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さて今日は・・・・やる時期を間違えてる三条のパワースポット巡りの完結編です。え~とですね・・・・残ってるスポットがあと3つなんですが残りのスポットが全部「雪が酷いところ」ばっかりなんですよね。。。。で、まあぎりぎり待って2月中の応募ということで2月の最後の土日に行きまして。。。。ということでまず1個目・・・・20220227(五十嵐神社2) posted by (C)ふぁみり~キャンパー五十嵐神社です、この五十嵐神社は「五十嵐」姓発祥の地でしてね、これ「いからし」と読むときと「いがらし」と読む場合があると思うんですが、このあたりではこの苗字は「いからし」と濁らない読み方が多いです、この神社も「いからし神社」です。古墳時代の皇族、第11代垂仁天皇の皇子「五十日足彦命」ってのが祀られてる神社でして、この「五十日足彦命」が全国の「五十嵐」姓の発祥だと言われています。まあそういう神社なんですが・・・・・この神社三条市でも豪雪の下田地区にありましてね・・・・・20220227(五十嵐神社1) posted by (C)ふぁみり~キャンパーまあ参道は一応除雪機入れて除雪してあったんですが、除雪してないところはこの通り。。。。ということで次・・・・20220226(八木神社1) posted by (C)ふぁみり~キャンパーさっきの五十嵐神社よりもさらに下田地区の奥の方にある八木神社・・・・三条市の指定名勝「八木ヶ鼻」の麓にある神社です。今はコロナ禍で頻度落としてる日帰り温泉「いい湯らてい」があるところなんですが、冬に来たいところでもな~~20220226(八木神社2) posted by (C)ふぁみり~キャンパーここも参道は除雪機で除雪してあったんですが、結構な雪の量で・・・・この通り・・・・どっちの神社も雪囲い中で神社の全景も見れない状況でして。。。。。なんでこの時期にやるかな~~20220226(八木神社3) posted by (C)ふぁみり~キャンパー近すぎてちょっと見難いんですが、この木々の間から見える断崖絶壁が名勝「八木ヶ鼻」です。山羊の鼻のようだということでこの名前が付いたんですが、この断崖絶壁には絶滅危惧種のハヤブサが生息しており国内でも数少ないハヤブサの繁殖地となっています。どうしてこんな断崖絶壁が出来上がったかというと。。。。約700万年前海底火山の溶岩ドームが盛り上がってできたのがこの八木ヶ鼻でして、7000万年前の海底火山の跡です。。。。で、次のスポットなんですがここがちょっとまいった。。。。。20220226(大崎山2) posted by (C)ふぁみり~キャンパー前回雪でスタックしそうだったんで引き返した大崎山なんですが。。。。まあここの公園にある皆既日食の観測碑が最後のスポットなんですが。。。。駐車場までの道は除雪されてたんですが。。。。20220226(大崎山1) posted by (C)ふぁみり~キャンパーそこから観測碑までが除雪されてない、その近くでスタンプ押せるってことだったんですが、GPSの受信状態が悪いのかスタンプ押せない・・・・結局観測碑に触れるくらいのところまで行かないとスタンプ押せませんでした・・・・・まったく除雪も踏み固めもされてない40~50cmくらい雪が積もった場所を進むのって結構しんどくてですね。まあ「かんじき」でもあればいいんですが歩くたびに身体が雪に埋まるんですね、で、埋まった足を引き抜いて次の一歩を踏み出すのが一苦労と。。。。え~~~・・・・、遭難するかと思いました(笑)、割とマジで(笑)・・・・・まったくだからこんな時期に・・・・ブツブツブツ。。。。。ということでパワースポットは全カ所踏破したんでマスター賞に応募しときました。。。。え~と当選するとこれまた下田の奥の方にある(笑)温泉、越後長野温泉「嵐渓荘」の商品券4万円分が当たります。まあ他の商品がなななか微妙で、パワースポット4カ所回ったシルバー賞、三条グルメ詰め合わせセットはまだいいんですが・・・・それ以外がパワースポット6カ所回ったゴールド賞、10インチのステンレスダッチオーブン(う~ん、アウトドア趣味な人以外いるかこれ?・・・・、そもそも趣味アウトドアでもダッチオーブン持ってるし・・・・、相当限られた需要じゃないかな~~)パワースポット2カ所回ったブロンズ賞、本成寺のお守り(欲しいか?、お守りくらい自分で買うわ!!)マスター賞に募集集中しそうなんだよな~~、マスター賞の当選人数は1人だけで倍率高そうだな~~~まあ当たらないだろう・・・・ということで苦労の割に実りは無い(笑)という時季外れのイベントでした。。。。。本当に春にやれ!!、冬にやんなっての・・・・、死ぬかと思ったわ(笑)、最後の大崎山で(笑)まあ時期さえ間違えてなければこういうイベントは踊らされてなんぼ、まあ当たる当たらないは別としてこういう機会に市内のパワースポットに行くってのは良いと思うんですけれどね。。。。まずもって最初の本成寺の境内にはたくさんの桜が植えられていて、春には綺麗な花を咲かせる。次の日吉神社・稲荷神社は北三条駅と鍛冶道場の間くらいにある神社で鍛冶道場と北三条駅の前はこれまた桜スポットです。で、その次の三王山古墳はそこから先の山の中を散策するスポットでその途中に古墳が点在する、冬でなければその先の古墳を見て回れる。万葉藤は名前の通りの藤の名所でここに至る道中は桜並木になっていて春には絶好の桜スポットとなる。道心坂はオオヤマザクラの名所でこれまた春には桜が花をつける。で残りの下田地区と大崎山は冬場は雪と路面凍結でそもそもそこにたどり着くまでに難がある。なぜ今の時期にやる必要があるのかさっぱりわからない、安全面から言っても観光面から言っても絶対に春にやるのが望ましい、このイベント企画した奴は何を考えてるんだ。。。。。冬場に路面凍結の可能性がある山道に人を呼び込んで事故でもあったらどう責任を取るつもりなんだろう。。。。ということでこの企画立案した奴ツラ見せろ!!、小一時間説教してやる!!(笑)ということで今日は三条パワースポット巡りの顛末のお話・・・・撮影日不明2022年(光君2) posted by (C)ふぁみり~キャンパーではまた・・・
2022年03月02日
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もっと早くアップする予定だったんですが、なかなかアップできずにいましたが今日は前回の続きです。え~と本成寺の話は前回で終わって今日はいくつかのスポットをまとめて紹介します。まず一か所目20220129(日吉神社・稲荷神社1) posted by (C)ふぁみり~キャンパー江戸時代の末期に三条陣屋にあった日吉神社と稲荷神社が一緒になっちゃったって神社で、「日吉神社」であり「稲荷神社」でもある珍しい神社です、まあ神社自体は極小さい神社で、社務所もないんで御朱印も貰えない目立たない神社ないんですが。この小さな神社、「日吉神社」でも「稲荷神社」でもあるんで御神獣である猿と狐も同居してまして・・・・稲荷神社は狛犬の替りに狐が、日吉神社は狛犬の替りに猿がいることが多いですね、でこの神社は・・・・20220129(日吉神社・稲荷神社3) posted by (C)ふぁみり~キャンパー片方が稲荷神社の狐、もう片方が日吉神社の猿になってましてね。。。。と言いつつ猿の画像をすぐに添付しないのは、この神社に来た目的がその猿だからでして。。。。20220129(日吉神社・稲荷神社2) posted by (C)ふぁみり~キャンパーこれがその猿、何かを耳に当ててるんですが電話してるみたいに見えませんか?スマホで電話してるみたいに見えるんで「スマホ猿」とか言われてまして。。。。まあこの神社に来た目的はこのスマホ猿なんで目的達成、さあ次行きますよ~っていったい何なのよって?・・・・まあまあそれはおいおいと・・・・え~と次の目的地は・・・・・20220129(三王山古墳群) posted by (C)ふぁみり~キャンパー保内の三王山古墳群、古代の豪族が眠る古墳時代の古墳がまとまって残っているスポットなんですが・・・・古墳はこの先の山の中で今冬なんで古墳までたどり着けません。。。。じゃなんで来たのよって?・・・・というところでネタバラシ、三条市のパワースポット巡りってイベントでしてね、市内のいくつかのパワースポットを回ってスマホでスタンプ集めると抽選でプレゼントがもらえるというイベントでして・・・・ただですね・・・・はっきり言ってやる時期間違えてる、まあ先の本成寺と日吉神社・稲荷神社はまだいいんですが・・・・まずもってこの古墳は古墳までたどり着けない、たどり着けないからこの駐車場の看板でいいそうで・・・ならこんな時期にやるな!!で、次もですね。。。。。20220129(万葉藤) posted by (C)ふぁみり~キャンパー万葉藤でこちらの藤の名所なんですが、当然ですがこんな時期に藤の花が咲いているわけもなく。。。。春にやれば見事な藤が見れるのに。。。。それにこの藤の名所に至る道路は桜並木になっていて春には見事な桜が見れるんですが、当然この時期に桜なんか咲いているはずもなく。。。。だから時期間違えてるんだって!!、こんな時期にやるな!!で、この後のスポットはもっと過酷(笑)でしてね、まああまりに時期が悪いんでまあもう少し経ってから(イベント期間2月中です)行こうと思ってますが、過去に川に落下して死亡事故も起きてる坂の途中だったり・・・・大崎山って山の中だったり・・・・豪雪の下田の奥の方だったり・・・・目的地にたどり着けないから駐車場でOKってスポットが目白押し(笑)いやいや駐車場にたどり着くのも結構。。。。どれも冬場に行きたいところじゃないんだけれど。。。。だからこんな時期にやるなっての!!何を考えてるんだか・・・・・ということで今日は三条市の時期を間違えてるパワースポット巡りの話でした・・・・撮影日不明2021(光君6) posted by (C)ふぁみり~キャンパーまあ光君の写真だけは春にしとこう・・・・多分加治川堤の桜見に行った時の奴じゃないかな~~と思うけれどようわからん。。。。ではまた・・・
2022年02月06日
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さて今日は地元観光のお話です、え~と今日紹介するのは・・・・20220129(本成寺1) posted by (C)ふぁみり~キャンパー法華宗総本山、本成寺です。なぜここに行くことになったかは次回以降の日記で・・・・・まあ三条市の寺なんですが市内でも観光名所として名高い寺で、新潟県と三条市にいくつかの建物が有形文化財に指定されています。20220129(本成寺2) posted by (C)ふぁみり~キャンパーまずこれがこの寺の山門、通称「赤門」説明書き撮影するの忘れたんですが、県指定の有形文化財に指定されています。で、こっちの赤門側から入ると・・・・20220129(本成寺12) posted by (C)ふぁみり~キャンパー先ほどの本堂の正面に出るんですが、こっちから入って右手側に見えるのが・・・・20220129(本成寺4) posted by (C)ふぁみり~キャンパーこちら、市指定の有形文化財に指定されてる鐘楼と多宝塔です。20220129(本成寺5) posted by (C)ふぁみり~キャンパーこれはちゃんと忘れずに撮影済み・・・まあ詳しい内容書くよりこっち読んでもらった方が早いんで。。。。20220129(本成寺6) posted by (C)ふぁみり~キャンパーこっちが多宝塔、この多宝塔と鐘楼はすっかり色が剥げてたんですが最近修復されて色を塗りなおしてますね。随所に彫刻が施されてるんですが、彫刻も色の塗りなおしがされて綺麗になっています。20220129(本成寺7) posted by (C)ふぁみり~キャンパーこっちが鐘楼、まあこの中にこの寺の鐘が入ってるわけで、まあ文化財って言ってもまだ使ってるんで。。。。