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高野悦子さんの命日がもうすぐやって来る。1年が経過するのは本当に早い。今年命日が来れば、高野悦子さんが亡くなってから45年もの歳月が経過したことになる。『二十歳の原点』を読めば、45年以上前の出来事が昨日のように感じられ、歳月の経過が信じられないほどだ。なお6月22日は日記が記された最後の日になる。改めて高野悦子さんのご冥福をお祈り致します。
2014/06/22
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一年が経過するのは早いもので、今年も高野悦子さんの命日がやってきた。ただ昨年だっただろうか、高野悦子さんの実家が取り壊されたという情報にかなり驚いた。悦子さんが亡くなった天神踏切が高架化された時以上の衝撃だった。しかし悦子さんが亡くなってから40年以上経過する為、仕方のないことなのかもしれない。人間の存在は時間とともに消えていく。改めて高野悦子さんのご冥福をお祈り致します。
2013/06/24
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高野悦子さんの命日が今年もまたやってきます。今日 6月17日と言えば、1969年 6月17日に悦子さんのお母さんが京都を訪ね、悦子さんに会った日です。『二十歳の原点』にはお母さんに会ったことは記述されていないが、お母さんが取材を受けた新聞や雑誌には二人が会ったことが記述されています。普段甘えない悦子さんがお母さんに甘え、亡くなった時に着ていたワンピースなどを買ってもらったそうです。『二十歳の原点』には悦子さんが体験・思考した一部しか書かれていないことを実感します。改めて高野悦子さんのご冥福をお祈り致します。 なお日本の自殺問題は相変わらず深刻です。本当に悲しい状況です。更に真偽は正確に分からないが、先日には自殺ができず、死刑になる為に他人を殺害するという嫌な事件もありました。日本にはまだまだ解決すべき問題が山積しているようです。団塊世代ベンチ組さん いつもコメントありがとうございます。 本当にお母さんには悦子さんの分まで元気で、長生きして欲しいものです。
2012/06/17
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高野悦子さんの命日がまたやってきます。今年の命日で高野悦子さんが亡くなって42年にもなりますが、時間の経過は本当に早いものです。昨年劇作家・演出家である つかこうへい さんが亡くなりました。つかこうへい さんのペンネームの由来が高野悦子さんにも大きな影響を与えた奥浩平さんだったそうです。奥浩平さんは高野悦子さんだけではなく、団塊の世代に大きな影響を与えたのかもしれません。改めて高野悦子さんのご冥福をお祈り致します。
2011/06/21
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高野悦子さんが亡くなって41年近い時間が過ぎました。実に高野悦子さんが生きた倍もの時間が過ぎたことになります。本当に時間の経過は早いものです。ネットで情報を探しいている方は多分ご存知だと思いますが、高野悦子さんが記した日記(コピー?)の画像を紹介させて頂きます。画像の上部には「私に嘲笑の別れのあいさつをおくる日」と記述され、「私旅に出かけよう」と続いています。「私に嘲笑の別れのあいさつをおくる日」とは、どういう意味なのでしょうか。死を意味するのでしょうか。http://www5.plala.or.jp/ginnga2000/newpage3.htm下部に設置された画像をクリックすることにより、画像を拡大出来ます。高野悦子さんのご冥福をお祈り致します。最後に自殺問題は相変わらず深刻です。本当に悲しい状況です。
2010/06/13
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1ヶ月ほど前書店で新装版の『二十歳の原点』『序章』『ノート』を改めて見た。新装版は横書きで出版され、縦書きに慣れた者には違和感があった。また新たに追加された写真を見て、高野悦子さんの存在を改めて実感した。中でも「お弁当を食べながら舌を出している写真」には、ごく普通の女子高生らしさを感じた。しかし他者が見ている外面的な「高野悦子」さんと日記の内面的な「高野悦子」さんではかなりギャップがあったのかもしれない。『二十歳の原点』に出合って以来、「なぜ」という疑問が消えない。高野悦子さんのご冥福をお祈り致します。警察庁によると今年の自殺者も3万人を越え、自殺者が12年連続で3万人を越えるそうだ。本当に悲しい日本の現状だ。先日NHKでイギリスの自殺防止対策が取上げられていた。イギリスでは自殺を国の損失と考え、自殺防止対策に取り組んでいるそうだ。日本とは格段に取り組む姿勢が違うと感じた。なお日本にも自殺防止対策基本法というものがある。日本もイギリスのように積極的に取り組む必要があるのではないか。何もしなければ、自殺者が4万人を超えることもあるかもしれない。
2009/12/25
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時間の経過は早いもので、高野悦子さんが亡くなって40年近い月日が経過した。「二十歳の原点」を読めば、40年も経過したとは思えない。昨年京都に行った際、天神踏切を訪れました。全く風景が変わっていた。最初に訪れた時は高架化される前だった。地上に線路があり、複線で電化されていた。高野悦子さんが亡くなった当時は、単線で電化される前だったそうだ。時間の経過と共に風景が変わる。天神踏切の様子http://homepage3.nifty.com/matsuei_k/age20/age204.htmシアンクレールの様子http://homepage3.nifty.com/matsuei_k/age20/age201.htm映画化された「二十歳の原点」が7月「日本映画専門チャンネル」で放送されるそうです。「吉田山」が耳に残っています。2009年7月25日(土)13:00 (変更の場合あり)2009年7月30日(木)14:00 (変更の場合あり)日本映画専門チャンネルのページhttp://www.nihon-eiga.com/prog/002313_000.html相変わらず自殺問題は深刻です。11年連続3万人以上が自殺で亡くなっています。本当に悲しい状況です。高野悦子さんのご冥福をお祈りします。
2009/06/06
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先日9年連続自殺者が3万人を超えたニュースがありました。日本では自殺の連鎖が止まらないのです。高校受験・大学受験の頃、自分自身の存在に疑問を持っていました。10代や青春時代に誰もが罹る病気かもしれません。数年後の大学受験に向けて、4月から予備校に通いました。予備校の帰り、本屋の古本コーナーで二十歳の原点・高野悦子さんと出会いました。偶然にもその日は高野悦子さんの命日でした。ギターを持つ女性と自殺とは最初結びつきませんでした。その日が命日であったことと自身が求めていた答えを求めるような思いで、当時100円か50円でハードカバーの二十歳の原点を購入しました。その後よく深夜勉強の合間に、二十歳の原点・序章・ノートを読んでいました。3冊の本に自身の存在の疑問を解決するヒントを求めていたのです。約2年後、アイドル歌手岡田有希子さんの自殺が起こりました。高野悦子さんの自殺にも衝撃を感じましたが、岡田有希子さんの自殺はそれ以上の衝撃でした。高野悦子さんの自殺は、本を通すことや時間の経過でリアリティが薄く感じられたのかもしれません。しかし岡田有希子さんの自殺は、テレビ・新聞・雑誌で取り上げられ、リアリティを感じずにはいられなかった。また岡田有希子さんと年齢が近かったことやテレビやラジオで岡田有希子さんの歌を聞いていたことも影響しているのかもしれません。そして岡田有希子さんが予期していなかった自殺の連鎖にも衝撃を受けました。