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この世界は原因があるから結果がある。ここまでは正しいはずだ。結果が起きた場合、原因がある。これもほとんど正しいはずだ。そうなってくると、「ありとあらゆる現象は、必然的なものである。」ということになる。つまり、現在までは運命だったと言って良い。これからの運命は、それぞれの自由意志でいかようにもなる。ただ、ルールを知るか知らないかで、有利不利はあるだろう。もう一度言う。「ありとあらゆる現象は、必然的なものである。」明日から書き始める「MY BIBLE」の基本骨格は上記の一行でこと足りる。つまり幸福になりたいんだったら幸福になりうる原因を集め、現象化するように構築するために毎日地道にあたりまえのように、その行動を習慣化すればいい。塵も積もれば山となるゆえ幸せになれる。あたりまえのことだ。同時に馬鹿もやれば、マイナスになる。やり続ければ不幸にもなる。これも塵も積もれば山となる。どっちも楽しみたいなら、両方極端までやって超ウルトラ綱引き合戦やって、死んじまうまでギリギリのエッジランナーやってればいい。俺はそうやりたいから、永久に幸福でもあり永遠に不幸でもある。まあ、俺のことはそんなところだからどうでもいい。問題は、明日から書く本が、『それを読む人たちに、どんな風に読まれるのか?』ということだ。俺の夢は、その本が“ただの素材”になることだ。そこらへんに転がってる石ころみたいな、拾った人が「いったいこれがなんの役に立つんだ?」と思うような本だ。でも、石ころだって、使い方次第ではかなづちの替わりにもなるし、つけもの石にもなるし、モアイの石像にもなるし、楽器にもなるだろうし、はじめ人間ギャートルズの時代ならお金にだってなる。要するに、誰もが自由に使えるマテリアルを作りたいんだ。“ただの素材”(マテリアル)そんな本を作りたい。拾ったか、もらったかして、その本を手にした人が、自由に組み合わせて使える不思議なパズルの本にしたい。使い方次第では、この世を救う賢者の石にもなるだろうしただ、私利私欲にかまけて悪魔のようにこの世を楽しむための魔石にもなる。お金儲けもできるだろうし、どんな夢も叶う可能性は発生する。そんなことも読んだ人が使って改造を続けて使い続ければ必然的に可能となってしまうような本を書きたい。この本の中心には「魔法の箱」がある。その箱の中には、たったひとつの言葉がある。それは…。たぶん。「神聖なデタラメ」そうであるならば、この本の製作者は俺ではなく本を手に取ったものであるはずだからだ。俺はただ、無責任にもその素材をこの世で見つけて集めただけだ。パズルを完成させるのは、あなた自身なんだ。というわけで、俺は今晩の凸版の仕事が終わってから断食に入ります。極力、水も飲まないようにします。もちろん。煙草も吸いません。はい。予定では、2004年12月28日AM2時から、2005年、元旦の夜明けになるまで、TOTAL・100時間断食を決行します。良い本が書けますように♪パンパン♪。。。。。。。。。。。。。。。。。。。あなたにとっての今日という日が素晴らしい日でありますようにルイジ
2004年12月27日
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今年のクリスマスはなんか私は元気がありません。夜中までに原稿あげようとは思っていたんでしたが結局、一行も書けませんでした。悩み事があると言うわけでもないのです。風邪を引いてるというわけでもありません。なにが正しくてなにが間違ってるかと言うような事を悩んでるわけでもないのです。ただ、みんな幸せそうなのに自分だけが馬鹿やってるような気がしてきてちょっと落ち込んでると言うだけなのでしょう。こんな時に良い作品が書ける訳も無く。ただ、昨日はドラクエやってました。(セブンですが~(( ̄◇ ̄*))
2004年12月25日
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私はふとおもいついたことがあると携帯にメールを打ち込んでメモをする。そうすると、パソコンに送れるからだ。こんど携帯が古くなったから機種変更しようと思って中を見たら、あら大変。未送信のメールが山のようにある。そのすべてはここに載せられないが、一部だけでも、今日はここで公開しようかと思う。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。競馬必勝法「バカ馬の大駆け」を狙う。万馬券になる。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。「人が馬鹿になる時」ギャンブルに熱くなった時お祭り騒ぎの時恋をした時時間が無くて焦ってる時なにかにハマってる時腹がへってる時。。。。。。。。。。。。。。。。カクテル「エッジ・ランナーズ」ビフィータージンペルノ・アブサンノイリープラットアロマティック・ビターズ(ペイショー・ビターズ) 大山・Bar・ラベルで、ヽ(`○´)/。。。。。。。。。。。。。。。。「お酒の魔法」お酒には魔法がある。孤独を癒す魔力がある。人の心は水晶の宝玉のようなもので、使いすぎると傷がつき、ほっぽっとくとホコリだらけになる。