でこの寺にはもう一つ山門があって・・・・20220129(本成寺8) posted by (C)ふぁみり~キャンパーこっちは「黒門」赤門に比べるとかなり小さいですがこれも市指定の有形文化財です。20220129(本成寺9) posted by (C)ふぁみり~キャンパーまあ詳しくは説明書きを読んでください。。。。気があればですが・・・・で、こっち側から入るとさっきの本堂がある境内に出る途中に・・・・20220129(本成寺10) posted by (C)ふぁみり~キャンパーもう一つ市指定の文化財があります、それがこれ六角形の千仏堂です、まあこの後貼り付ける説明書き読めばわかるんですが中は2つに区切られていてまあ奥の方に1000体の仏像が安置されてるから千仏堂20220129(本成寺11) posted by (C)ふぁみり~キャンパーお寺の御堂の名前って中に何が安置されてるか現わしてる場合が多いんですよね。例えば地蔵菩薩が安置されてるから「地蔵堂」、千手観音が安置されてるから「千手堂」、不動明王が安置されてるから「不動堂」、薬師如来が安置されてるから「薬師堂」、釈迦如来が安置されてるから「釈迦堂」なんて具合です。20220129(本成寺3) posted by (C)ふぁみり~キャンパーこっちからさっきの本堂がある境内に入ると20220129(本成寺13) posted by (C)ふぁみり~キャンパーこんな感じ・・・・でもって今回この寺に来たのはこれらの文化財を見に来たわけではなくてですね。。。。20220129(本成寺14) posted by (C)ふぁみり~キャンパーこの木が目的だったりします、この寺の本堂の裏にある樹齢700年の大ケヤキ、でどうしてこの木を見に来たのかは・・・・まあそれは次回のお話といたしましょう。。。。20220129(本成寺15) posted by (C)ふぁみり~キャンパーまあとはいえこのお寺、本成寺のお話はこれで終わり、次回のお話はまた別のスポットになります。え?御朱印?、あ~、御朱印マニアのブロ友さんがですね、神社の御朱印とお寺の御朱印は別にもらうのがルールだと教えてくださいましてね。御朱印帖は先の高龍神社のだけでそれは神社用でお寺用の御朱印帖は無いのでありませ~~ん・・・・(笑)まあ言うほどマニアじゃないからマメに集める気がないとも言う(笑)撮影日不明2021(光君5) posted by (C)ふぁみり~キャンパーということで今日は法華宗総本山「長久山本成寺」のお話・・・・ではまた・・・・
2022年01月30日
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さて前回の日記をアップした日がですねまあ割と天気が良くて翌日、翌週と天気悪そうだったので、結局その日に行くことになりまして。。。。あ~前回言ってた高龍神社の話です。。。。この神社は蓬平温泉の最奥にある神社でしてね。。。。蓬平温泉自体が長岡の山の方にある温泉地で、結構雪深いところでして。。。。20220108(高龍神社2) posted by (C)ふぁみり~キャンパーまあこんな感じのところにある神社で、雪降ってる時に行きたい神社でもなく。。。。まあ晴れてて除雪がきちんとされてればね。。。。まあ駐車場から20220108(高龍神社3) posted by (C)ふぁみり~キャンパーこ~んな階段を登っていく山の上にあるんですけれどね。。。。途中この急階段はエレベーターでショートカットできるんですが・・・・この先・・・・20220108(高龍神社5) posted by (C)ふぁみり~キャンパーこっちはショートカットできません。。。。まあ最後ちょっとはどうしても階段上らないと来れないと。。。。20220108(高龍神社4) posted by (C)ふぁみり~キャンパーこの階段の途中に手水舎とかトイレとかありまして。。。。20220108(高龍神社1) posted by (C)ふぁみり~キャンパー上まで登ると下は雪で覆われてるとまあこういう塩梅です。。。。高龍神社は蛇神様でしてね。。。。下の売店に参拝セットっての売ってるんですが、まあお供えする蠟燭と酒、それに蛇が大好きな卵がセットになってます。3つセットで550円と割合良心的な価格設定となっております(笑)で、毎年弥彦神社で交通安全のお守りと、お札、この高龍神社で破魔矢とお札って言ったんですが。。。。この神社縁起物が値段の割に見栄えがするんですね。20220108(高龍神社6) posted by (C)ふぁみり~キャンパー今回買った破魔矢・・・・これで2000円、他にもバリエーションがあります。弥彦神社のより見栄えがするんで最近は破魔矢はこっちで。。。。で、まあこういうの書くと欲しがるブロ友さんとかいそうなんですが・・・・年始限定御朱印ってのがありまして。。。。20220108(高龍神社7) posted by (C)ふぁみり~キャンパー今年はこの限定御朱印ネットで取り寄せも可能だったんで欲しい人はどうぞというブログを書くつもりだったんですが。。。。希望者殺到であっという間三が日どころか2日くらいで取り寄せ分受付終了。。。。ということで後は行かないと貰えません(笑)まあちょっと蓬平の山間部ですがなんとか。。。。道がね~~、あんまりよくないんだよね~~限定御朱印はもう一枚ありましてね。。。。20220108(高龍神社8) posted by (C)ふぁみり~キャンパーこっちは今年の干支バージョン・・・・今年は寅年なんで、龍虎でバランス良いんですよね。。。。あ~限定御朱印はいちいち御朱印帳に書いてられないんで、限定枚数書きだめです。無くならなければ1月中貰えますが、無くなったら終了、今年はその内一定枚数をネット取り寄せ可能にしてたんですが、それもすぐに枚数に達して2日で終了。。。。ということであとは無くなる前に神社に行くしかないと。。。。まあ神社のすぐ近くに温泉もありますんで(蓬平温泉)、温泉ついでにどうぞ。。。。ちなみに縁起物の破魔矢や熊手は下の土産物屋で買えますが御朱印は上の神社に行かないと貰えません、ということで最後ちょこっとの階段と上の雪まみれ境内は避けて通れません(笑)まあそもそも駐車場から参道の土産物屋までも雪まみれですが。。。。途中の道も雪まみれ(笑)ということで、今日は高龍神社の縁起物と限定御朱印のお話。。。。撮影日不明2021(光君2) posted by (C)ふぁみり~キャンパーいつもの〆の光君は今日も「何時撮ったんだかわからない(笑)」去年の?光君です。。。。ではまた。。。。
2022年01月10日
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さて今日はですね初詣のお話です。まあ毎年恒例の弥彦神社なんですが、最近は弥彦神社と高龍神社に行くってのがパターンなんだけれど、今年は年末年始に雪が降り、まあちょっと路面状態が悪いと・・・・20220102(弥彦神社1) posted by (C)ふぁみり~キャンパーで、2日くらいにはだいぶ回復したんで2日に行ったんですが、高龍神社は蓬平の山の中なんで雪の時に行きたい立地ではないので、まあ無難なところで弥彦ということで。。。。え~とこれも以前に話したような気もするんですが、私には兄がいましてね兄は隣町の燕市に住んでるんですが(というか実家燕市なんで)、兄の家は初詣弥彦には行かず毎年新潟の白山神社に行きます。なぜかと言いますとね、兄はなぜか弥彦と相性が悪く弥彦に行くとろくなことがない、私も兄もまだ子供の頃、ケガや病気をするとよく祖母が「痛いの痛いの弥彦の山に飛んでけ~~」と言ってました。まあきっと、弥彦にはこれまで飛ばした「痛いの」が溜まってるんでしょうね(笑)、で、兄が弥彦に行くとそれが返ってくると(笑)、なぜか私には返ってこない「痛いの」・・・・(笑)で、弥彦神社に向かう途中にあるのが・・・20220102(弥彦神社2) posted by (C)ふぁみり~キャンパー出来た当時日本一の高さだったこの大鳥居・・・今は他の鳥居に抜かれて日本一ではないんですが、かなりでかい。。。。ただですね、神社の鳥居ってのは人間の領域と神の領域を分ける結界の意味がありましてね、鳥居から先は神の領域、神域ってことになるんですが、この鳥居があるの弥彦村の入り口の方でしてね、こんなところに鳥居があったら村全体が結界の中になってしまって神域ってことになっちゃうんですが。。。。おちおち立小便も出来ませんね(笑)まあ冗談はさておき・・・・20220102(弥彦神社5) posted by (C)ふぁみり~キャンパー今年の弥彦は結構な混雑、まあ去年までコロナで行き難かったのでその反動でしょうね。。。今度はオミクロン株ってのが流行りだしてますが、どうやらこれまでのものに比べて重症化率も致死率も低いようで、もういい加減「たいして死なない」コロナに過度な自粛はしてられないということでしょうね。。。。今回の感染拡大でどの程度の人が重症化し、どの程度の人が死ぬのかでコロナに対する見かたは変わってくるかもしれませんね。ワクチン接種が進んだことで前回の感染拡大は感染者の増加の割に死亡者が少なかった、この比率がさらに下がると、いい加減自粛してられんって風潮が広がっていく可能性はあるでしょうね。20220102(弥彦神社4) posted by (C)ふぁみり~キャンパーとは言え真面目な日本人の民族性、マスクと手指消毒は欠かせない、この真面目さはコロナ抑制には効果がありそうではありますが。。。。コロナが流行りだしたころ、「マスクや消毒なんか気休めだ」なんて意見も多かったんですが、結局のところ最も長くその効果が出てるのはその「気休め」だったりしますね。世界的に見ても日本のコロナ感染率って低いんですよね、それはこの日本人のクソ真面目な民族性が大きく影響してるのかもしれませんね。20220102(弥彦神社3) posted by (C)ふぁみり~キャンパー焚き上げもやってますので古い古札なんかはここで燃やします、お守りやお札の効果は1年ということになっておりまして。。。。あんまり古いのは期限切れ(笑)20220102(弥彦神社6) posted by (C)ふぁみり~キャンパーもうちょっとで入れそうなんですが・・・・まあ結構な寒さでしてね、行きの車ではルンルンだった光君が・・・・20220102(光君1) posted by (C)ふぁみり~キャンパーそろそろ限界・・・・「寒いよ~~」「退屈だよ~~」まあまあもうちょっとだから・・・・20220102(光君2) posted by (C)ふぁみり~キャンパー寒さと不安でこのありさま・・・・・も~~、だから家で待ってなさいって言ってるのに・・・意地でもついてくる、留守番は大嫌いです。。。。我が家の天然毛皮は結構寒がりでして。。。。20220102(弥彦神社7) posted by (C)ふぁみり~キャンパーやっと中に入れてもまだこんな・・・・まあでもようやくここまで来て参拝まであとちょっと・・・・弥彦神社の参拝作法は他の神社と若干異なり、2礼「4拍」1礼ってのがこの神社の参拝方法、これは古社の参拝方法でしてね、もともと神社ってのは一霊四魂といって荒魂(あらみたま)・和魂(にぎみたま)・幸魂(さきみたま)・奇魂(くしみたま)の四つの魂にそれぞれ拍手を打つ4拍が正式でしてね、それが廃仏毀釈があった明治から戦前にかけて神社祭式行事作法が改訂され再拝2拍手1拝が参拝作法と定められました、それでもある程度格式のある古い古社の一部は昔の参拝作法を守り今に至ってるわけです。まあこういうのは決まり事なんで素直にそれに従っときましょう(笑)ということで今日は弥彦神社の初詣のお話、まあ高龍神社も1月中には行く予定なんでその内アップしますね。弥彦神社ではお札と交通安全のお守り、高龍神社ではお札と破魔矢ってのが最近の我が家のトレンドでして(笑)撮影日不明2021年(光君1) posted by (C)ふぁみり~キャンパー最後はもう何時撮ったんだかよくわからん去年?の光君です・・・ではまた・・・・
2022年01月08日
