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こんにちは、エイヒロです。今日は泉から、まず小名浜へ向かいます。そこで自転車を借りようかと。泉駅です。滝尻の国道交差点滝尻バス停芳川橋臨海鉄道と交差小名浜愛宕町の歩道橋から泉方面心光寺(寺廻町)海福稲荷。かなり狭い敷地です。向かいの店須賀山稲荷港方面イオンモール前港を望む公園。右手はアクアマリンふくしま。いわき・ららミュウ。ここでレンタサイクルを利用します。名付けて「ブルーオーシャン エイちゃり号」です。これから海岸沿いを走ります。小名浜港。予報では一日曇りでしたが、だんだんと晴れてきました。ブルーが眩しいです。何せ大きい港なので、船ばかり撮ってしまいました。津崎神社(下神白)小名浜港トンネル法船寺入口(下神白)神白川御霊神社(下神白)下神白永崎稲荷神社(永崎)中之作港江名江名港江名諏訪神社二見ヶ浦。右手は合磯岬。左手は塩屋崎諏訪神社(豊間)この辺で、小名浜へ戻ります。(乗捨てだったら、もう少し先まで行けたかも)真福寺(江名)鹿島灘がいかに海の難所か。こちらは雑草が生い茂っている、歩道の難所です。冷泉寺(小名浜)。モダンなお寺さんです。小名浜ららミュウ。自転車を返却したら、同じところで開催されていました。この施設も相当の被害だったようで、ビデオが繰り返し流れていました。小名浜「じゃんがら」とは、いわき名物の踊り念仏のことです。どんなものか気なります。小名浜諏訪神社神社を出たところ、奥が神社の森。さてここから湯本へ向かいます。若宮八幡宮(大原)隣にある徳蔵院矢田川住吉神社(住吉)入口一の鳥居藤原川(島橋)。これより「村」へ入ります(人の視線とか、これまでと全く違う)。國魂神社(島)馬玉町常磐線踏切宝蔵寺入口牛宮神社(馬玉町)岩ケ岡町高照寺(岩ケ岡町)。疲れがピークで登る気になりません。能満寺(西郷町)沖縄エイサーの始祖!確かにきれいなお寺さんでした。ようやく町へ出られます(西郷町)。関船町。解体中の民家。長松神社(関船町)以下、金毘羅宮と同じ敷地にあります。天満宮諏訪神社金毘羅神社湯本駅前通り湯本駅宿泊予定のホテル前にある八坂三峯神社ゴール。本日はここまで。【まとめ】小名浜「じゃんがら亭」のところで、実はその辺り遊楽街だったようです。通りの反対側に「イワキ会館グリーン劇場」というのがあって、呼び込みらしきお兄さんがいたので通り過ぎましたが、チラと見たら入口にサーフボードがあったので、何をやっているところか後になってすごく気になりました。「じゃんがら」ですが、こちらも大いに気になります。この後度々登場します。歩行距離 約17km(自転車走行距離は除く)
2023.12.30
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こんにちは、エイヒロです。今日から新たなセクションです。今日は大津港から泉へ向かいます。ずっと雨でしたが、止んでくれました。が、肌寒いです。大津港駅前です。駅近くの食堂八坂神社(大津町北町)港へ向かう道民宿街平潟漁港「鮟鱇・・・・・復興への願いを込めて」上の方が切れて申し訳ありませんが、波のモニュメントです。八幡神社薬師如来木造3階建ての旅館~砥上屋さん八幡宮小さな町ですが、雰囲気の良いところです。漁港から国道方面。さつま揚げ製造直売の大黒屋水産さん。県境を越えました! さらば茨城県、こんにちわ福島県!津神社九面薬師堂勿来漁港。中央が魚市場です。威勢のよい声が聞こえてきます。国道沿い海岸勿来八景の一つです。勿来関にて 一人佇む 烏かな浜街道。歩道奥が雑草で狭くなっています。同様の状況が、この後多くなってきます。関田。