水晶の玉が傷ついたら治らないかと言えばそうでもない。神様が作った魔法の薬がある。それが「お酒」だ。長い間熟成された良い酒ほどにひび割れた部分に深く染み込み一時期的なものではあるが魔法のように水晶を元通りにしてくれる心をきれいにさせてくれる。こどもの頃の心にしてくれる。水晶の傷に染み込んでる間だけは、その傷を癒してくれる。ピュアに考え事できる魔法の時間をくれる。。。。。。。。。。。。。。。。。。。小室直樹「平和主義者が戦争を起こす」「憲法学入門」。。。。。。。。。。。。。。。。。。「触覚」心の手でふれることができればきっとどんなことだってわかる。。。。。。。。。。。。。。。。河合雅夫「森林が猿を産んだ」。。。。。。。。。。。。。。。石川淳「普賢 佳人」。。。。。。。。。。。。。。。。。。エッジには、奇跡もあるが魔物もいる気をつけないといけない。。。。。。。。。。。。。。。。。。。人の運はいつも動いていて運は必要な人にちょっと足りないくらいにそそがれる。乾いたコップに雨が溜まるような感じだけどそれをただ望むだけじゃだめで動いてないと雨は降らない神様はたぶん水みたいなもので流れるべきところに流れるんだろう♪。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。たぶん人はいつも自分の都合でしかなにも考えられない。俺なんかいつもそうだから誰にも文句は言えないただ君になにをしてあげられるか考える時、俺はすこしだけ誇りが持てる「人」になれる気がする。いつもは自分勝手なただの動物で君を思ってる時だけはじめて人間になってる気がする。君はたぶん普通の女で俺はただの男ででも俺にとって君は世界でかけがいのないただひとりの大切な人。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。あなたにとっての今日が素晴らしい日でありますように
2004年12月22日
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今日はだいぶ集まった「お金とはなにか?」の第2回目の考察です。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。「お金」というのは「情報」である。という、ことを教えてくれた人がいました。 「情報」というのは、かなり「意味」とリンクしますので私的にはとても面白かったです。ということは、「他者が有益だと思える情報」は売れる。 ということになります。 お金持ちは情報をいっぱい集める事が出来るので、さらにお金持ちになれる。あたりまえみたいで、気に入りました。 。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。「仏教哲学的に述べるならば、それは財徳の現れ。 つまり、必要なものを施したという果報。 帳尻が合うようにできているのだ。」という、ことを教えてくれた人もいます。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。現代が「経済至上主義」になってしまって、ものの価値も貨幣の価値も混乱してると、世の中が病んでいることを指摘してくれた人もいました。。。。。。。。。。。。。。。私はそこでこんなふうに答えました。「経済至上主義」は確かに現代の様々な問題を起こしてると思います。「お金」が「幸せ」はイコールで結ばれるはずなのに現実には持つ者によって価値観が変化してしまいますから、幸せにならないことも多々あります。「お金」のほうが勝手に一人歩きしてしまうという感じでしょうか?みんな持ちたいと思うが、持ってしまうといつしかお金に振り回されてしまう。なんか「ロード・オブ・ザリング」(指輪物語)のサウロンの指輪みたいですね。たとえば、最初は無私の心でつつましく開いたはずのお店が良いお店だからって、繁盛していって、そのうち同系列のチェーン店も作って、どんどん規模が大きくなっていったら、従業員も多くなってきますし必然的に宣伝活動にも力を入れなくてはならなくなる。宣伝活動はお金がかかる、多少嘘も入れないとインパクトがない。CM製作会社なんかは、すごいお金を稼ぎますが情報を売るだけの会社ですから、中身なんかあってないようなもんかもしれません。怖いですね。そうこうしてるうちに、大きな経済至上主義のメリーゴーランドに乗ってしまって降りられなくなってしまうのです。なんたって、暴走してて誰も止められなくなってしまってますから。(;^_^A。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。あと、こんな話も出ました。>「寄付」を趣味にしているという大金持ちの老夫婦>> (子どもさんがいらっしゃらないそうです)がTVで紹介されています。という、文章にリアクションした人がいて> 「寄付」が趣味だから「大金持ち」なのである。>と…。。。。。。。。。。。。。。。。。。この文章を読んで私は、ガッチョーンと来ました。そういえば、大金持ちになった人のほとんどはどっかに膨大な寄付なり寄金をしてる。ということが…、私の記憶には結構あるのです。