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一期一会@ Re:(^_-)-☆赤字の会社(10/16) はじめまして。 インドネシア進出が、現在…
ななし@ Re:(^_-)-☆これは酷い(08/02) ほんとうにひどい話だと思います。ただ、…
阿吽@ Re:(^_-)-☆現地の仲間達(05/31) この花もラフレシアの仲間だと思いますよ。
背番号のないエース0829 @ 最西端 「日本一早い海開き」に上記の内容につい…
阿吽@ Re:インドネシアで 楽しく暮らす 15-102(12/21)  初めまして。CikampekとSukabumiで農業…
2026.09.05
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6457 私がいなければ、殆どの押出製品は輸入に。塩ビ以外の原料の異形品は、100%輸入のままだったと思う。押出成形ラインもね。

インドネシアの押出成形の歴史は私と共に

RI押出成形歴史 1 名古屋の北川工業創業者の故北川弘二社長に頼まれて、PT,KITAGAWA INDONESIAの、押出成形部門のアドバイザーとして、MM2100に入った。1996年から、20数年の間、押出成形品のメイド・イン・インドネシア化を進めてきた。勿論、最初は、日本での太田化工の客先だった北川工業へ輸出するため、6ナイロン(PA6)のエッジング、押出グロメット、作った。それらは、この数年前、日本で最初、私が作って商品化したもの。6ナイロンとLDPEでスパイラルチューブも作った、後加工ではなく、定尺カットまで、一つのラインで作ってしまう装置を作ったのは、日本で私が最初だ。55年以上前の話だ。
電材屋に、チューブを買ってもらい、電材屋自身に、スパラルカット装置を作ってやった。とにかく、スパイラルチューブを作ってやったのは、日本では私が最初だったと思う。1966年だった。
キタガワシンガポール支店向けに、ナイロン6の自己消化性(V0)グレードで、チューブも作った。

http://otaenplaext.net/concept83.html
エッジング グロメット
http://otaenplaext.net/concept96.html
スパイラルチューブ



 そんなことから、輸入ではなく、国内調達を画策していた会社から、私に製造依頼が来た。私がインドネシアへ来る2年前に、日系の押出成形会社が進出していた。その二社(AFMIとARVINY)に、何社かが、“これを作ってほしい”と頼んだが、できないと断られていたそうだ。2社とも軟質塩ビの成形しかできなかった。今、一社は、撤退した。もう一社は、TAJとして存在している。

http://otaenplaext.net/concept191.html
トリムシートコーナーなど
2社に断れた会社から、私を知って、私への依頼が入った。

http://otaenplaext.net/concept180.html
サイドバンパー

 パラマウントベッドからの炭酸カルシウム30%入りのPPの異形品も初めてだった。話は1997年だった。装置の関係で、作ったのは2000年だった。会社勤めの時も自立した時も、そうだったが、全く作ったことがない製品でも、できますか?と聞かれたとき、できない、といったことはなかった。そして、引き受けて、必ず作ってしまった。

 ただし、補助装置などを作らなければならない製品に関して、その装置の見積もりを出す。それが通らなければ、できませんと、断った。例としてはコルゲーテッドチューブだった。KIICにコルゲートチューブの専門メーカーがある。

RI押出成形歴史 2 その後、依頼されて、次々とメイド・イン・インドネシアを引き受けていった。
カーテンレ-ル(金属パイプに樹脂を被覆する)では、クロスヘッドダイを使った。木目調のPP樹脂も使った。PT,TOSO
http://otaenplaext.net/concept183.html


http://otaenplaext.net/concept109.html

難燃(自己消火性)6ナイロンチューブ
PSエラストマーとHIPSで2色成形ボールペングリップ
http://otaenplaext.net/concept181.html

PMMA(アクリル)で、ブランドスラットを開閉するための6角棒、PCでも作った。後にPCに替わった。


角パイプの内側にリブがある製品なんか未経験だったし、押出成形で帯電防止の効果が保てるのか心配だった。何度もこすって確認した。
http://otaenplaext.net/concept178.html

