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ついに卒論を強制終了させて製本所へ放り込みに行った。この1ヶ月不眠不休で体重は59キロにベスト体重を下回ったのは数年ぶりだがさすがにこれ以下は美しくないゾーンだと感じた上腕二頭筋と胸筋の迫力に欠けるそんなイメージの話はどうでもよくて「身体改造の流行メカニズム」なる商学部からすれば「アホちゃう?」テーマで挑んだ。学術的に言えば、というか商学部的には経済的価値みたいなんは鼻くそ程度にしかないので論文としての意義はあんまないやもしれん(市場潜在性があります!!なんか言ってみたりして、、、)でも自分的には様々な価値観と触れるいい機会であった。それでやっぱり行き着いたのが「リストカット」流行ってますねー!「流行」なんで最低な言葉を使うのはどうやら「ファッション」として自傷する輩が出てきているらしいフーテン族、パンク、果てはリストカットまで、、、小生「ファッション」の恐ろしさ改めて思い知らされたしだいそれはさておき、、、論文の1次データ収集のためボディピアスしている人にインタビューしていったのだが「リスカ」してる子がいた。その子は「リスカ」から身体改造へ移行した子で見事な内的衝動のプロセスだと感じた。あんな不恰好なリストバンドで傷跡を隠すんじゃなくてピアスやカッティングなどで自己表現「ファッション性」が付与されたら鬼に金棒ですみんなシュールレアリストしかし、スタイルだけ模倣するクズが多いのも宿命。命を叫ぶリストカッターたちはシドなみに頑張ってもらいたい。そんでまたこれやる人多いね。妹の学校(3流私立女子高)でも周りに3人はいるらしい非行から狂気素晴らしい響きです狂気が普遍化したらどうなるかなーやっぱ人類補完計画ならぬオメガプロジェクトかなあおっといかん、オカルティーになってしまった。まあそれだけみなさんいい意味で「ビョーキ」なわけでかくいう自分もたぶん何らかのラベル貼ることができるんだろなあある意味過食症だし、笑い方狂ってるっていわれるし、、、そこらへんぎりぎりのバランスで生きると面白い
2005/01/31
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はファッションネタでも時間ないから走り書きラングが辞任したと聞いて書かずにはいられないこの前ジルも辞めたばっかってゆーのにベルテッリじーちゃんのヒステリーが限界に達したようだ「皮膚がどうのこうのうるせー!!」とかわめきながらラングさんの横っ面をはたいたんだろうプラダグループはまさにイタリアのチョー保守派企業の典型で「職人は絶対渡さん!!」てな姿勢が好きだったけどもうだめみたいいや、新しい創のありかたへ向かっているのかとりあえずクリエイティブディレクターの時代が終わるまで厳しいでしょう。個人的にはコングロマリット崩壊を期待「群雄割拠」ですよねラガーフェルドさん。
2005/01/26
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今日はゼミ初めだった。というか1年スウェーデンに留学していたゼミテンが帰ってきたのである。彼女はさっそうと帰ってきた。「さっそうと」という表現には程遠い子であったのに、、、我が大学の写真部に属しているぐらいだから以前はネクラオシャレさんだと思っていた(筆者の中ではほめ言葉)赤いフレームの眼鏡に黒髪、ナチュラルメイク「雑貨屋で」買ったような主張の少ない服靴はコンバース(いかん、記憶力と描写力が薄弱でただの変態みたいになっとる)社会に出るのが苦手だから院に行きそうな子ヴァージン(に見える)とこんな感じだったがさっそうと教室に入ってきたとき小生視覚以前に嗅覚が反応した。パルファンである。「にほひ」は時間的に継続して感覚を刺激することができないので最も敏感に反応する小生の場合以前まぐわったシャネルの販売員と飲んでる光景を彷彿した。美容部員だからシャネルのアリュールあたりだったはずだがそんな「魅惑」なにほひと彼女の昔のキャラが交錯して瞬間パニック人間とは愚かなものです。