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1月26日土曜日あたりに、洋裁教室のお友達から会えないかときかれ、急遽会うことに、なんでも、2025年に日本旅行に行き、大変気に入ったが、女友達4人組と一緒に行った人からかなりのぼったくりに会い、今年は日本に、女友達4人だけで来ると言う。去年日本に来た時点で、付き添いなくても、自分たちだけで、回れると思ったからだそうだが、ここで丁度いい所にミラノに私がいると、呼び出された。幸い。私の家の近所での待ち合わせとなった。 彼女友人を紹介されて、ランチを食べにバールへ、もはや私の愛したPrinciはなく、ちょっと離れた新たにオープンしたバールPancicchettoへ連れて行った。この近所に住む友人が絶賛おすすめ中で、確かにランチは美味しそうなものばかりだった。一つは、フンギ・ポルチーニ、もう一つはタコで、とても美味しかったです!そして、おやつには、コーヒーとこの期間は、カーニバル中で、カーニバル期間限定伝統のお菓子を二種食べました。日本での質問は長く続き、いろいろと説明したり、サイトを送ったり、↑はご馳走になりました。私の報酬。結局、無料でコンサルティングしたようなものでした。まだ終っていない回答もありますが、彼女たちが日本にやって来るのは、11月。まだ時間はあるよねーーー長野妻籠宿へ、最寄り駅から運転手付きの車は手配できない?とか、イタリアでは、「侍の道」と呼ばれています。(笑)PancicchettoVia Solferino,43 20121Milano
2026.08.29
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ガッレリアを抜けると、Duomo大聖堂広場!夜でも美しいDuomoですが、Duomo大聖堂前に、ミラノ・コルティーナ冬季オリンピックのお土産屋さんが出現!流石に、まだ入る気になれず、娘と別れて、家に向かいました。ただトラム乗り場に行っても、待ち時間が30分。歩いて家に帰ることにしました。↑UNIQLOのショップがあるCordusio広場を抜けて、Corso Garibaldiに向かう道途中、かのベッカムが下着姿で登場した広告の貼られていたEmporio Armaniの広告壁前を通りながら、家に向かいました。この日もお独り夕飯だったので、スパゲティ・ボッタルガをサラダと共に、食べました。
2026.08.29
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さて、娘とおやつを済ませ、ミラノの街の中心Duomo広場へ向かって歩きました。Duomo広場前のガッレリアに入ると、なんと、Balenciagaのショップがオープンするらしいミラノへ来る観光客の動線は、スフォルツェスコ城から、ダンテ通りを通って、Duomo広場へ、Duomo広場から、↓ガッレリアを通って、スカラ座広場。よって、このガッレリア内に、ショップを開けることが近年、ブランドショップのマストとなっていますが、ついに、Balenciagaまで!こんな小さなスペースでも、開けたいのですねーーー
2026.08.29
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1月24日土曜日土曜日の午後おやつにと、Corso Garibaldiを中止に向かって歩いていきました。結構どこのBarも混んでいて、なかなか座れそうもなく、結局、最近、このCorso Garibaldi界隈にオープンしたフランスのお菓子屋兼カフェに行きました!ちょっとカジュアルなカフェです。結構前からCorso Buenos Aires界隈に開いていて、何度か行きましたが、まさかの自分の家界隈にも開いたなんて!ちょっと給食感はありますが、チョコ好きの私は、チョコレートクリームのエクレア娘はタルトタタン!フランスのカフェなので、もちろんフランス菓子がメインです。なんでもわざわざ小麦粉をフランスから持参しているそうです。Corso Buenos Airesの店舗に行ったばかりの娘曰く、ここでは、温めてくれたと喜んでいました。満足げな娘❤宣伝がおかしく、太陽王がフランスパンと持ち、マリーアントワネットがお菓子を持っている、流石にクロワッサンは持たせていません!E'galite'Piazza S.Simpliciano,720121 Milano
2026.08.25
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ごきげんよう!なぜか六か月前のことをまだ書いている状態です。もうちょっと、お付き合いください。さて、クリスマスシーズンも終わり、バーゲンも始まり、無事にテキスタイルの展示会も終わり、街が一息ついたころ、ついに、冬季オリンピックを思わせる広告が街中に姿を現しました!一月の半ばころです。Corso Garibaldiにある建物の壁画、ここは長年Gucciの広告枠でしたが、今回はFiat!冬季オリンピックを思わせるスポーツ種目のイラストと、Fiatグループの車のブランドのシンボルが描かれています!ミラノ・コルティーナ冬季オリンピック近し!