初めての製品、作ったことがない製品、原料も扱ったことがないものもあった。金属加工屋、原料商社、原料メーカー、装置メーカーを探すことから始まった。
そして、それらの取引先にも、私の仕事に関する必要知識がないので、教える必要があった。

例えば、原料商社の担当者に押出成形用原料に関して、射出の原料じゃだめだよ、溶融粘度(MFIあるいはMI)メルトインデックスなどを、先ず、教えなければならなかった。
勿論、金型のデザイン、図面を書くことは、自分でやるしかなかった。現在でも、そうだが、射出と違って、スタートから出来上がりまで、全てが自分の責任だ。ま、でも、それらが、私の趣味だからね。

http://otaenplaext.net/concept136.html
プラスチック押出成形の関する基本姿勢です。50何年前に、たまたま、巡り合った仕事です。携わることになって、1年後には、この姿勢を確信した。そして、その時、日本では、この仕事にかかわっている人は、ほとんどいないと自覚していた。ナイロン66のMOS2(二硫化モリブデン強化)の異形品など、いくつも、日本で初という製品を作った。


RIの押出成形歴史 3 
スタートは1996年8月MM2100のPT.KITAGAWA、まだ、工場が完成していなくて、プレハブの飯場がオフィスでミーティングをしながら、右隣りのPT.KADERA(次ABA、現TOYOTA BOSYOKU)そして、左隣がPT,MANDAM その1社と道を隔ててPT.PARAMOUNT BEDで、それらに挨拶にいった。すると、早速、両社から、見積もり依頼があった。“できるところを探していた”といわれた。KADERAは車のシートの部品やヘッドカバーの部品だ。シートの部品は太田化工で引き受けていたので、作ることは問題なかったが、問題は別にあって、なかなか、承認が得られなかった。
http://otaenplaext.net/concept191.html
 いきさつに関しても書いてある。
P,BEDは、Ⅰ http://otaenplaext.net/concept180.html
で触れているが、原料の入手と品質に関して簡単にはいかなかった。
そして、両社に共通問題があった。現物サンプル通りではなく、寸法が違う最初の図面通りに作らされて、本社の承認を得たのち、量産試作を提出したら、“こんなもの使えない”とクレームが客先現場から入った。購買担当日本人から謝られることなく、使えるものを作ってほしいといわれた。金型代も私が負担、そして、OK品をつくった。それでは終わらない。製品改善提案書を書かされ、それを、購買の人の改善書として日本本社に提出し、承認を得て、やっと、量産が始まった。受入検査表も書かされた。
普通、やっていられないよ、と、言いたくなる事例だが、私しかできない仕事だから、放り投げるわけにはいかなかった。購買の人は、知識が乏しいので仕方がないかなと思う。似た様な問題は今でもある。

炭酸カルシウム30%入りのPPサイドバンパーに関して、エピソードがある。バンドゥンのPT,CHITOSEという折り畳み椅子で有名な会社があり、そこから、P,BEDのこの図面が渡され、炭酸カルシウム抜きで単にPPで、同じものを作ってほしいと依頼があった。流石に断った。その後、形状を変えたベッドサイドの部品の依頼があり、これも大型で難しかったが、作った。

KITAGAWAの6~7年ごろパニック障害 http://otaenplaext.net/concept50.html
に見舞われ、大変な目にあって、日本に帰った。半年後、治って、頼まれてPT,AFMI(現TOPLA)を手伝った。ここでは、軟塩ビで冷蔵庫のガスケットだけを作っていたが、
EJIPのサンヨー(現ハイアール)冷蔵庫用のトリム(PPとエラストマー)“ナカシキR-Fパッキン”という部品名、二色成形だった。