折り畳み自転車を積んでいます。関田。緑のじゅうたん。「安全で美味しいトマト」伊勢両宮神社蛭田川八坂神社(錦町)「荒町と曲がらぬ月の歩みかな」ここも勿来八景です。昔は、中田村と言われていたところです。錦町何かあって助けを呼んでも、誰も来ないようなところへ来てしまいました。稲荷神社(錦町)この辺も津波でかなり浸水したことが伺えます。豊川橋錦町稲荷神社(錦町)大山祇神社(錦町)二本の丸太が両側から建物を支えているようです。鮫川(鮫川大橋)河口方面、左は火力発電所。渋川渋川を渡ったところ(佐糠町)八幡神社(佐糠町)東田町塩田出羽神社(東田町)倒木、というよりもこの石段かなり登ります。これまでで最多では(出羽)。ご覧の通りの標高です。県道20号(東田町)泉方面へひたすら真っすぐ、緩やかな上り坂が延々と(金山町)金山町妙法寺(黒須野)黒須野釜戸川(泉橋)諏訪神社(泉町)相当歴史のある神社らしいです。(由来が見当たらなかったのが残念)この境内で行われる「滝尻ささら」が「大観」にありました。泉神社(泉町)北野神社(泉町)小山橋泉町鹿島神社(泉町)常磐線陸橋から駅方面八幡白山神社(玉露)泉駅(福島臨海鉄道)ゴール。JRの泉駅です。今日から3日間の泊り湯本へ向かいます。【まとめ】とうとう福島県に入りました。(まさかここまで来るとは)今回のセクションは、いわき市内を歩きます。何せいわき市は広いので。しかも、あの「山の神」柏原選手の出身地なので、かなり鍛えられるかも(怖い)。歩行距離 約22km
2023.12.26
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【行徳みんよう勉強中!】行徳で昔諷われていた民謡を「日本民謡大観」収録曲を中心に紹介します。【行徳音頭】「主は沖へ出て」塩浜三番瀬公園ハー 主は沖へ出てマタ わたしは田んぼナーエ 夫婦揃って イッチャサッと 共稼ぎナーエ (ハア イッチャイッチャイッチャサッと) 私ゃ行徳マタ 塩浜育ちナーエ 色の黒いのは イッチャサッと 親ゆずりナーエ 行徳名物マタ 自慢は無いがナーエ 塩に新海苔 イッチャサッと 塩浜踊りナーエ 沖の鴎にマタ 汐時聞けばナーエ 私ゃ立つ鳥 イッチャサッと 浪に聞けナーエ 清き流れのマタ あの江戸川にナーエ 米とぐ娘の イッチャサッと 水鏡ナーエ 行徳名物マタ あの海苔さえもナーエ 好いた上なら イッチャサッと 身を焦がすナーエ 行徳よいとこマタ 名所のところナーエ のぼる朝日に イッチャサッと 波が散るナーエ「日本民謡大観」に収録。昭和17年7月7日千葉県東葛飾郡南行徳町にて録音。1966年(昭和41年)に原田直之さんがシングル「新相馬節」のB面として発表しています。元唄は安房地方の「いっちゃいっちゃ節」で、幕末~明治に流行っていたこの曲に当地の詞をつけたとされています。踊りの方は「塩浜踊り」と呼ばれ、塩田掻きから伝えられたとあります。千葉県一帯と茨城鹿島地方・福島相馬地方辺りに同系の唄があります。「壁塗甚句」も似ていますね。さて行徳音頭ですが、「大観」の方は演唱者は宇田川徳次郎・青山与五郎とありますが、女の人も含めて何人かで1コーラスごとに唄っています。さらに三味線(たぶん!)が1台伴奏していますが、何と言っても前奏と間奏の「いっちゃいっちゃ」ならぬ「ズンチャズンチャ」という音の適当に弾いている感じが大好きです。この三味線のリフが曲の個性に強いインパクトを与えています。日本の民謡でこのフレーズは他に思い当たりません。是非ともキース・リチャーズに聴いてほしいです。一方の原田直之さんVerは、オーケストラも入って民謡というよりも「歌謡曲風お座敷唄」or「お座敷唄風歌謡曲」といった感じです。