高野悦子『二十歳の原点』

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etsuko4912

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19才の思い出@ Re[4]:高野悦子さんの命日(06/22) 団塊世代さんへ 早速のコメントありがと…
団塊世代@ Re[2]:高野悦子さんの命日(06/22) 19才の思い出さんへ メッセージ読みまし…
19才の思い出@ Re[1]:高野悦子さんの命日(06/22) 団塊世代ベンチ組さんへ はじめまして、…
団塊世代ベンチ組@ Re:高野悦子さんの命日(06/22) 「合掌」 53回目の命日も過ぎました。 …
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2005/07/23
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カテゴリ: カテゴリ未分類
私は独りである
6月20日
このノートを書くことの意味―
これまでは、このノートこそ唯一の私であると思っていたから、誰かにこれをみせ、すべてをみてもらって安楽を得ようかと、何度か思った。しかし、今日ぼんやりしていたとき、このノートを燃やそうという考えが浮んだ。すべてを忘却の彼方へ追いやろうとした。以前には、燃やしてしまったら私の存在が一切なくなってしまうようで恐ろしくて、こんな考えかたはおもいつかなかった。現在を生きているものにとって、過去は現在に関わっているという点で、はじめて意味をもつものである。燃やしたところで私が無くなるのではない。記述という過去がなくなるだけだ。燃やしてしまってなくなるような言葉はあっても何の意味もなさない。
このノートが私であるということは一面真実である。このノートがもつ真実は、真白な横線の上に私のなげかけたことばが集約的に私を語っているからである。それは真の自己に近いものとなっているにちがいない。言葉は書いた瞬間に過去のものとなっている。それがそれとして意味をもつのは、現在に連なっているからであるが、「現在の私」は絶えず変化しつつ現在の中、未来の中にあるのだ。
私は人間どもをだましながら 己れを生きさせているのだ
だまされているバカなヤツラヨ
バカも愛をしているものに対しては
お互いに だましあいつつ生きてゆくのだ

      高野悦子著『二十歳の原点』(新潮社)より引用
ノート(日記)だけが、友だったのかもしれない。





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Last updated  2005/07/23 10:09:04 AM
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