2026.08.25
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ごきげんよう!1月23日お昼にValentino氏のお葬式のニュースを見ながらお昼ご飯を食べて、外出。この日は、家から向こう側へ、Isolaと呼ばれている地区で、ここ数年前より、おしゃれ地区としてもてはやされるようになってきました。東京で言えば、「蔵前」なんだろうか? さておき、家の裏側に線路があり、その線路を高架陸橋のようなもので超えていく行き方、または、ガリバルディ駅のプラットフォームから地下から超える方法もあるのですが、陸橋超えの方が、私の家からは近い。←どうでもいい話なんですけど、とにかく、裏側のほうの靴修理屋の方が若干安いので、ブーツのファスナー替え修理に持って行ったわけです。でも今回値上がりしていました。それでも日本で直すより安いのは、さすが革靴の国イタリアならではの靴修理習慣。 で、直されたブーツ回収後、友人と待ち合わせ!この地区近くに住む友人と、この地区のMercato Comunale Isolaで待ち合せました。メルカート・コムナーレとは、ミラノ市の市場の意味で、イゾラ地区のミラノ市立メルカートが直訳です。イタリアでは、毎日どこかで青空市が行われているのですが、この場合、青空市で、毎日転々とあちらこちらの、広場やら道やらで、屋台を出して売ります。しかし、この市立のメルカートは、とりあえず安易だけれども建物内に店を構えられる。何件も店が並ぶ商業施設なようなもので、イタリア人の生活ラインを支えています。施設内も独特な雰囲気で、イタリア特有の生活感があります。そんな生活臭い空間が、最近、施設内を一新する傾向があり、より」ファッショナブルな装いになりつつあります。前にも投稿した22Marzo広場の市営メルカートも同じですが、このラゴースタ広場の市営メルカートも、革新的でした。1946年にオープンしていて、かなりイタリア人主婦たちに密接に付き合ってきたメルカートなので、この変わりようには、結構驚きました。施設内入ってすぐに位置しています。Pan Fuwaが店名です。日本にいるような気分。確か15ユーロだったような、円安の今、3000円くらい。友人と半部にして頂きました。量も多いですし.....コーヒーと共に、頼みました。ここで、久しぶりに友人とおしゃべりをしました。 このメルカート内には、アリーチェ山田さんとTokuyoshiシェフによるKatsusanderiaもあります。カツサンド屋さんをイタリア語風にもじってあります。友人は、ご飯を作りたくないときに、サクッと食べるそうです。ミラノ市立メルカートIsola↓Mercato Comunale IsolaPiazzale Lagosta,7 20159 MilanoMercato Isola @mercatoisola帰り道に、迷う。今ミラノの治安は、悪いので、ちょっとビビりました。なんとか、帰り道にスーパーに寄ることも出来て、家路に着きました。晩御飯、娘の好物肉団子です。今回、美味しい豚引きがスーパーであまり売られないので、かなり困りましたお肉屋さんで買うと二倍と値段が違うんですーーー
2026.08.22
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1月23日1月18日にお亡くなりになり、23日には、お葬式が行われていました。お昼のニュースで取り上げられていました。亡くなった日の次の日くらいから、ローマの彼の原点となったアトリエがあった場所にて、最後のお別れが出来るように、遺体が安置され、大勢の人が挨拶に訪れていました。中には、彼がデザインをした服を着て訪れる人や、彼が愛した赤(Red Valentinoと呼ばれる赤にオレンジが入った赤い服を着てくる人もいました。彼と共に、働いたお針子さんなどのスタッフも最期の別れに訪れていました。 お葬式では、ミサでは、彼のビジネス・パートナーとなるジャンカルロ・ジャンメッティ氏が先ず挨拶をを告げ、次に彼のパートナーが涙の挨拶を告げました。ここで、このパートナーの存在に気付いたわけです。