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映画版『オペラ座の怪人~Phantom Of The Opera』を観てきた。上映時間約2時間20分の間、豪華絢爛な画面が目を奪う。予告であった「シャンデリアの再生」は早速冒頭で使われ、現在がモノクロ、そしてシャンデリアに灯りが灯り、封印していた過去がカラーで表現されていくという憎い演出の元に物語に一氣に引き込まれていく。同じ、アンドリュー・ロイド・ウェーバーのミュージカル版『オペラ座の怪人』よりも緻密にそして豪華絢爛に19世紀のフランスを表現していて、オペラ座での惨劇もSFXが無理なくはまっている。ミュージカル版よりも視点が、色々な細部を知ることが出来て面白かった。特に私は劇中の豪華絢爛な「マスカレード~仮面舞踏会」や怪人とクリスティーヌの間の禁断で官能的な「ポイント・オブ・ノーリターン」に惹かれた。ただ、怪人の出生の秘密みたいなものは明かされているもののクリスティーヌが怪人の隠れ家で日々練習していたことや怪人が豊かな才能を持っていること、オペラ座で公演されるものは怪人が書き下ろしていることなどが描ききれていないのが残念。話は変わるが、私は、ブライアン・デ・パルマ監督の初期のカルト的名作『ファントム・オブ・パラダイス』を『オペラ座の怪人』のミュージカルよりも先に観てしまっている。それも中学生くらいの頃に土曜の昼間の再放送で。当時、かなりの衝撃を受けた覚えがある。元ネタである『オペラ座の怪人』のストーリーの方を後で知った珍しいパターンかもしれない。そして個人的には、デ・パルマ監督の初期と言わず、全作品の中でも『カリートの道』と並んで一番好きかもしれない程になってしまった。『オペラ座の怪人』をモチーフにしているため、終わってみれば切ない話だが、『オペラ座の怪人』ほど美しくない。けれど、B級映画なつくりであったり、全体を包む怪しい雰囲気は本家『オペラ座の怪人』を上回っていると改めて思った。
Feb 26, 2005
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『ドラムライン』は、日本ではあまりなじみがないが、アメリカでは伝統と人気を誇るマーチング・バンドの世界を舞台にした音楽青春映画。昨年公開の映画で『スクール・オブ・ロック』に続き観たい音楽青春映画映画の一本だったが、タイミングがあわず映画館に観に行くことが出来なかった。DVDで見たいと思っても音楽がメインの映画なので、スピーカーが良くなきゃ・・・としばらく見送っていた作品だったが、年末にスピーカーを購入したためやっと観ることにした。音楽を材料にした青春映画には外れはあまりない。ホロ苦い、本当に青臭い男の子が主人公の『あの頃ペニーレインと』なんてものもあれば、30代後半の男女で決して青春ではないかもしれないが、前編ピアノとジャズが粋なミッシェル・ファイファーとジェフ・ブリッジス主演の『恋のゆくえ~ファビュラス・ベイカー・ボーイズ』なんかもある。そして最近では、音楽オタクの30男が悪戦苦闘しながらも、人生に対して前向きに対処していく姿を描く、ジョン・キューザック主演の『ハイフィデリティ』も例外ではなく、爽やかな爽快感が心地良い。Boyz II Men や TLC を手掛けた音楽界の巨匠ダラス・オースティンの実体験を映画化した『ドラムライン』だが、期待していた以上に主人公たいドラムラインのスネアさばきが凄かったのとフットボールの試合そっちのけでハーフタイムが熱く、休憩中のショーの裏にこんな熱い闘いが繰り広げられていたことが新鮮な驚きだった。楽器を持ったままのランニングや「空気イス」など、体育会も真っ青なハードな練習に驚かされる。隣の人のドラムを叩く鮮やかなスティックさばきや、パウダーを乗せたドラムでの妙技が必見であろう。セリフも効果音もないまま延々と繰り出されるビートが心地よい。感動作品とは縁遠いものの、音楽青春ものは、観た後に爽快感に浸れるのがやはり良い♪
Feb 13, 2005