うちのじいちゃんも結構わけのわからんところに寄付してたし信仰持ってる人は、教会なり、団体なり、賽銭箱に入れて安心するのか、結構、ちゃんと働いてお金持ってますしカーネギーホールとかで有名な鉄鋼王カーネギーなんか、あちこち寄付しまくって死ぬ頃にはほとんどお金は持ってなかったらしいし。もしかしたら、お金とは水みたいなもんで人は川のようなもので、流れれば流れるほど、川は河になり、どんどん大きくなり大河になるのかと思いました。お金持ちになりたかったら、とにかくどこかに寄付するのがいいのかもしれない。たぶん、そういうことが出来る人はお金がいらない人なんだろう。なくても平気なんだ。しかし、真面目だから、仕事もする。しかし、困ってる人たちに寄付もするから手元には大してお金はない。しかし、そんなお人よしだから慕ってくれる人も必然的に多くなる。そのうちかつて助けてあげた人がどっかでお金稼いで来て返しに来る。いらないってんで、他に寄付する。それを繰り返していくと、愛のあるお金だけが、福運のついたお金とか情報だけが返ってくることになる。こうなったら、必然的にまたさらにお金持ちになってしまう。でも、やっぱり、その人は寄付しちゃうんだろうな。お金なんかに興味はないし。そうなりたいものです。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。あと、こんな返事もありました。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。> お金とは”価値への信頼”です。>> ”価値への信頼”なき、お金はお金ではなくなります。>「価値の信頼」と言う言葉を私の現在のルイジ辞書で変換するとシンプルに「信頼」になります。信頼できる社会や、国家があれば貨幣が動いていてもなんらトラブルは起きないという感じでしょう。国家間に闘争がある限り、世界共通の信頼できる存在もできないのかもしれないです。でも。ヨーロッパなんかは、ひとつの紙幣で統一されつつありますし、もしかしたら、まず最初に、全世界統合貨幣が誕生するのが、世界平和の第一段階のような気もしますね。あれ、ちょっと話がずれちゃった。(;^_^A。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。このことを教えてくれた人は「マネーレス」という考えを持ってましてそのことにも興味が湧きましたが、こう言う風に答えました。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。マネーレスとは各自が自分の価値を重んじ、各自が他人の価値を重んじることが出来れば貨幣は不要だということですよね。たぶん、その通りなんでしょうが、人は弱い生き物ですから、状況や、足場によって価値観が変わるとも思いますし、自分の価値観も変わるのに他者の価値観も信頼できるかというのがかなり大きなポイントだと思います。。。。。。。。。。。。。。。。。。。あと、最近、「お金」とは「可能性」のことである。というのも浮かんできたんですが、これはずいぶん前にある真面目な人から教えてもらった事のような記憶もありその点でも、これから考えていこうとも思います。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。今日は長くなってきたんでまた、次回もお金について考えたいと思います。。。。。。。。。。。。。。。。。。。あなたにとって今日が素晴らしい日でありますようにルイジ
2004年12月18日
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お金とは一体どんなものだろうか?私は基本的にお金と意味とは同じ性質を持ってると思ってる。それは、ひとりで持ってるだけでは何の意味もない。自己から他者に、どこかに流れながら他のモノに変わる時に、お金は価値や意味を持ちこの世界に存在してる理由が出来る。これは、天才 宮沢賢治が「春と修羅」の序文で書かれていた、「わたくしといふ現象は 假定された有機交流電燈の ひとつの青い照明です (あらゆる透明な幽霊の複合体) 風景やみんなといっしょに せはしくせはしく明滅しながら いかにもたしかにともりつづける 因果交流電燈の ひとつの青い照明です (ひかりはたもち、その電燈は失はれ) 」という感覚に近いものです。電灯を照らすために流れるものが、お金であっても、意味であってもかまわないのだが、電気のようなものである事は確かです。そうなってくると、電気とはどんなものか?を考えてみたくなります。子供の思考で考えるのが面白いですので、私の知り合いの子供達に聞いてみます。乾電池の中に入ってるもの。発電所で作って電線を通じて家に流れるエネルギー。生活に必要な便利でクリーンなエネルギー。太陽の光をうちの屋根から変えて出来るよ。作るのは簡単だが、貯めておくのがむずかしい。モーターを動かす力電子レンジで料理ができる。冷蔵庫もクーラーも掃除機も動かす。携帯も充電するし、パソコンも動かす。。。。。。。。。。。。。。。。。さすが子供の着眼点は凄いですね。今日はここらへんから攻めて見ましょう。電気エネルギーは確かに、作ることはそれほどむずかしくありません。お金も作ることはそれほどむずかしくありません。