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1パーセントの才能と99パーセントの努力との名言を残したのは、エジソンだったと思うが、その1パーセントの才能を与えられたことこそ奇跡なのであって、その才能あるものが、猛烈な努力をするから世界初の発明をどんどんしていくわけで、そっか、努力こそ大切なんだ、と一般庶民を惑わすようでいけないのだ。才能ないものが努力すれば、それなりの結果を残すことはできるが、後世に名を残すような業績は無理だろうし、かなりのラッキーさがないといけない。そういえば、大金持ちへのインタビューで明らかになっていることは、ほとんどの人間が、努力もあっただろうが、自分はラッキーだったといっていることだ。もしかしたら、ラッキーと時代性を掴み取る才能を持っていたのかもしれない。多分、世の中には、ラッキーたるものが、いろいろあるのだろうが、ほとんどの人間は、それを目の前で見過ごしていくものだと思う。そんな訳で、ドイツを歩いていたのだが、無理やりでもないのだが、歩きながら、正規の大天才、ドイツ人、アインシュタインの逸話のことを思った。一般に、アインシュタインは(エジソンも)、子供の頃は劣等性だった、大学を放校された、だのと喧伝され、それでも、すごい人になる可能性はあるんだぜ、なんて無理に希望を子供に与えようとする悪意を感じられて仕方ねえ。確かにアインシュタインは小中学校を放校になり、大学受験も失敗して1浪した。卒業後は大学に残れずに、しがない特許庁の役人になったというのは事実である。 しかし事実は、小中学校が簡単すぎたこととと高学年になると、運動部に入らなければならずその運動部的しごき上下関係が嫌で、アインシュタインは、自分で辞めたにすぎず、劣等性なんかではなかった。大学についても、賢すぎて、大学資格の年齢までまだ2年早かったのだが、チューリヒ大学学長が、あいつは天才だから特別に受けさせろ、との鶴の一声で、急遽受験したのだが、暗記科目で失敗して合格できなかったのだ。翌年、1浪して、トップで入学している。そして、大学卒業、これは日本だけではなく、世界共通だろうが、助手から上は、教授に引っ張ってもわないといけない、政治の世界である。アインシュタインは、研究それだけをしたかったので、学内のゴタゴタが鬱陶しかっただけだったのだ。(後に、請われて母校教授にはなったが)エジソンも同じようようなものである。父親の農場生産物を、自分で販路を広げて、つまり、いまでいうとおろのセールスプロモーションで年間100マン円の利益を得たのが小学校入学以前の話。車内販売員として、アルバイトをしながら研究をしたという逸話もあるが、列車に乗っていることをいいことに、遠方のニュースをいち早く伝えるバイトを思いつき、今で言うところの、販売促進キャンペーンだと思うが、ただで情報を仕入れ、新聞社に売り込み、速報ニュースを伝えることをして、がっぽり稼いだのが、小学生の年齢のころだ。そんな商売の才覚もある人間が、小学校なんか、ばかばかしいと思って不思議ではない。 中学校の時、俺は、陸上部長距離だったのだが、1年後輩に才能ある奴が入ってきた。同じ練習をして、同じトレーニングをして、彼は、神戸市大会で優勝し、俺は予選落ち。 ある記録会で、予選があまりに、彼にとっては緩いので、手をだランと垂らして、少しフザケナガラ走っている姿をスタンドから見ていると、俺の目が痙攣し始めた。こいつに、走りで勝つのは無理だ。こいつが、陰で益々努力したら、益々、無理だ。そこには、才能という大きな川が流れている。土壌、基本、出発点が違うのだ、と思った。その後、彼は、報徳学園に進み、駅伝全国大会で優勝した。陸上で明治大学に行った。その後は知らない。取引先にも、そういえば、ラグビーで全国大会に出場したことがあるとか、まあ、そういうこともある。あるいは、何年かかって勉強してもいいから東京大学に合格できるかというと、私の記憶力では難しいと思う同年代100万人中、何千番代に入らなければならないのである。記憶力分野で。八百屋のおばさんで、勉強をしていれば、ノーベル賞も取れたで、でも八百屋って人も逆に、いっぱいいるだろう。 しかし、救いは、金銭も地位も栄光も、実は幸福と関係ないということなのだ。それを救いとして生きていきなはれ。2009年正月旅行 出国→アムステルダム→ウィーン アムステルダム、駅周辺 アムステルダム、拷問博物館 アムステルダム、セクスミュージアム再訪 アムステルダム、ヘンプスミュージアム再訪 アムステルダム、マダムタッソー1 アムステルダム、マダムタッソー2 アムステルダム、マダムタッソー3 アムステルダム、ダンジョン アムステルダム、ダムラック オランダ教育事情 オランダ性教育事情 ウィーン、シュティファン寺院、カタコンベ ウィーン、犯罪博物館 ウィーン、拷問博物館 ウィーン、ジョセフィーヌム(医学史博物館) ウィーン、ハプスブルグ家 ウィーン、彫刻の町 ウィーン、彫刻の町 信号 スロヴァキアの歴史 ブダペスト、ブラチスラヴァへ ブラチスラヴァ、なんだこれは。 オーストリア→ハンガリー→ドイツ ブダペストの黄昏 ブダペスト朝マイナス5度 ブダペスト朝マイナス7度 ブダペスト昼マイナス5度 ブダペスト、温泉紀行マイナス5度 ブダペストのラビリンス ブダペスト、ドール博物館 ブダペスト、地下鉄 ブダペスト、パール街の少年たち ブダペスト、ゲレールトの丘、ツィタデラ ブダペスト、正月 フランクフルト、飛行機待ち フランクフルト、正月宴のあと フランクフルトから帰国 欧州gourmetの旅
2009.01.31
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子供の頃、おかんに「おれ、忍者なりたいわ」といったら、「あんた、あほか、忍者ゆうたら、伊賀と甲賀があるのも知らんのとちゃうん?そんなんじゃアカンアカン」と夢を打ち砕いてくれた苦い思い出がある。伊賀の忍者屋敷は、エキシビション的アクション的なのであった。入り口で、人数が集まるまで待ってくださいね、といわれ、寒空の中、ひたすらその時を待つのであった。赤い忍者コスチュームのクノイチが案内しており、客は、じいさんばあさん中年であり、なかなかガキがおらずにいいじゃないかと少しだけ思うのであった。勉学の場である。しかしながら私のグループの案内役は、若いニイチャン忍者であった。壁ですか?彼は、すごい速度で、どんでん返しの奥底に消えた。速い、できるなお主って感じであった。座敷わわらしのように、忍者いるんですよ、って電気点けてくれた。あそこに行くにはデスねえ・・・天袋の棚外すんですねえ。お、あんなとこにもおったおった。伊賀と甲賀は近いが、これは、漢字が似ているからで、どちらも、本当は伊賀なんだということであった。こうやって、壁を開けて逃げるんです。一見、普通に見えますが・・・こうやって外して逃げるふりして、また屋敷に戻って隠れるんです。一見、普通に見えますが・・・銃が隠されてます。銃が隠されてます。一見、普通に見えますが・・・壁が開きます、以上で終わりです、ありがとうございました。私とカップル1組の3人は、ハアハアといいながらありがとうございました、と若者忍者にお礼を言うのであった。次は、隣町にある甲賀である。伊賀は三重県だが甲賀は滋賀県である。こちらの案内人は、おじいさんで、やたら学術的な説明であり、こちらが本家本元だと、言い張るのであった。伊賀の忍者屋敷は、この屋敷を真似して作りました。こちらは昔からの建物そのままなんですとのことであった。こうやって、床に穴を掘っており、離れまでいけるのであります。学術的なのはいいが、人形がチャチイってか、顔は写真を貼り付けているだけなんですけど。泣くな。泣きそうにペラペラです。なんだよー。人数が集まれば説明するので、それまで、自由にご見学下さいね、といわれ、屋根裏部屋を腰を折りながら歩く。徳川時代になって、戦争はなくなり、忍者もお払い箱にはなたが、昔、徳川を助けたとかで、伊賀甲賀地域の忍者のみ、徳川直轄領として、生き残ることが許されたが、その分、どんどんお金が溜まり、逆に、賊から金品を守るために忍者は存在したのですとの説明であった。そういうわけで、賊が侵入してきても、そいつを殺してしまうと、復讐されるので、逃げる技術を体得していったようで、忍者とはすなわち逃げることなり、とのことであった。逃げておくと、賊も何も捕らずに帰ったとは、仲間には恥ずかしくて言えず、お互いが平和に終わるのですとの説明であった。急な階段であるが、のぼり用であっって、忍者は降りるときは、飛ぶのだそうだ。だから、老人になると、忍者はご隠居になるという説明であった。オメエ、首つってねえか。どうも、飛び出し注意に見えて仕方ないが気のせいか。開けて閉めると、開かない仕組みの窓。写真写りは悪いですが、ハリソンフォードさんもお越しです。こちらは、忍者も飲んだという薬草健康茶のサービスもありますわよん。(お土産に買いました)刀、隠してます。ダイジョーブ、見てたか白影?大凧に乗って登場。真面目なところと思いきや、一応、子供向けに道場もある。大変多くの子供たちが修練していたのであった。こちらも、概ね、大人の方々の来場が多く、ジャリの来る様なところではない大人のサロンであった。子供連れは多少あったが、20歳前後の人々は、こういう迷所を知らぬようで、歴史を勉強してもらいたいところである(老婆心)。で、きみは、伊賀派?甲賀派?それとも興味ない?俺なんか、忍者の実態みたいな本、今日買ってきたよ。
2009.01.30
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早朝、ドイツ、フランクフルトに着いた。乗継まで5時間程度の時間があり、市内まで空港から15分と、かなり近い素晴らしい立地なので、また、この1年で3度目になるというのに、市内に出かけた。地下道を通って、市内にて、飯を食って、朝からビールでも飲んで、ブラブラするかなと思った。掃除をしている人々しか居ない正月の朝。昨晩、花火をあげたり、大騒ぎした模様の後であり、それでも、掃除は一通り終えたようであった。駅前メインストリートには、1件の店も開いていない状態であった。横道に入ってみたのだが、結局、イスラム関係の店が3店舗程度開いていただけであった。そのうちの一つに腹ごしらえのために入ると、イスラムらしい男たちが数人、コーヒーを飲んでいた。タクシー運転手のよう思われる。料理もスープのみであった。なかなかうまいなと飲んでいると、やっと徹夜明けで楽しみ、疲れきったカップル若者が入ってきて、スープを頼み、無言でいそいそと食べて、10分程度で出て行った。マイン川沿いに出た。風が冷たく、それでも、今年初めの太陽を拝むことができた。寺院のシルエットが見える。外に出ている人は、ランニングか犬の散歩の人たちである。正月も変わらぬ風景であった。(犬は写ってないけど犬散歩女性)それと、手持ち無沙汰な日本人(私ではなく、写真に写っている前の人)私は、飛行機に乗るときは、印象をよくするため(ときどき会社帰りのため)、背広や革靴で乗ることが多く、今は乗り継ぎ待ち時間なので、革靴の中の足先が凍りそうに冷たくなってきている。運動靴とは全然違うな、と改めて感じるのであった。ところで、ジーンズを履いた西洋人でも、運動靴をはいているのが大抵アメリカ人で、革靴を履いているのがヨーロッパ人で、足元を見ると、結構、当たるのである。バーでゆっくりの予定が、散歩になり、それも、終了間際。そうやって、駅に帰り、寒いといいながら、駅のスーパーでビールを買い、予定より1時間早く空港に戻るのであった。ところで、ロスチャイルドの発祥の地が、このフランクフルトのゲットーからである。その一族は、両替商とかをやっていたが、マイヤーロスチャイルドの趣味が、古いお金を集めるという趣味から、どういった経緯か同じ趣味のベルヘルムと知り合いとなり、傭兵や戦費を融資するようになってから、ドドーンと死の商人としてのし上がっていったわけである。その後、5人の息子は、フランク、ロンドン、パリ、ナポリ、オーストリアにそれぞれ、ロスチャイルド商会を立ち上げ、連携プレーで、更に儲けたって感じよ。一番有名なのが、ワーテルローの戦いよ。イギリスとフランスナポレオンの戦いよ。もし、イギリスが、ナポレオンに負けて、イギリスがフランス領になったら、国権はすべて金くず同然。独自のネットワークで事前に戦果を知ったネイサンロスチャイルドは、売りに売りまくり、それを見た投資家も、イギリスが負けたと思い、売りに売りまくり、翌日、実はイギリスが勝ったと正規に発表されたときに、暴騰したが、その時には、裏でロスチャイルド代理店が買いに買いまくていたので、たった1日で、ロスチャイルドの資産は2500倍になり、イギリスのほとんどの投資家や貴族が没落してしまったのであったわ。おまけに、フランスの賠償金を融資したのが、またもやフランスロスチャイルド。年利50パーセント。掃除できねえよ。・・・余談だが、おととい、ベンジャミンバトンの試写会を見に行ったが、ありゃ、ぶらっとピットに演技賞を取らせるための映画ということが分かった。ストーリー発想はおもしろいが、おいらの好きな深みとひねりがないよ。2009年正月旅行 出国→アムステルダム→ウィーン アムステルダム、駅周辺 アムステルダム、拷問博物館 アムステルダム、セクスミュージアム再訪 アムステルダム、ヘンプスミュージアム再訪 アムステルダム、マダムタッソー1 アムステルダム、マダムタッソー2 アムステルダム、マダムタッソー3 アムステルダム、ダンジョン アムステルダム、ダムラック オランダ教育事情 オランダ性教育事情 ウィーン、シュティファン寺院、カタコンベ ウィーン、犯罪博物館 ウィーン、拷問博物館 ウィーン、ジョセフィーヌム(医学史博物館) ウィーン、ハプスブルグ家 ウィーン、彫刻の町 ウィーン、彫刻の町 信号 スロヴァキアの歴史 ブダペスト、ブラチスラヴァへ ブラチスラヴァ、なんだこれは。 オーストリア→ハンガリー→ドイツ ブダペストの黄昏 ブダペスト朝マイナス5度 ブダペスト朝マイナス7度 ブダペスト昼マイナス5度 ブダペスト、温泉紀行マイナス5度 ブダペストのラビリンス ブダペスト、ドール博物館 ブダペスト、地下鉄 ブダペスト、パール街の少年たち ブダペスト、ゲレールトの丘、ツィタデラ ブダペスト、正月 フランクフルト、飛行機待ち フランクフルト、正月宴のあと フランクフルトから帰国 欧州gourmetの旅
2009.01.29
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偶然、見つけた博物館であり、すぐ横のルネッサンス蝋人形博物館が年末年始で休館していて、ショックでパー状態なので、フラフラ、不覚にも入っていってしまったのである。とにかく、一番、びびったのは、受付のおばあちゃんで、博物館をぐるっと一周すると、後ろ向きに編み物をする、巨大な老人形があったので、これが一番おもろいな、と笑っていたら、ガラス越しに写っている受付の切符切りのおばあちゃんであった。実は、話は、少し変わるのだが、先日、少し、時間があったので、ちぇゲバラの映画をナイトシアター(割引有)を見に行ったのだが、ここに来て、最近のキューバの露出は何だろうって感じである。奇しくも、小浜は、キューバにあるグアンタモ基地収容所を廃止するといっていた。マイケルムーアの映画シッコでも出てきた、テロリストとされる人たちが収容されるところで、革命前から、キューバに毎年基地料をキューバ政府に渡しているが、カストロは受け取りを拒否酢し続けている場所だ。映画とは、やたらに、プロパガンタに使われるのであるものだ。邪推する。 そういえば、この前の飲み会の話題で、世界金融資本が(つまり、ロスチャイルドやロックフェラーたち)、世界の通貨を抑えていないのは、いわゆる、悪の機軸とされているイランや北朝鮮やキューバなど5カ国(アフガンは落ちたか)で、カストロもそろそろ死んじゃうし、最近、民間では、結構キューバと商売が活発になってきていることから、次にキューバを裏から抑えるのではないか、ということで、我々、ルンペンプロレタリアート(脱落分子)かつスーパーバイザー(社会的反作用)であるはずもない陰謀好き主義者の結論となった訳だ。それにしても、世界制覇をして、どうするの?これ以上、金稼いで、権力もってどうするの?意味が分からないというのが、一般人の感覚である。今時、大統領が、単に、人種差別主義の暴徒なんかにやられるような柔なセキュリティにはなっていないだろうから、これら、闇権力に逆らうような動きにでない限り大丈夫かも知れない。とまあ、我々は、こんな勝手な事ばかり言っている訳だが、例えば、イスラエルなんか、常識的な考えを持っていれば、アメリカ以外の世界が考えていることが正しいだろうが、そこで、イスラエルを切るようなことを起こそうとすれば、そこは、裏側が許さないだろうな。 何せ、誰が、一番、儲かるかというと、システムを作ったものだ。マイクロソフトのように。じゃあ、貨幣の一ステムを作ったのは、ユダヤジンだからね。簡単に誤解を含めながら言うと、キリスト教の迫害、キリスト教ではイスラムと同様、利子なんか取っちゃ駄目よ、お金なんか扱うのは身分の低い人よ、そんなのユダヤに押し付けましょうね。→迫害去れるユダヤ人は個人ではなく徒党を組んで、保険、株、債権などのシステムを作る→中世では記名だけで、ユダヤジンと分かると財産が没収される→それはまずい、銀行券を発行しよう、国家中央銀行という名の下で・・・てな感じで、金融を支配しちゃったわけね。あとは、産業促進や、戦争で、融資し、儲けたってわけね。日露戦争で、日本に戦費を融資したのは、そういえば、ロスチャイルドの息のかかったところだったものなあ。 ところで、話は止まらなくなるので、話を変えて、また帰りに、当日返しで、NEXTを借りたのだが、やっぱり、主人公ニコラスケイジの胸毛すげえな、なんだか、胸毛すごい奴=頭のほうは禿げ=ケージもやばい状態だなと思ったのだけど、なんだ、飛行機でこの前、見たじゃん、って損した気分になりながらも、翌日返すのを忘れて追加料金だぜ。今宵は、涙チョチョギレルんだぜ。毎晩、枕、濡らして寝るんじゃねーぜ。2009年正月旅行 出国→アムステルダム→ウィーン アムステルダム、駅周辺 アムステルダム、拷問博物館 アムステルダム、セクスミュージアム再訪 アムステルダム、ヘンプスミュージアム再訪 アムステルダム、マダムタッソー1 アムステルダム、マダムタッソー2 アムステルダム、マダムタッソー3 アムステルダム、ダンジョン アムステルダム、ダムラック オランダ教育事情 オランダ性教育事情 ウィーン、シュティファン寺院、カタコンベ ウィーン、犯罪博物館 ウィーン、拷問博物館 ウィーン、ジョセフィーヌム(医学史博物館) ウィーン、ハプスブルグ家 ウィーン、彫刻の町 ウィーン、彫刻の町 信号 スロヴァキアの歴史 ブダペスト、ブラチスラヴァへ ブラチスラヴァ、なんだこれは。 オーストリア→ハンガリー→ドイツ ブダペストの黄昏 ブダペスト朝マイナス5度 ブダペスト朝マイナス7度 ブダペスト昼マイナス5度 ブダペスト、温泉紀行マイナス5度 ブダペストのラビリンス ブダペスト、ドール博物館 ブダペスト、地下鉄 ブダペスト、パール街の少年たち ブダペスト、ゲレールトの丘、ツィタデラ ブダペスト、正月 フランクフルト、飛行機待ち フランクフルト、正月宴のあと フランクフルトから帰国 欧州gourmetの旅