レコードに「流行民謡」と記載されている通り、昭和のこの時代に流行った音なのでしょう。歌詞は順番は違えども「大観」と同じで、「ズンチャズンチャ」も上品に演奏されています。現在は近所の公園の盆踊りソングとなっています。(4人の会 田中さんからお借りしたドーナツ盤ありがとうございました。)ただ歌詞が同じということは「大観」Verは、昭和17年時点においては既にかなり整理されていると言えないでしょうか。その意味で気になることが2点あります。その1 「トコ」はどこへいった?市川民話の会が発刊した「市川の伝承民話」(第1集は昭和55年)には、当時の市内の古老から伝え聞いた民謡が何曲か収められています(歌詞のみ)。その中に「いっちゃさ踊り」「塩浜音頭」という「いっちゃ節」と同系と思われる曲がありました。そしてもう一つ、同じ頃文化庁が実施した「民謡緊急調査」があり、千葉県では教育委員会がネットで「房総の民謡」というタイトルで公開しています(音源のみ)。それらに掲載されている中の市内の曲を3曲(音源からの聞き取りのため、歌詞が違っていたらすみません)○いっちゃさ踊り(本行徳)(歌詞と音源) 前の流れはマタ あの江戸川でナーエ 裏で海苔打つ トコトントコトンと 音がするナーエ 千里寄せくるマタ 汐路を受けてナーエ たけよたけたけ トコイッチャサッと 磯の花ナーエ○いちゃいちゃ踊り(北国分)(音源のみ) 押せや押せさせマタ 二丁櫓で押せばナーエ 押せば港が トコイッチャナッと 近くなるナーエ○いちゃいちゃ踊り(若宮)(音源のみ) いちゃいちゃ踊りにマタ つい見初められナーエ ハイと返事を こりゃまったくだよ せなならぬナーエ下の句ですが、若宮の「こりゃまったくだよ」は、かなり独創的です。注目したいのが、本行徳と北国分の「イッチャサッと(イッチャナッと)」の前に「トコ」が入っていることです。元唄とされる「いっちゃいっちゃ節」には「トコ」はありません。推測ですが「トコ」とはおそらく1番の「トコトントコトンと」からの流用では。そして行徳音頭の歌詞を整理する過程で「トコ」が消えたのでしょう。しかし一方で、音頭は「いっちゃさ踊り」とは別の唄からの転用との可能性も否定できません。当初は音頭が昭和17年、この2曲が昭和55年録音なので前後関係が混乱したのですが、唄い手は音頭以前の唄を覚えていたのでしょう。「清き流れのマタ あの江戸川に」今井橋からその2 「主は沖へ出て」何をしていた?2番以降の歌詞を読んで、この点を説明している箇所がどうも見当たりません。ネットで踊りのサイトを拝見しましたが、見た限り動作は田畑作業と海苔作り、つまり「共稼ぎ」でいうところの奥さんの担当作業のみです。唄の主人公があくまでも「わたし」だからでしょうか。さて以下はまた推測ですが、普通に考えれば「主は」漁師かと思います。海苔養殖を主にスズキやイワシのほか小魚・貝類を獲っていたのでしょう。もう一つ製塩も考えられます。何と言ってもかつては行徳の中心産業でしたし、先述の「いっちゃさ踊り」の「たけよたけたけ磯の花」はまさしく塩焼を意味しているかと思います。そこで気になるのは行徳音頭はなぜ「音頭」なのか?です。歌詞がかなり整理されていると申しましたが、それは整理する目的があったからではないか。当初から「行徳音頭」を作ろうという制作の意図があったからだと考えます。たとえば市区町村が後援する民謡大会でオープニングにその地の○○音頭を唄い踊ることがありますが、行徳音頭もそのような類の曲ではなかったか。そうした曲の歌詞は大体、その時代の町の風景や四季の変化、未来へ向けての明るい希望を唄っていることが多いですが、であれば過去にすでに失われた風景を唄にするのは考えにくいです。