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私は新陳代謝が良いのか『耳あか』がたまりやすい。耳の穴の入り付近が粉々するのである。耳あかにはドライタイプの人とウエットタイプの人がいて、一般に日本人はドライタイプが多いらしい。ちなみに西洋人はウエットタイプが多いらしい。私もごくごく平均的な日本人のドライタイプである。この「耳あか」も調べてみると実に面白い。耳あかは、外耳道(耳の穴)の耳垢腺というところから出る分泌物で汗やわきがと同じ汗腺の一種らしく、汚いと思われている耳あかにも、下記のような重要な働きがあるようだ。 1.耳あかは酸性で、殺菌作用がある。 2.耳あかは蛋白分解酵素があり、殺菌作用を果たす。 3.耳あかには脂肪が含まれており、皮膚の表面を 保護してくれる。数年前までは、いわゆる従来通りの「耳かき」を使用していたが、ここ数年は使い捨ての綿棒を使用していた。しかし、この綿棒、粉々は取ったつもりになるのだが、私の耳の”大物”をすくいあげるのに適していなかったようだ。私の耳かきのやりかたにも問題はあるのだろうが、肌触りの良さか、ついつい力を入れすぎてしまい、かえって皮膚表面に耳あかの”大物”をこびりつかせていたようだ。急にいわゆる普通の竹のタイプの耳かきが使いたくなり早速購入し、”大物”を取ることが出来た。薬局で購入する際に「うちにはこの位しかないから・・・」と氣になる発言があり、色々な種類があるのかなとなんとなくWEBで、調べてみると、あるはある。ご当地お土産ものから、漆塗りのもの、スパイラル状のもの・・・そして、目に留まったのが『ののじ』から販売されている 「爽快ソフト耳かき」(意匠登録・特許申請中) 2,000円http://www.nisiyoko.com/prod/w-ear/ である。説明文によると、ひとかきで耳あかがどっさり取れる3連ワイヤー耳掻きとある。丸く屈曲されたワイヤーが外耳道へピッタリとフィットして、こびり付いた耳垢やねっとりした耳垢をしっかりキャッチし根こそぎ取れるようだ。イラストも中々良く取れそうなイメージ図になっており、俄然、この耳かきで爽快になってみたいと思ってしまった。耳かきについて、さらに調べすすむと 耳かきの歴史、素材の特徴、収集品を紹介している『耳掻き博物館』 http://www5.ocn.ne.jp/~mimikaki/なんてものもある。意外なところにもマニアはいるものだと一人感心・・・。今度の休みに「爽快ソフト耳かき」を東急ハンズでみてみようと決意した。
Feb 11, 2005
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先日、『夢で逢えたら・・・』ということを書いたが、今日の夢はその対極で、あまり見たくない夢のシリーズ『歯が抜ける夢』だった。実は、私の中でこの類の夢は見たくない夢度No.1である。数年に一度、見る(覚えている)夢で、シチュエーションは様々なのだが、いつも苦しめられる。元来、子供の頃、歯並びの矯正をしてもらっていた私の歯は、そんなに強くない。実際、予備校の頃、池袋のWAVEでCDを散策していた時にぽろっと歯が抜けた覚えがあり(勿論、不摂生がたたったこととは思う)「歯が抜ける」「歯のかぶせ物が取れる」ことに関しては神経質なので、私の中では怖い夢度はかなり高い。また、歯医者に言わせると、私の歯は、歯と歯の間が微妙にずれていたりして虫歯が出来やすいと言う。まぁ、もっとも歯が抜けることが怖くて、しかも歯が弱いのであれば弱いなりに、虫歯を作らない生活習慣にするとか、歯磨きをもっと丁寧にするとか氣をつければ良いのだが、三日坊主で終わることが多い。また口の中をアルカリ性に保てば、虫歯は少ないと言う。適度の有酸素運動&食生活をすれば、身体の変調はすくないだろうと再認識。ちなみに歯の夢を夢辞典で調べて見た。http://ayacoms.com/yumenavi/http://members.aol.com/lilylove28345/f-dream1.htm色々な解釈があるようで、(占いと同じか・・・)『奥歯が抜け落ちる』・人生を支えていたバックボーンが変化する。愛する家族・身内の病氣、不幸、災難の暗示。『歯が抜ける』・老化や魅力を失うことへの恐れ。 損失や浪費、問題や状況が理解できない状態。 身近な人に不幸や突然の変化が起こる吉凶も・・・。 というのもあれば、・仕事運が上昇しています。歯が抜けている夢でも同じ。 ただ、歯が抜けている夢は疲労がたまっている時や 胃が悪い時にも見ることもある解釈は自由であるから、この際、自分に力が出る解釈をするとしよう。
