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2004年08月06日
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カテゴリ: カテゴリ未分類
8月6日。昭和20年の今日、午前8時15分、広島に原爆が投下された日であります。

被爆何世というものの、定義は知りませんが、先ほど弟と話しながらそう言う話になったのですが、私たちというのは被爆3世というものになるのかもしれません。

原爆投下時、祖父母4人の内、父方の祖母を除く当時3人が旧市内にあたる場所にいて、被爆しました。全員無事だったのは奇跡的なことかもしれません。

私の生まれた街は爆心地から北へ約20キロ離れた、当時、亀山村と言われていた場所にあります。(現在の地名は違います)父方の祖父母は当時そこに。母方の祖父母は段原という、旧市街地市内から数キロながら、山陰になって直接的な被害を免れた場所に住んでいました。

私の記憶では、父方の祖父は仕事で市内の宇品というかなり南の方で被爆したと聞いたように思います。8時15分当時、祖母は家におり、幼かった父の兄に当たる伯父に乳をやっていたそうです。爆心地まで20キロと遠く離れており直接的被害は無かったところなのですが、それでも、ものすごい音とともに窓が揺れ、そのうちに、遠く山の向こうでキノコ雲が上がったそうです。その後、黒い雨も降ったと言います。祖父が被爆した場所は爆心地から少し離れていたため、幸い祖父は無事だったようです。しかし全てが破壊された広島の街は道路を通っては方向がさっぱり解らない状態だったそうで、国鉄広島駅と宇品港を結ぶ宇品線という当時の軍用線路と国鉄(今のJR)の線路を伝ってなんとか20キロ離れた家まで歩いて帰ったそうです。その間に祖父も色んなことを見たのかもしれませんが、それについては、聞いたことはありません。

母方の祖父母は、原爆の光線と爆風から、丁度山陰になった町でその時を迎えました。大きな爆音を聞き表に出た祖父は立ち上りつつあったキノコ雲に、ただごとではない、と家の中にとって返し、そのとき知りあいに借りていた当時では結構に高価な写真機を取り出し、立ち上ってゆくキノコ雲を15分ごとくらいに撮影してゆきました。立ち上り、上空に大きく拡がったキノコ雲の写真というのはよく見ると思いますが、段々と大きくなるキノコ雲を順番に地上から撮った写真は珍しいものなのだと聞いたように思います。この写真は原爆資料館にも展示されています。そのうち、無事だった祖父の町にも原爆で負傷した人たちの乗ったトラックなどが通っていったそうで、これも写真に撮られていました。祖父は放射線技師、祖母は看護婦と病院関係者だったのでその後の救援作業で被爆したのではなかったかと思います。その時のカメラ、結局その知り合いはその後、祖父の元に取りに来ることはなく・・・今は原爆資料館に寄贈されいるはずです。(記憶が曖昧ですみません、この祖父に関する新聞記事を見たのは小学生の頃ですので・・・)


8時15分まであと数時間。8時15分には離れていようとも、広島に思いを寄せて、あの時失われた命に黙祷を捧げようと思います。





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Last updated  2004年08月06日 04時40分42秒
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