思い出話を書くと、アクセスが400人以上になるのをみると、皆さん私の古い
体験がお好きなようです。今ちょうど、写真の整理中なので、年次順では
ないけど、思い出した事を書いてみます。なんせ、73年分の思い出話が
あるから、アラビアンナイトのように毎日でもじかんさえあれは書けます。
自分で言うのは日本ではおかしいそうですが、私はアメリカですから言います。ははは
私は、記憶力が良いので幼児だった戦争中の事も覚えてるくらい。人の
名前も、ひょっとすると電話番号まで覚えてるのです。だから、 色んな
思い出話ができます。
カリフォルニアに引っ越した頃は(1969)もう英語にはこまりませんでした。
元夫の育った ビーチタウンは、大多数が白人、労働者にメキシカンが
大勢いましたが、東洋人は 本のひとにぎり。日本からの日本人など、
四人だけでしたし、黒人の家族は一軒だけ。
ハワイで、友達に本土は 人種差別がひどいからね、といわれていたのですが、
出会う人、出会う人 親切な人ばかり。その黒人の奥さんは、この前かいたように、
病院の正式な看護婦で、多くの人から親しまれていました。ですから、差別は
感じませんでした。(場所によりけりですね)そういう事で、私はどんどん
ボランティア活動をしました。これは、その国をよくしる、良いきっかけです。
その地方の動き、政治、からくりが、見えてきます。その上、多くの知人が
できるのです。この前載せたように、人形劇などもあちこちでやりました。

そうこうしているうちに、人々から、パーティーに招かれます。そこからまた、
人脈が増えていきます。セーリングなどにも、招かれます。
当時の日本だったら、ハーフの子を抱えていたら、影に隠れて暮らすような
生活だったと思います。その点とても、自由にのびのびと育てられたわけです。
もう一つ、この国では自分の主張ははっきりとしなかったら、のけ者になっていく
可能性が多いです。だからといって、別に威張るわけではありません。その点も
日本と反対でした。日本で女性が自分の意見の主張をしたらのけものになりましたよ。
こちらでは、筋が通っていれば、尊敬される可能性の方が多いです。
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