製塩業は事実上明治の半ばには衰退し、大正6年の津波により海苔養殖の比重が増したと言われています。さらに昭和25年には漁業権を得ています。これらのことから、やはり「主は」漁師かと。ただ唄においては単に半農半漁という当時の生業スタイルを言い表したものと思われます。その他にも気になる点として、安房地方の「いっちゃいっちゃ節」がいつ頃どのように生まれたのか、なぜ湾奥エリア、特に市川市内で同系の唄が多く伝わっているのか、その経路と速度等々あります。特に伝播の速さという点では(ラジオ放送開始が大正14年)、例えばハイヤ節がおけさ節やアイヤ節になり、信州の追分が江差へ伝わった北前船ヒストリーとは異質な感じがします。ヒストリーというよりミステリーですね。ただ、そのミステリーこそ民謡の魅力の一つであると付け加えさせて頂きます。引き続き【勉強中!】です。
2023.12.24
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今回は、もう大分以前のことになりますが「市川歴史博物館」を取り上げます。今年(2023)1月に訪れましたが、その後各地の博物館・資料館を見て、それらと比較しても遜色のない内容ですので改めてご紹介します。(2023年1月時点のものです)べか作り入口入って最初に目につくのが、この「大べか」です。「大べか」は海苔採りをする「べか舟」の一回り大きいものです。主に船大工による製作についての説明です。道具の数々です。塩つくり行徳では昔から塩つくりが盛んに行われていました。大まかに言って、塩は海水から鹹水(濃い塩水)を採集し、煮詰めて精製されます。奈良時代頃から塩は塩田で作られるようになりますが、海水を運び上げて撒く「揚浜式」と、海水をその干満差を利用して塩田に引き込む「入浜式」とがあります。行徳では江戸時代頃から徐々に入浜式へ転換していったそうです。(塩の出来るまで)の説明初日○砂干し・・・・・塩場鍬(しょばくわ)で砂を塩田にまき散らす。○砂払い・・・・・払い竹で砂をたたいて平らにする。○砂寄せ・・・・・寄せ板で砂を集める。2日目○寄せ砂干し・・・・・前日に集めた砂を干し板を使って塩田に撒く(風通しを良くする)○塩水取り・・・・・塩場桶の上に塩場笊をおいて砂を盛る。そこへスマシを通して塩水を注ぐと砂に付いた塩分が桶の中に洗い流される。(「笊取り法」という)○塩焼き・・・・・塩水を土釜に入れて煮詰めて塩を採る。塩つくりは雨に弱いため夏場が最盛期、とありました。真夏にこれらの作業をするのは想像できないほど大変だったでしょう。江戸時代初期の、幕府による保護政策と水路の充実で行徳の湊も活気があったようです。その後は、幾度となく見舞われた洪水や津波による被害と、その度ごとに復活した行徳の塩業でしたが、江戸時代半ば以降は気候の安定した瀬戸内の塩に押され、明治の専売法実施と大正6年の大津波などにより終わりを告げました。海苔つくり行徳の海苔は、明治33年に南行徳村の初代村長が自費!で技術導入し、養殖に成功しました。海苔採りは12月、1月が盛期ですが、海苔はぬめりがあるので素手で摘み取っていました。こちらは想像できないほどの冷たさです。海苔切り・・・・・細かく刻む。(飛行機包丁!を使っていた時代もあった)海苔抄き・・・・・刻んだ海苔を簀(す)の上に乗せた木枠の中へ注ぐ。海苔干し・・・・・1枚1枚の海苔簀を葦簀(よしず)に張り、天日干しする。現在も三番瀬で養殖が行われています。