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英国を舞台にした映画で、子供の頃からいつも不思議に思っていたことがある。それは、必ずといっていいほど出てくる「ヒマな居候」の存在である。例えば「マイ・フェア・レディ」に出てくるピカリング大佐。あの人は何でずっと教授んちにいるんだろう。三食ごちそうになっているが、何で教授はそんなに金持ちで、何でピカリング大佐はそんなにヒマなの?子供心にいつもそう思ってた。「名探偵ホームズ」のワトソン博士の存在もやはり私にとっては不思議きわまりない。医者だと言っておきながら、いつもホームズの事務所に入り浸っていて、ロクに医者らしい仕事もしている形跡がないのだから。確かどちらも退役軍人(ワトソン博士は退役した軍医)。年金で生活しているからヒマで悠悠自適なのだ。どちらも奥さんはどうしてるのかな、とまた別の疑問も湧いてくるのだが・・・(笑)でもこういうやや貴族的な有閑階級が英国には沢山いて、彼らの存在が英国人の生活を面白くしているのは確かだろう。そして、この伝統(?)は現代も続いていて、そういうライフスタイルを貫いている人たちは、結構沢山いるのだ。実は英国で知り合った夫婦と、その回りにいる人たちが、それを地でいっている人たちだった。旦那さんは有能な証券アナリストだったが、かなり若くして(40代だったと思う)財を築き、セミリタイア。はやくも有閑階級の仲間入り。で、彼は何かクラブ組織のようなものに所属して、毎日そのクラブの人たちとスポーツをしたり旅行をしたりパーティをしたりと社交三昧の生活。そのクラブは世界的な組織なので、そこに入っていると、世界じゅうどこに行っても孤独ということはないそうな。電話一本で、見ずしらずの人のところに泊めてもらえるという。自分たちもそうやるので、彼らも客人がくれば当然のように泊めてもてなす。そしてそうやって客人をもてなすことを心からエンジョイしている。なかには、それをいいことにずっと他人の家を転々としながら居候生活を続けている猛者もいるらしい。友人夫婦のところにちょくちょく転がり込んでは、友人を悩ませているある男性は、すばらしい社交マナーを身に付けていて、英国人に言わせると、彼は絶対に上流階級の出身だというほど品のよい英語を話すのだが、金はなく、まともな仕事をしようという意欲もなく、なんとかそのチャーミングな人柄でもってうまく人にとりいり、居候生活をしているらしい。(しかも国際的レベルで。つまりいろんな国を渡り歩いているらしい。)ここまで行くとやはりちょっとすごいけれども、でも基本的に英国人は仕事をしないということに対してあまり罪悪感ももっていないし、またひとのうちに泊まるとか長期滞在(居候)する、ということについて、あまり遠慮というものはないような気がする。これはきっとそういう社交文化の伝統があるからだろう。そのかわり、マナーはしっかりしていて、迷惑をかけたり、嫌な思いをさせたり、ずうずうしい振る舞いをしたり、ということがない。こういう社交術を身に付けている英国人は、だからとっても旅上手である。長期で旅行をした人の話をきくと、たいてい「友人を訪ねて」というフレーズが入る。その土地に住む友人を訪ねる旅というものがベストであることを、彼らは良く知っているのだ。友人(どの程度の知り合いであれ友人は友人)宅に泊まり、食事をご馳走になり、案内してもらう。それが最も安上がりな上に、その土地を一番よく知る方法でもあり、さらにパーティなんかに顔でも出せたら新しい知り合いも増えるし、そこからまたどんどんつながっていく。そういう楽しさを一度知ってしまったら、高いお金を出してホテルに泊まって、通り一遍の観光しかできないような、そんな旅はバカバカしくてできなくなるに違いない。旅というと買い物に走る日本人だが、これからの時代は、こういう「人と触れ合う旅」を求めるようになってほしいものである。
2005年06月09日
