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マドリイッドからラ・マンチャ地方へバスで移動。窓から見えるのは地平線まで見える赤茶けた大地。ドイツやイタリアとは違っていかにも痩せた風土だ。今では用水路やスプリンクラーが完備されてオリーブの木が植えられているが、昔は木も生えない不毛地帯だったそうだ。コンスエグラの風車を訪ねる。大きな岩山の上に風車がいくつも建っていた。丘の上は強風が吹きいかにも風車がピッタリの気候。風車から見下ろす風景は、やはり所々に村が見える他は石ころの大地が広がっていた。風車の中では商売熱心なおじさんがお土産を売っていた。高価な値が付くサフランや、キーホルダーなど売っていた。コルドバへ行く。メスキータは785年から建設が始まり、16世紀には改修をし、イスラム、ゴシック、ロマネスク、バロックの建築様式が混ざり合った不思議な構造になっている。キリスト教とイスラム教が政権を取り合っていたが、建物は建築期間を短くするためか?経費削減のためか?有るものをそのまま利用したそうだ。壊してしまわわず、利用した結果が世界でも珍しい建物になったそうだ。何とも不思議な建物。1本1本大理石の柱の色も長さも違ったりしていた。
December 31, 2005
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2003年1月スペイン・アンダルシアの旅9日間のツアーに参加。まずはフランクフルトからマドリッドに。スリや強盗が多いので充分注意するように言われる。カバンをひったくられカバンを押さえたがために首の骨を骨折した話やナイフでカバンを切られたり、お腹に巻いた貴重品ごととられた話やらいきなり物騒。スペインでもマドリッドが一番危険と言うことだった。昼食のスペイン風おつまみ「タパス」は生ハむなどの盛り合わせ。どれもおいしかったけどとても塩辛かった。バスでトレドへ移動。見下ろせる丘からトレドを一望。もう中世の世界そのもの。トレドは三方を川に挟まれた深い谷の上のにあり、狭く曲がりくねった坂道の多い町。昔の要塞そのもの。カテドラルに納められている宝物は色とりどりの宝石や金でできたものがたくさんで素晴らしかった。イタリアやパリとは違うどこかイスラムの雰囲気があった。
December 30, 2005
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イタリアに行って感激したのは美しいものがたくさん見れたこと。バチカン美術館やウッフィツィ美術館や聖堂や宮殿そのものがたくさんの絵画やフレスコ画や彫刻で飾られている。建物自体が美術館。特に「イタリアの青」とガイドが言っていたが絵画に使われていた鮮やかな青が印象的だ。パリのルーブル博物館でも色々絵画などをみたが、やはりイタリアの青に勝る青は無かったような気がする。モナリザの微笑みは思っていたよりずっと小さかった。でも見る角度や距離で口元の微笑みが変化する。実物はさすがだ。(本物はパリのルーブル博物館にあってレプリカだったと思う)絵画やステンドグラスは教会が宗教をわかりやすく人々に知らせるために物語風に表したそうだ。でもステンドグラスは朝日や夕日で見え方が変わりそれはまたきれい。初期ルネッサンスのボッティチェッリやダ・ビンチやミケランジェロやラファエロなどの一目見て目に焼き付く作品がたくさん見れて良かった。実物は写真で見るのとは全然違い、一度見ると目に焼き付いて離れない。
December 29, 2005
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海外旅行は家族でグアム、バリ島、ブーケット島などあの大きな旅行会社でしたことがある。家族で参加したのは、家族に一人現地ガイドが付くフリープラン。今回のイタリアは娘は飛行機に長く乗るのは嫌だ!!と言うし、一人置いていけないので父さんが留守番をするというので、初一人での大人数のツアー参加。一人で参加して寂しい思いをするのかな?と少し不安だった。でもいざ参加すると一人で参加している人も多いし、夫婦や友達で参加している人も食事のたびにおしゃべりしているうちに仲良くなって楽しく過ごすことができた。その上、一人なので、家族で出かけたときのような荷物が散乱することもなく、自分のものだけの管理で凄く楽で楽で!!すっかり一人でのツアー参加が気に入ってしまった。その上一人だから買い物もしたい放題ではないが好きなものが思い切って買える。いいことずくめだった。
December 28, 2005
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写真はフィレンツェの花の聖母教会ミラノのヴィットリオ・エマヌエーレ2世のガッレリアは高いガラス張りのアーチも素敵だ。1877年に完成したというから128年もたっているとは思えないくらい緻密な構造になっている。足下の色々な色の大理石を敷き詰めて作ったモザイクは模様もエキゾチックで緻密で見事すぎる。その模様が生地や陶器や様々なものに応用されて独自のミラノのおりものの模様にもなっているそうだ。一見の価値はある。教会のステンドグラスはどこも素晴らしい。ベネチアグラスで作られた色ガラスはもう2度と同じ色が出ないものもあるそうだ。戦争の時ステンドグラスをはずして大事に保存してきたんだろうなと思う。古いものを本当に大切に大切にする文化にまたまた脱帽!!建物の間の通りは石畳。石畳の修理をしているのを見かけた。表面の石をはずし、下を深く掘って、砂利や砂を入れまた石を埋め戻していた。そうやって何百年も石を使い続ける文化は日本には無いよね?頑固に古いものを長く大切にする石の文化に何か今の日本には無くなってしまったものを感じた。便利さだけを追いかけて使い捨てにする文化とは違う良さを!!そういえば「ローマでは住宅のブロックを1コ取り替えるにも役所に届け出が必要」と説明があった。住宅そのものが300年ももっと前からあったものだし、石は木と違って丈夫で長持ちするんだなと感心してしまう。日本とは気候や植物が違うのだからショウもないことだけど。
December 27, 2005