2009.01.28
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俺は、セージカじゃないからよう、詳しいことは分からないけどよ、アッソー氏が給付金にこだわるのが何故だか知らないが、自民党からしかとされ、公明党から出た議案で、公明党に支持されたいから主張しているのか?あれが、銀行振り込みだったらどうするのか。スーと沈んでいく。ばらまいただけという形になるのは目に見えているわな。何せ、俺様の口座に7万円振り込まれても、俺様は気がつかないぜ。銀行通帳どっかいっちまたし、マイナスでも何故だか、融資してくれるからよ。てか、俺の口座はマイナスだからよ。何故マイナスなのか知らないけどよ。些細なことにキョーミはねーぜ(というのは、本当は嘘。興味がないのではなく面倒なだけ) やはり、そこは、だな、経済学部出身のトイモイ博士による、数少ない研究を考えるとだな、偉そうにいうが、(偉そうにいうと、他人は信じるから偉そうにいってみてるだけだけどな)、経済学者、シルビオゲゼルである、勿論、経済学部ではケインズとかガルブレイスとかしか習ってないけどな。てか、ゲゼルは、ケインズの対極にいる立場といってもいいかもしれねーぜ。シンパじゃないけど、勝手にシンパになっていると考えられるのはよ、ミッヒャルエンデやで、ほら、モモと時間泥棒よ、俺っちも、小学校の時、劇団を学校行事で、見に行かされたぜ、帰りは、皆で、その歌を歌いながら帰ったぜ。私は、うたうー、せせらぎのうたーなんてオンチに歌いながらだぜ。 まあ、俺様のメガトン級のオンチ度は無視して、時間泥棒って何やねん、ってことなんだけどよ、というか、その前に簡単に説明しとくと、時間を貯金して、現在を速めて老後に、ゆっくりした時間を過ごそうぜ、と時間銀行の奴らが平和な村に来るわけど、最終、時間を奪ってしまうって搾取の物語りなんだけど、要は、エンデはよ、時間泥棒の正体ってのは、利子なんだって言ってるわけ。 何の、話で脱線してるかは、酔っ払っているので不明なんだが、ほら、たった一回だけ日本でもやって失敗したやつあるじゃん、地域振興券って奴、アレだよ、あれをやれっつううの。 要は、って要はなくて酔うしかない状態でいうのも失礼な話だけど、まあ、酔っ払った時の身内でのツマラナイ話の一環と思って無視してくれたらいいんだけどよ、そのゲゼルは、ケインズと違って、利子は敵だと考えたわけさ。100万円の複利を5パーセントで計算したら、100年後には1億円超えるで、計算してないけど、多分よ、超えないか?だれかしてください。 要は、日本の歳入歳出をみても、どんなけ利子とられとんねん。2割3割返していってるやろ、住宅ローンでも、身近で考えたら、元本の1.5から2倍ぐらいの金額返すってことだぜ。何のために働いてるねん、それは、道路公団にせよ、国債にせよ、利子をどんなけ返しているか、ちょい誰か調べて暮れや、俺面倒だからよ、収入の2割から4割ぐらいが利子返還だぜ。これって、簡単にいうと、必ず、経済成長せなあかん、つうことや。特に、利率以上に経済成長せな、一生借金からぬけられへんで、ってことやわな。この利子ってものを考えて実行した奴がまあ、経済を握ってるわけよ。多分。勿論、銀行もよ、業務してるわけだから、利益は必要なわけよ、だから手数料よ、利子はヤバイよ、だから、健全たる昔のキリスト教も、今も一応、イスラムも利子を取ることは禁じてるわけよ。多分。 まあ、本気でよ、話を戻すとよ、経済活性化するにはよ、ひとつとして、ゲゼルがよ、貨幣も時と共に物品と同様、疲弊していくということを前提にしたら言い訳よ。貨幣の価値がどんどん下がっていくわけよ。具体的には、その金を使うには、役所で、使えるようになる印紙を買うわけよ。その印紙が、1年で額面の印紙の5パーセントの金額を払って、その金に印紙を貼るわけよ、そんでないと使えない。つまり、毎年、その金は5パーセント価値を失っていくわけよ。そしたらよ、みんな、早く使うじゃん。経済は、回ることよ、回ってこそ、潤うのよ。だからよ、地域振興券をせめて期限付きで出す。1回限り1年以内なら、そら皆さん、使うでしょ。期限切れたときには役所が95パーセントで買い取るのよ。そしたら、ババ抜きみたいになってみなさん、よく使うよ。流通するってことは、経済が回るってことさ。それに、環境に考慮してるならプレミアムつけるとかさ、まあ、いろいろ「オプション」考えればいいじゃん、と東京言葉。何回でも使えるようにしたら、もっとおもろいで、1ヶ月たつと、額面の5パーセントの印紙をお金に貼らないと無効になりますってのを発行したらよ、その地域振興チケットはよ、ぐるぐる回るよ、勿論、受け取り拒否禁止ね。てか、受け取りは、3パーセントぐらいプレミアつけてさ。オーストリアかどっかで、失業対策で短期間実施したらさ、通常の金の150倍もの速度で流通した実績もあるんだぜ、それをアメリカが真似してやっったこtもあるんだぜ、禁止したのは、アイゼンハワーだぜ、ほらニューディール政策とかやってた人、あれケインズ政策じゃないからね、嘘だよ。センソー、センソーが飲み込んじゃったわけだからね、ってそういう余談は別にいいんだけど、とにかく、経済活性化しようぜ、だってさ、為替で決められるような通貨制度はよ、庶民には本当は関係ねーんだぜ。実質経済に見合った経済を実現したいわなー。って夢。
2009.01.27
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厄を馬鹿にするはずはない。それは、昔からの庶民の知恵だからであろう。厄年は3年おきにあるのだが、大きな厄は人生に3回あり、まあ、いわば、体がぼろっちいくなってきたんだから、昔みたいにムデッポウで無思慮で、かつてと同じようにやってても、気力体力はついていかないよ、バローって感じの意味で、注意しなさいよ、という意味合いである。勿論、あたしも、そういった意味合いを加味して、注意をしつつ生きていくのだが、こういうことにお金を使う習慣もなく、どこの宗教団体にも属していないので、厄神さんにお祓いをしてもらうということは、ついぞなかったし、ない予定である。しかし、川崎太師うっかり行ってたわ。厄神さんであった。兵庫県にも、いくつか有名な厄神があり、門戸厄神(神戸女学院の近く)もあるが、私の実家からほど近いところに、田井畑厄神がある。正直、告白すると、子供の頃は、意味なく、自転車で行ったり、陸上部で走ったり、横にある奥須磨公園に行ったりもしたものであり、時効なので、告白してみると、賽銭泥棒もしたことがあるのだ。棒の先にガム引っ付けてジャリ銭を取るという極悪人で、今、人生の罰を受付真っ最中である。 私が、最後の世代になると思うのだが、多分、4、5歳くらいのころ、親に田井畑厄神の祭りに連れて行かれたことがあるが、その時に、軍服を着た片足の負傷した太平洋戦争帰還兵が、参道に数名立って、軍歌を流していた。子供心に、すごく、怖いというイメージが残っている。あれは、1970年代前半までの、日常的な風景だったのだろうか。ここ2年ほど、珍スポットにはまってはきたが、昔はパワースポット好きだったような気もする。しかし、今は、何だか、スピチュアル的なものが、これだけ、意味無く流行ってきたので、すっかり、嫌気がさしてしまった感がある。天川村とか、昔、よく行ったのだが。パワースポットというと、神社やお寺、教会があるところ、大自然の恩寵を受けたところといろいろあり、実際、昔、何らかの遺跡があった場所に教会が建てられていたりなんかするのだが、まあ、風水なんか、多少人為的なもの、土系、水系などに、分けられるとは思うのだが、自分が行ってみて気分がいいところがそうなのかも知れない。マチュピチュもそうらしいけど。しかし、最近、テレビや本でこれだけ(昔もそうだったけど)エセ霊媒師みたいなのが、増えたり、語感のよろしく聞こえるスピチュアルみたいな言葉で、もう、私の感知能力及びやる気は低下の一途である。気持ちいいっていうのも、まあ、気分の問題なんだけどもね。神が降りてくるといった体験はないけど、空気が澄んでるとか、巨石や大量の水が流れていてスゴイとかってことなんですけど。とか何とか、偉そうに言いながらも(ちっとも偉くはないのに)、結局は、自分自身で偶然見つけてきた聖地、パワースポットなんかないんだよね。(この場所は、何となく、嫌な感じのところだ、ってのは、あるけど)まあ、それは置いといて、会社関係の人は、ほぼ全員、厄払いをしている。していないと、何かよろしくおないときや会社の調子が悪いと、オマエが厄払いしてないからやと、半分冗談でこそ、いわれるのである。そんな訳で、今後、厄払いでの出費予定はないのでる。意地でも行かないからな、金払わないなら行ってもいいけど・・・信仰心はあるのだ。こまめにどこに行っても、5円を賽銭箱に入れる律儀な私なのさ。少なくとも、坊主を儲けさせるんじゃねえぞ。(坊主に恨みはないけどな)チーン。
2009.01.26
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ワシントンDCより、早朝にアムステルダムに着いた。もう何度目のアムステルダムだろうか。バンコクの次に多いぐらいになってしまったような気がする。気だけでなく、ここ20年、3年に一度ぐらい意味なく来ているような気がするが、きっと気のせいだ。飛行機を降りると、何故か、何の迷いも、キョロキョロすることもなく、電車乗り場に直行だ。2回目行ったときに、勘違いして居住者用の割引チケットを自動販売機で購入してしまっていて、車掌に問答無用に3倍取られたからな、もう間違えねえぜ。こちらも、何だか、前より安いような気がすると思ってたんだよ。今は、アムステルダム中央駅は、中央口が工事中で、中央から出ることができないんだ。駅前200メートルのところに宿を取るが、アムスは宿が高く、トイレ洗面共有でありながらも、8000円ぐらいするのである。おまけに、6階まで、エレベーターがなく、頑張って荷物を引き上げていくのであり、廊下から煙が何故か漏れてきていて、あちこちで、独特の臭いがするのであった。何の臭いか分からないが、フラフラしそうであった。ところで、全然関係ないのだが、今まで、コートのボタンをかけたことがなかったが、初めて寒くてかけてみると、これが、ぐぐっと暖かいことに気がついた。新発見だ。しかし、全然関係ないのだが、旅行で行くと、レストランとか交通機関でしか人が働いていないように見えて、オフィスワークなんてものは、存在しないように、見えてしまう。店の人と、交通機関で働く人以外は、全員、私と同じように遊んでいるようにしか見えないから、不思議だ。ところで、アムステルダムでは、早朝に到着したので、チェックインできないので、バーを併設しているフロントで、コーヒーを無料で恵んでもらい、荷物を預けて、早朝8時から、ちょっと、いきなり行くところがあったので、出かける。急げ!どこいくちゅうねん。関係ないのだが、帰ってきてから、ベトナム料理を食べに行った。そこの店員の女の子が多少気になるのだ。日本人なのかベトナム人か分からないからだ。向こうは、2回目というのに、あたしを覚えていたようで、それはなぜかというと、パクチーを大量にオーダーしたからかも知れない。もしかしたら、ハンサムだったからかもしれない。全然関係ないのだが、最近、外国人との間にできた子供のことを、ハーフではなく、ダブルって呼ぶんだってさ、と先程読んだ覚えた手の本の内容を得意げに言ってみると、「オメーよ、それ、前にも言ってたぞ」といわれ、本格的アルツハイマーを心配した私であった。関係ないのだが、帰国してから、神社に行くと、大吉だったことを報告しておこう。ところで、関係ないのだが、帰ってきてから、ウドン屋に入ると、誰も客はいなかったが、次に入ってきたのが、中年男性コートにメガネ男一人、その次に入ってきたのが、中年男性コートにメガネ男一人、その次の次次に入ってきたのが、その次の次の次に中年男性コートにメガネ男一人、その次の次の次の次に中年男性コートにメガネ男女カップル。どうなってるんだ!全然関係ないけど、昔、カウンターバーみたいなところに行って、当時流行っていたカンの「愛は勝つ」といった愛も感動もない曲が流れ、「ノンポリな曲は死ね」と小声で言うと隣の人が、ノンポリってなんや、と聞くので、ノンポリテックの略というと、逆の隣の親父が、ノーポリシーじゃ、と言った。・・・オメーそるじゃあ、英語じゃん・・・。と思ったが、ハアといって、酒のお代わりをした大人しいボクであった。ところで、関係ないのだが、帰ってきてから、親戚一同に会いに行く律儀さである。私の母は4人兄弟でそれぞれに、2人ずつの子供がいる。私の母のところだけ離れたところに住んでおり、あとの一族はご近所さんである。しかし、今、いろいろ嫁姑問題、孫同士の仲の悪さなどからくる親同士のいがみ合いで大変なことになっていたのであった。調停役としての私は何の調停役もしていないのだが、何せよくわからない状態でなのであった。母(長女)の兄(長男、故人)の長男の嫁Aと、母(長女)の兄(長男、故人)の妻Bは、いわゆる同居をしており、嫁姑関係が非常に悪い状態である。母(長女)の弟(次男)の3回目の妻Cと、母(長女)の兄(長男、故人)の次男Dの子供たちと、仲が悪く、そのことを怒ったDがCを蹴ってしまい、骨にひびが入り、訴訟問題になりそうな状態。AとCは同盟関係になり、大変仲良く、二人会っては、Dの子供たちやBの悪口を言い合い、Aの子供をわざわざDの子供たちと違う学校に行かせたりなんかしている。ということであった。非常にややこしい関係において、私は、特に何の解決もせずに、帰るのであった。(注;帰国後最初にアップしなければならないような文章ですが、すっかり、埋もれて忘れてました。おまけに書きかけでした、というか、今も書きかけのままです)2009年正月旅行 出国→アムステルダム→ウィーン アムステルダム、駅周辺 アムステルダム、拷問博物館 アムステルダム、セクスミュージアム再訪 アムステルダム、ヘンプスミュージアム再訪 アムステルダム、マダムタッソー1 アムステルダム、マダムタッソー2 アムステルダム、マダムタッソー3 アムステルダム、ダンジョン アムステルダム、ダムラック オランダ教育事情 オランダ性教育事情 ウィーン、シュティファン寺院、カタコンベ ウィーン、犯罪博物館 ウィーン、拷問博物館 ウィーン、ジョセフィーヌム(医学史博物館) ウィーン、ハプスブルグ家 ウィーン、彫刻の町 ウィーン、彫刻の町 信号 スロヴァキアの歴史 ブダペスト、ブラチスラヴァへ ブラチスラヴァ、なんだこれは。 オーストリア→ハンガリー→ドイツ ブダペストの黄昏 ブダペスト朝マイナス5度 ブダペスト朝マイナス7度 ブダペスト昼マイナス5度 ブダペスト、温泉紀行マイナス5度 ブダペストのラビリンス ブダペスト、ドール博物館 ブダペスト、地下鉄 ブダペスト、パール街の少年たち ブダペスト、ゲレールトの丘、ツィタデラ ブダペスト、正月 フランクフルト、飛行機待ち フランクフルト、正月宴のあと フランクフルトから帰国 欧州gourmetの旅
2009.01.25
