ありのままで  え~やんか~。 

ありのままで え~やんか~。 

2008.10.24
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類

前回  の続きです。

父は、入院中に 誕生日を迎えた。

お祝い色紙

私の書いた色紙、父は 棺の中で胸に抱いて持っていってくれた。
母と私は ほんとは記念に置いておきたかったんやけど・・・

看護師たちが 「今日 お誕生日なんですね、おめでとうございます♪」 とか
言ってくれたら 父も喜ぶかと思って 書いて持って行ったが・・・

「置いてあること自体気付きませんでした・・・」 ですと

”看護”って・・・ いったい何を見て 何をすることなんだろうか。

”完全看護”って・・・ いったいどこまでお任せすればいいものなのだろうか。

何かを頼めば 面倒くさそうに態度にも顔にも出ていたから、
入院中の父は ナースコールを 怖がってまったく押せなかった。

かといって、看護師たちが気をつけて様子を見てくれている事も 残念ながら‥ なかった。


そして‥ 
父の誕生日には、既に 院内感染していた と思われる。


そして‥
私たち家族の居ない時は、ほとんど放置されていたようだ。




少しでも多くの方に見てもらうために!

応援クリックの ご協力お願いいたします!m(__)m

↓            ↓  

ポチッポチッ
ブログランキングバナー ファイブスタイル ブログランキング

たくさんの方のご協力のおかげで ランクアップしています。
この場を借りまして・・・  本当にありがとうございます
手書きハート


子供も孫もみんな 遠方か仕事があって、父にはかわいそうな事をしたが、
いつも付き添いが居たわけではなかった。
まさか死亡するとは思っていなかったし、基本は完全看護で付き添いは要らないという決まりがある。

母は 肺疾患で 身体障害の認定が下りた状態、付き添いが出来る体ではない。
土日に姉たちに連れられて面会するのがやっとだった。


父は、母を 一途に愛し、愛し、愛し抜いた。

「お母さんと 離れ離れで居るのなら、生きてても仕方ない」

「家に帰りたい。 お母さんのところに帰りたい。」

ベッドの上で 母のことを想い、心配し、ため息ついては 涙ぐんでいた。

いつも 散歩で父に歩調を合わせてくれた愛犬にも ずっと会いたがっていた。
「何かにくるんで 連れて来てくれないか」

こんな無茶な要望をした事もあったが、結局会えないままになってしまった。


ずっと あれが食べたい、これが食べたい、何が飲みたい と 言っていた。
だから 父の前では 飲食物の話題はもちろん、見せる事も禁止にしていた。


「床ずれが痛い・・・」 とすごく訴えていた。 何もしてくれてなかった。
最期には、足のかかとにまで 出来ていた。
1ヶ月半で あそこまで床ずれするものなのか???

足のむくみがひどくて、私がいくといつも足をマッサージして取っていた。

「きょんのマッサージは最高や。 気持ちいい、ありがとう。」

元気な時にしてあげてなかった自分を反省するばかり。

10月12日(日) 朝5時半頃 父 危篤の連絡が入った

この日はちょうど 私の出入りしている老人介護施設での 文化祭ボランティア2日目だった。
それどころではなくなり、相方と直ちに病院へ!

な ん で ???  危篤って・・・  な ん で ???

この想いが 頭の中をずっと ぐるぐるぐるぐる 巡っていた。


病室に入ると、主治医が 「脳死しました」 と 冷めた顔と声で言う。

心拍停止が5分~15分あったので・・・  という 曖昧な説明
があった。

信じられない私は、とにかく父の大好きだった足のマッサージを始めた。

すると、5分くらいしてから 父が呼吸を始めた!


誰もが驚いたが、主治医は目をまん丸にしていた。

「あれ? おかしいなぁ。 脳死したはずなのに・・・。 あれ~???」

「この方の生命力、すごいですねぇ。 ビックリしてます(汗)」

ビックリは、この主治医。
自分の診断にかなりの自信があったのか? すんごいショックを受けていた。
が、ショック受けてる場合か!  すぐにやる事あるだろうが!!!怒ってる


生命維持装置を外してもらった。

もうこの時点で 父の身体は 本当にボロボロになっていた。

スーパーじいちゃんの生命力に賭けて、
そして もう余計なものは外して 楽にしてあげたかった。 

最初の頃、管を外した父を 病院側は 「凶暴者扱い」した。

針も管も何もかも下手くそで痛かったと 後で父が話してくれた。

「この方の凶暴さには ほとほと困るんですよねぇ・・・」  主治医がよく私に愚痴っていた。

一度だけ、行かなくていいのに勘違いしてトイレにひとりで行った事があったようだ。 父は管(バルーン?)で尿を出していた

看護師に嫌な顔をされるし、夜勤中で申し訳ないからと 気遣ってひとりで行ったと 父は話してくれた。

これで、ボケ老人扱い・・・。

多量の睡眠薬での幻覚症状、口腔内の極度な乾燥で言語に負担。
これは、年寄りでなくても 起きる症状ではないか?

意識が戻らない父、それでも12日はまだ少し反応があった。

時々声も「あ・・・」と出ていた。

私はずっと痛がっていた足指の固くなったところを中心に ほぐし続けた。

奇跡を信じて!


それと もうひとつ・・・ 

ごめんな。 お父さん、ごめんな。 

思うことがあって、実家へはここ1年くらい ろくに帰っていなかった。

父がずっと私に足をほぐしてほしかったのを知りながら。

だから 父の足から どうしても離れることが出来なかった。


12日の夜は 姉が、13日の夜は 私が 泊まり込んだ。

これまで2F(二世帯住宅)に住む姉、一緒に居る兄が大変だったから
せめて自分に出来ることといえばこれくらいしかなかった。

なので 私はしばらく病院から仕事に行こうと段取りしていたところだった。

父とふたりきりになると、私は父の頬に顔をつけていろんな話をした。

返事がないのが寂しかったが、ずっと話しかけた。


心配ばかりかけてきたこと、反抗ばかりしてきたことなどを謝り、

大好きだったこと、この世に生んでくれたこと、育ててくれたことにお礼を言い、

時間の許される限り しがみついて甘えた。 抱きしめた。


2年半前に奇跡の生還をした時、手術直後にもうろうとした中で

父の大きな手は 私の頭を 撫でてくれた。

あったかいやさしい顔と手だった。 一生忘れられない。

10月14日(火)  午前1時30分(実際は1時20分)  父 永眠

父の最期を看取ったのは、この私だった。

両手の大汗を丁寧に拭いて、最後 足を触った瞬間に 

すべてが止まった---。    奇跡は起きなかった---。

  






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2008.10.24 13:23:53
コメント(24) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

×

プロフィール

エサンス

エサンス

バックナンバー

2026.09
2026.08
2026.07
2026.06
2026.05

© Rakuten Group, Inc.
X

Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: