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先日の職場の同僚との新年会では、「正しい宗教のすすめ」を渡すことができ、「やっと1ミクロ前進したな」という少し嬉しい気持ちになりました。世間の欲望を満たすのと違って、折伏行をやろうとすることは仏様のお手伝いをさせていただくことになるのですから、意義も功徳も計り知れません。 本を手渡すだけで折伏行をやったとは到底言えませんが、それでも少しでも日蓮正宗のこと、宗教の大事なることを知ってもらえる機会を同僚に与えることができて、有り難いです。ここからいかに進展させていけるかがポイントだと思います。また折を見て、未入信者向けの冊子等を手渡し、話ができれば良いな、と思います。 ところで、昨日は「愛する人」と近場で一泊の温泉旅行をしました。そこで早速注意されたのが、「あんた、お数珠とお経本は大事なものなんでしょ?そんな紙袋に入れて他の物と一緒に持ち歩くなんてダメよ!」ということでした。もちろん、いつも使用しているお数珠入れに入れて持って行ったのですが、それを他の物が入っている紙袋に入れて持っていってしまったのです。 「そんな大切なものは金庫にでもいれておかなきゃ」と続き、部屋の金庫にしまいました。さらに、「今度私がお数珠入れごと入れられる大きな袋を作ってあげようか?裁縫は苦手だけど、ミシンは得意だから縫ってあげる」と、思わずにんまりする言葉が この言葉を聞いて、お数珠とお経本の大事を改めて見直すことができ、「数珠は仏のごとくせよ」との言葉が脳裏をよぎりました。同時に「未入信の人に注意されるとは、気をつけないと日蓮正宗自体が低いものに見られてしまうことになる」と気を引き締めることができました。 短いやり取りではありましたが、とても印象に残りました。そう言えば、彼女の実家は創価学会で、彼女が子どもの時にお姉さんとお母さんが入信して信心していた、という話を以前に聞きました。学会も当時は日蓮正宗の中の団体でしたから、彼女自身は入信も信心もしていないと言っても、自分と彼女は「日蓮正宗つながり」と言えなくもありません。そう考えると、不思議な因縁を感じます。 その彼女のお母さんとお姉さんは早くに亡くなり、二年立て続けに葬儀を出したという話を聞いて、「大変な思いをしてこの人は生きてきたんだな」としみじみ感じ、今はただ「この人を幸せにしてあげたい」一心でお付き合いさせてもらっています。自分もこのあいだ父を亡くし、そういう面でも彼女とは共有できる部分があると思います。 彼女は肉親の葬儀に際して、「学会員が非常識な言動をしている姿を見て、自分はこんな信心絶対やるもんか!」と幼心に思ったそうです。当時の学会は日蓮正宗の中の信徒団体と言っても、板本尊模刻事件や会長本仏論等々、正宗の教義から逸脱してしまっている部分が多くあり、熱心な学会員ほど不幸の原因を積み重ねてしまっていたようで、彼女の心を傷つけるような言い方かもしれませんが、彼女のお母さんとお姉さんもおそらく、そのような状況にあったのだと予想できます。だとしたら、悔やんでも悔やみきれません。お二人の遺骨は幸い、日蓮正宗の寺院に納めてあるということですので、それだけでも、と思います。ぜひ、自分の大事な人の肉親の方たちには安らかに眠っていただきたい、と自分も御祈念しようと思います。 こう考えると、大聖人様が自分と彼女を引き合わせてくださったのかな?と思うし、彼女自身がもし正しい筋道の信心ができるようになれば、彼女の肉親のお二人も喜んでくださると思います。 何とか、一緒に信心ができる日が来るよう、願っています。ちなみに、彼女はチョビンさんと同い年で、性格も同じように明るく前向きな性格です
2008.01.16