Feb 10, 2005
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久しぶりに起きた時に「夢」を覚えていた。夢は急に場面も変わったり、ストーリーは変わったりと断片的なものだが、夢の中でもう逢えない人に逢えたり、逢いたいなぁと思う人、どうしているかなぁという人に逢えるのは嬉しいものだ。先日、逢いたい人に逢えた夢をみた。「あ~な~んだ、夢か・・・」ということを起きた時には思ってしまうが、「たとえ夢であったも また逢えて良かった」と思える。何とか、夢の続きをみようと寝直ししたりする時もある(笑)今度、そんな夢を見たときは、その日に「夢でみたから~どうしているかなと思って・・・」と人に連絡を取ってみるのもいいかもしれない。今、この文をうちながらそう思う。今回の夢は、逢いたくとも、もう逢えない2人に夢で逢うことが出来たのだ。1人は、数年前に亡くなった友人。そしてもう1人は父である。元氣な頃の父の遺影を見る事が多く、昨夏以降の痩せていった姿を積極的に思い出そうとはしていなかった。今回の夢がリアルな所は、決して元氣な2人ではなく、父も友人も弱った姿での登場だったことだ。昨夏~亡くなるまで、よく車に乗せて病院と家との往復をした、そんな移動の日の夢だった。夢での会話の内容は覚えていないが、車の乗り降りの際に支えて降ろしてあげる。その時、確かに父の匂いや重みを感じることが出来たのが何よりも嬉しい。たった3ヶ月前には、毎週感じた匂いと重み。よく喧嘩して、やりあった頃の父ではなく、痩せていった最期の頃の父に”久しぶりに”会うことが出来たのが幸せと感じるとは思わなかった。友人も私が知っている姿、そしていつとも同じ意味ありげなスマイルだった。さすがに、起きた瞬間「ああ、夢だったのか・・・残念」と思うものの、それでも「夢でもし逢えるなら、また2人に逢いたい」と思った。そんな夢をみた時は『夢で逢えたら』を思い出す。この曲は色々なアーチストが歌っている。これだけ時代を越えてカバーされている曲は日本では少ないんじゃないだろうか。ちなみに洋楽で幅広くカバーされているのは、Cyndi Lauperの「Time After Time」だろう。特に80年代以降の中ではダントツNo.1だ。さて、『夢で逢えたら』は元々、大瀧詠一の名曲の1つとして今は語られているが最初に歌ったのは吉田由美子である。子供のときに何処か悲しくも優しい歌詞だなと思ったことがある。彼女の後には、シリア・ポールやラッツ&スター、原田知世達がカバーしている。宣伝で使われていることも多く、最近ではダイハツMIRA GINOのCMで使われたりキンモクセイもカバーしているようだ。まぁ誰が歌っても何度、聴いてもいい歌詞である。♪夢でもし逢えたら 素敵な事ね~ あなたに逢えるまで 眠りつづけた~い・・・♪そういえば、テープしか持っていないことに氣づいた。誰かのバージョンで聴くとしよう。まぁ、もし本当に眠り続けたら・・・ それはそれでやばいんですが・・・。
Feb 8, 2005
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日曜と月曜の2日で母と福岡に行った。博多は玄界灘の風が入りこむため、東京よりずっと寒い。特に東京の日差しが暖かったために底冷えのする寒さだった。今回の目的は、父のお墓(お寺)のことや今後のことを親戚と話すためだ。話し合いをする以外は、毎回来る度に変わっていく博多の街並みを見たりウインドーショッピングでもしようと思っていた。前回、祖父母・叔母の3人の法事をまとめて執り行った時以来なので1年半ぶりの博多である。最初の仕事の頃、半年に一度訪れていたのを思うと、間隔が開いた感じがする。毎回、新しい何かが完成している。そんな印象を博多には持っているのだが、今回は地下鉄七隈線という新しい地下鉄が完成していた。