20年くらい前に、ジャンメッティ氏とヴァレンティノのプライベートにおけるパートナーシップは終わっていたのでした。私的には、ジャンメッティ氏は、まヴァレンティノのことが好きなんだなーと思ってしまいます。 お葬式では、彼の棺桶がお葬式を行る教会に向かうために、運びだされ、移動中に、彼のboutiqueの前を、霊柩車が通り過ぎます。この期間中、boutiqueは黒色に装飾され、彼の有名なフレーズが書かれていました→「I love beauty,it’s not my fault=Amo la bellezza,no e' colpa mia」=「美を愛しているんです。私のせいではありません」 美しい服を作り、常に美を追求し、テキスタイル大手メーカーMarzottoにブランドを買収され、売り上げについてモノ申された時、彼はファッション・デザイナーを引退します。後に、ジャンメッティ氏は、経営で、Marzottoに買収されるに至ったことを大変悔んでいました。そして、「ヴァレンティノに、こういうものを作れ!」と言っては言えないと、、、、こうして、ファッション界の最後の皇帝は世を去ってしまいました。
2026.08.20
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2026年1月22日なんと六年ぶりに、Milano Unica展示会へ、久しぶりに地下鉄駅前。ミラノ・ウニカとは、テキスタイルの展示会です。展示会場の見本市が寂しい感じ!最終日だったこともあります。 ここのところ日本の生地の展示会ばかり見ていたので、久しぶりに、ミラノの生地の展示会を見るのは、新鮮でした! 意外と知られていないのは、イタリアは生地の産地。機屋さんの国です。常に、ヨーロッパのアパレル業界の材料の産地でした。ここに、日本の生地やら韓国、中国の生地までもが市場に参入しようとしているわけです。 それでも、久しぶりに見ることが出来て、やっぱりMilano Unica展示会。生地のlevelが高いと言うか、イタリアのブランドからヨーロッパのブランドまで、イタリアの生地を使う理由はあります。久しぶりだったこともあり、今回はとてもよく感じました!!
2026.08.15
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週末やっと手芸屋に行き、太めのゴムひもをげっと!このバッグ、Malloniが卸問屋さんをアテンド中に頂いたものなのですが、旅行中と、ミラノにいる時は常にこれがハンドバック替わりなので、気が付けばボロボロ。直さなきゃ直さなきゃと思いつつ、ここまでボロボロになってしまいました。💦💦💦一念発起して、週末手芸屋へ行き、ゴムひもをげっと!!もっと早くやれたのだろうに.......💦💦💦よーく見ると、糸をほどくより、生地を直接切ってしまえと、切りました!ちょっとだけ丈が短くなりますが、ゴムひもを表地と裏地の中に入れて、生地を折ってミシンをかけたら、出来上がりました!早く直せてしまい。もうちょっと早く直せたよねーーーーと反省をするのみでした。黒いゴムひもは結構固めのゴムです。これをバックの紐に使うアイデアは、さすがMalloniです。
2026.08.15
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近所に住む友人と、チャイナタウンへお使い。いろいろお使いを済ませ、チャイナタウン近辺を探検中に、素敵な建物に出くわした!お店ではないらしい。事務所かなにか、佇まいが美しくて、写真を撮ってみた!帰りは、チャイナタウンのカフェoTToへ、ここは、チャイナタウンのメイン通りパオロ・サルピの8番にあるから、8=otto オットと命名。久しぶりに行きましたが、おしゃれなままでした!Via Paolo Sarpi,8 20154 Milano
2026.08.15
