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英国を舞台にした映画で、子供の頃からいつも不思議に思っていたことがある。それは、必ずといっていいほど出てくる「ヒマな居候」の存在である。例えば「マイ・フェア・レディ」に出てくるピカリング大佐。あの人は何でずっと教授んちにいるんだろう。三食ごちそうになっているが、何で教授はそんなに金持ちで、何でピカリング大佐はそんなにヒマなの?子供心にいつもそう思ってた。「名探偵ホームズ」のワトソン博士の存在もやはり私にとっては不思議きわまりない。医者だと言っておきながら、いつもホームズの事務所に入り浸っていて、ロクに医者らしい仕事もしている形跡がないのだから。確かどちらも退役軍人(ワトソン博士は退役した軍医)。年金で生活しているからヒマで悠悠自適なのだ。どちらも奥さんはどうしてるのかな、とまた別の疑問も湧いてくるのだが・・・(笑)でもこういうやや貴族的な有閑階級が英国には沢山いて、彼らの存在が英国人の生活を面白くしているのは確かだろう。そして、この伝統(?)は現代も続いていて、そういうライフスタイルを貫いている人たちは、結構沢山いるのだ。実は英国で知り合った夫婦と、その回りにいる人たちが、それを地でいっている人たちだった。旦那さんは有能な証券アナリストだったが、かなり若くして(40代だったと思う)財を築き、セミリタイア。はやくも有閑階級の仲間入り。で、彼は何かクラブ組織のようなものに所属して、毎日そのクラブの人たちとスポーツをしたり旅行をしたりパーティをしたりと社交三昧の生活。そのクラブは世界的な組織なので、そこに入っていると、世界じゅうどこに行っても孤独ということはないそうな。電話一本で、見ずしらずの人のところに泊めてもらえるという。自分たちもそうやるので、彼らも客人がくれば当然のように泊めてもてなす。そしてそうやって客人をもてなすことを心からエンジョイしている。なかには、それをいいことにずっと他人の家を転々としながら居候生活を続けている猛者もいるらしい。友人夫婦のところにちょくちょく転がり込んでは、友人を悩ませているある男性は、すばらしい社交マナーを身に付けていて、英国人に言わせると、彼は絶対に上流階級の出身だというほど品のよい英語を話すのだが、金はなく、まともな仕事をしようという意欲もなく、なんとかそのチャーミングな人柄でもってうまく人にとりいり、居候生活をしているらしい。(しかも国際的レベルで。つまりいろんな国を渡り歩いているらしい。)ここまで行くとやはりちょっとすごいけれども、でも基本的に英国人は仕事をしないということに対してあまり罪悪感ももっていないし、またひとのうちに泊まるとか長期滞在(居候)する、ということについて、あまり遠慮というものはないような気がする。これはきっとそういう社交文化の伝統があるからだろう。そのかわり、マナーはしっかりしていて、迷惑をかけたり、嫌な思いをさせたり、ずうずうしい振る舞いをしたり、ということがない。こういう社交術を身に付けている英国人は、だからとっても旅上手である。長期で旅行をした人の話をきくと、たいてい「友人を訪ねて」というフレーズが入る。その土地に住む友人を訪ねる旅というものがベストであることを、彼らは良く知っているのだ。友人(どの程度の知り合いであれ友人は友人)宅に泊まり、食事をご馳走になり、案内してもらう。それが最も安上がりな上に、その土地を一番よく知る方法でもあり、さらにパーティなんかに顔でも出せたら新しい知り合いも増えるし、そこからまたどんどんつながっていく。そういう楽しさを一度知ってしまったら、高いお金を出してホテルに泊まって、通り一遍の観光しかできないような、そんな旅はバカバカしくてできなくなるに違いない。旅というと買い物に走る日本人だが、これからの時代は、こういう「人と触れ合う旅」を求めるようになってほしいものである。
2005年06月09日
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近頃、欧米では禅が流行している。禅という名前さえ付ければ結構、いろんなものが売れるらしい。で、全然、禅と関係ないものにまでZENなんて名前がついてたりする。しかし実際、まじめに禅をやっているひとも多く、英国にも驚くほど沢山の禅センターがあって禅メディテーションの会などを開いている。しかし、この英国式の禅メディテーション、日本の坐禅会などとは、全然雰囲気が違うらしい。そもそも、日本の曹洞禅や臨済禅だけでなく、いろいろな系統(チベット仏教のティクナトハーン系とか、FWBO系とか・・・)がはいっていて、それぞれに雰囲気もやり方も違うとか。実は夫は、そのあたりを研究テーマとしていたので、在英中にいろいろなRetreat(ヒーリングのためのメディテーションの会ようのなもの)に参加している。これが結構、楽しそうなんである。第一、リトリートを行う場所、というのが、いずれも風光明媚なリゾート地のような場所。写真をみせてもらったが、いや、ほんとうに絶景かな、という場所ばかり。しかもお食事も美味しく、料金も驚くほど安い、と三拍子揃ってる。2泊3日とか、長いときには1週間ぐらい、そういうすばらしく景色のよいところで、日常のストレスフルな生活から離れて、坐禅を組み、散歩をし、Teaを飲み・・・と、ゆったりとした寛ぎの時間を過ごす。1週間後には、すっかりリフレッシュできるらしい。これのヨガバージョンもあるらしく、こちらには私も興味があったので一度ぐらいやってくればよかったなあと、ちょっと後悔している。この英国式リフレクソロジー型お気楽「禅」の世界は、日本の厳しい「禅」の世界とは全く違う。ピンと張りつめた禅堂のストイックな雰囲気のなかで厳かな気持で座るということは、それはそれでとってもいいんじゃないか、と私なぞは思うが、でもリラックスした雰囲気の中でのほんわかとした禅メディテーションも、やはりとても魅力的な気がする。どちらも非日常というセッティングは同じ。で、何日か過ごすと心が洗われるという点でも同じ。効果が同じなら、でもやっぱりラクで美味しいほうがいいかもねえ。
2005年06月09日
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一昨日の日記、別のところで同じことを書いたところ、「頑張りすぎる日本人」に対するリアクションが多いのには驚いた。日記の意図は「頑張る日本人ていいじゃない」、というメッセージだったのだが、反応は意外に「何で日本人てこんなに頑張るんだろう」系が多く、びっくり。確かに、英国人はどんなときでもユーモアを忘れず、リラックスして楽しもうよ、というスタンス。頑張りすぎるのはかっこ悪い、とどこかで思ってるんじゃないか。精神的なゆとりを感じる。そこいくと日本人は、いつもマジだ。国際舞台で見る日本人は、頑張りすぎて緊張して硬くなって本領を発揮できずに終わる、みたいな頑張りが裏目に出ている場合も多かったりする。そういう姿が特に顕著に見られるのが、スポーツの世界だろう。そもそも、スポーツの多くはイギリスが発祥の地だ。テニス、ゴルフ、ラグビー、クリケット、ポロ、サッカー・・・現在、世界じゅうで行われているメジャーなスポーツのほとんどは、イギリスのものなのだ。そして、サッカー以外は、ほとんどが上流階級の遊びから始まったもの。彼らは「アマチュアリズム」とか「スポーツマンシップ」を大切にし、勝敗にこだわりすぎることを恥と感じ、品性に劣る行為と感じるようだ。もっとも現代のスポーツ界からは、そのようなアマチュアリズムはほぼ消えつつあり(そりゃあそうだ、普通はイギリスの上流階級のようなわけにはいかない)、事情は全然違ってきてしまっているが、いまでも英国では「あまり頑張りすぎない」ということに対する「伝統」のようなものは残っているんじゃないか、と随所に感じるのだ。つまり、日本人とは逆の伝統である。子供たちの学校でのイベントでも運動会のような「スポーツデー」もあるし、いろいろな競技会もある。でもどれもこれも、すごくいい加減なノリだ。学校のスポーツデーは、いろいろな競技を同時にやり、グループごと各競技を順ぐりにまわっていく。親は来ないし、みな同時に何かの競技を行っているので、観客となるヒトはいない。競い合って、楽しんで、一応勝敗も決めるのだが、あんまりどうでもいい感じだ。つまり、自分達が何かをして楽しむことが目的であって、他のヒトのやっているのを応援したり勝利にこだわったりという発想はない。娘が出場した市の陸上競技会も、一応学校代表で競うちゃんとした大会なのだが、なんと練習したのは当日朝だけ。その場では勿論、全力で頑張るんだが。娘は背が高かったのでハイジャンプの選手に選ばれたのだが、後にも先にもハイジャンプなんてやったのはそれが初めて。しかし当日朝の練習だけで、いきなり本番であった。ハイスクールのクリスマスコンサートも同じ。娘が所属していたブラスバンド、たった一回あわせただけで(もっとも他の子たちは多少やっていたようだが)、いきなり大きなホール(しかも満員)で、本番だった。でも参加者も観衆も、みんなで楽しんで盛り上がる、とっても素敵なコンサートだったので、私はほんとうに驚いた。子供のうちから表現することがとても上手。とても自然で硬くならない。指揮者のユーモアを交えたトーク。観衆のマナーのよさ。どれをとっても日本にはないなあ、と感心した。娘は日本でもブラスバンドのコンクールとかに出たりしていたが、あの厳しい練習とがちがちの本番は、いったい何だったのかなあ、と思わせられた。でもそんな「頑張らない」イギリスでも、ひとつだけ、誰もが熱くなり、頑張るスポーツがある。それはサッカーである。サッカーに関しては、誰もが譲らない。負けたら滅茶苦茶いわれるし、ファンは暴れるし、まあその盛り上がりはすごい。(皆さん知っての通り)なるほど、サッカーだけは庶民のスポーツとして発達したものだからね・・・(と、妙にナットク)
2005年06月09日
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あるイギリス人から聞いた話。サハラ砂漠(だったような)をクルマで走っていたら、遠くのほうにえっちらおっちら自転車で走っている奴がいた。見るとどうも日本人らしい。あんまりしんどそうなんで、近づいてとりあえず「調子はどうだい?」と声をかけてみると、息も絶え絶えになりながら「喉が渇いた」という。そこで水を差し出し、「良かったらクルマに乗っていくかい?」ときくと、彼は差し出された水を一気に飲みほし「ありがとう、でもまだ頑張れるから」と、またえっちらおっちら走り出した、という。彼は首を振りながら私に問うた。「いったい、日本人は何でそんな気狂いみたいに頑張るんだね?」なんでも、彼のいいぶんだと、サハラ砂漠であれ、オーストラリアの砂漠であれ、自転車で横断している奴がいたら、大抵それは日本人だそうだ。まるで修行僧みたいにストイックに挑戦している日本人の若者をもう何人も見たという。かと思うととんでもなく軟派な奴らもいて、ノリで砂漠に来てしまった、どうするんだろう、こいつは、という若者もいるのだが。それにしても、日本人はどうしてそんな冒険をしたがるのか、と聞かれて、私はう~ん、と返答に窮してしまった。若い頃は誰しも自分の限界に挑戦してみたいという気持はあるだろう。それって日本人に限らず、万国共通のことではないのか。しかし、そのイギリス人に言わせると、それは極めて日本人的なことらしい。イギリス人は世界中いろんなところへ歩いているし冒険もするが、砂漠を自転車で、なんていう類のことはしないそうだ。文明の利器があれば、それを使うし、その点では合理主義に徹する。そもそも自転車で横断するなどという冒険に意義を見出すひとは少ないという。ふうん、そうなんだ、と私はかなり驚いた。確かに、砂漠を自転車で横断するストイックなフィリピン人とかブラジル人とかいうのは、想像しにくいが、イギリス人もそうなのか。そういわれてみれば、そういう気がする。このストイックさは日本的といえば日本的なのかもしれない。(アメリカ人ならどうだろう?意外にありそうだが・・)日本には精神主義の伝統がある。物質主義に毒された現代においてもなお、精神主義の伝統は随所に残っていて、私なぞも、ぎりぎりのところまで自分を追い詰めたときにしか見えない光景というものがあるのなら、その光景を垣間見てみたい、と思う。もう何かに挑戦するエネルギーさえ自分に残っているのか疑問に思う年代になってもまだ、研ぎ澄まされた精神的境地にあこがれている自分に気づく。頑張って富士山に登って、朝日が昇るのを眺めるときのような。そういうものの素晴らしさを、日本人て、きっとどこかで学んできたんだろうな。精神主義が裏目にでることもままあるけれど、でもやっぱり、大切にしてほしい伝統、かもしれない。
2005年06月07日