確かに博多の街でタクシーに乗ると、ここ10年位、ずーっと工事していた記憶がある。いきなり結構な長さの地下鉄が全線開通した。東京の地下鉄であれば数駅開通して開業、その後延伸というパターン多いのだが、どこか潔くて良い。元々の地下鉄空港線『天神』駅と七隈線の『天神南』駅は五百数十メートルという二駅には微妙な距離ある。地下鉄車体の大きさや広軌の違いもあり繋がる予定はない。地下鉄の乗り換えとくれば、普通はホーム同士で乗り換えだが、七隈線の開業に併せて、既存の地下街を延伸し、幾つかの百貨店やファッションビルを結ぶ新しい地下街(新てんちか)も完成し、乗換客はそこを通る仕組みになっている。この新てんちかには、女性向けのファッション店などが軒を連ねている。乗換の合間にどうしても立ち寄ってしまう構図なのだ。また地下街で各ビルが繋がっているのも商売上大きい。今日も博多は1日、雨だったが平日だというのに地下街とそこに続く百貨店などは人で賑わっていた。そして老舗百貨店の『岩田屋』がリニューアルしていた。『岩田屋』と言えば、博多で生き残った老舗中の老舗。なんと創業は、1754年(宝暦4年)ということだから250年以上の歴史があるということだ。しかし、私の子供の頃まではいざ知らず、ここ10年は完全にさびれていた。福岡各地にあった岩田屋も続々と閉店・退店し、残るは博多本店と久留米店のみになっている。福岡の街は前述の通り『天神』がメインの街であるが、この天神も10年ほど前は、その座が危ぶまれた。天神より南の中洲にキャナル・シティ(ショッピングモール)が完成し活況を見せ始めたからだ。人の流れがそちらに移動したのだ。その人の流れを引き戻すべく三越や西鉄、そして岩田屋などがこぞってリニューアルをし、街ぐるみで人を呼び戻しているという訳だ。その中で、前述の地下鉄七隈線が果たす役割も大きい。そして、さびれていたその『岩田屋』本館が、以前よりあった岩田屋Z-SIDEを本館、新たに竣工した新店鋪を新館としてが完全リニューアルしたのだ。一昨年に法事で訪れた際には、まだ完成していなかったので今回割とのんびり旅なので空き時間にゆっくり見てみた。店舗の中は、しみったれた昔の面影を感じさせるものは何もない。何処かで見た雰囲気のCI。そしてCIカラー。そうそう、以前たしか伊勢丹(東京 新宿)の資本が入ったと記事で読んだ氣がする。その氣で見ると、至る所に伊勢丹の匂いを感じることが出来る。前述のCI・店内アナウンスのチャイム音・英字ロゴの使い方・・・などなど。そして極めつけはレストラン街の名称「イートパラダイス」は伊勢丹のレストラン街と全く同じロゴ!「たしか」は「やはり」に変わっていた。しかし、うーむ。なぜ「イートパラダイス」だけ同じ名称・同じロゴを使用しているのだろうか。伊勢丹のアイカードと岩田屋のAZカードは提携しておらず伊勢丹という文字は何処にも出てこない。「イートパラダイス」が特別格好いいロゴという訳でもないのだが・・・
Feb 7, 2005
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毎年、年末は友人と3人連れ立ち、泊りでスノーボードに行くのだが、先の年末は、父の忌中ということもあり、久しぶりにちゃんとした”年末年始”を味わった。しかし、ここにきて、流石に毎年恒例で行っているものを行わないと”すわり”が悪く感じてきた。何か1つ区切りが出来ていないのだ。それまでも年末に遊びはしたものの、酒を軽く飲み、ボーリングをし(その頃、我々はボーリング三昧だった)あまり普段、行かないカラオケをして、終夜運転の電車でそれぞれの帰路につくという感じだった。あれはあれで懐かしい感覚もあるが、今や、年末のボードの方が年間行事の1つとして考えるようになっている。そして年末を締める、1つの行事になっている。先の年末は、結局、私以外の2人もスノーボードには行かず高校時代のようにビリヤード三昧だったようだ。スノーボードに行くようになってそれまでの3人のただファミレスで(主に音楽に関して)だべっていた関係が変わり始めた。あれは1つの転換点だった。実際の旅は、人が聞いて思うほど、イベント三昧なのではない。