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さて新年あけましておめでとございます、我がブロ友さんにおかれましては新年早々呑んだくれて正体無くして酔いつぶれていることとお喜び申し上げます。なに?そんなのはお前だけだって?(私のブロ友さんは下戸が多い)おかしいな~~正月といえば「酒」でしょうが・・・・新潟ではですね正月は子供も酒飲んで酔いつぶれてもいいと条例で決まってまして(嘘・・・)正月に子供に酒飲ませて遊ぶのは恒例行事というものでして(冗談です・・・)我が家の子供もですね今年ついに20歳になる予定でしてね、来年の正月には堂々と酒が飲めると。。。いや~二十歳になったら焼き肉屋で酒を飲もうという約束がですね・・・、いやまあ焼き鳥屋でもいいんですが(笑)って何の話だ。。。。という事でまずは毎年恒例我が家のおせちから・・・・三段重に刺身の盛り合わせ(安かったから買った・・・)、鳥の竜田揚げ、のっぺ(新潟の郷土料理)、松前漬け、枝豆(冷凍)、ポテトフライ、生ハム、写ってないけれどハムと玉子のフルーツサラダです。まあこちらではですね大晦日の夜に年越し料理という事でまあちょっとしたごちそうを食べるのが習わしで、まあ我が家の場合はおせちもこの時から食い始めるんと。。。。おせちというのは正月3日くらいまでは来客も多いし台所仕事をしなくてよいように、日持ちのする料理を作り貯めておこうって風習ですから、我が家の場合ですね、この大量に作った料理をですね、31・1・2と3日かけて食うわけでしてね、まあそういう意味においておせちなわけでしてね。。。。まあ生ものはすぐに痛むので刺身なんかはだいたい新年を迎える前に無くなってしまうのですが。。。。重詰めが日持ちのする、いわゆる正月料理となるわけでして・・・まあ家庭で作るとなるとそんなに品数作れるものでもないので、同じ料理が2カ所に入ってたりしますがまあご愛敬で。。。。去年までとちょっと変えたのがですね、え~私も年を取りまして・・・・豚の角煮ってのは本来豚の脂身を美味しく食べる料理で、バラ肉を使うんですが、数日食い続けるので脂がきつくなってきましてね・・・・今年はですね、脂身の少ない肩ロースを使って、さらに煮る前に表面を炙って余計な脂を落としまして。。。。まあ角煮っていうより煮豚ですね。それと松前漬けの味がどうも尖がってる気がしましてね、今年は生のタレに漬け込むのではなく、一度火入れして酒を飛ばし甘味を出してみました・・・・まあ後はだいたい毎年同じようなもの作ってますので・・・・お重の方はだいたい毎年私が作るんですが(伊達巻以外は・・・)揚げ物やサラダなんかは嫁の方が得意でしてね、揚げ物は材料と油の温度差が重要な料理でして、まあ理屈がわかってりゃできるってものでもなく、まあ作れなくはないんですがあんまり得意じゃないのでね。。。。特に下味をつけて揚げる竜田揚げは嫁の得意料理でしてね、まこういうのはどうせ勝てやしませんから任せてしまった方が良いわけでして。。。。あ~途中で登場ハムと玉子のフルーツサラダと新潟名産のル レクチエです。刺身はですね今年は出来合いにしましてね、まあ安かったんですね、大間の本マグロの大トロとアワビが入っておりまして・・・、まあそれでこの値段?って価格だったので。。。まあ大体がですね、新潟はマグロが不味い土地でしてね、静岡が長かった私は新潟でマグロはほとんど食わないんですが、これは大変美味しい。。。。溶けましたね(笑)まあ逆にですね静岡あたりで甘エビ食ってもちっとも美味しくないんですね、まあそれぞれの地域に地域に向いた食い物というのはあるものでしてね・・・わざわざ場違いの食い物を食うよりもその地にあった食い物が美味いのは当然のことでして・・・・、まあ静岡なら甘エビよりも桜エビですわね。。。。今時流通が発達して各地の美味いものが食べれるようになったとはいえ、やっぱり地の物というのはあって、同じ値段なら味が違う、味が同じなら値段が違うってなものでして。。。。あ~酒はですね、これも写してないけれど魚沼の銘酒「鶴齢」の純米生原酒のにごりざけでして、まあにごりで生酒ですので酵母が生きていますので瓶の中で発酵してガスが出ます、なので発泡性です。でもって年越し蕎麦食ったら新年なわけでして・・・今年はですね、このべちょっとしたかき揚げがね、、まあ好き好きのでるところなんですがね、この揚げてちょっと時間がたってべちょっとしたかき揚げがね~~美味しいんですね~~、これがまた蕎麦かうどんに入れるとですね、つゆによく馴染みましてね~~、あ~このべちょっとしたかき揚げはスーパーに売ってたやつです・・・揚げたてでカラッっとしてないところがいいんですよ、このべちょっとしたところがね(笑)、でこれが野菜中心のかき揚げってところがまた良いわけでして・・・・ってなんの話だ・・・、で蕎麦食って年が明けましたら、初詣と・・・・毎年恒例の弥彦神社・・・・今年は2つ行きましてね・・・2回行ったら2度目は「初」じゃないから初詣じゃないだろうという突っ込みは置いておきましてね・・・・まあ弥彦の翌日にですね・・・・高龍神社・・・商売の神様でしてね、どうもこの神社に参拝するようになってから(というか内勤になってから)鰻登りに職位が上がりましてね、実は今年からもう一個職位が上がりまして。。。まあその分責任ちゅうのもついて回るものでしてね、まあ今年もつつがなく仕事の方も回るようにちゅうことで・・・・あ~近年ほぼほぼ毎年来てましてねこの神社・・・・まあぶっちゃけて言いますとね、実は弥彦神社の縁起物(破魔矢とか熊手とか)がですね、値段の割にしょぼくてですね(笑)この神社縁起物が値段の割に実に見栄えがしましてね、まあそれでも破魔矢とお守りは弥彦で買うんですがね、熊手はこっちの神社で買うわけでして・・・あとだるまね・・・・商売の神様なんですが商売っ気がないんですかね~ま~~安いんですよ・・・・まあ厄を払うのが破魔矢で、福をかき集めるのが熊手ですからまあそれも良かろうという事でして。。。。弥彦と比べればそんなに大きな神社ではないんですが、まあ県内でも結構有名な神社でしてね、参拝客もそれなりに多いんです、しかも、この神社蓬平温泉の奥の雪深い山の中にありましてね、来るのも大変でして。。。で、そのくせ渋滞するんですよこれがまた。。。。「雪」「渋滞」「狭い山の上」と三重苦でして・・・・龍神様をお祀する神社でしてね、御使いは蛇、お供えは玉子と酒でしてね。。。。この神社今年で鎮座630年、遷座100年に当たりましてね・・・今年はこの記念にですね「限定御朱印」がもらえるんですね、1月の間だけね・・・・まあ見たい人は1月中に雪深い山奥の神社まで来てですね、参拝して御朱印を貰えば見れるということで。。。。って意地悪するとクレームが来そうなので。。。。貰いました・・・・蛇がですね、金色になってさらに龍が入り、ついでに祝「鎮座630年、遷座100年」の文字が入って朱印も変わったと。。。。まあ別物ですね・・・・元々この神社の巫女様字が綺麗なんですよね~、あと丁寧。。。。なんだか御朱印帳も新しいバージョンが・・・・金の龍と・・・・蒔絵バージョン(ちょっと高い)・・・・普段は丁寧に直書きして説明までしてくれるんですが、正月は忙しいので書置き・・・・、直書きがいい場合はですね、御朱印帳1ページ目に御朱印直書きした御朱印帳を買うという手があります(ノーマルバージョンのみ)年末の間に巫女様がせっせと書き貯めておいてくれたのだそうで・・・・え~と実はこの神社の巫女様がですね、アメーバでブログやってまして。。。。https://ameblo.jp/mikochika19逐一情報が発信されてましてね、まあ詳しくは巫女様のブログでも見てください。今日はおせちと初詣「弥彦神社」&「高龍神社」のおはなしでした・・・高龍神社は山の上なのでちょっと怖い・・・・、ここまでくればきっとご利益があるかも(笑)ではまた・・・・
2020年01月05日
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さて今日はですね、余ってるネタの消化です、今日のネタはですね先にアップした越路のもみじ園の後のお話でして・・・越路まで行ったのでまあついでに子供の御朱印収集の足しにという事で・・・え~このあたりまで来るとですね、山の中腹に巨大なお社が見えるんですが、まあそれが今回のネタでしてね、まあ遠くから見てあれは何だろうと思ってる人もいるかもしれませんが、一応それなりに名の通った大きな神社でしてね。かなり巨大なお社なんですが、近代的に建て替えられていて鉄筋コンクリート造りで今一つ風情がないのが欠点ですが、大きさはそうとな物です。今写ってるのはですね本宮と言ってまあ年間の半分くらいはこっちが参拝場所になるんですが・・・今の時期はこっちは閉まっていてですね、替わりにこっちの内宮が開いてます、でこっちの内宮が閉まってるときは向こうの本宮が開いてるわけでして。。。まあどっちもですね、五色のろうそくを奉納するので有名な神社です。起源はかなり古く縄文の時代まで遡ると言われる神社なんですが、この御殿ができたのがですね昭和後期ですのでまあ建物自体はかなり新しい神社ですね。巨大な鉄筋コンクリート製。。。。で、この内宮と本宮も年間の半分くらいは開いてないわけなんですが(どっちかが開いてるとどっちかは閉まってるから)、それ以上に開いてないのがですね、このもっと奥にある・・・・この奥宮でして・・・・遠くから見ると山の上にそびえたってる御殿はこの奥宮なんですが、まあ一年のほとんどの時は閉まってます、開いているのは年間に何日もない祭礼の時だけでして。。。。この神社の一番の祭礼はそのろうそくを奉納する神幸祭という夜祭でしてね、11月初旬の深夜に行われます。この時にはですね多くの参拝客が訪れますので神社周辺の売店も開くというわけでして・・・というかこの神社周辺に数件あるお店はですね年間のほとんどの時は閉まってるのですよね。。。。でこの祭礼が深夜なものですから遠方からの参拝客は神社に泊まることもできましてね、宿泊所も兼ねるわけで建物が近代化し巨大になっていったわけでして。。。。まあ内部は撮影禁止なので外からの写真だけなんですが、全体像はこんな感じです・・・ね~デカいでしょ~~巨大なんですよ・・・建物の巨大さだけなら県内屈指と思いますね。。。。さて、この神社のお話はこれで終わりなんですが、まあ一つのネタにするほどではない話題をついでに。。。え~とですね、あるブロ友さんがですね、ある食べ物を紹介してたんですが、それがですね私の大好物のネタでしてね、あ~~久しぶりに食べたくなった、どうしてくれよう。。。。という事で取り寄せまして、京都の本店から・・・・京都ぎおん下河原の「やよい」という店でしてね、この店のちりめん山椒が絶品なんですよ、このちりめん山椒を食べるとですね、味が違いすぎて他のちりめんが食えなくなる、なので普段ちりめんは買わないんですね・・・・で、なんでこんなものを知ってるかというとですね、まだ父が元気なころ横浜の叔母からよく貰いましてね。。。。ってなんで横浜の叔母が京都のちりめんをくれるのかって?、あ~この店ですね東京のデパートに出店があるんです、日本橋の三越本店と新宿の伊勢丹に売ってるんですね。http://www.yayoi-ojako.co.jp/ネット取り寄せもできるんですけれどね、送料が高くついていかん・・・・で、ブロ友さんはこの店の昆布も紹介してたんですけれどね、それも食べたことあるんですよ・・・・まあ美味しいのですけれどね。。。。で、これ紹介してたの東京のブロ友さんなんですけれどね、ちょこちょこ新宿に行ってるんだから(過去のブログから・・・)わざわざ取り寄せなくても伊勢丹に売ってるって。。。。残念ながら東京と京都以外に出店はないので新潟からだとですね、取り寄せる以外に手がないわけでして。。。。まったく余計なものを・・・1000円のちりめん山椒取り寄せるのに送料800円も払っちゃったでないの・・・・で、これはですね読めと子供も好きなので2日で無くなった・・・・送料込み1800円があっというまに。。。次取り寄せるときは送料もったいないから2~3袋まとめ買いだな。。。。という事で今日は宝徳稲荷のお話・・・ではまた・・・