自殺の連鎖が岡田有希子さんの自殺と自殺報道をタブーへと追いやった気がします。岡田有希子さんの自殺には、恋愛の悩みが背景にあったと言われているようです。自殺未遂は、恋愛の悩みが原因ではないかと思いますが、自殺の原因は自殺未遂の責任を感じたものではないかと個人的には思っています。自分自身の自殺未遂が所属事務所やスポンサーなどに影響を与えることを心配したのではないでしょうか。先日ある政治家の自殺を最期は侍だったと表現した政治家がいました。日本文化には、責任の取り方に対する独特の感覚があるようです。また自殺を含めた死生観にも独特の感覚があるようです。自殺問題を解決するには、その日本文化を変える必要があるのではないか。岡田有希子さんが自殺した当時より、自殺問題は深刻なのです。もうタブーにすることができない状況です。自殺は、個人だけの問題ではなく、日本文化や社会にも問題があるのです。このブログは、2年以上前に始めましたが、その後文藝春秋・読売新聞・朝日新聞で二十歳の原点・高野悦子さんが取り上げられました。その中でお母さんの悲しみは時間が経過しても癒されないことを教えられました。またこの文書を書く前に、ネットで岡田有希子さんについて調べました。岡田有希子さんが亡くなって20年以上経過しますが、今も多くのファンの方に愛されていることを知りました。また岡田有希子さんのお母さんが書かれた手記を読むことができました。お母さんの娘佳代さん(岡田有希子さんの本名)に対する思いが書かれ、胸が詰まり、言葉もありませんでした。お母さんにとっては、私が知る岡田有希子さんでなく、素顔の佳代さんだったことを感じました。自殺された方の家族の思いも同様なのではないでしょうか。そして高野悦子さん、岡田有希子さん、自殺された方の悲しみや痛みを考えるとただただ胸が痛むだけです。命の大切さをもっと社会としと考えべきではないか。この記事では高野悦子さん、岡田有希子さんの20代・10代の自殺を取り上げました。しかし自殺統計を調べ、年齢を重ねるほど自殺者が増加していることを知りました。60代以上の自殺は深刻です。今後の超高齢化社会と年金・介護問題を考えると事態は更に深刻になるのかもしれません。早急な対策が必要です。高野悦子さん・岡田有希子さんのご冥福をお祈りします。追記この文書を記載するに当たり、岡田有希子さんについて調べ、岡田有希子さんのプロフィールなどを知りました。高野悦子さんと岡田有希子さんに共通する点をいくつか感じました。学業優秀・真面目さ・誠実さ・完全主義者・意思の強さ・詩など感性の豊かさ・ガラスのような繊細さ・内向性・孤独・恋愛(男性)への憧れ・日記の記述などです。また親元を離れての生活・自殺前の引越し(家族的な下宿から1人暮らし)・恋愛の悩み(失恋)・絶てぬ思い(恋愛下手)・思いを寄せる男性にステディな恋人の存在も共通しているようです。また一番気になったのが、将来の自殺を予見させるような中2の自殺の記述(高野悦子さん)・出来事(岡田有希子さん)です。更に高野悦子さん・岡田有希子さんともに次女で家族構成も似ています。若い女性の自殺問題解決のヒントになるかもしれないと考え記述しました。ただし単なる偶然かもしれません。なお性格の分析は個人的主観であり、また調査不十分もあり、間違っている場合もあります。その場合はお許しください。何かありましたら、コメントをいただければ幸いです。またしばらくブログを休止します。訪問ありがとうございました。では、
2007/06/13
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このブログは現在休止しております。このブログの構成は高野悦子さんの『二十歳の原点』『序章』『ノート』を時系列に紹介しております。最初の2つの記事は自殺原因の私的考察です。その後はほぼ日記の記述順となっております。詳しく理解したい方はアーカイブスから入り、最初からお読み下さい。尚、より詳細に理解したい方は、図書館の利用、書店で購入下さい。
2005/10/04
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こざきさん、団塊世代ベンチ組さんへこざきさん連絡ありがとうございました。お手数お掛け致しまして、申し訳ありません。団塊世代ベンチ組さんご心配お掛けしまして申し訳ありません。現在時折ブログをチェックしている状態です。何かありましたら、コメントにてご連絡下さい。今後は頻繁にチェック致します。では、失礼致します。
2005/09/26
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ありがとうございました。高野悦子さんは1963年1月2日に14歳になり、その日から日記の記述を始めています。しかし1月28日の日記には、「今、自殺してもかまわないと思っている。残念とは思わない。」と記しています。なぜそう考えるようになったのでしょうか。そして予期していたかのように、数年後自殺してしまう。悦子さんが残した本質とは、日記に「生は与えられるものである」と記述されています。これは生(存在)を受動的なものと考えていたことを表しているのではないか。また日記には「主体的、自己実現、創造する、高野悦子自身になりたい」と記述されています。これは受動的な生(存在)から能動的な生(存在)への転換を意味しているのではないか。その転換の中で、悦子さんは「なぜ存在する。あるいはなぜ生きなければならない」という生(存在)に対する真理、命題、疑問への答えを求めていたのではないでしょうか。そしてその真理、命題、疑問は、時代を超えるものです。そしてこのことが『二十歳の原点』『序章』『ノート』を残したい理由です。お父さんは出版に際し、他山の石あるいは足跡を永遠に残したいと記述していました。『二十歳の原点』『序章』『ノート』に影響を受けたものとして、石ころのひとつにでもなれればと考えて、ブログを始めました。このブログの内容は4つのサイトで公表しています。ファン、読者に登録して頂いた方、コメントをお寄せ頂いた方、トラックバックして頂いた方、そしてこのブログを読んで頂いた方に感謝致します。また今後高野悦子さんあるいは『二十歳の原点』『序章』『ノート』のサイトが現れることを楽しみにしております。ではミラーサイト対策をした後、しばらく休止致します。
2005/07/27
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生への未練がまだあるのです。6月22日また朝がやってきた。十九日以来の、このどうしようもない感情、うさ晴らしに酔うだけ酔って、すべてを嘔吐し忘れた方がよかったのかもしれない。・・・ このノートに書いているということ自体、生への未練がまだあるのです。ところが、では生きていくことにして何を期待しているのかといえば、何もないらしいということだけいえる。 私が死ぬとしたら、ほんの一寸した偶然によって全くこのままの状態(ノートもアジビラも)で死ぬか、ノート類および権力に利用されるおそれのある一切のものを焼きすて、遺書は残さずに死んでいくかのどちらかであろう。 買ってきた睡眠薬は不眠症には二錠が適量だという。それでは「不信症」には何錠がよいのだろうか。長期的治療には毎日三錠一ヶ月服用のこと、短期的治療には一時に三十錠、そうすればあなたの「不信症」は治ります。副作用のない安全な睡眠薬、赤ちゃんでも老人でも安心して飲める新しいタイプの睡眠薬、あなたも飲んでみませんか。九錠で一四〇円、二十錠入ったお徳用もございます。・・・今や何ものも信じない。己れ自身もだ。この気持は、何ということはない。空っぽの満足の空間とでも、何とでも名付けてよい、そのものなのだ。ものかどうかもわからぬ。・・・旅に出よう旅に出ようテントとシュラフの入ったザックをしょいポケットには一箱の煙草と笛をもち旅に出よう出発の日は雨がよい霧のようにやわらかい春の雨の日がよい萌え出でた若芽がしっとりとぬれながらそして富士の山にあるという原始林の中にゆこうゆっくりとあせることなく大きな杉の古木にきたら一層暗いその根本に腰をおろして休もうそして独占の機械工場で作られた一箱の煙草を取り出して暗い古樹の下で一本の煙草を喫おう近代社会の臭いのする その煙を古木よ おまえは何と感じるか原始林の中にあるという湖をさがそうそしてその岸辺にたたずんで一本の煙草を喫おう煙をすべて吐き出してザックのかたわらで静かに休もう原始林を暗やみが包みこむ頃になったら湖に小舟をうかべよう衣類を脱ぎすてすべらかな肌をやみにつつみ左手に笛をもって湖の水面を暗やみの中に漂いながら笛をふこう小舟の幽かなるうつろいのさざめきの中中天より涼風を肌に流させながら静かに眠ろうそしてただ笛を深い湖底に沈ませよう 高野悦子著『二十歳の原点』(新潮社)より引用お父さんの「失格者の弁」によると、23日はバイトに出かけたそうです。そして帰宅後、24日午前2時頃「チョット外出します」と声をかけて出たそうです。悦子さんは線路の上で、何を感じ、考えていたのでしょうか。悦子さんは暗闇と静寂の中に消えた。