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ホテルの中もオシャレな色合いミラノでホテルの近くを夜観光する。素敵な店がいっぱいで、道行く人もみなオシャレ。ちょうど次の年めがけたファッションショーが開催されてるとのことで一段とオシャレな人たちが増えていたそうだ。店は一つずつのブランドで、下着から靴から日用品までが1階から3階までの売り場にびっしり並んでいた。日本で総合的に色々なブランドを扱うデパートしか見てなかったのでいたく感動する。これがブランドということなのか?とすっかりお上りさん。ガイドブックには店に入ったら店員さんにちゃんと話をして、商品を勝手に手にとってはだめ!!と書いてあった。靴屋へ行った。でも店員さんは寄ってこないし・・・靴を眺め気にいたのを見るとちょうど良いサイズだったので履いてみた。長さはいいのだが靴の幅がやたら狭い。もう一つ大きいサイズを出してもらい履いてみる。でもやはり幅が狭い。イタリアの人は足の幅が細いのかしらね??靴はどうも日本人体型で無いようなのであきらめる。なんだか冷たい視線を感じながら店を出た。それにしても手作り感があって、1品展示の所も多く、さすがファッションの町ミラノと感激!!衣類などの店に混じってバールやピザの店が見えた。ツアーでは食事が付いているのでお腹もいっぱいだし、ピザやおいしそうなパンを食べたかったが買えずじまい。残念!!
December 26, 2005
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船から見たベネチア食べ物でパンも町ごとに作り方が違うそうだがどこもおいしかった。何よりスパゲティーは、お客が行ってから作るからアルデンテで、ウエイターが一人ずつに取り分けてくれるしどこでもおいしかった。油濃すぎることもなく、ニンニク、塩胡椒、オリーブオイルのシンプルな物から、アサリ入り、トマト入り、イカスミ入りなどバリエーションもいっぱいでおいしかった。それにしても創作料理の店でも塩、胡椒、オリーブオイル、ハーブのシンプルな味付け。日本だともっと中華や洋風、エスニック風等々何でもありだからね。でも8日間醤油がほしいなと思うこともなく、おいしく過ごせた。ちょうど1月一日からイタリアでユーロが使えるようになったばかりでまだ10日くらいしかたっていなかった。イタリアリラを使い切るとたくさん持ってきていた人がいた。レストランでの飲み物の会計はユーロ、リラ、円とあってウエイトレスさんは電卓片手に計算をしてくれる。でも計算の仕方がなんだか日本と違うみたい。ワインを3人で飲んで、ユーロとリラでそれぞれ払おうとするとパニック!!紙に計算式を書いて見せてあげたら、なるほどと感心されたりもした。日本では円しか使わないから、いろんなお金があると換算が大変だなと実感!!
December 25, 2005
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ベネチアグラスのお店で見た素敵なティーセット。高くて手が出ない。ベネチアの夜はリド島のホテルでの宿泊。ベネチアは見るからに小さな島。ホテルも限られていて超高級そう!!島へは車やトラック、人も乗せる大きなフェリーで20分?くらいかかった。夜の灯りのともったベネチアの島々も素敵なものだった。でも何せ風が冷たくてとても寒かった。夏は海水浴や家族での観光に使われる小さなホテルだった。うちのツアーで貸し切り。困ったのはお湯。みんなで一斉に使い始めるからすぐ冷たくなってお湯が出てこない。でもフロントのおばさんは気さくで親切なイタリアのママンという感じそのもの。切手を買いに行ったら親切に、いくら分貼るんだよと教えてくれた。
December 24, 2005
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水の都市ベネチアの近くでバスをおり、モーターボートで行く。始めは今風の工場がたくさん見えるがベネチアに近づくに連れ、いきなり昔の世界に迷い込んだかのような建物が見える。サンマルコ寺院はちょうど100年ぶりの外壁の修理が終わったところで白くてきれいだった。広場を埋め尽くすような鳩の糞であっという間に黒ずむのが悩みだそうだ。温暖化のため、年に何回も水位が上がり、建物の1階が水没するという。ベネチアの建物の重さで地盤沈下が起きているそうだ。本当に1階部分はどこも黒ずんでいたし、土産物やも1階はシャッターを閉めてるところが多かった。ベネチアが湿地帯を埋め立ててできたというのもうなずける。昔ベネチア軍強かったことを建物や銅像などで実感できた。展示物の中にトルコ軍の使っていた縦や剣、鎧などがあった。いかにもアジアっぽくて素敵だった。ちょうどトルコも行きたかったから、ヨーロッパとトルコが近いことを実感。同時にトルコはアジアに通じるエスニックな模様が素敵と感心する。昔の貞操帯もあった。血で血を洗う戦いを続けていたのだから分からない気もするが・・・本当に残ってるのが凄い。溜息の橋を渡りドゥカーレ宮の地下牢へ行く。暗くて、冷たくて、寒い石の牢屋。こんなところで良く生き続けられたものだとビックリ!!本当に権力争いは想像を超える物だったんだとまたまた実感!!そういえばローマの城塞は上から熱い油を落としたり、石を投げ落としたりできるようにのぞき穴があったし、見るからに厳つい作りで人を外から浸入できないようにがっしりできていたのを思い出す。サンマルコ広場を出て、狭い路地を入るともうそこは中世の世界。ドアから昔の服を着た人が今にも出てきそうな気がしてしまう。ベネチアグラスも素敵だったけど高くてきしゃで買えなかった。運河を夜、ゴンドラで渡る。風が冷たかったけれど、運河に沿って建つ建物には運河にドアや船着き場があり、昔ゴンドラで乗り付ける人々の姿が目に浮かぶ。窓から見える室内はシャンデリアにシックな家具が見え、本当に昔に迷い込んだ気がしてしまう。夕食はレストランで。1月は寒くて寒くてスープがあるかと聞くと・・・魚と野菜のスープがあるという。みんなして頼む。こんなことなら他のレストランでもスープを頼めば良かったとみんなで言う。添乗員は、みんなが寒い、暖かい食べ物が食べたいと言っても無視するし。飲み物しか勧めないし・・・プンプン!!名物のイカスミスパゲティーで口が真っ黒になってみんなで笑いあう。添乗員なしのゴンドラ観光は最高だった!!