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学生時代の崇高なクラブ活動仲間とは、3ヶ月か半年に1度程度、飲み会をするのだが、今回は、忘年会に続いて新年会ということである。経済緊急対策とでもいうようなものだろうか。1件目は、インド料理を行ったのだが、2件目は、前回に引き続き、謎の店、居酒屋1969に再度アタックすることとなった。それにしても、大阪駅前ビルの地下街はダンジョンである。ここだけ、異様な空間は、勝手な想像だが、周りの店と調和させてないな、何かの宗教団体かスクールで、従業員の給料は奉仕に近いのではないか、と邪推しまうのだが、妙に暗い世の中、妙に明るいのがおもろいか。尿瓶ピッチャー2杯とエサを数品で一人3000円弱。まずは、近況報告で始まり、70人中50人のリストラに耐えた同輩は、今や社内ではフェニックスの名を欲しい侭にしている。後輩1号は、1日一生懸命12時間かけて、企画報告書を作っていたら、隣の席の人と同じものを作っていたと言う無駄を嘆き会社に迷惑をかけ、後輩2号は生命保険から株から何からすべて現金化に忙しい日々ですとのことであった。近況報告の後は、男の醜悪な噂話に、シシカバブとタンドリーとダルバートが進む。麻生(総理)セメントの親会社はフランスのラファイエットグループで、その顧問弁護士会社がヒラリークリントンだとか、雅子ちゃんのアレは子供じゃねーよ、とか、今後手放す株だとか、小浜の就任式の演説の後ろに、ジョンロックフェラーいたなやっぱりな、とか、ヤベエ会社とか、ご学友ではないけど、同級生としての学生時代のきこちゃんの遊びぶりとか、時代が時代なら次男が、親と長男殺して天皇なってたんちゃうかーとか最近オマエの頭随分上がってきたなヤベエぞ、とかに加え、やっぱり、全員、インドには行っていたので、インドの話題でも盛り上がるわけだ。しかし、メインの話題は、やっぱり、小浜であろうか、小浜暗殺Xデーはいつだとか、この期待度の高さ、100日後には、同じような経済状況で大統領になったカーターみたいになるのちゃうか、とか、小浜黒人か?とかまあ、ありきたりの話をするのであった。しかし、サブの話題としても、最近、ブログがムチャクチャになってきてますね。気色悪いですよ、とお褒めの言葉までもらうほどであった。そんなことは、自分でも、わかっとるわいって感じで、ポンチなのだ。早くも23時、何だか、急に、店は、終わりの音楽が鳴り出し、看護婦たちが急遽踊りだしたので(送り出すのダンスか?)、つられて、我々も神妙な政治経済文化の裏話を中断し、カツラで変装(コスプレ料金無料)し、意味無く、地下街廊下で、踊るのであった。我々が、自我忘却で踊っている間に、客はすべて去っていき、危うく、この団体に拉致されるところであった。今日は、子供が働いていないぞ。ってな感じで去るのであった。小浜ついでに、ワシントン空港である。ワシントンダラス国際空港は、面白くて、ABゲートがある建物が、陸の孤島になっており、廊下の建物ではつながっておらず、必ずシャトルバスで行かなければならないのだ。このシャトルバス、電車の連結器のように、ドアの向こうニガッシャンと引っ付き、外の空気に触れることなく、出発時には、蛇腹の連結器が外され、車体が、ジャッキで沈んでいき、向こう側のゲートの建物まで、飛行機の間をぬって、走るのである。
2009.01.24
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激しい戦闘を展開した関が原の合戦において、瀕死の重傷を負った拙者、老兵ではありながらも、マイバッハ(ではないが)を転がし、岐阜県から滋賀県に入っていくのであった。いわゆる、ひとつの、勇気ある撤退である。何せ、男は外に出ると、7人の敵がいうというほどである、いつなんどき、石に躓いて転ぶか分からないのである。但し、ハイヒールを履く女性のように、ピンが、道の穴ぼこなどに刺さって折れるという心配だけはないのである。女装しない限り。滋賀県は、順調に、米原を通過し、彦根に入るの8号線なのであった。その8号線沿いに、Jr彦根駅のすぐ近くに、ジュニアではない、JRであったが、そこにあるのが、建築途上の遊園地である。建築と言っても、もう20年ぐらい建築し続けており、それは、ただひとりのおじさんが建築し続けており、開園の目を浴びることなく、建築する端から朽ちていくといういわくつきの物件である。おそらく、駅前の土地というだけに、権利関係、開発関係、893、相続問題、愛人問題などが、複雑に絡みに絡み、壮大な遊園地計画は頓挫したのではないだろうか。しかし、男気ある、建築家(かどうかわからないけど)は、日々、朽ち果てるか、完成が早いかを、自分の寿命が尽きるが速いか、資金がなくなるが速いか、いろんな悩みや困難と立ち向かいながらも、コツコツと造り、たった一人、孤高の人として、作り続けているのである。世の中には、そんなシュバルのような頑固一徹の人間が多く居るのである。私には、理解できないが、理解できないものは、国を去れ、革命を理解できないものは、キューバを去れって感じなのである(カストロ調にお願いします)何セ、彦根で一番交通量の激しい8号線沿いにある物件、偉大にも、ほぼ全車両が無視するどころか、なかったことにしたいような感じを受けるのである。勿論、ご多分に漏れず、彦根公式観光ホームページの類のどこを探しても、見当たらないという地元完全黙殺の垂涎の代物なのである。勿論、美術館もあるのだが、「完全にオマエは死んでいる」状況なのである。しかし、何気に、ソファなんか置いてあるところが、開館間近までこぎつけたのになあ、って夢、夢のあとを彷彿させてくれる。こうやって、国道8号線の安全と、交通違反を取り締まっている現代の神々なのである。ゴー玉シャダルタ仏陀さまである。その横には、不思議な、ゴールデンバヨリニストである。よく見ると、というか、よく見なくても、既にその目覚めた人、分かりやすく言うと、分かっちゃった人、っていう意味のブッダは傾いているわけよ、どうするべ。シブイか、まあまあ、シブイよ。そんな訳で、前置きが長くなったが、滋賀県は「金閣寺」である。京都鹿苑寺は、僧侶が燃やしたため詩蛾権に移転したと思われるのである。今、東山にあるのは、完全ナル「イミテーションである」そして、右側に金閣寺、左側には城である。この城こそ、大きな声ではいえませんが、石田光成の佐和山城である。 この佐和山城から、チンケな彦根城が見えるのである。今や、歴史的には佐和山城は、もう山しかないといわれているのだが、裏珍歴史上では、ここに移転あるいは、再建築あるいは、適当に建てられているのである。その横には、合戦などの模様が絵巻物じゃないが、順列を追って分かるようにはなっていたのだが、今は、中味は取り外されて何もないのである。もう志半ばで朽ち果てていくのか、というわけではなく、新しい、新品の磨きの御影石が順調に綺麗に並べて置かれていたりなんかもするのである。着手前夜って感じである。馬も居るが、多少手持ち無沙汰的ではアル、誰もいないのだから、戦いに明け暮れて温泉にでもいきてえって感じの馬である。ドケチの名古屋には負けるが、金じゃないしゃちほこである。俺はよー、別に放浪さんやベリーさんの悪口を言うつもりは全くねえけど、美人はトヨトミが大阪に、トクガワが江戸に、それぞれ、名古屋から持って行っちまったなんていう噂を聞いたからよ、いくら、珍スポットが名古屋周辺にあるって聞いてもよ、なかなか、近寄りがたいんだよなあ。そんな俺でも名古屋周辺は10回ぐらい、短い10数年の人生で行ったことはあるんだぜ、蒲郡には泊まったこともあるし、安城市にも通ったkとあるし、名古屋市内では、テント張って寝たこともあるんだぜ、それもインド人おっさんと。まあ、そんな愚痴と自慢はいいとして、先程の御影石と違い、もう10年はほったらかしといった按配のバケツ群でもある。やっと、城主のご登場でもある。馬はやっぱり、どちらかというと、手持ち無沙汰って感じよ、アニキ。しかし、不法侵入シテイル感じが否めないのは何故か。休憩所も、しっかり開いている、日本語で言うとオープンだ。まあ、フランス語でいうと、ouvertだ。ドイツ語なら、なんだっけ、ウムラウトおーのオフテンだっけ?おら、ドイツ語5年したから、ペラペラに分かんね。まあ、そんな訳で、まあまあ、堪能したって感じなのであった。どの建物も順調に入れないので、順調な屋外散歩しかできないと言う筋書きである。一言だけ言わせてもラうと、自由に取るものがないってことぐらいかな。このような、遺産がどんどん日本全国からなくなっていき、つまらない、単調で快適なだけの世界になる前に、異形を巡るたびを続け泣けレナならない、と泣くのであるが、理解者はほとんどいない。この手記を訪問していただいた方のほとんどはお会いしたことはないが、ないというだけである。チベットでは、ないことをあることがないという。それと同じだ、何だそれは?「今、お茶がないことがある」とう表現をするまでだ。つまり、皆様と会ったことがないことがある。ということだ。不快のである。いや、深いのである。ティーフェである。頑張って、耐えて1000円払っても、入れてくれないのである。閉まっているから、というか、1回も開いたことがないから。彦根を見守るのは彼らに任せてようやく私は去るのである。何故虐待しているかは、怒りの神のみぞ知る。私は一生知らない、それが私の優しさだから。岐阜近隣旅行 関ケ原ウォーランド1 関ケ原ウォーランド2 関ケ原ウォーランド3 関ケ原ウォーランド4 佐和山城、金閣寺
2009.01.23
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いわゆるところの江ノ電ちゅうやつか、いや違う、モノレールでやってきたのである。江ノ島には、2回目であるが、こんな店は知らなかった。初めて行ったのは、いつだったかの正月であった。鎌倉から歩いて行ったのだ。朝日を見るために江ノ島に行ったのだが、見たかどうかは覚えていないのである。高いところはこの辺りにはありませんので、どうしたらいいのでしょうか。富士山という聖山に、聖なる場所の予感がする、江ノ島。なんだ、その蛇の出来損ないのようなものは。悪い予感がしてくるのである。出た!エスカー!オメエ、エスカレーターだよ、略してどうすんだ、乗ってやるかよ。エスカレーター金払って乗る気しますか?人間やめますか?エスカー乗り場に、明治製菓か、タコかなんかはないだろう。真面目に写真撮ろうとする私に切符売り場の人、ガン飛ばすなよ、不振人物じゃねーよ、VIPだよ、ベリィインスタントパーソンだよ。それにしても、人が多い、みんな、ポンチなところが好きなんだなー。嬉しくなってくるよ。ちなみに、この塔は有料だったので、入ってません。江ノ島にも真面目な宗教施設があり、誰も足を踏み入れないのだが、私のみ、大真面目に足を踏み入れて写真を撮るのである。内部は、つまらないので写真はなし!無料。世界の貝の博物館も無料なので、道行く人の99パーセントの人は、何故か無視していくのだが、研究熱心な私は、研究のみしていくのである。このカブトガニ、食えそうなんですけど、味噌漬けみたいじゃなくないか?天然記念物ではないのか。貝の博物館というのに、ショボイサーファーもいるような感じがして残念で仕方ないのだが。王子はいりません、女王様だけで十分です。私の意見を集約すると。道外して・・・死ぬんじゃないよ・・・思いつめないで、カッポーよ。この瀟洒な龍の神社、誰も無視しています。ほんの道を10メートルほどそれているだけなのにですよ。ありがたや。考えてみれば、皆、江ノ島、何しにきてんだ?まさか、潮干狩りじゃないよな。海亀もいるんだ。硬そうだけどな。夜になると光るのですか、夜に誰か来るのですか?江ノ島の終点は、またしても洞窟である。入場料がいくらか忘れたのだが結構、しょぼいわりには、高いのであるが、終点にあり、また来た道を戻っていくというシステムなので、結構、仕方なくお金を払っている人々が多いのであった。私もそのうちの一味でもアル。光のエクシビションのようなものであるが、なかなかのしょぼさである。なんだよ、オメエ、それ、もう頭打った後の顔ジャン。お、出た、龍、いいねいいね、電飾で光っているし・・・ん。。動かないの?叫ばないの?狂わないの?急激にしょぼさを感じつつあった。この洞窟の奥にあるものは・・・・ウンチだった。そうやって、江ノ島からの放送を終了します。
2009.01.22
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宇宙戦艦ヤマト、「真っ赤なスカーフ」・レインボー万マン「死ね死ね団の歌」・タイガーマスク「強ければそれでいいんだ」・元祖天才バカボン「41歳の春だから」・初め人間ギャートルズ「やつらの足音のバラード」キューティハニー「何処かで呼んでるハニー」・・・・やっぱり、昭和の時代、戦争の哀悲の名残だったのだろうか。面白いアニメ、ヒューマンチックなアニメ、勧善懲悪アニメ、正義の味方アニメ、ちょっとエッチなアニメ・・・終わりの曲は寂しい。ドテッチーン、ヒネモグラー、マンモー、ガイコツは、初めの曲だった・・・さあ、みんな、歌おう。まったく なんにもない生まれた 生まれた 何が生まれた星がひとつ 暗い宇宙に 生まれた星には夜があり そして朝が訪れたなんにもない 大地に ただ風が吹いてたやがて大地に 草が生え 樹が生え海には アンモナイトが 生まれたハイ、2番。雲が流れ 時が流れ 流れたブロントザウルスが 滅びイグアノドンが 栄えたなんにもない 大空に ただ雲が流れた山が火を噴き 大地を 氷河が覆ったマンモスのからだを 長い毛が覆ったハイ3番。なんにもない 草原に かすかにやつらの足音が聞こえた地平線のかなたより マンモスの匂いとともにやつらが やって来たやって来たやって来た関西空港にやってきた。わが人生と共に、ソフトランディングである。これで、短くも美しく萌えたパイロットとしての非行修行は終焉を迎えた。
2009.01.21
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教育で、最近スポットライトを当てられている地域というと、秋田県やフィンランドであるが、実は、オランダもそれなりの成果を上げているようである。以下、去年のニューズウィークのパクリではあるが、興味深いことだったので、記憶されたいと思う。何せ、ユニセフの研究所の発表によると、子供の幸福を感じる度はヨーロッパ北米中で、教育福祉の北欧を抑えての1位に選ばれているのであった。 学校では、皆で声を合わせて朗読したり、ひとつの問題に取り組んでいるという姿はなく、体育など一部を除き、授業カリキュラムは自分で作成し、同じ授業中にも、みな、ばらばらの科目を学習しているのである。先生は、それぞれ見回って、それぞれ指導していくというものらしい。誕生日が入学で、一斉入学式もない。学区はなく、私立公立共に学費は無料。個性を重要視する教育とはいえ、セクス&ドラグ、落第制度のあるこの国ではあるが、やはりヒントは家庭にもあるようであった。当たり前ではあるが、夕食は多く家庭で家族と飯を食うようである。まあ、いわば、ケチケチで有名な国、質素な食事で、外食もほとんどないようである。時間単位での取得が多いのだが、男性の育児休暇も有給で取得しているよである。子育てでも、子供の寝る時間が長く、自転車文化だからか、肥満児が少なくようだ。先程、落第もあるようだが、一割ぐらい落第するみたいである。まあ、ゆっくりやるわ、という親が多いようだ。セクス&ドラグは個人責任に拠るというところで、このあたりも学校ではタブーではないようで、逆に10代の妊娠率はヨーロッパでも低く、18歳の4割がマリワナ経験があるが、まあ、あまり気にしていないようである。まあ、いいこと尽くめのはずはないではあろうが、少なくとも、教育先進国のようである。そういえば、最近、教育国家といわれたスエーデンは、成績を出さないためか、国際的な学力が低下しつつあるという。教育って、何より大事なものというにに、ニポン国家は何をしとるんじゃい。まあ、そういいながら、私ももっかい教育されんとあかんと突っ込まれそうです。2009年正月旅行 出国→アムステルダム→ウィーン アムステルダム、駅周辺 アムステルダム、拷問博物館 アムステルダム、セクスミュージアム再訪 アムステルダム、ヘンプスミュージアム再訪 アムステルダム、マダムタッソー1 アムステルダム、マダムタッソー2 アムステルダム、マダムタッソー3 アムステルダム、ダンジョン アムステルダム、ダムラック オランダ教育事情 オランダ性教育事情 ウィーン、シュティファン寺院、カタコンベ ウィーン、犯罪博物館 ウィーン、拷問博物館 ウィーン、ジョセフィーヌム(医学史博物館) ウィーン、ハプスブルグ家 ウィーン、彫刻の町 ウィーン、彫刻の町 信号 スロヴァキアの歴史 ブダペスト、ブラチスラヴァへ ブラチスラヴァ、なんだこれは。 オーストリア→ハンガリー→ドイツ ブダペストの黄昏 ブダペスト朝マイナス5度 ブダペスト朝マイナス7度 ブダペスト昼マイナス5度 ブダペスト、温泉紀行マイナス5度 ブダペストのラビリンス ブダペスト、ドール博物館 ブダペスト、地下鉄 ブダペスト、パール街の少年たち ブダペスト、ゲレールトの丘、ツィタデラ ブダペスト、正月 フランクフルト、飛行機待ち フランクフルト、正月宴のあと フランクフルトから帰国 欧州gourmetの旅
2009.01.20