HI―REXの架橋HDPEで車などのコントロールケーブルの一番内側のPEライナーを、インドネシア初として作った。

私が作った内外径チェック装置 先ず、外径が大き過ぎたら通らない穴を通す、通らなければ大きすぎる不良だ。製品の中に、異物による突起があったり、内径が小さ過ぎたりすれば、一緒に行ってしまう鉄の球を入れておき、製品と一緒に行かないように強力な磁石で止めておく、それでも鉄の球が行ってしまえば、センサーが感知し、鉄球が無くなったと同時に製品の流れをストップさせる。勿論、インドネシアでは、初の装置だ。
http://otaenplaext.net/concept7.html

この会社、現地社長個人的に問題があって、指摘したら、私が同じ事務所内にいたら、電話会話が聞かれるからだろう、現場事務所に追い出された。その後も、ミーティングで改善点を指摘していたら、首にされた。1年半しかいなかった。

追い出されてから、半年後位に、聞いた話だが、PEライナーの製造中、私が作った内外径チェック装置に引っかかって、長時間連続生産ができず、原料、時間ロスが多くなった。それを、その社長さんが見て、使わなくていいと言い出し、ラインからはずしたそうだ。客先からの寸法クレームが多くなり、品質担当者が来社し製造工程をチェックしに来たとき、社長さん、“私が使わなくていい”と、言ったから使っていないと言い訳をした。ハイレックスにとっては、私が悪者になった。

この社長さん、私が本社にそのことなど、また、辞めさせられた本当の理由を話したら、数か月後に、辞めさせやれた。但し、交替してきた人も、押出に関して、全くの素人だった。
その後、現在まで、トープラアバディの押出部門になっても、新しい仕事を受注できる人物はいないままだ。内外径チェッカーの外径チェッカーを使っていなかった。

RIの押出成形歴史 4  私がAFMIで手伝いを初めて1年後くらい(KGから出て2年後)に、キタガワの本社から私に相談があった。PT,KGは撤退したいが、押出の設備と客先と従業員の面倒を見てくれないかと。

 そこで、私はAFMIの社長に、そのことを話し、条件として、“押出ライン4,その他、粉砕機など必要機器は、無料、そして、従業員全員を給料など現状の雇用条件を維持する、そして、もう一つ、現客先に売値は現行のままとする”と、双方の社長に示した。

 そして、私が使い慣れた装置と教え子たちがやってきた。一週間もしないうちに教え子たちから不満がでた。雇用条件が違うと言い出した。勤め先を紹介するという条件で退職金はほとんどもらっていないという、そして、こちらの条件は正社員ではなく、契約社員、そして、給料は最低賃金だという。客先への売値も上げようとした。私の提案は、全く無視、私は、これにはあきれたし、責任を感じた。

 そこで、元部下たちの何人かを独立開業させることにした。2000万円ほど出資し、PT,MAKTAという会社を興させた。その後、私は解雇され、その新しい会社の手伝いを始めた。KGの客先の多くは、新しい会社についてきた。

 このころ、私がいなくなってしまってからのKGの押出製品関する大失敗が明らかになったから面白かった。まず、ヤマハミュージック・パスルアン向けのPEエラストマー原料のバンド(管楽器などのボックスの取っ手につかう)、これには、後加工でシボ加工が施される。AFMIに示された価格を見たら、異常に安い。見積もり内容を見たら、シボ加工費がなかった。それ用の装置が多分200万円以上するし、その償却費と加工費を合わせれば、後加工費の方が高くなるハズ、売っていた2倍以上の値段にしなければならなかったはずだ。これじゃ、AFMIは引き継げないよ。もっとも、AFMIは、シボ装置はただだったから、人件費だけのプラスで良い。

 もう一つ、私がいなくなった後、シンガポールのKGからの注文でPA66(66ナイロン)チューブを売っていた。その価格が安すぎ、見積もり計算を見たら、19円になっている。ところが、実際の見積もりは9円で、出してしまっていた。おいおい、キンダーガーデンかよ。これも、引き受けられなかった。当時の両社の社長、どっちもどっちだったね。両者とも、私が邪魔になるわけだ。

 LLDPE(リニヤ―ローデンシティポリエチレン)で、PT,KOHONO(EJIP)から、香水や消毒液、洗剤などボトルの頭に着くポンプの下に着くチューブを引き受けだしていた。2000m巻取りだ。TS-10という商品名だ。今は、AFMIが撤退後、ENDOTAで引き継いだが、自社でも作れるよう私が指導し、KOHONO内部生産もしている。