(私は見てませんが「アド街」で取り上げられていたそうです)農作業と農具類の展示肥桶(こえおけ)大足、田うね万能、平鍬・・・・・田植え前の土つくり(何回か行う)の農具バイスケ(竹かご)・・・・・苗を本田へ運ぶ→「田植え」除草機・・・・・草取り(2,3回は行うようです)水車・・・・・田んぼへ水を引き込む「脱穀から貯蔵まで」万石通し、千歯扱(こ)き・・・・・脱穀の道具カラウス、唐箕(とうみ)・・・・・脱穀の道具以上、思い切り簡略した説明となりましたが、改めて米つくりの工程の多さに驚きます。昔の人の大変さと知恵には頭が下がります。「市川歴史博物館」おすすめです。是非一度行かれてみてはいかがでしょう。最寄り駅は北総線「北国分駅」です。行徳地区にもあったら良いのですが・・・・・参考文献「明解 行徳の歴史大事典」鈴木和明著「市川の伝承民話」市川民話の会編「日本生活図引1たがやす・2とる・はこぶ」須藤功編「浦安のかあちゃん農家」西脇いね著・・・・・隣町浦安が舞台ですが、昭和10年代から農業に関わった著者が農業の苦労と楽しさを生きた経験として伝えて、知識のみならず感動を与えてくれます。
2023.12.15
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こんにちは、エイヒロです。今回のセクション最終日、今日は南中郷から大津港へ向かいます。南中郷駅です。塩田川塩釜神社(鳥居の左は常磐線の線路、つまり神社は線路の向こう側となります。)奥の鳥居が最初に写したものです。踏切ではないので「立入禁止」とありました。足洗素鵞神社(足洗)分かりにくい所にあります。他人の家の敷地かと思いました。子渡神社(足洗)下桜井。R6陸前浜街道沿いです。同じく街道沿い、新築住宅・団地が多いです。津方神社(下桜井)神社近く。蔵の修復か? ただ地盤はかさ上げのようで、しかも隣の2棟は新築に見えるので、もしや古い蔵の移築か?下桜井集合写真のようです。海岸近く。海岸大北川(R6大北橋)磯原駅入口磯原駅閑散とした駅前風景も慣れました。夢窓疎石は、鎌倉~室町の作庭家で臨済宗の偉い禅僧です。北茨城市の臼庭というところで、悟りの境地を得たそうです。円福寺。こちらは一遍上人です。野口雨情さんの生家入口弟橘媛(おとたちばなひめ)神社。天妃山を登ります。水戸光圀公が腰掛けた石です。この景色を眺める為に。歴史民俗資料館(野口雨情記念館)R6街道沿いかなり広い敷地の墓地、「ありがとう」と書かれている墓石がありました。二ッ島国道は騒々しいので、堤防沿いを歩こうと思いましたが、波しぶきが堤防を越えるのを見て諦めました。野口雨情の「磯原小唄」の碑。手前に立てかけてあるのは何ですか?稲荷神社(神岡上)神岡上?下?辺り神岡下十字路常磐線の踏切辺り謎の煙突R6仁井田交差点の歩道橋からです。大津漁港。この辺も被害の大きかった所です。漁業歴史資料館「よう・そろー」ここは大変面白かったので、紹介します。御船祭というのが5年に一度行われています。係の方が熱く語って案内してくれました。船の陸上渡御があるそうで、確かに勇壮な感じがします。実際の船が展示されています。舵輪(だりん)。他にも漁具関係の展示があります。大漁旗吹き抜けの2階から見たところです。迫力あります。御船祭の次回は来年(2024)5月2日・3日です。大津漁港大津町三峯神社(大津町)安波大杉神社長松寺(大津町)絶対に誰も読めない「佐波波地祇(さわわちぎ)神社」入口。ここからが長いです。素鵞神社さらに登ります。稲荷神社やっと到着です。考えてみると、この神社は裏まで車で登れる道が通っていますが、そうでないところはどうやって資材を運ぶか、山上の神社のメンテナンスは大変です。妙音寺大津港駅へ向かう道レトロな看板こちらもレトロ、駅前にある建物です。ゴール。大津港駅です。【まとめ】「二ツ島」のところで、結局国道を歩くことになったが、いつの間にか歩道がなくなってしまった。