2019年12月22日
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さて我が家の御朱印行脚の旅第二弾です、と言ってもですね、このブログでも神社仏閣の紹介はかなりやってるので、一度は紹介したことなる場所ばかりかもしれません、まあ特に珍しい御朱印だけを選んで収集するってつもりもないので、取りあえずは御朱印がもらえそうな近隣の大きい神社手あたり次第ってことになると思います、まあスタンプラリー感覚だね。。。。我が家の御朱印行脚2か所目は・・・・長岡の悠久山公園の中にある蒼紫神社です。長岡藩3代藩主牧野忠辰を祀る神社です。牧野忠辰の死後、京都の神祇道管領の吉田家より、蒼柴霊神の神号が贈られこれを祀ったのがこの神社の始まりです。当初は蒼紫大明神と言われてたのですが、神仏分離令により蒼紫神社と名を改めました、ところで・・・・「悠久山」「蒼紫」ってアニメ好きな人にはピンとくるものがあるのでないかと。。。。明治剣客浪漫譚「るろうに剣心」、そう「るろ剣」の十本刀「悠久山安慈」と御庭番衆「四乃森蒼紫」はこの神社からつけられています。作者の和月伸宏が新潟出身でしてね、この漫画の登場人物の名前の多くが新潟の地名からつけれれています、明神弥彦=弥彦神社巻町操=巻町神谷薫=長岡市神谷地区新津覚之進(比古清十郎)=新津市三条燕=三条市&燕市柏崎念至=柏崎市まあほかにもまだまだあるけれどこんな感じ。。。。ということでこの神社の御朱印・・・・まあ普通ですが悪くない感じですね。。。。上のマークは長岡藩の家紋三つ柏ですね。さてついでに温泉・・・・まあコミュニティー銭湯、スーパー銭湯みたいなもので正しくは温泉ではありませんが。。。。一応人口の炭酸泉があります。天然温泉でないので分析表はありません。スーパー銭湯ってきれいな施設が多いので内装や設備は温泉より良かったり。。。。まあ泉質は比べるべくもありませんが・・・・銭湯だから・・・・料金は土日祝日大人600円、子供300円、平日大人500円、子供250円シャンプー・ボディーソープ完備、サウナ有り、露天風呂有り、休憩所有り、食堂有り。まあ設備的にはそれなり。。。。営業時間は8:00~23:00、最終受付22:30です、まあそれなりに遅くても大丈夫なレベル。。。。我が家からは比較的近い位置にありますので。。。。後はパンフレット紹介。。。。こっちが表・・・・でこっちが裏・・・今日は蒼紫神社とみつけ健幸の湯「ほっとぴあ」のお話・・・・ではまた・・・
2019年02月28日
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ちょっと前にアップした高龍神社に再訪いたしました。まあちょっと別の用があってそのついでなのですが・・・・前回の日記でこの神社、御朱印帳のデザインと、特徴的な御朱印で御朱印コレクターには人気があるてなことを書いたのですが、ブロ友さんにも御朱印コレクターの方がおられまして。。。。それならなして代わりに貰ってきてくれないのよ~~・・・・って、だから御朱印はもともと納経の印なんだから自分で行かなきゃ意味がないと。。。。御朱印のなんていうかデザイン的魅力でコレクションしているコレクターにはそのような理屈は通用せず。。。。も~~、しょうがないな~~高龍神社はですね。。。。長岡の山間部に位置していて、雪が降ると行くのが大変なのです。。。。凍るし、積もるし。。。。我が家周辺とは全く違う雪景色で。。。。言わんこっちゃない。。。。しかもこの神社この崖の上でして・・・・もっとも参道も整備されてるし、エレベータもあるのですけれどね。。。。凍ってはいるけれど・・・・高龍さまの御使いは白蛇様、こう寒くちゃ冬眠してますって・・・・・蛇は変温動物なんだから。。。。ブツブツ・・・・目当ての御朱印帳はこれ・・・・龍神様を祀る神社なので御朱印帳には龍が描かれています。この神社、御朱印の方もちょっと特徴的で、御朱印アップしてる人のサイトでは龍の鬚が描かれているということだったのですが。。。人によって鬚だという人と蛇だという人が。。。。記入していただいた御朱印の説明ではそれは鬚でなくて、龍神様の御使いの蛇だそうです。。。。なるほどそう言われりゃ確かにこりゃ蛇だね・・・・おろしたての御朱印帳には見開き3枚分使ってこんなに大きく・・・・御朱印帳は1200円、御朱印は300円です。御朱印記入してもらうと、この神社で祈祷、お清めしたお米がいただけます。ご飯を炊くときにこのお米を混ぜて炊くと龍神様のご加護があるそうです。まあ高龍様は商売繁盛、金運上昇で有名な神社ですのですでに現役引退された方にはあまり縁がなさそうな気もしないでもないが。。。。ということで今日は高龍さまの御朱印のお話。。。。御朱印もらうときに我が家の分も欲しいということで晴れて我が家にも1冊目の御朱印帳が。。。。この雪の中谷底に落ちそうになる危険を冒してまでもらってきたんだから大事に使いんしゃい!!ではまた。。。。
2019年02月12日
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さて今日は弥彦神社のお話・・・・遅れてアップした初詣の日記が弥彦神社だったので、ブログでは2週間ぶりですが、実際には1月ぶりです。2月に来ることはあまりないのですが。。。。ちょっと降ったのでそれなりに雪があります。まあ去年の大雪に比べれば微々たるものですけれど。。。。昨年は平成30年豪雪(北陸豪雪)でえらい目にあいましたから・・・・・1月中旬からの大雪で1月12日には新潟市(普段そんなに雪降らない・・・)でも積雪80cmを記録し、ここから数週に渡って雪が降り続いたことにより、交通網はズタズタ、普段数十分で着く勤務先から自宅への帰路に何と3時間以上を要し。電車は止まる、運送屋は動かない(ヤマト運輸が集配送の中止を決定)まあ雪国なんでそれなりの雪対策はしてるのですけれどね・・・・昨年の雪は里雪型で、普段降らない平野部にがっつり降ったものですから。。。。除雪機能を上回る降雪が各地であったため、除雪が追いつかない、そうこうしている間にも雪は降り続き、都市機能を麻痺させていったわけです。電車は動かない、道路は降り積もった雪で凸凹で、一度ハマったら抜け出すのに一苦労、そこかしこに立ち往生した車がいて大渋滞、その間にも雪は降るので状況は加速度的に悪化・・・・今年は幸い雪が少なく大変過ごしやすい冬となっています・・・・今のところね。。。。さて、この昨年の大雪の影響が今年になって表れている部分もありましてね・・・・それが、各市町村の財政悪化です。記録的に降り続いた豪雪の除雪費用って馬鹿にならなくてですね、県内30市町村中23市町村が財政調整基金を取り崩しました。我が三条市も除雪費が大幅にかさんだため財政調整基金の取り崩しをおこなっており、昨年の経常収支比率は最悪。まあ記録的豪雪で支出が一気に増えたので収支のバランスが崩れたということなので、三条市の場合はすぐにどうこうということは無いですが・・・・まあ県内でも財政調整基金、市町村の貯金に当たる金が多い市ですので。。。。でも笑ってられない市町村も中にはあってですね。特にひどいのが北陸の小京都と言われる加茂市・・・・もともと財政状態あまりよくなかったのですが(まあ理由は追々書きますのでちょっと待つ!!)昨年の豪雪で完全に底をつき、ほぼ空っぽ。経常収支比率は99.9%、財政調整基金はもうほぼ空っぽの87万円、って家庭の貯金かってレベルです(笑)、ちなみに三条市の財政調整基金は67億円です。加茂市はですね合併新法による市町村合併が進んだ平成の大合併の時にどこの市町村とも合併しなかった市でしてね。。。。まあ県内でも弥彦村とか聖籠町とか刈羽村とか合併しなかった市町村は他にもあるのですが、刈羽は原発、聖籠は火発、弥彦は観光と小さいながらも町村の財政基盤を賄う収入があったのですが、加茂には何にもない。。。。じゃあなぜ合併しなかったのかというとですね・・・・加茂市の市長が小池清彦と言いましてね、この人当時国民新党だった亀井静香と仲が良くてですね(加茂市の加茂大橋は小池市長と亀井静香のパイプが作った橋だと言われています)言い方は乱暴ですが亀井氏に騙されたというのが適当じゃないかと。。。。加茂は、新しい市の周辺部の地域として、さしたる投資がなされることもなく過疎化し、北越の小京都は見るかげもなく、やつれはてていくでしょう。合併によって、高い水準の福祉のまち加茂はなくなります。合併によって、県下20市中最低の保育料は消滅し、大幅な値上げが行われるでしょう。合併によって、強力な自然環境保護条例で自然環境がしっかり守られているまち加茂はなくなります。合併によって、200万円までの無担保・無保証融資をはじめとする商工業に対する手厚い支援と保護はなくなります。合併によって、商店街に対する手厚い支援と保護はなくなり、大型店が新たに進出してきて、商店街は壊滅するものと思われます。商店街協同組合もなくなり、商店街の力は弱まっていくでしょう。合併によって、農機具補助等の農業に対する手厚い支援と保護はなくなります。合併によって、加茂の文化会館は閉鎖になるでしょう。合併市の中心部に大きな文化会館が建てられ、その結果、加茂の文化会館の運営は重荷となり、閉鎖されることになるでしょう。合併によって、加茂商工会議所はなくなり、商工会議所活動は停滞するでしょう。合併によって、コミュニティセンターの百円風呂はなくなるでしょう。コミュニティセンターは整理統合されてしまうでしょう。合併によって、温泉も閉鎖されるものが出てくるでしょう。合併によって、学校や保育園の中には統合されたり廃止されたりするものが出てくるでしょう。合併によって、加茂市地域の公園や加茂川河川敷の管理は手薄となるでしょう。合併によって、県下20市中最低の水道料金は消滅し、大幅な値上げが行われるでしょう。ということで「傍観するのが最良の策」と言ってどことも合併しなかったのですが、結果はこの通り・・・・このままでは「合併しなかったことによって」北陸の小京都は見るかげもなく、やつれはてていくことでしょうね。「合併しなかったことによって」高い水準の福祉のまち加茂は無くなることでしょうね、国民新党と亀井静香にすっかり騙されましたね、可哀そうに・・・・ひどいことをする政治家もいるものですね。小池市長は当時の小泉自民党への反発から合併に反対していたようですが、加茂市の本当の敵は自民党ではなく国民新党だったようです・・・・これは弥彦神社のお土産物屋の一つ「杉山」です、ここのこんにゃくが一番大きくて美味しいのですよ・・・・こんにゃくは混雑する時よりも暇な時の方がよく味が染みていて美味しい、なので年末年始よりも今くらいの方が美味しい・・・・これで三人分・・・・大きいでしょ~~珍しく政治ネタっぽい日記ですがこのブログは基本雑記で、政治ネタは別ブログがありますので、まあ皮肉、冗談の類と思ってお読みください。間違ってもカミソリレターとか送り付けてこないように。。。。旧国民新党支持者の方とか・・・・、冗談だから冗談。。。。ということで今日は弥彦神社のお話、と言いつつほぼ昨年の大雪のお話でした。ではまた・・・・
2019年02月06日