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2026年1月19日その訃報は突然やってきました!世界的に有名で、成功を収め、イタリア・ファッション界を牽引かつ世界にとどろかせた立役者ヴァレンティノがお亡くなりなってしまいました!93歳。大往生だったと思いますが、9月にアルマーニが亡くなったばかり、イタリアのファッション界を牽引してきた二人の思いがけない死に驚くばかりでした。アルマーニが亡くなったばかり、彼は早くに引退してしまいましたが、もう少しもう少し生きていて欲しかったなーと思うばかりです。↑この日のニュースでは各局で取り上げられ、彼の功績、彼がイタリアのファッションをけん引した過程などの説明がされました。ニュースの終わりの方で、彼の人生のまとめのようなものが、流されていました。ファッション界の最後の皇帝と呼ばれています。ちなみに、アルマーニは王です。↑彼の代名詞にもなった「Rosso Valentino」ヴァレンティノの赤ですが、赤に少しオレンジが加わった色です。このドレスは、まさにRed Valentino! ↑シャーロン・ストーンが、ヴァレンティノのファッションショーのトリを務めた写真。ウェディングドレスを着ていました。この時のシャーロン・ストーンは、映画「氷の微笑」主演により時の人だったころにValentinoのファッションショーに出ています。もはやイタリアのファッションにて生きているデザイナーがいない!なんてニュースでは言われていましたが、「ドルガバがいるのになー?」とシンプルに思ってしまいました!ちなみにPradaのミウッチャさんもまだ健全ですしね。 1950年代、アイコン的存在のジャッキー・ケネディが「私をやせて見せてくれるスーツを作れる」と評価し、Gucciのバンブーバッグと共に、Velentinoの名を世界に広めていくようになるのですが、実際彼女のスタッフから電話があった時、ヴァレンティノは、ファッション・ブランドを立ち上げたばかりで、「誰?」と電話を切ったしまったと、後にヴァレンティノ自身が語っていました。 彼がファッション界から引退するときに、彼のブランドの経営の責任者だったジャンカルロ・ジャンメッティ氏がドキュメンタリー映画のために、Valentinoの日常生活を引退する二年前から記録していました。それが映画になっています。日本語名は、「帝王ヴァレンティノ 最後のランウェイ」これは、かなりのお勧め。是非見てもらいたいです! このドキュメンタリー映画の中で、ジャンカルロ・ジャンメッティ氏とのやり取りが軽妙でとても面白いです。いつまでたってもおしどり夫婦のようで、見ていてほのぼのさせてもらえます。 1950年代Valentino氏がパリで学び働き、イタリアに戻り、オートクチュールEmilio Schuberthにて働きます。 1959年ローマのコンドッティ通りに彼のアトリエを開きます。 1960年代経済的に困難な局面に出会います。Valentino氏曰く、「あの時代は、とにかくスポーツカーに乗って、革製のパンツを履いて踊っていたかった」そうで、きちんと経営を管理出来ていなかったようです。そんな中、夜の遊び場にて、生涯のパートナー ジャンカルロ・ジャンメッティ氏に出会います。彼はその頃は、建築学部に通う大学生でしたが、ヴァレンティノがデザインに集中できるように彼が経営を担当することを申し出、二人あのタッグが成立。その後、フィレンツェのPittiでValentinoのコレクションを発表するを提案し、コレクションをフィレンツェで発表するや否や、アメリカのデパートのバイヤーからの注文を受け、無事に経営難から脱出し、世界的な成功へと向かうようになります。 1975年Romaからパリに引っ越し、ファッションショーはパリで開かれるようになります。 2006年フランスのジャック・シラク大統領からレジオンドヌール勲章を授与。その時にヴァレンティノは「ジャンメッティ氏のおかげ」と言い、それを陰から授与式を見守っていたジャンメッティ氏は涙していました。その後、ジャンメッティ氏へのインタビューで「30年以上陰で居続ける意味とは?」の質問には、「陰でいられることの幸せ」と回答に、彼のValentinoへの愛の大きさに驚嘆させられました。 そして、お葬式日はやってきます。そこで、なんとValentino氏のパートナーとして、スピーチしたのは、20歳年下の元モデル。てっきりオシドリ夫婦かと思いきや、ビジネス上のパートナーシップは続けていても、結構前にお別れになっていたそうです。がっかり、もはや「おしどり夫婦」の続く時代ではないのかもしれない?ご冥福をお祈りいたします 合掌毎日書こうとすると眠くなり、今日はここまで、続きはお葬式編かVougueの表紙かで書きます。2006年7月6日 フランスのジャック・シラク大統領からレジオンドヌール勲章を授与。
