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新年明けましておめでとうございます。 巳年の年には歴史的事件が多い。1929年には世界大恐慌、1941年には日米開戦、1953年にはスターリンの死去に伴う経済の混乱、1965年には東海道新幹線の開業、1977年には第一次オイルショック、1989年は昭和天皇の崩御、そして前回の巳年の2001年はアメリカの同時多発テロ。こうして見てみると好ましくない出来事の方が多いように思うが、今年は癸巳である。元来癸は穏やかで謙虚の象徴と言われている。この一年が穏やかな年であってほしいものだ。
January 2, 2013
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トム・ハンクス主演で映画にもなった、「天使と悪魔」、「ダ・ヴィンチコード」そして最新文庫版の「ロスト・シンボル」のダン・ブラウン作ロバート・ラングドンシリーズ三部作を一気に読破した。 「ダ・ビンチコード」は、ルーブル美術館館長殺人事件の容疑者にされたハーバード大学の宗教象徴学者ロバート・ラングドン教授が、警察の手と真犯人から逃れながら、館長の孫娘とともにレオナルド・ダ・ヴィンチの描く「ウィトルウィウス的人体図」、「モナリザ」、「岩窟の聖母」、「最後の晩餐」に隠された暗号を苦労の末に解き明かし、パリ、チューリッヒ、ロンドンそして再びパリと逃避行を続けながらキリストの聖杯の秘密を追いつつ新犯人に迫るという物語。ネタバレのマナー違反を犯すことになるかもしれないが、マグラダのマリアが聖杯の秘密に大きく関わる展開は予測不能だ。 「天使と悪魔」は、「ダ・ヴィンチコード」より先に発表されたのだが、映画は逆にラングドンシリーズ二作目として世に出た。 ロバート・ラングドンはスイスの最先端科学の研究で有名なセルン研究所長の依頼を受け、核エネルギーを凌駕する反物質の行方と伝説の秘密結社イルミナティの謎を追ってローマ市内を東奔西走する物語。折しもバチカンでは新教皇を選らぶコンクラーベの真っ最中でしかも新教皇の4人の候補者が行方不明になっていた。そんな中、前教皇の侍従にイルミナティを名乗るものから、かつて教会によって弾圧されたイルミナティの復讐を果たすために新教皇候補者を一人ずつ殺害するとの予告電話が入る。建築物の示すメッセージから殺害の行われる場所に気付いたラングドンは、殺害を阻止し盗まれた反物質を取り戻すべく推理と追跡を始める。物語の最終盤で意外な黒幕の存在とその動機が明らかになるのだが、詳しくは触れない。 「ロスト・シンボル」は、ロバート・ラングドンが、全身刺青をした男に拉致された恩師であり旧友の命を救うために、フリーメイソンの最高位にある人物のみに古くから語り継がれてきた「失われたシンボル」の秘密を解き明かすべく、ワシントン市内を文字どおり駆け巡る物語。これにCIAがフリーメイソンの秘密は国家機密であると称して絡んでくる展開で、だれが敵でだれが味方なのか暫く読み進めないと分からない。それにしても、建国の父と称されるジョージ・ワシントンを神格化した天井絵が連邦議事堂にあるというが一度見てみたいものだ。
November 25, 2012
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今年の4月に中高年の間でブームになっているJR一筆書きの旅の話をした。その際続編として具体の旅の話を記すという予告をしたのだが、失念していて今UPする。以下はその際の記述である。 ある4月の日曜日の一日、妻と二人で大阪、奈良、三重、滋賀、京都の各府県の都会や田舎の風景を車窓から眺める一筆書き列車の旅を初体験した。天候は晴れだが、少々風が冷たい。 まず、学研都市線星田駅で大阪市内寄りの隣駅である東寝屋川駅までの乗車券を120円で購入し、午前8時31分発の反対方面の快速電車木津行を待つ。最初の行先は木津駅の一駅先の関西線と交差する京都府の加茂駅である。ところが、遠く離れた神戸線でのトラブルで電車が遅れるとの情報。初っ端からのトラブル。木津での乗り継ぎ時間が○分しかないので間に合わなかったらどうしょうと不安になる。 4分の遅れでホームに滑り込んだ快速に乗車。空いていたのでゆったりと座ることができた。この沿線は高度成長の頃からバブル期までに大阪のベッドタウンとして開発されたところで、それ以前は田園地帯だったところである。とりわけ、松井山手や京田辺は計画的な街づくりがなされていて、猥雑な感のある大阪の河北部の市街地よりはるかに利便性の高い街に成長している。車窓に桜の花を探したが、時折見える桜の木に花は付いていない。見頃は一週間先だろうか。木津で京都線に乗り換え一駅先の加茂駅に着いたのが午前○時○分。加茂駅で待つこと○分。やって来た○時○分発の列車は三重県は亀山行の2両編成ワンマンカーでしかも何とディーゼルカー。そういえば、この区間は電化がされていないのである。この路線は木津川沿いに谷合を縫うように走り伊賀盆地に出るルート。田舎の路線なので乗客は殆どいないだろうとたかを括っていたら、二度目の何とである。前期高齢者と思しきハイカーの御一行さんが数十人この列車に乗るではないか。結局椅子取り合戦に負けた我々二人は立ち席へ。 この沿線は近畿地方の中部だが山間地帯なので総じて大阪より気温が低い。従って、桜は蕾も固い。一週間後が見頃だろうなどと会話をしていると、件の御一行さんは笠置の次の大河原という無人駅でゾロゾロ降り立った。この辺りに何があるのか?後日調べたところ、10分ほどのところに恋志谷(こいしや)神社という縁結びの神を祀っている神社があることが分かったが、無論彼ら彼女らには全く無縁であろう。 そんなこんなで、しばらく行くと途中駅でワンマンカーなのに乗務員が一人乗りこんできた。和歌山線でも途中駅で乗務員が一人乗りこみ検札を行うとの情報を得ていたので、この路線もそうなのかと思い、心の準備(120円の乗車券しかないというのは正直心もとないのである。)をしていたところ、我々の次の目的駅である柘植まで検札には現れなかった。柘植駅で下車した我々の行先は、草津線の終点草津駅である。つまり、草津線の起点から終点まで約37キロ、伊賀忍者の故郷から甲賀忍者発祥の地を経て琵琶湖の東南岸の草津までの各駅停車の列車旅である。 ゴルフ場が点在する丘陵地帯、田園地帯、工業団地、住宅地等車窓の風景は様々に変化する。桜の木々も駅のホームをはじめ其処彼処に見られるがやはり蕾が固い。 所要時間凡そ○分で草津着。ここで東海道線に乗り換え北陸線と交差する米原駅に向かう。米原駅にはホームに立ち食いソバのコーナーや駅弁販売コーナーがあるので、弁当持参が困難な方はこれを利用すればいい。米原駅からは北陸線で湖西線と交差する近江塩津に向かう。この間進行方向に向かって右手が伊吹山をはじめとする岐阜、福井の山々が見えるのだが、悉く残雪に被われていて、桜が開花していれば絶景なのにと思いながら車窓を眺めていた。 近江塩津駅は大阪近郊一筆書き列車の旅の北限である。乗り継ぎ時間に余裕があれば、駅舎の売店に興味深いものがあるとのこと。今回は乗り継ぎ時間が5分しかなかったので、そのままホームで待機せざるを得なかった。 近江塩津から湖西線経由東海道線の姫路行新快速に乗車。湖西の山々が残雪で被われていていい雰囲気。時折見える琵琶湖も朝早く或いは夕刻ならば素晴らしい風景になるではないかと思うが、真昼間だと感動も半減。 その内睡魔が襲ってきて気がつくと京都。 大阪駅で環状線に乗り換え、京橋で更に学研都市線に乗り換え、東寝屋川駅で下車し、たった120円での一日列車の旅は無事終えたのである。
November 13, 2012
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過日、東川篤也作烏賊川市シリーズ第三作目「完全犯罪に猫は何匹必要か?」を読んだ。主要登場人物は勿論、お惚け迷探偵鵜飼杜夫、B級映画好きの助手戸村流平、探偵事務所の入居するビルのオーナーにして探偵の大口債権者二宮朱美らの探偵チームとやる気のない優秀な砂川警部と車のハンドルや拳銃を握らせると凶暴になる志木刑事の警察コンビ。 今回の物語は、10年前に「招き寿司」チェーン社長の豪徳寺豊蔵の自宅のビニールハウスで、豪徳寺家の主治医であった矢島洋一郎が何者かによって殺害されているのが発見されたところから始まる。この事件に若き日の砂川警部が関わったのだが、彼のいい加減さによって事件はものの見事に迷宮入りとなる。 それから10年たったある日、豪徳寺豊蔵が一年分の事務所の家賃に相当する破格の金額で鵜飼に行方知れずになった愛猫の捜索を依頼した直後に自宅のビニールハウスで殺害されてしまう。しかも殺人現場には人間とほぼ同じ大きさのマネキン製の招き猫(これがホントのマネキン猫)が安置されていた。捜査を進めていくうちに豊蔵の招き猫コレクションというマニアックな趣味がが明らかになっていく。 招き猫の謎を追う刑事コンビ。そして本物の猫を追う探偵トリオ。それがいつしか一つに繋がっていくのだが・・・・。 今回もボケとツッコミが満載。朱美の「鵜飼さんって文豪にあやかって名付けられたの?」を受けて流平が「森鴎外もりおうがいモリオウガイモリオウカイモリオウカイモリオウカイモリオ鵜飼杜夫」と言うと鵜飼は「そうか僕は文豪だったのか。」と。誰も文豪って言っていないのだが。 本気で猫探しをする気は毛頭なく、よく似た猫を探し出し9割型バレても1割可能性があれば儲けものといった調子で、もし9割の方が出たら「間違えました次は本物を探してきまーす。」と言って退散したらいいじゃないか言い、「これをうまくいったら儲けものの犯罪という。」などと解説する。 砂川警部が以前に証言をした女性の名前を縦に書きそれを志木刑事に見せて連絡を取るよう指示したところ、「案理絵って誰ですか?この謎の中国人女性は?」と志木刑事。「なにっ!中国人女性?これは案理絵じゃない!安木理絵だ!」と砂川警部。このように小ネタが随所に出てきて思わず笑い出したくなる。しかし、「スパダ宮の柱廊」のような遠近感による錯覚を利用したアリバイトリックのようにきっちりと本格ミステリーのテイストも忘れていない。烏賊川市シリーズ3作目もユーモア本格推理小説に仕上がっている。
November 12, 2012
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過日写真俳句なるものがあることを知った。フォト俳句或いは写俳などとも言うらしい。ネットで検索すると「人間の証明」で高名な小説家の森村誠一氏が監修する写真俳句ブログのサイトが出てくる。氏によると「写真にはたくさんの情報が入っているが、撮ったときの作者の感情や季節感、音、匂いなどを写し込むことはできない。一方、俳句は十七文字の中に情景を思い起こさせるものがあるがリアルに見ることはできない。写真俳句はそのどちらも満足させる新たな表現方法である。」とのことだ。ここに氏が撮った写真に添えられた俳句がある。↓http://shashin-haiku.jp/sites/shahai/what/index.html写真の左側に木造家屋があり正面奥に霧にけむる枝垂れ桜が、手前に庭の松やサツキの低木が写っている。その情景を氏は「五月雨に 別れ切なや 隠れ宿」と詠じた。これは大変興味深いと思い、早速、拙い写真に駄句を添えたのが以下の作品?である。時間と心に余裕のある方はご高覧あれ。ご批評を乞う。新緑の中一直線の並木路蒲公英の思わせぶりに咲きにけり郭公の声に誘われ滝見かな山百合の色艶やかに戻梅雨
October 5, 2012
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以下は皆さんが中学生程度の数的処理能力を有しているか否かを問う問題である。この数式を解いていくと”2”と”1”が等しいというありえない結果になる。 さあこの問題にチャレンジされたい! (注記)英文字の後ろの数字は二乗のことです。上付き文字が上手く表記できません。 a=bとする 両辺にaを掛けると a2=ab 両辺からb2 を減じると a2-b2=ab-b2 これを因数分解すると (a+b)(a-b)=b(a-b) 両辺をa-bで除すと (a+b)=b a=bだから 2b=b よって答えは2=1となる 皆さん如何?
