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新刊の「日航123便墜落―遺物は真相を語る(河出書房新社)」の即日重版に際しまして皆様の温かいご支援とご支持に心から感謝申し上げます。また、ご遺族からのお電話、読者の皆様からのお手紙やお葉書に書かれたお言葉に励まされて、本当に書いて良かったと思っています。有難うございました。『 日航機事故から33年目にはっきりと見えてきた真相~御巣鷹の尾根からの遺言 青山透子 』
これからもどうぞよろしくお願い致します。
「いくらマスコミに伝えても、すべて無視されてきたことを書いて下さって有難うございます。まさしくこの本は私の思いそのものです」―あるご遺族からのお電話がまだ私の耳に残っています。
「この本が出版されて『こりゃまずいぞ』っと、慌ててパンツ脱いだままリングに上がって、あそこが見えているのに(下品で失礼!)騒いでいる人達って愚かですよね。そろそろ自分たちの勝手な主張を取り下げてはどうですかって言ってやりましょうよ」―友人からのメールより抜粋
なお、今回の証拠物の分析、インタビュー、群馬県警察資料、520人分の遺体状況一覧表、現場写真等、全ては揺るぎのない真正なものであり、さらに弁護士の皆様、一部のご遺族にもお見せしているものです。
もし、ご遺族の方でそれらを見たい、という方がいらっしゃいましたら河出書房新社宛にお手紙をくだされば、対応させて頂きます。
日航123便墜落における3部作として今回は遺物に焦点を当てましたが、私がペンを持つきっかけとなったのは、なぜ今まで、ここまできちんと捜査をせずに全てを無視し、黙殺してきた人たちがいたのか、ということへの憤りです。本来の仕事としてやらなければならない人たちは大勢いたはずであり、捜査関係者、事故調査委員、検察、日航関係者、政府関係者、政治家、官僚、マスコミ等々、いろいろな場面で出来たはずです。それなのに、33年間もなすべきことをしてこなかった、という事に尽きると思います。
たまたま、私がその昔、教え子たちと新聞記事を読み進めていくうちにこの123便墜落の矛盾に気づいたことがきっかけとなり、その後も独自に調査を続けました。大学院においては、博士論文を書いている時期に出会った多くの学友たちと議論や調査をして、知人の弁護士や法曹関係者、さらにご遺族で事故原因に疑問を持つ人たちとの出会いなどがあり、一歩ずつ、一歩ずつ真相に近づいてきて今があります。この年月を振り返ると、本当に不思議な出会いがたくさんありました。恐らく520人の命が何等かの形で訴えてきたのだと思います。「きちんと調査をしてほしい」という叫びだったのだと思います。ある弁護士の方からは「520人も亡くなっているのに、不起訴とは大変遺憾だ。このような仮説があるならば、きちんと検証すべきである」というお言葉を頂戴しました。
その一方で「こんな陰謀説そのものが馬鹿らしい。こんなことをいう人はバカじゃないの」と、とある御用軍事評論家で今は大学教授らしいですが、いきなりこんなことをいう人もいました。その人は元自衛官で、博論も書かずに自衛隊関係のコネで現職にありついたらしいと大学関係者から聞きました。さもありなんでしょう。大学教授にふさわしいかどうかは大変疑問だと思います。勝手に相手を卑下する言い方は、教育者ではありません。
さらに、マスコミ関係者もジャーナリズム精神のないサラリーマンである、ということが強く出てくる人が多く、笑ってしまうことが多々ありました。例えば、私の本の記事を書くふりをして、資料を全部コピーさせろ、と言ってきて、結局は自分が本を出したいだけだったり・・・。逆に何かつっこめる要素を探して、私そのものを否定すれば(例えば小保方さん論文事件のように)この本の内容の信憑性が問われるだろう、との推定のもとで、あら捜しに余念のない人たちやら・・・。このヘイト的書き方は誰だろう、読みもせずに否定ばかりしている、ということで内々に調査したら出所がどうも霞が関だったり・・・。
まあ、色々な人がいるなあと思った1年間でした。
こういう人たちの仕事の仕方は、目に浮かんできますね。もっと自分自身の言動を真摯に見つめて、心の底からこの日航機墜落について考えてほしいと願っています。
8月12日に私たちが考えなければならないことは、あの日、一刻も早く救助が行けば助かった人たちの無念であり、死ぬ必要がなかったにもかかわらず、殺された相手すら謝罪をしない無念であり、うやむやにすることが国益だと歪んだ見方をする人への怒りです。愚かな人たちの懺悔の声が520人に届かない限り、次々と証拠物が出てくることでしょう。
あの日乗っていたのが、もし自分だったのならば、そういう思いで過ごさなければならない日なのです。合掌
いろいろと書いてきましたが、日航123便墜落、1985年8月12日の出来事ですが‥続きは・・・
私個人では謎は、次の6つに集約されます。
①発端の、相模湾での海上自衛隊の演習…ここで行われていた無人標的機が、間違って123便の尾翼に当たったとされているが、本当に…ほ・ん・と・う・に!
間違って、尾翼に当たったのか?と言う疑問…
実は初めから仕組んでいたのではないか?と言う疑い。
②123便はミサイルで撃墜されているという説が、今では真実の可能性が高くなっている。一体、ど・こ・の、誰・が、ミサイルを撃ったのか?
③12日の深夜に、現場に集結した、普通とは異なるいでたちの自衛隊とは…いったいどこの部隊か?陸上か、海上か、航空か?特殊部隊か?
千人もの特殊部隊とはどういうことか?
そして、公安が調べても、自衛隊の記録の中に、この千人の自衛隊が出動した記録が一切ない‥ということ。
彼らは、ど・こ・の・誰・なのであろうか?
④生存者は7人いた。しかし、返ってきたのは4人だけ。あとの3・人・は・ど・こ・へ・消えたのか?二人は男の子と女の子で子供であったが、もう一人はどんな人物だったのか?
⑤政府、自衛隊、日航、群馬県も‥そろって隠していることがある。それは何か…というより、何故なのか?
⑥1986年、日航の墜落事故から1年たって、自衛隊の中から年間90人も自殺者が出ていたのはなぜか?彼らはほんとうに自殺だったのだろうか?そして、日本航空からも自殺者があいついだのは何故なのか?
百里基地から飛び立ち123便を追尾していたファントムの乗員は、すべてを見ていたはずだ。パイロットは、今でも、生きているのだろうか?
みなさま、答えがわかりますでしょうか?
この事故の時、真相を話したら、戦争になると、中曽根氏が言ったとか言わなかったとか…
それは、どことどこが戦争になると言うのでしょうか?
でも‥
いつかきっと、すべての答えが出ると思います。
米国の911のように、たくさんの遺族、友人、関係者の方々が、執念の追及を決してやめようとはしていないからです。

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さそい水さん