2005/07/26
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詩よ どうか私をなんとかしてくれ!?6月21日何だか惰性でこのノートにむかうようで書くのがいやだが、まあ一応書いておくことにする。・・・その何とかというやつにテレしたが、明日屋上に本をとりにくるということです。私は「本を渡したい」という、ただひとこと、それがいいたいことのすべてであった。相手に話をするひまも与えず切った。その何とかというやつへの伝言文に「これは私が信条としたいと思っているアナーキズムについて書いてある本です」と書いたが、この文自体にうそいつわりはない。アナーキズムに人間本来のあるべき姿があると思うのだが、しかし、一切の人間を信じない独りの人間が一体闘争などやれるのだろうか。やれる筈がない。だだっ広い空間にポツンと独りでいる姿を思いうかべている。とにかく今は空っぽなのである。詩よ どうか私をなんとかしてくれ!? アハハとにかく私は いつも笑っている悲しいときでも笑っている恥ずかしいから ごまかして笑うのか怒るのが てれくさいから笑うのかいつでも私は おかしくて笑っている本当に何でもおかしい・・・明日もふたたびぼんやりと一日をすごすことでしょう。 高野悦子著『二十歳の原点』(新潮社)より引用己を律することができなくなってきたのかもしれません。
2005/07/25
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私は独りである6月20日このノートを書くことの意味―これまでは、このノートこそ唯一の私であると思っていたから、誰かにこれをみせ、すべてをみてもらって安楽を得ようかと、何度か思った。しかし、今日ぼんやりしていたとき、このノートを燃やそうという考えが浮んだ。すべてを忘却の彼方へ追いやろうとした。以前には、燃やしてしまったら私の存在が一切なくなってしまうようで恐ろしくて、こんな考えかたはおもいつかなかった。現在を生きているものにとって、過去は現在に関わっているという点で、はじめて意味をもつものである。燃やしたところで私が無くなるのではない。記述という過去がなくなるだけだ。燃やしてしまってなくなるような言葉はあっても何の意味もなさない。このノートが私であるということは一面真実である。このノートがもつ真実は、真白な横線の上に私のなげかけたことばが集約的に私を語っているからである。それは真の自己に近いものとなっているにちがいない。言葉は書いた瞬間に過去のものとなっている。それがそれとして意味をもつのは、現在に連なっているからであるが、「現在の私」は絶えず変化しつつ現在の中、未来の中にあるのだ。私は人間どもをだましながら 己れを生きさせているのだだまされているバカなヤツラヨバカも愛をしているものに対してはお互いに だましあいつつ生きてゆくのだ「独りである」とあらためて書くまでもなく、私は独りである。 高野悦子著『二十歳の原点』(新潮社)より引用ノート(日記)だけが、友だったのかもしれない。
2005/07/23
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一切の人間はもういらない6月19日一切の人間はもういらない人間関係はいらないこの言葉は 私のものだすべてのやつを忘却せよどんな人間にも 私の深部に立入らせてはならないうすく表面だけの 付きあいをせよ一本の煙草と このコーヒーの熱い湯気だけが今の唯一の私の友人間を信じてはならぬ己れ自身を唯一の信じるものとせよ人間に対しては 沈黙あるのみ・・・サビシイデスネ―二・三〇・深夜。みごとに失恋―?・・・暗やみの中で 静かに立っている私今日はじめて夜の暗さをいとしく感じる暗い夜は 私のただひとりの友になりましたあたたかく私を つつんでくれます夜は己れのエゴを熾烈に燃やすこと!己れのエゴの岩獎を人間どもにたたきつけ彼らを焼き殺せ!彼らに嘲笑の沈黙を与えよ!ちっぽけな つまらぬ人間が たった独りでいる。 高野悦子著『二十歳の原点』(新潮社)より引用悦子さんは中村さんへの想いを最後まで絶つことができなかったようです。亡くなる直前、深夜に外出したのは、心の静けさを求めたからかもしれません。
2005/07/22
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人は何故生きていくのか考えてみました。6月18日人は何故生きていくのか考えてみました。弱くて醜い人間が、どうして生きているのかって思いました。私はこの頃しみじみと人間は永遠に独りであり、弱い―そう、未熟という言葉があります―その未熟なのに、いやらしいエゴを背負って生きていくのかって思いました。私もどうし生きているのかと思いました。つまらない醜い独りの弱い人間が、おたがいに何かを創造しようと生きているのだと、今思いました。いろいろな醜さがあるけれども、とにかくみんなで何かを生み出そうとしているのです。何かを創造しようと人間は生きているのです。・・・何かわからなくなってきました彼に対して一体何をのぞんでいたのでしょうか彼なんてどうでもいいのでしょうか男なんてどうでもいいのでしょうか永遠にこの時間が続けばよい人々の中に入れば また自分の卑小さと醜さと寂しさを感じるのだから雲にのりたい雲にのって遠くのしらない街にゆきたい名も知らぬどこかの遠くの小さな街に。雲にのろう雲にのって ゆれ動く青空をながめようそこには小鳥のさえずりも深緑の木々のさざめきもないけれどはてしない空虚な広がりがある。雲にのろう雲にのって ゆれ動く青空を ながめよう。メモ(一九六九・六・一八)さようならまずこの言葉をあなたに言います。(私がこの言葉をいうのに大きな勇気を必要とするのに対し、あなたがこの言葉をきいて何の驚きも感じないこと、それどころか重荷を下ろした気持を抱くことを、私とあなたとの関係がそれだけの事であるというくらいは、私はわかっているつもりです) 高野悦子著『二十歳の原点』(新潮社)より引用悦子さんは、全てのことから逃避したかったのかもしれない。
2005/07/21
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ああ、人は何故こんなにしてまで、生きているのだろうか。6月17日中村の目の前で働きながら私は何もできなかった。中村にとり私がやっかいものの存在であるのは、私が中村に重苦しいものを求めているからであろう。今度会ったときは、楽しいおしゃべりで時をすごす方がよいかもしれぬ。友達のように、からかったり、だじゃれをいってみたり・・・・・。ふと思ったのだが、交通事故で怪我をしたら、新聞の紙面に一段ぐらいででるだろうか。それによって中村は私の怪我を知り、病院にくるだろうか。こないにちがいない。とにかく独りの人間の存在が、ちっぽけなものであるということを言いたかったのだ。ちっぽけなものに大きさを与えようと必死にもがいているわけなのだが。ああ、人は何故こんなにしてまで、生きているのだろうか。そのちっぽけさに触れることを恐れながら、それを遠まきにして楽しさを装って生きている。ちっぽけさに気付かず、弱さに気付かず、人生は楽しいものだといっている。 高野悦子著『二十歳の原点』(新潮社)より引用「ああ、人は何故こんなにしてまで、生きているのだろうか。」は、悦子さん自身、我々に対する問いかけではないだろうか。その答えは?