October 5, 2012
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パターを替えるという話をすると、人は必ず「腕を変えたら」と言う。替えられるものなら替えたいが替えられないから道具を替えるのだとどうでもいい反論をしてしまう自分がそこにいる。 ゴルフは1ラウンド18ホールパー72を何打でホールアウトするかを競うゲームである。形式論で言えば、各ホール基準打数でグリーンオンし、基準パット数の2パットでカップインすれば、合計72打のパープレイでホールアウトすることができる。プロの競技では、コースのセッティングの難易度にもよるが、パープレイからどれだけアンダーでホールアウトできるかが目指す目標となる。私のような自称ハンディキャップ20前後のレベルのプレイヤーだと、全ホールボギープレイを自分のパープレイと見做しそれからアンダーでプレイできれば大満足、5オーバーまでなら満足、9オーバーまでなら可、10オーバー以上なら不満という、そんな目標を掲げているのではないだろうか。 ともあれ、基準のアンダーでラウンドするためにはできる限りグリーン上ではワンパットでカップインすることが重要になってくる。しかし、現実はワンパットどころかツーパットで上がることもママならない状況で、上がってみればパット数40超などということがザラにあるのである。ところが、自分の場合パッティングを練習する機会はラウンド前の数分しかなく、勢いパターに頼るという冒頭の話になるのである。 私は20数年のゴルフ歴の中で、パターを10本程度替えてきた。月一ゴルファーのアマの平均がどれくらいかは分からないが、クラブを替えるよりは遥かに多く替えてきた。始めた頃はキャッシュイン型、次がピン型、その後L字型を経て再びピン型に替え5年ほど前からネオマレット型に替えている。 キャッシュインを使用していた初心者の頃の記憶は無くなってしまったが、ピン型を使用していた頃はひっかけのミスが多く、L字型では押し出しが多かったように記憶している。ネオマレット型が自分のスタイルにあっているのか、ひっかけや押し出しは改善されたと思っている。ただ、10メートル以上のロングパットの距離感が未だに掴めずツーパット以内は稀という嘆かわしい状態である。 そんな中ではあるが、3年前に東京の上野で練習用に買った激安の少し重めのマレット型パターが思いのほか自分に合っており、この間のコンペでは、同伴競技者が驚くほど、ロングパットがOKゾーンに寄り、2~3メートルのパットが決まりといった具合であった。無論道具の所為ばかりではなく、ストロークを横峯プロのように極端ではないけれどフォロースイングをバックスイングより大きく取るように変えたこともその要因ではないかと考えている。 そんなお気に入りが僅か数ラウンドしか使用していないのに激安故の塗装のはげが目立つようになってきたので、先日思い切って初めてのブランド品であるオデッセイホワイトアイスセイバートゥース2を購入した。初使用は9月の下旬だが果たして相性が合うのだろうか。
September 16, 2012
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今、中高年の間で大都市近郊のJR路線を利用した1日たったの120円の列車旅が秘かなブームになっているそうな。 それは、JRの旅客営業規則第156条に規定されている大都市近郊区間という東京、大阪、福岡、新潟のみが対象となっている制度を利用するのだそうだ。 これらの地域では乗車経路が多数存在していることから、乗車券の運賃計算に用いた経路以外の他の経路を区間変更の手続きなく乗車することができるという。 本来、乗車券は実際に乗車する経路に従って購入するのが原則だが、大都市圏域では、乗車駅から目的駅までの経路が複数あり、どの経路にも多頻度の列車が運行しているため、一定のエリア内では、実際に乗車する列車や経路を自由に選択できるようになっているのだ。 例えば、JR大阪駅からJR天満駅に行くには、通常、環状線の外回り線でたったの一駅、料金にして120円だが、あえて逆方向の内回り線に乗車し弁天町、天王寺、鶴橋、京橋を経由し、大回りして天満駅に行くことだって可能である。 この制度を利用し初乗り運賃で指定エリア内をできるだけ大回りするというのが冒頭記述した中高年の秘かなブームなのである。 ただし、この大回りにはルールがある。その一つが、途中下車はできないということである。従って、乗り換え時に駅構内なら自由に行動できるが、改札口から外に出ることはできない。二つ目が、同じ駅を2度通過はできないということである。一筆書きといったが、厳密に言えば8の字や9の字のルートは同じ駅を2度通過することになるからNGである。三つ目が乗車券の有効期限は1日なので日を跨ぐことができないということである。 ある日曜日の一日、妻と二人でこの制度を利用して大阪、奈良、三重、滋賀、京都の府県の都会や田舎の風景を車窓から眺める列車旅を初体験した。その様子は後日。
April 10, 2012
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以下は某推理作家の2003年8月のエッセイからの引用である。 <東電の原発トラブル隠しに端を発した原発稼働停止の影響とその対応策に関連して、「夏の電力供給不足により停電が起こってしまったら」という回覧が来た。 それによると停電になれば、エレベーターの使用不能、館内の空調の停止、駐車場のゲートの常時開放、宅配ロッカーの使用不能となるらしい。無論家電は使えない。インターフォンやセキュリティ機器は機能しない。固定電話は使用できず、携帯電話も集中した場合通話は制限される。 心配は防犯面である。何か起きたとしても電話が使えないから警察への通報は大幅に遅れる。それを見越した犯罪が急発生する恐れは十分にある。 人間は電気に頼った生活をし過ぎていると改めて思う。だが方向転換は不可能だろう。電気はあって当然のもの。節電を意識するのは家計を考えたときだけで社会全体の問題として捉えることはない。 だが、その神話が今揺らいでいる。神話を支えてきたのが、国民の同意を一度もまともに得たことのない原子力政策だからである。国は何故原子力に対する国民の理解を積極的に得ようとしてこなかったのか。真の情報は公開されていない。 危険性についても、動燃は「もんじゅ」の運転に関する討論会で、阪神淡路大震災クラスの地震が起きても大丈夫かの質問に対して、「もんじゅ」のある土地ではそういう規模の地震は起きないの一点張りだった。 「事故は起きない」で押し通してきた結果些細な事故でさえ公表しにくくなった。苦し紛れで事故ではなく事象だという。 東電の事故隠しはこのようなプロセスによって生まれたと推察する。科学技術にトラブルは付き物。おそれはゼロなどと言わずにあらゆる危険性とその確率を公表すればいいのだ。その上で国民に選ばせばいい。 贅沢な暮しにはリスクが伴うことを知り、自分たちの未来ぐらいは選べるだけの知識は持っていたいものだ。> 今年の3.11の東日本大震災による「フクシマ」で全国の原発54基のうち事故或いは点検で停止しているのは36基に上る。残り18基も一年以内に点検に入るから再稼働をしなければ我が国の原発は1基も稼働していないという事態に立ち至る。 これから厳しい寒さの冬を迎えるが、各電力会社は節電の目標値を宣伝しつつある。一説によると我が国電力の需給関係は原発に依存しなくても大丈夫だという。 脱原発を掲げて某市長選挙に打って出る候補者がいるようだが、某作家ではないが今こそ国や電力会社は「教えよ、そして選ばせよ」が必要ではないだろうか。
November 1, 2011
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東川篤哉作の烏賊川市シリーズ第二弾の作品「密室に向かって撃て」を楽しく読んだ。 物語は取るに足らない傷害事件の容疑者から密造銃で発砲され、あげくの果てに転落事故死され生きて身柄を拘束できなかっただけでなく、その銃を何者かによって持ち去られるという大失態を演じた砂川警部と志木刑事の意気消沈するエピソードでスタートする。 その後その銃が使用されたと思しきホームレス殺しが発生する。戸村流平は鵜飼杜夫探偵とともに事件現場の近くに行くが、行き違いから鵜飼と喧嘩別れをしてしまう。そんな流平は近くの豪邸に住む十乗寺さくらと祖父の十三と偶然知り合い、その際探偵の助手と自己紹介したことがきっかけで、後日鵜飼のところに十三からさくらの3人の花婿候補の信用調査を頼まれることに。 そんなこんなの後、信用調査の報告に十乗寺家を訪れた鵜飼と流平の前で4発の銃弾が轟き、それによって鵜飼が母屋の応接室で傷つき、犯人の影を追いかけて離家に向かった使用人が重傷を負い、そして一人の花婿候補が離家で死体となって発見される。 屋敷の周りは海岸の断崖絶壁。その絶壁のすぐ傍に犯人が使用したと思われる黒衣、白手袋、靴、そして銃が置かれている。唯一の逃走経路は母屋側の門ということになるが、離家に様子を見に行った流平、さくらの父、花婿候補の一人やそして母屋で待機している傷ついた鵜飼、十三、さくらの母、使用人等に見つかることなく脱出することは不可能な状況。つまり屋敷自体が衆人環視の密室。そこで殺人が起き犯人は忽然と姿を消したのである。 犯人自殺を唱える警察だが、砂川、志木らは内部の者の犯行と睨む。流平、鵜飼の名探偵師弟は真犯人に辿り着くことができるのか。 タイトルは、同シリーズ第一弾「密室の鍵貸します」同様、有名映画ポール・ニューマンとロバート・レッドフォードW主演の「明日に向かって撃て」のパクリだそうな。 登場人物は、前作のレギュラー、酒を飲むと全て忘却の彼方にというフリーター戸村流平と惚けた名(迷?)探偵鵜飼杜夫のコンビ、勤労意欲に乏しいのに何故か優秀な砂川警部とハンドルと拳銃を握ると凶暴になる志木刑事の凸凹コンビに加えて、前作の殺人事件の現場となったアパートのオーナーにして美人だが気の強い二宮朱美がレギュラー入りを果たす。前作で流平を助けたホームレスの金蔵こと松金正蔵もレギュラー登場するものと思いきや物語の前半部分で敢え無く殺されてしまった。 事務所を訪れた客を迎え入れよと大きくドアを開けた鵜飼が、客が砂川警部と志木刑事のコンビと分かった途端一旦ドアを閉めドアチェーンを掛け、ドアを半開きにし応接をするシーンや大家二宮朱美の鵜飼への依頼「12か月分の家賃を今すぐ利息も含めて払ってちょうだい。」に対し「12か月といえばほぼ1年分。」「百二十万円と言えば約百万円。」という鵜飼。等々シリーズ第二弾もギャグ満載である。 加えて、恥ずかしがると急に暴力的になる天然お嬢様の十乗寺さくらと酒癖が悪く物忘れの激しい流平との恋の行方はこのシリーズの新たな呼び物になる予感がする。 ともあれシリーズ第二弾も350ページを一晩で読了してしまうことができる本格推理ユーモア小説に仕上がっている。
October 29, 2011
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過日、京都府にあるレイクフォレストリゾートのバードスプリングコースでゴルフをした。結果は午前のハーフが48、午後のハーフが54の合計102である。 スコアが悪い原因は、以前にも書いたが、突如初心者のようなミスのチョロが連続して出ることにあるのだが、今回はそれに加えて4パットが2回あったことにある。 突如出るチョロについては、自己診断では二つのパターンがあると考えている。 その一つが、(1)トップ・オブ・スイングからの切り返しの際に力んでしまいスイングが速くなること。(2)それにつられて身体の前傾姿勢がキープできなくなり通常より早く上体が起き上がってしまうこと。(3)その結果クラブヘッドの軌道が通常よりも数センチ上を通ることになり、ソール部分でボールをヒットしてしまうこと。 二つ目のパターンは、(1)はパターン1と同じだが、(2)では逆に右肩が通常よりも下がってしまうこと。(3)その結果クラブヘッドの軌道が通常よりも数センチ下を通ることになり、ボールの10~15センチ手前にソールが当たり、バウンドしたクラブヘッドの下部でボールをヒットしてしまうこと。 この二つのパターンでチョロになると考えている。 今回のゴルフでは、まず午前の6番ホールのティーショットで出た。これは正しく一つ目のパターンであった。第一打は推定飛距離10ヤード。右前方ラフ。5番アイアンで打った第二打も同じミスを犯しチョロ、二度あることは三度あるの格言どおり、5番アイアンの第三打もチョロ。何故何故???と思いながら打った5番アイアンによる第四打はこれまたチョロ。 どうやら新たな格言「3度あることは4度ある」を製作してしまったらしい。気を取り直してミートを心がけて力を幾分か抜いて打った5番アイアンによる第五打はナイスショットで、残り50ヤードのところへ。6打目のアプローチはピン横4メートル。そこから2パットでダブルパーでホールアウトという散々な結果であった。 この4連発チョロがなければ目標の45で上がることができたはずなのにと思っても「後の祭り。」「後悔は先に立たず。」「覆水盆に返らず。」である。 午後のハーフでも第一パターンのチョロが1回、第二パターンのチョロが1回(これがOBになってしまった。)、ダフリによる池ポチャが2回。加えて4パットが2回、3パットが1回。結果54の大叩きと相成った次第である。 友人曰く「貴男のチョロやダフリはすくい打ちが原因」と指摘された。固よりボールを上げようとしてすくい打ちしている意識は自分には全くないが、かつて一世を風靡したアメリカン打法の逆Cの字型フィニッシュを模倣していた時期があり、その癖が抜けきらないからすくい打ちに見えるのかなと考えたりしている。 どなたか突如として出現するチョロを克服する方法をご教示願えないであろうか。
October 6, 2011
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過日東川篤哉氏の「密室の鍵貸します」を読んだ。 物語の舞台は千葉県と神奈川県の間にあるかつてはイカ漁で栄えたものの今は廃れた烏賊川市という架空の街である。 ある夜主人公の戸村流平は大学の先輩茂呂から趣味の映画鑑賞のために彼のアパートに招かれる。茂呂の自慢は完全防音のホームシアター。 そのシアターで映画鑑賞をしていた同じ頃流平の元彼女の女子大生が背中をナイフで刺されアパ-トの4階から転落死するという事件が起きる。 映画鑑賞の後、先輩茂呂はお酒とおつまみを買いに行くと言って外出する。帰ってきた茂呂は風呂に入るから先に飲っていてくれと言い残し部屋を出ていく。 残された流平は茂呂の用意したお酒を一人で飲み始めるが、余りにも戻りが遅いので浴室を覗くと茂呂は腹部をナイフで刺されて息絶えていた。玄関にも窓にも鍵がかかっており、密室状態の中の殺人事件。犯人と疑われることを恐れた流平はアパートを抜け出し実姉の元夫で探偵の鵜飼杜夫に助けを求める。 一方女子大生殺しの重要容疑者として元恋人の流平が警察当局に目をつけられ、砂川警部と志木刑事のコンビが流平を追う。 捜査の過程で茂呂の事件を知った砂川警部と志木刑事は連続殺人事件の最重要容疑者として血眼になって流平を追う。他方、事件の真相を求めて探偵と流平のコンビも活動を開始する。 迷警部と迷探偵の勝負や如何に。ともあれ、仕事熱心ではないが優秀な砂川警部と元ヤンの志木刑事のコンビVSオトボケの名探偵鵜飼と酒癖が悪く自分の頭で考えようとしない流平のコンビ。どちらが先に真犯人を見つけるか。 東川氏は「謎解きはディナーのあとで」で本屋大賞に選ばれ大ブレークした作家で、そのデビュー作が冒頭の作品である。この小説はその名が示すようにジャックレモンとマリリンモンローが共演した映画「アパートの鍵貸します」のパクリである。無論ストーリーは異なるが。 パクリ故にいたるところギャグ満載で俗に言うユーモア小説なのであるが、ストーリーの展開は正しく本格ミステリー小説なのである。「推理」小説だけでも嬉しいのに、「本格」がテイストされ、さらに「ユーモア」までおまけで付いてくるとなると、電車の中であろうが美人の前であろうが3歳の幼児の前であろうがニタニタと笑ってしまう、時には吹き出してしまうので変なおじさんと思われる。本作品はそんな作品に仕上がっている。