と言うのも、道中は3人のお氣に入りのMDをかけながら、友人の車で宿である友人宅に向けて突っ走り、献立を考えながら買い物をし、夕食を作り、映りの悪いテレビを観ながら食べる。そして、ボードのビデオを見て、ゲームを軽く数時間(ある時は6時間もやっていた・・・)そのゲームは、なんと『桃太郎電鉄』!夜の間、盛り上がり、当然、ボードは昼の1時から滑れれば上等!という感じが常になっている。だが、そんな3人もゴンドラ以外、休憩なく滑る。そして夕方の営業終了まで滑りまくり、買い物をして・・・(以下繰り返し)という感じ。3人共、気兼ねなく過ごせる2、3日という感覚が氣に入っているのだろう。結婚した友人は今回も「今年も3人で!」と言い切っていた(笑)97年に初めて行った当初よりビデオカメラで道中を撮影し、それを友人が編集し、3人お氣に入りの曲をかぶせ1本のビデオクリップに編集してくれる。彼は、ビデオ編集を仕事でやっているプロなので、あくまでも登場しているのは3人なのだが、まるでアーチストのビデオクリップのような出来栄えになっている。そんなビデオテープが10本も揃っている、これは欠かせない行事なんだな・・・改めて深く思った。
Feb 6, 2005
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今年は、映画を観たり・音楽を聴いたり・ライヴに行ったり友人・知人と一緒に過ごしたり、そして旅行にちゃんと行きたいと決意している(笑)ま、こんなことをことさら決意するまでもないのだが、仕事以外の趣味の時間をちゃんと取っていこうと思っているのだ。一昨年、今の仕事に就いて半年は雑事に忙殺されていた。次から次へと仕事上でもプライベートでもチャレンジと言えるようなことが起こり、自分のことを考える、振り返る時間を取ることが出来なかった。そして仕事に集中しようと思うあまり、自分の得意な部分や趣味の時間を削って過ごし、息苦しくなったのだ。私は過去の日記でも書いている通り、音楽を聴いたり、夜、車で走ったり(勿論、ちゃりんこでも可)という時間で氣分転換をはかる事が出来るお氣楽野郎なのだが、この時は苦しかった。昨年の年頭も、これではいけないと決意したが、やはり外的要因に流され、特に秋以降、状態を崩した。思うようにリフレッシュ出来ないまま年を越してしまった。しかし、日記を付け始めるきっかけとなった昨年11月の「地球交響曲 第5幕」の影響は大きい。あの日から頭はシフトしていたようだ。どこか、仕事で結果を出しきれていない自分にもどかしさを感じつつそれを解消することが出来なかった自分が、あの映画を観た日から変わってきた。その過程で外的要因の1つである、父の急逝はあったものの、脈々とその思いのまま行動している。勿論、今年の目標の中にも『ビジネスでの結果の追求』を謳っている。ただし、自分の原点である『楽しんで、楽しませて』という点を忘れないためにも自分の強みにスポットを当てた活動をちゃんとしようと思っている。自分の強み、すなわち『自分の有能の輪』そして、今年はマスター(師)との出会いを真剣に考えなければならない。まずは、もう一度、自分の強みの探求と追求を行おうと思っている。
Feb 5, 2005
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2月に入り、月も変わり、旧暦でも新年を迎えた。そう3日は節分。生憎、今年は豆まきの出来る時間に帰ることが出来ず、事務所でもらった豆を夜中ボリボリ食べただけだった。(なぜかアメリカ人の社長からスタッフ全員に豆が配られた・・・(笑))さて、今年は元旦に「人生で初めて!」と言っていいほど、多くの目標・なっていたい状態を考えた。その数、100以上。そして2日に手帳に書き記した。一応、毎日見るように心がけているものの自分に余裕がないと通勤時に手帳を持っていても見返さないものだ。毎年、年末にはその年の『達成したことリスト』を書き記すようにしている。これは、どんな小さなことでも思い出し書くことで、以外に多くのことを達成したことを確認出来る。それだけでも氣持ちが前向きになり、次の年を氣持ちよく迎えることが出来るのでここ数年、実践している。たいてい、年末はバタバタして、終わりよければすべて良しという感じで流してしまうことが多い。折角、年の初めに目標や夢を設定する人でも、な~んとなく振り返ることなく過ぎてしまうのではないだろうか。また達成しなかった、出来なかった目標ばかりに焦点が向くのは懸命でない。普段、仕事でモチベーションのことを人に話している以上自分自身のモチベーションも管理しなければならないのだが、正直、年末年始(結局1末くらいまで)テンションはあがってこなかった。やっとこの数日でまず目の前のことを考え、長期的なことも考えられるように氣持ちが前向きになってきた氣がする。