December 23, 2005
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参加したツアーは、あのエジプトでバス事故を2回も起こした、安くて、買い物が多くて、添乗員が現地情報に疎い会社。なにせ、モニターツアーだとかで、千歳からの成田往復航空代を含めても14万台?の格安だった。千歳成田往復で約6万円に前泊代がかかるツアーだと20万は軽く超えてしまう。安さで選ばざるをえない懐具合。そして千歳発着と言うことは、その日のうちに出発でき、帰国した日に家に帰れると言うこと。成田解散だと、羽田に移動して千歳に帰ったら夜になって、家に帰る汽車がなくなる。千歳から2時間以上もかかるローカルな町に住む身としては致し方ない事情もある。フィレンツェでヴェッキオ橋の近くで買い物に案内された。寂れた感じの日本人がやってるお店だった。旅行慣れしている人が「買い物に興味はないから自由行動にしてほしい」と言いだした。すると、添乗員が「離団書を書け。事故等いっさい責任は持てない」と怒り出した。買い物をする時間がじゃまでゆっくりヴェッキオ橋を見る時間がなくなるのに!!「こんな離団書を書けなんて今まで言われたことはない。何で自由行動にしないんだ」「そうだそうだ・・・」と。頑固に別行動をとらせないように添乗員はわめくし・・・・・結局、離団書なしで自由行動を何人かがとった。でも自由行動にいかなかった人も、買い物に当てられた時間が過ぎたら自由行動になり、離団書はいらず、ホテルはすでに荷物を置いてきて分かるのでホテル集合になる。それなら何で始めから自由行動にすればいいのにと、みんなで添乗員に不満ぶーぶー!!さすが、安くて買い物が多い会社の添乗員だ!!アルノ川沿いには小さな土産物が多く、眺めながらホテルに帰るが、良さそうな物はちっともなかった。旅行していて、これお土産にいいな!!とかほしいなと思ったら買っておかないと二度とお目にかかれないことが多い。夜は歩いてレストランへ行き夕食。ミネストローネスープ、サラダ、パン、チキン?スパゲティー、デザートの内容。寒いから暖かいスープは嬉しかった。それにしても35人のツアーは移動も集合も大変!!
December 22, 2005
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フィレンツェで始めにミケランジェロ広場にいった。中世の町並みをそのままに残す景色が一望できる。まるで昔の世界に迷い込んだような気がしてしまう。でも高台にあるためか風も強く寒い寒い。土産物屋で大判のマフラー(幅が90センチもある)が1000円で売っていた。でもなんだか他でもっといいのがあるかなと買いそびれる。フィレンツェではその後大きなスカーフには出会わなかった。買っておけば良かったと悔やむが残念!!ドゥオーモは175年の歳月をかけてできた建物で、今も修理がされている。175年かけて作れる石の文化にビックリ!!ウッヒィツィ美術館は見て回るのが大変な量の絵画や彫工があり、建物自体が素晴らしくてクラクラしてしまう。ローマとはまた違うすばらしさがあった。ホテルで水を買うとガラス瓶入りしかなかった。栓抜きで王冠を取ってくれる。なんともレトルだった。当然水はもっているペットボトルに移し替えたけど。
December 21, 2005
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ローマを朝早くバスで出発しフィレンツに向かう。途中トスカーナ地方のなだらかな丘陵地帯を通る。どこまでも広がる低い丘陵地帯、時々羊やヤギや、羊飼いが見える。羊飼いがいるなんて何か昔の世界に迷い込んだような気がしてしまう。峠は圧雪でツルツル。冬タイヤははいていないのを後で知ってビックリ!!途中で寄ったドライブインではオリーブの塩漬けやバルサミコやオリーブオイルを買う。種類も多くて安かった。バスでの移動で困るのはトイレ。観光バスが何台も乗り付け婦人用は長蛇の列。タバコを吸う暇もない。そしておきまりのトイレチップ。入り口でしっかり待っている。大きめのコインでしっかりおつりをもらう日本人もいた。さすが!!違うドライブインではトッラクの運転手がコーヒーなど飲みながらピザやパンを食べていた。たくさんの種類があったが、塩漬けのオリーブが入ったパンを買う。少ししょっぱいがなかなかおいしかった。
December 20, 2005
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ローマからバスでボンベイ遺跡へ行った。高速をぶっ飛ばして行ったが、運悪くお回りさんにつかまった。バスには速度を記録する装置がある。それを見るとスピードが一目瞭然。観光バスラッシュの中時間を短縮するため、規定の速度をオーバーしていた。違反金はバスの運転手の自腹。時間を守れないと次の仕事がこなくなるから、運転手も苦労してるみたい。ボンベイは何千年も埋まっていたとは思えないほど道路の轍や昔の水道の跡をしっかり残していた。ミイラ化した人。店先に置かれた壺。生活がそのまま残っていた。本当に一瞬にして火山灰に覆われたんだろうな!!ベスビオ火山はそう高いものではなかった。百聞は一見に如かず。言葉のとおり、自分の目で見たボンベイは素晴らしい!!昔の娼婦宿には色々なポーズの壁に絵が掛けられていた。言葉が違うアラブやインドやその他の人々が入り混じって訪れていたため絵で意思疎通をしていたそうだ。男は昔からそんなことをしていたのかとなんだかやるせなかった。帰りナポリの港に寄る。「スリが多いからバスから離れず、カバンはしっかり押さえて」とガイドが言う。少し霞がかかっていたが夏のナポリは素敵だろうなと想像が付く。シチリア島とか南イタリアの島に行ってみたいものだ。