September 30, 2011
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ゴルフの調子が安定しない。今年のラウンドの成績はホームページにも掲載しているが、2月の川奈ホテルゴルフ大島コースのコンペでは、前半49だったが後半ショートホールでの二桁の大叩きがひびき60近くのスコアとなり100が切れなかった。 5月の私市CCでは100丁度、6月の関西CCでは102と依然低空飛行のままであった。7月に入って名阪チサンCCで96と何とか100を切ったが、同じ月の奈良の杜CCでは前半こそ40台のスコアだったものの後半乱れて四たび三桁のスコアに沈んだ。 8月の法隆寺CCで43、44の87で回り漸く本領発揮と思った矢先、私市CCでは95と100こそ切ったがやや不満の残る成績となった。 常時80台~90台でラウンドする男性のドライバーのヘッドスピードが43~45、平均飛距離が240~250ヤードからすれば、自分はヘッドスピードが40、ナイスショットで220ヤード程度。若いころ飛ばし屋と言われたが、今は平均以下であろう。加えてパーオンなどめったにしないので、スコアメイクのカギはアプローチとパターの出来にかかっている。そんなゴルフなので、ボギーを自分のパーとして、ダボなら1オーバー、パーなら1アンダーというふうに考えながらラウンドしている。そんな訳で先述のスコアの感想になるのである。 思い返すと、100を切れなかった時はもとより95、96で上がってきた時でも、突如DWやFWのショット時にチョロや大ダフリの信じられないミスを犯している。飛ばしてやろうと力みすぎてスイングが速くなった時にソールでボールを打ったりボールの20センチほど手前を叩いたりといった初心者のようなミスを犯している。 友人によるとミスショットの際は、トップ・オブ・スイングで左肩が下がり、それを調整しようとしてインパクトで伸びあがってしまいトップまたはチョロになっている。それを嫌ってインパクトで右肩を下げすぎてしまった時に大ダフリになっているとのこと。 自己分析をすると飛ばそうとして力み過ぎた時はスイング中に身体が上下のみならず左右にも動き過ぎているのだと思う。 このところ休日のたびに近くの打球場で3番ウッドを中心に練習を重ねているが安定しない。調子が良ければティーアップしてキャリーで200ヤード、しないでキャリーで180~190ヤード飛ぶのだが、突如トップ、チョロ、大ダフリが連続し折角地道に築き上げた自信が砂上の楼閣のように崩れ去っていっている。今自信は完全にどこかに消え去っている。
September 27, 2011
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平成23年9月3日(土)から4日(日)にかけて四国中国地方を縦断した台風12号は近畿地方の和歌山、奈良、三重の3県に歴史に残る大きな災禍をもたらした。 先月の25日、日本の遥か南の海上に発生した台風12号は、ゆっくりとした速度で北上し、9日後の9月3日高知県に上陸した。そして、四国縦断約70kmに約7時間かけて瀬戸内海に達し、岡山県を経て鳥取県の山陰沖に抜けるまで約12時間をかけた。 台風はこれまでの多く例によると上陸した途端速度を速めるのだが、今回の12号は時速にして10km前後の速度のまま日本列島を横断したのである。大陸から日本海側に張り出した高気圧に行く手を阻まれたのがその要因と言われているが、折悪しく、日本列島の東側に張り出した高気圧が台風の進路の東側に南寄りの暖かく湿った空気を送り込み、それが紀伊山地にぶつかり紀伊半島3県に記録的な豪雨をもたらしたのである。 奈良県上北山村では先月30日の降り始めからの雨量が4日までに1800ミリに達し、三重県大台町でも1600ミリを超えた。和歌山県新宮市ではピーク時には一時間の雨量が130ミリを超えた。日本一の多雨地帯として知られる三重県尾鷲市の年間平均雨量が3800ミリほどだから、その凄まじさが分かるであろう。 この豪雨は、紀伊半島の各地で山の崩落、河川の氾濫を起こし、死者・行方不明者は和歌山県で68人、奈良県で24人、紀伊半島以外も併せると12道県で死者48人、行方不明者58人の合計106人に上り平成に入ってからの台風被害としては最悪なものになった。 特筆すべきは、記録的な豪雨の他に、想定をはるかに超える被害の実態である。奈良県十津川村では、川面から30メートル高台にあった住宅が流失した。これは長く降り続いた雨によって河川の水量が増えたところに土砂崩れによって大量の土砂が河川を堰き止め、その結果水位が30メートル上昇し住宅が水没、水が引き始めた際に住宅が流されたというものである。田辺市では、和歌山県が土砂災害の危険地域に指定した以外の地域の緩斜面が深層崩落を起こし、安全と言われていた地域の住宅一棟が土砂に飲み込まれた。三重県紀宝町では熊野川の支流が溢れ9メートルの輪中堤が用をなさなかった。 全国最多雨地帯の紀伊半島故に万全の備えをしていたのであろうが、私たちは、想定を超える災害が現に起きた事実を真摯に受け止め、これらのことを教訓にした新たな対策を早急に講じなければならない。
September 7, 2011
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東京勤務の思い出の続編である。 仕事のことも記録に残しておこうと「東京歳時記」として徒然なるままに、加えて気ままかつ我がままにダイアリー風に記してきた。今夜はその中からいくつかピックアップして書く。<はじまりはいつも突然>平成21年某月某日曇 A氏から突然不幸のメール届く。リレーエッセイのバトンを受け取って欲しいという内容だ。即座に誰かにバトンしないと貴方が不幸になるとは書いてはいなかったが、文章能力皆無の自分にとっては不幸この上ないメールである。さりとて、受け取らないとあっては大変お世話になったA氏に申し訳がない。仕方がない清水の舞台から飛び降りることにしよう。 夢にも思わなかった東京赴任。早いもので1年と4か月が過ぎた。巷間言われる東西文化の違いにもっと戸惑うかと思ったが左程でもない。日常会話は、今や全国区となった吉本芸人のお陰でこちらのテレビでも大阪・関西弁が氾濫しているから、電車の中など公共の場であっても躊躇なく大阪言葉を喋ることができる。東京では右側を歩く駅のエスカレータも当初違和感を覚えたが、今は新大阪でどちらに立とうかと思う他はノープロブレムだ。 用意された宿舎は駅から徒歩1分。事務所までの所要時間がドア・ツー・ドアで凡そ20分とくれば、大阪勤務時代よりは快適とさえ言える。一人暮らし故の掃除洗濯など家事の煩わしさを除けばだが・・・・。 前置きが長くなっているが、この間に何を書こうかと考えている。東京から見た大阪を書けるほど東京の文化に馴染んではいない。月並みだが仕事を通じてのエピソードを思いつくままに羅列することにする。<寄付集めのこと>平成20年某月某日秋晴F部長から東京での寄付集めの獲得目標を設定してほしいとの電話が入る。昨今の社内事情から覚悟はしていたものの、かねて部下に対して当初事務所の役割は東京・首都圏における広告塔としていたので、苦虫を37匹ほど噛み潰したスタッフの顔が目に浮かぶ。何と言おうかと悩んでいると、K次長曰く「いずれ必要なことです。年度内○千万円獲得を目標にしましょう。」と。担当のO君、K君も同意してくれた。頼もしい我がスタッフに感謝である。 こんな経緯(F部長の電話以前に色々あったのだがここでは敢えて触れない。)で始まった寄付獲得作戦。期間は半年しかない。スタッフ総出で関係者にお願いをして回る日々が続いたのである。訪問先での反応は、「御社に恨みこそあれ義理立てすること皆無」とか「原油高の影響で会社の業績が最悪。個人といえどもとても寄付どころではない。」等お先真っ暗の状態。だが、努力は裏切らない。拾う神が現れた。世界的に著名なデザイナーや某証券会社の最高幹部、テレビでお馴染みのコメンテータ等々といった方々から多額のご寄付をいただいたのである。平成21年某月某日春雨年度の最終月を寄付獲得集中月間と定め、検討すると回答をいただいた方々への最終アタックを試みてきたが、期限まで10日余りになっても目標に到底届かない。スタッフ全員に徒労感が漂っている。納期の延長を申し出なければ。平成21年某月某日晴担当のK君から「所長目標達成しました。」の報告を受ける。所内のあちこちで「ウソー!」、「ホンマか!」の声。思わずほほをツネったが痛い。 昨年10月に目標額を○千万円に設定したものの正直達成は困難だと思っていた。年が明けて3月半ばまでにかなり獲得できたが、最早これまでとあきらめた僅か10日後にあの朗報である。日頃八百万の神に祈りを捧げてきたご利益かなどと思うのは大いなる誤りだ。これぞ全員野球の勝利である。志は高くという訳ではないが、今年度の獲得目標を無謀にも3割増しに設定した。東京・首都圏に知り合いがおられたら是非ご紹介をお願いしたい。<映画大賞授賞式への代理出席>平成21年某月某日晴 広報室のB君から「某映画大賞で社長がエンターテイメント部門の特別賞に選ばれた。近く授賞式が開催されるが代理出席をお願いしたい。」との電話が入る。 当日はタレントの北野たけし、ガダルカナルタカ、本木雅弘、樹木希林、山崎務、らが出席するとのこと。どうやらアカデミー賞のような式典のようだ。実は賞状を受け取るのは食博のマスコット。所長はその介添え役。と言われ、それならばとOKをする。平成21年某月某日晴 今日の休日は式典の日。会場はマスコミ関係者でごった返している。控室に入ってリラックスしているとスタッフから突然「司会者が受賞のコメントをと振るので何か喋ってください。たけし委員長が必ずイジリますので覚悟しておいてください。」と言われる。「え~っ!そんなん聞いてませんよ!」と言っても後の祭り。どうやらB君に嵌められたようだ。 暫くして先ほどのスタッフがやってきて曰く「安心してください。たけしさんは高熱を出して欠席です。」「フ~ッ。」いくらなんでも壇上で恥は晒すのゴメンだ。 気軽に考えていたのに本番直前になって先きに記したような展開。コメントを考えなければと焦るが、こんな場合焦れば焦るほど考えがまとまらないものである。 同日午後4時過ぎ愈々本番である。会場の後ろの方はTVカメラの列。壇上を見ると進行役はガダルカナルタカ。隣のテーブルには映画おくりびとの出演者本木雅弘や樹木希林、山崎務らが座っている。出番は一番最後と聞いているので、それまでにコメントを考えようと思うのだが、回りの俳優や女優に目がいって考えがまとまらない。え~いこうなりゃ出たとこ勝負だ!そうこうしている内に遂に出番。マスコットキャラクターの後を俯き加減に壇上へ。中央に立つ。スポットライトが眩しい。ガダルカナルタカが何か話しかけてきた。あれっ!頭の中が真っ白・・・・・・・・・・・・・・・・・気がつくと壇下から拍手が聞こえる。ああ終わったのだ。とこのような感じで本番は終わった。何をコメントしたのかって?それは3月23日付けの東京スポーツ新聞をご覧あれ。<大阪への集客というミッション>平成21年某月某日曇時々雨今年度第一回「大阪を語る東京の会」を開催する。大阪のN氏に「水都大阪2009」のPRをしていただく。出席者から「内外からの集客を考えている割にはPRができていない。PRに費用を惜しむべきではない。」との意見をいただく。同感だが如何せん予算がない。東京・首都圏におけるPRについては、実行委員のメンバーである行政のトップの一人大阪市長が今年に入ってから千葉県浦安市や東京ビッグサイトにおいてPRをされた。我が事務所でも精力的にPRをしている。が、悲しいかな中々都民には届かないようだ。平成21年某月某日曇時々雨今年度第一回「なにわネットワーク懇話会」を開催する。大阪本社のM課長から「都市魅力の創造」について我が社の取組状況を説明していただく。出席者から水都大阪2009で実施される朝市・リバーマーケットの継続実施についてのアイデアをいただく。大変ありがたい提案だ。早速スタッフに動いてもらおう。 東京事務所のミッションの一つに大阪の魅力のPRがある。偉大な先人達が大変なご苦労の末、東京・首都圏で活躍する大阪縁の人たちの集まりである「大阪を語る東京の会」や関西経済団体の役員企業の東京本・支社の幹部をメンバーとする「なにわネットワーク懇話会」などを設置してくれたお陰で舞台は一定整っている。 今後はこれらの会を如何にして持続し発展させるかである。これまでの一方通行の会議運営ではいずれマンネリに陥るであろう。ネット懇に今回初めて参加したある企業の幹部の方から「正直御社提示するテーマでは興味は沸かない。継続参加するには企業人にとってのメリットが要る。」との苦言を頂戴した。日頃気にしていたことなので、ずばり指摘されると反論ができない。次回ネット懇に向けての夏休みの宿題にしておこう。<あと書きに変えて>さだまさしの初期の頃の作品に「ダイアリー」という楽曲がある。「歳時記」という字を充てる。ある男女の日記が主題なのだが、ちひろの絵や水色に笑うなどパステルカラー的表現が随所に出てきて、「日記」だとイメージに合わないのだそうだ。タイトルの「東京歳時記」はその借用である。本稿は仕事中のエピソードのほんの一部を思いつくままに紹介したものである。従ってまとまりのないものになってしまった。ともあれ、東京に出てきてから様々な人との出会いがあり、小規模ながらもネットワークもできた。残り少なくなってきた職業人生だが、その最後の方で得がたい経験をさせていただいている。当事務所のスタッフをはじめ関係の全ての方に感謝したい。
August 26, 2011