2005/07/20
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生きるということは妥協の連続なのか。6月9日生きるということは妥協の連続なのか。大事なことはどこに妥協の接点を見つけるかということである。・・・未熟である己れを他者の前に出すことをおそれてはならない。マルクシズムのマの字をしらないからといいて、帝国主義の経済構造を知らないからといって、現在の支配階級に対する闘いができないという理屈にはならない。私の闘争は人間であること、人間をとりもどすというたたかいである。自由をかちとるという闘争なのである。人間を機械の部品にしている資本の理論に私はたたかいをいどむ。その一方で私は私のブルジョア性を否定していかなければならない。その長い過程で真の己れを発展させていく。それは苦しいたたかいであるが、それをやめれば私は機械になる。己れが己れ自身となるために、そして未熟であるが故に、私はその全存在をさらけ出さなければならない。 高野悦子著『二十歳の原点』(新潮社)より引用闘争は自己創造でもあった。
2005/07/19
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Swimming in the cloud6月5日私は我(が)の強くない人間である。私は他者を通じてしか自己を知ることができない。自己がなければ他者は存在しないのに、他者との関係の中にのみ自己を見出している。他者との関係において自己を支えているものは何なのか。私はよく「どうでもいい」という言葉を使う。ときとしてぼんやりと空でもみているとき、あるいは激しい行動のさ中、現実放れした真空の中にいるように感じるときがある。“Swimming in the cloud”そんな気持である。他者の存在が矛盾なく自己と同居している。そうした真空から脱したとき始めて、その矛盾に気がつくのである。結論―私の自我はあまりにも弱い。 高野悦子著『二十歳の原点』(新潮社)より引用悦子さんの中には主体性の追及と自我の弱さが同居していたのかもしれない。
2005/07/18
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結局独りであるという最後の帰着点6月3日一抹の期待も抱いてはならないのだ。きっぱり訣別しよう。中村の好きなシャンソンの一曲「アデュー」を暗い夜空に向かってうたった。私はあの若人のもつ明るい笑い声をとうとう失ってしまった。そして、再び「結局独りであるという最後の帰着点」に私はいる。 高野悦子著『二十歳の原点』(新潮社)より引用悦子さんの孤独は深い。どこからきたのだろうか。
2005/07/16
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生きることは苦しい。6月1日姉の家を一銭も持たずにとび出し、東京のどまん中を二時間半も歩いた。お金がないということ、それは決定的だ。テレする十円さえもなくて、落ちていないかと路面ばかり見て歩いた。まさに乞食だ、ルンペンだ。生きることは苦しい。ほんの一瞬でも立ちどまり、自ら思考の怠惰の中へおしやれば、たちまちあらゆる混沌がどっと押しよせてくる。思考を停止させぬこと。つねに自己の矛盾を論理化しながら進まねばならない。私のあらゆる感覚、感性、情念が一瞬の停止休息をのぞめば、それは退歩になる。怒りと憎しみをぶつけて抗議の自殺をしようということほど没主体的な思いあがりはない。自殺は敗北であるという一片の言葉で語られるだけのものになる。 高野悦子著『二十歳の原点』(新潮社)より引用悦子さんにとって生きることは本当に苦しかったのかもしれない。しかし
2005/07/15
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私の存在の軸は何なのか。5月28日なんとなく学生となった自己を直視するとき資本主義社会、帝国主義社会における主体としての自己を直視せざるをえない。それを否定する中にしか主体としての自己の存在はない。外界を否定するのではない.自己をバラバラに打ちこわすことだ。なんとなく学生となった自己を粉砕し、現在の大学を解体する闘いが生まれる。5月30日はっきりしていることは、己れが存在し、矛盾と混沌に満ちておることだ。それは、己れがまた現代に生きる人間、もの、動物、すべてが商品となって非人間化、物化、機械化され、資本という怪物により支配されているという矛盾であり混沌である。考えることも感じることも、行動することも、支配されている現代の人間。いかにして現代社会から人間をとり戻すのか。いかにして己れの人間としての存在を、自らのものとして発展させるのか。方向は支配者との闘い、独占との闘いの方向にしかないことはあきらかなのだが。私の存在の軸は何なのか。今日、東京に行ってくる。姉と話しあい、家族との訣別をつけるために。 高野悦子著『二十歳の原点』(新潮社)より引用お母さんの手記によると、悦子さんが亡くなる約1週間前に、お母さんと悦子さんは京都で逢っています。本当に良かった。
2005/07/14
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人間は結局死ぬんじゃないか。5月24日私はあなたの信念が、他人の誰からもゆるがせられぬものであることを知っている。そして、あなたは現在の仕事に生きがいをもってやっている。しかし、あなたは、その固い信念でもってよく考えてほしい。その仕事がいかに人間としてのあなたにとって矛盾に満ちたものであるかを。そして、その矛盾を止揚して闘ってほしい。会社側と国家権力、その壁にむかうとき人間は始めて真の人間となる。機械でない己れの手と足で創造活動を行う人間となる。人間が己れの手と足で立とうと決意したとき、今まで己れの存在を形づくってきたものが、いかに弱い基盤の上に立っていたかを知る。彼はおのれの足を作りながら歩かねばならないのだ。それは、まさに血みどろの闘いである。しかし、そのとき始めて彼は己れの足を、手を、己れ自身をもつことができるのだ。5月26日きのうは一日中ぶらぶら。「ろくよう」「ダウンビート」その他で過ごした。きのうのいかにも深刻ぶった顔を考えると吹きだしたくなる。自己完成のために―といったって、人間は結局死ぬんじゃないか。土になって終いにくち果てるのである。とかなんとかいいながら、めい想にふけったりしちゃって、漫画そのものでした。・・・中村がきて、歩いて下宿まで帰る。中村はいった。「戦争になったらどうするか」と。それに対する私の答えは今考えるときわめてあいまいな答えだったようだ。戦争反対、絶対反対ということは明白だったのに。それから、中村は「かっこ(悦子さん)は自分を見失っているのではないか」といった。それはひどい言葉であると思う。全く中村風の、人は人、己れは己れ、のつき放した言葉だ。三、四月の頃は、本当に自分自身がわからなかった。しかし、四月下旬から学園闘争を政治闘争を始める中で、前よりは次第にわかるようになってきたと思う。今,私は強大な国家権力の前で、いかにしたらそれをぶっつぶすことができるのかと、もがいている状態だ。己れの闘争をどの位置に見出すべきかと(セクトのことをいっているのではない)そういう点、まだ己れ自身を発見していない。 高野悦子著『二十歳の原点』(新潮社)より引用想いと考えの違いがあったようだ。
2005/07/13
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自殺は卑きょうな者のすることだ。5月13日自己創造を完成するまで私は死にません。・・・“学生であること”は、私にとり風のない空間に漂うちりのような存在でしかない。“不確実なもの”である。その“学生であること”に固執する自分の不安定さ、不確実さ。どこかに勤めようかと思ったりする。メイン・ダイニングにでもと思ったのだが、仕事(水さし、片付け、デザートを運ぶ等々)が全然おもしろくない。責任ある仕事をやってみたいのに、どうでもよいような補助的な仕事のみ。社会から全く疎外されている私、しかし私は今この時間、この空間に存在している。自殺は卑きょうな者のすることだ。 高野悦子著『二十歳の原点』(新潮社)より引用少し前のブログ『自己とは?自己とは?自己とは?』で、「私は外部のものに対しては決して負けはしないだろう。しかし、自己を支えているもが動揺し、内部のもの自体に不確実さを、非現実を感じると、どうにもならなくなる。」と記述されていましたが、関連があるのかもしれません。
2005/07/12