そんで見た目はというとそんな大差はないが黒髪が女性らしく長く背中の辺りまで伸びていた。そして以前キューティー系ではやった(確か)目尻の切れ目にたてに入れるような濃い赤系統のアイシャドウが入っていた。さらに白いファーつきで背面に怪しいトライバル柄の入ったダウンジャケットの前を開けて若干胸元が気になるぐらいのカットソーノ重ね着(アウターに比べ薄着な印象)細身のフレアジーンズにポインテッド・トウのヒールである。帰りたての帰国子女ルック以外なにものでもないいや、いい経験をしたのだろう留学して向こうの学校で新しい知識なり思考法なり身に付けてくるのは大事だろうでも何のために留学するかって向こうの人間と××するために行くのではないか。お前はその点で見る限り合格だよ!さあ父さんに話しておくれむこうの鼻はどんなだったかを!!ということで飲み会開催。いやそんな大セクハラ大会は一部で結局詳細を聞き出せなかったのだが小生まだまだ閉じられているので「スウェーデン」なる国はどんだけすげーのか知りたくていろいろ聞いてみた。そもそもグローバル、インターネットの時代だとは言え日本人って北欧に関してどれだけの関与があるのだろうか。自分は雑誌とかで現地の特派員がリポートする記事ぐらいしか生々しい情報は仕入れることはできないわざわざ「地球の歩き方」とか立ち読みする気も起こらないし「北欧カルチャーの本」も買うまではいかない(だいたいそんな本の情報自体生々しさに欠ける)「北欧連合国」ぐらいの誤解が生じるくらいスウェーデンとフィンランドはおろかアイスランド、デンマークとかの国々との違いがわからない。「ああなんか福祉と性教育が充実してる国ね」「マリメッコとかノキアとかの本社あってカヌーを漕いで通勤するスローライフな国でしょ(from relax)」みたいな程度なんでぐだらん質問の嵐どうやら今流行の「持続可能な発展」の国らしくまあ不便なところもあるけれどみなそれなりに幸せにやってるらしい。18歳になると半ば強制的に家を追い出され経済的にも自立する習慣がある。大学に進学すると国から月3万円の無償奨学金を支給されるがバイトもせずようわからん収入源でなんとかやりくりしている。酒を飲みながら食う習慣がないのか日本のような居酒屋はほとんどない。てか酒がスーパーで買えない。コンビ二はセブンイレブンの独占。娯楽が少ない若者の一番の娯楽はクラビングであるもちろん欧米文化よろしくエントランスは日本の半分以下しかし彼らはそれでもケチって仲間の家で前もって飲み会(pre-drinkという)して軽くハイになってから向かう。そしてDJがまわすというよりビルボードとかの曲そのまんま流してみんなでわいわいやる感じらしい。サービス業も安いぶん質も悪い。24時間TVでカーリング放送してたりする(本当か?〉なかなかどっぷりな日本人にはつらいところもあるみたいだがそれでもみな楽しそうにやってるみたい。自分の考えでは「日本みたいな消費社会は卒業しましたよー」てな一周してきた感が今までしたのだがどうやらそうでもないらしい。要するに人口も900万人で購買力もそこまで強烈でないから市場にならんということでわざわざ企業が相手にしない。でもおいしそうなサービス提供したら人々は食いつくみたいだ。たまに進出してくる企業とかが意外とうまくいくようである。人々も日本人化、アメーリカ人化するポテンシャルを持ち合わせているのだとだから日本人から見たらビジネスチャンスは多いのだとまあそうなんだろうけど少し残念。社学なのにそんな事言うなよー(涙)スパーロック監督ぅーちゃんとスウェーデンにも「スーパーサイズ・ミー」配給してくださいよー。
2005/01/06