Feb 4, 2005
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今日、父がリタイヤ後に携わっていた一つ「ボランティアネットワーク事業団」の新年会に顔を出してきた。そのボランティアネットワーク事業団は、父が属していた企業のグループ全体のOB・OGが入会していて、社会全体のシニア層にボランティア活動を紹介・仲介・斡旋すると共に、独自のボランティア活動を企画・立案・実行し、シニアの豊かで健康な生きがい支援を行い、グループ全体の社会貢献に資することを主な目的としてるらしい。集まっている方々は、皆、父と同年代か年配の方々ばかり、皆さん元氣だ。もっとも父も1年半前まではこの方々の先頭を切っていくような男だったのだろう。話した中の一人の方が、「我々は年がいっているからね。一瞬一瞬が大切なんですよ、だから皆、元氣なんだよ」と語っていた。しかし、決して”一瞬一瞬が大切”なのは、年がいった方々だけではない。人間は皆、生まれた瞬間から”死”に向かっている。この日常がいつまでも続くわけではないのだが、ついつい日常に流されてしまうと忘れてしまう。その方の一言で私自身も認識を新たにした。さてこの事業団の活動は3本柱で、国際交流や環境美化・福祉活動である。父もその中で、海外からの留学生とその家族を対象とする「1対1交流」を手がけていて、何人かの留学生と交流を持っていた。留学生の真面目さや交流の一部の話は聞いていたもののでは、どんなことを教えていたのか、どんなことを話していたのかを突っ込んで聞いたことはなかった。今回、新年会に顔を出したのは、単純に生前の父が、どんなものに力を入れていたかに興味があったことと、告別式の時に最後に受け持っていた留学生が弔問に来てくれて私自身も交流を持ったからである。その「1対1交流」は、日常生活面での相談や日本語練習、日本の社会・経済・文化・習慣の学習など幅広く行うらしい。まだ父も昨夏にはじめに入院した頃は、私や母に黙って外出届けを出し、教えに行っていた。そんなことが数回あった後、流石に父も外出が億劫になり、夏に最後の挨拶をしたようだ。彼自身、そこまで重い病気とは知らされていなかったようで告別式の時には落胆していた。彼の専攻は『超伝導』。その書籍は日本語で書かれており、かいつまんで説明するのにもその『超伝導』を理解しなければならない。入院前に不自由になっていく手で、父がそんな本を読んで『超伝導』を理解しようと思っていたのかと思うと滑稽である。意外な一面を教えられたような氣がして嬉しくなった。結局、今日はその彼には会えなかったが、父が生前お世話になった方々にお礼と思い出話を聴くことが出来、私が思っていた『父』としての顔と、皆さんが知っている1人の『男』の顔の違いを知ることが出来た。どうして分かろうとしなかったのか。また知ろうとしなかったのか。近すぎて分からなかった男の別の顔をほんの少し垣間見れた氣がして嬉しい。今後も、またこのような会合や人と会うことによって私の知らない父の顔を知りたいと思う。
Feb 3, 2005