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エジンバラからお客様があった。私たち夫婦にとっては最も大切な友人のひとりで、年代的には40代後半、シャーロックホームズのような風貌の、インテリである。クリケットで鍛えた身体は、とても若々しく、とてもその年代には見えない。日本語を含む三ヶ国語を流暢に話し、ジャズを好み、飛行機の操縦やカメラを趣味とし、世界を自由にかけまわる。特にカメラにかけてはプロ顔負けの腕で、こちらでも沢山の面白い写真を撮っていた。一日彼に付き合って、エジンバラのあのゆったりとしたリズムを思い出した。ゆったりと流れる時の中で、決して急がず、慌てず、流されず、自分のライフスタイルを貫いている彼らは、実に豊かな人生を生きている。日本のインテリに魅力的な人は少ないが、英国で出会った人々は、ほんとうに自由で豊かな知性を身に付けていて、非常に個性的、唯我独尊のライフスタイルを貫いている人が多い。実にうらやましい限りである。日本に帰ってきてただひたすら大学のあれこれに忙殺されている夫を見るにつけ、日本もこれじゃあなあ・・・と嘆息する。でも、英国人と結婚しているひとの悩みは、「折角のチャンスがあっても、自分のゆとりある生活を優先して、断ったりする。」ってことらしい。日本人じゃ、絶対に考えられないことだ、と彼らは口をそろえて言う。「結局、労働意欲がないのよ。」確かにねえ。自由なライフスタイルと労働意欲=勤勉さというのは裏腹かもしれない。
2005年05月23日
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エジンバラはヨーロッパでも有数のスピリチュアルな街である、らしい。なんでもスピリチュアルなパワーの流れが交差するところに位置している、という。スピリチュアル度というものが測れるとして、それをアルコール度数にたとえれば、まあロンドンがワイン程度としたら、もうスコッチウイスキーぐらい?はある、と思う。ベストセラーとなった「ダビンチ・コード」で有名となったRoslyn Chapelがあるのも、このエジンバラだ。本を読んでもらうとわかるが、ここは昔からの聖地で、チャペル内には謎めいた文字が沢山彫りこまれており、その意味はいまだに解明されていない、という。ちなみにクローン羊のドリーで有名になった研究所も、このチャペルのすぐ近くにある。ま、これはスピリチュアルとは関係ないが。エジンバラを訪れる者にのしかかる、何やら重苦しい気分は、このスピリチュアルなパワーのせいなのか。中世の街並みがそのまま残るこの街には、いまだ多くのゴーストが住み、そしてその頭上を覆う重苦しい空には魔女たちが飛び交っている。そういう感じだ。わかっていただけるだろうか?映画「ハリー・ポッター」の原作者J.K.ローリングさんもこの街の人で、彼女がハリー・ポッターを書いたというカフェなども、市内のいたるところに残っているが、実際、彼女の書いた世界は、このエジンバラの雰囲気そのものなのだ。魔女と魔法使い、お城のような寄宿学校、そしてそこに住むゴーストたち・・・。「殆ど首無しニック」とか「血みどろ男爵」とかのゴーストがホグワーツのそこかしこにうろうろしていて、新入生たちを驚かせるが、基本的には悪さをしない。そういうゴーストたちが街のいたるところにいるので、「ゴースト・ツアー」というのが観光の目玉になっていたりする。このツアー、街のいろいろな場所をガイドと歩き回るだけなのだが、ガイドが語るゴーストの話は、身の毛もよだつ話ばかりで、シンプルなツアーの割にはあとあとまで強烈な印象として残っている。ちなみに娘の通っていた中学校にも「Green Lady」とよばれるゴーストがちゃんといた。その昔、古い校舎の塔の中から発見された女性の白骨遺体(夫に殺されたらしい)が緑色のドレスをまとっていたことから、グリーン・レディと呼ばれているのだが、まあ、これも日本にもよくある「学校の怪談」(トイレの花子さんとか)に近いものだろうが、悪さをしたりはしない。また中世には恐ろしい魔女狩りも行われた。魔女裁判にかけられたら最後、彼女にのこされた道は、魔女ということを認めて苦痛のない死に方をするか、あくまでも魔女ではないことを主張して火あぶりに処せられるか、2つにひとつだったという。最後の魔女裁判は18世紀のことであるので、今となっては魔女たちも、ハロウィーンの頃になると空を飛び回るぐらいが関の山。でも、10月末ごろの墨を流したように真っ暗なエジンバラの空には、いかにも魔女が飛んでいそうな感じがするんである。とにかくエジンバラというのは、そんなふうに異界の生き物たちと人間とが共存し、また過去と現在、そして空想と現実とが同じ価値をもって同居している街、というのが1年住んでみての実感だ。あの街にいると誰しも目に見えるもの=マテリアルの世界を超えて、目に見えない世界=スピリチュアルの世界へと足を踏み入れる感じがする。ゴーストも魔女も、あるいはネッシーも妖精も、そしてドラゴンも、現実=マテリアルの世界には存在しない。けれども人々はあたかも彼らが存在するかのようにふるまい、彼らとともに暮らし、彼らから日々の糧を得てすらいるのだ。ちなみにネッシーの話だが、最初の写真を撮影した人が、怪獣出現は全くのウソだったと死ぬ前に白状してしまった。さんざん騒がせておいて何を今更、とも思うが、しかし考えようによっては、何の変哲もないネス湖をスコットランド観光の目玉としてしまったわけで、彼の残した経済的功績ははかりしれない。サーの称号をもらってもいいぐらいである。それにしても何もないところに伝説を作り上げ、それを観光資源としてしまうあたり、いかにもスコットランド的で面白い。常にマテリアルリスティックなものばかり求め、見えないものは見ようとしない即物的な昨今の日本人とは、全く対照的なメンタリティーだ。日本人も、ちょっと見習って、村おこしなんぞにこの手法をお借りするってのはどうかしらん?でもきっと、同じことでも日本人の手にかかると、あざとい商売に変わってしまうんだろうな。
2005年05月19日
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いやはや、すっかりご無沙汰いたしました。最後の更新からはや4ヶ月。音信沙汰無し、とはこのことだ。信用なくすわよねえ、こういうことしてると(反省)。あれから(1月末から)どうしていたのか、というと、まず帰国の予定が3月と決まっていたので、2月中は子供連れでイタリアはじめ最後の旅行をするなど、いろいろ歩き回った。そして慌しさの中、3月末に帰国。4月から始まった子供たちの新しい生活も何とか軌道にのせ、夫もかつての超多忙生活に戻り、私は私でようやく、生活のリズムと心の落ち着きを取り戻した、今日このごろです。帰ってきて、正直、ほっとしている。エジンバラでは、子供たちのことがあまりにも大変で、正直、スコットランドを美しいと思う余裕もなかった。でも今、ここへ来て振り返って考えてみると、スコットランドは美しいところだったなあ、とつくづく思う。帰ってきてから、すんなりこちらの生活に戻れたのは言うまでもないが、でも何か違和感を感じたものがあるとしたら、それは日本の街並みだろうか。なぜ日本の街って、こんなに白茶けているんだろう。何色と特定できないような曖昧なシロっぽい壁の家が異常に多い。だから街の雰囲気が、全体に白く浮いた感じで、非常に底の浅い印象を与えるのだ。古い建物の数は圧倒的に少なく、どれもこれも当座快適であればいい、という浅薄な思想から建てられた、、安っぽい、急ごしらえの(2×4などの新工法も含め)建物ばかり。そこへ看板やら、電柱やらがやたらに目立つ。便利で快適な暮らしだが、即物的で、情緒がない。我々の先達が長い年月を費やして営々と築いてきた歴史も伝統も、そこには陰も形も見られない。歴史や伝統をすべて拒絶し、深く考えることもやめて、目新しさや目先の快適さのみを追求する軽薄な人々・・・街の姿から浮かび上がってくるのは、そうした人間像だ。それでも都市部はまだいい。田舎へゆくと、もっと悲惨だ。昔の茅葺は良かった。古き良き日本のふるさとの風景には、茅葺の農家が欠かせなかったと思う。しかし今の田舎はどうなっているかというと、安っぽい新建材を多用した、世にも醜い家等が、雑然と立ち並び、人々の目を毒している。田舎の人ほど、自然の美しさはじめ、美的なものに鈍感なのは、いったいどういうわけだろうか?久しぶりに夫の田舎を訪れて、胸の悪くなるような気分にすらなった。環境が人を作る、という。ああいう環境に育った人は、どういう感覚を備えた人間になるのだろう。自分のふるさとを愛し懐かしむ気持ちになるだろうか?自分のふるさとを誇りに思うことができるのだろうか?絶望して自殺する若者や、離婚してでてゆく嫁、村を出てゆく者が後を絶たない。スコットランドで見たすがすがしい田園風景は、この国にはない。
2005年05月14日
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皆さんはロバート・バーンズという詩人をご存知だろうか?スコットランドを代表する国民的詩人であり、日本でも親しまれているスコットランド民謡「蛍の光」の作詞者でもある。酒と女におぼれ、37才にして極貧のうちに夭折したこの詩人は、とにかくスコットランド人にとっては特別な存在らしい。1月25日のロバート・バーンズの誕生日の前後には、こちらでは「バーンズ・サパー」「バーンズ・ナイト」などのイベントが開かれる。スコットランドだけかと思いきや、世界中のあちこちで行われているらしく、日本でも行っている団体がある。スコットランド名物料理のハギスを食べ、スコッチウイスキーで乾杯し、ロバート・バーンズの詩をジョークを交えながら朗読する。そういう趣旨のイベントである。先日、友人からそういう「バーンズ・ナイト」の一つにお誘いをいただいた。こちらは「バーンズ・ボール」ということで、正装してでかけるフォーマルな晩餐会&舞踏会、ということらしかった。おお!舞踏会ですと!期待は一気に膨らむ。外国人として、そういう正式な舞踏会を見る機会など、めったにあるものではない。とにかく、これは何をおいても見に行かねば。とりあえず、一張羅のフォーマルドレスも持参してきたし。やはりヨーロッパではフォーマルは必需品だ。え?社交ダンスはできるのかって?そんなん、できるわけないでしょ。でも、心配ご無用。舞踏会といっても、なにしろここはスコットランド。こちらでダンスといえば「ワルツ」でも「タンゴ」でもない。「ケーリー」と呼ばれるスコットランドの民族舞踊だけなのだ。ステップはとってもカンタン。要は小学校で習ったフォークダンスに毛が生えたぐらい、と思っていただいて間違いはない。しかもフォーマルというのは・・・こちらスコットランドでは、タータンチェックのキルトを意味する。そう、スコットランドの正装であるキルトのスカートに身を包んだ男性と踊るのである。あっ、そこのあなた!いま、「えぇ~、スカァトォォ?」とかいって馬鹿にしたでしょ!私も初めてスコットランドは来て、スカートをはいて歩いているお兄さんとすれ違ったときはショックを受けた。でも見慣れてくると、これがねえ。なかなかに華やかで、かつセクシーなんである。おそらく男性の民族衣装としては、最も華麗でかつエレガントなもののひとつではないか、と今では私は思っている。タータンの柄は、自分のクラン(氏族)の紋章のようなものなので、彼らはこの衣装を着ることにとても誇りを持っている。しかも!彼らはスカートの下には何もはいてない。・・・いや、はいていないはずだ。少なくとも正式には。実際にはパンツをはいている人が殆どだろうけれど、「可能性」は捨てきれないのである。つまり、お相手の男性がノーパンだ、という。ちょっとドッキリでしょ?その男性がスカートのすそを翻して踊っている姿を想像していただきたい。もしも、それが若くて逞しい男性だったとしたら・・・?ね?とにかくそういうわけ(ってどういうわけだよっ!てツッコミが入りそうだが)で、スコティッシュの民族衣装に身を包んだ男性と踊るとしたら、やはり「ケーリー」と決まっているのである。それ以外はない。「ワルツ」だの「タンゴ」だのという展開にはどうしたってならないのである。さて、男性があくまでも女性の引き立て役に徹する洗練された社交ダンスと違い、ケーリーでは、男女は全く対等だ。しかも美しさとか、エレガンスだとか、全く関係なし。とにかく体力のゆるす限り、めいっぱいエネルギーを使って踊る。そう、フォークダンスを10倍激しくしたカンジ?それがケーリーだ。始めは馬鹿にしていても、踊ってみると、これが意外に楽しい。いや、実に楽しい。子供に戻った気分。みんなでワイワイ、とにかく手をつなぎ、腕を組み、走ったり回ったり、足を踏み鳴らしたり。難しいことは何も言わない。気取ったことも何もしない。いっぱい汗を流し、ただ単純に楽しめる、そのシンプルさがいい。ということで、ハギスとワインとウィスキー、そして気の良いスコットランドの人々にほだされて、真夜中すぎまで踊って踊って踊りまくった、めくるめく?スコッティッシュな夜であった。その夜の最後のしめくくりは、みんなが輪になって手をつなぎ、互いの友情を確認しあう「蛍の光」(Auld Lang Syne)の合唱。いろいろなイベントの終わりにこの歌が歌われるのは、日本と同じだが、意味するところが多少違うようだ。日本では別れの歌のイメージが強いけれども、こちらはむしろ友情を確認しあう歌。この歌を歌いながら、私はこの「バーンズ・ナイト」の意義がはじめて分かった気がした。それが、ハギスとウィスキーとバーンズをキーワードに、世界に散らばったスコッツたちが絆を確認しあう場なのだ、ということを。