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アムステルダムのダンジョンを紹介する前に、ダンジョンはまあ、牢屋ってな感じだろうか。しかしながら、断っておくが、このとき私は、何故か、かなりキマリにはまっており、内容が良く分からなかったのである。どこまでいっても何じゃこりゃって感じであった。ロンドンダンジョンや、ヨークダンジョン、ハンブルグダンジョンは、なかなか面白いのであるが(HPや写真を見る限り)、ちょっとアムステルダムダンジョンは、滑ったのである。元来、お化け屋敷に行ったことが、この人生であっただろうか?いや、あったぞ。小学校5年の時に比叡山山頂の人間が脅かせてくれる遊園地のお化け屋敷行ったぞ。そういえば、珍しく、移動お化け屋敷も行ったぞ、あれは、天神祭りの川沿いだった。テントにお化け屋敷を大々的にやっているのであった。もう社会人であったが、その心意気に負けて入ってしまったことは、言うまでもない。実は、社会人になってから、もう2回行っていることを思い出してしまった。余りに暇なバンコクで、デパートの上で、ついつい、入ってしまったのである。ちょっとカナリキテイタノデ、増幅作用によりとっても、恥ずかしながら怖かったのだ。そして、今はなき、神戸ポートピアランドに、背広で、後輩野郎と行った時も、ついつい、入ってしまい、笑いのツボにはまってしまったのである。でも、野郎二人背広でフラフラ、遊園地に行きました!と前に書くと、ハルじさんに非難というか笑われたというか、日本でナニフラフラしてんだよーってバカにされたので、言いにくいのだが、くるくる回るメリーゴーランドみたいなものに、乗ると、吐き気を催したことも付記しておく。ハンブルクンダンジョン。ロンドンダンジョン。ヨークダンジョン。そんな特殊事情もあり、リーフレットを見ながら適当に説明するが、どれが、どのシーンか分からないというのが、ミソであることも、お忘れなくである。適当な説明なので、コレより先は、もう読まれる必要もないぐらいである。拷問部屋 :中世のクラーイ時代の拷問器具。壁には拷問器具のおすすめがに並べられているという代物。しかし、それがどこだかは、はっきりいって、分からなかった。 揮発性有機化合物? 18世紀の波止場のバーに集まる地元会社は、オランダ東インド会社を狙う海賊の話題で持ちきりだ。しかし、反対に捕らえられた海賊たちは、スペインとの戦いに強制的に参加させられたのであった。 しかし、それがどこだかは、はっきりいって、分からなかった。 船の医者 :航海には医者も同乗していたが、チフスや壊血病や何やでどんどん乗務員は死んでいった。 しかし、それがどこだかは、はっきりいって、分からなかった。 血の評議会 :スペインの異端審問の映画が上映されている。 しかし、それがどこだかは、はっきりいって、分からなかった。幽霊 :魔女ウィルハントが16世紀には魔女として有罪判決を受けたあと、幽霊になり、その話をアニメーションにて、残酷な拷問の後、ダム広場で焼却される様子を描いています 。 しかし、それがどこだかは、はっきりいって、分からなかった。アムステルダムの不気味な鏡の迷路をテーマにしている。 しかし、それがどこだかは、はっきりいって、分からなかった。大疫病 :レクリエーションの通りの鮮やかさとは裏腹に、1664年に流行した疫病ペストで、アムステルダムの路上で死んでいく様子。 しかし、それがどこだかは、はっきりいって、分からなかった。13世紀の教会の周りの様子。 その教会にいる死神伝説で、ダンジョンのフィナーレを飾っている。 しかし、それがどこだかは、はっきりいって、分からなかった。自動翻訳したら、全く意味分からなくなっちまったじゃねーかよー何が何だかわかんねーんだよー。それに、何でか知らないけど混んでるしさあ。ということで、???のまま出てきた次第であり、まあ、そういうこともあるさといって、フラフラまた歩き始めた。2009年正月旅行 出国→アムステルダム→ウィーン アムステルダム、駅周辺 アムステルダム、拷問博物館 アムステルダム、セクスミュージアム再訪 アムステルダム、ヘンプスミュージアム再訪 アムステルダム、マダムタッソー1 アムステルダム、マダムタッソー2 アムステルダム、マダムタッソー3 アムステルダム、ダンジョン アムステルダム、ダムラック オランダ教育事情 オランダ性教育事情 ウィーン、シュティファン寺院、カタコンベ ウィーン、犯罪博物館 ウィーン、拷問博物館 ウィーン、ジョセフィーヌム(医学史博物館) ウィーン、ハプスブルグ家 ウィーン、彫刻の町 ウィーン、彫刻の町 信号 スロヴァキアの歴史 ブダペスト、ブラチスラヴァへ ブラチスラヴァ、なんだこれは。 オーストリア→ハンガリー→ドイツ ブダペストの黄昏 ブダペスト朝マイナス5度 ブダペスト朝マイナス7度 ブダペスト昼マイナス5度 ブダペスト、温泉紀行マイナス5度 ブダペストのラビリンス ブダペスト、ドール博物館 ブダペスト、地下鉄 ブダペスト、パール街の少年たち ブダペスト、ゲレールトの丘、ツィタデラ ブダペスト、正月 フランクフルト、飛行機待ち フランクフルト、正月宴のあと フランクフルトから帰国 欧州gourmetの旅
2009.01.20
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天下分け目の戦いの地に着いたぞ、伊吹山が見えるぞ、ウォー。古戦場?いいや、俺の目的地は違う。ウォー!鍾乳洞?ふれあい?歴史?いいや、俺の目的地は違う。ウォー!関が原合戦場一帯に見学に来ている人たち?いいや、俺の目的地は違う。ウォー!石田光成陣営?いいや、俺の目的地は違う。ウォー!看板が一箇所しかなくて、探して探して、やっとあったぞ!ウォーランド!恥ずかしながら、拙者の目的地は、ここだ、誰も入っていない関が原ウォーランド!近くの土産モノやで、不審そうに、怪訝そうに入場口を見ている若い女性とその母親が居たことぐらいか。さて、馬を無視して入ってみるか。ウォー!まさに、関が原の合戦の最中だ!!こいつは、驚きだ!一体、何人いるというんだ!滅多切りだあ!ぐええ!おどりゃー!これが関が原ウォーランドです、ヒヒーン。吉川参上!毛利参上!ちょうそ壁参上!僧兵参上! 浅野、隠れて、ちょとだけ参上・・・龍だけど、参上していい?まあ、国敗れて、セメント彫刻あり。お土産もってかえってきたよ、お父さんは、ウィー、あ、ウォー。実は、暇つぶしそうな中年男性が他に一人だけ見学にきていて(しまった、迷い込んでしまったって感じで戸惑っていた)、手持ち無沙汰にしていたのだが、私が熱心に一体一体激写していく様子に感激したようで、気がつけば、携帯電話で、写真をバシャバシャ撮っていたのであった。同士完成。馬のキ●タ●に棒が突き刺さっているように見えますが、いいですか?神への冒涜も恐れぬセメント兵士どもよ!ウォー!遂に、秀吉本陣に。オマエ、石に何を書く?石の筆じゃ、書けねえだろ。ツキ!奥にいるのが、秀吉である。ひでよしさーん、お土産でーす。目、開けたり、閉じたり、見学したり寝たり、ああ、楽チン。トヨトミです。ユアサです。岐阜近隣旅行 関ケ原ウォーランド1 関ケ原ウォーランド2 関ケ原ウォーランド3 関ケ原ウォーランド4 佐和山城、金閣寺
2009.01.19
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昔、ウィーンに行こうと思ったことがあるのだが、その時は、いろいろ調べると、彫刻ばっかりやなあ、だから何なんだおもろないのお、と思い、取りやめて、違う場所に行った記憶があるのだが、私も、それから10年、ようやく、彫刻的なものに興味が出つつあり、ウィーンの街を散策した次第であった。おまいたちなんだよー、人間と間違えたじゃねーかよーサンタじゃなくって、そりゃドロボーだろがよー。私の彼氏は、私の手のひらでコロコロって奴かよー壁からイキナリ、電車はねーだろーおーおー、ちょっとは、ウィーンらしくなったじゃねーかよーまだそんなのやってんのかよーバットマンに席譲れかよー骸骨かよー、何で、階段ついてんだよー、脳みそかき混ぜろってかー建モノに何ひっついてんだよー重いんだよークリスマスだか、セクシーだか、はっきりしておくれよー修道女だか、セクシーだか、はっきりしておくれよーオメエ、スーパーベイダーかよーカリビアンパイレーツしすぎじゃねかよーなんだおまいさん、お洒落な帽子かぶってるじゃんかよーコンセプトはっきりしてくれねーとわかんねーよー何で、下半身が動物なんだよ、おめえ、ペガサスかよーでけーんだよーフランケンだか、ドナルドダックだか、ハロウィンだか、わかんねえーんだよーオイラ、外はマイナス5度なんだよー2009年正月旅行 出国→アムステルダム→ウィーン アムステルダム、駅周辺 アムステルダム、拷問博物館 アムステルダム、セクスミュージアム再訪 アムステルダム、ヘンプスミュージアム再訪 アムステルダム、マダムタッソー1 アムステルダム、マダムタッソー2 アムステルダム、マダムタッソー3 アムステルダム、ダンジョン アムステルダム、ダムラック オランダ教育事情 オランダ性教育事情 ウィーン、シュティファン寺院、カタコンベ ウィーン、犯罪博物館 ウィーン、拷問博物館 ウィーン、ジョセフィーヌム(医学史博物館) ウィーン、ハプスブルグ家 ウィーン、彫刻の町 ウィーン、彫刻の町 信号 スロヴァキアの歴史 ブダペスト、ブラチスラヴァへ ブラチスラヴァ、なんだこれは。 オーストリア→ハンガリー→ドイツ ブダペストの黄昏 ブダペスト朝マイナス5度 ブダペスト朝マイナス7度 ブダペスト昼マイナス5度 ブダペスト、温泉紀行マイナス5度 ブダペストのラビリンス ブダペスト、ドール博物館 ブダペスト、地下鉄 ブダペスト、パール街の少年たち ブダペスト、ゲレールトの丘、ツィタデラ ブダペスト、正月 フランクフルト、飛行機待ち フランクフルト、正月宴のあと フランクフルトから帰国 欧州gourmetの旅
2009.01.18
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麻酔が効いていないというより、これは睡眠薬みたいなもので、夜中一時期起きた以外は12時間ぐらい眠っていたようである。毎年書いていると書くこともなくなるのではあるが、2日前ほどから、ユーチューブにて、やたら阪神大震災のニュースなどをみているという状態であった。奇しくも、震災の2日後、ボランティア目に、海外の報道機関のテレビクルーの運転手をしたのだが、この海外報道機関は、オーストリアだった。しかし、私は、お礼などいらないから、この報道番組が見たいと思いながら、もう14年の月日が流れた。多くの報道機関は、被害のなかった神戸市西区に存在するオリエンタルホテルに宿泊しており、朝、迎えに行くのだが、街の中まで3時間以上かかるむねを説明して、電車が行っている所まで行き、そこから歩いていくか提案してみたものの機材は多く、それは、難しいことと分かり、じゃあ、昨日オーストリアから着ただろうから、寝て置いてください、と言って、渋滞に突っ込んでいくのであった。それにしても、私は、緊急車両の邪魔をしているという気になって仕方なかった。報道っていうものは、人々に伝える使命ではなく、恥ずかしながら、報道させて頂くという卑しい仕事のような気がしてきてならなかった。メシの種なのである。前日、不謹慎ながら、原付で、神戸市内をくまなく回っていたので、いきなり、被害の深刻な場所に行った。よくもまあ、こんなところ知っているねえ、と呆れられた。その時は、まだ、その場所が詳しく報道されていない場所であった。しかし、私は、カメラを持つことができなかったんだ。従って今も1枚も持っていない。避難所の体育館で、クルーは次々に質問していくのだが、(俺、通訳なんかできネーヨ、何で俺だよ)彼らの考え方なのか、今後どうしますかという質問を必ず最後にするが、皆、どうしていいか分かりません、と答え、日本人は、先のことを考えないのか?と私に尋ねる次第であった。それでも、ミカンもって行きなさいと、こちらが届けなければならない立場なのに、ミカンを分けてくれ、申し訳ない気になった。自宅の瓦礫の山で呆然としている青年に、インタビューし、今受験勉強中なんです、と言っていたが、報道インタビューって、相手の都合や心情をある程度ココロを鬼にして、ズバズバ聞かなければならない、苦しい仕事なのだなと感じるのだった。私自身が被災者なので、ヌケヌケと質問に答えるのは、何だか、そんな気分になれねえよ、と思ってしまうのであった。少し、離れたところで、昼食をとったが、食べるものは、おにぎりしかなく、それで、十分、どころか、電気が通っていたので、充電までさせていただき、ありがたいことだった。サービスで、ポットに入れられたコーヒーが五臓六腑に沁みるのであった。人が埋まっているところで、インタビューするのも、自宅が、火事で燃えているのを呆然と眺めている人を、手伝いもせずに、インタビューするというのは、心苦しいのであった。カメラまわすぐらいやったら、手伝えや、といわれると何もいえないのだ。世界の人に、この事実を知ってもらうというのは、大義名分にしか見えないきがするのだ。つまらないことだが、インドやタイに行って、車やリキシャーに乗って、乗り回すってときの、私の態度とそれらの国にいる運転手の関係が、今回、逆転しているような気がしてきて、アジア人サーバントを使うヨオロッパ人とう感じが何となくしてしまうのであった。彼らオーストリア人はそんなこと思っていないだろうが。その日の宿屋については、確保できておらず、彼らは、一流ホテルのオリエンタルに戻りたいと言い出したがもう満室となっており、垂水区の海岸沿いにあるユースホステルに届け、そこは、水が出たので、私も自宅が断水のため2日間風呂に入ってなかったので、シャワーを浴び、明日の時間を確認して外に出る。前から老人が歩いてきて、ここから明石はどのくらいですか、大阪から朝からずっと歩いてきましたと言った。途中のコンビニまで送ってあげてコンビニに入ると、棚の上段までぎっしりと弁当やおにぎりが積み上げられ、通路に大量のミネラルウォーターが置かれていた。これから、街は、悲しみの中、逆にハイテンションになっていき、一種の幸福共同体を作っていくことになるのであった。オーストリアに来たものの、彼らや会社を思い出すことがなく、今、思い出したのであった。それにしても、まだ音にすると、「ニョー」という便が出るのであった。
2009.01.17
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昨日の予言どおり、私は、病院に行ってきたのである。昨晩は心配で眠れなかったのえはなく、本を読んでいるうちに4時ぐらいになってしまっていたのであった。午前8時半という、大変早い時間に、病院に待機を命ぜられ、私の前には、1500ミリリットルの下剤が置かれ、これを90分でお飲み下さいということであった。そして、便の種類の写真を見せられ、「徐々にこうなっていきますからね、最後は、綺麗な便になります。そうしたら、コールボタンを押してください、便みますから」と優しく看護婦さんに諭されるのであるが、綺麗な便ってなんだ、え、人に、私の恥ずかしい便を見せなけばならないのかよ、と幾分不安になりつつあったのであった。週刊誌を見たり、もって来た文庫本を見たりしているうちに、遂に、5回目のトイレにて、肛門にが開く感覚もなく、マッタくをもって水のような液体が、シャーっと出始めたのであった。肛門から、小便を出しているような感覚で、無臭であるが、お尻を拭いたトイレットペーパーをどうしたらいいのか、迷った。うんこというものは、そう汚いとはいえ、見苦しく、汚いのは、うんこの横にあるトイレットペーパーの残骸であると、野糞発見者体験者は思うのであった。やっぱり、パンツはあげとかなあかんよな、そしたら、仕方ない、洋式トイレの水が溜まるところに、できるだけ触れないようにトイレットペーパーを置き、便の色が良く見えるようにセットを完了してから、ナースボタンを押すのであった。トイレにノックの音が。そして、緊張でキョウツケをしたまま、「こんなのでいかがでしょうか」と丁重に尋ねると、心優しい看護婦さんは「いいわね」といって褒めてくれた。そのあと、午前がトイレとの往復を再三再四往復したあと、遂に、名前が呼ばれ、大いに緊張の戦慄が走るのであった。肛門側に割れ目の入った中国のガキが履いている様なパンツを装着し、看護婦さんの前に仁王立ちする健気な私であった。「はい、まずは、浣腸しますね。我慢してくださいよ。5分たったら呼びに来ますから、また便を見せてくださいね、ムフ」といわれた。いや、ムフはなかった。とても事務的であった。個人的趣味やプレイででも、浣腸もしたことのない私である。癖になったらどう責任をとってくれるのだ、と看護婦さんを責めるわけにはいかないので、横向きになって、緊張する。「はい、ちょっと、気持ち悪いですよ」といって、さすがベテランである、1秒もしないうちに、私の中に器具がつっこまれ、液体が入ってきたようである、が、よくわからないのである。校門見られるよおと躊躇する間も羞恥する間もなく、よく分からないが、私は、何故か、気持ちいいわけでも、こそばいわけでもないのに、笑いがこみ上げてきて、必死のパッチで笑いを我慢するのであった。そして、液体が入ると共に、もう出そうになるのであった。「あの、もう、出そうなんですけど」と言ってみたものの、「まだ入れているところですよ、5分我慢してください、どうしても、無理ならトイレ行ってくださいね。