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近頃、欧米では禅が流行している。禅という名前さえ付ければ結構、いろんなものが売れるらしい。で、全然、禅と関係ないものにまでZENなんて名前がついてたりする。しかし実際、まじめに禅をやっているひとも多く、英国にも驚くほど沢山の禅センターがあって禅メディテーションの会などを開いている。しかし、この英国式の禅メディテーション、日本の坐禅会などとは、全然雰囲気が違うらしい。そもそも、日本の曹洞禅や臨済禅だけでなく、いろいろな系統(チベット仏教のティクナトハーン系とか、FWBO系とか・・・)がはいっていて、それぞれに雰囲気もやり方も違うとか。実は夫は、そのあたりを研究テーマとしていたので、在英中にいろいろなRetreat(ヒーリングのためのメディテーションの会ようのなもの)に参加している。これが結構、楽しそうなんである。第一、リトリートを行う場所、というのが、いずれも風光明媚なリゾート地のような場所。写真をみせてもらったが、いや、ほんとうに絶景かな、という場所ばかり。しかもお食事も美味しく、料金も驚くほど安い、と三拍子揃ってる。2泊3日とか、長いときには1週間ぐらい、そういうすばらしく景色のよいところで、日常のストレスフルな生活から離れて、坐禅を組み、散歩をし、Teaを飲み・・・と、ゆったりとした寛ぎの時間を過ごす。1週間後には、すっかりリフレッシュできるらしい。これのヨガバージョンもあるらしく、こちらには私も興味があったので一度ぐらいやってくればよかったなあと、ちょっと後悔している。この英国式リフレクソロジー型お気楽「禅」の世界は、日本の厳しい「禅」の世界とは全く違う。ピンと張りつめた禅堂のストイックな雰囲気のなかで厳かな気持で座るということは、それはそれでとってもいいんじゃないか、と私なぞは思うが、でもリラックスした雰囲気の中でのほんわかとした禅メディテーションも、やはりとても魅力的な気がする。どちらも非日常というセッティングは同じ。で、何日か過ごすと心が洗われるという点でも同じ。効果が同じなら、でもやっぱりラクで美味しいほうがいいかもねえ。
2005年06月09日
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一昨日の日記、別のところで同じことを書いたところ、「頑張りすぎる日本人」に対するリアクションが多いのには驚いた。日記の意図は「頑張る日本人ていいじゃない」、というメッセージだったのだが、反応は意外に「何で日本人てこんなに頑張るんだろう」系が多く、びっくり。確かに、英国人はどんなときでもユーモアを忘れず、リラックスして楽しもうよ、というスタンス。頑張りすぎるのはかっこ悪い、とどこかで思ってるんじゃないか。精神的なゆとりを感じる。そこいくと日本人は、いつもマジだ。国際舞台で見る日本人は、頑張りすぎて緊張して硬くなって本領を発揮できずに終わる、みたいな頑張りが裏目に出ている場合も多かったりする。そういう姿が特に顕著に見られるのが、スポーツの世界だろう。そもそも、スポーツの多くはイギリスが発祥の地だ。テニス、ゴルフ、ラグビー、クリケット、ポロ、サッカー・・・現在、世界じゅうで行われているメジャーなスポーツのほとんどは、イギリスのものなのだ。そして、サッカー以外は、ほとんどが上流階級の遊びから始まったもの。彼らは「アマチュアリズム」とか「スポーツマンシップ」を大切にし、勝敗にこだわりすぎることを恥と感じ、品性に劣る行為と感じるようだ。もっとも現代のスポーツ界からは、そのようなアマチュアリズムはほぼ消えつつあり(そりゃあそうだ、普通はイギリスの上流階級のようなわけにはいかない)、事情は全然違ってきてしまっているが、いまでも英国では「あまり頑張りすぎない」ということに対する「伝統」のようなものは残っているんじゃないか、と随所に感じるのだ。つまり、日本人とは逆の伝統である。子供たちの学校でのイベントでも運動会のような「スポーツデー」もあるし、いろいろな競技会もある。でもどれもこれも、すごくいい加減なノリだ。学校のスポーツデーは、いろいろな競技を同時にやり、グループごと各競技を順ぐりにまわっていく。親は来ないし、みな同時に何かの競技を行っているので、観客となるヒトはいない。競い合って、楽しんで、一応勝敗も決めるのだが、あんまりどうでもいい感じだ。つまり、自分達が何かをして楽しむことが目的であって、他のヒトのやっているのを応援したり勝利にこだわったりという発想はない。娘が出場した市の陸上競技会も、一応学校代表で競うちゃんとした大会なのだが、なんと練習したのは当日朝だけ。その場では勿論、全力で頑張るんだが。