(ここで言う「歩道」とはガードレールもしくは縁石もしくは車道と段差のある道、白線のみではない)反対車線には歩道があるが、横断歩道が無い。危ない思いをして渡った。と思ったら、こちらも遠くに歩道が無いように見えた。近寄ると辛うじて歩けた。交通量の多い道で歩道の無い道を歩くのは危険。国道でも少なからずある。事前の確認が必要!野口雨情記念館では、いかに多くの作品を残した人か分かった。民謡では「磯原節(藤井清水曲)」「三朝小唄(中山晋平曲)」が有名だが、これらは「新民謡」と言われる。では「新民謡」とは、ということになると「民謡」とは何か、他にも「俚謡」「俗謡」とかいう言葉もある。加えて、野口雨情は「新民謡運動」の中心を担っていた人だったが、その時代背景(日清日露戦争、国威発揚、関東大震災、ラジオの普及)と民謡や流行歌との関わりも説明を要する。つまりかなりややこしい話となる。民謡と船との関わりというと「北前船」「弁財船」等、歴史ばかり関心があったので、目の前の宇宙戦艦ヤマトのような船が漁船とは思わなかった。今の漁業の様子が垣間見えた。ネットで「巻き網運搬船」の回頭、接岸の動画を見て興奮した。今回のセクションはこれで終了です。次回からは福島県編です。歩行距離 約16km
2023.12.08
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こんにちは、エイヒロです。今日は日立から南中郷へ向かいます。日立駅前です。駅前左手はオフィスビル街ですが、右手は工場群です。「踏切と海」ベタな構図ですが、見飽きません。本宮町滑川本町豊川稲荷。愛知県の豊川稲荷の分霊を勧請したものです。見捨てられた感があります。滑川本町塩釜神社愛宕神社。塩釜神社近くにありましたが、鳥居だけのような気がします。滑川本町田尻町種殿(じゅうどの)神社(田尻町)秋葉神社(境内にある不動堂の由来)田尻宿公民館小木津駅澳津説神社。オトツセツ?オクセツ?読み方色々あるようです。境内を掃除されている方がいました。日高町除草作業中です。R6(陸前浜街道)をくぐります。小木津浜(漁村らしい雰囲気です)東連津川(東連津橋から)奥の祠は「最上神社」とあります。(折笠町)折笠町川尻漁港民家の敷地内にある熊野神社森島酒造(川尻町)私は知らなかったのですが、歴史のある酒屋さんです。稲荷神社(塗り立てのようです)修繕中か塗装中のところに出くわしました。十王川護岸工事中です。館山神社(川尻町)蚕養(こかい)神社(川尻町)この辺の「小貝浜」の地名はここから来たようです。悲しい伝説です。養蚕業はインドから来たということでしょうか。こういう景色を見られるから、高い石段も登ってこれるのです。R6十王駅入口(実際の駅はさらに2km先)艫(とも・・・船尾のことです)神社(十王町友部東)十王駅近く十王駅十王川伊師本郷伊師。山林の中へ入ります。ここから高萩市です。突然、S字カーブの下り坂です。箱根の6区のようです。秋葉神社こちらは道路を隔てた別の秋葉神社の祠です。石滝。ようやく山林を抜けました。花貫川高萩市歴史民俗資料館。節電中のためか暗くて展示物がよく見えませんでした。高萩駅入口道路沿いにある巨大な馬頭観音、迫力あります。高萩も日立市同様、多いです。高戸辺り関根川赤浜。R6街道沿い。南中郷駅入口ゴール。南中郷駅です。【まとめ】昨日よりは、高低差なだらかなコースでした。小木津浜や川尻漁港は、民家の庭先にさり気なくサーフボードが立てかけてあったり、こじんまりとしてはいますが、雰囲気のよい町と思いました。歩行距離 約22.5km
2023.12.05
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