2005年01月28日
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ヒルトンとかシェラトンとか、ウェスティンなど、世界的な規模で展開されている超一流ホテル・チェーンがある。日本でもおなじみのこれらのホテル・チェーンは、たいていはアメリカ系だ。こうしたホテルに泊まれば、ゴージャスで質の高いサービスが約束されるのは確かだ。さらにこれらのホテルのメンバーになると、さまざまな特典が用意されており、世界中をVIP待遇で泊まり歩くことができるようになっている。確かにその魅力は捨てがたいし、ハワイ始めアメリカ国内とか、発展途上国、あるいは空港近くで宿泊しなければならないような場合には、こうした一流ホテルなら間違いはないし、安心だ。しかし魅力的なホテルが山ほどあるヨーロッパで、ともすれば近代的でゴージャスだが個性に乏しいホテルとなってしまうことの多いアメリカ系のチェーンホテルをあえて選ぶ必要はないだろう。折角ヨーロッパに来たならば、ぜひヨーロッパならではの味わいのあるホテルに宿泊したいものである。しかし。訪れたことのない土地で、間違いのないホテル選びをするのはかなり難しい作業である。オンラインでいろいろ検索してはみても、サイトにはいいことしか書いていないし、結局はわからなくて途方にくれてしまうこともしばしばだ。そういうときに、ひとつの目安を与えてくれるのはやはりホテル・チェーンなのである。同じチェーンでも、特徴のあるインデペンデントなホテルを集めたチェーンとか、古城ホテル系のチェーンとか、それぞれクオリティ基準と特徴とを打ち出しているので、そういうものを参考にしよう。例えば、4-5星クラスでDe Vere Hotel系のホテルに泊まったことがある。http://www.devereonline.co.uk/。ロッホ・ローモンド湖畔のDe Vere Cameron Houseというホテルで、古い貴族の城館をホテルにしたリゾート系のホテルである。 全くの飛び込みで入ったのだが、子供連れにもとても親切で、私たちは大変満足した。スコットランドのタータンチェックを多用したインテリアも素敵なら、ローモンド湖に面した広大な庭園もすばらしい。そして何より、スイミングプールやジャグジーの使用料が料金に含まれているので、子供たちには最高だった。こういう高級ホテルは子供づれではゆきにく場合が多いが、リゾート系だと意外に子供たちに寛容であるのも発見だった。このホテルチェーンは、英国国内の風光明媚なところに位置していて、いずれもゴージャスなプール付きの古城ホテルである。なるほどこの系列ホテルに宿泊すれば常にこの品質のサービスが受けられるのだな、と思った。日本ではほとんど知られていないような、こういうチェーンは他にも色々あるようなので、オンラインのホテルディレクトリなどで調べてみると面白いだろう。3っ星レベルで、ヨーロピアンな特色を打ち出しているホテルチェーンで有名なのは、ベストウェスタン系である。もともとアメリカ系のチェーンらしいが、インデペンデントなホテルのチェーンなので、それぞれとても個性的なホテルばかりだ。3つ星ながらレベル的にはかなり高く、趣のある佇まいの由緒あるホテルが多い。古城ホテルとか、プールつきのリゾートホテルなどもある。http://www.bestwestern.co.uk/また、南仏のアルル近郊で泊まったホテルも面白かった。観光案内所でたまたま紹介してもらったのだが、Silencehotelsという系列のホテルであった。http://www.silencehotel.com/embperl/multilingue/index.htmlこれは静かな郊外型のホテルで、田舎の空気とのんびりと静かな休日を楽しみたい人むけのホテル系列である。このように、ヨーロッパならではのホテルチェーンがあるので、迷ったときはこういうものを参考にしてみるのもよいだろう。尚、特にディスカウントのあるホテルを探したいひとむけには、Lastminute.comというサイトがおすすめだ。ホテルだけでなく航空券の割引料金も出していて、直前でもかなり安いチケットが買えたりまた一流ホテルの割引などが受けられるので重宝する。イギリスでは駅や空港などにカウンターも設けていて、観光案内所に取って代わる存在になりつつある。
2005年01月20日
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旅のことを書くために始めたホームページだ、ってこと、すっかり忘れてました。で、今日は久しぶりに本題に戻ります。今日は、航空券の話題。題して、「憧れのパリ、ローマへ無料でゆけちゃう方法!」なんか、ヤフオクなんかでよく売ってる何かの裏技情報のうたい文句、みたいでしょ。でも、これは別に裏技なんかじゃなくて、こちらに住んでいる人なら誰でもが知っていること。日本にいると案外そういう情報も入ってこないようなので、今日はそのことについて書いてみようと思う。ごめん、まずこれは日本からパリ、ローマというというわけではなく、例えば私ならエジンバラから、ということなのでそのことはご承知おきくださいませ。最近は日本でも、時期によってはとっても安いチケットが手に入るようになってきたが、欧米に比べると、国内外を問わず、まだまだ高いって気がする。日本を除くすべての国では、実は航空券はものすご~く安くなっている、ていうこと、知ってました?航空券だけでなく、実は国際電話の料金もものすごく安い。日本人はコスト意識が甘いので、ずいぶんいろんなところで売り手のいいなりに買わされてる、という感じがするのが悔しい・・・さて、あなたはローコストエアライン、またはバジェットエアラインという言葉を聞いたことがあるだろうか?有名なところでは、ライアンエアーとか、イージージェットとかがある。遠距離は飛ばないが、EU内でちょっとパリやロンドン、ローマなどに足を伸ばしたい、と思ったときに重宝する。日本ではスカイマークがそれを目指したけれど、結局、大手につぶされちゃいましたね。はっきり言って、これらの航空会社の運賃は、「価格破壊」である。だって、期間限定で「無料」とかいうものも出している。それもかなり頻繁に。パリだって、ローマだって、ベニスだって、うまくこれを利用すれば、無料で行けてしまうのだ!無料でなくても1000円ぐらいの価格設定は、ざらだ。実際、私の友人もタダでパリへ行ってきた。タダ、とはいえ、空港税は払うので、結局5000円ぐらいはかかるが、それでも安い。その話を初めて聞いたとき、私はちょうど家族4人で往復10万円もかけてパリへ行ったばかりだったので、悔しくて地団太踏んだ。というわけで夏、南仏へ行ったときには、断然ライアンエアーを利用して4万円で済んだので、大幅な旅費削減となった。ちなみにハイシーズンだと、エアフランスなどだとひとり4-5万とか言われたりするので、この差は実に大きい。こんなに安くして、いったい、どうやってこういう航空会社の経営が成り立つのだろう、と私などは心配すらしてしまうが、よくわからないが、一つには、まず徹底した合理化をはかっていることは間違いない。第一に人件費の削減である。つまり、予約はほとんどがオンライン一本なのだ。オペレーターもいるが数が断然少ない。(なかなか電話がつながらない)それから安い代わりにキャンセルができない、という点もミソだろう(譲渡は可能だが有料)。直前に買うと、こういうチケットでもそれなりに高いので、キャンセルされればされるほど、高い料金で買ったお客さんをいれることができる仕組みである。つまりもともと、かなりの数のキャンセルを見越して売ってるのではないだろうか。しかもキャンセルの場合、あらかじめ支払った空港使用料も返してくれないので、それがまるまる彼らの収入になるわけである。またサービスもミニマムにおさえられており、当然、機内食のサービスはない。しかし列車の車内販売のように有料で販売してくれるので、利用者側に不自由はない。その売り上げはしれたものだろうが、彼らにとってみれば純粋にコストファクターだったものが、一応は収入になるわけなので、その差は大きい。「そういう安い飛行機だと、遅れたり、荷物が届かなかったりするんじゃない?」そういう声が聞こえてきそうだ。確かにその通り。国際線への乗り継ぎには絶対使えないし、チケットを買う際の断り書きにもそう書いてある。空港が混んでたり、どこかの飛行機に遅れがあったときなど、真っ先にこういうエアラインに離着陸の時間調整のしわ寄せが来るからだ。あるいは荷物の盗難に関しても、人件費節約で管理が甘いのか、エアラインによっては盗まれることもあるらしい。しかし、それも比較の問題であって、そうそう頻繁にあるわけでもない。少なくとも私のまわりで一度もそういう目にあった人の話は聞かない。特にライアンエアーに関しては、ルフトハンザより時間も正確で荷物の紛失も少ない、というのでお勧めである。そうそう、これらのエアラインが発着する空港は、かなり辺鄙な場所にあるマイナーな空港が多いことも言っておかなければならない。パリに着くからといって、そこはオルリーとかシャルルドゴールだと勘違いしたら大変なことになる。それだけはご承知おきを。興味のある方は私がよく利用するサイト(そこからいろいろな航空会社のサイトに入れる)なので、ぜひご覧あれ。http://www.lonelyplanetexchange.com/
2005年01月19日
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パーティといえば、美味しいお料理が欠かせない、私はそう思い込んでいた。私に限らず、美味しいものを食べるのが好きな日本人には、そう思う人が多いのではないだろうか。さらにちょっとposh(上品)なパーティともなれば、何を着てゆくか、なんてことにもかなりこだわるのが日本人であろう。しかし、こちらに来て、パーティで一番大切なコトは、実は「人と人とが知り合い、また旧交を温めること」なんだと気づかされた。そのほかすべてのことは、その目的をスムーズに達成するためにある。勿論、気持ちの良いセッティング、美味しい食事とお酒、ファッショナブルな洋服・・・そういうものは、ないよりはあったほうがいいに決まっている。いや、大いに気を使ってもらいたい部分である。しかし、あくまでもそれらは「刺身のつま」。とどまるところは「刺身」を引き立てるためにあるものに過ぎない。だってひとは美味しいものを食べるだけのためにパーティへ来ているわけではないし、自分の持ち物(ブランドとか)をひけらかすために来ているだけでもないからである。ひとは「ひとと交わるため」にパーティへ来るのだ。パーティの本当のご馳走は、「ひと」だ。心地よい雰囲気の中で人と人とが知り合い、語りあうこと。そのことが「パーティのご馳走」なんである。そういう意味で、私が結構好きなパーティの形は、ちょっと食事時をはずした立食形式のパーティだ。それならば、さほど洋服にも料理にもこだわる必要がないから。洋服は普段よりは気を使っているな、と思わせるものならそこそこのものでいいし、料理も基本的にワインと洒落たNibbles(一口タイプのおつまみ)さえあればいい。費用的にもさほどかからないし。またチーズだけのパーティ、っていうのもアリだ。こちらには本当に美味しいチーズが沢山あるし、ワインとは大変相性がいいので、それだけでもう大変なご馳走だ。とにかく人と人とが知り合う、という目的なら、こういう簡単な形式が一番有効だ、と私は思っている。勿論、私んちにヒトがが来る、となればだいぶニュアンスは違ってくるけどね・・・^^やっぱりできるだけ美味しいものでもてなしたい、と思うのは人情。そして、ついつい頑張りすぎてしまうのです・・・
2005年01月18日
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英国といえばパブ、というイメージは強い。だから私はこちらに来る前は、英国人はビールばかり飲んでいるものと思っていた。しかし、こちらへ来てはじめて知ったことだが、実は英国人は大のワイン好きである。英国人のワイン消費量は、フランスを抜いてヨーロッパ最多だそうだ。ワイン産出国ではないのにもかかわらず、である。しかし何度かパーティに行くようになって、その理由がだんだんわかってきた。とにかく、パーティでビールは出ない。出たとしても、女性はまず飲まない。なんかよくわからないが、レディーがたしなむものとしては、ビールはお品がよろしくない、という感じなのだろうか?とにかくワイン(特に白)とかシャンペン、というのが一般的なようだ。確かに女性が片手に持つグラスの中身は、ビールよりワインとかシャンペンの方がスタイリッシュではある。そう、この「スタイリッシュ」というところ、英国人はかなりこだわっている感じがする。これも上流階級から始まった社交文化の賜物だろう。地元のハイスクールのPTAの集まりですら、スタイリッシュだ。初めての顔合わせ、日本だったらとっても堅苦しい挨拶に始まって、それぞれ一人づつ自己紹介、なんていうダサイことをやりそうだが、こちらは「ソーシャル・イブニング」と称して、ワインにクラッカー、チーズなどでの簡単な立食パーティ。ワインで初対面の緊張感もとれ、立食なので自由に移動しては色々なひとと個別に話せて、とっても効率的だった。さすが、こんなところまで社交の国は違う、とその実力を思い知った。こういう社交文化の国で、しかるべき「マナー」とを身につけることは、ある意味、絶対必要なスキルだろう。パーティはマナーに始まり、マナーに終わる。マナーという約束事があってこそ、パーティの品位が保てるし、品位が保てるからこそ、魅力的なパーティとなりうるのだ。洗練されたマナーの紳士淑女がたとワインを酌み交わし、ちょっとお洒落な会話をするのは、とてもエキサイティングで愉しいものだ。でもそれと同時に、ある意味、自分が試される瞬間でもあったりして、ちょっとコワイ。だって、「マナー」ですべてが見られてしまうからである。そのひとの知性、教養、そして品格。(それから、階級。)それらのすべてが「マナー」に集約され、そこで測られてしまう。結構、マナーって知っているようで、知らなかったりするのでご注意あそばせ。私もかずかず失敗したので、「マナー講座」の本を買いました。そうしたら、なんと、あとからぞぞ~って思うほどの大失敗をしてましたよ(自分で気づいてなかった!)くわばらくわばら。