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さて、正月・小正月の話は前々回で終わったのですが、今日は神社のお話です。高龍神社と言いましてね、県内でも商売の神様として名高いところです。高龍さまといって龍神を祀る神社で、神社自体は大正中期と比較的新しいのですがその信仰の歴史は古く600年ほど遡ると言われています。高龍さまと言えば、有名なのがその御使いの白蛇で、お供え物がちょっと特徴的な神社となっています、まあその話はあとで。。。。高龍神社があるのは蓬平の最奥、蓬平温泉を抜けて一番奥まで行ったところにあるのがこの高龍神社です、長岡市の山間部に位置し、市内でも雪深い地域で、気候によっては行くのが非常におっくな場所です。。。。凍るし積もるし・・・・で、この山の上みたいなところにあるのが高龍神社です。一応これでも参拝しやすい拝殿の方で、奥殿は冬は行けないようなところにあります。。。。下にはお供えと縁起物、それに土産物を売っている土産物屋があります。私のブロ友さんにも神社仏閣の「御朱印」を集めるのを趣味にしている人が何人かおられますが、この神社龍神を祀ってるので御朱印帳が格好良いことでも有名でして。。。。。これが高龍さまの御朱印帳、龍神を祀る神社だから見事な龍が描かれてるのですよ。1冊1200円です、まあ私は御朱印集めの趣味がないので買わないですが、この神社御朱印自体も特徴的で、実は御朱印集めが趣味の人にも人気の神社でして。。。。御朱印帳は私が代わりに買って送ってあげてもいいけれど、御朱印は自分でもらわなきゃ意味ないですよね~~ということでほしい人は自分でもらいに来ましょう、物凄い山の中ですけれど・・・・(笑)ついでにこの神社「商売」の神様なのですでに現役引退してる人もいるしな~~名刺を納めるんですよ、この神社・・・・まあ朱印も恰好良いと評判の神社ですが、見たい人は自分でもらって確認しましょう(笑)さてそれでは土産物屋でお供え物を買って・・・・と、このお供え物がちょっと特徴的でしてね・・・・高龍さまの御使いは白蛇、なのでこの神社では卵と酒をお供えするんですね。だって蛇だもの。。。。卵・酒・蝋燭がセットになった参拝セットもあります。お供え物を買ったら神社はこの上・・・物凄い急階段の上なんですが、危ないのでエレベーターが完備されています。近年安全対策でこの急階段にも屋根がつきましたが、以前は屋根もなく、「こんなとこ登れるかい!!」っていう滑り台状態で。。。。若くて体力のあるキャンパーさんはもちろん・・・・エレベーターです(笑)、だって怖いんだもの~~急だし、狭いし・・・・高所恐怖症なので。。。。え~とエレベーターはついてるんですけれどね、完全に上まで行けるわけではなく途中まで、ここから先は階段です、ただしさっきのような狭くて怖い急階段でないので。。。。階段の途中に手水舎があります、ここまでくればあと少し。。。。ってほとんどエレベーターで来ましたけれど・・・・(笑)はい到着、これが拝殿です、こんな山の上不便だろうなと思うでしょうが、この拝殿と駐車場に荷物を運ぶゴンドラがありましてね・・・・まあ人が乗れるような代物ではありませんが。。。。。下はこんな感じ・・・・キャー!!、怖い!!この画面に微妙に写ってる右端から左端に下ってる線がゴンドラを通すワイヤーです。まあこれで「ゴンドラ」とやらがどんなものか想像がつくというもので。。。。は~い、きっと手で動かすやつです。。。。(笑)、たぶん・・・・はい参拝・・・・こちらの神社のおみくじもちょっと変わっていて、普通は「小吉」「中吉」「大吉」ですよね、この神社のおみくじには「半吉」ってのがあります、半分吉?。。。。外の燭台に蝋燭を灯し、中に入ってお供えを供えます、でここに名刺を納める場所もありまして、持ってきた名刺も納めます、まあ名刺がないリタイア組は行きつけのキャバ嬢の名刺でも納めましょう(笑)何?、品がない!!、そんなことないでしょうが。。。。この神社、破魔矢とか熊手とかの縁起物が安いのでいくつか買いましたら、御神酒を貰いました。参拝セットにもついてるので1本余った・・・・え~とですね、地元の酒蔵で「お福正宗」という酒を造ってる酒蔵の酒です、この酒蔵が即醸酛発祥の酒蔵でしてね。。。お福酒造と言います、まあ地元だからね。。。。ということで今日は高龍神社のお話・・・ではまた・・・
2019年01月28日
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さてずいぶん久しぶりの日記になりましたが、今年初めての日記となります、本年もよろしくお願いいたします、新年早々ちょっと体調を崩したりいろいろとバタバタしていたので遅い日記となりました、まあちょっとタイミングが遅れましたが「年始」のお話を書いていきますね、まずは今年の初詣・・・・毎年恒例の弥彦神社です、「越後一宮」越後国開国の祖神「天香具山命」を祀っています。県内では新潟市の白山神社と1・2を争う初詣の定番スポットです。この弥彦神社、我が家は毎年この神社に参拝するのですが、私の兄の家族は毎年この神社でなく新潟市の白山神社に初詣に行きます。なぜかと言いますと、兄はなぜか弥彦と相性が悪く弥彦に行くとケガをしたり体調を崩したりとろくなことがない、何でだろうといろいろ考えたのですね、そしたらですね・・・・(笑)私も兄もまだ幼いころ、転んでケガをしたり痛い思いをするといつもこう唱えていました、「痛いの痛いの弥彦の山に飛んでけ~~」結論としてですね兄にとって「痛いの」は全部弥彦に溜まってるんですね(笑)だから弥彦に行くと「痛いの」が全部返ってくる(笑)、ということで弥彦を毛嫌いして弥彦に行かない兄でした(笑)まあ同じように育った私はそんなことはないのできっと私の分の「痛いの」も替わりに兄が貰ってくれてるのでしょうね、子供の「痛いの」を飛ばすときにはまあ今後行くことがないような「チョモランマ」くらいにしておくといいかもしれませんね、行く可能性のある所は「痛いの」が返ってくることもあるようなので(笑)この神社は炊き上げもしています。お札やお守りの期限は1年間で、去年のお札やお守りは期限切れ、新しいお札を貰って古いものは返納します。返納したお札やお守りはこうして炊き上げてお返しするわけです。我が家は毎年この神社でその年用のお札と破魔矢、それにお守りを貰います。神社のお札や縁起物ってお金を収めて分けてもらうもので一応「買う」とは言わないことになっています。お札や破魔矢は授与品と言って、お金をお供えしてその見返りとして授けてもらうもので「買う」ものではないのですね、なのでそれを授けてくれる巫女さんも大概の場合「ありがとうございました」とは言いません、商売じゃないので・・・・まあ建前としてですが・・・・ちなみに我がブロ友さんにもコレクターがいる「御朱印」も納経印ですから「買う」ものではありません。本来は写経を納経した印としてもらうものなんですが、今は授与品と同じようにお金をお供えしてその見返りとして記載してもらうものですね。授与品は営利を目的とした販売物ではないので税金がかかりません、宗教法人は非課税と言われるのはこういうことで、宗教法人でも営利を目的とした販売物には税金が課税されます、微妙ですが、蝋燭や線香などの一般でも販売している「商品」には税金がかかるのが一般的です。田舎とはいえ、参拝客の多い一宮ですので結構な人手です。まあこれでも日にちと時間帯ずらして行ってるのでだいぶましな方なんですが・・・・我が家は毎年2日の夕方に行きます、1日は混む。。。。意外と混まないのが2日目の夕方なので・・・・この神社にはですね、神鹿がいます、鹿苑がありますので・・・・さてこのブログではこれまで基本的に「政治」「宗教」のネタは封印してきました、一般にコミュニケーション会話として「政治」「宗教」「野球」の話はタブーと言われてまして、イデオロギーやドグマ、それに趣味的な拘りが色濃く出るこういう話題はとかく争いの原因になりやすいのでそういわれています、そういうのを目的としたブログであればそれを語り合うのも良いのですが、ここは他愛のない雑談をする場として設けた場所なのでそういう話題は不向きということであえて避けてきたのですが、実は昨年末から封印してきた「政治」ネタを書くブログを管理しやすいFC2に立ち上げました。まあ私のブロ友さんでも政治ネタ書く人っているんですが、中には困った人もいましてね。まあ共通のブロ友さんもいるので具体的なことは書きませんが、反論、批判するとキレる人って結構いましてね、あるブログに反論を書いたら、キレて議論とは関係のないこのブログに書いた極個人的なことを持ち出して議論とは関係のない誹謗中傷をし始めた人がいまして・・・で、ちょっと強めに言い返したらもう手が付けられない、私のコメントは削除、書き込み禁止にするくせに、自分はほぼ私を特定して誹謗中傷、悪口のオンパレード。。。。まあここで言い返してもいいんですが向こうが完全に頭に血が上ってて論理性もくそもない悪口でしかなくなってるので罵りあいにしかならないのでブログが荒れるだけ。しばらくはある人の政治ネタブログを間借りして反論してたのですが、まあ基本罵りあいで迷惑なので昨年末から別ブログに切り離しました。まあアホらしい不毛な争いだからお互いにもういい加減に止めようとは何度か言ったのですけれどね、結局その後1年以上嫌がらせと誹謗中傷が続いてまして(汗・汗)まあそういう趣旨で立ち上げたブログなのですがついでにこれまで封印してきた、喧嘩になりやすい「政治」「宗教」ネタを書く場として利用することにしました、せっかくなのでこのブログとリンクさせますので、今後更新情報のみこちらに記載しますのでよろしくお願いいたします。さて安倍政権が歴代有数の長期政権となっています、2月には吉田茂を抜いて歴代4位、戦後2位、8月の衆議院選を乗り切れば佐藤栄作を抜いて戦後最長、11月には桂太郎を抜いて歴代1位になる可能性も出てきました。なぜこんな長期政権になったのでしょう?一般に長期政権になる要因は経済と雇用の安定ですが安倍政権の場合、雇用も経済も先の民主党政権よりはマシになりましたがそれよりも大きな最大の要因は我が国「リベラル層の劣化」と思います。いくら与党を批判、糾弾しても野党の支持率が伸びない、そのうち与党支持率も政権支持率も回復する・・・、結局自民党の替わりになる政党がない、替えがないから変えようがない。じゃあなぜ野党は支持されないのでしょう?ここに我が国リベラル層の劣化があると思います、与党というのは曲がりなりにも多数の支持を得て政権についているのですから基本的には多数派です、私のような「無党派層」が増えた現代ですが、それでも他の野党と比較して自民党の方がマシということで自民党を選んだ層が多いから選挙で勝つことができるわけです、、基本的に多数の支持を得ているので現状の支持を維持できれば政権を維持できるわけで、現状の支持層を維持する努力をすればいいわけです、ところが野党はそうはいかない、現状支持層が少ないから野党なのですから現状支持を得られていない層を積極的に取り組んでいく必要があります、無党派はもちろんのこと現状の自民党支持層にも自らの政策をアピールして自民党支持層から自党支持層に変わってもらわなくちゃならない。ところがです、現在の我が国リベラル層の態度はどうかというと・・・・メディアの言うことを鵜呑みにして自ら思考することがないから反論に弱い、論理的な反論を受けると言い返せない、言い返せないならそこで考えればいいのに、変にエリート意識だけは高いので反論が我慢できない、「理解できないのはお前が馬鹿だからだ」という態度をとる・・・・これで支持なんか広がるわけがない、自分たちが少数派で多数派を取り込み支持を増やしていかなければならない立場だということも理解できてない。選挙なんか勝てるわけがない、無党派層は野党の味方とか勘違いしてるようですがそうじゃない、野党の味方でも与党の味方でもない層が無党派層です、最近の若者は政治に興味がないというけれど、ちょっと疑問をぶつけたら「理解できないのはお前が馬鹿だからだ」なんて態度をとられたら政治に興味なんかわくわけがない、むしろそういう態度をとられた若者はこう思います、「あの人たちの言うことは嘘ばかりだ、あの人たちの言うことならきっと間違えているに違いない」ならそれと反対のところに投票すればいい。野党をダメにしたのは我が国のリベラル層だ、この無能な似非リベラルを一掃しない陰り我が国に未来はない。とまあこんな内容を別ブログでは取り上げていきます。ただし先のような趣旨で立ち上げたブログなので、初っ端から「喧嘩の場」「罵りあいの場」と化してますので喧嘩になるのが嫌な人はスルーするか見るだけにしてください、このブログにはある女性ブロガーさんにネットストーカー行為を繰り返してる不適切な輩も出入りしてるようですので、特に女性ブロガーさんは付き纏われる危険性がありますので・・・・何か書きたいことがあればFC2なので「非表示コメント」の記載ができますので「非表示」を推奨いたします、向こうは向こうで別のコミュニティーが出来上がってるのでこちらの常連さんのコメントは無理にいりませんので・・・・向こうの内容を向こうではなくこのブログにコメントするというのは推奨しません、ネットストーカーを甘く見てはいけません、ここまで来ますので・・・・書くなら書いたことが分からないような手段でコメントを残していただくことを推奨いたします。ということで今日は弥彦神社初詣のお話とちょっとやばい新ブログ立ち上げの紹介・・・・新ブログのURLはこちら・・・・http://negoto143.blog.fc2.com/archives.html今後更新情報のみこちらに転記します(ただし、主張として確立してるものに限り、ネサヨさんとのやり取りがメインの日記は転記しませんので頻度は低めです)これも神鹿・・・・、ではなくて我が家の似非トナカイでした。。。。ではまた・・・
