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顕正会では、「広宣流布したら、1日3時間働けば良い。あとは仏道修行に使うのだ。国民全員が入信するのだから、折伏もしなくて良い。勤行だけで良くなる。少しの災害も起きなくなる。」と、誤った広宣流布観を会員に植え付けております。これは大変な誤りです。 まず、広宣流布の定義を顕正会は「国民全体の入信」と勝手に決め付けてしまっておりますが、これが誤りの1です。 要は、ある程度の入信者が、純粋に信心する人たちが増えてきて、その人たちの総意が国にも伝わり、そういう総意を以て戒壇建立する時が広宣流布の時ですが、御書にも「1人残らず入信」とまでは定義されていません。あくまで、戒壇建立さえ成される時が広宣流布ということで、それの必要絶対条件が国民1人残らずの入信とはなっていないわけです。 従って、広宣流布された時点でも謗法の人たちもいる可能性は大きい故に、多少の災害は起きるということです。 誤りの2は「1日3時間働けば良い」ということです。そうなると、あらゆる機関がマヒしてしまい、例えば病院で救急患者が出たら医者が「いや、もう3時間過ぎてるから後は仏道修行に使いたい」と言って患者を見捨てたらどうでしょうか?あるいは、交通機関に従事されている方が、「3時間過ぎたから電車やバスを止める。」と言ったら、大事な信心の行事にも参加できない人も増えてくるし、それ以前に世間的にも大混乱の事態を引き起こすでしょう。 これは誤った思想です。あくまで、外見は今までと変わらない世間の姿があると思われます。ただ、信心を基調とした世の中ができてくる。例えば、「御講日割引」等などが誕生するかもしれませんが、「○○時間働けば良い」などという世の中にはならないでしょう。 もちろん、梵天・帝釈も戻ってきて日本国を守護するということは確実でしょうが、顕正会ではそういうことに絡めて、何か現実とかけ離れた広宣流布後の国の姿を会員に想像させています。 やはり血脈相伝の教えから離れてしまうと、広宣流布観も狂ってくるということの証明です。
2011.10.31
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御本尊様のことを語る上で欠かせないのが、「開眼供養」ということです。 私ごとき在家がその重大事を詳しく知る由もありませんが、書籍の御指南等を元に少し書かせていただきます。 大聖人様は「法華を心得たる人、木絵二像を開眼供養せざれば、家に主のなきに盗人が入り、人の死するに其の身に鬼神入るが如し」(木絵二像開眼事)と仰せられ、単に「本尊を書写するだけで良い」等の考えを戒めておられます。 これは顕正会に当てはめれば、「自分たちで印刷して、そっくり同じ姿をした本尊ならばそれで良い」と考えているところを戒めておられるということです。ましてや、破門された団体においておや、であります。 例え、姿は仏に似ていても、法華経の極理を以て開眼供養しなければ衆生を成仏に導く力は無いということであります。 では、誰でもがこの開眼供養をできるのか?というと、その答えは「否」です。 その資格をお持ちの方は、「日蓮聖人乃至日因に至るまで三十一代、塁も乱れず相伝これなり」(日因上人御指南)と言われるところの、代々の猊下様がそれに該当するのであります。現在で言えば、御当代・日如上人猊下様がまさしく、この大事至極の開眼供養をなされる資格をお持ちなのです。 具体的にどのように開眼されるのかは、在家ではわかることでは無いし、触れるのも憚られますが、大事なのは一般の僧俗に手が出せる分野では無いということです。我々がどのような儀式めいたことを行ったとしても、勝手に印刷した本尊には人を救う力などは宿りません。 むしろ、上記にあるように、鬼神の入った札として、不幸を招く乱神、怪神のまたとない住処となるでしょう。 そんなものを拝んだらどうなるのか?これ以上は言わなくてもわかりますよね? 別の視点から考えれば、「正直の人の頭に諸天善神は住む」と言われていますが、正法に背いた逆謗の衆生の元からは善神は離れ、悪いものが住み着くのです。ニセ本尊はそういうものに「おいで、おいで」しているようなものであります。これがひいては、国をも傾ける原因になることを顕正会は知らなければなりません。 御本尊の一切は富士大石寺にのみ、ましますのです。
2011.10.27
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先回のようなことを言うと、ひねくれた人は、「本尊の書写などはしていない。印刷ならわからないが」というかもしれません。 しかし、大聖人様は「血脈並びに本尊の大事は日蓮嫡々座主伝法の書、塔中相承の稟承唯受一人の血脈なり」(百六箇抄)と仰せられています。 くどいようですが、御本尊に関する一切の権能は猊下にあらせられるのです。それも御当代猊下にです。その猊下が仮に「皆が自由に御本尊を印刷してよい」等と仰せられたのなら、許されるでしょう。しかし、史実に照らして今後も絶対にそのようなことは無いと断言できます。 されば、その権能も無い者が勝手に印刷した本尊などには何の力も無いことがわかるでしょう。