それから、仰向けになったり、左右横向きになって、腸内を洗浄してくださいね」と言われる。その後、私は、5分を耐えに耐え、その苦痛の顔が嬉しいというマニアックな人は少なからず居るのかもしれないが、何せ、私は横になったら眠くなるのである。今にも漏れそうなのに、睡魔とも闘わなければならない修羅場であった。無事、トイレで、腸内に入れられた液体を吐き出して、またもやナースコールし、一発合格、何故だか、看護婦さんが、タンクのレバーを右に回してくれ、水を流したのであった。何か、申し訳ない気もしてきたのであったが、すぐに、別の部屋に案内され、ベッドに寝かされるのであった。心臓音みたいな等間隔で電子音がしているのが、不気味で怖いのである。私は、元来怖がりのびびりの小心者である。勿論、現在は、屈辱的なワンワンスタイルではなく、横向きである。看護婦さん3人と医師(男性であった)がやってきて、麻酔をかけられたのであった。よしゃよっしゃ、諸事情により耐性ができてたら困るので、きついのを一発お見舞いしてくれ!といいたかったが、麻酔を打たれて、1分もしないうちに、ファイバーが挿入されていった模様である。肛門を人様に見せる恥ずかしさを心配する前に、その暇もなくスルドク入ってきていたのである。眠ってもいいですよ~、と医師に言われるも、ちっとも眠気なんか襲ってこないのが現状であった。緊張しているからである。仕事も散歩も脱力系でなく、このぐらい緊張して望まねばなるまいと意志を新たにするほどの余裕さえあったのであった。というのも、なんだか、ちょとこそばいじゃないかと思っているうちに、モニターを見ると、おお、入ってるジャン、いつのまにかどんどん奥深くケービングしていってるじゃん、と思ったが、モニターの位置が医師に見えるようになっており、私の角度からは、見えにくいので、頭を半分上げてみようとすると、ちゃんと寝てくださいねーと看護婦さんに優しく諭されるのであった。これが、いわゆる白衣の天使ちゅやつなのか、しかし、2人の看護婦さんは白衣なのに、この注意を促した、私から唯一見える看護婦さんの着ているのは黄色であり、黄衣とでもいうのであろうか。医師と、あと2人の看護婦さんは、横向きになっている背中側(お尻側)にいるので、私をどういじくって、調理しているのか、さっぱり分からないのである。プチっという音が3回したと思ったら、よくわからないうちに、術式は終了した模様で、足取りもしっかりしているのだが、一応、休憩室まで、看護婦さんが腕を貸してくれるのであった。感謝しながらも、点滴を打たれており、休憩90分ぐらいしてくださいといいながら、腹の中に空気が入り、腹がはっており、それで悪い食べものを食べた程度の軽い痛みがありながらも、またもや睡魔と闘う羽目になったが、別に戦わずして寝てもいいので、寝てしまうが、15分ぐらいで、もう起きてしまい、結果報告しますよ、といいながら、ちゃんと、切断した部分が塞がっているかどうか、確認するので、レントゲンを撮られるのであった。今年は何回放射能浴びたら気が済むのか、私も、多少心配になるのであった。医師の説明によると、昔からある良性のポリープがあったので、一応、切っておきました。まあ、問題はありませんね、という簡単なジャブのような説明であったが、大腸検査部門でさすが、兵庫県下ナンバー1の評価、近畿圏で4位の評価を受けているだけあって、さしたる痛みもなく、憂鬱だった今週の時間を返して欲しい、って気分にもなったが、これもそれも、この医師が、大変、ウマイってことなのだろう、感謝こそすれ、反抗造反するつもりはなく、大人しい犬のように、分かりましたありがとうございます、を連発しておいた。手術をしたので、1週間はお酒はだめですよ、それから、1泊以上の旅行や出張はだめですよ、今日は車バイク自転車の運転も駄目ですよ、といわれ、飛行機1時間ぐらいならいいのかなあ、と思って、何故、駄目なのですかと聞いてみると、ただの安静で、もし、腸が破れて遠方にいたら、すぐに診ることができませんからという明確な答えであった。それから、3日間はシャワーだけにしてくださいね、とも言われるが、ブダペストで温泉を逃したので、もう2,3年湯船に浸かっていないような気もするのだが、ま、そこまで、説明することもないかと自分で思うのであった。着替えをするのだが、腹が膨れていて、ジーンズのボタンが止まらないのである。こいつは、ヤバイと思いながらもしかたなく、ジッパーとボタンを閉めないまま、何とか、この前のオランダのH&Mのダウンジャケットの前ジッパーを閉めて、ずり落ちるのを心配しながらも、ずり落ちて、変質者に見られることを心配しながらも、会計するのであった。料金23000円ぐらいを払い、その中には、パンツ代170円とかも書かれていたので、驚愕したのだが、自分d、後ろ開きのパンツも持っていないし、そのような趣味もないことに気がついたので、素直に従い、外にでてすぐトイレに行きたくなったらどうしよう、という大変な心配をしながらも、外に出て、「生きているってことはいいことだぜ」と呟く、憂愁の日であった。いったい、どこに、麻酔が効いているというのか?ちっとも、フラフラせずに、まっすぐしっかりした足取りで駅に向かうのであった。
2009.01.16
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スロバキアの紹介をする前に、ひとこといわせてくれ。私は、明日、恐怖に慄いているのである。校門のショジョを捧げる日がやってきたのである。びびっているついでに、明日まで、もう何も食べては行けないんである。女医さんにやられるのである。女医さんじゃなかったら、もうショックでパーであるが、いろんなHPを見ていると、黄門に異物(カメラ)を挿入するのは、イテエよ、と書かれているのをみて、明日は全身麻酔だ、強烈なッヤツ、ふらふらになるほどのモルフィンをお願いします、体性ができてあまり効かない体質ですから、って言いたいほどである。100基以上見える。そんな風景をオーストリア、スロヴァキア国境近くで見ることができる。アルプスがあるとはいえ、海も山も遠い平原の地であった。オマエは、海派か山派か、それは確かに昔からの命題であった。ラーメンとカレーどっちが偉いかに匹敵するほどの命題である。でも、本当は、明日の口問の件が気になっているのである。まず、生まれ育ったところとその環境、育ちより氏を考えてみると、六甲登山口まで5分のところ、歩いて20分の海のところ(しかも海水浴場)、2階の屋根から海が見えるというところで育ってきたため、山、海には、なじみが深い、といっても、100万人都市だけあって、電車に乗ればすぐにコンクリートジャングルである。子供の頃は、夏には、毎日山でクワガタとり海で泳ぎの連続だったので、白黒つけるのは難しい。母は、断然、山派である、子供の頃、海で溺れて死に掛けて以来、泳げないのである。正月に、実家に帰ったのであるが、今からいくよと、連絡したら、最近の携帯電話はすごいんだねえ、「今、山の中、今日は7時間歩いています(って、まだ午前中じゃん?)、これから帰りますから、2時間後ぐらい以降にしてください」と返事があったほどだ。大事な息子が凱旋帰国したわけで、大層歓迎してくれたが、まあ、ちょっと山歩きで忙しかったから、今年はオセチなしね、今、出前したから、ハハッハハハで終わり。ありがたや。毎年、65歳になる母であるが、もう30年ぐらい連続して六甲縦走を繰り返しては、沢登りじゃ、マッタホルンじゃ、ヒマラヤベースキャンプじゃと五月蝿い。でもこの前、実家に帰ったら、小学校中学校の仲良くしていた親友の母が亡くなったといっていた。あの人はねえ、何故かアラブにはまっちゃってねえ、晩年、年に2回ぐらいアラブに行ってたんだよねえ。といいつつ、オカン、去年、スロバキアの近くのクロアチア行ってたやないか。ただ、不思議なことに、トレッキングができないと嫌みたいである。ニュージーランドとか、カナディアンロッキーとか、トレッキングばっかりしとる。でも母は、やっぱり海外旅行したらお土産とかも買って50万円ぐらいかかるからねえ、そんなに、いけるものじゃないねえ、あんたも、エジプトとかハンガリーとか、お金かかるでしょ、といわれつつも、去年は、年2回だけしか海外に行っていないと思われているのであった。7回行ったというと、バカにされるからである。父は、断然、海派である。さすがに最近はパチンコのほうで忙しいので、泳いではないようではあるが、子供の頃に海水浴なんか行くと、物静かである父親は、子供たちのことをほっといて、すぐ海に入り、見えなくなるのである。麦藁帽子が点になって、どこまで泳いでいくねん、と、子供ココロに思ったものである。思い出したように、帰ってきて、オマエも行きたいかと言われ、怖がりが心情の私は、いかないよ、というと、好奇心と要領だけで生きているような妹(今も要領だけで生きている)が、父の背中におんぶしてもらって、ふときがつくと、また、海の彼方で点になっているのである。今考えたら、あんなに遠くに泳いでいって、よく流されなかったなと思うし、30年も前というと、これ以上言ってはいけませんというような浮いているような境界線は、海水浴場にもなかったようだ。なんせ、気弱い3歳の俺様は波が怖かったんだよ~バロー。小学生のときに、まあ、子供の頃は、擦りむくのは当たり前ではあったが、膝ボンに怪我をしたら、親父が、オイ、海に泳ぎに行こうか、といい、流れ着いた大木に乗り込み、何だか、それで、漂流した。塩で傷口治るわ、そんなセリフをぶっきらぼうにいうオヤジの優しさだった。ただ、そんな沖合いに出て私は、怖かったのだけど。海派と山派の父母が、うまくやっているかといえば、それは、私にも分からない。アイノコの私は、次は、氏より育ちを考えてみようではないか。これがまた難しいのである。山も特異な例を除けば、やっぱり高山しか景色がいいとかでなければ楽しくないのである。大学生のときに大峰山系4泊35キロの荷物、常に竹やぶのブッシュか森林の中での雨続きでは気が滅入るのである。海も、ごみが漂ってくるような、工業地帯の海では魚釣りが関の山なのである。そんなわけで結論のでないままに、スロヴァキアの紹介を終了する次第である。でも、本当は、明日の後門の件が気になっているのである。悪性ポリープがあればそのまま手術である。体がぼろっちいくなってきて、生きている間に100カ国達成しなければと決意を新たにしてみるふりをしてみたりするのである。2009年正月旅行 出国→アムステルダム→ウィーン アムステルダム、駅周辺 アムステルダム、拷問博物館 アムステルダム、セクスミュージアム再訪 アムステルダム、ヘンプスミュージアム再訪 アムステルダム、マダムタッソー1 アムステルダム、マダムタッソー2 アムステルダム、マダムタッソー3 アムステルダム、ダンジョン アムステルダム、ダムラック オランダ教育事情 オランダ性教育事情 ウィーン、シュティファン寺院、カタコンベ ウィーン、犯罪博物館 ウィーン、拷問博物館 ウィーン、ジョセフィーヌム(医学史博物館) ウィーン、ハプスブルグ家 ウィーン、彫刻の町 ウィーン、彫刻の町 信号 スロヴァキアの歴史 ブダペスト、ブラチスラヴァへ ブラチスラヴァ、なんだこれは。 オーストリア→ハンガリー→ドイツ ブダペストの黄昏 ブダペスト朝マイナス5度 ブダペスト朝マイナス7度 ブダペスト昼マイナス5度 ブダペスト、温泉紀行マイナス5度 ブダペストのラビリンス ブダペスト、ドール博物館 ブダペスト、地下鉄 ブダペスト、パール街の少年たち ブダペスト、ゲレールトの丘、ツィタデラ ブダペスト、正月 フランクフルト、飛行機待ち フランクフルト、正月宴のあと フランクフルトから帰国 欧州gourmetの旅
2009.01.15
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朝の続きである。凍りついた体を溶かすために、今回の第一目的である温泉に向かうのである。ブダペストは、ドナウ川を挟んで、ブダ側とペスト側に分かれているのであるが、温泉の多くは、ブダ側にあるのだ。そのため、ドナウ川の橋を渡って、ブダ側に向かうのであった。川風がきついが、それも、これも、温泉のため。王宮を見ながらも、先程まで、街の裏側をも歩いて来たのだが、表通りとは違い、廃墟に近いような石の建物が散在し、旧共産圏時代の陰鬱を残しているように思われた。ウィーンからブダペシュト(発音はこちらに近い)に来ると、寒い冬に加え、余計に空気が暗くなるのであった。まだ、ウィーンはピカピカの部分があるのだが、こちらは、壊れた窓、煤けた壁で結構覆われた街に変貌していくのであった。そもそも、大都市で100箇所以上も源泉がある都市と言うのは珍しいのであって、そういうことだけで、昔から、行ってはみたいものの、まずは、チェコに行きたいというのを優先した若かりし頃であった。おまけに、私は、温泉は好きといっても、熱い温泉は苦手なのである。何せ、道後温泉なんか2回も行きながら、熱くて5分も入っていないのである。しかし、さすが、ヨーロッパ、ぬるい、ゆるい。温泉に行く前に、まずは、そこに、山があるから、山に登るのであった。いわゆる一つの遠回りなのである。コロネードの真ん中にいるのが、聖ゲレルト像である。殉教者の大司教ということだが、私がこれから行く温泉はゲレルト温泉である。この人は、ここから突き落とされたということであった。だから宗教はオトロシイんだ。何を隠そう、私は、既に海水パンツをはいているのである。やる気満々である。中には、ホテルから拝借してきているバスタオルも入っている、そのため、勘違いを避けるために、今日のホテルの清掃はドントデイスターブでお断りしているぐらいであった。しかしながら、そういう余韻を残すことなく、山頂を目指すのであった。有名なセチェーニ温泉などを除いてほとんどが、ブダ側に温泉がるのである。 とにかく、火山国家ではないのだが、アフリカとヨーロッパのプレートがぶつかる造山運動によって温泉が出やすいのではないかということである。ところで、全然関係ないが、ヨーロッパでは、ハンガリーだけが、苗字名前の順番に書く。インドヨーロッパ語族とは違い、ハンガリーのマジャール語は、フィンランドやエストニアと同様、ウラル語族ではあるが、コレラの国とは意思疎通はできないようである。山頂は自由の像。戦後の開放記念碑とはいえ、悪しきソ連の衛星国家当地時代の暗さ。しかし、街にすっかり溶け込んだ風景ということで、そのまま残しているという寛容さである。何持ってんだ?やし・・・そんなのこの国にあるのかよ~。さて、遂に下っていくのである。勿論、山頂に上った理由はもうひとつあるのだが、それは、次回の日記を待て(誰も待ってない)って状況である。すぐ、下が、ゲレルト温泉である。水蒸気が出ている。高級ホテルゲレルトの中に併設されており、宿泊していない人はこちらの入り口から入るというシステムである。中は、アールヌーボーして絢爛豪華ではあるが、れっきとしたハンガリースタイルで、温水プールは水着着用であるが、ヨーロッパでは珍しいか、温泉はすっぽっぽんであるそうだ。やけに、入り口に人が溜まっているなあと思ったら、31日、今日はもう終わり・・・ガチョーン。仕方ない、肩を落としながら落胆しながらも、入り口で暖をとること15分、近くのルダッシュ温泉に歩いて向かうことにする。それも、ドナウ川沿いの車道の横の誰も歩いていない崖沿いの歩道を歩いて行くのである。心配になりながらも、今度は、トルコ式である。大男にバキバキしばかれながら洗われるイメージが消えないといえば消えないのだが。今度は、入り口に人が数人だけ溜まっているなあと思ったら、ルダッシュ温泉まで31日、今日はもう終わり・・・ガチョーン。お前もか・・・志半分もいかずに、私のブダペストの旅は堕ちていく・・・・。あちこちに、水蒸気が上がる街。くそー、温泉入る、ただその栄光のためだけに、東欧のくんだりまで来たのに、敢え無くチン!!2009年正月旅行 出国→アムステルダム→ウィーン アムステルダム、駅周辺 アムステルダム、拷問博物館 アムステルダム、セクスミュージアム再訪 アムステルダム、ヘンプスミュージアム再訪 アムステルダム、マダムタッソー1 アムステルダム、マダムタッソー2 アムステルダム、マダムタッソー3 アムステルダム、ダンジョン アムステルダム、ダムラック オランダ教育事情 オランダ性教育事情 ウィーン、シュティファン寺院、カタコンベ ウィーン、犯罪博物館 ウィーン、拷問博物館 ウィーン、ジョセフィーヌム(医学史博物館) ウィーン、ハプスブルグ家 ウィーン、彫刻の町 ウィーン、彫刻の町 信号 スロヴァキアの歴史 ブダペスト、ブラチスラヴァへ ブラチスラヴァ、なんだこれは。 オーストリア→ハンガリー→ドイツ ブダペストの黄昏 ブダペスト朝マイナス5度 ブダペスト朝マイナス7度 ブダペスト昼マイナス5度 ブダペスト、温泉紀行マイナス5度 ブダペストのラビリンス ブダペスト、ドール博物館 ブダペスト、地下鉄 ブダペスト、パール街の少年たち ブダペスト、ゲレールトの丘、ツィタデラ ブダペスト、正月 フランクフルト、飛行機待ち フランクフルト、正月宴のあと フランクフルトから帰国 欧州gourmetの旅
2009.01.14