造幣局が大量に刷ってしまえばいいのです。しかし、そうなるとインフレが起きます。お金に価値が無くなって来るからです。そうなってくると、流れなくなってしまい、経済は停滞しますし、国は滅びます。貯める事がむずかしい。というのも面白いです。人間は欲望を持つ存在ですから、お金があったら使いたくなります。持ちなれない人が大量にお金を持ってしまうと余計に無駄なことにお金を使いたくなります。なんか電気の放電現象と似てますね。そんな時にはブレーカーみたいな家族や友人がいてくれると良いです。今後もお金についてしばらく考えてみたいので気楽にBBSなりに書き込んでください。みんなでお金の正体について考えてみましょう。上手くいけば、簡単に幸せなお金持ちになれる方法も見つかるかもしれません。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。あなたにとっての今日が素晴らしい日でありますように。ルイジ
2004年12月15日
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こんにちわ、みなさん。今日は、また、「意味の意味」の続編になります。今回で、「意味の意味・編」は最終回となりますのでご安心ください。もちろん、素晴らしい解答が出来たからです。おそらく、これ以上の答えはないでしょう。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。////////////////////////////////////////昨日、G-NOSISさんから、またMLに一通のメールが。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。//////////////////////////////////////// G-NOSISです。(^^)>> On 2004/12/05, at 9:37, 横井直高 wrote:>>>>> みなさん、こんにちは、ルイジさん、お久しぶりです。横井です。>>>> G-NOSISです。(^^)>>>>> いわば、意味とは、「この私」と「世界」をつなぐ架け橋です。それは世界を意味づけする総体こそが、「この私」なのだとも言い得るのだと思います。>>>>>> その総体の味は、如何なる味になるのか?>>>> それぞれ個人の自意識に個性の味があるように> 無限に近い味があるのかと思われます。 この「個性」、横井さん的にいう「この性」とは、量子力学的に言えば、確率的である、という事になるでしょう。> あくまでも、私が私として生きる時に、実験的に使用した後、> あとで後悔してなくて、「役に立ったと実体験的に思えるもの」が私の哲学だと言えるような気がします。 「役に立つ」というのは、有益性ということでしょうか?それなら、哲学はそれを教えはしないように思います。哲学とは、いたって実生活においては無益であり続けるように思うからです。(有益であることも出来るのですが、哲学はそれをしないでしょう。これは、哲学の父であるタレスを思い起こします。)「真理」が哲学の一つのベクトルなら、その「真理」には日常を破壊してしまいかねない、ある種の「強度」があります。これは、哲学の思考の領域が、日常的な生活世界に止まらない、と言うのが一つ挙げられるでしょう。>>“全ての意味”の“意味”とは。(これには、意味付けを行う主体=コギトも>> 含まれます。)>>>> 意味の無い領域、ここではパラドックスが一つの指標となりうるようです。>>>>>> ―G-NOSIS―>>>> 単体で、意味という言葉を分解すると、両義性もパラドックスも含まれていてG-NOSISさんの言う事にはかなり、勉強させられます。> 確かに、私の世界観の中でも「意味」という言葉には、それらが含まれますしいつも「パラドックス」を思考してる時は、エッジ的思考をしてるなあ、と自覚します。> G-NOSISさんは、読書量も半端じゃないので、さすがだなあと思います。>> そして、自分なりに新しい表現でいろいろ融合しているところは感心します。>> ただ、いつか、誰にもわからなくなってしまう可能性があるのはパラドックスだと思います。>> そういう意味でも、哲学系MLは、架け橋だと思います。>> 意味があるものだと…。 私にとって、メーリングリストが意味のあるものかどうかは判然と致しません。 無ければないで、何とかなるでしょう。 更に言えば、私は私の意味付けを常に破棄しようとしているので、そこに意味を見いだすのは難しいように思います。 意味には表と裏がある、と…。(ファルマコン→毒=薬)> ルイジ―G-NOSIS―。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。///////////////////////////////////////////それに対して、私の答えです。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。////////////////////////////////////////////ひえーっ。まだ、もっと、深いところまで潜るんですか?