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平成23年3月4日のことである。右耳の奥が痛くなり、久方ぶりの外耳炎かと思い、事務所近くの耳鼻咽喉科を受診した。 当時、春とはいえ寒い日が続いており、街中の小さな医院は風邪ひきと思われる小児や老人で満員御礼。勢い医師の診察も数をこなすのに追われる状態になるのは必然である。 医師は右耳の中を見て、「赤くなっていますね。外耳炎です。薬を出しますのでこれで様子を見ましょう。」と。この間に要した時間はたったの1分。巷間3分診療などと言われるがそれより凄じい1分診療である。その診断を鵜呑みにして帰った夜、右頬、右耳朶、右頭部の一部に針で刺したような痛みが発出しだした。 翌々日の箱根一泊小旅行のために上京していた妻に見せると、「これは帯状疱疹や!」と言われ、翌朝同じ耳鼻咽喉科を受診した。医師に「昨日は外耳炎と診断されたが帯状疱疹ではないか。」と訴えると、顔色をまるで信号機のように赤から青に変え、済まなさそうに「これは仰るとおり帯状疱疹です。昨日の薬は服用せず、改めて出す帯状疱疹の薬を服用し、できるだけ早く専門医(皮膚科)を受診してください。」と恐縮しきり。 帯状疱疹は知覚神経に沿って赤い発疹が帯状に出現し、強い神経痛様の疼痛が伴う。特に三叉神経に帯状疱疹ができると髄膜炎や脳炎を引き起こすことがあり、目に発生すると失明することがあるらしい。私の病は正しく極めて危険な状態だったのである。 そんな怖い病とも知らず、翌日の箱根行に心ウキウキの私だったのだが、夜の痛みには正直参ってしまった。とにかくピリピリした痛みが数分間隔でやってくるのである。生来痛みに鈍感で特に他人の痛みはまず分からない私だが、この痛みだけは耐えがたくほとんど眠れない夜を過ごした。 箱根行は、大阪に帰れば容易に行けるところではないとの思いで予約しただけにキャンセルし難く、病を押して出かけたのだが、薬の効用と季節外れの雪景色で楽しい一時を過ごすことができた。ただ、痛み止めの効能が切れかかる夜明け前に疼痛が出て心地よい眠りを妨げられたのには閉口した。 帰京後皮膚科を受診したところ、「この部位の帯状疱疹は極めて危険。しかもそれだけの痛みの訴えを聞いたならば、私だったら即入院を進めていた。」と聞かされ背筋が寒くなった。 結局3年間の東京勤務の間今まで経験したことのない相当程度重い病気に3回罹った。通説ではいずれも加齢とストレスに起因することが多い病ということだが、東京での仕事にストレスを感じたことがない自分としては、このブログを書いている今時点でも、通説を信用していない。 ともあれ、この度の帯状疱疹は10日程度の通院と投薬治療で完治したのであるが、その間の通院治療中に何度か例の大地震の余震に遭遇し恐怖を感じたことが、僅かながらであるが私の心に傷として残っている。
August 10, 2011
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東京闘病記の第二弾である。 単身赴任2年目の初秋顔面神経麻痺に罹患した。 政治史上に残る政権交代となった衆議院総選挙があって暫くした9月5日朝のことである。歯磨きをしていて口に含んだ水が意図せずに零れるので、ん?と思い鏡を見ると顔面の左半分がいつもと違うことに気付いた。咄嗟に、脳梗塞に罹ったかと思い背中に冷たいものが流れた。 その日虎ノ門病院の神経内科を受診したところ、顔面の運動(瞼の開閉、あいうえおの発声等)検査の結果ベル麻痺と診断された。脳梗塞が気がかりな私は、頭部の撮影をオーダーしMRIを撮ってもらったが、結果はノープロブレム。愈々顔面神経麻痺らしい。抗生剤、アレルギー薬のステロイド剤、末梢神経の栄養剤ビタミンB12を処方され、これで様子を見てくださいと通告された。 顔面神経麻痺は、かつては原因不明とされていたのだが、現在では単純ヘルペス説が主流を占めていて、ベル麻痺と称されるようだ。ネット情報によると罹患率は0.01%つまり1万人に一人の割合で罹患する病らしい。加えて初期治療如何で何らかの後遺症(顔の歪みや意図しない瞼や口の動き)が残ることもあるとのことである。 一か月半程度の投薬治療で完治し、幸い後遺症も残らなかった。このことを医師である同僚に話をすると、「そりゃ仕事のストレスやで。」と言われた。どうやら私の周辺の人たちは私の仕事におまけでストレスが付いているものと思っているらしい。私自身そんな自覚はないのだが・・・・・。 後々の思い出にと闘病中の顔写真を撮ったが、結構二枚目に撮れている。だが、世の男性のの嫉妬心を煽ってもいけないのでここには載せない。
August 8, 2011
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かねて健康には自信があった。その根拠のない自信が脆くも崩れ去ったのは、齢58歳にして東京に単身赴任してからである。 赴任して半年後の12月中旬、右肩にいつの頃からか発症していた粉瘤が細菌感染を起こし痛みを伴うようになり事務所近くの皮膚科を受診した。 粉瘤というのは、早い話が良性の腫瘍である。放置していてもそう問題ではないのだが、細菌に感染すると激しい痛みが発生する。 という訳で、その場で手術することになったのだが、手術そのものは単純で、化膿した部位をメスで切開し膿を絞り出すという荒業。局所麻酔による手技だったので痛みは感じなかった。 ところが、理由の告知がなかったので今もって不明なのだが、一日で膿を出し切ることができず、翌日続きをやることになった。当然翌日は局所麻酔はなし。膿を絞り出すときの痛さと来たら筆舌に尽くし難く、敢えて例えるなら切り傷に砂を塗りつけられるといった感じであった。 数日間の通院治療で完治したのであるが、今年に入って、手術したすぐ傍に新たな粉瘤が発生している。いずれ手術をしなければならないと思うのだが決断できないでいる。 この病が加齢によるものか一人暮らしによるものなのかは判然としないが、一人暮らしの故にガーゼの取り換えに難儀をしたことは記述しておかねばならない。
August 4, 2011
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妻が千葉県柏市で地震に遭遇したことは前回書いた。更に詳しく書く。 友人というのは小・中学生時代の親友Xさんで、数十年ぶりに再会を果たしたということである。柏の葉キャンパス駅前のららぽーと2階のコーヒーショップで近況を語り合っているときに震度6弱(後に分かったことだが)に襲われたらしい。その際の様子は次のとおりである。<突然の揺れに恐怖に慄いていると、ウエートレスさんのテーブルの下に屈んでくださいの大声。暫くして床が波を打ち始め、あちらこちらのテーブルの上にあったカップやグラスが床に落ちて砕け散り始めた。床が崩壊し落下して死ぬのではないかと覚悟し、最後の別れとの思いで貴方に電話をしたが通じなかった。揺れている間中Xさんと互いに呼び合って励ましあった。揺れが収まると、皆が外に出たので着いていった。一旦駅に向かったが、電車が全面停止でいつ動くか分からないということなので、駅前の広い空地に避難した。避難して暫くして大きな余震が始まった。僅かの間に震度6弱級の地震が相次ぎ生きた心地がしなかった。親友は傍にいると言ってくれたが、自宅が心配だろうということで帰宅を促した。 東京へ帰る手段がないと分かり、これからどうしようかと思い悩んでいるところへ、東京の台東区から所用で来ていたという元看護士のAさんが、「近くの国立循環器病センターなら地震に強いし万が一の場合にも安心。そこへ避難しましょう。」とリーダーシップを発揮してくれた。センターでは帰宅困難者が大挙して押し掛けたにも拘らず、親身になって世話をしてくれた。ある人などは空きベットを提供してもらっていたが、余震が頻繁に起きており大勢の人たちと身を寄せ合っているほうが安心と考え、自分は外来の待合のソファで一夜を過ごした。 その間にAさんは「近くのコンビニでおにぎりを調達してきます。」と場を離れかけた時、「私はかつおとおかか」とリクエストをしたところ、こんな非常時に何をのどかなことを言うのかというような顔をしてコンビニへ行った。そして帰ってくるや「選択の余地はありませんでした。」と強い口調で言われ思わず赤面した。 ともあれ、その後も同じ東京から所用でという気安さから翌日の東京への帰り方まで相談に乗ってもらった。 一夜明けたが、つくばエックスプレスは依然不通状態で運転再開の目途はたっていない。動き始めた東武鉄道と東京メトロ東西線を乗り継いで木場に出る方法をAさんに教えてもらい途中まで同行してもらった。> 以上が、震災当日と翌朝の妻の身の回りで起きた出来事の顛末である。 翌日携帯電話が通じるようになっていたので、連絡を取り合い東西線の木場まで迎えに行った。再会した時に互いの無事を喜んだのは言うまでもないが、その時妻が安堵の余り涙したことは敢えて触れない。
July 27, 2011
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はじめに先の東日本大震災で多数の尊い生命が犠牲になられたことに深い哀悼の意を捧げるとともに被災された多くの方々にお見舞い申し上げなければならない。被災地の一日も早い復興を祈るばかりである。 今は大阪に帰っているが、3月31日まで3年間東京支店の所長をしていたことは以前に書いた。 しばらく、東京勤務時代の出来事を思い出しながら書いてみることにしたい。まず書いておかねばならないのは3月11日に起きた東日本大震災のことであろう。 地震発生時私は某会館の10階で関係先の方とビジネスの話をしていた。突如テレビから緊急地震速報が流れ、東北地方の地図が映し出された。ああ東京には影響はないんだと思った数十秒後に揺れが始った。はじめは大した揺れとは思わなかったが、だんだんと激しくなり、しかもいつまで経っても揺れが収まらない。それまで椅子に平然と腰掛けていたのだが、恐怖を感じてデスクの下に潜り込んだ。揺れは凡そ3分くらい続いたであろうか。 その建物は昨年に新築されたばかりのビルだったので倒壊するという不安はなかったが、いつまでたっても終わらない揺れにかなりの衝撃を受けた。部屋の被害は、卓上のテレビが倒れたのと一部デスクの引き出しが引き出され、壁に掛けてあった写真が一部落下といったものであった。話もそこそこに関係先を後にしたが、帰り着いた支店でほぼ同じ規模の余震に見舞われた。 後で聞けば、最初の地震の震度が東京では5強、後の余震の震度が5弱とのこと。首都圏の交通機関は全面停止状態で高速道は通行止め、動いているのは一般道の車だけ。といっても大渋滞になっているから動いているという表現は当たらないかもしれないが。夕刻になっても公共交通機関が停止した状態だったため東京の街角は帰宅困難者で溢れた。かく言う私も帰宅困難者になったので執務室での雑魚寝を考えたが、午後10時頃メトロの一部運転開始の報を聞き、何とか帰宅することができた。 数日前から上京している妻は、千葉県柏市の友人とツクバEXの柏の葉キャンパス駅の近くでお茶を飲んでいるときに地震に遭遇したらしい。直後にお互いに携帯電話で連絡を取り合ったのだが、予測されたことだが全く通じない。そうこうしている内に神戸の友人から安否を気遣う電話があり、妻との連絡が取れない旨を伝えると、彼が妻に電話をしてくれて無事の確認ができた。 震度5強で首都圏の都市交通機能はほぼ丸一日全面麻痺状態で最先端の携帯電話も地震発生後数時間は通じない。高度な科学技術も自然の猛威の前では無力になってしまうことがあることを改めて痛感させられた。
July 20, 2011
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久しぶりのブログである。今日は2011年7月17日。最後のブログが2009年11月7日だから凡そ1年8カ月ぶりに書く。 私は去る3月31日をもって40有余年勤務した職を辞した。入職したのは東大の安田講堂の学生らによる封鎖が解除され、学園紛争が終焉を迎えた昭和44年の春である。同じ年、ラジオの深夜放送ではどのチャンネルに合わせても夜明けのスキャットが流れ、アポロ11号の月面着陸に世界中が沸いた。 その後、NTTが株式上場し、国鉄が民営化、岡本綾子が全米女子ゴルフの賞金女王になった昭和62年の春係長に昇進。阪神淡路大震災の起きた平成7年課長代理に昇進し被災地支援に関与した。ノストラダムスの大予言が吹聴され、だんご三兄弟が大ブレイクした平成11年課長に。鳥インフルエンザの流行が脅威になり、イチローが大リーグの歴史を変える262本のヒットを放った平成16年次長級に昇進。 茶髪の風雲児と言われた橋下氏が大阪府知事に就任し、洞爺湖サミットが行われた平成20年部長級に昇進し同時に東京支店の所長に。そして、我が国観測史上最大規模の地震と津波更には原発事故に見舞われた東日本大震災が発生した今年の3月定年により退職した。 高度経済成長とバブルの崩壊といった我が国経済の両極を経験し、団塊の世代の先輩方の後姿を追いかけながら、無我夢中で邁進してきた40有余年の職業人生。無事勤め上げることができたのも妻の支えと諸先輩、同僚の皆さんのお陰と感謝したい。
July 17, 2011
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巨人の3勝2敗で迎えた日本シリーズンの第6戦で巨人が日本ハムに2対0で競り勝ち日本一に輝いた。1回裏の日ハムの攻撃時に東野が打球を受けて降板したときには、勝利の女神は巨人を見放したと思ったのだが、二番手の内海が毎回のように走者を出しながらも要所を締めて得点を許さなかったのが大きかった。その後の山口といい越智といい絶好調時と比較すると5割くらいの出来で原監督もさぞかし「ハラハラ」したと思う。レギュラーシーズンで年間70試合も登板しているのだから疲れもピークに達しているのだろう。最後を締めくくったクルーンはいつものことながら安心して見ていられない。稲葉の不振に助けられたと言うべきである。ともあれ勝ちは勝ち、優勝は優勝だ。選手の皆さんには暫し日本一の余韻に浸っていただいて、しかし奢ることなく来季の日本一を目指して精進してほしい。
November 7, 2009
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MLBのワールドシリーズでNYYが優勝した。我らが松井選手のツーランホーマー、2点タイムリーヒット、2点二塁打の合計6打点という大活躍でである。しかも1試合6打点は1960年のワールドシリーズ以来のタイ記録のおまけつきである。試合中にも関わらずスタンドのファンがMVPコールをしたとおりMVPに輝いた。これで来季もNYYでのプレーが期待できるというものだ。オフの期間中に膝の具合を完璧に治して来年の開幕試合でのレフト松井のコールを祈念する。
November 5, 2009
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31日は朝から風雪が強くゲレンデに行く気力が萎えている。妻を放置して自分だけが楽しんでいるという気兼ねもある。それで、車で30分くらいのところにある天上の露天風呂馬曲温泉に妻と二人で出かけることにした。雪の積もる露天風呂から木島平のスキー場が見える。少し温めのお湯だが長く浸かっていると心地が良い。 午後からはゲレンデに上がって昨日学んだ基礎を繰り返し練習する。心なしか巧くなった気がする。 年が明け1月1日はツアーの最終日。午前中はフリースキーを楽しむ。コブの急斜面も何となくコツがつかめつつある。 午後から妻と再び馬曲温泉へ。昨日と違ってお湯が熱い。ただ人が多くゆっくりと入っていられなかったが至福の一時を過ごすことができた。 以前に比べるとスキーに出かける機会がはるかに減少しているので進歩が遅いと認識しているが、友人の評価は「実に巧くなったなあ」。その意味が自分より巧くなったということなのかは不明だが、そう受け止めて励みにしようと思う。
January 14, 2009
