南カリフォルニアの青い空

南カリフォルニアの青い空

2007.12.06
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カテゴリ: 私の電子本


 ミセス小川のケンジが歩き出し、ミセス青木の娘マリには前歯が二本は

えた。林夫妻は、相変わらず口喧嘩が絶えずいつまでも子供が出来なか

った。日本人に囲まれていたせいか、カルロスとマリアの息子達、フリ

オとホゼは日本語と英語をスペイン語に混ぜて使っていた。よくケンジ

と遊んでいたから、菊はケンジもきっとスペイン語をはなすようになる

だろうと思っていた。


 ある朝、菊は急に気分が悪くて起きられなかった。

「顔色悪いなあ、どうしたの?」と、富雄が心配げに覗き込んだ。

「ちょっと、近頃よく吐き気がして」

「え?近頃って、今朝が始めてではないの?医者に連れて行こうか」

と、菊の背中をさすりながら聞いた。

「まだ分からないのですけど、赤ちゃんが出来たのかもしれません」

 青白い顔で言った菊の言葉に、富雄は有頂天になった。

「そうかぁ~!坊主が産まれるか!」

「え?まだ、男か女か分からないんですけど」

 富雄が勝手に男の子だと決めてしまったことが、おかしかったが菊は声

を出さずに笑った。

「女でも男でも良い。僕はもうじき三十一になるからなあキク。あまり

年取らないうちに家族を作っておきたかった。今日は大事をとって、気

分が良くなるまで寝てなさい、オッケー?」

 富雄に限らず、アメリカに住んでいるうちに皆、日本語に時々英語を混

ぜて話すようになるのだが、時と共に菊も段々にたような話し振りにな

って行った。

「一時的ですから、良くなったら直ぐ行きますから」

「いや、今日は休んでいなさい・・・・・・そうだ! 悪阻が過ぎたら赤

ん坊用の家具とか、必需品を買いに、にサン・フランシスコに連れてっ

てやる」

 そう言うと、富雄は口笛を吹きながら家を出ていったが、「車の鍵を忘

れた」と言って戻ってきたかと思うと、また「財布を忘れた」と戻って

きたので、菊はおかしくなってクスクスと笑っていた。ミセス小川や青

木達から、男は赤ん坊が出来たといってもたいして興奮もしないと聞い

ていたからだった。


 幸い悪阻は長く続かなかったので、富雄より数時間おくれて自転車でビ

ッグハウスに行ったのだが、従業員達はもう知っていて、口々に「おめ

でとう」と言った。


********


 初めて行ったサン・フランシスコの町は、菊にとって全てが御伽噺のよ

うな経験であった。今までの人生で見たことも無いようなものばかりで

溢れていて、『足が地につかないというのは、こういう事だろう』と思

っていた。いわゆる、「お登りさん」の心境である。

 富雄は買い物の前に、菊をあちこち見せてやりたかった。街は高級車で

あふれ、綺麗に着飾った人々が上等な店の並ぶ道を行き来していた。菊

が女性が車を運転しているのを見てたまげたり、豪華な馬車や電車が通

り過ぎるたびに、歓喜の声をあげるのを見て、富雄自身も嬉しくてしょ

うがなかった。

「これが、ケーブル・カーと言うものだよ」

「わ~、ミセス小川の言ったとおり。あんな急な坂!すべって来たらど

うなるんでしょう。怖そう!」と菊は首を縮めた。

「ここが、高層建築で有名なマーケット・ストリートとオファレル・ス

トリートだよ」

「ストリートって?」

「何とか通りとかいう、通りのこと、つまりマーケット通り」

「こんなに高い建物見たことがありません。どうやって登るのでしょ

う?」

「エレベーターといって、ボタン押すと、すーっと上下する箱があるん

だ」と、富雄が説明しても菊にはピンと来なかった。

「上のほうは、怖いでしょうね」

「あはははは!良い景色だぞ」


 次に富雄は、菊をディ・ヤング美術館の前まで連れて行った。入場は無

料であったが、時間の都合で中には入らなかった。菊にとって、一番シ

ョックであったのは、大勢の人が出入りする正面玄関に堂々と立ってい

た全裸の石像を見た時だった。広島の農家に育った娘である、無理も無

い。例え都会に育った人間にせよ、当時の日本から違う文化の国に来れ

ば最初は驚く事ばかりだった筈である。


 富雄はサン・フランシスコ湾が見渡せる素晴らしい眺めの場所に来た

時、トラックを降りた。

「エンゼル・アイランド、覚えているだろう?あそこだよ」