( ̄(エ) ̄;)言い出しっぺの私としては、責任をとらざるを得ませんが今日、偶然、私が今いちばん愛してる人に贈ったラブレターがその私なりの答えになってるかも知れないのでここに載せます。タイトルは「キス」です。。。 。。 。。。 。。。。「キス」僕は君の腕に唇をそっと押しあてるそれはキスといえるのだろうか僕は君のうなじに唇をそっと触れるように押しあてるそれはキスとよべるのだろうか僕は君の頬に唇を強く押しあてるそれもやはりキスと言えるのか僕にはわからない僕は君の唇を奪い君の吐息を僕自身のものにしているのに僕は君と今キスをしていると言えるのだろうかたぶん大事なのは僕の心が開いているなら君の心が開いているならなにか大事なものが流れあえばどんなに遠く離れていても僕らはいつだってほんとのキスをしている。ルイジ。。 。。 。。 。。 。。 。。まあ、蛇足的解説をすれば前半の「キス」は各自の哲学であり最後の行の「キス」で、全く新しい波動が生まれるというのが、今日、現在の私の世界観です。結局、やっぱり、ごうさんがエッジのHPレスで言ってたことがいちばん全部表現してるような気がします。“人間と対象という二つの波動が「出会う」、そこに新しい波動が意味として「生まれる」のではないかと思います。”http://plaza.rakuten.co.jp/edgerunners/diary/200412010000/参照。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。へたしたら、宇宙の真理さえも万物流転の仕組みに入っているのかもしれません。もし、時の中心軸が「今」であるとしたら十分にありえることでほんとのキスが起きたそれぞれの場所がそれぞれ新しい宇宙の中心のような気もします。もちろん、これは今の私の意見であってそれさえもが客観的には真理ではないことも充分に知りながら今日は私は心を込めて私なりのキスをします。ルイジ。。。。。。。。。。。。。。。。。。。//////////////////////////////////それに対して、G-NOSISさんの返事もすぐ返って来ました。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。////////////////////////////////////G-NOSISです。(^^)On 2004/12/12, at 0:26, Ruiji Ishii wrote:> 結局、やっぱり、ごうさんがエッジのHPレスで言ってたことが> いちばん全部表現してるような気がします。>>> “人間と対象という二つの波動が「出会う」、そこに新しい波動が意味として「生まれる」のではないかと思います。”>> http://plaza.rakuten.co.jp/edgerunners/diary/200412010000/ これは、干渉縞ってことでしょうね。二つの波動が出会うことで、干渉が起きる。そして、その模様が現実のパターンと言えるでしょう。―G-NOSIS―。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。////////////////////////////////////////ちなみに、横井さんからはG-NOSISさんにこんなメールが届いてました。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。////////////////////////////////////みなさん、G-NOSISさん、こんにちは、横井です。> この「個性」、横井さん的にいう「この性」とは、量子力学的に言えば、確率的である、という事になるでしょう。G-NOSISさん、凄いですね。ここまでの認識に至るのは、高度な直感力が必要だと思われます。まさにそうですね。「パースペクティブ」において、あそことともにここに見いだされる「この私」が現象してくるというのは、さまざまな世界可能性の中から、「この私」が現象するその場をひとつの現実とするのだという自覚的あり方なのです。そこにおける現実とは、可能的な世界ではないという否定においてみいだされるべきものではなく、現実さえも、ひとつの世界可能性のひとつなのだという確率的なあり方においてのみ見いだされるような現実性です。そのような世界可能性において、実は時間も考えられていくべきではないかと考えています。未来とか過去というのもひとつの世界可能性のひとつなのですから。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。////////////////////////////////////////あと、横井さんからも、この後メールが届きまして私の意見に賛同してくれたようで大変嬉しく思いました。わかる人にはわかるというのがエッジランナーが孤独でない証拠だと言う感じです。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。////////////////////////////////////////あなたにとっての今日が素晴らしい日でありますようにルイジ次回から始まる『私の哲学』新シリーズは、「お金の正体」の予定です。
