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ときどき自分が、凶暴になってしまって恐ろしい。どこかに怒りをぶつけて、圧力を発散しなければ爆発してより恐ろしいことになるとは、昨今よく言ったものだ。でも僕は知っている。僕が自分の怒りを、自分の制御できないところへ持って行ってしまった時に、僕は人を傷つける、何もかもをかえりみることなく、怒りという爪を立てて、暴力という刃にする。人は傷つけあいながら、その傷の深さを知って優しくなってその傷をなめることによって相手を気遣って傷ついた自分を優しくしてもらえて、心を許す。僕の周りにはいつも誰かいる。名前も知らない誰かが。通り過ぎていく。後ろから、前から、左から右へ。誰もが何かの傷をそのからだに刻んでいて、誰かのおかげで癒されていて、そしてその傷で誰かにやさしくなれてる。僕は共鳴している。名前しか知らない、誰かの胸の痛みに。顔しか知らない、誰かの激しい憤りに。
2009.04.07
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大学に入って、生理不順が多くなった。自覚はある。生活が悪い。さみしい。くるしい。でも大人(私ももう半分大人なのだろうか)は、私に人と付き合うことを強く勧める。私はそのメリットをわかっている。(でもあんまり感じたことはない)でも私はそのデメリットもすごくよくわかっている。(感じてしまうから)私はさみしい。私が人づきあいが、苦しくて、踏み込まれるのが大嫌いだということを、伝えられないから。伝えないと、理解されないから。苦しい。一緒にいてほしい時にいてくれる、そんな手軽なオトモダチがいいのかよ。それって都合いいだけだろ!と、なにかのドラマで言っていた。身につまされる。でも、そのたびに思う。友情の美しさを歌う話はこれほど世の中にあふれているのにどうして、この苦しみを理解しようとする話はないんだろうか。人づきあいが苦手な人は、無理やりにでも人付き合いをするように淘汰されているような気がする。この脚本家は、私より年上なんだろうが、でもきっと人と触れ合うことの苦しさなんて知らないんではないかと思ってしまう。知っていて、これなら、すこしうらやましいとおもう。私は誰にも言わずにいる。母は階段を上り下りするたびに膝をさすっている。父は夜遅く仕事に行って、起きている間はなんだかつらそうだ。友達は、前をみているから、私はひきとめようとは思わない、助けてほしいけど、私は生きていてほしいのだ、まわりの人間に。その人たちの人生を。私の話を聞くために、立ち止まったり、悩んだりしないでほしい。私は、私が死んでも誰にも泣いてほしくない。私が殺されても、だれも恨まずにいてほしい。犯人捜しなどしていないでさっさと自分の時間に戻ってほしい。泣いている時間を、前進するために使ってほしい。私は親友が死んでも泣くふりしかできなかった。悲しかったが、涙は少しだけしか出なかった。親友の家族はやつれていた。私が彼らより早くに死んだら、親もこんな風に悲しみに駆られてしまうんだろうか。でも私はそんなこと望みはしない。決して。笑っていてとは言わない。悲しいことには違いない。だけど悲しみに明け暮れていてほしくない。私は、私の人生を生きている。飼い犬が死んでしまっても、私はきっと生き続ける。一緒に死んであげられない。誰かが終わっても私は終われない。私は悩む。きっとだれか一緒に悩んで立ち止まってくれればきっと心安らいで、心地いいだろう。でも、私は悩みを解決しなくちゃいけないが、誰かはしなくていいかもしれない。そのとき、そのだれかは、有限の時を刻一刻と減らすのかもしれない。もしそのだれかが、「これは自分の人生を有益なものにするためのちょっとしたスパイスのようなものだからいいんだよ」といえば、私は大層救われるのだろうけども、きっとそれでも後悔しつづけるんじゃないだろうか。わたしはさみしい人間だ。自分が傷つくのがこわいあまりに、わたしはどんどん後ろに下がっている気がする。巻き戻さなくてもいいテープを、どこまでも巻き戻すような。わたしはさみしい。さみしくていけない。
2009.04.01
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