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2004年08月04日
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『一般に新聞紙の目的とするところは、真実を追究するよりも、むしろセンセーションを作り出すこと-議論を立てること-だということは、憶えていなければいけないね。さきの目的はただあとの目的と一致するように思われるときにだけ追求されるのだよ。普通の意見に(その意見がどんなに根拠のあるものとしてもだ)同意しているだけの新聞は、愚民(モブ)の人気を得るもんじゃない。大衆というものは、一般の考えに辛辣な反対を述べる人だけを考え深い人だと思うものだよ。推定においても、文学と同様に、いちばん早く、またいちばん広く理解されるのは警句なんだ。どっちの場合でも、そいつはいちばん価値の低い代物なんだがね。』(アラン・ポー「マリー・ロジェエの怪事件」佐々木直次郎訳)



この文章は、150年ほど前に発表されたものだ。「マリーロジェエの怪事件」という実在の事件をモデルとした推理短編の中で、根拠のない下らない議論を展開する当時の新聞に対してオーギュスト・デュパンが口にした台詞。デュパンの口を借りたポーの本音でもあろう。が、新聞も、当時はメディアとしては存在しなかったテレビも、マスメディアは結局この150年前からなんら変わっていないということが良く解るだろう。結局、メディアのやっているのは、愚民を侮った根拠のはっきりしないセンセーションの喚起であって、真実の追究ではない。150年後でも、この台詞はそのまま今の新聞に当てはまる。なんだか悲しい気分になる。





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Last updated  2004年08月04日 18時08分50秒
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