ラビィのしあわせ

  ラビィのしあわせ

August 16, 2008
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カテゴリ: Miscellaneous

昨日は終戦日記念日でした。昨日、ずっと一緒に住んでいた祖父や祖母との思い出とともに、終戦日記念日に思うことを書きたかったけれど、胸がいっぱいになって書けませんでした。それで一日遅れで書きたいと思います。

祖父は戦争の真っ只中を激戦地のジャワ島で10年間を過ごしました。
そして、やっと日本に向かって帰る途中、乗っている船が沈没しました。
山育ちで泳ぐのが得意でなかった祖父は、海に飛び込むのをためらっていると、
誰かに靴を履いたまま海に突き落とされました。船が海に沈む時の渦に巻き込まれない為に。
何とか流木につかまってまる二日。やっと救助されました。
その間、夜になると集まってくる流木を足で蹴りながら、流木に挟まれるのを必死で
防いだそうです。たまたま履いていた靴が足を守ってくれました。
靴を履かずに飛び込んだ方は、水中で怪我をして、出血が止まらずそのまま海底へ。
南の海で、血の臭いは死を意味します。今まで一緒に流木につかまっていた人が
右を見て左を見たら、もうサメに水の中に引きずり込まれていたそうです。
そして、いつ来るかも分からない救助を待つ間、どんなに疲れと絶望が襲って来ても
眠ることは許されません。そして、助かった時には、わずかの人数しか残っていなかったそうです。

祖母は、戦争前に祖父が立ち上げた商売をひとりで必至に守り、祖父が戦争から帰ってきた時、すぐにまた商売を始められるように、空襲の中、リヤカーに全ての商売道具を乗せて、祖母の義兄と共に、100km離れた田舎に命辛々運んだそうです。そして、今、私の両親がその会社を守っています。

子供のころ、機械が導入される前に、祖父と祖母の手のひらに残る、商品を作る時に握った木槌でできたというタコを触らせてもらったものです。機械が導入され、その木槌を使わなくなって亡くなるまで50年以上、そのタコは消えることはありませんでした。そのタコを触る度、自分なりにこの会社を一生懸命守ろうと思ったものです。

終戦を迎え、長い月日が流れましたが、どれだけ人の心が豊かになったでしょうか。勝った国、負けた国、どちらもたくさんの人が苦しみ、悲しみに耐えて、待ち望んだ平和を築き上げられたか聞かれたら、どれだけ胸を張って答えられるか、毎年お盆の時期に終戦日を迎えて自問自答します。

晩年、体調を崩して入院した祖父が、毎晩寝られないと言いました。なぜかと聞くと、毎晩一緒に戦争で戦って死んだ戦友が出て来ると言うのです。詳しく聞いてみると、怪我をした戦友が、その部隊が進むのについて行けなくなると、「達者でな。」と手榴弾を渡すのだそうです。くずくずして、その部隊の居場所を敵に知られないためにです。祖父は言いました。「達者でなと言って、いつ死ぬかわからない状況で苦を共にした仲間に、早く死ねよと言う。これが忘れられるか?」

毎年、お盆の時期になると、大きな愛情で包んでくれた祖父、祖母のことを今一度思い出し、自分を見つめ直します。自分の人生が終わって、また祖父や祖母に会えた時、「頑張ったよ」と胸を張って言えるかどうか。



最後にひとつ・・・
本当の意味でこの世が平和になって、世界の誰もが素直に「しあわせ」と感じられる日が来ることを願います。






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Last updated  August 16, 2008 06:19:23 PM
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