2019年01月13日
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悠久山公園に行きました、悠久山公園には長岡藩3代藩主を祀った蒼紫神社あります。享保7年、既に隠居していた牧野忠辰が死去し、それに伴って京都の神祇道管領の吉田家より、故人忠辰に蒼柴霊神の神号が贈られました、これを当時の藩主牧野忠寿が長岡城東隅に社殿を造営して忠辰の霊璽を奉安したのが蒼紫神社の始まりです。明和8年に忠辰50周忌により大明神に昇格。天明元年に三官山を開拓して社殿を造営し現在地に移転しました。戊辰戦争で長岡藩が負け、一時栃尾に移転されたのですがすぐに戻され、後の神仏分離令で蒼紫大明神から蒼紫神社に変わりました。「明神」とか「権現」とかいうのは本地垂迹説の勃興により、仏教の仏が神の姿を借りて現れた仮の姿であるという考えが普及しましてね。明治の蛮行「廃仏毀釈運動」の影響ですね。まあ日本の宗教史の一大転換期の一つでもありますので・・・・明治維新と言いましてもそこには日本の近代化をもたらした功績の部分と、それによる弊害をもたらした害の部分もあって、功罪合わせて明治維新なんであって、すべてが輝かしい光の中で改革が進んでいったわけではないのですね、そこには当然に闇があり、廃仏毀釈運動もその闇の一つです。まあそもそも戊辰戦争からして官軍側がすべて正しかったわけでないですし。特に北越戦争以降の戊辰はいらぬ流血を招いた罪は当然に官軍側が受けねばならない罪過でもありますね。防ごうと思えば防げた流血の色彩が強いですので。。。。官軍側の頑迷さが不要な流血を招いたのが北越戦争以降の戊辰の悲劇とも言えますね。まあ戦争の正義など勝手なもので、言い換えれば正義などどちらにもないのですよ・・・双方が悪あるがゆえに起きるのが戦争とも言えますね。さて・・・・せっかく悠久山公園に来たので熊でも見に行きましょう・・・この公園には熊がいるんですよ。と思ったら。。。。熊永眠していました・・・あら死んじゃったんだ。。。、しかも先週に・・・ツキノワグマ。。。。まあ一応これも熊っちゃ熊だが。。。。アライグマ・・・・やっぱりサイズがね・・・ツキノワグマほど大きくないから・・・・これも熊・・・、光君の宿敵アナグマです(笑)え~とですね、ダックスフンドというのはこのアナグマを狩るために品種改良された犬でしてね。。。もっとも光君はミニチュアなのでより小さなアナウサギとかを狩るために小型改良された品種ですが・・・・もともと銃猟犬だから小さい割に吠え声がうるさい、大きな声で飼い主に獲物の存在を教えるのですよ。大きな声にも意味があるんですね。でもって相手がこっちになると・・・光君は逆に狩られる方かな?犬にとって猛禽類は天敵、ただまあ梟や鳶には光君は大きすぎるかも・・・鷹や鷲だと完全獲物ですね、まあでも相手が梟ならいいとこ鼠や兎。。。犬の視界って上には向きにくいから上から襲ってくる猛禽類には弱いんですね。なんか心なしか獲物を狙う目つきになってるような気も。。。。僕は餌じゃない、餌じゃない・・・・これはコハクチョウ、まあ白鳥は犬は襲わないね・・・・こっちは。朱鷺の近縁種、朱鷺も数が少なくなって保護されてますが、本来朱鷺は水田を踏み荒らす害鳥で、駆除の対象だったんですよ。まあ動物愛護なんて言ってもそれは人間の都合によるもので、動物側からすればいたって自分勝手なものなんですね。あとこの公園にはですね、猿山があります、まあ実際問題としては絶滅危惧種が絶滅しても実害はなく、ただ一つの種を絶滅に追い込んだという贖罪の気持ちが残るのが嫌なだけ。醜い人間のエゴが生み出した動物愛護ですね。絶滅危惧種というのは人間が乱獲し、環境を破壊し、住む場所を奪われて数を減らしてしまったものです、その環境を作り出したことを反省する意味はあるかもしれませんが、環境に適応できなくなった者が滅ぶのは自然の摂理です、かつて恐竜が滅んでしまったように・・・命を弄んではならない、奪ってしまった命は可能な限り有効に使わなければならない、それが奪ってしまった命に対する礼儀というもの。。。「地球のため」「動物たちのため」いいや違う、人間は人間のためだけのために動物を保護しているのですよ。全ては人間のためです、最後にケツをまくるなら最初から飾らなければいい。。。後はですね・・・・兎がいます・・・まあほかにも孔雀とかハクビシンとかいるんですけれど。。。まあミニ動物園的なのかな~~今日は悠久山公園のお話・・・ではまた・・・
2018年11月04日
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さてしつこいですが猛暑が続きますね~~ということで木陰散歩第三段・・・・加茂山公園です・・・青海神社があるところですね。加茂市と京都のつながりについては過去に何度か書いていますが、そもそも加茂市というのはかつて京都の賀茂神社の社領だったところでしてね。。。もともとはこのあたりは青海郷と言いまして、青海首一族というのが治めていました、で彼らが祀っていたのが始祖椎根津彦命でこれが青海神社の始まりです。で、その後このあたりは賀茂神社の社領となり、合わせて青海神社には賀茂神社の分霊を合祀することとなったのですね。木陰と水場が多いのでもう少し涼しいかと思ったのですが、やっぱり暑いですね。。。。今年のこの暑さは何なのでしょうね・・・・地球温暖化の影響も少なからずあるのでしょうね・・・・こう暑くてはブログどころではなく、またしてもサボり気味になってますね・・・そもそも私のブログは「行った場所のレポート」なので外に出れない事には話にならない、で、こう暑くては外出する気にもならないということで。。。。これがこの青海神社の拝殿です、神社というと真っ先にイメージするのがこの拝殿です。神社で御祭神が祀られてるのは拝殿ではなく本殿、神社の本殿は人が入ることを想定していない場合が多く、たいていの場合本殿は拝殿よりも小さく、神社というと一番大きな拝殿に目が行きがちです、位置的にも本殿は正面になる拝殿の奥、表側からは見えない場合が多いですので・・・・こっちが本殿、ここには椎根津彦命、賀茂別雷大神、賀茂建角身命、玉依媛命が祀ってあります。この神社の本殿は三つの神社が合殿したつくりになってましてね、青海神社、賀茂別雷神社(上賀茂神社)、賀茂御祖神社(下鴨神社)が一つになったのがこの神社です。なので椎根津彦命が青海神社の御祭神、賀茂別雷大神が上賀茂神社の御祭神、賀茂建角身命と玉依媛命が下賀茂神社の御祭神というわけです。先のような謂れの神社なのでこのような形式になるわけですね。加茂市はこの賀茂神社の社領であったので加茂市と名付けれれたのですが、京都に鴨川が流れるように、加茂にも加茂川が流れます。越後の小京都と言われてましてね・・・・で、加茂市には二つの酒蔵がありましてね・・・一つが雪椿酒造の雪椿、もう一つが萬寿鏡の甕覗・・・・この甕覗が恐るべき酒でしてね、一升甕に入った日本酒で付属の柄杓で汲んで飲むのですが、何しろ器が甕ですので当然飲み切らねば酒が劣化する、開けたら一升飲み切るという呑兵衛向きの酒でして(笑)まあ瓶に移せばいいんだけれど、せっかく甕に入ってるんだからね~~、瓶に詰めたら面白くない、やっぱりここは一気に一升・・・・(笑)まあ人が集まった時には面白い酒と思います、味も悪くないですよ。新潟は酒造王国で、各地に面白い酒がいろいろとありますので。。。。私の住む三条市にも「福顔」という酒蔵があります、さて日本酒と言えば「冷」「燗」とありますが、私のお勧めは冷でも燗でもない「常温」新潟の酒というとすぐに出てくるのは「越乃寒梅」ですが、まあ寒梅も悪くはないけれど・・・・他にも特徴的な酒がたくさんあります。おっとすっかり酒の話になってしまっているので話を戻しましょう・・・まあ日本の神さまは古くから酒が大好きですから大丈夫でしょう。。。。そういえば「赤坂自民亭」とか言って話題になりましたが当の安倍総理は「下戸」でしたね・・・・我がブロ友さんにも「下戸」がおりましてね。。。。せっかく新潟の美味しい地酒を贈ってあげたのに・・・・「お酒の味がする~~」って文句を言ってきた人がいましたね(笑)そりゃそうでしょうよ「酒」だもの。。。。(笑)下戸に酒あげたんかい!!、ってまあそんなこともありましたな。。。。まあ米と並ぶ地元の名産品ですからね(笑)、米、酒、米菓つくづく米と縁の深い県でしてね~~さて減らず口はこの辺にして・・・この神社「鶯張廊下」ってちょっと変わったものもありましてね、歩くと鶯音を発するという全国でも極めて珍しい廊下でして・・・・この神社でですね・・・・猫に逢いました、まあこのあたりに住み着いているのでしょうね・・・・こっちのは動く眠り猫・・・・もとい、子猫もいます。。。。まあこの神社のある公園には茶店が何軒かあり、餌にも困らないのでしょうね・・・・今日は加茂山公園の青海神社のお話し・・・こっちは眠り犬・・・ではまた・・・
2018年07月25日
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さてやっぱり暑いので犬の散歩に困ると。。。。前回の弥彦神社が意外と涼しかったので、この方向で・・・・仁和元年に京都の石清水八幡宮からその分霊を勧進したのが始まりと言われています。御祭神は誉田別尊、気長足姫命、比売大神まあ一応この地域の総鎮守ということで・・・・三条市の三条祭りはここの例大祭なんですよ・・・・まあただ弥彦神社より木陰が少ないのでやっぱり暑いね・・・・神社の周りも住宅地で熱気がこもるし。。。。三条八幡宮は最初東大崎の八幡山にあったのですが、鎌倉時代に里に下り現在の位置に遷宮されたのですよ。この八幡宮の参道として続いているのが八幡小路。。。。三条八幡宮は北三条駅近辺の神社で、このあたりは所謂寺町、多くのお寺があります。この神社から駅を基点にして反対側にあるのが東別院、駅を背にして右側にあるのが八幡宮で、左側にあるのが東別院、でこの東別院からのびている小路が三条市の台所というか飲み屋街「本寺小路」です。八幡様のお祭りが三条祭りで、東別院のお祭りがお取越し、取越報恩講です。三条祭りは春のお祭り、お取越しは秋のお祭りですね。三条夏祭りと並ぶ地元の三大祭りってとこでしょうか(笑)三条市は金物の街、金物の製造が盛んな街です、三条八幡宮には境内に金物の神様を祀った金山神社があります。金山神社は金山彦神・金山毘売神を祀った神社で鍛冶と鉱業の神様です。この神様は日本神話に登場する神様でしてね、イザナギとイザナミが様々な神様を産み出した神産みこの神生みで最後に生まれたのが火の神「火之迦具土神」で何しろ火の神様ですので・・・産んだはいいけれど陰部を大火傷してそれがもとでイザナミは死んでしまうのですよ。でイザナミが火傷に苦しんでいる時にその吐瀉物から産まれたのが金山彦神と金山毘売神の2神です。本寺小路で飲み過ぎた酔っ払いの吐瀉物からは何も産まれませんが、そこはそれイザナミは天地開闢において神世七代の最後にイザナギとともに生まれた日本の原初の神の一人ですので・・・・ゲロ吐く時もただでは吐かないのですよ・・・・・同じくこの時イザナミのうんこから産まれたのが波邇夜須毘古神と波邇夜須毘売神、土の神様です。