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九月の雨は、夏の名残を洗い流すようにして降り続いた。
花見川は、いつもの穏やかな顔を失っていた。千葉の台地を縫って印旛沼から東京湾へと流れるこの小さな川は、普段なら川面に空の色をそのまま映して、ただ静かに横たわっている。それがこの数日は、鈍色の空を溶かし込んだような濁りを湛え、雨粒の針に絶え間なく刺されては、無数の輪を生んでは消していた。
川沿いの遊歩道には、人影がなかった。傘の下から見上げると、ケヤキの枝先がしとどに濡れ、葉の一枚一枚が重たげに頭を垂れている。その緑には、よく見ればほんの少し、黄の気配が混じっていた。夏がいつ去ったのか、誰も気づかなかった。ただ雨の降るたびに空気が冷たくなり、気づけばもう、季節は静かに扉を替えていたのだ。
水際の草むらでは、ススキが穂を出しはじめていた。銀白の穂は雨に打たれて重く傾ぎながら、それでも風が吹けば、ゆるやかに身を起こす。その傍らで、彼岸花がひとむら、朱を灯していた。曇天の下で、その赤だけが妙に鮮やかで、まるで誰かがそっと置いていった言葉のようだった。
橋の下に立つと、雨音は変わる。頭上の鉄を叩く音と、川面に落ちる音と、遠くの国道を走る車のタイヤが水を切る音とが、ひとつに溶け合って、世界は低い囁きに満たされる。その囁きの底に、川の流れる音がある。急がず、止まらず、ただ海へ向かう音。
昔、誰かが言った。雨の日の川は、一年分の記憶を運んでいるのだと。上流の田で稲穂が実ったこと、夏祭りの夜に灯籠が流れたこと、名も知らぬ子どもが石を投げて遊んだこと。そうしたすべてが水に溶けて、いま、濁りとなって下ってゆく。
けれど、悲しいとは思わなかった。
雨は、いつか止む。そのあとの花見川には、洗われた空が映るだろう。澄んだ秋の青が、水の底まで届くだろう。そしてケヤキは色づき、ススキは風に波打ち、桜の木々は来春のための小さな芽を、枝の奥深くでひっそりと用意するのだろう。
傘を傾けると、雨粒がひとつ、頬をかすめて落ちた。冷たかった。けれどその冷たさのなかに、確かに秋の匂いがあった。湿った土と、枯れはじめた草と、遠い煙のような、懐かしい匂い。
九月の雨は、まだ降り続いている。
(文:Claudeによる)
九月の雨は初秋の花見川に(写真1+Google)
九月の雨は初秋の花見川に(写真2+Google)
九月の雨は初秋の花見川に(写真3+Google)
九月の雨は初秋の花見川に(写真1〜3) コラージュ
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