ハイレックスのPEライナーもそうだが、27歳くらいのころ、編み出したPCチューブの冷却方法がインドネシアで役に立った。一分に30mくらいの引取速度で製造できる。
http://otaenplaext.net/concept90.html
バキュームボックスの改良版だ。

 KGさん、これにも、大問題が発生、
http://otaenplaext.net/concept4.html

 P,BEDなどを含めて、このチューブもMAKTAで引き受けることになった。
ローカルスタッフだけで、MAKTAを運営させ、しばらくすると、南部化成の当時の社長で創業者の佐々木さんから、インドネシアに工場を出すから、押出部門を立ち上げてほしいと依頼された。そこで、MAKTAを現状のまま、PT,NANBUに売った。売値は2000万円で、私に出資額を返してもらった。そして、従業員の待遇や製品価格もそのままにした。全員を正社員とした。勤続年数もMAKTAの在籍をプラスした。

 スバンSubangの韓国企業、ストロー専門の会社が、従業員への給料を払わず、夜逃げしてしまったという情報を、その地方出身従業員から聞いた。
早速、その会社へ行ってみた。従業員代表が対応してくれた。給料、退職金に充てたいので、200ジュタで買ってほしいという。二色成形用ラインを含めて6ラインあった。それらを含めて、10ラインで始まった。このラインはNANBUが撤退した後、現在ANGKASAで使いだしている。


RIの押出成形歴史 5  ナンブでは、一応、日本で名前も知られていたので、YAZAKI向けに、6ナイロンでエッジングも始まった。この時は、冷却に灯油を使わないで、水冷にした。ということで、急冷のため、製品は透明に近くなっていた。それでも、OKだった。

また、同じくYAZAKIむけの”のノ字“の生産も始まった。ただし、NANBU撤退で、YAZAKI向けに種類は、日本の南部と太田化工からに戻された。

新たに、車のシート関係の会社2社(TSテックとフジシート)とも取引が始まった。トヨタボウショクとほとんど同じトリムシートカバーやトリムヘッドレストカバーなどだ。ここで、インドネシアの車のシートメーカーほとんど全部、私の作った装置で製造ということになった。


http://otaenplaext.net/concept8.html

トリムといえば、冷蔵庫のパネル?のすべり止めるものがある。PPブロックポリマーで、提案した。当時、ハイアール、シャープ、パナソニック、ポリトロンなどに作った。今は、どこで、つくっているのかな。

http://otaenplaext.net/concept88.html

P.BEDから新たに難しい製品の注文が入った。ベッドの頭側、足元側のパネルになる、いくつかのアイテムだ。今でこそ、簡単に作っているが、当初は、全く、経験なしだったので、ストレスが半端じゃなかった。四つの断面のプロファイルでセットして納品をする。どの断面も難しかった。今は私が技術指導したエンドタだけで作っていたが、2社購買を勧めてアルビニにも技術を提供し製造してもらっていた。

http://otaenplaext.net/concept42.html

南部化成本社のプラ研究所から、依頼があって、しばらく、日本で、手伝った。その時に手掛けたのが、径可変のノ字型チューブでした。出来あがったが、売れているかどうか知らない。

数年で、南部本社から、私の代わりということらしい人が赴任してきた。赴任した当日、私に“私には手も足も出ない仕事だ、私には無理だよ”とつぶやいた。もっともだ。南部の営業は、南部化成の内部でできない仕事は、私の太田化工に回してきていたからだ。
クレームが発生しても対応できないし、新製品の見積もり依頼が入っても、知らん顔だった。私が抜けた後のKGやAFMIと同じ状態になってしまった。続く。

ところが、KGもAFMIもNANBUも私が抜けた後、後継の日本人担当者は、もう、ほとんど手出しができない、彼らにとって、重荷を背負わされたということになる。しかし、私が手伝おうかと声をかけても、一応、プライドがあるのだろうか、私を頼ることはしなかった。