2005年01月17日
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年末年始、旅行以外に何をしていたかというと、実はパーティというものにすっかりはまっていた私であった。家で開いたパーティが2回、それから友人宅にお招ばれしたのが3回、それに領事公邸での新年会。日本にいた頃の私は、パーティなんてチョーメンドークサイ、と思っていた。人と会うなら日本にはいくらでも素敵な場所(レストランでも喫茶店でも)がある。作る手間を考えたらそのほうがはるかにラクだし、更に相手がいつもの友人だったら会うより長電話で済ましてしまおうという超ものぐさモードにはまっていた。しかも近頃はインターネットという便利なものまである。新しい出会いはネット上で、ということだって十分可能なのだ・・・いや、怠け者には、ほんとうに便利な世の中になってしまっている。困ったものである。でもこちらに来て、こちらの社交文化を知るにつけ、自宅で開くパーティの楽しさ、というものにワタクシは突如、目覚めてしまったのである。まさにコペルニクス的転回である。だいいち、こちらの家はそれ向きにできている。私たちが借りているフラットは、まあ借り物なので何も自慢できるようなものはないが、それでも19世紀の中ごろ、英国がとても豊かだった頃に建てられたこの建物は、とても贅沢な作りになっている。なにしろ天井がとても高い。3m近くはあるだろうか。各部屋には暖炉と大きなベイウインドウが付いており、一部屋一部屋の作りが大きい。ラウンジもかなり広いので、パーティには最適である。住むとなると、何もかもが古いので壊れてきたりと大変だが、このラウンジに限っては私のお気に入りだ。気持ちの良いブルーのじゅうたんが敷き詰められているし、最上階なので眺めもそう悪くなく、窓からはエジンバラ城も見える(ちょい斜めだけど)。照明をうまく使うと、とても素敵なパーティルームに早変わりする。20人を招いてもまだ余裕だった。そういうわけでワタクシ的には大変気に入っていたのだが、しかしそれでもウチあたりは下の下。こちらの人の家に招かれてゆくと、どのお宅もほんとうに素敵である。外側からは殺風景に見える家でも、中にはいると実に気持ちよくしていている。たとえばコナン・ドイルが学生時代によく訪ねてきたことのある家という私の友人宅。外からはそう見えないが、中にはいるとその豪華な作りに驚く。天井まで届くラウンジの窓からは広大な中庭の眺めが楽しめるようになっているし、二階にある第二のラウンジなどは、ダンスパーティだってできてしまうほどの大広間だ。彼女たちの結婚式のときは、このホールでケータリングサービスを使って披露宴をしたのよ、と語っていたが、ほんとうにそういうことをするのにぴったりの大邸宅である。夏には中庭でバーベキューパーティを催してくれたり、またカウントダウンパーティも彼女のところへお招ばれした。同年代のお子さんがいらっしゃるので、家族ぐるみのおつきあいをさせてもらっている。旦那さんはいつも自家製のエールビールでもてなしてくれ、夫は男同士、話がはずむようだった。そのお隣に住むカップルがまた、パーティ好きで、彼らのところには常にたくさんの人々が出入りしている。家にはペルシャ絨毯がひかれ、どっしりした立調度品が趣味よく配置されている。お子さんがいらっしゃらないので彼女たちの開くパーティは、「大人のパーティ」である。彼女たちからは「英国人の社交術」に関して、ずいぶん学ばせてもらっている。しかし何といっても圧巻は領事の公邸。いや、あれはすごかった。勿論、公邸だからすごいのは当然だけど。何がすごいって、アナタ・・・、いや、いずれああいう家に住んでみたいものだとと思いました、はい。大きなレセプションルーム、ダイニングルーム、そしてコンサバトリウムつきの広大なリビングダイニング。二階もちらりとみた限りではかなり広く、ウチの子供たちが領事のお子さんと日本のテレビ番組を見ていた部屋などは、長~い廊下の突き当たりにあった。さらに三階まであるというのだから驚きである。でもね。もっとすごいと思ったのは、エジンバラにはこのぐらいの家がざらにあるってことだ。領事の公邸も、その界隈でも最も大きな家ってわけではないところが、私にはどうしても理解できない。だってあの大きさの家を維持するって、大変なことですよ。そんな財力をもつ人々が、これだけざらにいるってありうるだろうか?英国人って今でもそんなに金持ちが多いのかしらん?誰か教えて。
2005年01月14日
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英国に来て初めてのクリスマス・お正月を迎えた。こちらに何年もいる日本人の友人たちはみな、エジプト・ナイル川クルーズだの本場アルプスでのスキーツアーだのと、実にうらやましい限りの贅沢な休暇をとっている。私たちも「フィンランドのサンタ村とオーロラ観測ツアー」というフレーズにだいぶ食指は動いたが、1泊で50万円(家族4人で)という法外な金額に断念。初めてすごす英国でのクリスマスをとにかく満喫することに・・・。とはいえ、欧米ではクリスマスは何といっても家族で過ごすもの。英国人は皆、自分たちだけで家に引きこもってしまうのである。さらにイブの夕方あたりからお店というお店はレストランも含めどこも閉まってしまう。交通機関まで止まってしまうのだから驚きである(地下鉄をはじめ長距離列車ですら止まる!)たまにあいていると思えば観光客向けのばか高いところばかり。というわけでクリスマスは外国人にはかなりキツイ時期なのである。そういうこともあって、みんなエジプトだのスキーリゾートだのに逃げてしまうんだろうな。さて、私たちはクリスマスのロンドンを見てみたい、ということもあって、上記のことは十分承知しつつも1週間ほどロンドンへ出かけた。こちらに来て以来、子供たちにロンドンをきちんと見せていなかったし、この時期、各シアターでは子供向けの魅力的なプログラムがたくさん上演されているので、それも目的のひとつだった。ロンドンでシアターといえばミュージカルが人気だが、ワタクシ的には有名なミュージカルならどこでも見れるしむしろ劇場の設備的なことを考えると、東京の四季劇場などのほうが優れているのではないかと思う。むしろ私のお勧めはPantoと呼ばれるパントマイムである。しかしいわゆる日本語のパントマイム(無声の)とはかなり違って、歌ありギャグありのドタバタ喜劇のようなものである。日本でいえば年末年始のお笑い番組に近いノリで、子供も大人も楽しめる。テーマは「アラジン」、「眠りの森の美女」、「ピーターパン」、「白雪姫」など、おなじみの童話からとっているものが多いが、勿論、すべて一ひねりも二ひねりもしてある完全なパロディである。英語が完全にわからないことも多かったが、それでも笑えてしまうような、単純なストーリー展開が多いし、英語のできない人にもお勧めだ。Panto人気は高く、残念ながらロンドンではチケットが入手できなかったが、エジンバラでは「アラジン」を見た。アラジンが中国人という設定に驚いたが、これには歴史的な背景があって、なんとアラジンは英国では18世紀ごろから繰り返しいろいろな形で上演されていて、しかも中国が舞台という設定が定着したのは100年以上前のことということを聞いてさらに驚いた。英国というのは実に不可思議な国である。ミュージカルでチケットが手に入ったのは「チキチキバンバン」(古っ!)だけだったのでそれを見たが子供向けとしては十分楽しめる内容だった。それに上に述べたようなことを考えれば、これを古いって思うのは間違いなんだろうな。むしろ「古典的名作」と呼ぶべきなのだろう。「ジーザス・クライスト・スーパースター」だって堂々と上演していて、結構、人が入っているのだから。さて、クリスマスイブにはマチネーのバレエ「くるみ割り人形」のチケットを何とかゲット。オンラインでは売り切れだったが、それでもレスタースクエアなどのチケット屋さんや劇場のボックス・オフィスに行くと意外と手に入るものである。「くるみ割り人形」はクリスマスのお話ということもあって、この時期の出し物としてはとても人気がある。何より正統派でなくコミカルでとても奇抜な演出なのでとても楽しかった。ちなみにバレエはもう一つ見た。男性だけで踊るマシュー・バーンズの「白鳥の湖」である。これも演出が奇抜で面白かったが、オカマさんの白鳥の湖という感じで、ちょっと男性同士の絡みなど、子供に見せるのはどうかと思った。でもこういうの、好きな人は好きだろうな・・・そうそう、クリスマスイブには今、ロンドンで人気だという究極のエスニック、レバノン料理にチャレンジしてみた。日本にいると「えぇ~?レバノォン?」って感じで、まだまだ遠い国だが、ロンドンのハイドパークの北側の高級住宅街はすっかりレバノン人街になっていて、彼らは驚くほど金持ちだしまじめで礼儀正しい働き者が多い。レストランにしてもデリの店にしても、そのクオリティの高さに、はっきり言ってびっくりした。私たちが1週間宿泊したマーブルアーチのアパートメントホテル(2Hyde Park Square)もレバノン人経営のホテルらしいが、大変設備が行き届いていて、管理もしっかりしているしその割にリーズナブルで、大変良かった。しかも近隣にレバノン人の店がたくさんあり、勤勉な彼らはクリスマスの日も休まず営業していて、まったく困ることはなかったし、お勧めである。
2005年01月13日
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すっかり日記よりご無沙汰してしまいました。中学に進学した娘のことで心配ごとが起き、とても日記を書いているどころの心境ではありませんでした。娘は日本でいえばまだ小学6年生。それなのに今年の3月末にこちらへ来てわずか2ヶ月で現地校を卒業してしまい、8月末から現地中学校へ通うことに。とてもじゃないけど、語学レベルがついてゆかず、とてもツライ思いをしているようなんです。現地の学校で不自由なく授業についてゆけるようになるまでには、ものの本によりますと2年半から3年かかると言われています。低学年で来ますともっと早く現地の生活に馴染むこともあるでしょうけれど、その分、日本語の方が怪しくなります。娘の場合、高学年でこちらに来ましたので、日本語は大丈夫としても英語環境への馴染み方はやはり下の子と比べると遅く、まして来て半年足らずの語学力で現地の中学レベルの授業についてゆけるはずもなくまあこういう展開になるのは覚悟の上だったとはいえ、色々と誤算があったのは確かです。実は半年遅らせて小学校に転入させたかったのですが、空きがなくて断念せざるをえなかったこと。(そのためすぐに卒業になってしまった。)小学校から中学校は持ち上がりではなく、2つの学校に分かれてしまい、そのためせっかく出来た友達と別れてしまったこと。中学に入って移動教室になり、新しいクラスメートとも馴染めず、言葉も不自由なうえに、勉強も難しく・・・・さらにそれに追い討ちをかけるように、嫌味な先生に当たってしまったりしてほんとうに散々な目に遭っているんです。それでも学校へ行かないとだだをこねないところが立派。わが娘ながらけなげなものだと本当に感心しております。それもこれも近所に住むかわいい日系ハーフの男の子が、毎日誘いに来てくれるせいですが・・彼は日本語補習学校へも一緒に通っていて、小学校でもクラスメートでした。完全なバイリンガルです。小学校のときにはそれほど親しくもなかったのですが、中学にはいってうちの娘がとても困っているのを見て、彼女が頼れるのは自分だけだと自覚してくれているのか、とても親切にしてくれます。好きとか嫌いとかでなく、本当に親切心でケアしてくれるんですよ、これが。そういうことって、日本の男の子でできる子は少ないんじゃないかな。相手が女の子だと、変に照れてしまったり。小さいながらもジェントルマン。女の子を大事にしてくれるこちらの男の子は、ほんとうに素敵ですよね。Kくん、ほんとうに感謝してるよ!