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29日は昨夜から雪も上がり朝から快晴。昨日の滑りで気になった点を確認しながら滑る。しかし、身についた癖は中々直らないものである。ただ雪に対する慣れによって達成感、充実感は確実にが増してくるのは事実である。 30日は一日スクールに入った。午前中は、プルークスタンスでのトップアンドテール、トップコントロールの練習、内足に重心を置いての斜行といった基礎中の基礎をひたすら繰り返す。まずプルークスタンスで斜面を下に向かって歩くことから指導される。これは内足を軸に外足を動かすことを分かりやすく教えるためのバリエーション。これは何とかこなせたが、次に外足を斜め前に押し出しながら滑るバリエーションになると外足だけが斜めに行って内足がついていかないのでスタンスが広がりすぎてしまった。次に外足を伸ばして内足をたたむプルークターンを教えてもらったが巧く体現できない。たかがプルークされどプルークである。 午後からはパラレルでスピードを上げて滑る練習を行う。いわゆるカービングの練習である。先生曰6時の地点でスキーの内足と外足に前後差がつかないよう内足を後ろに引き外足を前に出すようにと教えてくれる。 午前中はお褒めの言葉が余りなかったが、パラレルターンは概ねOKとの評価を受ける。ただ、内足がズレることがあるので、内足に重心を置いての斜行を重点的に練習するよう指摘された。でもそれはそれで一つの滑りだから気にすることはないとも言われる。
January 12, 2009
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毎年末年始の恒例となっている友人との野沢温泉スキー場へのスキー旅行に今年も行ってきた。直前に妻が右足の甲を骨折したので行くこと自体危ぶまれたのだが、補助具なしでの歩行が可能となり、湯治気分で同行すると言うので挙行することにしたのである。12月27日午後10時半野沢温泉村に向け自宅を出る。北陸道の随所でチェーン規制がかけられている。この雪で全てのゲレンデが滑走可となること念じつつ車を名神経由中央道へと走らせる。 28日午前6時頃予定の時刻に定宿丸中ロッジに到着する。朝食時間の7時半までは少し時間があるので仮眠を取る事にする。 朝食の1時間後にはゲレンデに出かける準備が完了している。後で妻から聞いた話だが、宿のご夫婦が、「○○さん達は徹夜のドライブだし、年齢も年齢だから10時頃にゲレンデに出かけるのではないかと思っていたら朝食後すぐに出かけると言うので驚いた。」と言っていたとのこと。 ここ数年体力の衰えを痛感していたのだが他人にはそうは見えないらしい。それよりも64歳と67歳の友人の体力には驚かされる。 さて、一年ぶりのスキーの感触は足元が不安定で何とも心もとない。それでも何本か滑っている内に勘が戻ってきた。だが、友人から小回りの左ターンの6時に向かうところでプルークが現れるが、ブレーキングをし過ぎるのではないか?との指摘を受ける。一方、大回り、中回りはどんな風なのか指摘はなかったが、自己評価をすると大回りはターンが大きすぎるような気がするし、中回りはS字のターンが不十分、つまり6時の位置を通過せず次のターンに入っているような気がする。更にスタンスが広くなりすぎているようにも思う。コブ斜面では溝が深くて細いところには入る勇気がまだないが、斜度が緩やかなところではリズムよくターンできるようになった。これは大きな成果である。ただ、調子に乗ってスピードを上げすぎるとクラッシュしてしまうのは課題である。オーバーなくらいの膝の曲げ伸ばしを意識しなければならない。
January 10, 2009
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久方ぶりの東京見て歩きである。 11月の一日地下鉄有楽町線で一駅のところの「豊洲」に行ってきた。 豊洲は大正12年の関東大震災の際に大量に発生した瓦礫処理で埋め立てられた地域で近年まで火力発電所が立地するなど工業地として発展をしてきた。今は再開発、区画整理によって商業地、住宅地への移行が進んでいて、高層マンションの建設ラッシュとなっている。また東京オリンピックの招致に伴い築地市場の移転も予定されているが、こちらの方は土壌汚染の問題が明らかになり果たしてどうなることやら。 訪れた「アーバンドックららぽーと豊洲は」62,000M2の面積に180の店舗が進出するショッピングセンターで、フードショップ、シネコン、紀伊国屋書店、東急ハンズ、キッザニア東京等が主要なテナントである。中でも、キッザニアは幼児・児童が仕事体験をできるユニークな施設で近年人気のスポットとなっている。自分は本を買うのが目的で紀伊国屋書店に行ったのだが目的の本が見つからず早々に帰宅したが今度は時間をかけて街を散策したいものだ。
December 13, 2008
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妻が右足小指側の中程(第5中足骨体)を骨折した。10月20日の朝のことである。上京の準備のために脚立を使って旅行用の鞄を下ろそうとして誤って転落し骨折したらしい。 不幸中の幸いというべきか単純骨折だったため手術の必要がなくギブスの固定だけで済んだ。無論当人にとっては骨折の痛み以上にギブスでの固定の重みと不自由さが苦痛のようだ。骨折というのは患部を固定し時が過ぎ行くのを待つしか治療法がない。事故から40日目にして漸くギブスが取れたが、足首の動きがスムーズに行かず、強い痛みがまだ残っているらしい。年末年始の恒例にしている野沢温泉へのスキー旅行。妻には気の毒だがスキーは無理なので、13ある村の温泉で患部の治療に専念するしかない。
December 7, 2008
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10月の3連休を活用して帰阪し、マイカーを駆って信州、八ヶ岳、軽井沢方面へドライブ旅行をした。 信州の紅葉情報を見ると霧が峰や八千穂高原の紅葉がこの3連休に見ごろを迎えるとある。例年10月の25日過ぎから11月の初旬に信州を訪れているのだが、この頃だと白樺や楓の紅葉は既に見ごろを過ぎていて、随分消化不良の思いをしていた。 例によって未明の出発である。午前4時までに高速道に入らないと折角のETCの効果-4割引-がないからである。それにしても天気のいい日の夜明けのドライブは気分が最高である。眠気もどっかに飛んでいってしまう。難点は東に向かって走行するので朝日が目に入ることだ。中央道を飯田から松川に向かうところでハプニングが発生。4キロ先火災事故・走行注意の表示が。すると前方を1台の消防自動車がサイレン鳴らしながら走っている。現場では3台の乗用車が路肩に停車していて、先頭の車が炎上している。まるでアクションドラマのシーンである。現場を通過したとき車内に熱が伝わってきた。火の力というのは恐ろしいものである。見通しのいいところで何故このような炎上事故が起きたのか、乗車していた人は無事なのか、などと思いながら現場を離れた。 朝9時頃岡谷からビーナスラインに入る。暫く走ると黄、紅、緑のコントラストが鮮やかな山々が目に飛び込んできた。助手席の妻が「わー!きれ~い!」と何度も叫んでいる。ほどなく霧が峰の北西部にある八島湿原に到着。思ったより寒くない。遊歩道を散策する。遊歩道の右手は銀色に輝くススキ、左は赤黄色に染まったクサモミジの湿原、そして池に映る青い空、前方の雑木林は黄や紅に染まっている。感動の瞬間である。「連れて来てくれてありがとう。」の妻の一言がうれしい。八島湿原を後にビーナスラインを霧が峰のビジターセンターへと走らせる。初夏から盛夏にかけてレンゲツツジやニッコウキスゲが素晴らしい霧が峰は秋には黄に染まった岳樺や紅色の楓がドライバー達の目を楽しませる。車山の麓を抜けるとそこは白樺湖である。対岸の山々も黄葉しており正に絶景。遠くには富士山が雲の上から顔を覗かせている。 蓼科高原に入ると見通しのきかないドライブになる。霧が峰に比べて標高が少し低いせいか黄葉は始まったばかりといったところ。唐松林はまだ青々としている。原村に入ると八ヶ岳、南アルプス、富士山がくっきりと見える。昼食のために立ち寄った八ヶ岳中央農業実践大学校では観光用の熱気球が浮かんでいた。富士見高原では唐松に絡みつくツタが紅く色づき始めている。唐松の葉の黄色とツタの紅色のハーモニーが油絵のように見ることができるまでにはもう一息といったところである。南八ヶ岳の麓をめぐる八ヶ岳高原ラインの黄葉も未だ始まらずといったところ。柳生博さんが経営する八ヶ岳倶楽部は相変わらず観光客で大賑わい。フルーツティを飲みながら暫し休憩しているとテラス席で柳生博さんが友人とワイングラスを傾けている。傍らに中世の魔女と見紛うような柳生婦人の姿が。真吾さんは相変わらず忙しそうに飛び回っている。標高1100メートルにある倶楽部だが雑木林に秋が訪れるのはもう少し先のようだ。 山梨県立まきば公園、清里大橋を経由して本日の宿「アウル」に入る。庭のツリバナが真っ赤に染まっていて、山法師や白樺の黄葉はこれからのようだが、標高1003メートルのこの静かなペンションには秋の足音が着実に忍び寄っている。夕食の京懐石は大変美味。ホタテの料理も絶品だ。思えばこの宿を訪れるようになって12年(19回目)になる。そう言えばこの宿の上のお譲ちゃん高校生になったとか。自分も歳を取るはずである。一夜明けても天気が良いので宿の付近を散策した。南アルプスの甲斐駒ケ岳が眼前にくっきりと見える。冠雪にはもう少し秋が下る必要があるようだ。北に目を転じると八ヶ岳が見えるのだが山頂付近に雲がかかっている。いずれにしても山には雪がお似合いだ。朝食後八千穂高原に向かう。八千穂高原に行くには小海線の八千穂から奥蓼科に抜けるメルヘン街道と称される国道299号線を西上する。ワインディングロードを30分ほど上って行くと黄葉した白樺林が出現。白樺の白と黄葉のハーモニーは前日ビーナスラインで見た山々の黄葉を凌駕している。入場料300円を払って八千穂高原自然園に入ると木々が紅や黄に染まっていて感動的。6月の高原の貴婦人やレンゲツツジも感動的だがそれに匹敵する素晴らしさである。この感動を胸に収めて車を白駒池、麦草峠に走らせようと上って行くと山々の黄葉が一際鮮やかに。ところが、もうすぐ白駒池というところで大渋滞に巻き込まれた。聞けば白駒池の駐車場に入る車で片側が完全に塞がれているとのことで止む無くUターンしたのだが最高のビューポイントに到達できなかったのは何とも心残りであった。 八千穂高原から軽井沢への道で特筆すべきことはない。XIV軽井沢の中国料理は相変わらずで我々を飽きさせない。 翌日はゴルフ。天気が悪かったがスコアは久しぶりの80台。 最終日は観光農園で各種のりんごを買い求めて帰途に着いたが、軽井沢はともかく霧が峰、八千穂高原の黄葉が感動もので大満足のドライブ旅行であった。
November 9, 2008
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10月最初の休日台場のシネマメディア-ジュで「容疑者Xの献身」を観た。シネマメディアージュは日本のシネマコンプレックスのパイオニア的存在で、13スクリーン3000席を誇るお台場の名所である。テレビで高い視聴率を上げた東野圭吾原作の人気ドラマ「ガリレオ」の映画版だけに前評判が高く入場制限があるかもと思いつつ、封切初日の一番を観に行ったのだが、観客席は人影が疎らな状態であった。こんなことでは興行的に失敗ではないかと思ったのだが、その日の夜のニュースによると、上映に先立ち出演者の福山雅治や柴咲コウ、堤真一、松雪泰子らが舞台挨拶に立った都内のある映画館では約1000人のファンが詰めかけたらしいから評価は先送りする必要があるだろう。 さて、ストーリーであるが、ある日、貝塚北署管内の大田区の大森スポーツ広場で、死体が発見される。被害者の死亡推定時刻は12月2日午後6時から10時の間。捜査には内海薫刑事(柴咲コウ)らが当たることになる。 被害者は全裸で、指紋は全て焼かれ、顔も鈍器のようなもので潰されていた。難航すると思われたが、捜査開始まもなく身元が判明。経歴から元妻の花岡靖子(松雪泰子)が捜査線上に浮かび上がる。 靖子は富樫と結婚する前の夫との間に生まれた中学生の娘・美里(金澤美穂)と江東区のアパートで二人暮らし。以前は錦糸町でホステスをしていたが、今は日本橋浜町で弁当屋「みさと」を経営している。内海は早速靖子を訪ねるが、事件当日のアリバイがあった。 帰り際、靖子の隣に住む男・石神哲哉(堤真一)が通りかかり被害者の写真を見せながら12月2日の隣家の様子を聞くが写真の男は見たことないし隣家にも何も変ったこともなかったと返事する。 その時郵便受けから取り出した郵便物に帝都大学の文字が。どうやら湯川と同じ大学出身らしい。内海は捜査協力を依頼するために湯川のもと訪れるが、「アリバイなんて科学と何の関係もない」と突っぱねる湯川。 だが、靖子の隣人が石神だと聞いた直後湯川の顔色が変る。そして、石神こそ本物の天才だと言う。 数日後湯川は石神のもと尋ね、17年ぶりの再会を果たす。石神の部屋でウイスキーを飲みながら、有名な数学難問P≠NPの最新レポートを見せて「この結論が正しいかどうか君に判定してほしい」と頼む。石神は夜が明けて問題が解けたことを知らせ反証が間違っていることを指摘する。そんな石神の天才ぶりに「安心したよ」と言う湯川。しかし、別れ際に言った石神の「いつまでも若々しいなあ。君が羨ましいよ」の言葉に湯川は違和感を覚え、石神が犯行に関与していることを察知する。そして、独自の調査を始める湯川は次第に真相に近づくが同時に苦悩する。そんな湯川に戸惑う内海。果たして真犯人は?湯川の推理がこの事件の全貌にたどり着いたとき湯川が取った行動とは・・・・・。 全てを論理で語ろうとする湯川と時として感情的になる内海とのやり取りはテレビの「探偵ガリレオ」でもお馴染みのシーンで笑いを誘う。が終始無表情の石神と殺人を犯して極限状態の靖子の表情を見ていて役者の演技力のすごさを改めて認識した。その中で、映画ではラストの方で明らかになるのだが、石神と花岡親子の最初の出会いつまり、石神が将来を悲観して部屋の中で自殺をしようとしている時に、引越しの挨拶に訪れた際の花岡親子の天使のような笑顔が重苦しいテーマの映画の中で一服の清涼剤になっている。
November 4, 2008