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一年先には死んでいるかもしれぬ私なのに5月12日ラジオをかければ恋のうたが新聞映画をみれば恋のうたが町を歩けば男女が手をつないで歩いているが“寂しかったから口づけしたの”じゅんちゃんはうたう愛との訣別を決意したのかしら 私は今日 恒心館屋上で I want to meet him ―といったのに 風もない空間にある塵のような私の存在こんなにしていると ますます彼と一緒にいたくなる私名も知れぬ彼と男はどこにでも ころがっているのに何故彼だけに愛の幻想をみようとするのか一年先には死んでいるかもしれぬ私なのに何故彼を欲しようとむなしい試みをしているのか 高野悦子著『二十歳の原点』(新潮社)より引用前々回のブログの「ぼんやりと何もない空間の私の世界。」、今回の「風もない空間にある塵のような私の存在」、そしてブログの題名にした6月22日の日記に記された「空っぽの満足の空間」という空間とは、どんな空間だったのだろうか。
2005/07/11
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someone5月7日どうしたって他者が気になる。「他者を通じてのみ自己を知る」か。どこかに、この広い宇宙のどこかに私をみつめているsomeoneがいるに違いない。会って話してみたいものだ。自分に対しての演技はできるが他者に対してはからっきしだめだ。5月8日あのね。今日ネ、バイトが終わったあとで屋上にいってね、星空を眺めながら煙草の煙を夜空にプウーッと吐き出しちゃった。それからネ 口から出まかせにいろいろとジャズッて足をカタカタバッタとならしてネ。楽しかったよ。そのとき思ったんだ。どこかにsomeoneがいつでもいるってね。 高野悦子著『二十歳の原点』(新潮社)より引用死の直前まで、思いを絶つことができなかった中村さんへの訣別を決心した後に記された。『おっとせい』の中で「何か私の全てを知っている存在、たとえばそれを神というなら神といってもよい。その存在があると思っているのか。」と記していましたが、通じるものがあるのかもしれない。
2005/07/09
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どうしてみんな生きているのか不思議です。4月29日よく人は、私が変わっているといいます。しかし私は、自分こそ正常な人間であると思っています。不正を憎み、なにより正義を愛しているやさしい人間であります。今の社会が偏見と不正で充ちていて不正常なのです。どうしてみんな生きているのか不思議です。そんなにみんなは強いのでしょうか。私が弱いだけなのでしょうか。でも自殺することは結局負けなのです。死ねば何もなくなるのです。死んだあとで、煙草を一服喫ってみたいといったところで、それは不可能なことなのです。・・・西那須野の家では連休を伊豆で過ごすという。私も誘われたが今ではあまりにも遠い世界となってしまった高野家のホーム。文闘委の部屋のペットちゃんニャロメ(猫)とペソ(犬)おまえもうねむっているかい。 高野悦子著『二十歳の原点』(新潮社)より引用前回のブログの補足。生きることが苦痛だったのかもしれない。
2005/07/08
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自己とは?自己とは?自己とは?4月24日暗闇でもなく、明るい光線にみちあふれているのでもなく、ぼんやりと何もない空間の私の世界。国家権力、そんなものは存在しているかさえ定かでない。私自身の存在が本当に確かなものなのかも疑わしくなる。他者を通じてしか自己を知ることができぬ。他者の中でしか存在できぬ、他者との関係においてしか自己は存在せぬ。自己とは?自己とは?自己とは?・・・・・・甘えてはいけない。他者を通してのみ自己を知ることができるが、自己の存在は自分で負わなくてはならない。生きていくのは自分である。他者の実存を実存として認めよう。すべては夢であり、幻想である。現実などありゃしない。誰かが私を、気がおかしいのじゃないかといったが、これからますます気がおかしくなっていくように思う。狂人になり、精神病院で暮らせるようになれば幸い。そしたら私は全く自由になるだろう。・・・なぜ私は自殺をしないのだろうか。権力と闘ったところで、しょせん空しい抵抗にすぎないのではないか。なぜ生きていくのだろうか。生に対してどんな未練があるというのか。死ねないのだ。生きることに何の価値があるというのだ。醜い、罪な恥ずべき動物たちが互いにうごめいているこの世界!何の未練があるというのだ。愛?愛なんて信じられぬ。男と女の肉体的結合の欲望をいかにもとりつくろった言葉にすぎぬ。しかし、私はやはり自殺をしないのだ。わからぬ。死ねぬのかもしれぬ。・・・私は外部のものに対しては決して負けはしないだろう。しかし、自己を支えているもが動揺し、内部のもの自体に不確実さを、非現実を感じると、どうにもならなくなる。 高野悦子著『二十歳の原点』(新潮社)より引用悦子さんを支えていたものが動揺し、死を選んだのだろうか。
2005/07/07
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おっとせい4月23日 闘ったところで何になる。微弱な風にとぶほこりに過ぎぬのではないか。いやあ ぼかあ こんなことで負けませんぞ。ぼかあ 闘ってますぞ(泣きそうな顔してんじゃないの てめえは)一体こんなことを書くことに何の意味があるのか。といいながらペンを走らせている。死にたい。しかし死ねない。未練があるのか、醜い恥ずかしい罪な世界に。何か私の全てを知っている存在、たとえばそれを神というなら神といってもよい。その存在があると思っているのか。・・・おいらおっとせいの嫌いなおっとせいだが、やっぱりおっとせいはおっとせいでただ「むこう向きになっている おっとせい」・・・ 一体これからどうしようというのだ。やはり、すべては信じられぬのであろうか。もちろん私を含めて、というより私を筆頭としてである。 高野悦子著『二十歳の原点』(新潮社)より引用おっとせいは悦子さんの対人感を表しているのだろうか。以前中学・高校時代に2回教会に行っていると紹介しましたが、神のような絶対性を求めていたのかもしれない
2005/07/06
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生の実感4月22日二十日 朝ふとんの中でぼやっとする。自分の手で首をしめてみる。手をのどに当ててしばらくすると、ヒイヒイと息をする音がきこえ、もう一寸すると顔が充血する。思わず手をはなす。湯沸器のコードを首にまいて引っぱる。こんなことをして遊んでいる。・・・国家権力と直接ぶつかっているとき、一番強く生の実感を感じるにちがいない。 高野悦子著『二十歳の原点』(新潮社)より引用全共闘運動に生を見出し、行動した。しかし運動の停滞が以前記述した自傷行為と同じように首を絞めさせたのかもしれない。
2005/07/05
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ストライキ4月18日彼女(牧野)からテレ。ちょうど人間はしんじられぬと思っていたところだ。人間、偽善家―彼女にあっても何もはなすこともないし、話し合う気も起こらなかった。「独りである」とそう思いこんでいるだけなんだよ、と誰かがいった。しかし、昨日四条大宮からホテルまで牧野と歩きながら必死になって話したとき、彼女は困惑、軽蔑、恐れ、敵意の表情をみせたではないか。私が全力でうちこんでいる行動に対して、彼女でさえも、そうであったのだ。私が力んで話せば話すほど、彼女と私との距離は離れていくばかりだった。All or NothingのつまらぬさびしがりやのFahterコンプレックスの人間なのだ私は。 私は誰かのために生きているわけではない。私自身のためにである。ホテルのソファに坐りながら、自殺しよと思った。車のヘッドライトに向かって飛びこめば、それでおわりである。家の父や母は悲しむかな、テレしようかなとか、今日はペンと手帳を持っていないから遺書は書けないなあとか、本気になって考えた。けれども、死ぬっていうことは結局負けだよなあと思った。こう言葉で書くと平板になってしまうが、もっと新たな泥沼(血とくそ)の中に入っていこうということなのだ。 高野悦子著『二十歳の原点』(新潮社)より引用アルバイト先のスト(日記の流れからストと考えられるが、全共闘運動かもしれない。あるいは両方)に関して、牧野さんと意見が違ったようである。これ以降ワンゲルと同様に牧野さんの記述はあまりない。牧野さんと距離が出来たのかもしれない。あるいは転居、全共闘運動、アルバイトの為かもしれない。またアルバイト先の鈴木さんへの憧れ、恋心もストを境に失望へと変わったようだ。
2005/07/04