December 19, 2005
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ローマしない観光で真実の口に行った。黄色いテープが貼られ、「交通事故で近寄れません」とのこと。幸い真実の口は被害がなかったがすぐ横の柵はひん曲がっていた。どんな人が車を運転していて、なぜぶつかのか?不思議。こんなことが起きるのがイタリアなのかな?と感心してしまった。夜は、大枚の1万円払って、ローマで一番夜景がきれいに見える創作料理のレストランへ期待して出かける。席は窓側でなく、夜景はきれいだったけど、創作料理と言っても・・・サラダに、スープに、パンに、肉に、スパゲティーにデザート。そんな見た目がきれいと言うほどでもないし、塩に胡椒にオリーブオイルで味が特に変わってる風でもないし、かなり期待はずれ。でもワインはおいしかった。日本とは比べられないくらい安くておいしいのは許せる。
December 18, 2005
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バチカン市国を見学した。狭い空間に立ち並ぶ柱。エジプトから持ってきたというオベリスクがそそり立っている。こんな長い物をどうやって運んだんだろう??・・サンピエトロ大聖堂は絢爛豪華でいかに大きな権力と財力を持っていたかが伺われる。見るもの見るものに目を奪われた。さすが!!としか言えない。死んだ人がそのまま埋葬されているというのはちょっと怖い感じ。仏教のお寺にある天蓋とよく似たものがあり、意味も同じようなことでシルクロードを通して中国とかに伝わったのかな??とか勝手に想像してみた。トレビの泉へも行った。おきまりのコインを投げをした。うまく飛んでいかないものだ。すぐそばのジェラートがおいしいというので買ってみる。さっぱりしていてまあまあおいしかった。それより通で果物や焼き芋を売っていた。とてもおいしそうだったが時間がなくて買えなかった。残念!!
December 17, 2005
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千歳にKLMオランダ航空の直行便がまだあった時、イタリアへ安くて買い物が多いツアーで行った。北極圏を通過中、スチュアーデスが何か客に耳打ちしている。何人かが窓の外を毛布をかっぶてのぞいている。見てみると、ぼんやりと緑と青の光の帯が空を覆っていた。オーロラを見れることはまれなそうだ。やった!!オランダのルクセンブルク空港に着いて一番はタバコを吸うこと。コーヒーコーナーでコーヒーを頼み千円札でOK!!ちょうどイタリアリラからユーロに変わったばかりだった。乗り換えてローマへ。ローマ飛行場は街の中で建物が迫っていて怖かったな。ローマは遺跡遺跡遺跡だらけ。バスから見るすべてが遺跡と言っても過言ではないくらい。やはり印象に残ってるのはコロシアム。一面に貼ってあった大理石をはがして使ったしまったと言うからどれだけの大理石を世界中から集めてきてたのか?ローマの権力のすごさを感じた。ローマのホテルは完全なコンチネンタルスタイルの朝食。3日間コーヒー、パン、ヨーグルト、果物(小さなリンゴやオレンジ)のみ。暖かい朝食が懐かしかった。1月のローマは朝晩は結構寒くて、フリースと薄手のコートを羽織って、昼は1枚脱ぐ感じだった。
December 16, 2005
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あっという間の9日間のエジプトツアー。初日にピラミッドに入って筋肉痛を超えて肉離れするわ、安い水を買って人生初めてとも言えるピリピリの下痢をするわ・・・・王家の谷間で行って、ツタンカーメンのお墓に筋肉痛で入れないわ・・・さんざんな目にあった。どの遺跡も言葉では言い表せないくらい素晴らしかったし、ツタンカーメンの財宝はそれはそれは2000年以上の年月を経たとは思えないほどきらびやかだった。帰りの飛行機では友達との間に体の大きな男性のシリア人が座った。日本に中古車の買い出しにいくそうだ。シリアの大学で日本語を勉強したと言う。話の中に出て来た単語を漢字で書いてくれと言い、新しい言葉を覚えたと勉強熱心だった。家はトルコとの国境近くで、冬は雪も降るそうだ。「アメリカをどう思う?」と質問された。少し戸惑っていると「アメリカは自分のオイルの利益のためにイラクを攻撃した。アメリカが悪い」とひどく怒っていた。初対面の人にも紛争について聞くなんて、政治についてに日常的会話の話題なのかな?と思う。やはり宗教に付いても聞かれた。シリアの住所も書いてもらったけど、行くことは無いと思う。日本は親切で、豊かでいい国だとも言っていた。体が大きくて女性二人に挟まれて窮屈そうでかわいそうだった。エジプト航空で座席もあんまり考えないで振り分けるのかな?