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中学高校の同窓会が行われた。大学生となり生活が多様化して学内での交友関係が希薄になるにつれて中学高校の仲というのは膨大な時間を費やしたわけで素晴らしく濃ゆい。 (下校時の友小田急連盟。最左の士は中学時代エロと洋楽の最大のオピニオンリーダー)自分が所属していた学校というのは灘、開成、筑駒に並ぶ神奈川の進学校の勇である。だから文型なら国公立が当たり前 (文一3人衆、弁護士、外務省。映画監督?)失敗してしょうがなく早慶上智以下は廃人という価値観が受験時には普通であった。なにしろ他にとりえがないのである。制服は詰襟でもブレザーでもないブルゾン(?)のようなもので、かばんも中学までリュック指定という神奈川でダントツのダサさ。2時間目の休み時間には全員強制的に上半身裸で校庭に連行されラジオ体操第2校舎のタイルは剥げ落ちてコンクリ丸出しなのでさながら鎌倉少年院。こんな調子だから周囲には進学率のよさしかアピルことができない。でも意外と人生がっついてる奴が少なくて(だいたい一般企業に就職する奴が半分にも満たない)ニュートラルに生きてるのが多いのが好きなのである。(もちろんオタク仙人の宝庫でもある)神学校のせいもあるのだろうが慶応法学部から名古屋大学の院に行って(そこがまず興味深い)やることはといえば政治、経済的にそこまでインパクトのない地域のGMS(ていう分野があるらしい、細かい地理をほじくる感じ)ICUの院に行って金魚の脳細胞削ると視神経の細胞増加が抑制されることを一生懸命証明しようとする奴別に新薬開発につながったりはしない、専門書が少し変わるくらい。でもなんかいいじゃん自由にやりたい事できる時代と環境十分に生かして社会的地位とか(名誉とか)いらんしがらみにとらわれてないところが好き。そんなやつらと話をしてると浜崎伝助人生の誘惑に負けそうになる。幸福いろいろってやつですよ。いろいろなほどよろしいてことを巻髪お姉さんたちに伝えたい(彼氏なんて単純な要素の集合だから簡単に代替可能なんですってね。だから失恋してもすぐ立ち直るのだそう from anan)なんだかんだで自分にとってはかけがえのない超閉鎖的集団なわけで歓喜の限りに飲んだ。 (結婚報告をし、信者としての貞潔を捨てた倫理教師と)そして語りつくせぬまま終電時刻で強制終了みんなでオールできない優等生さもたまらん。消化不良の自分は一人cardigansのlong gone before daylightで心切なく東横線を過ごし荻窪で天ぷらそばと豚丼とフィレオフィッシュを3個馬鹿食いした後smashing pumpkinsのmayonnaise辺りを絶唱しながらそれらを全て道路にぶちまけてやりきれぬ思いのまま帰宅。「あの頃は・・・ハー!!」和田アキ子の歌がうるさく鳴る
2005/01/04
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正月ボケを直して本格的に卒論に取り組まねばならぬ時期だがセールが気になって街へもちろんあふれんばかりの人、人、獣、、、この日に原宿観光に来た外人さんは大正解だろう。「トキヨースゴイ、ネー」細かーいところで差別化しているけど服を「たくさんまとってる」のにテイストがほとんど同じだから異様なのだろう。そんでもって異様な光景の中危うくオブタレートしかけたのだけれど久々のセール会場原宿に変化の兆しがあると感じた。最近言われているメンズ好調を反映するようにやはり男子の買物袋率高し、裏原は野郎の王国となった感がある(男子7割弱)そしてその中でも象徴的なのが東京クレイジー系(雑誌でいうのはシャクだけどTUNEのような)の台頭である。キャットストリートを歩いてまず目に付くのがreal mad hecticの行列ネイバーとかグッドイナフみたいな裏原ストリート系(別名イキガル系)今日も相変わらずよくもそんなに系統同じ奴と一緒に並べるなあと感心したのだがそれは毎度のこと。しかし今年はそれを上回る行列が発生していた。(hecticもbalやらapeに比べたらしょぼいけどね、、、)その行列店は「ザ・カンナビス」「イキガル原宿」は「クレイジー原宿」に取って代わられていた。もうその光景といったらオバサン開いた口が塞がらず背負子は割れんばかりに泣き叫ぶ状態ちんどん屋が街から消えたのも彼らのほうに視線が向けられたからだという仮説も見ていただければわかると思います。