で、小便から産まれたのが彌都波能売神、水の神と和久産巣日神、この和久産巣日神の娘が食物の神「豊受比売神」です。ハッハッハ、転んでもただでは起きないのです。。。。でイザナミは結局死んでしまうのですけれどこの死体から産まれたのが八雷神です。でイザナギは死んだイザナミを取り戻そうと黄泉の国まで連れ戻しに来たのですけれど、イザナミの姿は腐り蛆がたかって醜い姿になっていたのです、これに恐れおののいて逃げようとしたのですけれどね、この時追ってきたイザナミを黄泉平坂を大岩で塞いで追ってこれないにしたのですね。これに怒ったイザナミは「お前の国の人間を毎日千人ずつ殺す」と言ったのだそうで、対してイザナギは「それなら私は人間が決して滅びないよう、毎日千五百人ずつ産ませよう」と言ったのだそうで・・・・人の生き死にはこの時のイザナギとイザナミの壮絶な夫婦喧嘩に端を発しているんですって。イザナミが生き返ることができず、黄泉の国から出れなくなったのは黄泉の国の食べ物を食べてしまったからで、黄泉の国の食べ物を食べると黄泉の国の住人になるのだそうで・・・なんだかギリシャ神話のペルセポネのお話によく似てますね。ペルセポネというのは豊穣の女神デメテルの娘でしてね、冥界の王ハーデスに冥界に連れ去られたのです、でデメテルはゼウスにこれを猛烈に抗議、怒ったデメテルは地上に実りをもたらすことを止めたんですね、大地は荒廃しました。ゼウスはついに折れてハーデスにペルセポネを地上に戻すように命令したのです、こうして大地は再び実りをもたらすようになったのですが、ペルセポネは冥府の食べ物である柘榴の実を食べてしまってたのですね、冥府の食べ物を食べたものは冥府の住人となる、これがオリュンポスの掟でした。困り果てたゼウスは1年を食べてしまった柘榴の実の数で割り、1年の内1/3を冥界で、残りの2/3をデメテルの下で過ごすように決めたのです。デメテルはペルセポネが冥界で過ごしている間、地上に実りをもたらすのを止めたのです、こうして地上には四季ができたのですって。神話って洋の東西を問わずどこかに共通するものがありますね。今日は三条八幡宮のお話し、まあほぼ神話のお話でしたけれど・・・・ではまた・・・
2018年07月21日
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さて暑い日が続きますね、こう暑いと外に出るのも嫌になりますね。こちらも度々「熱中症に気を付けて」って市内放送が入ります、不要な外出は控えて涼しい室内にいるのが良いのでしょうけれど、あんまり家に籠ってると光君が退屈しまして・・・・暑さのピークが過ぎた頃を見計らって弥彦神社に行ってみました。越後一宮です、木陰が多いので意外と涼しかったです、まあ5時過ぎに行きましたので日中は知りませんが。。。。暑いし特に何かイベントがあるわけでもないので空いています、御祭神は「天香山命」、越後国開拓の祖神です。古社ですので参拝作法が通常の神社とちょっと異なります。まあでもその前にまずはお清めです、手水舎がありますので・・・・これ「てみずしゃ」でも間違いではないのですが普通は「ちょうずや」と読みます、手や口を清めるための場所ですね、参拝前によるのが一応の作法です。もうすぐ拝殿ですがこういう神社の参道は真ん中を歩かないというのも作法です、神社の参道の真ん中は神様通る場所でそこは空けるのが作法となっています、まあ神仏を信じる信じないは人それぞれですが、神社という宗教施設に来たならそのルールに従うのがマナーですね。私はそんなものは信じないというのならそもそも神社には来なければいいのです。誰もそんなことは強制しませんので・・・・これが拝殿です、ここで古社独特の普通の神社とはちょっと違う参拝作法があります、一般の神社の参拝は二拝二拍手一拝といいまして、2度深く頭を下げた後で2回拍手を打ちます、しかしこの弥彦神社は古社であるがゆえに古式の参拝作法となりますので二拝四拍手一拝となります、こういうのを長拍手と言いまして、現在の日本にはこの長拍手の風習が残る神社は数えるほどしかありません。古来神道には一霊四魂という概念がありまして、荒魂、和魂、幸魂、奇魂それぞれに拍手を打つというのが作法となっています。今の二拝二拍手一拝の作法は国家神道の普及とともに統一された略式の参拝作法で、一部の古社ではいまだこの旧神道の正式な作法が残っています。先にも言いましたが信じる信じないは別問題で、神社という宗教施設に来たからにはその作法に従うのがマナーです。嫌なら来なきゃいいのです。他者の信仰を見下したり、むやみに否定したりする行為は野蛮です。神社は観光施設である前に宗教施設なのですよ、郷に入っては郷に従えと言います、個々人の信仰はさておき訪れた時にはそこのルールに従いましょう。こちらは斎館、勅使をお迎えする建物です。古社ですので・・・・、国の登録有形文化財に指定されています。これは舞殿と楽舎、神様に神楽を奉納するための舞台とその楽屋ですね。宗教臭い~~って当たり前でしょうが神社なんだから。。。。これも舞殿、楽舎ともに国の登録有形文化財に指定されています。参集殿、奉納される神楽を拝観するための建物です、大正時代の建物です、国の登録有形文化財です。神社には意外といろんな建物があるんですよ、全部は紹介しきれないのでその時々に紹介していますけれど・・・・ちょっと神社から出ますね、弥彦神社のすぐ隣にあって、駐車場は共用しています。だからこの神社競輪開催日には結構混むんですよ・・・・まあすぐ隣ですが神社に戻ります。競輪場に隣接している鹿苑、大正時代に奈良の春日大社から譲り受けた神鹿が飼われています、一時はこの鹿も数が減ってしまい3頭にまでなってしまったのですが、同じく春日大社の神鹿を祖先とする静岡の三嶋大社から鹿を譲り受け現在はある程度の頭数がいます。春日大社の神鹿の子孫たちです。なんか近寄ったら集まってきました、5頭ならんでシカレンジャーって感じですね。こっちは鶏舎でこれは矮鶏、鶏は「庭鳥」で日本で稲作が始まったのと同時期から鶏を飼う風習が始まったとも言われています、その長い歴史の中で苦心の末に丈夫で美しい鶏を作りだしたのが日本鶏です、ところが明治以降輸入された外来種に押され年々数を減らし、すでに絶滅の危機にさらされている品種もあります。そこで伝統ある日本鶏を保存しようと作られたのがこの鶏舎でして・・・・これは越後南京、新潟で生まれた日本鶏で軍鶏の交雑種です。越後南京は軍鶏系の日本鶏ですが日本鶏は大別するとだいたい17の系統に分類できるそうです。これは蜀丸、同じく新潟原産の鶏です、秋田の声良、高知の東天紅と共に日本三大長鳴鶏の一つに数えられています、非常に美しい声で鳴く鶏です、天然記念物に指定されています。弥彦神社は2015年に御遷座から百年を迎え鹿苑や鶏舎もきれいに立て替えられました。同じくこの時に建て替えられたのが・・・・相撲場、奉納相撲なんて風習がありますよね、意外と縁が深い日本の武術と神社の関係。。。。同じくこちらも建て替えられたのが・・・・これ・・・、これも武術の競技場なんですが、こっちからだとちょっとわかりにくいですね。逆側を見ると分かります、今は使ってないので的がありませんが、これは弓道場です。神社の境内っていろんな施設がありますね。今日は弥彦神社のお話し・・・・ではまた・・・
2018年07月18日
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白山公園に行きました。一応「梅」でも見にということで花見気分で出かけたのですが、市内は久しぶりでしたのでちょっと散歩・・・この白山神社からかつては新潟一、裏日本一と言われた繁華街「古町通り」が始まります、その後新潟市も都市開発が進み現在は繁華街はこの古町から万代に移行し、万代に多くの複合ショッピング施設ができましたので、すっかりさびれてしまっていて、かつての古町を知ってるだけに写真を撮るのも忘れるシャーター街へと変貌を遂げておりました、まあとは言えかつての裏日本最大の繁華街、それなにり開いている店はあるけれど・・・かつての面影はもはや。。。ということで写真の方は白山神社の写真がメインになります。新潟古町の歴史は古く江戸時代初期には京都・大阪・江戸に次ぐ花街都市遊郭が立ち並ぶ一大歓楽街としてにぎわいました。北前船が寄港する新潟港は江戸初期から栄える伝統ある色街でして・・・、明治になり明治新潟大火により多くの遊郭が焼失、この時期に古町は芸事が中心の花街へ方向転換します、昭和初期には新橋・祇園と並ぶ三大花街としてにぎわったのが古町の街。この伝統は現在でも古町芸妓として残っています。今はさびれたとはいえかつては一世を風靡した日本を代表する花街でしたので・・・今でも新潟有数の高級料亭はこの古町周辺に集中します。とくに有名なのは建物そのものが国の有形文化財に指定される行形亭(古町通りからはちょっと外れるが・・・)、トレド―マークは鶴と松、多くの松が植えられた庭に丹頂鶴が飼われていたことがそのマークの由来と言われています(今は丹頂鶴はいません)この行形亭の脇を通る小道を隔てかつては新潟刑務所があったため、この小道は地獄極楽小路と呼ばれました。あ、ちなみに行形亭は「いきなりや」と読みます。ほかにも「有明」「大丸」「やひこ」など新潟を代表する料亭は今でもこの古町周辺にあります。まあでもこの花街は白山神社から出た1番町とは反対側の9番町付近ですので白山神社からは遠いですがね・・・え?、料亭なんて行ってませんよ、犬連れて入るにはあまりにも敷居が高すぎて。。。ちゅうか、まあまず絶対に入れてくれませんね。それに車は白山公園の駐車場に止めてきたので9番町までは歩けない・・・ここでUターンです、このビルは裏日本初の超高層ビルNEXT21です。かつては1階~4階にラフォーレ原宿が出店しておりましたが昨年1月に撤退、まあね、飲み屋街というのは別として買い物の街としては完全に万代にとってかわられ、古町はそういう面では旧時代的でして・・・とは言えこれも過去の栄華で、裏日本唯一の地下ファッションストリート西堀ROSAがちょうどこのあたりにあります、このNEXT21それに反対側の新潟三越とは地下で連結しており、裏日本有数の地下街を今でも形成しています(地下ファッションストリートとしては裏日本唯一)このNEXT21を通り過ぎ、古町通を7番町、8番町と進むと裏日本最大と言われた古町の歓楽街にでますが・・・今はどうなっているのでしょうね?古町通の5~8と本町通りの一部はモールになっています。ーまあ地方都市の宿命というものは逃れられないもので、人口80万人を数える日本海側最大の都市新潟も、複合商業施設中心の大型駐車場を完備した場所にはやっぱり勝てないわけでして・・・夜の花街はどうなんでしょうね・・・気にはなりましたがここで古町散策終了です。これは西堀ROSAに出店しているメロンパンの専門店プレールのロイヤルメープルメロンパン。パン屋ではありません、「メロンパン」の専門店です。まあ一部普通のパンも売ってるけれど基本的には売り物は多種多様のメロンパンです。メロンは大嫌いだけれどメロンパンは好きなのよ(メロンの味がしないものに限る)・・・・腹ごしらえも済んだのでそろそろ戻りましょう・・・白山公園には県内の初詣の参拝客を2分する白山神社があります。市内の人にはおなじみの神社ですね。この神社には猿がいるのですが、この猿花粉症で・・・この時期は何時もお休み・・・・まあ随分久しぶりなうえにこの日はお休みなので、今も元気かどうかは分かりかねますが・・・白山神社は歯の神様としても信仰を集めており、これは歯固めの石・・・あ、そういや花見に来たんだったっけかね・・・一応梅の花・・・今日は白山公園と古町のお話し・・・それではまた・・・
2017年04月01日