2004年09月14日
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フェスティバル期間中のエジンバラときたら。下の写真を見てほしい。 これは先日の日記でも触れたフリンジフェスティバルの1日の上演スケジュールである。細かい文字で実に44ページ。会場の数だけで300箇所以上、朝の8時から始まるものやら真夜中の1時半から始まるものまである。これでたった1日分!それが8月いっぱい、連日のように続くのだ。フリンジのすごさ、わかっていただけただろうか?これだけあるとさすがにプログラムに目を通すのもラクではない。しかも数ある中には質の高いものからどうしようもないものまで、いろいろあって、本当に玉石混交。どれに行っていいのか、何を基準に選んだらいいのか、どれが面白くてどれがスカか、どうやって選んだらいいというのだ!?掘り出し物もありそうな予感なだけに、ぼやぼやしてたらすごいものを見逃すんじゃないか。期間が限られているだけに異様なプレッシャーも感じる。とにかく行かなくちゃ、とわけもなく焦って、とりあえず、手当たり次第に行ってみることとあいなった。それは他のひとも同じらしい。イギリス人と結婚している私の友人のところには、ロンドンから親戚や友人などのお客様がフリンジ目当てに入れ替わり立ち代わり常時4~5人ずつ泊まっているが、やっぱり夜中まではしごをして歩いているそうなのである。(それにしても受け入れる側のお客扱いも大変そうだ。なんだか田舎のお祭りに都会の親戚や友人が集まる、というこのノリはどこぞの国の盆や正月に近いものがあるかも。やっぱお祭りなんですね、これは。)・・・で、昨日。朝から出かけた私は、まず11時ごろのトークショーのチケットをゲットしようとしたが既にソールドアウト。やばい!と焦ってとにかくチケットがとれた12時からの「シェークスピア・レビュー」を見る。あなたのシェークスピアを見直そう、という主旨のいかにもイギリスっぽいユーモアに溢れたレビューだったが、場末の小劇場でやってそうな演目で時代遅れ感がぷんぷん。 昔ながらのイギリスって感じが、外国人の私には面白かったけどね。続いて軽く昼食をとったあと、日本人のパフォーマーたちが上演しているガレージシアターに行く。ちょうど「サロメ」が始まるところだったので、よく考えもせずにチケットを買う。・・・ごめん。これに関しては多くを語りたくないっす。写真もみなさまの目を汚すだけなので入れません。なんか、悪いものを飲まされましたって感じ。過激なメーク。大音響の不協和音。胸の悪くなるような叫び声とダンス。美しいならまだ許せるが、鶏がらみたいな(ゲイの)サロメ。あの胸がムカムカするようなステージに、わざわざお金を払い、貴重な時間を費やしたかと思うとほんとうに頭くる。お客様を喜ばせる、という基本を忘れてやしないか。アーティストだかなんだか知らないが、あなたたちの自己満足につきあわされる方の身にもなってよって言いたい。このあたりですでにどっと疲れてしまい、いったん家に戻ることに。そのまま1時間ほど仮眠をとる。夕方からはちょっと面白そうなプログラム。何と、昨日も話題にのぼった和太鼓を、外国人のパフォーマーだけで演奏するという。ムゲンキョウと呼ばれるそのグループは、英国に5つある和太鼓のグループの中で唯一のプロフェッショナルなスコットランドのパフォーマーたちだ。英語で歴史や伝説、楽器や演奏法などについての解説も交えながら、ときにユーモアたっぷりに彼らが披露してくれたのは、意外にもピュアな日本の太鼓そのものだった。 演奏もなかなかいけてるし、気合がはいってる。それは先日紹介した道(TAO)とは比べようもないが、でも技術はともかく、なにより太鼓をとっても愛していて、真剣に日本の文化を学び、それをイギリスのひとびとに紹介しようとしてくれているのが嬉しいじゃありませんか。1時間あまりのとっても楽しめる演奏だった。終わったあと、寿司バーへゆくと、彼らとばったり。いろいろお話を伺うことができた。 この右側の女性が、ミユキさんといって日系のハーフ。この方とちょっと太めのメインドラマーがこのムゲンキョウの創設者だ。福井県に二年ほど住んで、太鼓を勉強したそうな。最近は鼓童に代表されるような現代的な和太鼓がブームで、こちらでも大変な人気を博しているが、まだまだマイナーだけどその中でこういう動きもあるよ、っていうことを皆さんに報告したくて日記に書かせていただきました。こういう動きが、もっともっと大きくなってゆくと嬉しいな。ちなみにこのフリンジだが、エジンバラに始まって今ではアヴィニヨンや他の都市でも開催されるようになっているらしい。mini犬さんのコメントでも、日本でもこれに倣ってコメディフェスティバルが開催されているらしい。国際フェスティバルで上演される演目というのは逆にいえばあまりにも有名でテレビなどでも放映されたりしてどこでも見れるけれど、こういうメジャー未満というか、メジャーになる直前あたりにいるパフォーマーのものは、フリンジでしか見ることができないだろう。その意味で私はいま、もしかして、千載一遇のチャンスに遭遇しているのかもしれない・・・ああ、そう思ったら、もういてもたってもいられない。私の心はまたさわさわと波立ち、、、明日もまた超大忙しの、「フェスティバルな」一日が始まるのです・・・
2004年08月21日
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ヨーロッパ人のフェスティバル好きについてはすでに「ヨーロッパ人はフェスティバルがお好き~ヴェローナ音楽祭~」で触れたがその中でもエジンバラの人々のフェスティバル好きはただごとではない。なにしろ、エジンバラ・フェスティバルと一口にいわれるものの中にはエジンバラ国際フェスティバル、フリンジフェスティバル、ジャズフェスティバル国際映画フェスティバル、ミリタリータトゥー、国際ブックフェアー・・・などありとあらゆるジャンルのお祭りが含まれていて、8月のエジンバラはとにかく街全体がフェスティバル一色となるのだ。それはヴェローナ音楽祭とか、ザルツブルク音楽祭のような音楽だけのフェスティバルとかカンヌ映画祭やベルリン音楽祭のような、映画だけのフェスティバルとかそういう単体のフェスティバルとはわけが違う。この時期、街の人口は一気に二倍に膨れ上がり、街は全く別の顔を見せる。これを称して街のひとは「ロンドンが丸ごと押し寄せる」と表現している。街中いたるところでパフォーマンスが繰り広げられるので歩いていて楽しいことこの上ない。まるで街全体がテーマパーク。ノリとしてはまさにディズニーランドである。勿論、もっとずっとずっと文化的だけどね。さて、今週からフリンジフェスティバルが始まった。一番有名な国際フェスティバルが「クラシック音楽やオペラ、バレエ、演劇」などに限定されるのに対し、こちらはもっと大衆的なレベルのパフォーマンスのフェスティバルである。日本でいえば「演芸」とか、あるいは「大道芸」のような出し物が目白押し。ロック、カバレット、フォークロア、パントマイム、漫才、サーカス、手品・・・いずれも観客を巻き込んで、観客とうまくコミュニケーションをとりながらユーモアたっぷりに繰り広げられる、ある意味、エジンバラの人たちが最も楽しみにしているフェスティバルである。開幕に先立って先日の日曜日、家の近くのメドウズ公園で、「フリンジサンデー」が行われたので早速行ってみた。フリンジに出演するパフォーマーたちが一堂に会して、この日1日、無料でパフォーマンスの一部を披露してくれるのだ。いつもは静かな公園も、この日ばかりはこの賑わい。 びらを配る人だってこの凝りよう。 きれいなバルーンが花を添える。 コインを入れると中に入っている人がロックを演奏してくれる人間ジュークボックス。 突拍子もないノリに大受け。フレディ・マーキュリーもビックリのこの抱腹絶倒の芸人。 最後は、「We are the champion!」と歌いながら観客にリフトされてながらみんなの頭上を一周したぞ!このメガネのおばさんも観客3人を引きこみ独特のトークで大受けだった。 観客とのやり取りなしにはありえない大道芸の真髄。ここはやはりスコットランド、タータンチェックのお兄さんも健在! だがトークはイマイチだぞ!どの芸人も、肩の力が抜けていてリラックスした雰囲気である。芸人も楽しみ、観客も楽しむ。それが基本のフリンジだ。さてその中に、日本からの芸人の姿が!彼らはCru Cru Circusという名前で登場。日本でもその名前なのかはわからない。言葉ができない分、パントマイムで魅せる! ジャグリングの芸も素晴らしいが、おもしろい顔やパントマイムだけで十分観客を笑わせてくれた。さて、広大な公園をあちこち見ながら歩いていると公園の一隅に設けられた野外特設ステージの前に一際、大きな人だかりが。 何か面白そうなもんが始まるらしいと興味を引かれて行ってみると・・・なんと、それは日本の太鼓のパフォーマー「道」(TAO)だった。私も太鼓は大好きだし、何かめちゃくちゃ期待できそうな予感。 いや~、はっきりいってカッコよかった~!引き締まったカラダに、赤い文字を背中にを染め抜いた白装束。 そのいでたちの粋もさることながら、パフォーマンスの質も高い! 伝統をしっかりと受け継ぎながらも、伝統にしばられず、現代的な感覚で自由に表現してゆく。独特の美学に貫かれたそのパフォーマンスは、ガイジンには絶対に真似できない日本人ならではの感性だ。勇壮な太鼓の乱れ打ちが始まると、観客席からはやんやの大喝采。これですよ、これ!軽い興奮の中で、私は思う。日本が世界に問うことのできるものは、やっぱり日本独自の伝統文化。それも、現代日本の普通の若者の感覚で自由に表現された伝統文化が斬新だ。ここ10年ほど、歌舞伎や能、三味線などの伝統芸能の分野で若手の活躍がめざましく、古臭く時代錯誤であるだけだった伝統芸能を現代的な感覚で蘇らせ、それが世界に評価されてきているが、こういうことができるようになった日本を私は頼もしく思う。こういう若者がどんどん出てきてほしい。そして、世界の人びとにアピールしてほしい。アテネオリンピックでも、日本の若者たちの活躍がめざましい。特にプレッシャーに弱かった日本が、土壇場で冷静に演技し、大逆転劇を演じた男子体操。金を期待され、そして当然のように金メダルを手にした北島。メディアにたたかれ続けたすずさんと一緒に三度目のオリンピックで銀メダルを手にした山本。いやはや。おばさん(あっしまった!マダムでございました)たちが心配するまでもなく、とってもいい感じに育ってる若者たちはちゃんといます。バブル崩壊後、迷走する日本にも、ちょっとは光明が見えるといえるんじゃないかしら。そんな感懐をいだいて家路についた夢先案内人でした。
2004年08月18日
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楽天で日記を始めてから1週間あまり。おもろしくて、夢中になって日記を書きまくってまいりました。おかげさまで、随分たくさんの方に遊びに来ていただき、素敵な方々とバーチャル上ですが知り合いになることができました。ほんとうに、感謝してます。書きたいこと、伝えたいことが山ほどあって、ほんとうに一日じゅうでもパソコンに向かっていたいくらい。そろそろ夫が嫌な顔をし始めてます。でも・・でも・・・それでも書きたい意欲は止まらない!ホームページを立ち上げようとはずっと思っていましたが、山奥の(!?)孤独なサイトでひとりごとのように語るっていうのと、楽天広場というような賑やかな場所で喋るっていうのとはかなり違うんじゃないかと思います。だってここならいろんな反応がすぐ返ってくるしとっても素敵な場所だな、って思ってます。さて今日は、そろそろ疲れも出てきたので、ちょっと中休み。明日は開幕したエジンバラ・フェスティバルの日本人の活躍がわたしにとってはすごくホットなテーマだったのでそれを報告しますね。そしてあさってからはまた南仏話題に戻ります。またぜひ遊びに来てくださいね!