2004年12月12日
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先日、「意味の意味」を横井さんのMLで発表した所、様々な人から良識ある返事が返ってきましたので、今日は全文を紹介したいと思います。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。みなさん、こんにちは、ルイジさん、お久しぶりです。横井です。> 私は「意味」と言う言葉の「意味」> について他の言葉でちゃんと、> ずばりと表現できないか実験して> みたのですが、なかなかこれ> はむずかしい事に気づきました。>> そして「意味」と言う言葉は何のために、> どのようにして、この世に生まれてきたの> かの理由も考え始めました。>> もし、なにも知らない子供たちに> 「意味」という言葉の“意味”を聞かれた時> 横井さんは、(皆様は、)どのような答えで> 伝えるでしょうか?たとえば、木に釘を打とうとしたのですが、金づちがありません。そこで、近くに転がっていた、こぶしぐらいの大きさの石を使って釘を打ちました。このとき、私は石を単に石という意味では使っていません。釘を打つものという意味によって使っています。たとえば、自殺することばかりを考えている方は、きっと世界の意味を、どこまでも自分に不幸を投げかけてくるものとして捉えているに違いありません。そのような方に、世界の素晴らしさを、ほんの少しでも伝えてあげられたらもう少し生きてみようかと思い直すかも知れません。あるものに意味があるのではありません。そこにある何かに意味が閉じこめられているのではありません。世界を何であると意味づけするそのあり方の中で、「世界」と「この私」が現象してくるのです。いわば、意味とは、「この私」と「世界」をつなぐ架け橋です。それは世界を意味づけする総体こそが、「この私」なのだとも言い得るのだと思います。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。それに対応して意味なし番長さんから。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。その反対は、暗黙のうちに定義される。> このような質問に、投げやりでなく自分の心で考えて> 丁寧に説明しようと勇気を持て> 実行できる人たちを私は本当の人間だと思います。じつはこれがずっと気になっていたのだ。できない人は、偽りの人間だというのか。人非人、人でなし、畜生ということか。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。それに対応して私の答え。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。ルイジです。横井さんに返事を書きかけだったんですがこちらの方をちょっと優先しないと問題が大きいかと思いましたので、先に、意味なし番長さんに返信します。横井さん、ご無礼をお許しください。>> その反対は、暗黙のうちに定義される。>>> > このような質問に、投げやりでなく自分の心で考えて> > 丁寧に説明しようと勇気を持て> > 実行できる人たちを私は本当の人間だと思います。>>> じつはこれがずっと気になっていたのだ。>> できない人は、偽りの人間だというのか。>> 人非人、人でなし、畜生ということか。いえ、ロボットかと…。自分なりに考えないで、誰かの言うとおりに動いてるものはみんなロボットだと思います。誰か偉い人がこういったから、この考えは正しい。そういうことでは、その偉人の思想の宣伝をしてるロボットだと思うのです。個人は自由な存在であるのですから、自由にいろいろ考え自由に何が正しいか、なにが嫌いか、間違ってると思うのか流転しながら考えるべきだと思うのです。もちろん、この考えも鵜呑みにしてはいけません。それこそ、その方は私の考えのロボットになってしまいます。私はそんなことは初めから望んでません。つまり、私の意見を無視するのも、嫌いになるのも自由であって欲しいのが私のスタンスです。私はそれぞれ個人が自分自身で考える事がどれだけ大変で孤独で、苦痛で、そんでもって面白いのかを、自分の体験で思ったとおりに自分の言葉にして言ってるだけです。それで、傷ついたという人がいたなら、私を嫌いになって無視する権利もあります。第一、意味の意味を考えると言う事に疑問を持った人さえいるはずですし、私自身、何度も頭を抱えて、自分がアホかと思います。でも、なんか、哲学をしてるような気がします。哲学とは、本当に自由に考えることだと私は思います。ありとあらゆることは自分の心で考えて決める。それが自立だと私は思います。ルイジ。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。それに対応して、G-NOSISさんの答え。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。G-NOSISです。自分の考え、ということですが、この考えとは一体何処から来ているのでしょう。自分の考えと言いますが、だいたいは既に哲学においても、勿論その他の分野においても、ある程度は考えられています。