私には、本当の孫はいませんが、孫もどきが何人もいます。今日は、ジュリー関係の話です。
私のブログを長くお読みの方は、もうジュリーが誰だか知っていらっしゃるでしょうが、
初めて読まれる方のために、簡単に書くと、1985年から一年、AFSの交換学生として
ラグナ・ビーチ・ハイスクールに我が娘や息子達と通った子です。AFSの交換学生は、
アメリカの国でスポンサーをする、交換学生の部門では最高のグループで、受け入れられ
るのが一番むずかしいといわれてますから、これで選ばれてやってくる学生は頭脳明晰です。
ジュリーも其の一人、当時ユーゴスラビアといわれた国の、現在はクロアチアから来ました。
その一年で、私の娘のようになり、以後ずっと私を「マム」と呼んでいますが、このジュリーが
国の最高の音楽学校で修士号をとったにもかかわらず、市民戦争が勃発したことによって、
父のセルビア系の苗字のために、仕事も中々てにはいらなかったのです。
姉のマーガレットも婦人科の医者だったのが、格下げされたり、とにかく風当たりが
ひどかった時代です。
その間、色々あって、ジュリーはイタリアでバイト中にめぐり合った男と婚約して、
スコットランドに行きました。ところが、其の男は結婚していて子供までいたのです。
そこでも、ネットカフェーから毎日のように連絡をとってきて、「死にたい」とか、
「母も国にもどってこいというから、国に帰る」といってきました。私は、彼女の国が戦争中も
食料、衣料をかかえて訪れているので状況をしってましたから、バイトでもなんでもして
スコットランドにいるように言い、時々、送金をしてました。そういうある日、エジンバラ大学で
4年の博士号の奨学金をくれるという広告を見たとしらせてきました。私は、だめもとで
応募しろと、強くいいました。
「でも、国の母がさみしいっていうから」とか、「世界中の優秀な人がおうぼするだろうから」
とか、あれこれ言い訳していたのです。ところがそれに合格!
音楽博士となり、おなじ奨学金のクラスにいた、オランダ人と結婚し、
今は、夫婦でアイルランドの、クウィーンズ大学の教授になってます。
無論、私はエジンバラでの結婚式にもいってますし、男女の双子がうまれたときも、
アイルランドに行ってます。
先週、その双子の女の子、ルイザが、ヨーロッパでは一流のピアニスト、ニコライ・デミエンコ
氏と同じステージにたつチャンスをあたえられ(物凄い競争率だったそうです)その写真を
送ってきました。日本人のおばあちゃんと呼ばれてます。
私のことを、ヒロコとよべずに、「オコ」と読んでたのですが、もう8歳になったのですね。


「その内に、家族であそびにいくから」といってますけど、中々実現しそうにありませんから、
私のほうから、会いに行こうと思ってます。
クリスマス、誕生日などには、この双子の手作りのカードをもらってますが、この子達、
英語は無論のこと、クロアチア語、オランダ語の三ヶ国語が流暢です。
Nikolai Demidenko で、Youtubeでサーチすると、たっくさんでてきますよ。
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