このことは、後に、技術指導を頼まれてしたTRCやALVINIの当時の日本人担当者が交代し、新しい人が赴任してきたとき、かつて、技術指導した現地従業員から新製品の技術指導を頼まれても、日本人には必要ないと断られた。結局、その製品は、断ったという。


RIの押出成形歴史 6  NANBUにいても、私の意思で、運営できなくなってしまったが、私個人への頼みは絶えることなく、それを、NANBUの中でやることができなくなったので、ASKAというHYUDAI工業団地の中のメンテナンス屋さんの空き工場に2ラインを設置させてもらって、仕事を始めた。

カラワンティムールのスルヤチプタではなく、KIM Kawasan Industri Mitra KarawangのNICHIRIN向けに11ナイロンチューブを受注した。原料は、リルサンという商品名だ。フランスのアルケマ社、日本では弘栄貿易が扱っていた。原料は原油、ナフサからではなく、ひまし油、植物油からだ。チューブを作る技術的には、簡単だが、原料入手が難しかった。インドネシア内のプラスチック原料を扱う日系商社はいくつかあるが、PA11やPA12を扱ったことはない、聞いたこともない、日本人も知らない。それ何?どこで作っているの?だった。
http://otaenplaext.net/concept177.html

日本で最初にPA11,PA12のチューブを作ったのは私だと思う。会社へ弘栄貿易の人とフランス人が現れた。東レの紹介で、これで、チューブを作ってみてほしいとRilsanとそのチューブサンプルを持ってきた。この時も、三交代の朝勤で、現場から応接に呼ばれた。24歳だった。
 東レから売り出された12ナイロンの可塑剤入りと、物性はほとんど同じだし、ナチュラルの色がちょっと違うのでわかるが、着色してしまえば、見かけ、感触ではわからない。燃やして煙のにおいを嗅げば分かる。
 しばらくして、日本で最初にこれらのチューブでコイリングチューブを、ポリエチレングリコールPEGを使って作ったことは既に書いた。
 インドネシアで中国アルケマから入手した。高いですよ、1Kg2000円位だった。チューブにしたときの見積もりを出すのに、いろいろ迷う。

 後に、席を置いていたPT.LTI(日本ではGEX)の大型水槽の枠を本格的に作り出したのもこのころだ。
http://otaenplaext.net/concept9.html
四本の柱の原料を欠けやすいGPPSから、割れにくい透明HIPSに替えたのは正解だったが、この樹脂の扱いにくさには参ったが、何とか使いこなした。

ナンブの時に打診をされたが、私が責任者でなくなっていたので、どうにもならならなくて、一時途絶えていたが、南部から出た私に依頼があって、TOSOのウェートバーやPCで六角ひねり棒も手伝っていた。
http://otaenplaext.net/concept109.html
http://otaenplaext.net/newpage58.html


RIの押出成形歴史 7  ASKAという会社は、大外れだった。元々、頭でっかちの主業のメンテナンスの社長を役員や事務員などの報酬を、何の手伝いもできない押出部門に50%以上乗せてきて、本業を粉飾決算し、押出部門は赤字にしだした。あきれ返って、脱出を模索していたら、AFMIの営業をしていた人物から、クドゥスの実業家が押出の仕事をしたいと話があり、私はそれに乗って、ASKAから全設備を買ってもらうことにした。今の状態では、押出は、永遠に利益は上がらないと説得し、身売りを承諾させた。現在、ASKA自体がなくなっている。

 ここからがまた、インドネシアの習慣に翻弄されることになった。ジャバベカ2の工業団地の貸工場に入ったENDOTAとして、名前は、日系企業の思わせるために私の名を使わせてほしいというので承諾した。コミサリス(実質経営者)は実業家、社長は紹介した人物、私はアドバイザーだ。工業団地内の1年半ほどいたときに、最初から、11ナイロンチューブなどで、利益が上がっていた。