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マダムタッソーは、さすが、ヨーロッパ人の矜持、順番待ちしてなかなか入れないのである。(以前行った時はすぐ入れたのに)大人気といわざるを得ないのである。入場したら、エレベーターで6階ぐらいまで上がるでかい建物なのである。クリスマスらしく、べっぴんぺえちゃんが迎えてくれるという見立てである。もうすぐ病める人。マダムタッソー本人トロツキーを追いやった人に、エリティンに追いやられた人のタッグドイツ人の方フランスの方中国人の方イギリス王室の方禁煙だよ、蝋が溶けるから。暗殺された方より病める人にメッセージビール飲む方。この前亡くなられた歌う方邪教を広める方クリスマスを祝う方。イギリス国民の3割が架空の人物だと思われている方。暗殺されたと思われている方。ヒンドゥーの指導者の方とチベット仏教の指導者の方奥さんが収賄で逮捕された方カメラ撮る有名人の方。どの方が血が通っているのですか?飽きることなく王宮を見続ける淑女背中のセクシーな方どなたが、血が通われているのですか?人と人形が多すぎてなかなか前に進めません。もう、いい加減にしてくれよぅといいながら、しつこく続く予定であります。カクン暗殺されたと思われている方。ヒンドゥーの指導者の方とチベット仏教の指導者の方奥さんが収賄で逮捕された方カメラ撮る有名人の方。どの方が血が通っているのですか?飽きることなく王宮を見続ける淑女背中のセクシーな方どなたが、血が通われているのですか?人と人形が多すぎてなかなか前に進めません。。2009年正月旅行 出国→アムステルダム→ウィーン アムステルダム、駅周辺 アムステルダム、拷問博物館 アムステルダム、セクスミュージアム再訪 アムステルダム、ヘンプスミュージアム再訪 アムステルダム、マダムタッソー1 アムステルダム、マダムタッソー2 アムステルダム、マダムタッソー3 アムステルダム、ダンジョン アムステルダム、ダムラック オランダ教育事情 オランダ性教育事情 ウィーン、シュティファン寺院、カタコンベ ウィーン、犯罪博物館 ウィーン、拷問博物館 ウィーン、ジョセフィーヌム(医学史博物館) ウィーン、ハプスブルグ家 ウィーン、彫刻の町 ウィーン、彫刻の町 信号 スロヴァキアの歴史 ブダペスト、ブラチスラヴァへ ブラチスラヴァ、なんだこれは。 オーストリア→ハンガリー→ドイツ ブダペストの黄昏 ブダペスト朝マイナス5度 ブダペスト朝マイナス7度 ブダペスト昼マイナス5度 ブダペスト、温泉紀行マイナス5度 ブダペストのラビリンス ブダペスト、ドール博物館 ブダペスト、地下鉄 ブダペスト、パール街の少年たち ブダペスト、ゲレールトの丘、ツィタデラ ブダペスト、正月 フランクフルト、飛行機待ち フランクフルト、正月宴のあと フランクフルトから帰国 欧州gourmetの旅
2009.01.13
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運河の街なんです、世界は神が創ったが、オランダはオランダ人が造ったといわれる所以です。オランダも一見普通のショッピング街がちゃんとあります。H&MやC&Aとかもあります。でも良く見ると、ちょっと趣味の違うような衣服屋さんもあります。趣味の店のような感じの店が多く見受けられます。個性でしょうか。お洒落な趣味の刺青の店も多くあります。大人の運動器具屋さんもあります。女性も平気で入っていくのが、オープンなところです。何度か、入ってみましたが、女性、男性一人客や団体さんも多く、普通の書店と大きく変わるところがありません。ビデオデッキは持ち歩いていないので、入ることはありません。でも鑑賞はできるようですが、そのあたり日本にもあるようですね。ショー劇場もあります。今回は行きませんでしたが、興味本位で一度行ったことがあります。さすがに西洋人らしく、健康的に結合運動などをショー的に見せられまして、淫靡な世界は展開しません。お客さんも、何故か、私を含め、ゲラゲラ笑うのです。疲れたら、コーヒーも飲めるようになってます。入ったら、何だか独特の臭いがしたんですが、不思議なものです。ここでコーヒーを飲みましたが、以前と販売方法がちょっと変わってました。運河沿いには、レストランやお土産物屋さんや本屋服屋に交じって、飾り窓もあります。裏通りは安いようですが、準国家公務員なので、料金も明朗会計で一律です。但し、サービスについては人間のすることなので、一律化どうかは知りません。結構、あけっぴろげに交渉する男性も多いです。まあ、だいたいピンクネオンなので分かるのですが、近くに行くまで、ショーウインドウに、ディスプレイの服が入っているのか、売り物が入っているのか、マネキンが入っているのか、生身の女性が入っているのか分からない時も多々あります。ですので、このように、SMショップのボンテージマネキンを見て、次の窓に移動すると、急に生身の女性が入っていて、ウインクなんかされてびっくりすることも30回ぐらいあります。シゲル運河沿いには、お花屋さん通りがあります。なんだか、お部屋にお花を飾りたい気分にもなったので、いいものがあれば買おうと思いました。お花は好きですか?チューリップの球根なんか、いっぱい売ってます。むかし、球根バブルで国が暴落して、それ以来、世界の覇権を握ることはできませんでした。こんな、花は、見たことがないです、何ですか?分からないので、とりあえず、岡崎市パサールにダンボールにイッパイつめて送っておきました。2009年正月旅行 出国→アムステルダム→ウィーン アムステルダム、駅周辺 アムステルダム、拷問博物館 アムステルダム、セクスミュージアム再訪 アムステルダム、ヘンプスミュージアム再訪 アムステルダム、マダムタッソー1 アムステルダム、マダムタッソー2 アムステルダム、マダムタッソー3 アムステルダム、ダンジョン アムステルダム、ダムラック オランダ教育事情 オランダ性教育事情 ウィーン、シュティファン寺院、カタコンベ ウィーン、犯罪博物館 ウィーン、拷問博物館 ウィーン、ジョセフィーヌム(医学史博物館) ウィーン、ハプスブルグ家 ウィーン、彫刻の町 ウィーン、彫刻の町 信号 スロヴァキアの歴史 ブダペスト、ブラチスラヴァへ ブラチスラヴァ、なんだこれは。 オーストリア→ハンガリー→ドイツ ブダペストの黄昏 ブダペスト朝マイナス5度 ブダペスト朝マイナス7度 ブダペスト昼マイナス5度 ブダペスト、温泉紀行マイナス5度 ブダペストのラビリンス ブダペスト、ドール博物館 ブダペスト、地下鉄 ブダペスト、パール街の少年たち ブダペスト、ゲレールトの丘、ツィタデラ ブダペスト、正月 フランクフルト、飛行機待ち フランクフルト、正月宴のあと フランクフルトから帰国 欧州gourmetの旅
2009.01.12
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ボクは、こんな葉っぱを見たことがなかったですというか、普通の雑草に見えます。諸事情に詳しい放浪達人さんに聞きたいほどです。ボクは、お父さんに連れられて、アムステルダムの運河沿いを歩いていたら、何か分からないけど、ミュージアムと書いてあって、その上に葉っぱが描かれてました。雑草博物館かなと思いました。それは、お父さんが無意味に、アムスへ行こう、アムスへ行こうという意味が分かりつつあった小学生のボクの夜明けでした。でも、お父さんには黙っていたけど、アムステルダムに着いてから、このマークばかり目立つなあって、何か不思議に思ってたんだよなあ。ミュージアムから3軒隣には、ギャラリーまであったんだよ。種の銀行?ここは精子銀行なの?でも、日本語の文字も見えるなあ。お父さんは、ほら、七味唐辛子に種が入ってるだろ、あれだよ、加熱処理してあるがな、と分かりやすく説明してくれました。それなら、ぼくも、昔、手乗り文鳥を飼っていた時に、小鳥屋さんで見たことがあるよって言ったら、お父さんは、渋い顔をしながら、あれも加熱処理済みなんだ、といいました。なんで、渋い顔するのか聞いてみたら、実験したんだよ!と不機嫌に言われました。お父さんに、これ種売ってるの?って聞いてみたら、いろいろ配合しまくって、ハイブリッド種を作ってるんだよ、と言ってました。なんで、そうするのか聞いてみたら、お父さんは、まあ、それは、効き目をアップさせるためだな、まあ、自然の薬みたいなものだな、てよくわからないことを言いました。ボクは、大人になるまで、待とうと思いました。いろんな器具が見えました。吸引道具だと、お父さんは、あちらの世界をみるように言いました。ボクは、お父さんに社会勉強だといわれながら、入っていきました。ボクは英語が苦手ですが、例えば、室内用で、センシスカンクってのは、45から50日で120センチから150センチになって100グラムの収穫とか書いてあるなあ、どういう意味?種10個で3000円?何でこんなに高いの?車まで持っているんだなあ。なんだか、不自然にトップあたりに、いろいろごみ見たいのが、ついているんだけど、お父さんは、単純にアレがいいんだ、なんて良く分からないことを言ってた。お父さん、これって、日本にないの?って聞いたら、こんな罪もないものを日本でするなんて馬鹿だって、どっかで聞いたことがあるセリフ言ってました。学術的なところなので、ボクは、退屈してきました。でも、お父さんは、真剣にできない英語を読んでました。お父さんは、ボングか、とつぶやきましたが、何それって聞いたら、のどに優しいんだ、と言われてますます意味が分からなくなりました。いろいろ質問しすぎたら、ブログで放浪の達人さんというのがいるから、彼に聞けと恫喝されました。何か収穫の様子がありました。お父さんは、アサシン(暗殺)の語源だと、よくわからないことをいいました。手で何をこねているの?とお父さんに尋ねると、あれは、こねる奴の垢も入っていることもあるような気がするんだよなあ。と言ってた。今日のお父さんは意味が分からないよ。大きい鼻くそのようなものができちゃったよ、とお父さんにいうと、あいつらは、すぐマナリ産だのアフガン産だのいうからなと少し苦虫を噛んだ顔をしました。俺だって、アフガンは、アフガン国境で一回決めただけだといってました。決めるって何?コンナに大切そうに育ててどういうこと?ってお父さんに聞いたら、よだれたらしてました。でも、ぼくも、ちょっとだけ、楽しい気分になってきました。総括;今日のお父さんは、子供に見えました。2009年正月旅行 出国→アムステルダム→ウィーン アムステルダム、駅周辺 アムステルダム、拷問博物館 アムステルダム、セクスミュージアム再訪 アムステルダム、ヘンプスミュージアム再訪 アムステルダム、マダムタッソー1 アムステルダム、マダムタッソー2 アムステルダム、マダムタッソー3 アムステルダム、ダンジョン アムステルダム、ダムラック オランダ教育事情 オランダ性教育事情 ウィーン、シュティファン寺院、カタコンベ ウィーン、犯罪博物館 ウィーン、拷問博物館 ウィーン、ジョセフィーヌム(医学史博物館) ウィーン、ハプスブルグ家 ウィーン、彫刻の町 ウィーン、彫刻の町 信号 スロヴァキアの歴史 ブダペスト、ブラチスラヴァへ ブラチスラヴァ、なんだこれは。 オーストリア→ハンガリー→ドイツ ブダペストの黄昏 ブダペスト朝マイナス5度 ブダペスト朝マイナス7度 ブダペスト昼マイナス5度 ブダペスト、温泉紀行マイナス5度 ブダペストのラビリンス ブダペスト、ドール博物館 ブダペスト、地下鉄 ブダペスト、パール街の少年たち ブダペスト、ゲレールトの丘、ツィタデラ ブダペスト、正月 フランクフルト、飛行機待ち フランクフルト、正月宴のあと フランクフルトから帰国 欧州gourmetの旅
2009.01.11
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夜は夜で王宮を見た。朝は朝で王宮を見た。ブダペストの街は、ドナウ川を挟んで、ブダとペスト地域に分かれている。ブダには、山があり、王宮が聳えているという形だ。朝は重装備で、ホテルを出て、5分後には、寒くてスーパーマーケットに入った。第一目的地をついうっかり、90度違う方向に歩いてしまい、東駅に到着してしまった時に気がつく。90度折れろ。変な似顔絵を見ながらも、1キロほど進む。車内に変な人を見ながらもマダ進む。アンドラシー通りに出る。この通りは、美術館やオペラが並び、道として世界遺産の登録を受けている。右に行けば、そのうち英雄広場に着き、セニーチェ温泉という1000人は入れそうな温泉がある。何せ、私のブダペストの印象は温泉ということで、第一目的は温泉に入るということであった。剣が飛び出ていたりして、楽しめる。第一目的地に、みちを間違えたために30分遅れで到着した。テロ博物館であった。第一目的地はついうっかり、年末なので休館日であった。そう、年末なので、カブリモノ屋台や花火屋台がやたら多くなっているのであった。世界遺産だからといって、じっくり見て回りながら歩くと思えば大間違いで、寒いので、早歩きであり、物見由山どころではなく、散歩のための散歩でしかないんどえある。しかしながら、徒歩はトロイが、自由である。夜につき、早朝に去ったのでタクシーを利用したが、ホテルに呼ぶほうが割引料金があるようであった、が、日中は、ひたすら、歩き、まくりのクラッカーであった。オペラ座を横切る。寒いので中に入ることとする。フランツリストがいます。オペラ座の中の一部は土産物屋になっており、この人買った。(昼編に続く)2009年正月旅行 出国→アムステルダム→ウィーン アムステルダム、駅周辺 アムステルダム、拷問博物館 アムステルダム、セクスミュージアム再訪 アムステルダム、ヘンプスミュージアム再訪 アムステルダム、マダムタッソー1 アムステルダム、マダムタッソー2 アムステルダム、マダムタッソー3 アムステルダム、ダンジョン アムステルダム、ダムラック オランダ教育事情 オランダ性教育事情 ウィーン、シュティファン寺院、カタコンベ ウィーン、犯罪博物館 ウィーン、拷問博物館 ウィーン、ジョセフィーヌム(医学史博物館) ウィーン、ハプスブルグ家 ウィーン、彫刻の町 ウィーン、彫刻の町 信号 スロヴァキアの歴史 ブダペスト、ブラチスラヴァへ ブラチスラヴァ、なんだこれは。 オーストリア→ハンガリー→ドイツ ブダペストの黄昏 ブダペスト朝マイナス5度 ブダペスト朝マイナス7度 ブダペスト昼マイナス5度 ブダペスト、温泉紀行マイナス5度 ブダペストのラビリンス ブダペスト、ドール博物館 ブダペスト、地下鉄 ブダペスト、パール街の少年たち ブダペスト、ゲレールトの丘、ツィタデラ ブダペスト、正月 フランクフルト、飛行機待ち フランクフルト、正月宴のあと フランクフルトから帰国 欧州gourmetの旅
2009.01.10
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夜は夜で王宮を見た。朝は朝で王宮を見た。ブダペストの街は、ドナウ川を挟んで、ブダとペスト地域に分かれている。ブダには、山があり、王宮が聳えているという形だ。朝は重装備で、ホテルを出て、5分後には、寒くてスーパーマーケットに入った。第一目的地をついうっかり、90度違う方向に歩いてしまい、東駅に到着してしまった時に気がつく。90度折れろ。変な似顔絵を見ながらも、1キロほど進む。アンドラシー通りに出る。この通りは、美術館やオペラが並び、道として世界遺産の登録を受けている。右に行けば、そのうち英雄広場に着き、セニーチェ温泉という1000人は入れそうな温泉がある。何せ、私のブダペストの印象は温泉ということで、第一目的は温泉に入るということであった。車内に変な人を見ながらもマダ進む。剣が飛び出ていたりして、楽しめる。第一目的地に、みちを間違えたために30分遅れで到着した。テロ博物館であった。第一目的地はついうっかり、年末なので休館日であった。そう、年末なので、カブリモノ屋台や花火屋台がやたら多くなっているのであった。世界遺産だからといって、じっくり見て回りながら歩くと思えば大間違いで、寒いので、早歩きであり、物見由山どころではなく、散歩のための散歩でしかないんどえある。しかしながら、徒歩はトロイが、自由である。夜につき、早朝に去ったのでタクシーを利用したが、ホテルに呼ぶほうが割引料金があるようであった、が、日中は、ひたすら、歩き、まくりのクラッカーであった。オペラ座を横切る。寒いので中に入ることとする。フランツリストがいます。オペラ座の中の一部は土産物屋になっており、この人買った。(昼編に続く)2009年正月旅行 出国→アムステルダム→ウィーン アムステルダム、駅周辺 アムステルダム、拷問博物館 アムステルダム、セクスミュージアム再訪 アムステルダム、ヘンプスミュージアム再訪 アムステルダム、マダムタッソー1 アムステルダム、マダムタッソー2 アムステルダム、マダムタッソー3 アムステルダム、ダンジョン アムステルダム、ダムラック オランダ教育事情 オランダ性教育事情 ウィーン、シュティファン寺院、カタコンベ ウィーン、犯罪博物館 ウィーン、拷問博物館 ウィーン、ジョセフィーヌム(医学史博物館) ウィーン、ハプスブルグ家 ウィーン、彫刻の町 ウィーン、彫刻の町 信号 スロヴァキアの歴史 ブダペスト、ブラチスラヴァへ ブラチスラヴァ、なんだこれは。 オーストリア→ハンガリー→ドイツ ブダペストの黄昏 ブダペスト朝マイナス5度 ブダペスト朝マイナス7度 ブダペスト昼マイナス5度 ブダペスト、温泉紀行マイナス5度 ブダペストのラビリンス ブダペスト、ドール博物館 ブダペスト、地下鉄 ブダペスト、パール街の少年たち ブダペスト、ゲレールトの丘、ツィタデラ ブダペスト、正月 フランクフルト、飛行機待ち フランクフルト、正月宴のあと フランクフルトから帰国 欧州gourmetの旅