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I don’t know myself.4月15日酔っているうち常に私は他者を他者として認めようとした。自己を自己として認めるといっても、肉体的には確かに存在しているが一体何なのかよくわからない。私は地道に追及していかなくてはならないと思っている。 後ろをふりかえるな。そこの暗闇には汚物が臭気をはなっているだけだ。「ろくよう」に独りで呑みだしてから私はよく笑った。そして泣いた。泣き笑いのふしぎな感情ですごした。 あのウェイターのおじさんにDo you know yourself?と、いったらYes,perhaps,I know myself.-といった。私はI don’t know myself.と、いって笑った。・・・お前自身は一体何なのだ 高野悦子著『二十歳の原点』(新潮社)より引用前々回のブログと同じように、人間は不合理な存在なのかもしれない。自分自身を理解することも難しいのかもしれない。
2005/07/02
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己れという固体の完成4月9日空っぽだなあ。人からみると変わった生活をしていて彼らをせせら笑っているのに、せせら笑っている自分と自分との距離があることを感じる。その自分は何もない空っぽの自分である。独り、独りだと思っているのは錯覚なんだろうか。そのことで自分を防衛する殻に閉じこもっているのかもしれない。・・・ 青春を失うと人間は死ぬ。だらだらと惰性で生きていることはない。三十歳になったら自殺を考えてみよう。だが、あと十年生きたとて何になるのか。今の、何の激しさも、情熱も持っていない状態で生きたとてそれが何なのか。とにかく動くことが必要なのだろうが、けれどもどのように動けばいのか。独りであることが逃れることのできない宿命ならば、己れという固体の完成にむかって、ただ歩まなければならぬ。「己れという固体の完成」とは何と抽象的な言葉であることか。悦子よ。おまえには詩も、小説も、自然も山もあるではないか。 高野悦子著『二十歳の原点』(新潮社)より引用悦子さんは受動的な生(存在)から能動的な生(存在)に転換しようとしていた。
2005/07/01
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混沌3月16日 人間って一体何なのか。生きるってどういうことなのか。生きること生活すること、私はどのように生きていくのか、あるいは死ぬのか。今、私は毎日毎日広小路で講義を受けるがごとくアルバイトに通い働いているのだが。・・・ このノートも終わりである。いつまで続くか私はまだまだ果てしなく続いていく。私の生活が混沌としたものである以上、整理する必要はない。それどころか、私には混沌さが、まだ足りないのではないか。(別の日の日記) ランボーはいった。「私の中に一人の他人がいる」と。私としては私の中に他人がいるというよりも私というものが統一体ではなく、いろいろ分裂した私が無数に存在しているように思う。これが私だと思っている私は私でないかもしれない。人間はとかく都合のいいように合理化して解釈する。とにかく真の自分だなんて相手はこうなんだなんて思こんでいるものは、合理化によって作られた虚像にすぎないのかもしれない。 高野悦子著『二十歳の原点』(新潮社)より引用人間は合理的な存在ではない。
2005/06/30
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「生きている」実感がない3月8日ニ、三日前、太宰を二、三頁読んだ後で、ポットのコードを首に巻いて左右に引張ったりしましたが、別に死のうと思ったわけではなく、ノドを圧迫したときの感触を楽しんだだけでした、しめあげられたノドは息をするにもゼイゼイと音をたてまして、妙に動物的に感じました。 私はアフリカ的なジャズとか土人の叫び声が好きです。ミリアムマケバとかゴリラ、そしてコヨーテなどが好きです。彼らには強烈な「生」がある。私は生きているらしいのです。刃物で肉をえぐれば血がでるらしいのです。「生きている 生きている 生きているよ バリケードという腹の中で」という詩がありましたが、悲しいかな私には、その「生きている」実感がない。そしてまた「死」の実感もない。もっとも「死」が実感となれば生も死も存在しなくなるのですが。 アルバイトをしてウェイトレスに投げかけられた優雅な微笑に、恥ずかしげに嬉しげに微笑んで、生きる勇気が得られたと思っているチポッケな私であるのです。・・・誰もいない誰もいない 長い長い孤独の夜よ寒い心に ひざかけ巻いて宛名のない 手紙を書くの目かくし鬼さん 手のなる方へうつろな目の色 とかしたミルク小さい秋 小さい秋 見つけて黙して笑う時悲しさが全てを支配している時深淵の暗さが 孤独の味気なさが光なき世界の道標全ての虚偽を微笑んで拒絶しよう耐えて孤独者の長い道を光りを絶って歩みゆかん 高野悦子著『二十歳の原点』(新潮社)より引用3月の初めからプチブル性を否定するためアルバイトを始める。前半は前回の補足するものです。最後の詩は暗示なのかもしれない。
2005/06/29
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「生きよう」とする衝動2月24日 私には「生きよう」とする衝動、意識化された心の高まりというものがない。これは二十歳となった今でもズット持っている感情である。生命の充実感というものを、未だかつてもったことがない。 私の体内には血液が流れている。指を切ればドクドクと血が流れだす。本当にそれは私の血なのだろうか。 高野悦子著『二十歳の原点』(新潮社)より引用悦子さんが日記に残した本質ではないだろうか。
2005/06/28
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シュプレヒコール2月20日 八時頃、機動隊が西門から入ってきた。一メートルほどの距離にジュラの盾をもった機動隊に対して、私はスクラムを組んで「カエレ」のシュプレヒコールを叫んだ。声を限りに私は帰れのシュプレヒコールをあげた。しかし次第に私達はおされて後退した。後ろでノホホンと叫んでいるわけにはいかない。私は先頭に出て力一杯帰れ!と叫んだのだ。私を取巻く常識や風潮や政府の欺瞞性を「帰れ!」の一語にこめて叫んだ。しかし次第に押し込められてしまう。私は口惜しかった。涙がポロポロでた。しゃくだった。機動隊の腕のあたりをポカンとやったら、たちまち足げりがきて腰のあたりをやられてしまった。結局、私達は学外に追い出され柵を境に、学内には制服と特性ヘル、盾の機動隊が、学外にはヘルもゲバ棒も持たぬ学生がいるのであった。西門から入ろうとしたが、機動隊によって守られ(一体何が)入ることができず、私達は寺町通りと広小路で「機動隊帰れ!」のシュプレヒコールをあげた。 高野悦子著『二十歳の原点』(新潮社)より引用前回の座り込み、そして今回の行動により、悦子さんは本格的に全共闘運動に参加する。
2005/06/27
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座り込み2月15日十三日夜京都につく。立命に行く。明日の入試を控え騒然たる空気。その晩は学校に徹夜。十四日バリケード封鎖の行われている中川会館を眼前に、存心館の薄明かりに坐りこんで。・・・ここにいる私の決意―機動隊(国家権力)の導入には反対します。下宿に戻る途中、一寸立ちよるつもりが、どうしたわけか、地べたに坐りこみの徹夜、そしてきびしく自己批判している次第であります。 高野悦子著『二十歳の原点』(新潮社)より引用この記述の数日前に、全共闘運動に参加することにより、迷惑を掛けないように下宿変更を決心した。そして西那須野に帰省後、夜を徹して座り込む。
2005/06/25
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ワンゲル2月8日しっかりしろ 悦子煙草と眼鏡は自由のしるしじゃないか今日のコンパは一〇・三〇に帰ることお酒を飲むのはやめにすること独りになれきびしさは誰でももっているのだ甘えるなあせるなよ 疲れたら休めよ自分に自信がないなあ泣きたいなら泣けよ寒くてふるえているんだな耐えろよもう一回火の熱さを感じたら「ファイト」?がわくだろうさあ やってみろ私は夏がいいなあ 冬は寒すぎる全身の力が抜けて歩いていけるのかなあ私は生きているんだろうなあカミソリで指を切ったら生々しい赤い血がながれるんだろう下宿に帰っても どこへ行ってもこれが生きているというならその意味は認めない自殺でもしようかなあ寒いなあこたつに入りこんで ぬくまりたいなあ散まん! やめろよホラ 前で話しているやつがせせら笑っているよ 高野悦子著『二十歳の原点』(新潮社)より引用この詩を記した後、ワンゲルの追い出しコンパに出かけている。『那須文学』に掲載された友人の記述によると、ワンゲル入部後毎週のように山に出かけていたようです。しかし『二十歳の原点』には、ほとんどワンゲルの記述はない。ワンゲルを離れ、全共闘運動やアルバイトを中心に生活していたからかもしれない。