December 15, 2005
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ピラミッドに入って筋肉痛を超えて肉離れをし、王家の墓まで行ったのにツタンカーメンの墓にも入れず。安い水を買って、超ビリビリの下痢になったりさんざんな目にあったエジプト。カイロ博物館でツタンカーメンの財宝を見た。金で覆われた仮面や、宝石がいっぱいの冠、ネックレス等々も素晴らしかった。写真やテレビで見るのとは輝きが全然違った!!他にミイラが入っていた5重になったお棺。どうやって重ねたのかと言うくらい大きさが同じに見えた。違う人のために作ったのを急遽ツタンカーメンのために利用した証拠の神の絵の作り直しもよく見えた。死後使うために入れられていた黄金の戦車やベッドなどなど見ても見ても飽きないくらいたくさんで、そして豪華だった。2000年以上も前に木材で作られたのに、ちっとも腐食していないのも神秘的だった。砂漠地帯の、石でできたお墓の保存性、気密性の高さをしみじみ感じた。カイロ博物館は広くて半日では見て回りきれなかった。本物は見る価値があるなと実感!!
December 14, 2005
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カイロのモハメッド・アリ・モスクへ行った。カイロの建物の向こうは砂漠地帯でピラミッドがたくさん見えた。現在の町とピラミッドとの取り合わせが何とも言えなかった。モスクの中はあかりがともされ、天井のアラベスク模様がきらびやかに、そして厳かに見えた。ガイドがイスラム教について話してくれた。印象的だったことは・・・*お祈りは仕事の合間などできるときに一日5回することでいい。*イスラム教は助け合うことを大事にしてる。 誰もが寄付するのが当たり前。たくさん寄付することで御利益がある。*豚肉、生ものは食べない。*女性の立場は低いものでは無い・・お母さんがとても大切な存在*4人まで妻を持てるがそれはお金持ちの話。 昔は未亡人を作らないと言う女性を助ける意味もあったかも知れない。 ガイドが日本に住んでいたとき、外食で豚肉(ベーコン)が入った食べ物を食べてしまった。後で豚肉と知ってあわってて国際電話で母親に相談したと言う。そこまで食べ物にこだわるんだとビックリ!!ちょうどイラク紛争で過激派がテロ行為を繰り返していたから、イスラム教も良く分からない。逆にガイドに・・なぜ日本人は、自分は「仏教徒だ」とかはっきり言えないんだろう。しっかりした宗教が無いのが不思議だ!!・と言われてしまう。町の中でスカーフにスカートの普通の姿の若い働いている女性を少し見たが、やはり男性ばかりで女性が全面にでているようには見えなかった。本とかにはエジプトにも痴漢がいると書いてあった。でも町ですれ違うとき、エジプトの人は近づきすぎないように離れて脇を通るし、パリやイタリアやスペインに比べたらスリの心配もない。うっとおしかったのは・・買い物の時、現地人の値段と観光客値段がある。いちいち値切らないと買い物ができない。時間がかかる。でも総合して、親切だし、食べ物も口に合うし、遺跡は最高だしいい国だと思う。行く前に心配していたお酒も観光客向けのレストランでは飲めるし、高いけどね。タバコもヨーロッパに比べたらどこでも吸えた。
December 12, 2005
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カイロ市内は3車線もの大きな道路が走っている。車、トラック、観光用の馬車、そして荷台を付けたロバ。でも信号が見あたらない。交差点ではクラクションを鳴らした車が折り重なって右折、左折のタイミングをねらっている。そのすさまじい渋滞の中を人が車をかき分けかき分け渡っていく。横断歩道なんてもちろん無い。今にもひかれそうな中を器用に渡っていく。決してまねはできそうもない!!どうして信号が無いのか不思議??市場に寄る時間は無くなってバスで通っただけだけど、一つの通りが衣類、食品、香辛料、雑貨などに分かれている。目をひいたのがピンク、紫、黄色など原色の超ドハデ色のスケスケの下着が恥ずかしげもなく通りいっぱいにハンガーに掛けられていた。そしてスケスケレースいっぱいのスリップ、ネグリジェ等々。カイロの町のなかで若い仕事に行く女性はスカーフに普通のスカート姿だったり、グリーンやブルーのブルカを着ていた。年配の女性はほとんど目に付かず、たまに見かけると黒いブルカ着ていた。でもその下は、超ドハデ色の下着や衣類なんだろうなと想像が付く。そうだよね、黒ずくめなんて気持ちがめげきってしまうもの。
December 11, 2005
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夜はナイル川ディナークルーズ。バイキングの夕食とベリーダンスとスーフィーショー。3階建ての船で、1階、2階にレストラン謙ショー会場になっている。3階はデッキで夜のナイル川とカイロ市内が見える。夜のカイロはあかりが付いているものの、日本みたいに派手なネオンもなく道路沿いのオレンジっぽい街頭がいい感じを出していた。ベリーダンスが始まると、おじさんたちはぞろぞろと移動しダンサーの前でにやけた顔で写真を撮りまくっていた。ダンサーは若くてきれいだったけど、ダンスはそううまい感じでもなかったし・・・ちょっとガッカリ。何よりバックミュージックがカラオケ?と言うかキーボーで薄っぺらな感じでガッカリ!!でも、タンバリン(レク)と太鼓(タブラ)がすごくいい音を出していた。ひたすらレクと、タブラに見いってしまった。エジプトがインドなどの太鼓(タブラ)の発祥の地なんだって。感動したのがスーフィーのダンス。派手な衣装でクルクル果てしなく回り続ける。スカート状の衣装が傘のように広がり、上下する。一見の価値はある。