2026.08.14
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ごきげんよう!あさイチのポン酢レシピを見てから作ってみようと思い。作ってみると、なるほど美味しく出来ました!ただミラノの冬では、なかなか使う料理もなく、冷凍しておきました。やっと料理を作る日はやってきました。レシピでは、鶏肉、ズッキーニ、トマト、茄子をフライパンで焼き、器に盛って、ポン酢に、パプリカと玉ねぎを浸し、上からかけて、しばらくつけておきます。↑出来上がり!見栄えはいいですね!ただ、夏に作った方がいいかもしれませんねー。鶏肉と野菜は、焼いてから、オーブンで温める方がいいと思いました!
2026.08.07
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昨日8月4日、ミラノの守護聖人が眠るサンタンブロージョ教会にて、ミランのレジェンド名主将バレージ元選手のお葬式が行われました。 ここに、ミランの黄金期の選手らが参加する中、お葬式は始まろうとしていました。教会の周りには、ミランのファンが、スタジオ並みに集まり、「キャプテン、キャプテンが、ほらここにキャプテンが着いたよ」をコーラスで歌って、バレージの遺体が運ばれるのを待っていました。ミランの旗がひるがえり、たくさんのファンが見守るなか、お葬式は始まり、終わりました。 私のインスタ@enoyu_のストーリーに、アップしています。彼がいかに愛された選手だったかが、わかります。
2026.08.06
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ごきげんよう!土曜日は、お独り様だったので、午後手芸屋さんへ向かいました。まだ1月の10日だったので、チャイナタウン奥の広場では、仮設スケートリンクが設置されていました。チャイナタウン奥の広場を超えて、もっと奥に向かっていくと、手芸屋さんが、見えてきました。ミラノでも、手芸屋さんは、絶賛激減中、前に住んでいた地区のおしゃれな手芸屋さんでは売っていない、プロ級の洋裁に必要なものは、ここまで買いに来ます。ここに来るといろいろと揃うので、いつもわくわくです。Merceria GrassiVia Pietro della Francesca,29 20154 Milano帰り道、チャイナタウンでお使いをしつつ、家には戻ると、好物のボッタルガのスパゲティを作ってサラダと共に、食べました。夏の一品なのですがね。
2026.08.04
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ごきげんよう!ミラノ生活1月に戻ります。あまりにも汚くなっていたので、もはや色が変わっていた。よって、作り変えることに、↑これって、なに?と思われると思いますが、キッチンの上に設置されている棚。通常扉付きなのですが、過去に、開けっ放しで、何度も元旦那の頭が突っ込み、挙句にこの扉はつなぎ目が壊れてしまいました。よって、突っ張り棒で、小さなカーテンのようなものを作り、ほこり除けに使っています。これって結構、イタリアの南のキッチンでもこのスタイルを使っていたり。。。。変色した生地と一緒に買った生地を引っ張り出し、余った生地でなんとか作りました。台所に赤はいけないと風水で言われているので、赤は避けたかったのですが、他に生地もなかったので、こちらにしました。それにしても、昔のユザワヤ、良い生地があったなーーーー!と思いました。
2026.08.01