自分の考えが、如何に制限的な思考であるかという事を、知るにも本という一つの媒介、もしくは他者の考えは、とても有益なもののように思います。更に言えば、自分という一つの固有性は、ある領域においては、悉く意味のないものになるでしょう。意味の働いている領域とは、決して、そこで閉じているものではなく、もっと他の重層的な意識の領域と結びついているのです。それは、非意味的な領域と言っていいものです。これを、非人称の領域として捉えることも出来ます。意味の奥、もしくは裏側に、言語表現を超えた地平があります。哲学とは、常にこのパラドックスに浸っていましたし、哲学が発生する地平は、常にこのパラドキシカルな領野からなのです。それでは。http://blog.goo.ne.jp/gnosis_eden/e/bcb773cbbf862b967e58c69819237088―G-NOSIS―。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。もうひとつ、G-NOSISさんの答え。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。On 2004/12/05, at 9:37, 横井直高 wrote:> みなさん、こんにちは、ルイジさん、お久しぶりです。横井です。 G-NOSISです。(^^)> いわば、意味とは、「この私」と「世界」をつなぐ架け橋です。それは世界を意味づけする総体こそが、「この私」なのだとも言い得るのだと思います。 その総体の味は、如何なる味になるのか? “全ての意味”の“意味”とは。(これには、意味付けを行う主体=コギトも含まれます。) 意味の無い領域、ここではパラドックスが一つの指標となりうるようです。―G-NOSIS―。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。そんでもって、私の答えです。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。ルイジです。やっと横井さんに返事がかけます。同時にG-NOSISさんいも書く返事にもなると思います。たぶん、横井さんは私からの返事を期待したのでなく、このML内のみんながそれぞれ考えるための「架け橋」を作ってくれたという感じです。なかなか洒落た答えだと感じてます。> On 2004/12/05, at 9:37, 横井直高 wrote:>> > みなさん、こんにちは、ルイジさん、お久しぶりです。横井です。>> G-NOSISです。(^^)>> > いわば、意味とは、「この私」と「世界」をつなぐ架け橋です。それは世界を意味づけする総体こそが、「この私」なのだとも言い得るのだと思います。>>> その総体の味は、如何なる味になるのか?>それぞれ個人の自意識に個性の味があるように無限に近い味があるのかと思われます。たとえば、ひとりの人間が「自分自身で心で考える。」ということを行なった場合、その中には、その人の子供の頃から現在までの人生の実体験が全部役立つ事になります。その中には、無数の読書も含まれます。宗教的な修行も。神秘的な実体験も、美味しく味わった料理も素晴らしい自然や、芸術を見た感動も、常識の確率を越えた悲劇も…etc含まれるかもしれません。意味とは、あくまでも今日、今の、その者の自意識の中にしか生まれないと思います。無人島で札束持ってても、おにぎり一個のほうが1億円より意味がある時もあります。ただ、私が哲学ではない思う文章は、自己消化していないで、有名だから、感動したから、というだけの理由で受け売りで本や、思想の一部分を紹介している、その人本人の哲学がないと思える時です。本当に、自分で考えた時、どうしたって、その著作物と多少は違った考えになるはずです。私自身としましては、情報をやたら詰め込む事で安心するのでなく誰かにその情報の真偽を検証してもらうために流すわけでなく今日、実際に活動するために必要であるという考えを自分なりに集めた情報の中から選び出し今、釘を打つために石を持つように思想や、本の情報は使いたいと思うのです。そして、明日、なにか新しい問題に直面した時になにか困ることがあるかもしれないので、多くの人が薦めてくれる本を読む事はしたいとは思います。しかし、それがそのまま私の哲学にはなりえません。あくまでも、私が私として生きる時に、実験的に使用した後、あとで後悔してなくて、「役に立ったと実体験的に思えるもの」が私の哲学だと言えるような気がします。>全ての意味”の“意味”とは。(これには、意味付けを行う主体=コギトも含まれます。)>>意味の無い領域、ここではパラドックスが一つの指標となりうるようです。>>> ―G-NOSIS―>単体で、意味という言葉を分解すると、両義性もパラドックスも含まれていてG-NOSISさんの言う事にはかなり、勉強させられます。確かに、私の世界観の中でも「意味」という言葉には、それらが含まれますしいつも「パラドックス」を思考してる時は、エッジ的思考をしてるなあ、と自覚します。G-NOSISさんは、読書量も半端じゃないので、さすがだなあと思います。そして、自分なりに新しい表現でいろいろ融合しているところは感心します。ただ、いつか、誰にもわからなくなってしまう可能性があるのはパラドックスだと思います。そういう意味でも、哲学系MLは、架け橋だと思います。意味があるものだと…。ルイジ。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。今日はかなり、長い文章になってしまいましたがここまで読んでくれてありがとうございます。あなたにとっての今日と言う日が素晴らしい日でありますようにルイジ