December 10, 2005
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まだ薄暗い中、朝早くカイロを出てアレキサンドリアへバスで出発。カイロ市内を過ぎると少し農村地帯を越え、砂漠地帯をまっすぐ走る道をひた走る。もう一本農村地帯を走る道があるがトラックなどが多いので車の少ない道を走ったそうだ。本当になんにも無い。道の脇に時々アラブ風の豪華な門のある家が見えるが、後は果てしなく続く赤茶色の地平線のみ。昔もこんな砂漠地帯をラクダで移動したんだなとしみじみエジプトの広さを実感する。アレキサンドリアは思っていたより小さな町だった。海岸沿いは海の浸食で昔の建物はほとんど海に沈んでしまっていた。ダイビングスッポットして人気があるそうだ。土産物屋があちこちにあるが大して珍しい物もなく・・・・国立美術館は古い建物で建物自体に歴史を感じた。トイレもやはり古かったがきれいに掃除がされていた。コム・エル・カシュカファのカンタコベは地下深く掘られた墓地でミイラもあった。でもまだ筋肉痛で深い方へは階段がたくさんで入るのはあきらめて外でベンチに座ってぼーっとしていた。トホホ!!一番の印象はガイドがおごってくれたエジプトサンド。エジプトパンに千切りキャベツと空豆のコロッケを挟んだ、熱々のサンドイッチ。下痢の回復期だったが思い切って食べた。めちゃめちゃおいしかった!ガイドいわく「エジプトで一番おいしいお店」だそうだ。本当においしかった。幸い下痢もしなかった。アレキサンドリアの水はいいのかな?始めに利用しようと思っていた会社のツアーに出会った。バスは事故を起こすので急遽列車になったそうだ。線路なんて一つも見えなかったけどあるんだと思う。薄曇りでアレキサンドリアはジャンバーを来ていても寒く、バスもヒーターをたいていた。エジプトの冬はやはり寒い。テレビでアレキサンドリア特集とかしていてすごく期待していたが、ほとんど海に沈んでしまっていてガッカリ!!海をみながら、昔の船がたくさん浮かぶ様子を想像してみた。エジプトパンあれこれ。さっぱりしていてみんなおいしかったが、写真にはないが白い平たい円形の物が一番おいしかった。
December 9, 2005
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小さな店で買ったペットボトルの水で下痢をした。添乗員に「開けるとき、ふたを回してカチッと音がしたか?」と聞かれた。音がしたような気もするししなかったような気もするし?少しアルコールが回っていたから良くわからなかった。飲んだときに少しどぶ臭い気がしたが、まさか水を入れ変えてたとは考えもしなかった。赤痢とかになったのでは無いかと思うほどの今まで経験したことがないひどい水溶便だったが、出る物出したら治まって来たので持っていた下痢止めを飲んだ。下痢をして困ったのはトイレ。どこもあまりきれいでは無い。紙を流すと水量が少なく流れない。イスラム教の国では紙を使わず水で洗うので紙を流すようには一般的になっていない。以前バリで紙を流して詰まって困ったことを思い出す。懲りてトイレに付いてるシャワーで洗おうとしてトイレ中びしょぬれにした上に自分も濡れまっくた失敗を思い出す。バリではトイレにおばさんがいてチップをいつも要求された。エジプトでは土産物屋とか神殿とかのトイレだったからバクシーシは要求されなかった。北京ではトイレは赤の広場でもドアが全面についてなく,下が丸見えで、その上ドアを向いてする用になってるし、汚くて床はびしょぬれだった。しっかりチップは取られるし。プンプン!!商店街の公共トイレを使ったときは、3人くらい並んで用を足していた現地のおばさんが一斉にドアを開けてのぞくし全く・・・その上汚い、臭い。ヨーロッパでは公共トイレは無いから、レストランとか、カフェに入ってお茶を頼んで使うしかない。レストランに入ってコーヒーだけ頼むとウエイターが嫌な顔してナイフとか片付けるし、いい思い出は無いな。そんなこんなで下痢をした上に、ピラミッドに入ったときの筋肉痛で歩くこともできず、ライトアップされたカルナック神殿も見ることもできず、外のベンチでみんなを待っていたツアー5日目。トホホ・・・
December 8, 2005