また、以下の御文 「御筆の本尊を以て形木に彫み不信の輩に授与して軽濺する由・諸方に其の聞え有り」(富士一跡門徒存知事) これは当時、同じ日蓮門下の弟子たちが御本尊を勝手に版木に刻み、それを元に大量に御本尊を刷り、信心も無い輩に授与していたことがあったことを示し、それを戒めておられる御文です。 さて、今の顕正会の疑惑がかかった御本尊はどうでしょうか?まったく同じではありませんか? 形木に刻んでそれを元に大量に御本尊を刷る=現代では精巧な印刷技術を用いて大量に御本尊を印刷する。こういうことを戒めておられるのです。 先回は血脈の切れた御本尊について述べましたが、今回はニセ本尊に焦点を当ててみました。 言えることは、どちらにも人を救う力は無いということです。所詮は日蓮正宗に帰伏して真正御本尊の功徳に浴させていただくしか成仏できる道は存在しません。 念を押しますが、こういう本尊を拝んでいると、自分自身の大切なものを失うことにもなります。手遅れになる前に日蓮正宗に帰伏しましょう。
2011.10.24
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顕正会所持の本尊については、さまざまな議論が交わされています。それは、大体が「本物か偽物か」という議論ですが、仮に顕正会の御本尊を全て本当の御本尊と仮定しましょう。 しかし・・・・ それでも顕正会が正しい理由には成り得ません。なぜか?それは・・・ 一例を挙げれば、「当代の法主の処に本尊の体有るべきなり」(当家法則文抜書)という日寛上人のお言葉がございます。 これは、その代の猊下の元に御本尊の実態が存在するという意味です。古来から大石寺では御隠尊猊下でさえも、御当代の猊下に遠慮されてなるべく御本尊の書写はされなかったそうです。いわんや、それ以外の僧俗においておや、です。宗門屈指の弘通者である日尊師でさえ、御本尊に関しては手出しをされなかったという史実もあります。 それだけ、御当代猊下の御本尊に関しての権能というものは日蓮正宗では重いものなのです。されば、その御当代猊下の元から離れた本尊も全て血脈を失うのです。 顕正会員も日蓮宗等にある御真筆御本尊を拝めないでしょう?なぜ拝めないのか?それは、暗にその御本尊に血脈が無いことを知っているからです。 それを知っていながら、では、自分たちが日ごろ拝んでいる御本尊はどうなのか?を考えることができず、思考停止している状態なのです。 顕正会は今の日如猊下をも認めていません。また、過去に顕正会に渡った御本尊は本当は全て日蓮正宗にお返ししなければいけない御本尊なのです。破門時に返すようにと、当時の日達上人から通達が出ています。つまり、その当時の日達猊下に背いている時点で顕正会の御本尊はすでに血脈が切れているのです。加えて、上記の日如上人にも背いていることになり、この背反によって、顕正会の御本尊は人を不幸へと誘う堕獄魔神の働きをなすことは必定なのです。 心ある顕正会員さんにはぜひとも、この本尊問題を深刻に考えて頂き、真正な御本尊様の存在する日蓮正宗へ帰伏していただきたいと強く念願するものです。
2011.10.24
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二年くらい更新していませんでした。 何もテーマが思いつかずにいたのが、その理由です。 信仰歴も進み、いまだに微弱な信心ではありますが、御住職様、周りの方々のお力添えによって、なんとか信仰を保てています。 最近の体験を一つ・・・ 同じ地元の講員の方と最近、折伏活動を始めるようになりました。自分ではなかなか、勇気が出ず、折伏しなきゃと思うだけで悶々とした日々が続いていましたが、入信五年目に突入した最近、地元の講員さんから折伏の応援依頼があり、その方の知り合いの顕正会員を折伏しました。 その方はすでに顕正会に疑問を持っており、さまざまな疑問をぶつけてこられたので、私にわかるなりに精いっぱいお答えいたしました。同時に折伏ですから、顕正会こそが仏法を破壊していること、そこにいても不幸になるだけであることを強く言い切りました。 結果は、その場では入信できませんでしたが、後日、「日蓮正宗に行きたい」と連絡がありました。しかし、先日入信する予定だったのが、顕正会員の妨害で流れてしまいました。 ただ、顕正会を完全に辞めることはできたとの報告を聞き、必ずや近いうちに日蓮正宗にと思っております。 地元の講員さんも残念がっておりましたが、今度は御住職様も来てくださり、再度の折伏になるので、その時に決めたいと強く強く願っています。 それにつけても、日蓮正宗の折伏と顕正会の勧誘はまったく別物であることが体験の上でわかりました。 ・相手を無理やりにその場で入信を迫らず、時間をかけて入信を勧めるということ ・逆縁でもありがたい御縁として、対象者をも大事にできること ・大聖人様お示しの本当の血が通った折伏である この三点を自身の体験の上で実感することが叶い、ありがたい気持ちでいっぱいになったものです。 顕正会員に言いたい。 これこそが、本物の折伏であると・・・
2011.10.24
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