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2004年12月22日
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カテゴリ: メンタルヘルス
陰陽、光と闇、神と悪魔、とか、そんな感じの対立要素として

自分の中には理性と感情という対立要素がある。

持論的には陰陽でいうなれば、陽が存在した瞬間に陰は同時に姿を現すし、世界に光が注げば当然のように闇も同時に生まれる。仏教者が煩悩を捨てる事によって悟りに近づくように、悪魔の存在なしに神など存在しえない。追儺のように、鬼を仕立てるからこそ、穢れを祓う。鬼は外、福は内、鬼が居てこその福。

人間の中で理性が存在するときに感情も同時に存在する。

少なくとも私の中では。


本当は

陰<陽
光>闇
神>悪魔


などという二元論的な是非の価値観は嫌いで、それぞれにそれぞれの存在理由がある。闇がなければ光の認識は何者にも出来ない。悪が無ければ善の認識とて誰にも出来はしない。

そういった思考を常々する自分であるにも関わらず、理性と感情とを

理性>感情

と位置づける自分が居て、それは全く以て自分の嫌いな、二元論的な是非の位置づけでしかないのだけれども、長いこと

理>情

という環境で育って来た故になかなかそこから抜けきれない。

上位に位置づけられる理性(という認識それ自体がまた自らの思想とは異なるという矛盾を含む)によって整理されていたハズの感情が理性のコントロール下から外れ、暴走するのを私の理性、もしくは私は何よりも怖れる。

昨日付けの日記を書いたのは私の理性。

そしてそのあと首を擡げてくる理性のコントロール下から完全に外れてしまった感情の波。

客観的であったはずの理性で感情をコントロール出来ていなかった事を私、もしくは私の理性は非常に受け入れ難い事として捉えてしまい

理性と感情のギャップは



それは私自身を責め立て、

感情の捌け口と、自責の捌け口として自ら
を罰っすることを求め

傷付けることを決断する。

痛みを感じない範囲までが理性と感情とのギャップの範囲で、理性的に流された血によって、感情も多少なりの落ち着きを取り戻す。




そう、もう人間でない、感情のない何かになりたかったような気がする人間から離れたかったような気がする。

でも、それももっと辛いよ、と彼女は言う。

田中芳樹の小説、銀河英雄伝説に、オーベルシュタインというキャラクターが居る。全てを理性的に考え、目的の為の最短手段を冷酷に選択するキャラクターで、中学や高校の時代とても憧れた憶えがある。

それ自体、もう今の私に繋がっていたのかもしれない。

オーベルシュタインに対する憧れや、コナン・ドイルのシャーロック・ホームズに対する憧れというのは理性万能主義的な私の傾向であったのかもしれない。

今でも憧れているのかもしれない。

冷酷になりたい。感情を捨てたい。
けれどもそれもまた、覚悟の必要な事で。

なによりも私の周りに居てくれる人達がそれを望んでも居ない。

感情に流されることも時には必要で、今貴方はそうするべき時なんじゃないかと思う、とYちゃんは言っていれた。

流されてしまいたい。けれども、もうすこしだけ私は強く在りたいとも思う。

その為の手段が、腕を切ることでなくなれば良いね、と言ってくれた。

その通りだ。

毎回心配を掛けて居る。それでも一生貴方の傍に居ると言ってくれる。

理性と感情と、それもまた自分の思想の下に、理性でもってその理性の優位性を指向する自分を整理するという、まるでジャンケンのような複雑で訳の分からぬ作業を自分の頭の中でして行かねばならないかもしれない。

以前より血は出た。

しかし、以前ほど沢山は切らなくなった。

或る程度切ると、後は、刃先を当てると痛い。

まだ人間だと思った。

幸か不幸か。

けれど、人間である私の周りに色々な人が居てくれるなら人間であっても良いかもしれない。

同じように切っていても、少しずつ変わっているのかもしれない。

左腕はギターを弾く私にとっては本当はとても大事な部位でもある。

音楽はやりたい。

段々と少しずつでも変わって行きたい。

切ったけれども今日はそんな風に思った。





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Last updated  2004年12月22日 04時40分15秒
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