2005/06/24
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セルフコントロール2月6日 何をしてよいのかわからなかった。ほおをピシャリと打った。胸を拳で思いきりなぐった。ここニ、三日、自分のものとして、夕刊を読み、雑誌をよみ、小説を読み、考えるのがよいと思ってきた。しかし、しても無駄のように思う。「絶望」というものをかい間みたような気がした。「独りである」ことは、何ときびしいことなのだろう。自殺でもしようかなと思った。そのまま眠ってしまうのが、一番よかったのかもしれない。 でも、その解決を酒に求めた。葡萄酒を二杯のみ酔えそうもないので、八木さんからレッドの角びんを借り一杯半のんだ。酔いながら牧野さんのところへいく。あくまでも自分の荷は自分で背負うべきであると思ったが弱かった。その後、はき気を催して、お手洗いにいった。気ままにはき散らして、そこに坐りこんだ。しばらくたって気分が落ちついたら掃除するつもりだった。彼女が塩水をもってきてくれた。そして私を部屋に連れ戻し掃除してくれた。感謝した。「シッカリしろ!悦子」と叫んだ。私はそのまま寝ていた。彼女は強い、私は弱い。 高野悦子著『二十歳の原点』(新潮社)より引用立命の混乱の前で、自身をコントロールできなかった。高野悦子さんは1969年6月24日午前2時36分頃(23日深夜)亡くなられた。ご冥福をお祈り致します。
2005/06/23
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自傷行為1月31日 封鎖支持と封鎖解除との二つの動きで事態が進展している以上、己れの立場をどちらかにして何かの行動を起こさねばならぬ。でなければ、ただ全てを受身に、生きることなく、死ぬこともなく、生きていくようになるのではないか。2月1日私は二、三日前からおかしな考えに取りつかれている。カミソリで指を切り血を流そうという考えである。私は、カミソリをもちそれを一気に引くときの恐怖を考えるとゾッとする。体中の力が抜けてワナワナとなる。お前は自分を傷つける勇気がないのかと励ますがダメである。 今日、カミソリを買ってきた。スッパリと切り赤い血がタラタラと流し真白なほう帯をしようと考えた途端、ヘナヘナと力がぬけてしまった。おそるおそるやっていたら、チクリと痛みが走った。あわてて手を離したが、それでも血が出てきた。まっ赤な動脈血であった。なめてみたら鉄分の味がした。幼いころ怪我をして、その傷口をなめたときと同じであった。あまり血が出るので、なんということもなく、「私」という血文字を書いてみた。いまその指先はちょっとだけ痛む。細い毛細血管が切れて、その血管と入りこんだ空気の不協和音のような痛みである。それを感じると同時に指先から手の方へとだんだんに力がぬけて一種の緊張状態に入る。 高野悦子著『二十歳の原点』(新潮社)より引用2月5日にも同じような自傷行為をしています。この頃立命でも大学紛争が激しくなり、悦子さんは危機感を感じていました。また党派争い(代々木と反代々木)にも困惑していたようです。代々木、反代々木等の用語について知りたい方は、次のサイトを利用下さい。http://www.asahi-net.or.jp/~gr4t-yhr/zenkyoto_a.htm
2005/06/22
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私の世界 おまえは生きている。人に頼ることなしに、己れの世界を築きあげるのだ。たとえ心房中隔欠損ぎみの心臓であっても、それが動き、血液を体内にくまなく流しこんでいる以上、おはえは、己れの世界をどのように築きあげるのかということに立ち向かっていくんだ。独りであることを忘れていた。独りなのだ。おまえ自身の世界をもつのだ。私は弱い自分が何をやりたいのかさえわからないそれでも朗らかに人と話し笑うしかし ふっと気づくなぜ笑い 話をするのだと不安になるその時 目に見えね世界が知らぬまに私の体を動かしているのに気づくそれは地主の世界なのかサラリーマンの世界なのかマルクスの世界なのか資本の世界なのか 何もわからない私の世界が私の知らぬまに存在しているなんだかわからぬものによって私は動かされている激しい感情に身をまかせもせず生きる情熱も失せているまま私は煙草をすう にがい煙草もすう私はこの部屋の中で ここは私の世界だしかし一たびここを出ると 私は弱くなるクラス討論会の場で煙草をすわせない何ものかがある煙草を買うのを恥ずかしめる何ものかが存在する私は弱い私は私の世界を模索し始めた。人それぞれ、その人の世界をもっている。しかし、その人が本当に己れの世界をもっているとは限らない。 高野悦子著『二十歳の原点』(新潮社)より引用前回のブログと関連するものです。悦子さんは自身の世界を求めて、全共闘運動に参加したのかもしれない。
2005/06/21
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演技者1月17日この頃、私は演技者であったという意識が起こった。集団からの要請は以前のように絶対なものではないと思い始めた。その役割が絶対的なものでなくなり、演技者はとまどい始めた。演技者は恐ろしくなった。集団からの要請が絶対的なものではないからには、演技者は自らの役割をしかも独りで決定しなければならないのだから。 人間というものは不思議な怪物だ。恐ろしい怪物だ。愛したかと思うと怒って私を圧迫したりして恐怖に追いこむ。何とも訳のわからぬ怪物の前で、私はちぢこまり恐れおののいている。何のなす術も知らず、ビクビクしながら。彼等のもつ不平不満は、演技者としての私のまずさにあるのではなく、要請された役割の中にあるのだということを、大学生活の中で知った。 高野悦子著『二十歳の原点』(新潮社)より引用与えられた生と与件(慣習、社会)への疑問。学生として、女性として要求される役割への疑問。期待と主体との軋轢。
2005/06/20
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主体性を問う1月15日 東大闘争では常に自己の主体性が問われた。立命にその危機が内在する以上(おそらく現在どこの大学にもそれは内在するにちがいない)己のものとして考えざるを得なかった。しかし、それも疲れてしまった。弱すぎる。・・・ 「独りであること」、「未熟であること」、これが私の二十歳の原点である。私の好きな言葉「孤独にはなれている。内職する母に放ったらかしにされた幼時から、いつも自分で考え、自分で規制し、目標に向かってペースを狂わさずに歩いてきた」 高野悦子著『二十歳の原点』(新潮社)より引用成人式の日記である。悦子さんは主体性を確立する為に、全共闘運動に参加することとなる。後半は孤独の原点かも知れない。1月19日東大安田講堂での東大全共闘と機動隊との攻防があった。以前ある予備校で講師をしている東大全共闘議長を偶然見かけたことがありました。
2005/06/17
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矛盾・不合理1月5日「矛盾に対さない限り、結局のところ矛盾はなくなることはないし、未熟のままで終わるしかない」 小田実 あまりにも理性とか合理性を中心にしすぎるのではないか。何かわからないモヤモヤした気持とか、ワーッと爆発しそうな気持とか、低く高くうねり狂ったりする感情のあるものが本当ではないか。生の燃焼は不合理なものではないか。・・・人間は不合理な存在である。いろいろ矛盾をもっている。人間は肉体をもっている。肉体は合理だけでは割りきれることができない。肉体を放れて人間は存在しないし、精神も存在しない。肉体は生命をもつ。 高野悦子著『二十歳の原点』(新潮社)より引用悦子さんも学園闘争の中、人間、社会の不合理さの中で揺れ動いた。悦子さんは亡くなったが、その精神は雲に乗り旅をしているのではないか。
2005/06/16
