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2004年01月25日
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カテゴリ: カテゴリ未分類
ご存じの方も多いだろう。

大阪、岸和田で15歳の男の子がトラック運転手の父(離婚して母は別居)とその内縁の妻、その女の子供に暴行を受け、食事も与えられず、身長155cmの体が24kgにまで痩せ細って体の一部は床ずれの為壊死したような状態で去年の11月、保護されたそうだ。その男と女、殺人未遂(未必の故意だとか)で逮捕されたらしい。

その父親と呼ぶにもおぞましい男は

”様子がおかしい”

と119番通報したらしい。
とんでもない。食事を与えなければ衰弱するのは”おかしい”ことでもなんでもない。”様子がおかしい”のは息子に食事も与えず暴行を与え放置するこの男と内縁の妻に違いない。

今でもその男の子は意識不明だという。

15歳でよい年をして何故逃げなかったのか?という風に言う人間もいるだろう。(実際次男は実母の元に逃げたらしい。その後実母はこの15歳の長男の引き渡しを求めるが、拒否されてこの事態に至る。)けれど、相手は親なのだ。鬼畜であろうと非人(差別語で言うつもりではない”人に非ず”という意味で)であろうと我が親は我が親なのだ。子供にとって親は神に等しい。いくら酷い仕打ちをうけようと親は親だ。出来れば愛して欲しいのだ。それにこんな絶望的な恐怖を植え付けられて、逃げられるはずがあろうか。


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なんにしたって感じるのは学校と、児童相談所の無力である。誰かが、どこかの機関が虐待される、されている(可能性がある、だけでも良い)子供を親から引き離す強制力を持たねばならない。

日本人は、家庭、家族というものに、神聖視された幻想を抱き過ぎである。血の繋がりなんて呪縛になっても、証明にはならないことだってあるのに。家族、血のつながりそんな絆を断ち切ってでも、子供を保護しなきゃいけないことだってあるはずだ。学校にしろ、児童福祉所にしろ、その権限がない。親にレイプされ、親に殺される様をただただ眺めるしかない。子供が深く傷つき、将来に大きな陰を落とし、もしくは将来を断ち切られるまで誰も手出しが出来ない。このままでは神であり保護者であるべき、親が邪神でも独裁者でも子供はそれにすがって生きるしか法はない。

間違っていたなら子供を親の元にもどせば済む話だろう。子供が傷ついているなら助けてやる道を何故もっと広く持てないのか。”親権”を振りかざし、体を傷つけ、心を傷つけ、体を犯し、心を犯し尽くす、それでも親権は尊重されるべきなのか?

とにかく日本では”人権”とか”権利”というものが履き違えられている。”人権”も”権利”も資格のあるものに与えられるものだ。義務を果たさぬものに権利も自由もないのが当たり前のはずだ。親の義務の果たさぬものに親権など無くて然るべきだ。人の”人権”を犯したものに人権など必要はない。

こういったニュースを聞く毎に下らない人権団体や人権意識の功罪を思うこと頻りである。選民意識など説くつもりはないが、それにしても、人にもとる行為をする人間に権利などを主張させる社会構造はどこから生まれたものか知らないが明らかに”歪み”である。

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またもや余談だが
日本にはフランス革命やアメリカの独立のように”権利”を自分の手で勝ち取ってきたような歴史がない。その上それらは、まるで”市民”が”圧政”を倒して権利を獲得した英雄的革命のように受け止められるばかりでその陰を知らなさすぎる。こんな国の国民に戦後、タナボタ式に”権利”などというものを与えてしまって、今でぇあ、一部の弁護士やら人権団体、マスコミなどの”おもちゃ”として、大衆を愚弄し、人間に悖る鬼畜共を守る道具にしか使われていないのではないかと思う。

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極論かもしれないが、ハムラビ法典というのは一種爽快であると思う。頬を叩いた者は、自分も頬を叩かれてしかるべきものだ。そんな覚悟もない人間は最初から人の頬など叩くべきではないのだ。アメリカで一度、レイプ事件などを起こした性犯罪者を去勢してしまえ、という法が立案されたことがある。これまた下らない人権団体の圧力で潰れてしまったがこれほど正しい措置はないだろう。人を犯した人間が去勢されてなんの文句があろうか。それが嫌なら、自分も誰かに無理矢理そのass hole(失礼!)でも犯されてみれば良い。自分の犯した人間の痛みも、屈辱感も分かるだろう。



18歳だったか19歳だったかの少年に自分の妻を犯され、幼い子供と共に殺された若い男性が言っていたではないか

”極刑があり得ないなら、少年をすぐに釈放してくれ自分が殺すから”

と。その通りだ。人権を声高に主張する人間達にしても、立法に関わる人間にしても、一度でも考えてみると良い、自分の愛する人間を誰かに犯されて殺されてみたら、自分はどうするか。やっぱりそいつを犯して殺してやろうと思うだろう。それが許されぬならば、法の裁きにそれに準ずるものを求める。目の前で、自分の知らない子供であろうと、親に傷つけられて、犯されていたって同じことだ。その子を救う力を欲するだろうし、親を罰する力を欲するだろう。それを個人が持てないならば、社会に、立法、行政、司法にその力を求めて当然だ。

少しでもそれを考えれば、家庭の問題には介入できないとか、親権が云々とか、親子関係だからなどという、悠長なことを言っていられないと思うのだが。

自分が高みに上って何様かと思う部分も無いではない。自分の考えはあくまで自分の考えではあるけれども。それにしたって、精神構造にしても、社会構造にしても、どこからこの国はここまで歪んでしまったのだろうかと考えて気分が悪くなる。



相変わらず纏まりのない文章ですみません(苦笑)

P.S.私は個人的に、”親も、24kgに痩せ細れば”と書きましたが、子供っていうのは必ずしもそれを望むとは限らないと思います。そんな親でも血の繋がった親で、自分を産み、育てたというのやはり親で、それはかけがえのない存在ではあるからです。彼女を見てるとそう思いますし、自分の親だって完璧ではありませんけれど唯一の親です。それは揺るぎない事実なので。だからこそ、親という存在にはそうやって子供を不条理に傷つけるものであってほしくないと思うのです。子は親が何者であろうともその人間を親と思うのですから。内縁の妻の暴力なんてあり得るもの、女にかまける余り、何があっても、何からであろうとも守るべき自分の子を生け贄にしてしまった父親なぞ論外であるのは言うでもありません。

P.S.その2
児童相談所に立ち入る権限自体はあるらしい。ならば何故それを行使できなかったのだろう・・・連絡が密でなかったのもあるだろう。立ち入って万一、間違えであったとき、プライバシーを破っただの人権を踏みにじっただの、騒ぎ立てる連中もいるのだろう。けれど、やっぱりまず第一は子供の幸せだと思う。脳萎縮・・・男の子が意識を取り戻すことはあるのだろうか・・・





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Last updated  2004年01月26日 16時39分07秒
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