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過日2006年第134回直木賞受賞作の「容疑者Xの献身」を読み終えた。作者は大阪出身の作家東野圭吾氏でエンジニアとして働く傍ら1985年に「放課後」で江戸川乱歩賞を、1999年には「秘密」で第52回日本推理作家協会賞を受賞するなど幅広い作風で多数の本格推理小説や社会派推理小説を世に出している。 中でも、1998年刊行の「探偵ガリレオ」、2000年刊行の「予知夢」は、変人ガリレオと呼ばれる天才的物理学者湯川学が、大学同窓の草薙刑事からの要請でオカルト的事件を論理的に解釈し、それを実証するための実験を通して事件を解決に結びつける理系ミステリーの短編集で、氏の理系の知識をフルに具現化した作品となっている。 「容疑者Xの献身」は、このガリレオシリーズ初の長編作品で、大学の同期で友人の天才数学者石神哲哉の犯罪を湯川が苦悩しながらも暴いていく物語である。(以下ネタバレ注意) 物語は3月上旬のある日。数学教師の石神が通勤経路にしている隅田川テラス沿いで暮らすホームレスの朝の光景の描写から始まる。ブルーテントの傍で歯を磨く男、空き缶を潰している男、自前のブルーテントが無くベンチで工業系の雑誌を読んでいるホームレス初心者。この何でもない日常の描写が後に大きな意味を持つことになる。テラスを通って立ち寄った先は隣人花岡靖子が勤める弁当屋。石神はここで弁当を買うのが日課になっている。花岡靖子に会いたいがために。 その日花岡靖子のもとに前夫の富樫が現れる。富樫は優しい男だったが会社の金の使い込みがばれてクビになってからは、定職にもつかず生活は荒れ、妻に暴力を振るう始末。靖子は、やっとの思いで離婚はしたものの何かというと金を無心され、娘の美里にまで悪影響を及ぶのを恐れていた。そんな時に富樫にアパートにまで押しかけられた花岡親子は衝動的に富樫を殺してしまう。その時隣人の石神が訪ねてきて、自首する気があるなら別だがないなら手を貸すと言い出す。そして「あなた方にはアリバイが必要です。私の論理的思考に任せてください」と。 3月11日旧江戸川の河川敷で顔が潰され指紋も焼かれた男の全裸死体が発見される。数少ない遺留品から死体が富樫と断定した警察は富樫の元妻靖子に疑惑の目を向ける。しかし、靖子親子には完璧とは言いがたいがアリバイがある。 草薙刑事からこの事件の事を聞かされた湯川は花岡親子の隣人が石神と聞き、独自にこの事件を追う。20年ぶりに会った数学以外興味がないと信じていた石神から「湯川はいつまでも若々しいな」という何気ない言葉に彼の事件への関与を確信する湯川。 二人の間で交わされる「四色問題」、「P≠NP(数学の問題に対し、自分で考えて答えを出すのと他人から聞いた答えが正しいかどうかを確認するのとではどちらが簡単か)」、「人には解けない問題を作るのとその問題を解くのとではどちらが難しいか。ただし解答は必ず存在する。」等の会話にみられるように、お互いを理解し信頼できる無二の友ということがうかがい知れるエピソードを挟んで物語は急展開していく。 その後、草薙刑事から石神の「幾何と見せかけて関数の問題を出す。思い込みによる盲点を突く」と言う言葉を聞かされ、そしていつか、ホームレスの生活を「いつもと変わらない。彼等は時計のように正確に生きている。」と言った石神の言葉から、彼の仕掛けたトリックの全容を突き止める湯川。 男が愛する人のために尽くすことは誰も疑わないであろう。だがこの物語の「献身」の意味はそれとは違う。最後に石神の仕掛けたトリックと彼の献身の理由が明らかになったとき余りにも切ない結末に涙した。。 この作品を巡って本格論争があったと聞くが、枝葉の議論はその道のマニアに任せるとして、流石直木賞作品。私は改めて東野圭吾の虜になった。
October 27, 2008
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9月のある日渋谷の東急セルリアンホテルで上方落語会があった。三代目桂春団治や桂文珍、林家染丸、笑福亭松喬、桂小春団治等上方落語の人気者が出るというので観に出かけた。渋谷繁昌亭は今年で4回目を数えるとのことだが、NHKの朝の連続ドラマ「ちりとてちん」の影響なのか東京でも上方落語が人気で、この日も凡そ500の席が満席になっている。 その殆どが年金暮らしの高齢者で、文珍などはまくらの部分で「今回が初出演。東京のお客様は高齢化が進んでますな。最初から出てれば若い皆さんにお会いできましたのに。」と細かいギャグを飛ばしていた。 出演順に出し物を紹介する。トップバッターは若手の桂あさ吉。「四宿の屁」の上方落語バージョンで、新婚の夫婦の妻が布団の中で思わず「プーッ」としてしまい横で眠っている旦那を起こし、「アンタ~今地震があったの知ってなはるか?」と尋ねると旦那が「気がつかなんだけどそれは屁の先か後か?」という小噺。 次は小春団治の「大名将棋」。殿様が家来を相手に将棋を指すが、殿様のルール無視に家来は負けてしまう。すると殿様は「戦に負ければ領地没収、身は切腹は当たり前」と言いながら鉄扇で家来の頭をぴしゃりと打つと家来の頭からは血が流れ出る。そこへ病気療養中だった堅物の頑固爺やが殿を諌め家来が困るような将棋を止めさせる。ところが懲りない殿様は、今度は落とし話を家来に無理やり聞かせて笑わそうとするがそれがとんでもない駄洒落。「大阪夏の陣で真田幸村に徳川家康があわや打たれるという時に幸村めがけて天津甘栗を投げつけると不思議や幸村は逃げ出した。」曰く「軍師甘栗に近寄らず」「軍師危うきに近寄らず」「君子危うきに近寄らず」。この話を聞かされ無理やり笑うことを強要された家来は「殿の落とし話を聞きますと頭の中が痛い。」というサゲ。 次の松喬の噺は「壷算」。世間では買い物名人、買い物天狗と言われる男が友人に頼まれて壷を買いに行き一荷入りの壷の値段で二荷入りの壷を買うという噺。初めに一荷入りの壷を3円で買い一旦帰る。暫くして店に戻り、一荷入りを買うたけどホントは二荷入りが欲しいと二荷入りの壷を6円で買う。そして一荷入りは要らないから下取りして欲しいと主人に要求。主人は3円で下取りすると答える。すると男は先に支払った3円と下取りの3円の壷と合わせて6円だからと壷を持って帰ろうとする。初め納得していた店の主人だが「ちょっとお戻りを~。ちょっとお勘定の方が~。壷は6円ですがお金が3円しかないんですが~。」男は怒ったふりをして「下取りの壷を忘れてやせんか。今は壷やけどいずれ3円になるやないか。」混乱している主人半泣きになりながら「そうでしたなあ。お金が3円と壷の3円。この壷の3円が釈然としまへん。も~持っていっとくんなれ~」男はほくそ笑みながら「こっちの思うツボや。」というサゲ。名人松喬の表情にお客は大爆笑。 春団治の噺は「お玉牛」。村一番の別嬪のお玉に夜這いを企てた村男を追い払うためにお玉の寝床に牛を寝かせてびっくりさせる噺で、お玉の父親に見つかった村男「やらしいことを考えてお玉のところに忍び込んだきたんやろ!そうはいけへんわい!代わりに牛寝かせといたんや!どうじゃこれでもまだ忍び込んでくるか!」村男は「相手が牛だけにモーッ来ません~」。 羽織を一挙に脱ぐ春団治得意の技と男の色気を感じさせる歩くしぐさ踊るしぐさ。久しぶりに師匠の名人芸を見た。 文珍の話は「茶屋迎い」。まずまくらの部分で笑わせてくれるのが文珍。『父親の臨終の場で私が「お父ちゃんがんばれよ」と言うてる横から母親が「ボンさん何人呼ぶ?」「・・・・要らんこと言うな、お父ちゃん頑張ってるんやさかい」「もう聞こえへん思うよ」と言うてたら父親が蚊の鳴くような声で「聞こえてるで・・・」それが最後の言葉でした。』会場は大爆笑である。 さて「茶屋迎い」というのは、大阪船場の商家の若旦那が店の金を持って茶屋に遊びに行ったまま戻らない。旦那が番頭を呼び若旦那の迎えに誰かを行かせるよう指示するが、若旦那はおろか迎えに行った者も誰一人として戻ってこない。親不孝者がと業を煮やした旦那が飯炊きの権助の着物を借りて迎えに行く。茶屋に着いた旦那は茶屋の仲居に若旦那への取次ぎを依頼する。仲居から身なりを聞いた若旦那。権助が迎えに来たと思い、部屋に招じ入れようとすると番頭が権助は酒癖が悪いから部屋に入れるのはよくないと言う。それならばということで旦那は別の部屋で待たされる。そこで一人飲んでいると部屋を間違えた芸妓が入ってきて「あら部屋間違えた。あら!あら!丹波屋の旦那さんですか?」「小雪か?久しぶりやなあ」さしつさされつする内に旦那が小雪をぐいと引き寄せ抱こうと肩に力が入ったところへ、「お迎えの方!若旦那が帰りまっせ!」それを聞いた旦那は「親不孝者め!!」 オオトリ染丸の噺「三十石」は、京都伏見と大坂八軒家浜を上り下りする三十石舟に乗る客と船着き場の番頭や船頭らのやり取りを描写した噺。役所からのお達しで乗船名簿を作らなければならない船着場の番頭が、鴻池善衛門、住友吉左衛門、小野小町、弘法大師等と悪ふざけをする一筋縄では行かない乗客相手に苦労する話。そして、満員状態の舟にあと一人お女中を乗せてやって欲しいと言う船頭の要請に皆が反対する中で、一人の男がやむを得ないから自分のひざの上に乗せると言い出し、ところがそのお女中が80の老婆と分かり「船頭お女中は~い!」船頭「二十歳のお女中が4人連れで行ったと思え」と言われ皆から冷やかされる話などを乗せて舟は大坂へ大坂へと下っていく。染丸の舟唄と唄の合間の艪が軋む音のハーモニーが見事であった。 それにしても上方落語の大物をこれだけ集めて5000円とは安い。
October 9, 2008
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9月の最後の休日に墨田区の東向島にある「向島百花園」に行った。東京メトロ有楽町線を永田町で乗り換え、半蔵門線の終着駅押上まで行き、東武伊勢崎線の二駅目の東向島駅で下車し、歩くこと5分で目的地に到着した。 萩祭の最中とあって流石に人手が多い。しかも殆ど年金暮らしの高齢夫婦の二人連れである。少数だが三脚を構えている写真愛好家も。自分も愛機を持参しようかと思ったのだが、祭の最中だから人手が多いだろうと考え断念したのである。園内では萩のトンネルが人気で記念のスナップ写真を撮る人が多くスムーズに移動ができない。萩の盛りが過ぎていたからなのかそれとも人工的に作られたトンネル所為なのかさほど感動がない。寧ろ奈良の白豪寺の萩のトンネルの方が立派に思う。 それでも、女郎花、露草、水引草、南蛮煙管、山不如帰等の秋らしい草花は心を癒してくれる。園内では茶会が催されていて順番を待つ和服姿の女性の列ができている。 それを尻目に園を後にしてかつての花街を散策することに。向島は大震災や第二次大戦時の大空襲を奇跡的に免れた地域で、築100年近い木造家屋が建ち並ぶレトロな雰囲気の街である。東京に6箇所ある花柳界の中でも最大の120人の芸妓がこの街に住むらしい。自分が歩いた羽子板資料館のある鳩の街商店街は、かつての赤線地帯だそうだが今やその面影はない。 街角を歩いていて三味線の音色に乗せて、♪水の出端と二人が仲は♪♪堰かれ逢われぬ身の因果♪ と小唄が聞こえてきたような気がし足を止めて耳をすましてみたが、季節はずれの風鈴の音色であった。
October 4, 2008
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9月25日(木)職場のスタッフと原宿にあるペニー・レインというバーに行った。ペニー・レインは昭和49年にビートルズの曲「ペニー・レイン」を店名にして開店したスナック喫茶で、店内では常にビートルズのナンバーが流れ当時のフォーク系やニューミュージック系のミュージシャンが多数来店することで知られていた。この年の末に吉田拓郎が作曲した「ペニー・レインでバーボンを」がヒットするや、人気スポットとして全国的に有名になったところである。 その後時代の流れの中で1990年に閉店の憂き目を見たのだが、団塊の世代の熱き思いに答えるかのように2006年、当時の場所から数メートル離れた場所に復活・再オープンしたのである。 7時半頃店に入ると1階のバーカウンターに人影がなく、2階の30席程度のライブスペースでは3組の客が大プロジェクターに映し出された拓郎若かりし頃のライブ風景を見ながら静かに飲んでいる。カラオケバーの乗りで来た我々は、余りの静かな雰囲気にヒソヒソと会話をするしかない。ともあれ何か飲まないことには始まらないということで、ある者はコロナビール、ある者はターキー、またある者はハーパーと各人思い思いのお酒をオーダー。 暫くすると店のオーナー?がステージ上に現れ、フォーク酒場の開始を宣言し常連客の名をコール。名前を呼ばれた人はギターを弾きながら70年代に流行った山本コータローとウィークエンドの「岬めぐり」や拓郎の「どうしてこんなに悲しいんだろう」等の懐かしい曲を歌いだす。わがスタッフからは代表選手としてM君がステージに上がり、ギターを弾きながら伊勢正三の「22歳の別れ」や拓郎の「落陽」、赤い鳥の「翼をください」等を熱唱し拍手喝采を浴びる。 場違いな所に来てしまったという思いは、飲みかつ熱唱を聞くにつれ消えてしまい、M君と常連客のプロと思しき人とのコラボで弾き語りをした「ペニー・レインでバーボンを」で最高潮に達し予定の時間は瞬く間に過ぎてしまった。「ペニー・レインでバーボンを」吉田拓郎作詞作曲時がたってしまうことを 忘れてしまいたい時があるよねすべてのものがなにもかも 移り変わってはいるものの何となく自分だけ意地を張り通して さからってみたくなる時があるよねどうせ力などないのなら 酒の力を借りてみるのもいいさこうして今夜も原宿ペニー・レインで 原宿ペニー・レインで飲んだくれている今夜もしたたか酔っている「Penny Lane」The Beatles In Penny Lane there is a barber showing photographs Of every head he's had the pleasure to know And all the people that come and go stop to say hello ペニー・レインの 床屋さんは 写真が自慢見るとお客さんの頭 お近づきの記念なんだそれとみんなの写真 こちらは立ち寄った記録だね(ペニー・レインはリバプール市の中心の南東部郊外の実在の通りでポールやジョンが子供の頃遊んでいた。)
October 3, 2008
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9月のある休日恵比寿ガーデンプレイスにある東京都写真美術館に行った。地階と2階の展示室では、液晶絵画展が開催されている。液晶絵画という耳慣れない作品展に興味をそそられ足を踏み入れると、そこは液晶ディスプレイをキャンバスに見立てて絵画ならぬ動画や静画のスライドショーが表現されている。 中でもフェルメールの「耳飾りの女」と「絵画芸術」を模した作品は大変ユニークで作品の前では多くの人が足を止めている。フェルメールの「耳飾りの女」は左後ろに振り向き加減の女性の上半身を描いた作品だが、液晶絵画の方は始めは読書をしている女性の全身が液晶ディスプレイに映し出され、徐々にズームアップしていって、最後にフェルメールの作品と同じに変化していくというものである。無論女性は別人に描かれている。 一方フェルメールの「絵画芸術」は画家がトランペットを持つ女性を描いている様を描いている作品で、他方液晶絵画の方は画家が女性を描いている様を別の画家が隣室から写真撮影している光景をディスプレイに表現しているものである。いずれも我々凡人には思いもつかない着想で表現されていて見事としか言いようがない。 3階の展示室では、「ヴィジョンズオブアメリカ」展が「わが祖国」というテーマで催されている。第一次大戦が終結した1918年からケネディが大統領に就任した1961年までを時代背景としてアメリカの各地の風景や人々の営みがモノクロ写真で表現されている。中でも1944年6月6日のノルマディー上陸作戦時の一人の兵士の写真は、手振れを起こしているが臨場感あふれる作品として高く評価された。 その他ハリー・キャラハンの「エレノア」やアンセル・アダムスの「月の出」等強く印象に残った作品が多数あった。日本人の写真家三木淳や林忠彦の写真も展示されていて、日本人写真家の技術の高さを物語るものとなっている。 いつまでもこの場に留まっていたいという気持ちを抱きながら外に出ると、外はすっかり秋の空。次の休日にはカメラを担いで「東京ぶらり見て歩き」と行くか。
September 28, 2008