 ところが、最初の社長の悪習慣が明らかになって、首にして、コミサリスの義弟を社長にした。ところが、義弟も早速、悪習慣に染まっていることを従業員から指摘された。それプラス、本人が義弟と中国製の押出ラインを購入すると言い出た。どんな、いきさつがあったのか、私は、使えないと反対したが、悪習が使われ、購入してしまった。結局、500ジュタほど無駄にした。現在は、ほとんど廃棄状態。
 義弟が辞めさせられ、仕方がなく、私が社長になった。

 また、ところが、突然、工場を、移転することにすると言い出した。場所は、淡水魚の養殖場の一部を埋め立てて造成したミニ工業団地だ。工場が完成する前に、環境をチェックした。水質が最悪だし、停電が頻繁に起きているという、そのあたりの人から情報で、私は、大反対をした。しかし、造成者と本人の間で、悪習で結ばれ、既に、契約をしてしまったからどうにもならなく、工場を移転した。もう、その後、時間、原料のロス、そして、金型や装置の修理や買い替えが異常だった。ご本人は売値を上げろという。

 コミサリスが足を引っ張っている。会計事務所に、黒字にならない原因を分析させてほしいと頼んでも知らん顔だった。
この間にも、何社かからの新しい仕事は手掛けた。
光拡散剤入りのボリカーボネートPCでLEDチューブランプ用のパイプや半円プロファイル
http://otaenplaext.net/concept238.html

水に漬けて、形状記憶チューブを作った後に、径を大きくしてつくる熱収縮チューブも手掛けた。これは、ANGKASAに技術指導中。
http://otaenplaext.net/concept174.html

他にも、特に技術的に難しくないが、医療用ベッドの部品としての異形品も多く依頼を受けた。
ARVINYに金型の図面を書いてやって、指導した。
http://otaenplaext.net/concept211.html

これも、何だかんだ、厄介だったが、エスマルヒの巻き芯、ほとんど、趣味の世界だった。
そして現在TRCにNICHIRIN のリルサンチューブとともに、初歩から指導して渡してある。
間もなく、PT,NANBUの雲行きが怪しいという情報が入った。

RIの押出成形歴史 8  ナンブが引き上げてしまったことで、その客先の面倒を見なければならなくなり、生産量が増えるにしたがって、従来の客さきへの納入ができなくなり、それらに迷惑をかけないように、余ったラインを持っている押出成形会社に部分的に生産をお願いしだした。勿論、技術的支援もしてのことだ。TRCとARVINYらだ。

 ENDOTA自身は、フル生産になり、売り上げは伸び、利益も上がりだした。しかし、相変わらずいろいろなことでロスが多い。私は、この中で手伝う気が無くなって、体調のこともあり、一時帰国をしてしまった。

 その間、やはり、新しい仕事や納期遅れにどうしたらいいものかと迷っている会社から戻って、何とかしてほしいといわれ、また、ミニ工場立ち上げの資金を準備してインネシアに戻った。そして、1ラインを内製ようにセットしてもらい、LTIさんにKITASを取ってもらい、ほとんど無報酬で、三社ほどのローカル成形屋に技術指導や新規受注の手伝いをしだした。ENDOTAの客先の一部もそれらの会社から調達できるようにした。そして、一部は、すでに、LTIその他のローカル会社から購入してもらい始めている。

PT.MGJ(ウイドド君、AFMIでの教え子の一人)から、教えてといわれ、行ってきた。一年以上前に、コルゲーテッドチューブとスパイラルチューブの製造装置は、作ってあげて、使い方というか、製造のコツを伝授し、実際に、サンプルを作った。製造も始めている。

 注文は、徐々に増えているが、新たに、別のサイズの注文があった時、そのための治具や金型を作るが、それのサイズについて、教えてほしいということだった。

 そして、そのころ、LTIで押出ラインを設置し、今まで外注(TPRから)で調達していた押出製部品を内部で作るようにした。私自身は、何社かの技術指導と営業の手伝いをテレワークでやっている。