2009.01.10
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彼女が、ジョセフィーヌです。ボクの彼女ではありませんが紹介します。第一回シュテファン寺院のカタコンベ、そして第二回犯罪博物館、さらに第三回拷問博物館、を経て、美しく清い私と音楽の都ウィーン博物館巡りは終わりである。U2のschottentor-universitat駅を出て、マイナス5度で、震える中、おおよそ30分(道に迷って反対側を歩いていかなければ、凡そ10分以内)で、目的のバロックの建物、ジョセフィーヌムに到着した。別名 musum des institutes fur geschichte medizin (まあ、簡単に日本語にすれば医学史博物館ってとこか?私の勝手なドイツ語推定訳)である。しかし、この医学大学の別建物のどこに博物館があるというのだろうか。とにかく、ツタではびこった建物が、血液かリンパ腺でまとわりついているような雰囲気だと思う。庭を通り抜けるが、人の気配がなく、本当に開いているのか、不安になりながら、裏口のようなところから入ると、何故か少女がいたのだが、何だろう。急いで、ちびりそうになった尿意を収めてから、良く分からないうちに、2階へと進む。アンモニアの臭いが鼻につくと思いきや、これは、アンモニアではなく、ホルマリンの臭いである。2階に行くと、受付に古ぼけたような老人が居た。なにやらドイツ語でいっているのだが、20ユーロは高いぞ、と思って、出すと、2ユーロだった。安くねえか他の博物館に比べ。ここの説明書によると、1700年代、軍医の医療レベルアップを目的として作られた研究教育機関だったとのことだった。骨。何だか、説明が続くのである、が、ドイツ語なので、私には分からん。ドイツ語5年勉強したけどよ。まあ、この廊下あたりは、普通の説明ね。回廊進むと、だんだん、やべえくなっていくのです。サブイボでき始めるよ。ところで、ぼくのこと、病んだ人なんて思わないでよ、とっても真面目で、人間の根源を探る求道者なんて高尚な趣味はないけど、ただ面白いからだよ、でも、結構、真面目なものほど笑っちゃうのですみません。それに、せいてきなものもノーマルですからね。なんといっても、1200点近くに及ぶ精巧極まりない人体蝋標本である。蝋?蝋人形の究極の地にやってきたようである。気持ち悪いのである。永遠6部屋にずらりと続くのである。誰もいないのである。1200点は世界最大の標本コレクターなのである。はっきりいって、蝋人形卒業集大成という感じである。勿論、実物大である。ハロー、何だか、明るいんだよね。多分。笑顔もまあまあいいんだよね。多分。それにしても、ヨーロッパ人というのは、ものを大切にするというか、新しいものを追いかけて散在しないというか、古いもの好きが、やたらいろんなコレクター蒐集癖をつけるものなんだな。綺麗なベネシアングラスの嵌め込まれた木葺きのケースもなかなか素晴らしい。完成から200年たった今でも、蝋の肌の艶は、ビビットなままである。監視カメラが誰も居ない部屋で私を監視しているようで、それが、一番怖いのだ、まだ誰も見学者来ないよお。2階、2ユーロ、素晴らしい、とコメントしてあげると、女性だけが、ニコリとし、ズンズンと建物の中へと進んでいくのであった。いまだ躊躇する男性を無視しながら、飯を食いに市内に戻る私であった。最後に行きたかった病理解剖学博物館(pathologisch-anatomisches bundesmuseum)は、このすぐ近くにあり、別名narrenturm といい、ナレントゥルムとは、基地外の塔という意味である。大学敷地内にあった精神病院が、ミュージアムとしてオープンしており、水頭症や性病の精器や梅毒鼻などが保存液に満たされた人体標本42000体があるのだが、水曜の午後と木曜の午前中、第一土曜日のお昼間しか開館していないので、行くことはできないのであった。残念・・・という感じで、ウィーンの見所はほぼ終了である。う、で!ハート!何か、見えてますが・・・腹部を大きく開いた若い女性の髪の毛だけは本物の人髪だという。こうして、やっぱりウィーンの見所は終わりである。2009年正月旅行 出国→アムステルダム→ウィーン アムステルダム、駅周辺 アムステルダム、拷問博物館 アムステルダム、セクスミュージアム再訪 アムステルダム、ヘンプスミュージアム再訪 アムステルダム、マダムタッソー1 アムステルダム、マダムタッソー2 アムステルダム、マダムタッソー3 アムステルダム、ダンジョン アムステルダム、ダムラック オランダ教育事情 オランダ性教育事情 ウィーン、シュティファン寺院、カタコンベ ウィーン、犯罪博物館 ウィーン、拷問博物館 ウィーン、ジョセフィーヌム(医学史博物館) ウィーン、ハプスブルグ家 ウィーン、彫刻の町 ウィーン、彫刻の町 信号 スロヴァキアの歴史 ブダペスト、ブラチスラヴァへ ブラチスラヴァ、なんだこれは。 オーストリア→ハンガリー→ドイツ ブダペストの黄昏 ブダペスト朝マイナス5度 ブダペスト朝マイナス7度 ブダペスト昼マイナス5度 ブダペスト、温泉紀行マイナス5度 ブダペストのラビリンス ブダペスト、ドール博物館 ブダペスト、地下鉄 ブダペスト、パール街の少年たち ブダペスト、ゲレールトの丘、ツィタデラ ブダペスト、正月 フランクフルト、飛行機待ち フランクフルト、正月宴のあと フランクフルトから帰国 欧州gourmetの旅
2009.01.09
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今日の稼ぎ
2009.01.08
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南米に行ったグルメハルじさんには負けるのだが、私もグルメの旅に行ってきた。オランダ編オランダは、インドネシアの宗主国だたので、案外、インドネシア飯屋があり、ナシゴレンと書かれていたので、注文する。なんだよー、普通の中華のチャーハンじゃん。オーストリア編めかし込んで、カフェモーツアルト、の前で写真だけ撮る。ウィーンユウタラ、ザッハトルテか。ワインにケーキなんか、普段食べないのに、思わず、食べてみる。何せ、チョコレートケーキの王様、本家本元、同じ買うならお土産にするより食べなきゃ損損。隣の淑女紳士には、間違ったサンドイッチが届いて、注文してない、したと、厨房と喧嘩していたのも微笑ましかった。最終的に、無理やり置いていって、無理やり、食べてたけど。寄ってけ。黒板には何も書いてないけどよ。不良に、ガチャガチャガラポン煙草押し付けられてます。俺ってさ、こういうので、売られてるものが、一個ムチャクチャに破壊されているなんて状態をみるとさ、笑っちゃうんですよ、もう駄目、スーパーで含み笑い、我慢大変じゃい。STILL WATER 訳 まだ水 まあ、そうだけど・・STILL WATER 訳 まだ水 と印刷したかったのに、真水とし、生水に変更。まあ、分かるけど・・スロヴァキア編バスステーションで、朝食。バスステーションだからといって、バスが2階に配置され、何だか運転手もいる。寒いので、バーに入ってビール、もっと寒くなる。早々に飲んで出る。外はマイナス7度。スロヴァキア伝統料理。スロヴァキア伝統料理。ハルシキ。ニョッキなようなものに羊のチーズであいている。洞窟のような店で食べる。パン食うか。ハンガリー編ビールを飲んで、思索に耽るまでさ。ハンガリー郷土スープ。グヤーシュ。ハンガリーちゅうたら、パプリカ。最高級トカイ貴腐ワイン飲んでみた。1杯2500円。9年もの。これは、ワインではない。甘いドロリとしたフルーツだ。値段も上品だが、味も上品だ。ついでビールも飲む。向こうの席の人たちが葉巻を吸うので、間にあとから座った客は3組、席を替えた。寒いので、バーに入ってビール、もっと寒くなる。ハンガリー郷土料理。外は寒く、おもわず、つまみ食いする。あれ、関係ない画像、間違えた。口から赤ワイン出してますがいいですか。我慢できずにホットワイン頼む。150円ぐらいだが、スーパーで1ボトル150円ぐらいで売っていて買ったことを考えると、何だか高いなあ。ってな感じよ。外歩いていると、寒いので、ワインに目が行く。ドイツ編ウドン屋か?年越しうどんか?あ、ちがう。1月1日早朝、店は、ここしか開いていない、さすがにイスラム料理屋。しかも3ユーロのスープとパンしかないぜと言われる。腹減ってんだ。というわけで、ヨオロッパのグルメの旅実況中継を終了します。2009年正月旅行 出国→アムステルダム→ウィーン アムステルダム、駅周辺 アムステルダム、拷問博物館 アムステルダム、セクスミュージアム再訪 アムステルダム、ヘンプスミュージアム再訪 アムステルダム、マダムタッソー1 アムステルダム、マダムタッソー2 アムステルダム、マダムタッソー3 アムステルダム、ダンジョン アムステルダム、ダムラック オランダ教育事情 オランダ性教育事情 ウィーン、シュティファン寺院、カタコンベ ウィーン、犯罪博物館 ウィーン、拷問博物館 ウィーン、ジョセフィーヌム(医学史博物館) ウィーン、ハプスブルグ家 ウィーン、彫刻の町 ウィーン、彫刻の町 信号 スロヴァキアの歴史 ブダペスト、ブラチスラヴァへ ブラチスラヴァ、なんだこれは。 オーストリア→ハンガリー→ドイツ ブダペストの黄昏 ブダペスト朝マイナス5度 ブダペスト朝マイナス7度 ブダペスト昼マイナス5度 ブダペスト、温泉紀行マイナス5度 ブダペストのラビリンス ブダペスト、ドール博物館 ブダペスト、地下鉄 ブダペスト、パール街の少年たち ブダペスト、ゲレールトの丘、ツィタデラ ブダペスト、正月 フランクフルト、飛行機待ち フランクフルト、正月宴のあと フランクフルトから帰国 欧州gourmetの旅
2009.01.08
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ウィーンの博物館巡りが、年末年始などという特殊事情もあり、何となく手持ち無沙汰の半日が空いてしまったという事情もあり、明日の夕方の飛行機の前に、空港に荷物を預けて、バスで隣国のスロバキアに行くことにした。何かでもらった冊子に、空港から1時間おきにスロバキアの首都、ブラチスラバに向けてバスが出ているということが書いてあったことを思い出したのであった。いつまでたっても、ブラスチラバか、ブラチスバラか覚えられないのである。ホテルの入り口にあった無料のインターネットで、バスの時刻表を確認すると、概ね、ウィーン空港からブラスチラバまで50キロしか離れておらず、1時間おきにバスが出ており、所要時間は90分となっていたので、翌朝6時に起床、前日の夜に、リムジンバスが駅前から出ているということを知ったので、バス停を探しに行くと、歩いて5分のところにあったので、それも20分おきにバスが出ていたので、6時40分のバスに乗ると、7時半にはウィーン空港に着いたのであった。空港で、一時荷物預けを探し出し、そのあと、空港のインフォメーションでバスガイドをもらい(ここでも、アナタどこに行きたいのといわれても、発音できずに、ブラチ・・ブラス・・・ブラブラ・・・といってもごもごしていると、にっこりともせず、案内嬢は、ブラチスヴァラと早口に言って頷いた)、バス停に並ぶ。往復13.4ユーロ及びブラスチラバ内1日公共バス乗り放題1ユーロ券をバス内で購入したのであった。物価の高いヨーロッパにおいて、隣国まで、1000円以内で行けるのは、考えてみれば、考えるまでもなく、安いといわざるを得ない。バスに乗ると、30分ほどで国境を越え、1時間もしないうちに、ブラチスラバ中央バスステーションに到着した。よくわからないが、全員降りたので、つられて降りたが、地図とガイドブック、事前に調べたものが何もなく、ここはどこなのだという状態であった。私の知っている知識は、山の上にマリアテレジアも住んでいたというブラチスラバ城があるということだけだったので、そこを目指していくしかないのだなということであった。10年前、チェコの首都プラハを訪れたが、この街は大変気に入り、また行きたいと思っているが、1990年代前半、チェコスロバキアは、友好的に国が別れ、首都になったこの新しく首都になったブラスチラバは、なんともいえず、チェコにおいていかれてしまったなという感覚があるのであった。とにかく、まずは、キオスクで、地図を買うことにした。む、1ユーロ=30SKKと書いてある。そうなのか、ユーロではないのか(ユーロも使えるようだが)、と初めて知るのであった。スロバキアで地図を買ってみるが、これがなかなか読めない地図であり、頑張って読み解くために、バスステーション内で簡単な朝食とコーヒーをとることにした。案外、こういった状況はキライではないのだ。朝、一応、先に進まなければならないのに、余裕をこいてコーヒーを飲む、渋いじゃないか。渋すぎる!なんていっているのだが、結局、よくわからず、そこに、インターネットがあったので、ウエイトレスのおばさんに、これやりたいよというと、なにやら手で×をされたので、何だ壊れているのか、と思い、先程、バスステーションを出て、ここがなんという建物か確認して、とにかく、バスは乗り放題なので、やってくるバスの210番か81番に乗れば、ここに戻ってくることができるということが。分かった。ただ、地図を見ても、どこが、街の中心なのかが、分からないままに、ウエイトレスのおばちゃんにここはどこと地図を差し出しては無視され、勘定でユーロを渡すと受け取ってくれず、下の両替所で、コロナ(SKK)に両替して来い、なんていわれて、少し、不親切な国なのだな、とたったひとりのおばちゃんを相手にして思うのであった。おまけに、外に出ると、自国人がインターネットをしていたので、更に、不親切な国だなと、おばちゃん一人がスロヴァキアを代表して思うのであった。外に出て、とりあえず、2つの番号のどちらかのバスに乗るかと思って、ふと、ウィーン空港でもらった時刻表を見ると、81番バスに乗ると、市内中心部NOVY MOSTバス停にいけるよ、って1行だけ書いてあったので、なんだ、これでいいのか、と分かり、地図で探すと、2キロ程度しか離れていなかったのであった。しかし、外は、マイナスの気温、バスで行くことにするが、バスは、一旦、ドナウ川を渡り、旧共産圏時代に大量に建てられたと思われる個性のない粗悪な感じの団地を抜けて、再びドナウ川を渡ればすぐNOVY MOSTであり、大回りするので、20分程度も走っており、歩いてもさほど変わらないぐらいであった。橋の下がバス停留所であった。横には、すぐ、山の上に城が見え、うぉお、これが、これか、でも、寒いから登るのはやめととくか、とした。歩き始めて3分、寒いので、すぐ暖をとるために、団体の後に付いて教会に入る。しかし、教会の中も寒いので、団体のを離れ教会を出る。左側一帯は旧市街となっており、とにかく、かなり寒く、お洒落でマフラーや帽子をかぶるものではなく、必需品なのだと実感しながら、歩き始めるのであった。散歩は続く(日記も、まだ続く予定)2009年正月旅行 出国→アムステルダム→ウィーン アムステルダム、駅周辺 アムステルダム、拷問博物館 アムステルダム、セクスミュージアム再訪 アムステルダム、ヘンプスミュージアム再訪 アムステルダム、マダムタッソー1 アムステルダム、マダムタッソー2 アムステルダム、マダムタッソー3 アムステルダム、ダンジョン アムステルダム、ダムラック オランダ教育事情 オランダ性教育事情 ウィーン、シュティファン寺院、カタコンベ ウィーン、犯罪博物館 ウィーン、拷問博物館 ウィーン、ジョセフィーヌム(医学史博物館) ウィーン、ハプスブルグ家 ウィーン、彫刻の町 ウィーン、彫刻の町 信号 スロヴァキアの歴史 ブダペスト、ブラチスラヴァへ ブラチスラヴァ、なんだこれは。 オーストリア→ハンガリー→ドイツ ブダペストの黄昏 ブダペスト朝マイナス5度 ブダペスト朝マイナス7度 ブダペスト昼マイナス5度 ブダペスト、温泉紀行マイナス5度 ブダペストのラビリンス ブダペスト、ドール博物館 ブダペスト、地下鉄 ブダペスト、パール街の少年たち ブダペスト、ゲレールトの丘、ツィタデラ ブダペスト、正月 フランクフルト、飛行機待ち フランクフルト、正月宴のあと フランクフルトから帰国 欧州gourmetの旅
2009.01.07