娘は背が高かったのでハイジャンプの選手に選ばれたのだが、後にも先にもハイジャンプなんてやったのはそれが初めて。しかし当日朝の練習だけで、いきなり本番であった。ハイスクールのクリスマスコンサートも同じ。娘が所属していたブラスバンド、たった一回あわせただけで(もっとも他の子たちは多少やっていたようだが)、いきなり大きなホール(しかも満員)で、本番だった。でも参加者も観衆も、みんなで楽しんで盛り上がる、とっても素敵なコンサートだったので、私はほんとうに驚いた。子供のうちから表現することがとても上手。とても自然で硬くならない。指揮者のユーモアを交えたトーク。観衆のマナーのよさ。どれをとっても日本にはないなあ、と感心した。娘は日本でもブラスバンドのコンクールとかに出たりしていたが、あの厳しい練習とがちがちの本番は、いったい何だったのかなあ、と思わせられた。でもそんな「頑張らない」イギリスでも、ひとつだけ、誰もが熱くなり、頑張るスポーツがある。それはサッカーである。サッカーに関しては、誰もが譲らない。負けたら滅茶苦茶いわれるし、ファンは暴れるし、まあその盛り上がりはすごい。(皆さん知っての通り)なるほど、サッカーだけは庶民のスポーツとして発達したものだからね・・・(と、妙にナットク)
2005年06月09日
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あるイギリス人から聞いた話。サハラ砂漠(だったような)をクルマで走っていたら、遠くのほうにえっちらおっちら自転車で走っている奴がいた。見るとどうも日本人らしい。あんまりしんどそうなんで、近づいてとりあえず「調子はどうだい?」と声をかけてみると、息も絶え絶えになりながら「喉が渇いた」という。そこで水を差し出し、「良かったらクルマに乗っていくかい?」ときくと、彼は差し出された水を一気に飲みほし「ありがとう、でもまだ頑張れるから」と、またえっちらおっちら走り出した、という。彼は首を振りながら私に問うた。「いったい、日本人は何でそんな気狂いみたいに頑張るんだね?」なんでも、彼のいいぶんだと、サハラ砂漠であれ、オーストラリアの砂漠であれ、自転車で横断している奴がいたら、大抵それは日本人だそうだ。まるで修行僧みたいにストイックに挑戦している日本人の若者をもう何人も見たという。かと思うととんでもなく軟派な奴らもいて、ノリで砂漠に来てしまった、どうするんだろう、こいつは、という若者もいるのだが。それにしても、日本人はどうしてそんな冒険をしたがるのか、と聞かれて、私はう~ん、と返答に窮してしまった。若い頃は誰しも自分の限界に挑戦してみたいという気持はあるだろう。それって日本人に限らず、万国共通のことではないのか。しかし、そのイギリス人に言わせると、それは極めて日本人的なことらしい。イギリス人は世界中いろんなところへ歩いているし冒険もするが、砂漠を自転車で、なんていう類のことはしないそうだ。文明の利器があれば、それを使うし、その点では合理主義に徹する。そもそも自転車で横断するなどという冒険に意義を見出すひとは少ないという。ふうん、そうなんだ、と私はかなり驚いた。確かに、砂漠を自転車で横断するストイックなフィリピン人とかブラジル人とかいうのは、想像しにくいが、イギリス人もそうなのか。そういわれてみれば、そういう気がする。このストイックさは日本的といえば日本的なのかもしれない。(アメリカ人ならどうだろう?意外にありそうだが・・)日本には精神主義の伝統がある。物質主義に毒された現代においてもなお、精神主義の伝統は随所に残っていて、私なぞも、ぎりぎりのところまで自分を追い詰めたときにしか見えない光景というものがあるのなら、その光景を垣間見てみたい、と思う。もう何かに挑戦するエネルギーさえ自分に残っているのか疑問に思う年代になってもまだ、研ぎ澄まされた精神的境地にあこがれている自分に気づく。頑張って富士山に登って、朝日が昇るのを眺めるときのような。そういうものの素晴らしさを、日本人て、きっとどこかで学んできたんだろうな。精神主義が裏目にでることもままあるけれど、でもやっぱり、大切にしてほしい伝統、かもしれない。
2005年06月07日
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