむ、いわゆる「乗り鉄」でもありました。その後、駅舎や鉄道遺産に興味を持つようになり、やがて廃止された路線や駅跡へ関心が移っていきました。現在では、失われた鉄道の痕跡をたどることが活動の中心になっています。使われなくなった橋梁や築堤、線路跡。地図から消えてしまった駅の痕跡。そうした場所を訪ねるたびに、「なぜここに鉄道が必要だったのだろう」「なぜ廃止されてしまったのだろう」と考えるようになりました。廃線跡は単なる鉄道遺構ではありません。その土地で暮らしてきた人々の歴史や産業、地域の発展の記憶が刻まれた場所でもあるのです。北海道との出会いそうした関心が次第に向かった先が北海道でした。かつて北海道には全国有数の鉄道網が存在しました。炭鉱、農業、林業、水産業。それぞれの産業や人々の暮らしを支えるため、多くの鉄道路線が建設されました。そして時代の変化とともに、その多くが廃止されていきました。現在も各地には、駅跡や橋梁、築堤、切通しなどの痕跡が残されています。私が北海道の廃線跡ツアーへ参加したとき、そのスケールの大きさと地域ごとに異なる歴史の奥深さに強い衝撃を受けました。以来、北海道は私の活動の中心となっています。能取湖沿いに続く湧網線の廃線跡。北海道の風景の中で鉄道の記憶をたどる楽しさに魅了されました。 大きな転機私の活動に影響を与えたものの一つが、東日本大震災でした。震災当日、首都圏では帰宅困難者が多く発生しましたが、私は地方出張中で免れました。自分なら家まで歩いて帰れるだろうか。そう思い自宅から職場までの鉄道に沿って、毎週末早朝に歩いてみることにしました。当初、防災訓練のような位置付けで始めたウォーキングはいつしか習慣化し、私のその後の人生を健康面でも、趣味面でも大きく変化させる出来事となりました。「見る」から「歩く」へ震災以前は駅跡や保存施設を訪ねることが中心でした。しかしウォーキングが趣味に加わったことで、「駅だけではなく、その駅と駅の間も歩けば良いのではないか」と思うようになります。駅跡だけでは路線の全体像は見えてきません。実際に歩くことで、- なぜこの場所に線路が敷かれたのか- どのような地形を通っていたのか- 沿線にはどのような集落があったのか- どのような遺構が残っているのかが見えてきます。こうして私の活動は「廃線跡巡り」から「廃線跡ウォーキング」へと変化していきました。筑波鉄道跡。廃線跡を実際に歩く楽しさを教えてくれた思い出深い路線の一つです。北海道を歩いて見えてきたもの活動を始めたきっかけは鉄道への興味でした。しかし歩き続けるうちに、私が見ているものは鉄道だけではないことに気付きました。廃線跡をたどっていると、- 地域の歴史- 人々の暮らし- 沿線の風景- 食文化- 温泉や観光資源など、さまざまな地域の魅力に出会います。空港から地方都市へ向かい、バスや徒歩で地域を巡る。その過程で出会う景色や文化も、廃線跡ウォーキングの大きな魅力になっています。私は次第に、「廃線跡を歩くことは、その地域を知る旅でもある」と考えるようになりました。現地調査を終えた後、地域ならではの食や文化に触れる時間も廃線跡ウォーキングの楽しみの一つです。 現在の活動スタイル現在は首都圏を拠点に、航空機・鉄道・路線バスなどの公共交通機関を活用しながら北海道各地の廃線跡調査を行っています。限られた休暇と予算の中で効率的に調査を進めるため、- 情報収集- 訪問計画立案- 現地踏査- 記録整理- 振り返りを繰り返しながら活動しています。この過程で培ったノウハウについては、別記事「廃線跡ウォーキング実践講座」で詳しくご紹介し、「北海道の廃線跡を訪ねたいけれど、首都圏からだと遠くて叶わない」と考え諦めている方への参考情報として提供していきます。これからの目標現在は「北海道廃線2000キロプロジェクト」に取り組み、北海道の旧国鉄廃線をできる限り歩いて記録しています。廃線跡は年々姿を変えています。線路が撤去される場所。駅跡が再整備される場所。自然へ還っていく場所。今日見ることのできる風景が、数年後にも残っているとは限りません。だからこそ私は、自分の足で現地を歩き、写真と記録として残していきたいと考えています。失われた鉄道の記憶をたどりながら、地域の歴史や風景もあわせて伝えていくこと。それが、このブログを続けている理由です。草に覆われながら静かに残る旧標津線上春別駅ホーム。こうした風景を記録として残していくことも、北海道廃線2000キロプロジェクトの大切な目的の一つです。 これからも一歩ずつ歩きながら、北海道に残る鉄道の記憶と地域の風景を記録していきたいと思います。おすすめページ▶ はじめて当サイトをご覧になる方へ▶ 北海道廃線2000キロプロジェクトとは▶ 廃線跡ウォーキング実践講座▶ 北海道旧国鉄廃線 路線一覧▶ オホーツク地方の廃線跡まとめ▶ 十勝地方の廃線跡まとめ
2026.08.15
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