 そして、2月初めには、インドネシアから離れるための終活に入っていた。私が指導した会社の何社かが、経営責任者の無知が原因で、私を追い出てしまったことにより立ち行かなくなって閉鎖したり身売りをしたりしてしまった事実から、そういう事態が、今後も起こりうると思う。そのたびに、私が頼られて、私が何とか、継続手伝いをしてきた。私が移った会社にそのたびについてきた会社が何社もあった。

また、特に日系の会社へ技術指導した場合、押出部門の日本人に頼まれて、実際にはインドネシアスタッフを指導し、できなかった製品を作ることができるようにする。その後、その会社が新しい製品の製造依頼を受けたとき、現地スタッフから、私に相談がある。ところが、上司の日本人の担当者が交代すると、それを嫌って、その仕事を断ってしまう。現地人はがっかりして、私に、そんな話をしてくる。

日本や他の国で、押出部門の責任者をしていた人が、来る場合がほとんどだが、それらの人は、メーカーが作ったラインで、その装置でしかできない製品を作れるだけだ(TAJも同じ)から、そのラインでできないものは、その人にはできない。KITAGAWAもNANBUもTPRもTRCもARVINYもその他も例外ではなかった。インドネシアで私のようになんでも断らずに、何とか作るという日本人には30年間会うことはなかった。

RIの押出成形歴史 9 1.プラスチック押出品を購入している会社に伝えたい。私が指導した7~8社、日系、ローカルの押出成形会社から多社購買をしてほしいと思っている。コストダウンのメリットも受けられるし。一社だけからの調達は危険です。
経営者にとって、知らない仕事なのに、もうかるかもしれないと思ってはじめた仕事だが、本人の無知が原因なのだが、それほどでもないと思い、止めてしまうケースを何社も見てきた。これからもその流れは変わらないと思う。一社にこだわっていると品質保証もコストダウンも難しい。それらを競争させることが原則です。

2. プラスチック押出成形製品を購入中、または購入を検討中の企業の購買担当者は、一般的にプラスチック、押出成形、そしてインドネシアのプラスチック押出成形業界に関する知識が不足しています。
彼らは本社から図面通りの製品を注文することしかできません。押出製品は、図面通りできていなくても機能的に使えればOKとすることが、購買担当者の手腕です。筋があるとか、異物がちょっと付いているとか、0.1mm小さいとか、問題にしてはいけません。営業も同じだ。

3. 成形会社の営業担当者は、図面通りに製品を製造できるかどうかを回答しなければなりません。
しかし、回答する前に、製品が「意図された用途を満たしているか」「寸法公差を満たしているか」など、製品の品質に関する様々な条件を双方で確認する必要があります。
そして、製造可能と回答された場合、実際に製造する担当者がマーケティング責任者となるべきです。
インドネシアにおけるオレフィン押出成形とエンジニアリングプラスチックの世界は、私の手の中にあります。

様々な種類の樹脂を成形するための金型や冷却方法が存在するにもかかわらず、どの会社も私が設計した金型を使用しているからです。


RIの押出成形歴史 10
もう一つ、言いたいことは、インドネシアでは、贈収賄(コルプシkorpsi)が、当たり前のように横行している。私が関わった業界でも例外ではない。
例1、購買担当と製造側では、製造側から売値の10%を購買担当に渡し、渡した製造側の人に5%わたす。
例2、購買担当者が製造側から金銭や接待の優遇を受けて、より安い、品質も良い他の製造会社からの購入をしない。
例3,経営者が工場や立地を購入するとき、適さない場所でも、工場責任者の反対を無視して、売り側からバックマージンを受けて決めてしまう。
例4,酷いのは、経営者が装置などを会社に購入させる。装置会社から経営者に購入価格の一部を渡す。
つい最近も、購買側EJIPの弱電会社が注文先を替えた。コルプシが働いた。


最後に、インドネシアで様々な押出品の立ち上げをしたが、需要が有ると思うし、実際、使われているのを見るが、作ってくれという話がない。しかし、グロドックで売られているから輸入しているはずだ。
1. 丸棒2~200φの丸棒や3~60mm厚で幅500mmまでの板、肉厚パイプ。固化押出し
http://otaenplaext.net/concept176.html