感想その1「みんな金持ってんなあー」小生のバイト先メンズバイヤーさん曰く「メトロ君やらゲイの小金持ちも増えたけどネットオークションやらで稼いだ若い子が増えたのよねー(だからぼれるのよ)」情報は瞬時に伝わるが最近の服って少ロット生産だから商人は採算性のない地方には出店せんのである。だから田舎っぺ大将には経験財をネットでお買い上げしなければご縁がないのである。そんな商材をご購入しに来てるのかしらぬがたっくさんいた。個人的にはヤフオクとかで売るの前提に1シーズンも着ないような買物をするビッチみたいな方たちとは仲良くできません。感想その2「やっぱクレイジーっすよ」自分精神年齢じじいでクソみたいにへそ曲がりなのを自分の物差しから差し引いても残ったのは「クレイジー」とにかく皆さん盛大に服を「まとう」布地面積はくだらない白人の3倍はあると思う。いや、布地では足りないのです、それを補うようなアクセサリーの数々。やっぱりみなさん恥ずかしいのでしょうかでかいサングラスは必需品のようです。要するにようけ服をまとってアクセサリーで飾ったりして自己隠蔽しておるのです。概念的にはガングロギャルと同じであります。小生の友人は「コスプレ」という表現をするがまあ最近はピカチュウの着ぐるみを着てセンター街を闊歩するギャルカップル(ああなんとジェンダーレス!!!)の方が先行ってますけどね。また着込むぶんオシャレさんに見えるわけだけれどオシャレさんのくせに「いきがる」方々が少々いる。本当のオシャレさんとは内向的で自分と会話するタイプだと思うのだがその格好で大手を振って外股歩きタバコをするのはやめていただきたい。その格好といきがるライフスタイルのお供である「女とセックス」はディドロ的にあまりつながりません。このように言いたい放題言ってきたのだけれど原宿はアデライデやらファクトリーやらdeviceやらHP系やらの買物袋がようけ目立ちました。ちなみに自分はというとさよならステファン表参道店ということでスウェットパンツを購入して満足して帰宅したしだいであります。まあヨーロッパのブランドより洋服の文化なんてこれっぽっちもない「トキヨー」のブランドを支持するボーイズは不倫するために一生懸命LEONとか読んでるどうしようもない遺物に比べたらよっぽど健康優良児だと思うと最後は肯定的に〆。
2005/01/03
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さぼりさぼって2005年思えば20プラスα回正月を経験してきたわけで正月関係ないんだけれど「生き過ぎてるなあ」と感じた。虚無主義に陥って自殺願望が芽生えたわけではないのです。ただ22の誕生日を迎えたときや社会人目前になり年下の女の子をチヤホヤしないといけなくなったりやたらディオールオムやら(特に極細シルエットで一人で立てないような自分を支えるちょいでかスニーカースタイルのあたりがよい)碇シンジなど「永遠の少年性」に「ノスタルジー」と合わせ技で弱かったりと要するに「年だなあ」て感じるのは自分が生きてきた経験を消化しきれてない感覚がそういわせていたと思う。もちろん人は自分が生きてきた経験に基づいて生きているというか存在しているけどそれぞれの経験は必ずしも黒くて太い矢印で今の自分につながっているわけではない。トラウマとかで点線になっちゃってたり(でも太く連結してる)限りなく細くて消えそうになってたりする。そういうのを新しい経験による価値観から照らしてやると面白い矢印になって今の自分とつながる事もある。21年も生きているとその矢印はもう結構楽しめるくらいあって(子供の頃「ごきげんよう」という番組を見て、なぜこれほどまでいろんな話をみなできるのだろう?と不思議に思っていたが最近ではつまんないなりに話せる気がする。それくらい経験束が充実してきてるのだ)たまには自分に出てる矢印を見直してみるのもありだなあとこんな姿勢も忘れずに暮らしてみよかと思う正月でも基本姿勢はミスチルの「天頂バス」で。そんなこんなで自分の高校時代の思ひ出paul&joeのTシャツ(ロンブーの淳が着てた時代の)とともに明けましておめでとうございます。
2005/01/02
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