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2年前は、飾り窓街のど真ん中にあるエろチカムージアムを紹介したが、今回は、セクスミュージアムである。お笑い系、お惚け系日本秘宝館とは違い、なんとも、あっけらかんとしているのであり、駅前大通という地の良さもあり、入り口はひっそり地味であるに関わらず、年間の入場者は50万人というから、入場料3ユーロでも屋っていけるわけだ。前を通ると、尻から息を吹きかけられて、オツなものよ。ピザールならアムステルダムってもんだよ。おまけに、不夜城の都市アムステルダムに相応しく、23時までオープンであり、私も、もうこれで、何やかんやいって3回目の訪問であるが、写真撮影は始めてであり、さすがに、内容はすっかり忘れていたのであった。しかし、そのヨーロッパ人的蒐集癖は、古代ギリシアから日本の春画まで、レパートリーも広く、シブイ味わいを醸し出しており、なかなか学術的でもありながら、それでもやっぱり、笑っちゃうのである。単純な通路道順のはずなのに、何だか、永遠のラビリンスに来てしまった気分になるつつあった。別名、ビーナスギャラリーしかし、一人で来ている女性客も多く、大真面目に、読んだり眺めたり見つめたりしているのを脇目に見てしまうと、私も、思わず、肝心なところを正さず、襟を正すのであった。コホンと、洒落て咳払いでもしながら。なんとも健全健康的なムージアムであり、艶美な世界からは遠く離れているのである。隣の家も覗くことが可能である。手振れが激しいのは、興奮しているからではなく、仕方なく、ちょっとフラフラしているからだと、考えて欲しい。アートにも熱心である。アートオブジェ熱心しすぎると、灘か分からなくなってきます。ボタンを押すと、風船が膨らむのですが、放浪達人さんの少子化阻止政策として、3番目は、針で突いておきました。お決まりのマリリンも登場である。クリスマスである。電話で少し遊ぶことも可能だ。こんな便器に座りたいですか。勿論、コペンハーゲンにもあるのだこの置物。さて、パート2に続く前に、あまりに向こうの世界にいっちゃいそうだったので、落ち着かない席で一休みである(つづく・・・楽天に消去されなければ)2009年正月旅行 出国→アムステルダム→ウィーン アムステルダム、駅周辺 アムステルダム、拷問博物館 アムステルダム、セクスミュージアム再訪 アムステルダム、ヘンプスミュージアム再訪 アムステルダム、マダムタッソー1 アムステルダム、マダムタッソー2 アムステルダム、マダムタッソー3 アムステルダム、ダンジョン アムステルダム、ダムラック オランダ教育事情 オランダ性教育事情 ウィーン、シュティファン寺院、カタコンベ ウィーン、犯罪博物館 ウィーン、拷問博物館 ウィーン、ジョセフィーヌム(医学史博物館) ウィーン、ハプスブルグ家 ウィーン、彫刻の町 ウィーン、彫刻の町 信号 スロヴァキアの歴史 ブダペスト、ブラチスラヴァへ ブラチスラヴァ、なんだこれは。 オーストリア→ハンガリー→ドイツ ブダペストの黄昏 ブダペスト朝マイナス5度 ブダペスト朝マイナス7度 ブダペスト昼マイナス5度 ブダペスト、温泉紀行マイナス5度 ブダペストのラビリンス ブダペスト、ドール博物館 ブダペスト、地下鉄 ブダペスト、パール街の少年たち ブダペスト、ゲレールトの丘、ツィタデラ ブダペスト、正月 フランクフルト、飛行機待ち フランクフルト、正月宴のあと フランクフルトから帰国 欧州gourmetの旅
2009.01.06
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とぼとぼと、ブダペストの夜の街を歩いていると、アバの公演?80年代前半に解散では?実は、ミュージカルが好きな私も、ママミア、アバをパクリやがって、何て単純に思っていたのだが、帰りの飛行機で、偶然、見てしまったのである、おまけに歌にストーリーを合わせているのである。(日本では、1月末公開予定)。中学生のときは、60年代遅れてきたビートルズやストーンズに70年代遅れてきたハードロック、ディープパープルにレッドツエッペリンなどにはまりつつあったが、ポッポスというかディスコミュージックにもはまる年代だったのである。81年最後のアルバム、ビジターズだけはタイムリーに買ったのではあるが、何度聞いたちゅうねん。ここで、アバに関する思い出を語ると、10000文字をはみ出るので、省略するということにしよう。映画は、偶然見たはいいけど、往年のアバの曲が20曲と、思わず、口ずさみナツカシズムで、五月蝿い飛行機の中の私なのであった。こういうのを空気を読めないというのか?いやこれは、ただの近所迷惑である、といっても、大声で叫んでいるのではなく、単純に上下座りながら縦乗り運動しているだけである。 それにしても、KYって何だよ。あれは、多分、テレビの悪影響かと思う。カメラ目線というか、番組で進行を妨げる反応を誰かがして司会者が困っている構造が多々ある。そんなところからでてきたか。それが日常生活にまで影響を及ぼしている。皆と反応や態度が違う、ってところで、空気が読めないなんていわれるとたまらないよな。皆と会っているときどころじゃなく、どうなんだ、どこへ行く、何を好む、何を見る、ネットランキングで選んだりしている人が多いのではなかろうか。皆と外れると、空気が読めないと、疎外されてしまうのかもしれない。これは、協調性を超えているぞ、と私は、危機感を持ちながら、やっぱり首をリズムに合わせて振っているのであった。ウィーンの空港は時計ジゴク。マレブハンガリー航空で、ハンガリーからポーランドのクラクフに飛ぶ予定だったんだよぉ~。アムステルダムの町並みフランクフルト空港ではよお、エスカレーターで、降りていくんだよお。これは、帰国してから、懐かしいアバを聞かねばなるまいなんて気持ちになるつつあったのであった。帰国にしてから自宅に挨拶に行き、実家をあさり、中学校のときに録音したカセットテープを探し出した。気合が入っていたのか、最高級のテープにアバを録音していたのだから、驚きである。車ぐらいしか、カセットテープで聞けないので、またもや、帰りも楽しい渋滞であった。それにしても、貧乏だったのか、パソコンもなかったので、買ってきたシールで歌を貼り、B面でシールがなくなったことを如実に物語っているのである。しかし、20年以上前のテープ、聞けたが、カセットが、出なくなった。どうしよう。ちょっと、高いんじゃない、新聞?2009年正月旅行 出国→アムステルダム→ウィーン アムステルダム、駅周辺 アムステルダム、拷問博物館 アムステルダム、セクスミュージアム再訪 アムステルダム、ヘンプスミュージアム再訪 アムステルダム、マダムタッソー1 アムステルダム、マダムタッソー2 アムステルダム、マダムタッソー3 アムステルダム、ダンジョン アムステルダム、ダムラック オランダ教育事情 オランダ性教育事情 ウィーン、シュティファン寺院、カタコンベ ウィーン、犯罪博物館 ウィーン、拷問博物館 ウィーン、ジョセフィーヌム(医学史博物館) ウィーン、ハプスブルグ家 ウィーン、彫刻の町 ウィーン、彫刻の町 信号 スロヴァキアの歴史 ブダペスト、ブラチスラヴァへ ブラチスラヴァ、なんだこれは。 オーストリア→ハンガリー→ドイツ ブダペストの黄昏 ブダペスト朝マイナス5度 ブダペスト朝マイナス7度 ブダペスト昼マイナス5度 ブダペスト、温泉紀行マイナス5度 ブダペストのラビリンス ブダペスト、ドール博物館 ブダペスト、地下鉄 ブダペスト、パール街の少年たち ブダペスト、ゲレールトの丘、ツィタデラ ブダペスト、正月 フランクフルト、飛行機待ち フランクフルト、正月宴のあと フランクフルトから帰国 欧州gourmetの旅
2009.01.05
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偶然にも、経費節約及び持ち合わせがないために、中心部からは郊外に宿投していたのだが、偶然にも拷問博物館は、一駅隣にあったのであった。Neubaugasse 駅すぐである。フォルター博物館、中世法制史博物館の登場である。まるで、楽しい遊園地かのような入り口である、が、おっとどっこい、ナチス時代の防空壕である。そんな訳で、地下に降りていくという按配である。隣は、これまた明るい水族館である。楽しい水族館の横に、恐ろしい博物館がひっそりかつ、派手にあるのである。水族館自体が、ナチス時代の高射砲塔をくりぬいて作ったという代物である。(写真撮るの忘れたやないか)入り口に入ると、掃除をしている兄ちゃんが一人だけ居て、何だか掃除をしており、真っ暗なのであった。入り口には、何だか、処刑用グッズが無造作に並べられているおぞましさで、一人暗く働く青年のマニアックさに感心の念を禁じえないのであった。人形子供も勉強できる場所。拷問道具の説明と展示は終わらない。子供用軍服と簡易棺おけが、厳しさを訴える。少年兵に洗脳する大人は許せないのだ。訪問者が多すぎるのであろう、急いで、電気を点けてくれたのであった。すると、奥から悲鳴が聞こえてくるんどえアル。中世は怖いちゅうものよ。一応、中世に入る前に現在の少年兵の悲劇を展示してあるのであった。電気が一斉に点けられると、そこには、マネキン人形を通して中世からの残虐の限りが始まるのである。パンを盗んだので、えらいことになっているの構図。拷問するほうは、痛くもかゆくもないどころか、そのうち、マゾヒズムに目覚めるのであろうか。手が切られます。口に水を入れられている様子だ。お決まりの拷問椅子。椅子に座る前に、指を潰されます。ちょっとチャライ拷問される人ですね。人間じゃねえ。樽に入れてワインにする前に、ほぐしておくようだ。ダンスじゃねーよ。ジャンケンじゃねーよ。外してくれよ。現在の殺戮報道に関しても勉強できる場所。全然、まだ他に訪問者がないので、俺、こえーよ。やるほうは、痛くないし、すぐ、忘れるんだ。人形子供も勉強できる場所。魔女を処刑、魔女を処刑すると財産を没収できるので、どんどん勝手に魔女に仕立てて殺された。恐ろしいキリスト教徒。いてーよ!ヘビメタも首輪のとげを反対側にしろよ!ところで、葬儀博物館は郊外にあり、それは全然かまわないのだが、時間も短く、予約必要ということで、残念ながら、涙を飲んで、諦めることとした。風呂に入って絞首刑なのか。だから、いてーよ!永遠に死ぬまで回り続ける。お決まりの、ギロチン。正式名称は、正義の柱、国会議員ギヨタンが提唱したことからこの名前がきているが、それまでは執行人が斧などで切っていたので、失敗が多く、苦しむ人々が絶えず、いっそのこと、一瞬にして殺してあげましょうということで開発されたってものだ。日本でも唯一、明治大学で見ることができる。アイアンメイデン。私が、笑顔で手を振り、掃除中受付青年に手を振って、外に出ようとすると、再び、電気が切られたのであった。2009年正月旅行 出国→アムステルダム→ウィーン アムステルダム、駅周辺 アムステルダム、拷問博物館 アムステルダム、セクスミュージアム再訪 アムステルダム、ヘンプスミュージアム再訪 アムステルダム、マダムタッソー1 アムステルダム、マダムタッソー2 アムステルダム、マダムタッソー3 アムステルダム、ダンジョン アムステルダム、ダムラック オランダ教育事情 オランダ性教育事情 ウィーン、シュティファン寺院、カタコンベ ウィーン、犯罪博物館 ウィーン、拷問博物館 ウィーン、ジョセフィーヌム(医学史博物館) ウィーン、ハプスブルグ家 ウィーン、彫刻の町 ウィーン、彫刻の町 信号 スロヴァキアの歴史 ブダペスト、ブラチスラヴァへ ブラチスラヴァ、なんだこれは。 オーストリア→ハンガリー→ドイツ ブダペストの黄昏 ブダペスト朝マイナス5度 ブダペスト朝マイナス7度 ブダペスト昼マイナス5度 ブダペスト、温泉紀行マイナス5度 ブダペストのラビリンス ブダペスト、ドール博物館 ブダペスト、地下鉄 ブダペスト、パール街の少年たち ブダペスト、ゲレールトの丘、ツィタデラ ブダペスト、正月 フランクフルト、飛行機待ち フランクフルト、正月宴のあと フランクフルトから帰国 欧州gourmetの旅
2009.01.04
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ウィーンも、博物館満載であり、私も、普通の観光客と同様、博物館巡りを繰り返すのである。オペラ座やシュテファン寺院から1駅向こう、ドナウ運河を越えて、歩くこと10数分、観光客が何故だかほとんど歩いてないところに、あるのが、強盗ゴーウカン暗殺といった血まみれの博物館であり、いかに、ハプスブルグ王朝が退廃の都市であったかが分かるという仕掛けである。 大変なことであるのだが、ここで、個人的な問題が発生し、ついうっかりしていて、デジカメリーが切れてしまうのであった。ウィーンという、犯罪とエロの多重奏に奏でられた中世からの退廃と、その秘密警察の歴史を展示してあり、来場者もマニアックな人間で耐えないのである。何せ、50ユーロ紙幣を入り口で払おうと出すと、そんな大きなお金でお釣りはないわよ、という釣れない返事をする切符切りのおばちゃん(というか、この不機嫌そうなばちゃんしかいないので)、遠くはるばるやってきたのに、と悲しそうな顔をすると、仕方なく、何とか、おつりを探し出し、手渡してくれるのであった。それでも、最後、出るときは、笑顔で見送ってくれた心優しいおばちゃんであった。こっちは、既に気分が悪くなってんだぜ。しかし、私のデジカメは既に数枚でバッテリーが切れ、その日の旅行は終了などころか、そのすぐ近くにある道化師ミュージアムに急いだのだが、冬季休業であった。やる気あんのかい、オラ!といっても、普段も土曜日の16時半から19時までとか日曜の午前中だけとかなんだよなあ。おまけ、ハルじさんしか見たらいけないよ。悪夢を見ます2009年正月旅行 出国→アムステルダム→ウィーン アムステルダム、駅周辺 アムステルダム、拷問博物館 アムステルダム、セクスミュージアム再訪 アムステルダム、ヘンプスミュージアム再訪 アムステルダム、マダムタッソー1 アムステルダム、マダムタッソー2 アムステルダム、マダムタッソー3 アムステルダム、ダンジョン アムステルダム、ダムラック オランダ教育事情 オランダ性教育事情 ウィーン、シュティファン寺院、カタコンベ ウィーン、犯罪博物館 ウィーン、拷問博物館 ウィーン、ジョセフィーヌム(医学史博物館) ウィーン、ハプスブルグ家 ウィーン、彫刻の町 ウィーン、彫刻の町 信号 スロヴァキアの歴史 ブダペスト、ブラチスラヴァへ ブラチスラヴァ、なんだこれは。 オーストリア→ハンガリー→ドイツ ブダペストの黄昏 ブダペスト朝マイナス5度 ブダペスト朝マイナス7度 ブダペスト昼マイナス5度 ブダペスト、温泉紀行マイナス5度 ブダペストのラビリンス ブダペスト、ドール博物館 ブダペスト、地下鉄 ブダペスト、パール街の少年たち ブダペスト、ゲレールトの丘、ツィタデラ ブダペスト、正月 フランクフルト、飛行機待ち フランクフルト、正月宴のあと フランクフルトから帰国 欧州gourmetの旅
2009.01.03
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何故か修復中を覆う工事用防塵幕が、写真。ウィーンで観光で行けば、必ず行くことになる中心地がシュテファン寺院であるが、詳しくは、いろんなホームページで分かるようになっていはいるが私のメインは、この地下である。カタコンベである。ローマやパリ、パレルモやグラナダにもあるが、ここにもある。聖堂の地下部分は高位聖職者の廟で、外部の広場の地下にあたる部分がペストの死者の石室があり、そこは、骨骨骨の嵐であった。天井まで骨の部屋が続くのである。当時は広場に穴を掘って遺体を放り込み、後で地下墓所にしたようだが。 30分置きぐらいにツアーがあり、こそっと入りたくても入れず、皆で一同に進むので、写真禁止だけに、こそっと、写真を撮れないのが、残念ではあったが、仕方ないのである。ハプスブルグ家の心臓も収められているというが、何百年たとうが、その骨の饐えた臭いが鼻腔を刺激するのであった。寺院の外が出口となっていた。どうやら、カタコンブ自体は、寺院地下以上に広範囲に広がっている模様である。カタコンベはドイツ語で、フランスではカタコンブの発音に近いようである。ドイツ語の説明でさっぱり分からなかったが、それでも、大学は5年間もドイツ語を真摯に勉強しただけに、入場ガイド料6ユーロだっけ、2000体の遺体を見た料金であった。2009年正月旅行 出国→アムステルダム→ウィーン アムステルダム、駅周辺 アムステルダム、拷問博物館 アムステルダム、セクスミュージアム再訪 アムステルダム、ヘンプスミュージアム再訪 アムステルダム、マダムタッソー1 アムステルダム、マダムタッソー2 アムステルダム、マダムタッソー3 アムステルダム、ダンジョン アムステルダム、ダムラック オランダ教育事情 オランダ性教育事情 ウィーン、シュティファン寺院、カタコンベ ウィーン、犯罪博物館 ウィーン、拷問博物館 ウィーン、ジョセフィーヌム(医学史博物館) ウィーン、ハプスブルグ家 ウィーン、彫刻の町 ウィーン、彫刻の町 信号 スロヴァキアの歴史 ブダペスト、ブラチスラヴァへ ブラチスラヴァ、なんだこれは。 オーストリア→ハンガリー→ドイツ ブダペストの黄昏 ブダペスト朝マイナス5度 ブダペスト朝マイナス7度 ブダペスト昼マイナス5度 ブダペスト、温泉紀行マイナス5度 ブダペストのラビリンス ブダペスト、ドール博物館 ブダペスト、地下鉄 ブダペスト、パール街の少年たち ブダペスト、ゲレールトの丘、ツィタデラ ブダペスト、正月 フランクフルト、飛行機待ち フランクフルト、正月宴のあと フランクフルトから帰国 欧州gourmetの旅
2009.01.02
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2009.01.01
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