初めてユキちゃんにあいにいったら、玄関をはいって右側に梱包箱で
つくった犬小屋のような箱にかんなクズを撒いたものがあり、そこから
恥ずかしそうに出てきたから「犬とあそんでたの?」と無邪気に
聞いたら「私の寝床」といったのが今でも脳裏にやきついてる。
大人の感覚ではなかったから
「楽しそうだなあ私もねてみたい」と思っていたが、母に話したら
ボロボロ涙を流していたので、普通ではないのだなと知った。
6年生の修学旅行などいける筈はなく、心優しいホームルームの先生が
「旅行費は心配しないでいい、雇い主にも頭をさげて数日休ませてください
とたのんで許可もらったけど、肝心のユキちゃんが怖がって信じないから
あなたから説得してくれない?」と頼まれたのだ。
修学旅行中ユキちゃんは私にくっついていたから、私と座りたがらない
生徒もいたが私は父の言葉をしっかり覚えていたから無視した。
話が前後するが東京の家は戦争で全焼して漁師町に疎開し貸家に
住んでいたのに女中がいたのも、その理由を理解したのはずっと
あとになる。
「口減らし」といって、もう食べるものもなくなった家族が娘を
娼婦として売りにだすか、心ある親は女中奉公という形でだすか
チョイスが限られていたようで私の好きだった子守りのトシさんは
その後者、食事と布団と小遣いを与えられただけのようであった。
一度ミカン山をもっていた知り合いのお百姓さんの家に行く途中の
岩の洞穴にドアがついているのを見たが、それがトシさんの家だと
祖母から聞いた。私はまだ3,4歳だった。トシさんの家族も
戦争でホームレスになったらしい。我々が東京に戻ってから
風の便りに自分の父親より年上のやもめに嫁がされたらしいと聞いた。
(続く)
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