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どこかの神殿の入り口近くの柵の外で、手作りの笛を見事に吹き鳴らしながら売っていたおじいさんから買った笛。たしか2ドルだったと思う。自分で吹いてもさっぱりメロディーにはならないが乾いた中東の音がする。しっかりした作りで今も音がする。2ドルというとエジプトでは相当な稼ぎになったのかな?おきまりの絨毯屋に寄った。小学生くらいの子どもが絨毯を織っていた。人なつっこくて写真に一緒に笑顔でポーズを作り写っていた。人擦れしているのかな?店の人の説明によると「エジプトの農家では手に仕事を付けることはまずできない。 一生貧しく暮らすしかない。 家からは離れて暮らすことになるが、 ここでは手先が器用な子どもに絨毯 の織り方を教え、 手に職を付けることができる。 学校にも行けるし、わずかだがお金ももらえ一生働くことができる。 シルクの細い糸は子どもの手でないと織れない。 大人になると太い糸で織るのが普通だ。」厳しいエジプトの貧しい暮らしを感じた。絨毯はどれも高くて、その上かさばるし誰も買わなかったけど。 エジプトの歴史を知る上で、小説だけど史実にも沿っていて、昔の生活ぶりが目に浮かぶような記述の読みやすい本です。作者はクリスチャン・ジャック。超お奨めです。
December 7, 2005
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壁を積み上げるために使った足場用の石が残っていて、当時の作業の様子が目に浮かぶようだ。ルクソールのホテル(イシスホテル)はベランダ付きだった。ベランダに出て外を眺めていると、添乗員とガイドの話し声が聞こえてきた。英語で話しているので内容は分からなかった。次の朝、ヌビアで値切りまっくったおばさんが、「昨日の夜、添乗員に電話したけどいなかった。仕事なのに夜遊びするなんて責任がなさ過ぎる」と。添乗員は以前ドイツ、パリ、スイス10日間のツアーで一緒だった人でとても親切で、現地情報も詳しくいい感じだったのにがっかり!!おばさんたちはツアーのアンケートに書くと息巻いていた。さらにおばさんたちはヒエログリフを刺繍したTシャツの斡旋にもクレームを付けた。「ホテルで見たら同じようなTシャツはもっと安かった。値段を下げなさい。」と。夜遊びのこともあるのか少し安くなった。それはそれで良かった。が、「もっと下げないならキャンセルする」とおばさん。おばさんパワーはすさまじい。そい言えばアスワンの市場でサフランを値切って大袋に詰め替えさせクレーム付けられそうになって走って逃げてきたと言っていたのを思い出した。エジプトの紙幣はどれも手あかでヌルヌルしていて、その上汗くさかった。きれいなお札には一度しかお目にかからなかった。土産物屋で買ったブレスレットも汗くさかった!!トホホ。
December 6, 2005
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アスワンからルクソールへの移動中、道路の脇は緑で木や草が生えている。でもその先は砂の大地が果てしなく広がっている。灌漑用水が流れているところだけ木がはえていて灌漑用水が無いところは木も草も生えることができないそうだ。アスワンダムができる前はナイル川の両脇にしか植物が生えてなかったそうだ。でもダムができてから畑や水田ができるようになった反面塩害がひどくなったそうだ。バスから見ていても水田が白く塩で覆われているのが見えた。ロバを使って畑を耕していたり、家も一階が家畜小屋で、2階に人が暮らしている。昼間なので家の周りにヤギやロバやニワトリが見えた。ロバに荷台を付け山のようなサトウキビを運んでいたり、子どもとお父さんが小さいロバに乗っていたり耕耘機とは無縁の農業。農家の子どもは貧しくて学校にも行けない場合が多いとガイドが言っていた。移動の途中にトイレによる。おみやげ屋が並んでいて古いけどきれいなトイレでバクシーシも無しだった。店を持たない土産売りが追いかけてきてテーブルクロスやスカーフを「安いよ。友達。1枚1000円」と声をかけてくる。時間になってバスに乗り込もうとすると「2枚で1000円」と値引きした。でももう買ってしまった後だし、時間もないし。いったい本当はいくらなんだろうと考えてしまう。
December 5, 2005
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ルクソールで晩ご飯にターメイヤ(空豆のコロッケ)を食べる。紫色をしたハイビスカスのジュースもおいしかった。帰りレストランの近くの小さな店でペットボトルの水を買う。ホテルの半額と安かった。寝酒に焼酎の抹茶割りを飲んでお休みなさい。少しどぶ臭い気がしたが良くわからなかった。でもこれが悲劇の始まり。ルクソールのホテルで朝ご飯。バイキング方式。果物がおいしくてついイチゴを6個、干しナツメヤシを3コ食べる。いざ王家の谷へ出発。赤茶けた岩山が道の両側にそびえ立ち、いかにも寒々とした死者の谷と言うにふさわしい景観。写真では味わえない物があった。バスを降り、トロッコに乗り換えて墓の入り口まで行く。でも筋肉痛で歩くのもやっとの有様。せっかくのツタンカーメンの墓に入っても階段を下りることもできそうになく、外の休憩所で座ってみんなを待つしかなかった。トホホ!!さらに悪いことに下痢が始まった。幸い王家の墓のトイレは比較的きれいだったから良かった。どうも、水が悪かったのと、果物とのダブルパンチを食らった。トホホ!!ハトシェプスト女王葬祭殿もやっとの思いでバスから降りて遠目に見る。昼ご飯は鳩料理。小さくてあまり食べるところがないように見えた。お腹は痛いし、ほとんど食べれなかった。そういえば市場で籠の中にたくさんの鳩が入れられて売られていたのを思い出す。その後馬車でカルナック神殿やルクソール神殿を見て回る。筋肉痛と言うより肉離れになってしまうし、下痢はするし踏んだり蹴ったりのルクソールだった。写真は鳩料理。鶏肉の小さいのにも見える。