2,後加工になるが、チューブの三次元曲げ加工品
http://otaenplaext.net/concept179.html


3,テフロン系やPEEKなどのウルトラエンプラといわれている樹脂のチューブ、パイプ

4,シートにしてもプレートにしても何種類かの樹脂を重ねたもの、 ガラス繊維や炭素繊維など無機物質を混ぜたもの、延伸したもの、など、物理的強度を上げたもの

これらを作る装置はインドネシアの金属加工工場から調達できます。輸入する必要はない。どうでしょうか、私がいなくても遠隔指導すれば、インドネシアの何社かで作れます。

私は、もう十分、インドネシアのために、仕事をしてきたと思うし、歳も歳だし、半年ほど前に、インドネシアからリタイア(ペンシウム、pensiun)すると決めていた。だから、この“RIの押出成形歴史”も去る前に書こうと思った。

そして、ブッキングしていた2月4日に帰国をしたが、その前に、残ってほしい、戻ってほしいという話が、何社からあって、断り切れず、また、半年のITASを取ってしまい、4月中旬以前にインドネシアへ戻ることになった。引退できず。

参考、ウェブサイト
http://otaindoesiaextrusion.web.fc2.com/newpage0011.html
2010年、2019年に書いたインドネシアのプラスチック押出成形の現状でした。

2025年8月6日
 そして、まだ途中、80才で、インドネシアから永久に去ると宣言して、帰国した。しかし、PT.TOPLA ABDI JAYAから、どうしても、手伝ってほしいと言われ、戻ってしまった。

 AFMIという会社を、手伝ったことは、書いてあるが、その会社は、TPR(東京ピストンリング)という会社に引き継がれ、そこも、手に負えなくなり、PT.TAJという会社に売ってしまった。

その会社が、押出部門も引き継いだが、AFMIやTPRと同様、とんでもない問題を招いてしまっていて、何とかしてほしいと私に頼んできたのでした。

 現状を見ると、なるほど、とんでもない状態になってしまっていることを見てしまった。様々な問題を指摘し、出来なかった製品もできるようにした。製法やメンテナンス方法などの改善、改良法を提案した。と、ここまでにしておく。

 ARVINYは、2026年の1月、押出成形から撤退した。
そして、2026年8月1日に去った。

しかし、同時に、3社から、手伝いを求められた。現在、その三社にテレワークでアドバイスをしている。

時の経営者に請われて手伝いをするのだが、現場の人の為、私に製造を頼んできた客先の為に仕事をすると、いつの間にか、私を呼んだ経営者にとっては、読んだことが間違いだったということになるらしい。

インドネシアで現存している会社で技術指導をしている、あるいは。したことがある押出成形ラインを持っている会社は、
PT. ENDOTA SINAR INDONESIA
PT. ANGKASA SURYA TEKNOPLAST
PT. GODONG JATI PLASTIK dan CV. MARSUFEB GODONG JATI
PT, TUBINDO ULTRA PRIMA
PT. HI-LEX INDONASIA
PT. INDONASIA TRC INDUSTRY
PT. ALVINY INDONASIA
PT. LIMA TEKNO INDONESIA
PT. HOGY INDONESIA
PT, KOHNO INDONESIA
PT. NIPRO INDONESIA JAYA
PT. TOPLA ABADI JAYA Mr.Shin 時代
PT. ZEBRA CROSS TEKNOLOGI(ZEBRAX)
PT, MANDOM INDONESIA

この中で、雇用契約で手伝った会社は、2社だけだ。家賃1万円以下の住宅、車、1年2回ほどの日本往復航空券は支給され 給料は5万円以下だった。
その他は、無償でアドバイスした。そして、全ての会社へ、必要工具や金型をサンプルとして買ったり作ったりして渡した。
間も無く、83才になるが、今は、体の気になる場所のメンテナンスをしている。





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Last updated  2026.09.05 17:01:40
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