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9月の3連休の中日に調布市深大寺にある野草園に行った。月島から都営地下鉄大江戸線に乗り森下で都営新宿線に乗り換え、更に新宿で京王線に乗り換え調布下車。目的地の野草園であるが、凡その方角は見当を付けていたが地図を持参しなかったため、迷いながら歩いたので本来15分程で到着するはずが30分もかかってしまった。 30分間市内を彷徨い歩いた印象は、閑静な住宅街だがあちこちに田畑が残りどこか懐かしい感じがした。 野草園自体はそれほど広くなく、しかし、300種1万本の野草が四季折々に可憐な花を咲かせるらしい。この時期は萩や女郎花等の秋の七草の他露草、秋海棠、ミズヒキ草などが見ごろを迎えている。 カタクリの花や蛍の時期は大勢の人で賑わうらしいのだが、この日は約1時間の滞在中自分以外に二人の老婆に出会っただけであった。地味な植物だけにそんなものかもしれないと思いつつ持参の銀塩カメラで可憐な花々のクローズアップを撮影して帰った。
September 23, 2008
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9月のある一日埼玉県日高市の巾着田に花風景の写真撮影に行った。巾着田の名の由来はその水田の風景が日和田山頂から眺めると巾着の形をしているかららしい。巾着田はシーズンになると100万本の曼珠沙華が花を咲かせる。また休耕田を活用してコスモスも植わっていて、この時期両方を楽しむ人々で田舎町が大賑わいになるらしい。 明日から花祭という日人出を避けるために銀塩カメラを担いで花撮影へと出かけることに。月島から有楽町線に乗り入れている西武池袋線の飯能まで直通。西部秩父線に乗り換え高麗で降りるとそこは巾着田の入口。祭の前日とあって人出は多くない。歩くこと15分で目的地に到着。 曼珠沙華の早咲きのエリアの見頃は20日頃とのことだがそこそこの開花状態。早速クローズアップを中心に約1時間で数十枚撮影する。出来上がりを見てみないと何とも言えないが満足のいく写真が何枚かはあるはず。 その後秋桜畑の方に移動し数枚撮る。空を見上げるとついこの間まで積乱雲が一面を占めていたがこの日は秋の雲が。最後に秋の空を背景に秋桜を撮った。現像の出来上がりが楽しみである。
September 15, 2008
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9月6日(土)目黒にある国立科学博物館付属自然教育園に行った。野に咲く初秋の花が見頃と聞き写真に収めるためである。 先年、銀塩カメラの魅力を改めて知り、機会があればと里の風景や野山の草花を愛機Canon Eos55に収めてきた。気に入った写真は我がホームページにアップしている。訪れてくれる人の心の癒しになればと始めたのだがもとより自信作はまだない。 山手線の目黒で下車、白金台を歩くこと約10分で目的の自然教育園に着いた。受付で入園料300円を支払い引き換えに渡されたピンクのリボンをウエストポーチに付けて園内に入る。この地は江戸期には高松藩の下屋敷、明治期には陸海軍の火薬庫、大正期には白金御料地、そして戦後、歴史的に一般の人が立ち入ることができなかったが故に豊かな自然が残されたことから全域が天然記念物に指定された。落葉樹や常緑樹の森を順路に従って進んでいくと両側にユウガギク、キンミズヒキ、ヤブランなどの草花がひっそりと咲いている。池の傍では吾亦紅、アザミ、ミソハギなどが初秋の気配を漂わせている。3時間ほど園内を彷徨い36枚撮りのリバーサル1本を撮り切ったが果たして出来栄えはどうであろうか。
September 14, 2008
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都電荒川線沿線見て歩きの続きである。 王子駅で降りて向かったところは名主の滝公園。ガイドブックによるとこの公園は、男滝、女滝、独鈷の滝、湧玉の滝の4つの滝があって、ケヤキや山モミジなど数百本の木々が植えられている回遊式庭園である。公園にたどり着いた頃には折悪しく天俄かに掻き曇り辺りは日没時のような暗さになり、重い思いをして持参した銀塩カメラのシャッターを切ろうにも機能しない。<上の写真は携帯カメラで撮ったもの> 雷雨が気になるので早々に公園を後に元来た道を王子駅へと急いだ。が時既に遅く大粒の雨がぽつりぽつりと落ち出し、駅に着く頃には雨だけでなく風も強まってきた。自分は折りたたみの傘を持参してきていたので事なきを得たが、多くの人たちは急激な天候の変化に右往左往していた。 その後四たび都電に乗り終着駅三ノ輪橋に向かう。しばらくするとあれだけ激しく振っていた雨も小止みになり、三ノ輪橋に着く頃には完全に上がっていた。 終着駅を降り立ち向かったところは駅前商店街の奥に佇む銭湯「大勝湯」。古びたビルの一階の暖簾をくぐるといきなり「きたない人くさい人お断り」の張り紙が目に入った。何を拒もうとしているのか知らないが自分には理解できない張り紙だ。でも中はジェット風呂に電気風呂、加えて和倉温泉、草津温泉の薬湯となかなかグッド。一応全ての浴槽に浸かり一日の疲れを癒した。 時間の関係で降り立ちたい駅をいくつか割愛したのでそぞろ歩きに適した季節に再チャレンジするつもりである。
August 30, 2008
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8月のある一日ふと思い立って都電荒川線に乗ることにした。都電荒川線は新宿区の早稲田から荒川区の三ノ輪橋までの約13キロを結ぶ路面電車である。ガイドブックによると沿線にはいくつかの見どころがあるらしい。その内5か所の駅周辺をぶらり歩きすることにする。 早稲田を発ってまず降り立ったのが面影橋。1970年代、フォークソングがブームだった頃に六文銭が歌った曲に「面影橋から」というのがあった。尤も作詞者は面影橋が何処にあるかは知らなかったらしいのだが・・・。駅のすぐそばには神田川が流れている。かぐや姫の歌った「神田川」はこの辺りであろうか。ただ、今の神田川は壊れた自転車やゴミが捨てられていて歌にはならない。 次に降り立ったのが庚申塚。ここにはおばあちゃんの原宿と言われる巣鴨地蔵通り商店街がある。お盆のせいか人通りは余り多くなく、おばあちゃんの姿も少ないように思えた。この商店街で昼食を採った後とげぬき地蔵の名で知られる高岩寺に寄る。件の地蔵の前には20人くらいの列が出来ていて人気の高さが知れる。 次に降り立ったのが、飛鳥山。すぐそばにある飛鳥山公園には徳川吉宗が江戸の民のために植えたといわれる桜があり、花見の頃には都電に乗るのも一苦労とのこと。この公園には渋沢栄一翁の資料館等もあり時間があればゆっくりしたいところである。 次に降り立ったのが次の駅の王子駅であるが、時間の関係で次回詳しく記す。
August 17, 2008
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8月のある日銀座のシネパトスで上京中の妻と映画を観た。100万部を超える大ロングセラーとなった梨木香歩原作の「西の魔女が死んだ」をである。 映画は、真っ直ぐな性格、強い感受性故に、人に合わす学校生活に空しさを感じ不登校に陥った中学生1年生の少女が、イギリス人の祖母と暮らすうちに、自然との共生、隣人愛、死といった様々なことを学び成長していく様子を描写している。山梨県清里の自然が随所に取り入れられていてLOHAS志向の方には必見の作品である。ただ男性が一人で見に行くような映画ではないことは確かだ。 さて、映画であるが、いきなり黒い画面に白抜き文字で 魔女が倒れた もうだめみたいの文字がフェ-ドアウトする。画面は主人公の少女まいが魔女の住む山の家に向かう車の助手席で呆然としている場面に変わる。雨が降っているのにワイパーが動いていない。車を運転するママは止め処もなく流れ出る涙を拭おうともせずワイパーを操作することも忘れている。 魔女とはまいのイギリス人のおばあちゃんのことである。若い頃英語教師として来日していたおばあちゃんは理科教師をしていた日本人のおじいちゃんと結婚をし、まいのママを生んだ。まいとママは二人だけのときに祖母のことを「西の魔女」と呼ぶことにしていたのだ。そして画面はまいが祖母と過ごした一か月余りの、季節が初夏へと移り変わり行くちょうど2年前へと変わる。 当時中学校に入学したばかりのまいはいじめに遭い不登校になる。そしてママの提案でおばあちゃんと一緒に暮らすことに。おばあちゃんとの会話から自分に魔女の血が流れていることを知ったまいは、おばあちゃんに頼んで魔女修行をすることに。 ところが、おばあちゃんが言う魔女とは、「身体を癒す草木に対する知識」、「荒々しい自然と共存する知識」、「予想される困難をかわしたり耐え抜く力」こうした能力を他の人より秀でている人たちのことで、その特殊な能力は親から子へ、子から孫へと自然と伝えられたというのであった。 そしておばあちゃんがまいに課した魔女修行は「早寝早起き」、「よく食べよく動く」、「規則正しい生活をする」、「何事も自分で決める」というものであった。魔女秘伝のワイルド・ストロベリー・ジャムづくりや足踏みシ-ツ洗いなど、魔女修行を重ねる中でまいは素直に「おばあちゃん大好き」と告げる。それを聞くたびにおばあちゃんは「I know」(知っていますよ)とニヤリと笑って答えるのであった。 おばあちゃんのまいに対するメッセージは「あせらなくてもいい」、「自分を信じて自分のペースで進めばいい」というものであった。 ある夜、「人は死んだらどうなるの」と聞くまいに「分かりません。実は死んだことがないから」とユーモアで返すおばあちゃん。「死ぬとは魂が身体から離れ自由になること。おばあちゃんが死んだらまいに教えます」というおばあちゃんに、「お願いします。」というまい。 そんな夢のような楽しい日々も隣人の言動で大きく変わる。幼さゆえの誤解から「あんな汚らしいやつ、もう、死んでしまったらいいのに」と決して言ってはいけない言葉を思わず発してしまったまいの頬を咄嗟にぶつおばあちゃん。そんなまいは「おばあちゃん大好き」と言えないまま別れの日を迎える。 2年後、「おばあちゃん大好き」と呼びかけたい人は帰らぬ人となっていた。だが台所の汚れたガラスにまいに宛てたおばあちゃんからのメッセージが。 ニシノマジョ カラ ヒガシノマジョ ヘ オバァチャン ノ タマシイ、ダッシュツ、ダイセイコウ まいは目を閉じて叫んだ。「おばあちゃん大好き」。そのときまいは確かに聞いたのだ。 「アイ ノウ」と。 僅か70席程の映画館で入りは半分程度であったがあちこちで啜り泣きが聞こえてきた。隣を見ると妻も目にハンカチをあてている。 おばあちゃん役のオスカー女優シャーリー・マクレーンの愛娘サチ・パーカーの演技によって初夏の高原に吹く風のようにさわやかな作品に仕上がっている。
August 16, 2008
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8月9日の休日奥多摩山系の御岳山(みたけさん)ロックガーデンを妻と二人で歩いてきた。 御岳山は青梅市にある標高929メートルの山で、古くから山岳信仰の霊山として崇められ、山頂にある武蔵御岳神社には今でも多くの人が訪れる。新宿からだと中央線、青梅鉄道を経由の奥多摩行き特別快速に乗れば約1時間10分で麓の御岳駅に着く。そこからケーブル乗り場のある滝本まで約10分。ケーブルとリフトを乗り継いで約10分で山頂付近まで到達できる。 山岳信仰の山だけあって山頂付近には茅葺の宿坊が今もなお営業しているし、土産物屋さんも軒を連ねている。午前10時リフトを降りた我々はまず全国でも珍しい山野草レンゲショウマの群生を目指して山頂を目指す。だが群生とは名ばかりで、レンゲショウマの花がちらほら。後で聞いたところ我々が見たのは第二群生地であって、第一群生地は5万株の花が見ごろとのことであった。 群生地を後にした我々はロックガーデンを目指して整備された山道を下る。久しぶりに耳にするホトトギスや鶯の鳴き声が日ごろの疲れを癒してくれる。歩くこと約1時間大小7段の滝からなる七代の滝に到着。ここから1.5キロの苔むした清流沿いの登山道がロックガーデンと称される。七代の滝や苔むす清流を銀塩カメラで何枚か撮ったが一脚しか用意していなかったのでうまく撮れているかどうか自信がない。 清流に手を漬けていた妻が小さく叫んだ。余りの冷たさに長時間手を漬けていられないようだ。約3時間かけてスタート地点付近に戻り展望の開けた場所で遅い昼食を取った。遠くに雷が聞こえるような天候で落ち着かなかったが、それでも熱波地獄の都心からすればかなり涼しい山の上で食べるおにぎりはまた格別であった。 下山途中立ち寄った土産物屋兼お休み処で、自分は店の年老いたご主人自慢の岩清水で沸かしたコーヒーを飲んだ。老主人曰く「都心のコーヒーなんざぁ薄くて飲めやしなぇ。」妻はこれまた岩清水を凍らせて作ったかき氷を食した。サービスで戴いた刺身こんにゃくときゅうりの味噌付けは大変美味であった。 東京勤務となった4月以降初めて接する緑と水。都心の喧騒と暑さをしばし忘れての小旅行。素晴らしい思い出づくりに背中を押してくれた妻に感謝しなければいけない。
August 14, 2008
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自分が住む月島では今住吉神社の祭が行われている。住吉神社のことは既に書いたので詳しくは書かないが、徳川家康に招じられて摂津の国から移り住んだ大坂の漁民が攝津の住吉社を分祀し創建したものとされている。 今年はその神社の3年に一度の例大祭の年である。8月1日から4日までの4日間神社周辺では6本の大幟が立てられ、佃、月島、勝どき、晴海、豊海一帯は祭囃子が鳴り響き、関東では珍しい八角神輿や獅子頭の町内練り歩きが行われる。中でも圧巻は水掛祭の所以となった町内神輿の練り歩きである。老若男女がヨイヤサーヨイヤサーの掛け声とともに神輿を担いでいるところへ近所の見物人がたらいに貯めた水をぶっかけるのである。担ぎ手と見物人が一体となって祭に参加する瞬間である。 自分の東京勤務の初年にこのようなイベントが近所で行われていることに偶然ではない因縁めいたものを感じるのだが、先に買った宝くじは・・・・・・・・・・・。先週から上京している妻は大のお祭好きで、今頃は八角神輿の後を追っかけ、船渡御を見物していることであろう。
August 4, 2008
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6月の最後の日曜日渋谷のセルリアンタワーホテルの地階にある能楽堂で行われた「善竹兄弟狂言会」を観た。 善竹兄弟は、兄の隆司、弟の隆平の二人とも平成17年度の大阪文化祭において優れた成績を上げ「大阪文化祭奨励賞」を受賞するなど大阪関西を中心に活躍している新進気鋭の狂言方である。 今回の出し物は、「萩大名」、「千鳥」、「二人袴」の三題。「萩大名」は、『とある地方の大名が下京のお庭へ「宮城野の萩」を見物に出かけるが、庭主は歌好きで必ず歌を所望するという。しかし、大名は歌を詠むことも覚えることもできない。苦肉の策で太郎冠者がこっそり教えるが、大名の余りの覚えの悪さに愛想を尽かしてしまい一人で帰ってしまう。』という無骨な田舎大名を可愛らしく描いた大名物名作である。 「千鳥」は、『太郎冠者が酒が好きな主人から酒を買ってくるよう命じられるが、酒屋への支払いが滞っているために行きたくない。しかし主人の命令に背くことのできない太郎冠者は酒屋の主人の物語好きに付け入って「尾張の津島祭り」の様子を聞かせて、隙を突いて酒を持ち帰ろうとする。』という物語である。 「二人袴」は、『兄に「婿入り」(結婚後、舅の家に挨拶に行くこと)をするよう言われた弟は、恥ずかしいので嫌がる。兄はやむを得ず舅家の門前まで同行するが、太郎冠者に見つかってしまう。正装用の袴を一着しか用意していない二人は何とか取り繕ってその場をしのごうとする。』という物語である。 生憎の雨模様であったが、約200名収容できる会場はほぼ満席の大盛況であった。 東京での公演は初めてだそうだが、関東でもない京都でもない上方・大阪ならではの狂言を東京で発信することに、兄弟の並々ならぬ気迫のようなものをみた。二人の今後の活躍に期待したい。
