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日本近代化の最大の立役者…それは 徳川慶喜 。
鳥羽伏見の戦いで負けた幕府軍は、「賊軍」の汚名を嫌った徳川慶喜が逃亡(江戸城へ撤退)した為、幕府軍の士気は低下、江戸へ向かう者、会津に立て込もる者、と三々五々に分裂します。山田ゴロ版のライダーマン
いわく「トカゲを殺すには、 アタマを潰す
のが一番だ!」との事ですが、徳川将軍と言う「アタマ」を失った幕府軍は脆く、各個撃破されていきます。この討伐戦は、箱館戦争で終了します。
この一連の戦いで、政府軍は新型兵器に慣れる事が出来ました。つまり「 演習 」と言う側面があります。
この後、明治10年の西南戦争までの内乱で、政府軍は新兵(農民など、武士以外の出身者)の 実戦での 練兵 (と、さらなる新兵器の訓練)が出来ました。
遡れば、薩英戦争、下関戦争で薩長は欧米の兵器の優秀さを身を持って知ります。おそらく彼らは
沖田
「ダメだ、この船では ヤツらには勝てない
」
と思った事でしょう。
これにより、薩摩藩は西洋の兵器の購入を決定、開国・倒幕へ以降します(長州は当初から倒幕志向)。
つまり、日本(明治の指導者)は、欧米列強の強さと、日本の弱さと言う「 現実 」を正しく認識していたのです( 孫子 いわく「我を知り、彼を知らば百戦危うからず」)。
これに対し、西洋の強さを見誤り、過小評価していたのが李氏朝鮮です。その為もあって、彼らは開国を頑なに拒みました。
事実、李氏朝鮮は、西洋の軍隊を撤退させる事に成功しています。しかしながら、これは李氏朝鮮の強大さ故ではありません。李氏朝鮮の意外な反撃に驚いた西洋が、より組みしやすい中国(清)をターゲットにし、李氏朝鮮を 後回し にしただけにしかすぎません。
言うなれば、「高くでマズくて接客の悪い店」より「安くて旨くて接客の良い店」を選んだ訳です。
この段階でのカン違いが、後の悲劇(開国をせず、日本に支配されてしまった)を生む原因と言えます。これだけなら「悲劇」で済むのですが、実は、もうひとつの悲劇が待っています。
それは甲午農民戦争(東学党の乱)。ここの首謀者は下級役人でしたが、過去(清)の歴史(外国の軍隊に、自国の内乱鎮圧を依頼したが為に徐々に権益を奪われ、半ば植民地化される)を知っており、所期の目的を果たすと、約束どおり反乱軍を解散させます(外国の軍隊を出動させない為)。しかし、李氏朝鮮の王族は、 自分たちの権勢の為に 外国の軍隊に出動を要請、農民を弾圧させます。これは、植民地化への最後の一歩だっただけであるばかりではなく、李氏朝鮮最大の汚点だと思うのですが。農民(国民)あっての国でしょうに。
この点、日本の国力を損なわせず、また外国の介入(の口実)をさせなかった徳川慶喜の判断は、弱気ゆえではなく、国家の行く末を見据えた、高度な政治的判断だと思うのですが…。もし鳥羽伏見の後、幕府と政府の全面対決となれば、それは東日本と西日本の全面戦争となり、日本が分割(独立、あるいは 植民地化 )する事になったかもしれません。
「その時、歴史が ちょっと 動いた」と言うところです。
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