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先週、今年初めてCDを購入した。この日記とは、別に音楽HPを運営している割りに遅~いペースである。 今回購入は8枚。普段、CDをあまり購入されない人が聴くとびっくりする数字かもしれないが、一時期、年間100枚以上聴いていた私にすれば、久しぶりに『買った!』という充実感に満たされた一日となった。事実、私の友人の1人は週2枚ペースで新しいCDを聴き続けている。(ちなみに彼の引越しに2度付き合ったが、次は業者を頼まないと流石に二人では厳しい・・・)さて、今回は、『購入しようと思っていてなかなか購入していなかったもの&店頭ジャケ買い』である。あわせてこんなもの店頭で売っても売れるんかいな~というレアなライヴDVDまで購入してしまった。しかし、我ながら音楽を聴いて氣分を変えることが出来るというのは、非常に単純で安上がりだな~と思う。頭の中で色々考えすぎたり、ボーッとしている時に、氣が利いた音楽が流れるラジオ局やお氣に入りの曲を聴くだけで割りと氣分が変わる。そして『店頭ジャケ買い』でたとえ数曲でも当たりの曲がある時は、お得な氣分になってしまう。12月は今までの日記を読んでいる方はお分かりのように、CDを購入している余裕も音楽を聴いている余裕もなく、音楽を聴いていても氣分転換とまではいかなかった。11月は後半、友人の結婚式BGM作成に集中していたため、今回の購入は久々の大漁!となったわけだ。その中の1枚、大メジャーなところで、聴こうと思ってちゃんと聴いていなかった Ray Charles。映画のサントラを呈したベスト盤「Ray」を購入した。次回、映画館に見に行こうと思っている1本なので、映画を楽しむ上でも、ちゃんと彼を聴く上でも買ってみようと思っていた。聴いてみると、流石ソウルの創始者と言える名曲ばかり。『な~んだ、ほとんど聴いたことがあるじゃん』とは思ったものの、ちゃんとCDは持っていなかったし曲名だけでは、歌詞も曲調も出てこないので、自分もまだまだで、やはり、たまにはちゃんとルーツも聴かなければいけないと再確認。Ray Charles がいなかったらモータウンサウンドもサザンソウルも、フィリーサウンドもなかったんだろうと思うと本当に感慨深く映画も楽しみだ。そういえば、映画「永遠のモータウン」のDVDもまだ観ていなかった。部屋のスピーカーをちゃんとしてから買おうと思っていたんだっけ・・・。
Feb 2, 2005
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今の仕事の同僚で氣のいいターザン(もちろん、あだ名)のお父さんが病に臥した。彼自身がすごく元氣で体も屈強でモチベーションも高い男なので、きっとそのお父さんも元氣の『塊』と勝手に推測していた。彼のお父さんが病気になったことは、彼の楽天日記で先日、目にして知り驚いたところに、昨日、かなり重い症状であること彼の口から聞いたのだ。そして彼は帰郷した。彼の日記の中で「~すい臓がんは痛みも無く自覚症状もあまり無いので分かりにくそうで、父の症状もかなり悪いらしい。すい臓の中央にできているらしく、手術による切除もできない。他にもリンパ腺などにも転移が進んでいるらしい~」と言う。現代医学は進み、がんという病気も以前に比べれば完全に完治出来る可能性はあるものの絶対ではない。自己治癒力を高める治療法という方法もあるので希望を捨てたくない。自分も父をなくしたばかりではあるものの、まだ友人・知人の父親は60代前半であり、人によっては50代という人もいるはず。まだまだ元氣でいてもらわなければならない世代で次世代に文化を社会を伝えていってもらいたいと思う。私の父は、この世代特有の『会社人間』であり60になりリタイアするまで欠社することなく働き、リタイア後の6年間も自分からどんどん用事や会合を作り、現役の頃より常に忙しい生活をして、走り抜けていってしまった。彼の楽天日記には「まだ、何も親孝行していない。僕の子が成人するまで生きてもらうんだ。」と語られている。そこに思わず、ぐっと来た。彼には兄弟がいるが、結婚しているのは彼だけであり、子供も奥さんのお腹の中にいる。彼のお父さんに夢と希望を語ることが出来る。確かに、医療機関に対するお金の問題はあるだろうが、自分一人で生きているのではなく、奥さんと子供を守るという使命も帯びた彼が、メンタル面で支えになることは言うまでもないだろう。彼の血、すなわちお父さんの血を受け継ぐ子供が今年、誕生する。それこそが一番の親孝行であるとも思う。
Feb 1, 2005
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