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2004年01月09日
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カテゴリ: カテゴリ未分類
というテストです。(笑)

(※注+追記:全く結論も考えず一文をあげつらって赴くママに書いてますんで、あまり真剣に読まないで下さい、主題も主題だし;苦笑←なら書くなよって話もあるんですけどね)

いつか書こうとした、ゆゆさんの書いておられる”支配と従属”というテーマと近いくもあり、また遠いかもしれません。

ネットでちょっと色々見ていたときの事なのですが”サディストというのは単独で存在出来る”という事が少し書いてあったのです。

、SMというのはサディストとマゾヒストというのが遂になった構造という事が出来るかもしれません。言うてしまえば、サディズムとは詰まるところ、”加害の悦び”、マゾヒズムとは”被害の悦び”であります。

対として存在してお互いを補完する関係であるかもしれません。補完しあうのに、何故、サディストは単独で存在出来るかと言いますと、マゾヒストというのは害を加えてくれるサディストという存在なしには望むものを手に入れることは出来ません。しかし、反面サディストというのはマゾヒストに手を下す以外に、それを望まない者に手を下して満足することも出来るわけです。その場合、対象はマゾヒストではなく”被害者”、”犠牲者”と呼ばれるわけですが。

つまり、形としてサディストの存在形態として(あくまでもサディストの側から見ると)

サディスト+マゾヒスト
サディスト+被害者


しかし、マゾヒストにとっては

マゾヒスト+サディスト

ということしかあり得ない。パートナーからの偶発的な加害、なんらかの傾向、性癖を持たない(言うてみれば嫌々の)加害行為、というものはあり得るかもしれませんが、決してマゾヒストの興奮を呼ぶものではあり得ないでしょうし、コンスタントな行為を期待することも無理でしょう。眠っていた趣向が呼び覚まされたりでもしない限り、(まともな人間であれば)意外と人を傷つけるという行為は簡単なものではありません。

しかし、この

サディスト+被害者

という形は純粋に欲望として存在出来る形であって、これをしてしまってはただの犯罪ですし、そういった、望みもしない人間に手を下すような人間を病理学的にはともかく、社会的に”サディスト”と言ってしまってはいけないのではないかと思うのです。

私の女王様を含めて望まない人間を罵り、むち打つ様なことはありません。世に沢山いらっしゃる、”ご主人様”、”女王様”という方達というのは決して”被害者”に対して手を下す方々ではないのです。

自分で言ってしまっては微妙かもしれませんし、誤解を招く招くかもしれませんが、SMという行為は虚構であるし、そうあるべきであると思うのです。

これは別に何か自分が女王様に辛い仕打ちを受けた時の逃げにしようとかそういう意味ではありません。

SMというのは”死のイメージ”が底辺にあるとも言われます。サディストはマゾヒストの生を握り、マゾヒストはサディストに自分の生を預ける、というファンタジーであるのです。私が何故、虚構、ファンタジーである、と言うかと言うと、

”本当に殺してしまうことはあり得ない”



”○○なの?”
”○○であると言ってごらんなさい?”

などと言ったりするのは確実にファンタジーである証拠なのです。答えは分かっていますし”そうあるべき”ものがあるのです。プロレスと同じような構造ではないかと思うのです。しかし、そういった問答、行為は必ず行われます。また、そのような行為こそが健全なサディズム/マゾヒズムであるとも思うです。

またそれは、”死のイメージ”が”死”に至らない為の防波堤であるとも思います。その防波堤の中で相手を傷つけ、また相手に傷つけられる悦びを味わうのです。

正直、SM行為というのはサディスト+マゾヒストであろうとも、”犯罪的”であるのではないかと思うのです。言葉などはともかく、肉体的に相手を傷つけることはマゾヒズムという相手の承諾があろうとも社会的には犯罪でしょう。私とて、女王様であるから血が出るほどに痛めつけらることを歓んでいるわけでして、見ず知らずの人間に出血するほどに痛めつけられれば犯罪として訴えたくもなることでしょう。



サディストはマゾヒストが人間であり、社会的に生きる、最低ラインを見極めて行為をするし、マゾヒストはサディストに対して”やりすぎず”かといって”甘すぎない”信頼がないときっと行為を行わないでしょう。

世に存在するサディスト、マゾヒストという人達の多くははその辺心得ている人たちだと思うのです。また、そうであって欲しい。別に我々は、望まない人間にそういったことを押しつけはしないわけで、私のこういった与太話とて、不愉快なれば読まずにいて頂ければ良いと思うのです。そうであれば、SMも社会的にもっと平和に存在出来るのではないかなぁと思うわけです。

最初の話に戻るならば、分別のあるサディストであれば

サディスト+被害者

という構造はあり得ないわけです。また分別のあるマゾヒストが、社会的に”被害者”であると認められてしまうようなところまでサディストに求めることもあり得ない。そうでないと、私たちのような人間はやっぱり社会に存在出来ないし、また受け入れられることも無いのではないかなどと思うのです。

サディストと犯罪者は大きく違うのだと、まぁ詰まるところそう言いたかった訳なのですが。実際、その赴くものの究極的に行き着く先というのを犯罪っていうのはまた非常に危ういところだと思いますし、またマゾヒストの側としてもそれをよくよく認識しないと自分のパートナーを思いもしない窮地に追いやることもあり得るのではないか、と。そんなことを思ったのです。

って、ごく短文で済んだ話のような気がしてきた(苦笑)まぁ思考の赴くままに書いたものなので許してください、起承転結もないし(爆)





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Last updated  2004年01月10日 07時07分15秒
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