2004年08月17日
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美女の集まる街には、なぜか美味いレストランが多い。たとえば、かのマダムK がレポートしている西麻布とか六本木界隈もお洒落でレベルの高いレストランが軒を連ね、それに群がるようにファッショナブルな美女が集まっている。でしょ?世界のファッションをリードし、お洒落な女性が集まるパリも、同時に美食の街としても有名だ。でしょ?つまり美女あるところに美食アリ。美食あるところに美女アリ。この法則が成り立つのである(ほぼ)。さてこの法則を活用すると、いままであなたを悩ませていた問題が一挙に解決する。つまり、美女をお探しだがどこへ行ったら出会えるのかわからない、というアナタ。まよわずうまいもんのある街をさがしなさい。どこへ行ったら美味しいもんが食べれるかわからないアナタ。美女密度の高そうな街へお行きなさい。あなたのお探しのものは(ほぼ)見つかるはずです。私がアインシュタインの相対性理論に次ぐこの世紀の大発見「美女と美食の相関性理論」(!?)を完成させたのは、実はかの「奇跡の街」エクサンプロバンスであった。南仏のパリとも呼ばれるお洒落な街エクサンプロバンスには美女が多い。それも金髪、碧眼、八頭身。ギリシャ彫刻に見るような、飛び切りの美女たちだ。南仏リゾートを背後に控えたこの街の美女たちのファッションはセクシーにして大胆、そしてとてもアーティスティックだ。パリや東京がいくらお洒落といっても、大都会で仕事をしている女性たちがあんな格好で街は歩けないだろう、いくらオフであっても。それは南仏のここなればこそ、だろう。街は明るい光と、色彩と、そして美女に溢れ、かのミラボー通りには、お洒落なカフェやレストランが立ち並ぶ。それらはビジュアル的にもいかにも美味しそうな店構えだ。さて、この美食の街エクサンプロバンスに来てプロバンス料理を食べないのもどうかと思ったが、1週間にも及ぶ南仏滞在で、さすがの健啖家ファミリーもこってり系には少々、食傷ぎみ。で、今夜はジャパニーズレストランを探して寿司でも食べよう、ということになった。ホテルのレセプションに座っていた、ちょっとおかま系?と思われるお兄さんが、「それならいいレストランがありますよ。」と嬉々として教えてくれたのはドゴール広場にほど近いビクトール・ユーゴー通りにあるレストラン「Yoji(ようじ)」。はじめ日本食レストランとは気づかず通りすぎてしまうほど、お洒落なフレンチカフェっぽい外観。 そのいかにもフレンチっぽいテラスのある店構えにも驚いたが、何より驚いたのは、ウェイトレスのチマチョゴリ姿だ。「えっ、これって韓国料理店?」「いや、しかしジャパニーズとちゃんと書いてあるよ。」つまり、韓国人経営のフレンチカフェ風ジャパニーズレストラン(!?)。韓国人経営の日本料理店は随分見たが、フレンチカフェ風のお洒落なレストランは初めてだ。しかも、チマチョゴリ着て、「ボンソワー」なんて言ってる。これって・・・たとえばインドに日本人経営による、とってもマハラジャ?っぽい店構えの中国料理店があったりして日本人の仲居が着物着て出てきて「ナマステー」なんていうようなもんじゃないか。あまりにもシュールだ。しかし、外見に反して、このレストランで出してくれるのは、マガイモノでない純粋な日本料理だった。むこうのカウンターの中で日本人の寿司職人らしきヒトが握っているらしい寿司は各種のお好みから松竹梅のセットメニューまであるし、天ぷら、しゃぶしゃぶ、すき焼き・・などと並ぶメニューに破綻はない。メニューの中の焼肉(プルゴギ)がちょっとヘンといえばヘンだが、なにせ韓国人経営でチマチョゴリとくれば仕方がない。さて、腹ペコだった私たちは、11ピースの竹寿司4人前を注文し、それで足りなかったのでさらに8ピースの梅寿司1人前とプルゴギ2人前を追加注文して食べた(!)お寿司のクオリティーも高かったが、それ以上にプルゴギも美味しかった。私たちにサービスしてくれたチマチョゴリ姿の日本人ウェイトレスも、やさしくて可愛かったし。ふぅ~すっかり満足して周りを見渡す。かなり大きな店内がほぼ満席。そのほとんどはフランス人だ。お友達とくつろぎながら歓談しているようすの、お隣のテーブルの上を見て、おっと思った。テーブルの真ん中にはお好みで注文したらしい寿司が陶板の大皿に盛られていてそのほかにも色々美味しそうなものが色々のっている。しかもテーブル脇のクーラーボックスにはシャンペンが・・・。セ、センスある~!彼らはすっかり日本料理に慣れていて、食べつけている感じだ。おっかなびっくりの初心者的様子はそこにはないし、堅苦しく考えずに、好きなように食事をアレンジし、そしてほんとうに食事と会話を楽しんでいる雰囲気が伝わってくる。お隣の方たちだけではない。お店は若く、洗練された人びとに溢れ、楽しげに食べて、飲んでお喋りに花を咲かせている。さすが南仏のパリ、来ている人たちの食文化のレベルが高いぞ!私たちみたいに、梅だの竹だのというセットメニューを注文し、さらにプルゴギまで食べるという、わけのわからない注文の仕方をする野蛮なヒトはいなかった。(汗)日本人のクセに・・・元祖夢先案内人、大いに恥じ入る。それにしても日本の食文化も、国際的になったもんだな。しみじみと感じる。ロンドン三越の「純日本風」も確かに悪くない。(おそるべし、ロンドン三越 参照)だけど、こうやって外国のヒトにきちんと理解されながら、異なる食文化の文脈の中で解釈しなおされ、そして洗練され、高められた形でその中にしっかり浸透してゆく「日本」はもっと素敵。よく考えれば、チマチョゴリも南仏の明るい色彩の中では、着物よりも合っているのかもしれないな。そう思い直して、美女と美食の街エクサンプロバンスの「奇跡の」日本料理店Yojiを後にしたのでした。
2004年08月15日
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若い頃から私はセザンヌが大好きだった。「カードをする男たち」や果物を描いた静物画など、あの独特の深い色彩と精神性に強く惹かれてきた。だから南仏を旅行したとき、セザンヌゆかりのエクサンプロバンスだけはは外せないぞ、と思っていた。子供たちに関しては今回はノーマーク。前回のパリでの苦い体験(昨日の日記参照)から、どうせ見せても関心をもたないだろうと思ったからだ。今回は私だけの興味、と割り切っていた。文句をさんざん言われながらも暑い中、坂道を登って辿り着いた先はローヴのアトリエ。それはセザンヌが自分で設計し、最晩年の5年間の創作の場となった場所である。サント・ヴィクトワール山がよく見える場所が近くにあり、晴れた日にはそこへでかけて絵を描き、雨の日や寒い日にはこのアトリエで過ごしたといわれている。エクサンプロバンスの中心部から少しはなれた小高い丘の中腹にあるアトリエは、木立に囲まれ、ごらんのような静かな佇まい。 天井が高く、開口部もおおきくとられたそのアトリエの壁は灰色に塗られ当時のままに保存されている。 部屋の片隅には古ぼけた外套、意外なほど大きな帽子、よく使い込まれた革の絵の具箱と画家の上着。それらは皆、セザンヌが死ぬまで愛用した遺品だ。これらを見たとき、私は軽いショックを受けた。それまで私にとってセザンヌは、本や写真でみるだけの抽象的な存在、その意味では「人間」でなくむしろ「概念」に近かったかもしれない。だが、目の前には現実に肉体を持ち、血の通った人間として生きた、生身のセザンヌの遺品がそこにあった。生身の人間だということは、いくら頭でわかっていても、実際に本人に会ったり、そういう具体的な品物を見せられるまでは、それを「感じる」ことは難しいものだ。さて、セザンヌの遺品の横には、セザンヌの絵のモチーフとして何度も登場する石膏像や、フルーツ、フルーツ皿、花瓶、そして古ぼけたテーブル、粗末な椅子などが並べられていた。古びたワインのボトルさえある。 えっこれが? と驚くほど、石膏像はちゃちなものだし、皿なども貧しげでこれといった特徴もないものだ。(3つ並べられた髑髏がちょっと不気味だが)それらの何の変哲もない静物の数々が、このふしぎな静謐さをたたえた空間の中で、セザンヌの手によって深い色合いと精神性とを与えられ、永遠の命をえることとなった。その奇跡。アトリエの片隅には、絵画集が置かれ、これらの品々のどれがどの絵のモチーフになっているかが対照できるようになっている。何気なしにそれをめくっていた娘が、突然、「あ、これオルセーで見たよね!」と声をあげた。「あ、これも、それからこれも見た!」次々にめくりながら娘がいう。「へぇー、セザンヌって、こんなところで描いていたんだねえ。」ナットク、という顔。!!!ああ、母は、母は、その言葉がききたかった!オルセーで聞いた言葉は「なんかよくわかんない」とか「つまんない」とかミモフタモない言葉ばかり。「へぇー」で始まり「なんだねえ」で終わるというような、そんな意味ある言語が娘の口から発せられるなんて母は期待すらしてなかったです。(ちなみにそれは何へぇーぐらい?と聞こうかと思ったが、やめた。)でも、いま、このセザンヌのアトリエで、娘は生身のセザンヌを感じ、木立のなかにひっそりと佇むアトリエにいまも漂う、画家の孤独な精神世界と、研ぎ澄まされた感性を感じ取った(はずだ)。そして彼女の中で、何かが少しだけ変わったのである。なぜって、帰りに階下のショップでスケッチブックとデッサン用鉛筆を買ってとせがんだ娘は、それ以降、夢中になって鉛筆を走らせ、ついに真のゲージツ(!?)に目覚めてしまったからだ。娘の描いたサント・ヴィクトワール山。 漫画ばかり描いていた小学生の娘の絵にしては、なかなかいけるでしょ?南仏エクサンプロバンスの奇跡。-------------------さて、明日はエクサンプロバンスの奇跡シリーズ第三弾!「エクサンプロバンス・奇跡の(!?)日本食レストラン」をお送りします!乞う、ご期待!(なんだ、そりゃ?)