July 29, 2008
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過日機会があって数寄屋橋周辺を歩いた。数寄屋橋は嘉永6年(1629年)に江戸城外濠に架けられた橋で、昭和4年には二連アーチ橋に架け替えられ、昭和33年高速道路建設と同時に取り壊された。菊田一夫作「君の名は」の舞台にもなった所で、今は小さな数寄屋橋公園に橋の存在を示す菊田一夫の「数寄屋橋此処にありき」の碑が建てられている。 公園内には、誰かと待ち合わせなのだろうかサラリーマン風の若い男性が一人、行くところがないのか所在無げな老人が一人、佇んでいる。 しばらくすると「安藤広重『名所百景』をめぐる会」と称する中高齢者のグループがやってきてどこかへと消えてしまった。かつての流行歌手三田明の歌った佐伯孝夫作詞吉田正作曲の「数寄屋橋ブルース」を思い出した。下の2枚の写真は数寄屋橋公園 待ちの灯紅く燃えたとて 泣きたい夜の数寄屋橋 月日は流れる夢の様に 流れて帰らぬあの人よ ああ街角に恋は消え 残るはこの歌数寄屋橋ブルース あなたが着たらぴったりの スーツが出てるショールーム クールな涙に濡れながら しのぶはあの日のことばかり ああ一人だよ恋は消え 残るはこの歌数寄屋橋ブルース あなたの後を追うように ウツロな風がいまも吹く 再び帰らぬ恋思い この僕死ぬほどつらいんだ ああ夜も更ける恋は消え 残るはこの歌数寄屋橋ブルースこんな古い唄を知っている自分はかなりの年齢ということが分かってしまったかも。
June 10, 2008
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昨日土曜日は午後から本格的な雨との予報もあり、映画を見に行くことにした。ネットで劇場を検索すると上映中の映画が分かる。元来邦画より洋画が好みなのだが、水谷豊主演、寺脇康文共演の「相棒」の評判がいいことから、この作品を観ることにした。我が家から最も近い劇場は有楽町にある。有楽町といえば西銀座、数寄屋橋に近い。数寄屋橋には宝くじの当たりくじが多く出ることで評判になっている売り場があるらしい。上映時間までまだ間があったので周辺を歩いていたところ、JR有楽町駅前の阪急デパート付近から数奇屋橋までの尋常ではない超長蛇の人の列に出くわした。何事かと思って聞けば、宝くじを買うための列とのこと。噂には聞いていたが、自分の予想を遥かに超えている。東京では昼食に列を成す光景をよく目にするが、よくよく行列を作るのが好きと見える。 さて、映画であるが、「抜群の名推理と機動力で難事件を解決する警視庁特命係の刑事コンビの活躍を描くテレビドラマ「相棒」の劇場版。東京都心部で行なわれる巨大なマラソン大会を舞台に、そこで勃発する爆破事件が政界を巻き込む一大スキャンダルへ発展する。 都内で謎の連続殺人事件が発生、その現場には不可解な記号が残されており、さらに犯人のターゲットは3万人のランナーと15万人の大観衆でひしめき合っている大規模なマラソン大会会場へと向けられていた。警視庁特命係の杉下右京(水谷豊)と亀山薫(寺脇康文)は未曾有の大惨事を回避するため、頭脳と正義感で捜査を開始する。」というのが予告編の内容なのだが、何故犯人は不可解な記号を残したのか?裏サイトとはいえ連続殺人の被害者のリストを何故公開しているのか?随所に説明不足があって観客にとっては????な映画という感想を抱いてしまった。サスペンスドラマと思うからいけないのであって、大衆活劇映画と思えば腹も立たないのかもしれないが・・・・・。(ネタバレm(__)m)
May 25, 2008
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本日5月18日は日曜日。朝から天気がいい。こんな日に家に閉じこもって良い訳がないということで、隅田川に架かる橋巡りをしようと思い10時半に我が家を出た。まず相生橋を渡り隅田川の左岸のテラスを歩くことにする。しばらく歩くと水色の永代橋は目の前。大正15年に架橋された今の橋は国の重要文化財に指定されている。 次の橋は隅田川大橋。隅田川に架かる橋としては唯一の二層式の橋で、上が高速道路9号深川線となっている。1979年に架け替えらたのだが、景観の邪魔という評価を受けている。 次は清州橋。関東大震災の復興事業として昭和3年に架橋され今や国の重要文化財に指定されている吊橋型の橋である。 次は新大橋。隅田川に架かる3番目の橋で、広重の浮世絵にも「大はしあたけの夕立ち」として描かれ、その絵をゴッホが模写したことでも知られる。 次は両国橋。昭和7年の完成だが、完成当時言問橋、大阪の天満橋と並んで三大ゲルバー橋と呼ばれ、当時の最先端を行く橋だったらしい。 次は蔵前橋。鮮やかな黄色の橋で、かつて東詰に蔵前国技館があり、高覧に力士のレリーフがある。架橋される前には「富士見の渡し」という渡船場があった。 次は厩橋。蔵前の米蔵の荷駄用馬の厩があったところから名付けられた。緑色が目に優しい。 次は駒形橋。橋名は西詰の「駒形堂」に因む。 次が吾妻橋。橋の西岸の交差点は浅草1丁目で神谷バーなど浅草の中心に近い橋である。桜の名所として著名な隅田公園はこの橋が南端に当たる。この橋から雷門までは目と鼻の先である。 吾妻橋を渡ると西行きと北行きの通りが歩行者天国になっていた。そうだ昨日今日は三社祭の日だ。いなせな祭り姿の男女が山車に乗り或いは神輿を担いでいる。思わずカメラを向けたがあまりにも人が多く上手く写せなかった。元来祭りなど人手の多い場所は敬遠しているのだが、何故かわくわくした。僅か一か月強で江戸っ子の粋が伝染したか?ともあれ、隅田川の橋を巡る散策、もう少し上流まで行こうと考えていたのだが、三社祭の所為で終了することにした。約3時間の散策、祭のお陰で疲れも心地よい。さどビールが旨いことであろう。
May 18, 2008
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5月17日(土)の昼前、都営地下鉄で二駅のところにある築地市場に行った。地下鉄の地上出口を出たところに築地市場の入口がある。 時間が遅い所為かほとんど店仕舞いをしている。そんな中で長い行列の出来ているところがある。何があるのかと思って近づくと市場内の食堂ではないか。お寿司屋さん、天麩羅屋さんなど数件が軒を連ねている一角があり、そのすべての店が長蛇の列である。噂には聞いていたが見るのは初めて。イラチな自分には真似のできないことだ。 市場を出て場外市場の方に回ってみた。そこも観光客で大賑わいである。外国人の観光客も多い。人通りの少ない場所に出て、決してきれいとは言えないお寿司屋さんに入り海鮮ひつまぶしを注文する。ウニやイクラ、マグロ、イカ、タコ白身の魚等数種類の魚が入った海鮮丼である。店員の女性が食べ方を丁寧に教えてくれる。曰く最初は半分程をウニをのけて山葵醤油をぶっかけて食べ、次にウニをよくかき混ぜて食べ、最後にダシ汁をかけて食べる。即ち三度違った味が味わえると。値段は少し高いが味は大変美味であった。 食後場外市場に戻り、人混みかき分けかき分けして、干物、マグロを買い求め築地を後にした。 築地市場は、オリンピックの関係で豊洲に移転する計画がある。市場内には「移転断固反対」のビラの貼ってある事務所があった。観光客の間でも話題に上っていたが、築地市場が豊洲市場になるとあれほどの人が集まってくるのだろうか。豊洲の土壌が汚染されていて市場移転計画にも支障が来しているとの報道があった。願わくば現状のまま留まったほしいものだ。
May 18, 2008
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5月10日(土)は職場の皆さんとの「歩こう会」の日であることは既に書いた。再度書くが、午後1時に浅草は神谷バーの前に集合し、浅草寺、桜橋、白髭神社、向島百花園、羽子板資料館、すみだ郷土文化資料館、新東京タワー建設予定地、江戸切子館、北斎通り、旧安田庭園、国技館、陸奥部屋、吉良邸跡、そしてゴールはちゃんこダイニング安美というコースを歩くことになっている。 生憎の雨模様の所為で集まったのは当初予定の約半数になった。 最初に向かった浅草寺の表参道にはあまりにも有名な雷門がある。雷門は正式名は風雷神門といのだそうで、1960年に松下幸之助が病気平癒の報恩として寄進したものだそうである。5月17日・18日には浅草神社の祭礼三社祭が行われる。三台の神輿が出番を待っていた。写真は雷門写真は三社祭の神輿 浅草寺を出て桜橋に向かう。桜橋は歩行者専用の橋で上空から見るとX字型をした珍しい橋で映画やテレビドラマのロケによく使われるとのことである。そこを渡って墨堤通りを暫く北上すると白髭神社がある。白髭神社は猿田彦命を祭神とする全国各地にある神社で、ここには黒人塚と称する塚がある。狂歌師浜辺黒人の塚とされているが、F氏によると某人によって神社を放火されるという事件があったらしい。写真は白髭神社写真の真ん中の小さい石が黒人塚 次に向かったのが、羽子板資料館。江戸期に作られたという羽子板をはじめ明治期から現在までに作られた羽子板が民家の土間に飾れている。ご主人は大正10年生まれ87歳の都指定の伝統工芸士。曰く、「作って売るだけでは駄目。羽子板がお家に百年、子から孫へと伝えられるよう願いこめて作っている。今87歳だが死ぬまで作り続けたい。」とのこと。以て肝に命ずべしである。羽子板資料館。右側の方が伝統工芸士西山鴻月さん そこ出て今は商店街になっている向島の旧遊郭街を歩く。建物の造りに遊郭の面影が残っている。 暫く歩くと予定にはない三囲神社に辿り着く。三井家縁の神社で三越デパートに分霊が祭祀されているとのことである。ここには世にも珍しい三柱鳥居がある。三囲神社三柱鳥居 そこを出る頃には雨が少し強まり風も冷たくなってきた。そこで予定を繰り上げ両国は江戸東京博物館に向かう。この頃になると脹脛に痛みが走る。この程度のウォーキングでこんな症状が出るとは情けない。ともあれ、予定には入っていない江戸東京博物館での雨宿りと休息にほっと一息。博物館では江戸期の武士や庶民の暮らし、明治期以降の東京の姿、特別企画展のペリーとハリス~太平の眠りを覚ました男たち展を見た。江戸の街並み文明開化の頃の銀座の風景 二次会はちゃんこ鍋で宴会。ここにはウォーキングに参加しなかった面々も集まり、四方山話に花を咲かせたはずだが、些か地酒を飲みすぎて記憶が曖昧である。 翌朝目覚めると両脚の脹脛と左側の腰に痛みが残っている。運動不足と片付けることができないほど加齢が気になる今回のウォーキングであった。
May 11, 2008
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5月10日(土)は職場の皆さんとの「歩こう会」の日である。午後1時に浅草は神谷バーの前に集合し、浅草寺、桜橋、白髭神社、向島百花園、羽子板資料館、すみだ郷土文化資料館、新東京タワー建設予定地、江戸切子館、北斎通り、旧安田庭園、国技館、陸奥部屋、吉良邸跡、そしてゴールはちゃんこダイニング安美というコースを歩くことになっている。 ところが天気予報は雨、しかも気温も3月下旬並みの寒さとのこと。 そんな中、かねてから行ってみたいと思っていた、さだまさしの歌「木根川橋」の舞台となった街が浅草から近いことが分かったので思い立って午前中に出かけることにした。 さだまさしの歌「木根川橋」は、中学生時代の思い出を何年か後のクラス会で恩師に語りかけるという情景を歌にしたものである。以下がその歌詞である。<木根川橋>さだまさし作曲・作詞「先生、俺達の木造校舎すっかりなくなっちまったんですねぇ…それに、あの暑い夏に重いローラー転がしてならしたテニス・コートの上にプールなんて出来ちまって……先生、時の流れってそんなもんですかねぇ」木根川橋から水道路抜けた白髭神社の縁日はアセチレンたいて あんずあめ売ってますか相も変わらず にぎやかなんでしょうねあの頃何やら覚えているのはあの娘の笑顔と冷たさと不思議な胸のどよめきとあっけらかんと あっけらかんとみんなみんな 許せた毎日「先生、あの頃よくのりちゃんと銭湯行ってねあいつと来たら、15番の下駄箱があくまではどんな雪ん中だって雨ん中だって中へ入らなかった先生、覚えてるかな、うちのクラスの15番、そう、目のステキな のりの好きだったあの娘の出席番号だったんですよ。」僕らはこっそり ノートの片隅にあの娘の名前に 自分の苗字をかぶせて書いては あわててぬりつぶしあたりを見回し 赤くなったもんです使いの帰りは廻り道をしてあの娘の家の前を通ったものそのくせ会えば そっぽ向いたなんともはや すてきだった仲間達に カンパイ!!木根川薬師の植木市の日には今でも必ず雨が降りますかもんじゃ焼きのコツ 忘れちゃいませんよカルメ焼き冷やすより 易しかったものあの頃チャリンコ転がして行った曳船、押上、浅草の不思議な胸の高鳴りと荒川土手の忘れちゃいけない毎度毎度の 草野球「先生、みんな変わっちまいましたねぇ先生…先生?…なんだ寝ちまったんですか…」 京成押上線の四つ木駅を降りると木根川橋までは直ぐである。木根川橋は荒川、綾瀬川に架かる全長460メートルの鉄橋で、取り立ててどうこう言うべきものもない。さだまさしが中学生の頃は木橋で車の通行量も随分少なかったのであろう。下の写真は「木根川橋」 歌詩の順番だと水道路を抜けて白髭神社へと向かうのだが、水道路が何処にあるのか分からない。そんな訳でまずは木下川薬師に向かうことにする。「木下川薬師」は、歌では「木根川薬師」となっているが、実物は先のとおりで、正式名称は「青竜山薬王院浄光寺」。この中で植木市が行われ、必ず雨が降るのだろうか。下の写真は「木根川薬師」この左側に門がある。下の写真は木根川薬師の門 次に向かったのが、白髭神社。地図で見るとこの周辺には二つの白髭神社がある。さだまさしが通っていた中川中学校のそばに王子白髭神社、そこから数百メートル離れたところに渋江白髭神社がある。さて歌に出てくる白髭神社はいずれの神社なのだろうか。 そんなことを考えながら王子白髭神社に向かったのだがこれが何処にあるのか分からない。何度か同じ道を歩いたところで、不審者に間違えられてもいけないので諦めてもう一つの白髭神社に向かうことに。迷いながらも何とか辿り着いた神社は小さな神社で、こんな小さなところであんず飴の屋台なんて出せるのだろうかと思いながら境内に入ると、5月24日・25日が例大祭ということで多くの神輿が出るらしい。多分ここが歌に出てくる白髭神社なんだろうと自分を無理やり納得させて午後の集合場所へと向かった。下の写真は白髭神社。祭神は猿田彦命。手塚治の「火の鳥」にも出てくる。白髭神社の本殿。1848年(嘉永元年)の造営とのこと 歌の舞台は昭和30年代後半のこの街と荒川の向かい側の曳舟、押上、浅草。初老の域に差し掛かった中高年が一人ノスタルジーに浸るつもりで漫ろ歩きをしたのだが感想は・・・・。時の流れってこんなものなんだろうね。
May 11, 2008
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