高野悦子『二十歳の原点』

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19才の思い出@ Re[4]:高野悦子さんの命日(06/22) 団塊世代さんへ 早速のコメントありがと…
団塊世代@ Re[2]:高野悦子さんの命日(06/22) 19才の思い出さんへ メッセージ読みまし…
19才の思い出@ Re[1]:高野悦子さんの命日(06/22) 団塊世代ベンチ組さんへ はじめまして、…
団塊世代ベンチ組@ Re:高野悦子さんの命日(06/22) 「合掌」 53回目の命日も過ぎました。 …
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2005/06/10
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カテゴリ: カテゴリ未分類
想い出
小さい頃の私は味噌っ歯で泣き虫だった。居間の昔風な大きなラジオの陰で、すすり泣いていたのを覚えている。御飯は板の間で円い御膳を立てて食べた。秋のたきたてのさつまいもとふかふかのじゃがいもを、明るい陽の中で食べたことを思い出す。釜揚げうどんもお昼によくやった。お椀に味の素とお醤油をいれて、茹でたての釜のうどんをすくって食べる。おいしかったなあ。
 お風呂は楽しい遊び場だった。夕飯前におじいちゃんと一緒に入り、タオルを使って、湯舟の中で船をつくったりしたり、背中を流したりした。
 二階の北側の八畳間は兄弟三人の寝る所で、夕方西日がさし込む中で敷いた布団の上で、三人で大暴れした。そして廊下にはブリキのおかわがあった。よく私は、寝ているとき便所に行く夢を見て、寝床の中でやってしまった。その布団は、南の窓際に干されるのであった。
 そうそう、秋になると今の東小のあるところで作ったさつまいもを干して、乾燥いもを作ったっけ。鶏小屋の屋根の上に乗って渋柿を取り、それを縄でくくり二階の軒に吊るした。柿の木がたくさんあるので、干し柿作りは一家総出だった。渋柿ははちやにもした。
 いちご畑があり、籠を持っていってはとって食べた。ぐみの気もあった。りんごの木も、梨の木も(すっぱい梨だった)。昔はうちには山羊がいた。角があり、真白で、ごつごつした体をした山羊だった。
 冬になると大根を洗い、干した。大根を干す所は東の方の小屋の軒であった。その小屋はリアカーをしまっておく所だった。リアカーではよくらくだごっこをした。リアカーに二、三人乗り、引くところに一人が腰掛け、それを上げたり下げたり、らくだあ、らくだあとはやしながらやる。その小屋の横にある栗の木には、秋になると大きな薄黄緑の毛虫がたくさんいた。秋にはこわくて、そこいらは歩けなかったものだ。
      高野悦子著『二十歳の原点序章』(新潮社)より引用
2番目のブログで、死の直前線路の上で西那須野を思い出していたのではないかと記述しましたが、私が想像したのは上記の様な内容です。西那須野を訪れた時、梅雨の晴れ間に長閑な風景が広がり、穏やかな時間が流れていました。日記にはこれ以外に幼少の頃の記述はありません。





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Last updated  2005/06/10 10:11:23 AM
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