2004年08月14日
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5月に子供たちをつれてパリのルーブルとオルセー美術館を訪ねた。いまさら言うまでもないが、ルーブルは古典派までの名画、オルセーは近代(とくに印象派)の絵画がたくさん収蔵されている、人気の美術館である。子供達にルーブルとオルセーを見せる!これは子供が生まれたときからの私の念願だった。違いのわかる人間に育てるには、やはり小さい頃から本物に触れさせねば。世界の名画に触れたウチのかしこくて可愛い子供達は、きっと真のゲージツに目覚めるに違いない!ああ、こういう素晴らしい教育を子供達に授ける私って・・・何て・・・何てすてきな母親なの!だが期待(というより妄想)に胸膨らませて連れて行ったルーブルでは・・・みごと撃沈。ウチのおばかな子供らは、何の興味も示さなかった。私の説明もうるさがって、聞く耳もたずの状態だ。唯一、興味を示したのはモナリザ。これだけは黒山の人だかりを潜り抜け(子供なんでこの点は有利)自分からすすんで見に行く。おっいいぞっ。さすがウチの子、ダビンチの名画ぐらいは知ってるんだ!「ねえねえ、モナリザ、知ってたの?」私はうれしくなって聞く。「うん、○○○(←ギャグ系のサイト)でね!」母、絶句。情けない・・・(T-T)さて、モナリザの写真を何枚かとった息子は一仕事終えた、目的は達した、との感懐をいだいたとみえ「ね~もう見たから早く帰ろうよ~」と矢の催促。「えっこれからミロのヴィーナスも見るんだよ。それから○○も、○○も。」と私。「え~!いーよー。そんなのー。」「ここつまんないよ~。もーかえろーよー。」姉娘のほうも一緒になってブーイングの嵐だ。母、切れる。ええい、控えい! みなのもの、この印籠が目にはいらぬか!ここは世界に冠たるルーブル美術館であるぞ!母のあまりの迫力にハハーっとひれ伏す子供たち。ハハ・・(^^;)>で、とにかく、見せることは見せましたよ、ミロのヴィーナス。だってそうでもなきゃ、何のために大枚叩いてここまで連れてきたかわかりませんからね、プンプン。こちとら本物教育ですからね、プンプン。しかし、ことオルセーに至っては。戦況、さらに悪化。暑い中を1時間以上も外で並ばせられ、もう子供たちは始めから拒絶状態。それをなだめすかして見せてはみたものの子供たちの反応は・・・・はじめのうちこそ、絵の前で少しは足を止めていたりしたが、なにせ名画中の名画が狭い空間にてんこ盛りである。しかもあの混雑。考えてみれば、この空間にいるというだけで、ものすごい量の視覚情報が一気に目に飛び込んでくるわけだ。これをバイト数にしたらどれぐらいなんだろうか?きっと気の遠くなるような数字に違いない。やっぱ、これは誰でも疲れます。子供たちは途中でまたイヤになって、帰ろうコールのオンパレード。出てきたときには親も子もヘトヘト状態だった。だがしょせん、美術館というのはそんなもんである。幻想をいだいてはいけない。ほんとうは1枚の絵を鑑賞するのだって、それなりの時間が必要だ。絵と向き合う静かな時間。それとある程度の美術史の知識。ずっと古い昔に描かれたその絵に描かれているものはいったい何なのか、どういう背景で描かれたのか、描いた画家は何を伝えようとしているのかそんなことは、ある程度の美術史の知識がなければわからないし、そこから何かを感じたり味わったりする鑑賞という作業は、知識、観察力、洞察力、想像力、そして感性を総動員させるほんとうにホネの折れる作業なのだ。というわけで、無残にも玉砕とあいなったパリ美術鑑賞の旅であったが後日、南仏エクサンプロバンスに立ち寄ったとき、ウチのおばかな子供たちに奇跡が訪れる!その続きはまた明日!ところで、ルーブルみやげにモナリザの神秘の微笑み・・・見たい??じゃ、ちょっとだけ(マダムK風に /もっとも私はまじめですが) 怖っ!
2004年08月13日
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南仏。それはずっと私の憧れの地だった。ずっと以前、まだ学生だった頃、ニースやカンヌを訪れ、その地中海の青さに驚き、食べるものすべての美味しさに驚いた。その後、ベストセラーとなった「南仏プロバンスの12ヶ月」を読むにつけ、いつかはここを訪れたい、と思っていた。というわけで、今回、渡欧がきまったときには、もう私の腹は決まっていた。私はこの夏、南仏にゆく!そして別荘をかりるんじゃい!さいわい、夏には母やかのマダムK、およびそのご子息2人も来るというし、少し大き目のゴージャス系を借りちゃおうっと。みんなで割ればそう高くないし、みんなで地中海をながめつつ、美味しいものを食べ、ワインを飲んでわいわいやったら、楽しいだろうな~ク~!やっぱ人生、こうでなくっちゃね!私はインターネットを通じてさまざまな物件をさがす。う~む。それにしても高いぞ。しかも「やっぱ海のそばじゃないと」とか「暑いしプールが必要だよねえ」とか横からノーテンキな要求を出すヒトまでいる。(それは夫です)だからーめちゃくちゃ高いんだってば、そういうのは!ここでもない、あそこでもない。いや、楽しいのは楽しいんですがね。やっぱ、大変な作業なわけですよ、いろんな人の日程やら希望やらを調整するってのは。そんなにがんばってやっと決まったという段になって・・・「私はイタリアに行くわ。そうでなければ今回の旅行は意味がないの。」(キッパリ!)とマダムK。え~、ま、まじっスか~!?いかに私が言説巧みに(?)説得しても、マダムKの決意には、一点のゆらぎもない。ああみえても、結構頑固である。かくして計画は最初から練り直し、私もまけじとかねてからの夢を実現すべく、断固たる決意で南仏へ。元祖夢先案内人として、これだけは外せませんからねえ。しかし2週間の予定だった滞在を1週間に減らし、あとの1週間は妹につきあってイタリアへ行くこととあいなった。イタリアもそりゃ良かったけどああ南仏! Oh!南仏。ここはまた別格だす。感嘆詞なしに語ることはできません。南仏や、ああ南仏や、南仏や、と気分はまさに松尾芭蕉?ここではまさに至福のときを過ごさせていただきました。太陽があって、海があって、美味しい食事があって・・・このうえ、いったい人生に何が必要というんでしょう?だってこれですよ! それからこれ! そしてこれ! これがぜ~んぶ、自分たちだけのもの!(1週間は)この眺めを見ておいしいご飯を食べ、地中海に満月の昇るのを見た日にゃ、この世をば わが世とぞ思ふ もち月の かけたることのなしと思えば。というまさに藤原道長の心境。(1週間だけね)1940年代に建てられたというこの別荘は、内装はすっかりリニューアルされているが、基本的にとてもシンプルだ。 シンプルにして、豪華。どんなに簡素に暮らしても、ここの暮らしは英国のどんな貴族よりも豊かである。だってさりげなくスーパーで買うものだって、ひとつひとつが、めちゃめちゃ美味しいのだから!みずみずしいオレンジ!(うわ~っオレンジってこんなに濃厚な味だったんだ、って目から鱗)口の中で爽やかな甘味が広がるぶどう!そして山盛り買っても安い新鮮なスカンピとかオイスターとか。勿論、フランスパンも、チーズも、ワインも!それこそ、缶詰や出来合いのソースの類に至るまで、ここのものはうまい。素材がいいから、シンプルな味付けでいい。凝った料理を作る必要がない。それって、ものすごい幸せなことではないだろうか?私はどこへ行ってもそこに住むヒトをうらやましいと思ったことはないが、南仏のあそこに住む人たちだけは、メラうらやましい、です。だってそこには限りなくシンプルにして限りなく豊かという私の理想の暮らしがあるから。・・・いつか、いつか、南仏に住んでやるぞォ。(息子を弁護士にでもして、別荘買わせるぞォ。)との野望を胸にいだいて、肌寒いエジンバラへの帰途に着いた元祖夢先案内人なのでした。ちなみに、南仏の別荘を私も借りてみたい!と思うヒトは、下記のサイトなどからどうぞ。http://www.abritel.fr/http://www.4-your-holidays.com/他にもvacation rental, holiday rentalなどのキーワードで検索すると、たくさん出てくるようです。週単位、2週間単位になるのですが、家を借りて友達とシェアすれば、ホテルに泊まるより安くあがりますよ!ただし、ある程度英語かフランス語はできないとツライです。
2004年08月12日
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6月ごろ、ひとりでロンドンへぶらりと出かけた。美しいが静かすぎるエジンバラにちょっと飽きてきて、刺激がほしくなったからだ。ロンドンまで、電車にゆられること4時間半。いや~、ロンドンは遠いです。ってゆーか、エジンバラが遠いんだね。なにしろ、地図で見るとエジンバラは北の果て。ロンドンに住む人にとってスコットランドへ行く、というのは「ちょうど東京から青森へ行くようなかんじかな。ほら、津軽海峡、冬景色~♪みたいな?」とうそぶく輩すらいる。 いや、演歌流れてないって。だがある意味あたってる。スコットランド訛りって東北弁?って感じだし。スコットランド人は内気で物静か、そしてとっても我慢強い。そういうところも、東北人と似ているかも。(ちなみに私は生粋の東北おごじょざます。内気でも物静かでも我慢強くもないっスが。)ロンドンはさすがに刺激的な街だ。なにせ交通量がすごい!ついでに騒音と排気ガスもすごい!人の数がすごい!でも街には活気があって、人の顔は明るく開けている。気軽に声もかけてくれたりして、気の合いそうな現代的な感覚の人もたくさんいる。やっぱりロンドンはいい。来たついでにピカデリー・サーカスのジャパン・センターへ行って、本を買ったり、現地日本語新聞をもらったり、掲示板をのぞいたりして、色々と情報収集してくる。その際にジャパン・センター近くにあるロンドン三越にも寄ってみたのだが・・・ちょっと驚いた。一歩足を踏み入れればそこは外の喧騒とは打って変わった静寂。「いらっしゃいまっせー」と日本語の純デパート系裏声がとんでくる。おおお!ここは、まるで・・・まるで・・・日本そのものではありませんか!売り場に並べられているものは、完全に日本人のイメージする「ヨーロッパのお土産」ばかり。ラインから外れたものは絶対においていない、というその安心感。ここなら最小限の労力で、「間違いのないお土産」が買えます。お買い物をする日本人マダムたちも、駐在員の奥様から、旅行中の年配のマダムまで、さまざまではあるが、ゆったりお買い物をする人々の姿、嗚呼、それは遠い故郷で慣れ親しんだ三越の風景そのものだ。く、くつろげる、この雰囲気!いや、マジで。そしてこの小さな逆カルチャーショックにも似た驚きは三越地下の純日本料理店(名前は忘れた)で、さらに大きな感動へと変わったのである。だって、私が食べた松花堂弁当。これは、一切の妥協のない味だ。いや、特別にうまい、とかそういうことではない。日本で食べる三越の松花堂弁当と寸分の差もないお味である、という意味で妥協がないのだ。材料がそろわないからコレで間に合わせました、的なマガイモノがひとつもはいっていない。この英国という異国の地にあって、これは驚嘆に値する。多少なりとも外国に住んだ経験のある方なら、それがどんなに大変なことかおわかりだろう。コストからいっても、材料調達の難しさからいっても、純日本料理を作るなんぞ至難の業だ。(現に我が家の食卓を見よ!)実際、ロンドンにはたくさん日本料理店らしきものがある。しかし、日本人に見える従業員も、実は韓国人や中国人だし、経営者もたいてい日本人ではないことが多い。出される料理のマガイモノ度も推して知るべしである。そういう日本食を日本食として出されたり、日本製でない粗雑な製品を「ジャパニーズ○○」といって売られたりするのを見るにつけ、最近、私の「バリバリの愛国心」が刺激され、不愉快な気分になるのである。しかし、その点、ロンドン三越(の日本料理店)は違う。かくも純粋な日本、あるいはジャパニーズクオリティーを、一切の妥協なしに実現しているロンドン三越。これは三越の財力とプライド、クオリティへのこだわり、接客のノウハウがあって初めて可能なものだろう。もし英国人が日本を知りたいと思ったら、ロンドン三越へ行けばよい。私は躊躇なくそう言う。良きにつけ、悪きにつけ、ここならピュアーな日本文化がある。周りを見渡すと、結構英国人らしき人が来ていて、松花堂弁当を食べていたり、すしバーの方には英国人を交えたパーティーも入っていた。企業研修らしき人も見学に来ていた(ように思う)。いいぞ、三越。日本の意地をみせてやれぇ~。
2004年08月11日