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ごきげんよう! さて、今日の訃報は「フランコ・バレージの死」でした。(もはや昨日7月31日にお亡くなりになりました。)66歳という若い死でした。数日前に、インスタで「フランコ・バレージが亡くなりました。」ニュースが出回り、すぐに却下されていました。この時から既に具合が悪かったのだろうと思います。 亡きベルルスコーニ元首相の築いたミランの黄金期に、バレージはディフェンサーそして、主将としてプレーしていました。ライバルチームのインテルファンでさえもリスペクトしていました。イタリアのナショナルチームでも主将でしたので、ナショナルチームで一緒にプレーしたワールドカップ盟友バッジョからも「とても苦しくてとても悲しい、Ciao(さようなら)フランコ・バレージ主将!」とコメントしています 最近では、ミラノ・コルティーナ冬季オリンピック開会式では、インテルのレジェンド主将ベルゴミと共に聖火灯を運んだ姿が印象的でした。とにかく老け込みすぎて、だれかわからなかったほどです。歩くのも大変そうで、病気を患っているのだろうな?と思いました。 1977年から1997年まで、ミランのみでプレーしていました。イタリア代表として、3度ワールドカップにも出場してます。 後のバレージ兄弟へのインタビューでは、二人はミランのファンでしたが、お兄さんのジュゼッペの方が先にインテルに入団。フランコもインテルに入団を試みますが、こちらはうまくいかず、ミランに入団することが出来たそうです。入団と言っても少年部で、ミラネッロから電車に乗って、学校に通ったそうです。 さておき、ミラン黄金期には、バレージがバロンドールを受賞しかねる事態が起こります。バレージより、同クラブのファン・バステンが受賞したのです。そんな時は、ミランの伝説オーナーでイタリアのベルルスコーニ元首相は、偽物ですが、バロンドールの🏆を作らさせ、サンシーロ・スタジオのミランファンの前で、バレージにトロフィーを渡しています。 この機会に、いろいろなエピソードがインスタでも知ることが出来ます。ピッポ・インザギ氏のエピソード彼がまだ名も知られていないパルマの選手の頃に、ミランと対戦し、バレージのユニフォーム欲しさに、バレージにユニフォームを頂けないかと聞きに行くと、「いいよ」と言われ、その後、「きみのは?」と彼が無名選手だったにも関わらず、彼のユニフォームを欲しがってくれたことに感動したそうです。それ以来、インザギ氏は、無名の選手からユニフォームを欲せられても与え、交換するようにしたそうです。マラドーナのエピソードナポリとミランの試合後、マラドーナはバレージのユニフォーム6番を着て歩いて、更衣室に戻っていました。その間インタビューを受けると、「彼は偉大なサッカー選手だから」と応えていました。マルディーニとカンナバーロも彼に贈る言葉を書いています。マルディーニは、「今日の試合ではバレージがプレーしないどうしよう?」と不安に思った気持ちと同じ思いをしていると綴っています。インテリスタとしても、ライバルチームMilanのバレージ氏だけは別格でした。サッカーのコート内、外でも皆の主将だった人格者。ご冥福をお祈りいたします。合掌 8月㏣、ミラノの守護聖人アンブロージョが眠るサンタンブロージョ教会で葬儀が行われるそうです。
2026.08.01
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ごきげんよう!さて、昨日はマンチーニがイタリアのナショナルチームの監督就任記者会見でにぎわっていました。次の日になると、結構反対する人も多く。確かにあの3年前のナショナルチーム監督からの逃亡はいかなものかと質問する方も多く。反対の立場をとる人も多い。記者会見中に、「3年前の逃亡について、」と問う記者に、「苦労はしたくなかった」と答えたそうで、まーうまく言ったものだと思いました。その後、かの有名スポーツ紙「La Gazzetta dello sport」では、全く悪ぶれるわけでもなく、恥ずかし気もなく出て来れる才能と書かれていました。 私だけでなく、イタリア人でも感じることなんだーーと、納得しました。
2026.08.01
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