December 4, 2005
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ツアー4日目、アスワンからルクソールへ移動。朝のルクソールへの出発時間は、観光バスが集合してからなので、何時になるか分からないとのこと。集合場所には、警察の車両と、ライフルを持ったお巡りさんがいた。バスに一人乗り込んだ。お巡りさんはにこにこして愛想が良かったけど。ライフルなんて見たことないから、かなり怖かった。観光バスの前後を警備の車両が挟んでぞろぞろとルクソールへ向けて出発。コムオンボ神殿、エドフ神殿などを見学して行く。印象的だったのは、2000年もの長い月日の間、日光や風にさらされていたのにくっきりと残った日陰にある円柱のカラフルな色合い。宝石やたまごなどで作った昔の塗料のすごさ!!エドフ神殿のホルス神の石像。長い月日にもかかわらず、表面がすべすべで雨風の影響を感じさせない。雨は滅多に降らないにしても!!こんな固い石を、石で削り出したなんて信じられない気がした。ルクソールに着き、自由時間に何人かで市場探しに出かける。これがウンのつき!!金曜日で市場はやってなかった。道でパンを発酵させているのを見つける。写真に撮ると、バクシーシと言うが黙って通り越した。少し怖かったけど。ハイビスカスジュースとシシケバブつきのご飯ずうっとお客を乗せる馬車がついて来ていた。筋肉痛がひどくなったが一人で馬車に乗るのもちょっと怖い気がして、歩いた。これガウンのつき。太股は熱を持って・・・・・次の日歩くことができないくらいになってしまった。トホホ!!
December 3, 2005
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ホテルから見た夕暮れのアスワンの町並みとモスク。アスワンで泊まったバスマホテルのすぐ前にヌビア博物館があった。夕食前の自由時間に何人かで見に行く。後で分かったのだが出口に入り口と間違って行ったのだが、警備の人は快く座っていたところから立ち上がり中に入れてくれた。入り口にしては少し変だなと思ったが出口とは思ってなかった。ミイラや大きな石像など広くて落ち着いた博物館だった。行きは下り坂で筋肉痛もそう悲鳴を上げなかったが、帰りの登り道は休み休みやっとの思いで帰ってきた。ピラミッドに入った時の下り坂をしゃがんでずっと下り続けたのが原因でツアーのみんなも筋肉痛になっていた。でもみんなは、テニス、登山、エアロビ、ゴルフなど日頃から体を鍛えており、もう大丈夫と言っていた。私は家でごろごろしていたのでひどい目にあって、いっこうに回復しない。持っていった湿布も底をついてきた。二日後にガイドに湿布がほしいのだがと聞いたが、エジプトに湿布みたいものはないと言われた。でもなぜか持っていた湿布をくれた。ありがたかった。湿布は旅行の必需品だ!!
December 2, 2005
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ツアー三日目の午後、アスワンのスーク(市場)へ行った。ガイドが「買うとき、言い値の3/1から始め、半額で買えれば観光客値段かな。」と言う。それぞれ買いたいものを探しに出かける。私はツアー前に調べたエジプトの古い曲が入ったCDがほしかった。でも、英語はまるでだめ。以前バリでクーラーが温風を吹き出し、水が垂れるのを見て「クーラーブロークン」とフロントに電話して笑われたことがあるくらいだ。でも一人でCDの店を探す。1軒目はほこりだらけのCDばかりで、あまりはやってなさそう。でも聞いてみた「オールドミュウジック」これが今はやりだみたいなことを言って何枚か出してくれる。話がかみ合わないしやめて、次へ進む。市民が利用する市場らしく野菜、肉、香辛料などが並べられていた。野菜はほうれんみたいなの、なす、ニンジン、玉葱と日本と変わりないのがたくさんあった。カイロでガイドが焼き芋をおごってくれた。熱々で、こぶりで甘さは控えめだったが寒かったからとてもおいしかった。エジプトで焼き芋はちょっと感動!!肉は解体したばかりの羊が、板の上に、頭から内臓まで余すことなく並べられていてビックリ!!2軒目のCDショップを見つける。若い店員さんで、「オードミュウジック」と言うと「ベリーダンス」かと聞く。ベリーダンスでなくて・・・古い音楽がほしいと言ったつもりだが、「昔から有名な、エジプトで知らない人はいない」と太った女の人のCDをや他にサックス吹いてる男の人のCD、最新の人気歌手7人がのったCDなどを出してくれる。****多分そんなことを言ってたとしか言えないが***値段の交渉をする、1枚20ドル。4/1の5ドルと言うと言うがなかなか下がらない。一端店を離れるといいと、エジプトの旅行記に書いてあったけど時間もないし1000円で買うことにする。日本と変わらないがまあいいか・・、時間もないしCDショップも他に見あたらないしと3枚買う。
December 1, 2005
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