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「高野悦子」自身になりたい1969年1月2日私は慣らされる人間ではなく、創造する人間になりたい。「高野悦子」自身になりたい。テレビ、新聞、雑誌、あらゆるものが慣らされる人間にしようとする。私は、自分の意志で決定したことをやり、あらゆるものにぶつかって必死にもがき、歌をうたい、下手でも絵おかき、泣いたり笑ったり、悲しんだりすることの出来る人間になりたい。 未熟であること 人間は完全なる存在ではないのだ。不完全さをいつも背負っている。人間の存在価値は完全であることにあるのではなく、不完全でありその不完全さを克服しようとするところにあるのだ。人間は未熟なのである。個々の人間のもつ不完全さはいろいろあるにしても、人間がその不完全さを克服しようとする時点では、それぞれの人間は同じ価値をもつ。そこには生命の発露があるのだ。 人間は誰でも、独りで生きなければならないと同時に、みんなといきなければならない。私は「みんなと生きる」ということが良くわからない。みんなが何を考えているのかを考えながら人と接しよう。 高野悦子著『二十歳の原点』(新潮社)より引用二十歳の誕生日の日記である。最初の段落は先日のお母さんの手記に関連するものである。悦子さんは不完全さを克服しようとした。
2005/06/15
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ブログの目的『二十歳の原点ノート』『序章』を日付順に関心を持った文章を紹介して来ました。今回はこのブログについて記述させて頂きます。このブログの目的は、以下の4点です。1.『二十歳の原点』『序章』『ノート』が消え行くのを防ぎたい。2.悦子さんが残したものの本質を理解、知って欲しい。3.悦子さんのように自殺することを防ぎたい。4.私的に原点を再確認する。1.について、悦子さんが亡くなって約36年になりますが、『二十歳の原点』『序章』『ノート』を書店・図書館で見つけることは困難になってきたようです。私が20年近く前『二十歳の原点』等を読み、『青春の墓標』を探しましたが、見つかりませんでした。同じ状況が『二十歳の原点』等にも迫ってきています。また『二十歳の原点』等に記述された全共闘運動等の社会情勢を理解することは、若い世代にとってかなり困難になってきています。このことも消え行くことを促進しているのではないでしょうか。2.について、ネット上の記述を見ると、『二十歳の原点』等のセンセーショナルな部分が記述されているものがあります。しかしそれらは本質から離れているものではないでしょうか。何が本質かは個人により異なると思いますが、明らかに違うと感じるものがあります。本当に残念です。3.について、『二十歳の原点』発行当時、お父さんの「失格者の弁」という記述が掲載されていました。内容は自殺の原因等を考察したものでした。私はこの中で、「すっかり灰となったまだ温かい骨壷を胸に抱きしめたとき」や「子に先立たれた親の不幸」という記述を読んだとき、親族の悲しみは深かったことを察しました。私事になりましたが、数年前父親を亡くしました。その時まだ若く、親孝行などほとんどしていませんでした。親孝行とは言えませんが、順番を違えることなく、父親を送ることができました。だから死なないで欲しい。4.について、『二十歳の原点』に最初に出会ったのは16才の時でした。親子間の対立、大学受験と自身の存在への疑問や限りを感じていました。そんな時出逢い、共感、一体感を感じました。「なぜ生きなければならないのか」という記述に出逢い、この記述を「自分自身に存在意義があるのか」という疑問に置き換え、よく考えていました。当時存在意義は見つかりませんでした。ただその存在意義を見つけるために生きるのだ。あるいは悦子さんほど行動したのか。機動隊に蹴られ、殴られ、警察に連行されるほど何か行動したのかと自己に問いました。現在なら自己の存在意義を家族、仕事などと答えるかも知れません。あの頃ほど純粋ではなくなったのかもしれません。多分あの頃よりいろいろ背負うものが多くなったのでしょう。だからもう一度原点に返るため、このブログを始めました。では、次回からは『二十歳の原点』を紹介します。
2005/06/14
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原点の原点未熟であることの認識―すべてが整い、秩序だっているという幻想。完全!成熟!―外から飛びこむその言葉に惑わされていた。すべてが整っているという幻想。だから整わぬ私はいつでもおびえていた。しかし物事はすべて矛盾に満ちた存在であり、未熟なのだ。独りであることの認識―他人の足で歩くことはできない。己の足で大地に立ち歩かねばならぬ。独りで―独りで歩かねばならぬが、集団の中を独りで歩かねばならないのである。「未熟」「独り」この二つを背負って生きていかなければならない。 高野悦子著『二十歳の原点序章』(新潮社)より引用『二十歳の原点』に、『「独りであること」、「未熟であること」、これが私の二十歳の原点である。』と記されている。
2005/06/13
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想い出小さい頃の私は味噌っ歯で泣き虫だった。居間の昔風な大きなラジオの陰で、すすり泣いていたのを覚えている。御飯は板の間で円い御膳を立てて食べた。秋のたきたてのさつまいもとふかふかのじゃがいもを、明るい陽の中で食べたことを思い出す。釜揚げうどんもお昼によくやった。お椀に味の素とお醤油をいれて、茹でたての釜のうどんをすくって食べる。おいしかったなあ。 お風呂は楽しい遊び場だった。夕飯前におじいちゃんと一緒に入り、タオルを使って、湯舟の中で船をつくったりしたり、背中を流したりした。 二階の北側の八畳間は兄弟三人の寝る所で、夕方西日がさし込む中で敷いた布団の上で、三人で大暴れした。そして廊下にはブリキのおかわがあった。よく私は、寝ているとき便所に行く夢を見て、寝床の中でやってしまった。その布団は、南の窓際に干されるのであった。 そうそう、秋になると今の東小のあるところで作ったさつまいもを干して、乾燥いもを作ったっけ。鶏小屋の屋根の上に乗って渋柿を取り、それを縄でくくり二階の軒に吊るした。柿の木がたくさんあるので、干し柿作りは一家総出だった。渋柿ははちやにもした。 いちご畑があり、籠を持っていってはとって食べた。ぐみの気もあった。りんごの木も、梨の木も(すっぱい梨だった)。昔はうちには山羊がいた。角があり、真白で、ごつごつした体をした山羊だった。 冬になると大根を洗い、干した。大根を干す所は東の方の小屋の軒であった。その小屋はリアカーをしまっておく所だった。リアカーではよくらくだごっこをした。リアカーに二、三人乗り、引くところに一人が腰掛け、それを上げたり下げたり、らくだあ、らくだあとはやしながらやる。その小屋の横にある栗の木には、秋になると大きな薄黄緑の毛虫がたくさんいた。秋にはこわくて、そこいらは歩けなかったものだ。 高野悦子著『二十歳の原点序章』(新潮社)より引用2番目のブログで、死の直前線路の上で西那須野を思い出していたのではないかと記述しましたが、私が想像したのは上記の様な内容です。西那須野を訪れた時、梅雨の晴れ間に長閑な風景が広がり、穏やかな時間が流れていました。日記にはこれ以外に幼少の頃の記述はありません。
2005/06/10
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学園闘争 いま学園は大変な状態である。何が大変なのか。私は学生としてどうあればよいのか。この機会を逃したら無責任でしかあり得なくなるという焦り。どうやっていけばいいのか、わからない。しかし「事態」は進展している。東大ははるか彼方ではない。現実に立命に起こっている。 何をすべきか!人間不信!恐れ! こんな状態で家に帰れるのか。「緊迫した情勢」を逃れるのか。(別の日の日記) 信じられないことが、次々と起こっている。立命の学生が角材とヘルメットを持ち、血を流し合っているという事実。彼らはもう感情的対立、憎しみでもって一触即発である。石油缶を投げたり、失明させたり、暴力は絶対に許されない。反民青の武装は反対、民青の自衛のための武装をも、学園内では絶対に許されない。 高野悦子著『二十歳の原点序章』(新潮社)より引用1968年12月の日記です。この頃から立命館でも学園闘争が激化し始めたようです。以前私も立命館の全共闘運動(学園闘争)について関心を持ち、数冊の本を読みました。その中には『二十歳の原点』の中で、師岡問題と記されている師岡さんが記述した本を読んだ憶えがあります。(多分当事者の方だと個人的に思いましたが、事実と異なるかもしれません。また本の題名及びその本の正確な情報も他の本の情報と重なり、今では明確に憶えていません。)関心のある方は、書店・図書館等で探して読んで下さい。上記の様な状況を目の前にして、悦子さんは冬休みの帰省を遅らせています。
2005/06/09
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