2004年12月09日
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今日から、私は楽天に新しいコーナーを提案した。早速、今日からこのコーナーを育てていこうと思う。「私の哲学」というコーナーで内容は『自分なりに心で考えた事を発表する』というコーナーだ。何を書いてもいい。それくらいの自由は人間は無いといけないと思う。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。そういうわけで,今日は最近私が気に入ってるテーマ「意味」の「意味」を発表します。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。「意味の意味」「意味」を辞書で引くと、「重要」とか、「価値」というのがある。 たとえば、あることに対して「意味がある」「意味が無い」と、論争になってるとき「重要な価値がある。」「重要な価値が無い。」とも置き換えられるから、ある程度は当たってるような気がする。 しかし、英語では、意味は「meaning」のほかに「sense」と訳される事もある。 俺は『「意味」を辞書で調べたら「本質」とは載ってなかったか?』と私の親しい友人であるユウゴに聞いたら ユウゴは>「本質-essense」にも、senseが入っています。> esとは、《それ》かな? と言う風に教えてくれた。 んで エッセンス(本質)とは、直訳すると「その意味」になるわけだから俺の感覚もまんざら間違ってなかった事になる。 意味というのを,バラバラにすると音の下に心があって、それを味わう。と言う感じになる。 人それぞれ、物事の味わい方が違う、だから、人それぞれ、あることに対して「意味があるか」、「無いか」も変わってくる。 でも、それぞれになにかを味わってると言う事は事実なんだ。 ユウゴはこういった。 > 「センス=意味、感覚、方向」という据え方は好きです。> > 人間(ホモ・サピエンス)は意味を味わう生き物、という言い方が出来るように思いますが、>サピエンス(知性)と同根であるサピエールは「味わう」、という意味があります。> > 意味とは、意の味。> > そんなところでしょうか。 というのが、今のところ一番俺が気に入ってる答えだ。 。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。んで、今日はそんなこともあって私が敬愛している横井さんという哲学者のMLにもこんな文章を流した。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。横井さん、皆様、お久しぶりです。今日はちょっと素敵な質問が思い浮かびましたので時間のある方は一緒に考えてくださると嬉しいです。私は「意味」と言う言葉の「意味」について他の言葉でちゃんと、ずばりと表現できないか実験してみたのですが、なかなかこれはむずかしい事に気づきました。そして「意味」と言う言葉は何のために、どのようにして、この世に生まれてきたのかの理由も考え始めました。もし、なにも知らない子供たちに「意味」という言葉の“意味”を聞かれた時、横井さんは、(皆様は、)どのような答えで伝えるでしょうか?この質問は、私の親愛なる友人たちに聴いて回っているところなのですが、どれも素敵な答えが返って来ています。このような質問に、投げやりでなく自分の心で考えて丁寧に説明しようと勇気を持て実行できる人たちを私は本当の人間だと思います。私はそういうことが出来る者を賢者であり哲学者だと思います。辞書に載っている通りの説明でこの世の中のすべてが表現できるなら「意味」と言う言葉も、辞書に載ってるその通りの「意味」しかないでしょう。それは正論かもしれません。しかしそれはその時、人類はいつしか本からの受け売りでしか思考が出来ないロボットのような存在になってしまう気がします。意味を食べる生き物である人間として、意味の意味をもう一度自分なりに心で考えて表現できるかに挑戦する事はとても素敵なことだと思います。というわけで、私は子供になりきって横井さんと皆様に聞きます。「ねえ、意味ってことばの意味は? おしえて!」ルイジ。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。楽天の皆様もできれば参加してください。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。あなたにとっての今日が素晴らしい日でありますように
2004年12月01日
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