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年が明けましたが、顕正会はまた「本年は折伏誓願数○○としたい。これが出来れば、十有余年後の三百万がぐっと近くなる」という発表をしているのでしょうか? 対象者がいなくなれば出身学校の名簿や街頭に繰り出して、誰でも手当たり次第捕まえてまで成果に挙げようとするその体質が変わらない限り、三百万が出来ても「数だけの団体」との批判は変わりません。否、それ以前に顕正会所持の御本尊がすべて血脈の通った正しい御本尊だということを証明できなければ、何をどのように変えようと、無駄な徒労に終わることでしょう。 私も会員時代は名簿やら街頭やらやっていたことは、これまでの日記にも書いておりますが、本当に辛い日々でした。折伏(勧誘)の約束が取れなければ、上長が目の色を変えて怒り出すわ、不機嫌になるわで・・・。そしてある日、「本部職員や先生は折伏法戦に連なっているのですか?」と聞いたことがあるのですが、「先生は自分たち弟子とは違った戦いをされているし、本部職員の方々は本部業務が忙しくて折伏する暇が無いし、対象者もいない。やり尽くしているから。自分たち一般会員はこういう戦いをするのが一番お役に立つ道なんだ」と言われ、腑に落ちなかったことが思い出されます。 ある掲示板で皆さん書いておられますが、「上長は折伏を下の者にやらせる」ということも実感してきました。まだ折伏の意味もよく分からない時にいきなり、「折伏をやってみようよ、莫大な功徳があるから」と言われ、やりましたが、今思えば「上長には対象者がいなくなっているから、成果を挙げるためには下の者に頼るしかないんだな」と感じております。 そのようなものは折伏ではないし、慈悲もあるわけがありません。いま宗門に来て、折伏とはもっと広い意味のことなんだな、と勉強させていただいております。実際に相手を呼んでしっかり話ができるのがベストの形というのは変わらないでしょうが、それ以外にも例えば、日々の生活の中で信心の会話をしていく、日蓮正宗の話を相手にしていく、日蓮正宗の書籍を渡して読んでもらう等等・・・。これらがすべて折伏成就に結びついていくということを勉強させていただきました。 明日は職場で良くして頂いている同僚二名(うち一名は先日書いた、愛する人です)と飲み会です。その場を利用して、未入信者向けの書籍を渡したいと思っております。
2008.01.07
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皆様、新年明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願い申し上げます。特に今回コメントをいただきました、コットンあめさん、南風さん、山門入り口さん、サンセイさんにはネット上、信仰上で非常に勉強させていただいております。今年もいろいろと勉強させていただけたらと思います。 去年は振り返れば自身にとって、二つの大きな出来事がありました。一つは父の死、一つは日蓮正宗への帰伏です。「明暗の来去同時」ということがありますが、まさに今それを実感しております。「明」とは日蓮正宗への帰伏、「暗」とは正法に付かせてやれずにあの世へ旅立たせてしまった父の死です。父は今頃、須弥山を中心とした四州八海の大陸のどこかに転生しているであろうことは想像できますが、いかなる果報を受けていようとも、こちら側の信心の功徳が父へも廻し向けられていると嬉しいと思います。そして、父の死が私を日蓮正宗へ導いてくれる原因の一つとなったのであれば、何としても生涯、日蓮正宗から離れず、臨終まで信心を貫きたいと思います。 今年はそれ以上に何かが起りそうな、そんな年になる気がします。(もちろん、良い意味で)大切なのは、自分を高めてくれる良き縁に遭うこと。今年もまた、良き縁により多く出会えることを期待しているところです。 私生活でも「愛する人」が出来ました。この人は一年前の職場立ち上げ時からずっと、自分のことを見守っていてくれている人で、少し前に二人きりで旅行に行きました。もちろん、一年前は顕正会時代でしたが、その時はさして素直に自分の気持ちを打ち明けられずに普通の人間関係を過ごしてきましたが、日蓮正宗に帰伏してから仲が深まったような、そんな気がします。「こういう状況になりたい」と思ったときに即法界が動いてくれているような、顕正会時代には感じられなかった不思議を感じております。この人も近いうちに私の家族と一緒にお山へ案内できたらなと考えているところです。とにかく、今年は去年出来なかったことを実行したいです。密かに、「法華講員の実践手帳」を購入して、本年の予定を立てているところです。
2008.01.02
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