「初めてアメリカの地を踏んだ所ですから、忘れませんが、ここから見

ると随分小さな島ですね」

 菊は、初めて着いた日のことを思い出していたが、富雄は島よりはるか

彼方を見つめるような目つきで無言になった。暫くすると、富雄が静か

な口調で語り出した。

「今から七年前の朝の事だった。(注:1906年)この辺に大地震が

あってね、何百人と言う死者と、何十万という被害者を出したんだ。僕

はその三年前にハウス・ボーイをやめてサン・フランシスコの郊外の

ヴィンヤードで働いていた頃だ。ここから可なり離れた場所だったが、

建物が激しく揺れた。僕は鉄のベッドの下にもぐり込んで命に別状はな

かったが、部屋は家具や壁の物が落ちてメチャメチャになった」

 菊は、突然の話しに何と言って良いか分からず富雄の顔を黙って見上げ

た。

「僕の住んでた辺でも、とっさの事に慌てて外に逃げ出して建物の下敷

きになって死んだ人り怪我した人もいたが、トンプソン家も瓦礫の山と

なってしまったんだ。地震の後の発火で町中が火の海と化したんだ」

「で、トンプソンさん達は、ご無事でしたか」と、菊は富雄の背中に手

をまわして聞いた。

「家族も従業員も殆ど逃げ出したと思ったが、ミセス・トンプソンが一

番下の赤ん坊の部屋に行って抱え出てきた所に、真っ赤に焼けて落ちて

きた天井の下敷きになって・・・・・・亡くなってしまったそう

だ・・・・・・良い人だったのにな~」と言って、富雄は空を見上げ

た。

 涙がすぅ~っと頬を伝わったのを菊は見たが、見ぬ振りをして無言で富

雄の背中をさすった。

「ミスター・トンプソンは、心痛で可なり鬱になって、結局は家族全部

つれてサン・フランシスコを引き揚げ故郷のニューヨークに引っ越して

いったそうだ」と言って、富雄は大きくため息をついた。

「その後、ミスター・トンプソンと連絡はついたのですか」

「何度か試みたが、今だになしのつぶてだ。きっと思い出に繋がる人と

は全て手を切りたかったのだろう。余程つらかったんだろうと思うよ」

 菊はこっくりと頷いた。

「残念だなぁ。キクに合わせたかったなぁ。いい人達だった

よ・・・・・・良い人達って、何故早く逝ってしまうんだろう?」

 富雄はそういって、タバコに火をつけて続けた。


「あのな、キク。人々を表向きだけで判断しちゃ駄目だよ」

「はい」

「それから、人の噂や社会の意見だけを信じちゃ駄目だよ。日本の移民

は皆、白人は人種偏見がひどいから信じるなとか、気をつけろって言っ

てるけど、それだって自分次第だからね。そういう概念で対応すると相

手も構えるんだよ。犬だってそうだろ?こっちが恐れると、ぴ~んと来

るんだよ。無論人間にも犬にも狂ったのがいるが」

「富雄さんは人種偏見にあったこと無いのですか」

「さあ、あったんだろうけど、感じなかったね。つまり、それだって本

人の取り方しだいだと思うよ。例えばね、僕はミセス・トンプソンとか

子供達が、何度も発音を直してれるととっても嬉しかったんだけど、も

う一人の日本人の学生はバカにしてるってとっちゃったんだよなあ。

で、結局やめちゃったもんね。それじゃ進歩しないじゃないか。人間が

成功するしないは、そういう所でも差がつくと思うよ」

「確かにそうですね」

「注意されたり、客に文句をいわれたら、ありがたいと思って直す事だ

ね」

 菊は、これは心しておこうと思った。

「さて、折角ここまで来たから、海岸沿いも見せようかな。又いつ来れ

るかわからないもんね、じゃ、レッツ・ゴー!」と、富雄は明るく言っ

て、菊のお尻をパンとたたいた。


 富雄のトラックは、古くて埃だらけでサンフ・ランシスコの街中でも目

立ったが菊は一向に気にしなかった。こんな素晴らしい経験を与えても

らっただけで胸が一杯であった。もう家族に今日の事を報告したくてウ

ズウズし、特に兄の慶介には全部みせたかった。この頃になると、菊は

もう殆どいつも洋服であった。慣れるとなかなか動きやすいし、お腹が

可なり大きくなっても目立たなくて便利だと思っていた。





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最終更新日  2007.12.06 22:17:14
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