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英国は階級社会である。しかしここエジンバラに来てからというもの、いったい「上流階級の人びと」はどこに隠れているの?というほど、周りにはフツーの人びと (これを貴族と区別してcommon peopleというらしい)ばっかりだった。一説によると、階級社会は崩れ、上流階級はもはや絶滅した、という人まで出てくる始末。まあ、こちらには子連れというハンデもある。高級っぽい匂いのする場所へはなかなか近づけないことも確かである。しかし昨日、母がもうすぐ帰国することもあるので、うわさには聞いていたセレブなレストランへ行ってみることにした。市の中心部からは車で10分ほどのPrestonfield House Hotelにある、Rhubarbというレストラン。(http://www.prestonfield.com/welcome.htm)12世紀までさかのぼることができる由緒ただしきプレストンフィールド・ハウスはホテルとしても長い歴史をもつが、昨年、スコットランドのレストラン業界で最もサクセスした一人との呼び声の高い現オーナー、ジェームズ・トンプソン氏が買い取り、多額の資金を投入、内装をリニューアルして、つい昨年の11月にリオープンした超セレブ系レストランだ。何しろこのレストランで食事をした人々のセレブ度を見てほしい。ウィンストン・チャーチル。マーガレット・サッチャー。ショーン・コネリー。エルトン・ジョン。キャサリン・ゼダ・ジョーンズ。おおおー!って感じでしょ?さて、私たちは午後7時に予約をいれた。入念にドレスアップし、タクシーを呼んでいざ、Prestonfield House Hotel へ!市内の住宅街のホテルにもかかわらず、広大なホリールード公園を背にしたホテルは、まるで別天地だ。郊外の大自然の中にでもいるような風情。 なんと、庭園には孔雀が優雅に歩いているではありませんか!さて、ホテルにはいると、もうそこには黒シャツに黒スカートをきた優雅なドアマンが待ち構えている。こちらの名前をいうまでもなく、すでに承知している様子である。(予約のおかげだね!)「テーブルに着かれる前に、こちらのラウンジで食前酒はいかがでしょうか、マダ~ム?」なんぞ言われたら、とても「ノー」とは言えない。 さて、席についた私たちに、イケメン系のウェイターさんが注文をとりに来る。夫はシェリー酒を頼む。母と子供たちはノンアルコールでレモネードを。さて、私は何にしよう。あんまり凡庸なものは頼みたくない。私はちょっと挑戦的な気分になり「グ、グラッパあります?」と口走ってしまった。思わずウェイターさんの相好が崩れる。え~!グ、グラッパァ~?って顔である。しかしそこは彼もプロ、「Sure! (もちろん、ありますとも)」とにっこり。えええっ、あるんだ、グラッパ。私はちょっぴり感心する。グラッパはワインの絞りかすを蒸留して作るかなり強烈なイタリアのお酒。ぶどうの香りがとてもいいので私は大好きなのだが、ウォッカや、アクアヴィットのように男の酒ってかんじで、女性がたしなむような品の良いお酒とはいえない。これを飲むのは、かなりののんべえ、これを頼むのも、かなりやべえ、という感じ。しかも食前酒ではないし。でも、ま、好きなものを飲むのが一番である。さて、ソムリエがにやにやしながら運んで来たグラッパをのどに流し込みながら、今夜のメニューを決める。う~む。難しいぞ、メニュー。(しかし、グラッパがのどに熱くてキモチがいい。ク~!やっぱこれだね!)スターターは・・・例えばこんな感じ。Terrine of foie gras and duck confit, Gewürztraminer jelly, toasted brioche - £11.50Seared Isle of Skye scallops, swede puree, ginger oil and beet juice - £9.50なんじゃこりゃ?しかし値段はそう高くない。メインは・・・こんな感じ。Pan seared fillet of sea bream, fennel boulangere, tomato and squid ragout - £16.50Pave of turbot, crab and asparagus in a light shellfish broth - £19.0いったいどんなものが出てくるのやらさっぱり見当もつかん。こういう時、ウェイターにお勧めを聞くのが本当は一番だ。しかし今日は人数も多かったので、聞くのも面倒だし、とりあえず、食べたい食材がはいっているかどうかで決めた。夫は前菜にフォアグラ入りのテリーヌ、メインにワイルドサーモン。私は前菜がラビットのロースト、メインがラム。母は前菜にトルテリーニ、メインは白身魚。子供たちのぶんは、ウェイターにお任せした。「テーブルのご用意ができました」ウェイターが呼びに来る。通されたダイニングルームはまあ、なんて優雅。 壁にはたくさんの肖像画。歴代の屋敷の主たちの肖像画だろうか。その夜のお客は年配の上品な紳士淑女方。ロングドレスのご婦人もいるが、服装は全般にそう派手でもない。しかし、隣の老紳士が話す英語を聞いて驚いた。そこらで喋っている「common」の人たちの英語とは全然ちがう。これぞ「ザ・上流階級」。こちらに来て初めて聞いたほどの、上品な英語であった。「マイ・フェア・レディー」の世界をはじめて理解した、って感じ。さて、肝心の料理のお味だが・・・まず、パンは非常に美味しかった。水も厳選したものを使っている。ワインもなかなか。しかし数々の賞を受賞したという割に、料理のお味はどうか?ヌーベルキュイジーヌっぽいそのテイストは、メニューと同じぐらい、不可解だったというべきか。ただし、ホスピタリティーは絶品である。ウェイターはひとこと喋るごとにマダムをつけ、私なぞ一晩のうちに20回以上もマダムと呼ばれたような気がする。12歳の娘にまで、口がすべってマダムと呼んでいた。いや、ここまでマダムと呼ばれ続けると、気分はいいものである。レストランを出る頃には、すっかりほんもののマダムになった気分。ああ、かのマダムKをここにつれてきたかったっス。マダム度、確実に上がりまくりだったはずだっス。
2004年08月09日
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「絶対にこれだけは見ておいたほうがいいですよ。」エジンバラに行くと決まったとき、英国通の知人に言われた。エジンバラ・ミリタリータトゥーのことである。「チケットは早めに買わないと売り切れますからね。」貴重なアドバイスまで受けた。4月にはいってさっそくチケットを買いに行く。だがその時点でもう、良い席はソールドアウト。結局、プレスプレビューの日の別売りチケット※を並んで買い求めることにした。※一般公開に先立ってプレスの人に公開する日のチケットは、7月26日に限定発売。他の日のチケットが取れなかった人には朗報だ。プレスの人がうろうろして確かに目障りだが、それを我慢すれば、朝から並ぶだけでいい席も簡単にとれ、しかも半額(!)なのがうれしい。ここまで人気のあるミリタリータトゥーって、いったいどんなに素敵なのだろうか?期待と好奇心とで胸膨らませ、私たちは8月5日、早々にタトゥーを見てまいりました。席は正面の上のほう。ほぼベストといっていいでしょう。2時間並んで買ってくれたくれた夫にひたすら感謝である。幻想的にライトアップされたエジンバラ城の前で、延々2時間近くにわたって繰り広げられる軍楽隊のパレードと民族舞踊のショウ。確かに美しいし、華やかだ。哀愁をおびた音色で粛々と演奏されるバグパイプもいい。花火まであがって、いやもう、サービス満点。 でもプログラムが始まるにつれて、ちょっとびっくり。スコットランドの軍楽隊。これは当然、メインでしょう。バグパイプにタータンチェック。それを見たくて来たのだし。 実際、私はそれだけをやるのかと思ってました。イングランドにいじめられっぱなしのスコットランド人が、民族の誇りを取り戻すための年一回のお祭り。そういうもんなのかな、と思ってました。でもこれが微妙に違ったんですね。まずイングランドの軍楽隊や、ロイヤルエアフォースが登場。ロイヤルエアフォースのパフォーマンスは圧巻。 ふうん、スコットランドと仲が悪いとはいえ、やはりイギリス人同士、一緒にやるんだね。次に英連邦の国々の軍楽隊や舞踊団が。これもまあ、アリかな。インドや南アフリカともなると、エキゾチックで面白いしね。 そして登場したアメリカの軍楽隊。いや、これはかなりぎりぎりかな。「地上最大の作戦」なんてやっちゃってるし。ノルマンジー上陸60周年かなにかしらないけどね。ここらへんまでくるとかなり雲行きがあやしくなってくる・・・しかし何よりも不可解なのは中国人民解放軍。これはいったいなに?イギリスって中国と仲良かったっけ?いそいでプログラムを見ると、そこには去年の写真が。昨年は韓国の女性舞踊団をよんだらしい。ってことは来年あたり、たとえば日本も呼ばれたりするんだろうか?YOSAKOIとか。そこまで考えて、たぶん、その線はないかも、と独り言。だって、観客席をぐるりと囲んではためくゆうに200は越す国旗の数々、その中に、日本の国旗はなみえなかった(少なくとも私の席からは)。戦後まもなく始まったタトゥー。そういう歴史から考えても、世界大戦で敵国だった日本(古ッ!いつまで言ってんだそんなこと)に居場所はない。しかも最近、日本経済悪いし、国際会議なんかでも無視され続けだしね(ToT)そういうことを意識してかしないでか、中国は堂々たる長身の美女を揃え、日本の太鼓のようなものを引っ張り出し、鼓童よろしく、ちゃんちきおけさ(だったっけ?)のような節回しで踊ったりしていた。かなり不快な気分になる。何も全世界の人々が見ている前で日本のお株を奪うようなことをしなくてもいいんじゃないか、って思ったのは私だけだろうか?
2004年08月08日
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ヨーロッパ人はフェスティバル好きである。夏のこの時期になると、ちょっと気の利いた街ならどこでも何かしらフェスティバルが開かれている。勿論、観光客を引き寄せるための方策なのだろうが、そこはヨーロッパの歴史の深さ、かなり魅力的な催しがたくさんある。普通の観光に飽き足らなくなったら、こうしたフェスティバルを旅程に組み込んでみるのもいい。通り一ぺんでない、特別な旅になること請け合いである。さて先日、私は母や妹とヴェローナ音楽祭を見に行った。(注:ヴェローナは北イタリアの美しい町で、ローマ時代の遺跡やジュリエットの家があるので有名。)出し物は「アイーダ」。エジプトが舞台のイタリア歌劇の古典的名作だ。ヴェローナ音楽祭の場合、ローマ時代の遺跡である古代競技場(アレーナ)で行うので、そのスケールは壮大である。 チケットは、清水の舞台から飛び降りた気持ちで一番高い席をとる。今回はエージェントを通したので25000円もした。ネットで自分でとれば最高の席でも142ユーロ(2万円弱)である。断っておくが、私は決してお金持ちではない。むしろ物価の高い英国暮らしで結構、お財布はいつもピンチ状態。さらにいえばオペラファンでもないし、どちらかと言えばあまり好きではない方かもしれない。それでも一番高い席にしたのには近頃、人生一回きりなんだなあ、と日々実感するから。一生に何回あるかわからない体験。わずかの金額をケチって思い残しはしたくない。学生ならまだしも。そしてケチらなくてよかった、と思わせてくれるものは十分あった。だってそもそも入り口からして違う。まず通路にはレッドカーペットが敷きつめられている。 椅子も豪華仕様だし、シャンペンは飲み放題。なぜか水は有料なのだけれどね。周りはドレスアップした紳士淑女ばかりで気分がいい。しかも私たちの席は前から5番目。歌手の表情まではっきり見えた。さて、その夜のオペラは・・・いや、素晴らしかったですよ、ホント。私は何度もいうように、オペラファンではないです、クラシックは好きですが。でも舞台芸術の素晴らしさには目を奪われました。 第二幕のダンスも素晴らしかった。 夜の9時15分から12時半(!)まで、ちっともあきませんでした。いや、ホント。でもね、でも、私にはどうしても許せないことが・・・主人公のアイーダ(エチオピアの王女だが今はエジプトの奴隷の身)も、アイーダと恋に落ちるラダメス(若い武将)も、美男美女(のはずだよね?)。なのに、実際に目の前で足を踏ん張って熱唱してるのはこの太った二の腕ぷりぷりのおばさん。 いや、声は通るけどね。なんか、設定に無理がないか?しかもラダメスにいたっては・・・写真でお見せできないのが残念だが、太ったおなかで足元も見えないような中年のオジさんを、若く魅力的な戦士だと思え、ということであった。やっぱ、なんぼなんでも無理がありますっつーの。第三幕、二人のアリアがやたらと続く場面は、ほんとうは感きわまる場面なのだろうけど、ちょっとかなり退いてしまいました。すみません。そういうところが、実は私がオペラを好きになれない理由かもしれない。でも第二幕で登場したダンサーたちの身体はさすがに引き締まっていて美しく、熟女三人の目を楽しませてくれました。 私たちからさんざん夢見る目つきで素晴らしかったと聞かされた留守番組の夫は、悔しがって一人でドミンゴを見に出かけていきましたよ。ちなみにオンラインでチケットを購入される場合は下記サイトから。http://www.arena.it/eng/arenaeng.urd/portal.show?c=1(直リンク不可のようなのでコピペでお願いします><)
2004年08月07日
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