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さて今日は弥彦神社のお話です、毎年恒例の菊祭りが終わり、これまた毎年恒例の初詣・・・実はこの間のこの時期に訪れることはあまりありません。弥彦神社は越後一宮、御祭神は天香山命、この弥彦神社は明治維新で生まれた国家神道の影響を受けず独自の伝統を守り抜いた古社の一つです。宮中行事である鎮魂祭を行う数少ない神社の一つです、鎮魂祭というのは本来太陽神天照大神の子孫であるとされる天皇の魂の活力を高めるために行われた儀式で、太陽の活力が最も弱くなる冬至の時期に行われるのが一般的ですが、弥彦神社では年2回4月1日と11月1日に行われます。さて戦前戦中の靖国神社について「天皇を神格化」して戦争に導いたなどと言われることがありますが、実は天皇を神格化したのは靖国神社ではありません。日本の神道そのものが天皇を神格化しており、明治維新で生まれた靖国神社が天皇を神格化したわけではありません、まあその辺のことは「古事記」や「日本書紀」の天孫降臨の部分を読んでもらえばわかります、天皇家というのはもともと神道の頂点の家柄で、天皇家は天照大神の命により葦原中国を統治するため高天原から地上に降りた「天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇邇芸命」の子孫ということになっています。これは靖国神社が勝手に作った話ではなく「日本書紀」や「古事記」に書いてあることです。なので古社であり国家神道の影響をほとんど受けなかったこの弥彦神社でもこのような儀式が存在するわけです。日本の神社で天皇家を軽んずる神社というのは実は全くと言っていいほど「無い」のですね、これは国家神道の影響を受けたかどうかに限りません、神道そのものが天皇家と深い結びつきがあるのですね。まあそういう家柄だからそこ担ぎ上げる神輿として丁度良かったとも言えますね。これは境内にある摂社・末社です、天香山命の後継者たちが祀られています、 第一代、天五田根命(武呉神社)) 第二代、天忍人命(船山神社 ) 第三代、天戸国命(草薙神社 ) 第四代、建筒草命(今山神社 ) 第五代、建田背命(勝神社 ) 第六代、建諸隅命(乙子神社)ちなみに妃神の熟穂屋姫命は弥彦山の山頂、妻戸神社 に祀られております。そのほかに近畿の著名な22柱を祀った二十二所社 、京都の著名な8柱を祀った八所神社 、大己貴神ほか10柱の神を祀った十柱神社があります十柱神社は江戸時代中期の造営で国の重要文化財に指定されています。さて弥彦神社の御祭神「天香山命」は・・・天照大神の孫神である饒速日尊と天道日女命との間に生まれた神様とされています。饒速日尊は神武天皇の神武東征において抵抗し敗れた長髄彦が奉じる神で、その後神武天皇に帰順して忠誠を誓ったと言われています。この饒速日尊の存在は神武天皇の神武東征より前に大和に君臨していた王権が存在する証拠として問題視されています。まあ日本を統治した最初の神である可能性があるということですね、これは境内にある「火の玉石」別名「重い軽いの石」といいましてこの石を持ち上げることができれば願い事がかなう、持った時に重ければ願い事がかなうのは遠い、軽ければ願い事がかなうのは近いと言われています。弥彦神社のパワースポットの一つですね。こっちは鶏舎・・・こっちは鹿舎・・・天香山命はその後、勅命を受け越国を平定、開拓に従事したと伝えられています、勅命ですので当然命じたのは天皇です(神武天皇)、神に命令を出せるのは神だけで、神道が天皇の祖先は神だと断言しているのがよく分かる一文ですね。国家神道などというものが浸透する前からこの国には天皇は神の子孫であるという認識が既にあったということです。これは境内にある土俵、まあ相撲を神に奉じるためのものですね。写真はありませんが他に舞を奉じる舞殿もあります。まあ古い神社ですのでね・・・こっちは弓道場、神社の境内にあるこういう武芸場は本来は神に奉じるためのもの、弥彦神社は古社ですが大正時代の大火で本殿以下ほとんどの建物を焼失し今の社殿は大正五年に建てられたもの、昨年が再建からちょうど100年、これを記念して境内の再整備を行い弓道場なども新しく建て替えたのですね。なのでまだ出来立てでとってもきれいです。越後国開国のの祖神が鎮座する神社にふさわしい格式と趣のある神社に仕上がってるでしょう。武芸とはちょっと違うし神社の境内ではありませんがすぐ隣に競輪場もあります弥彦競輪、意外にスポーツ施設も豊富な神社ですね。。。弥彦の競輪場は近くの高校(近くもないが・・・)、吉田高校の自転車部が練習に使っています、自転車競技では全国的にも強豪校なんですよ、もっとも「自転車部」なんて部活が存在する高校自体珍しくはありますがね・・・今日は弥彦神社のお話し・・・もうちょっと残ったけれど長くなったので今日はここまで・・・ではまた・・・
2016年12月25日
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さてこのブログは基本的にはこのブログのブログ主である私が行った場所のレポートであって、議論の場ではありません、たまにはそういう視点の内容のこともありますが、難しい話は前回で終わり・・・ブログのスタイルはそのブログのブログ主が決めるものであって、たとえ現在の社会を否定するだけのものであったとしても、嘘や誇張で作られた偏ったものであろうとも、それはブログ主の自由、批判されるものではありません。そこに書かれるコメントも批判は一切受け付けない、ブログ主と同じ考えのコメントだけ書いてくれればいいというものであったとしても、ブログのルールはブログ主が決めるものですからこれまた自由、批判されるものではありません。好きにしたらよろしい。嫌なら読まなければいい、行かななければいいだけの話・・・これはちょうど続けてあった2つの出来事に対して書いたものであって誰か一人について書いたものでないので勘違いしないように。。。このブログは基本的にはコメントは自由、好きに書いたらよろしい、賛否両論受け付けますが、私と対立するご意見には反論いたしますのでそれはそう思っていてくださいね。あまりに論理性がなく不適切、反社会的な内容のコメントについては都度判断させていただきますのでよろしくお願いいたします。基本的によほどのことを書かない限りクソミソに反論されるだけで、一発アウト、出入り禁止なんてことはしませんのでご安心ください、ひどく論理性に欠けたものは論理性のなさを徹底的に糾弾され、ひどく人間性に欠けたものは人格を根本から否定されるだけですので大丈夫です、多少のは目をつぶります(笑)注意、指導、があってそれでも直らないから停波にするのであって、いきなり停波にはしませんので・・・もっともここは私のブログであってルールブックは私です、私がアウトと判断したらそれはアウトですので悪しからず。。。このルールは倫理規定なんていうお飾りではなく法規範性のあるルールですのでお間違えなきように・・・あまりに非常識なものは停波もあり得ます、まあ著しく書き方を間違えたりしなければ捕って食いやしませんので大丈夫ですよ。なに?難しい話は終わりと言ったくせに出だしから難しい話だって?まあまあ、一応のこのブログのルール確認ですよ・・・さて難しい話終わり!!前回の吊り雛の写真、毎年掲載している道の駅わしまの定番ネタですが、和島と言えばお雛様なんかよりもずっと有名なのが・・・この人・・・なんだこの爺はって?こらこら失礼な・・・この人は良寛禅師です、この和島が良寛さんの終焉の地なんですね、無欲で生涯寺を持たず粗末な庵に住んだと言われていますが、実はこの良寛さん、元は良家のボンボンです。良寛さんは越後出雲崎の生まれでこの地区の名主職の長子として生まれました、良寛さんは名主職である父の後を継ぐため16才から名主見習いを始めました。人生の転機となったのは全国各地で勃発した米騒動、越後にも天災・悪疫が襲い、凶作により餓死者が出ました。村人の争いを調停し、盗人の処刑に立ち会わなければならなかった良寛さんが見たものは、救いのない人間の哀れな姿でした。で両親の説得も聞かず18才で出家し曹洞宗光照寺にて修行を始めます。その後、玉島(岡山県)の円通寺の国仙和尚を師と定め故郷を捨てます。これは良寛さんが眠る隆泉寺です。43才の時に師の国仙和尚が世を去り、諸国を巡り48才の時に故郷越後の地に戻ります。書の達人であった良寛さん、いくら金を積まれても自分が書きたいと思わないものは書かない、そのくせ子供に凧に字を書いてくれとせがまれると、嬉々として「天上大風」と見事な字を書き上げたそうです。生涯寺を持たず、国上の五合庵という粗末な庵に住み質素な生活を送りました。贅沢がしたければいくらでもその方法はあったでしょうけれどね・・・庶民に信頼され、よく教育に努めたと言われています。これが良寛禅師が眠るお墓・・・難しい説法は一切せず、自ら質素な暮らしを示し、分かりやすい格言や言葉で庶民に仏法を説いたと言われていますね。はい合掌・・・今日のおやつは・・・米粉コロネソフト・・・道の駅 わしま もてなし家の限定販売品。。。米粉で作ったコロネパンにソフトクリームを入れたものね・・・今日の温泉は・・・八木ケ鼻温泉 いい湯らてい・・・ナトリウム・カルシウム-硫酸塩泉、もっとも「今日」といってももう2週間以上たっていますがね・・・既に「今日」でない。。。この光君も2週間以上前の光君で・・・今日は良寛さんのお話し・・・ではまた・・・
2016年04月10日
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さて今日は最近の外出で数少ない温泉以外の日記です。弥彦神社です。越後一宮、創建はは不明です、神武天皇の大和国平定後、天香山命が勅命を受け越国を平定、開拓に従事と伝えられています、天香山命は地元民に漁撈や製塩、稲作、養蚕などの産業を教え越後国を造った神として弥彦山に祀られたとされていますので弥彦神社の創建はその時、越後国ができた時ということになるでしょうか?弥彦神社は越後開拓の祖として信仰を集め社殿は古代より朝廷・将軍家、武将等により、たびたび造営・修造され美麗を極めたと伝えられています。明治45年門前からの大火により本殿以下その殆どを消失、越後一宮の焼失は越後の人々に大きな衝撃を与え、その再建が望まれました。大正5年、県民の熱意を受けて現在の社殿が再建されました、ということで今年は弥彦神社が再建されて100年目の年ということになります。神社の参拝作法は一般には2礼2拍1礼ですが、これは明治維新後に統一された作法で、国家神道普及ののための手段の一つでもありました。弥彦などの一部の古社はこの統一に従わず、古くからの独自の作法を維持してきました、なので弥彦神社の参拝作法は通常の2礼2拍1礼ではなく2礼4拍1礼となります。日本の神社でもこのように独自の作法を維持している国はごくまれです。国家神道の影響を受けず、確固たる信仰対象としてその威信を保てた神社は極わずかだったということです。この弥彦神社の鳥居はは日本有数の大きさを誇りその高さは30mを超えます。かつては日本一だったのですけれどね、今抜かれて何位だかは知りません・・・しかしこの大鳥居・・・弥彦神社のだいぶ手前弥彦の村役場のあたりにあるんですよね。。。神社の鳥居は結界の名残で、鳥居は神域と人の住む世界を隔てる境界、こんなところに鳥居があると村の大半は神域で、人の住む世界ではないということになってしまいますね。これではおちおち立ち小便もできませんな、何しろ神域ですので・・・・これは弥彦の御神木・・・こんな歌が読まれています。これは・・・酒屋の御神木というところでしょうか?もっともこの杉玉は酒屋ではなく温泉旅館の入口に飾ってありましたが・・・杉玉というのは酒の熟成度合いを知れせるために酒屋の軒先に吊るされたもので、今はなんとなく見栄えがいいのでこのようにインテリアのように扱われていますね。弥彦に来たらやっぱりこんにゃくが・・・店によって若干形は違いますが、まあこのように三角に切ったこんにゃくを割り箸に刺すのが一般的でしょうか?このこんにゃくは年末年始や菊まつりといった観光客が多い時よりも何にもない暇な時期の方が味が良くしみていて美味しい傾向にあります。込む時はやっぱりどうしても煮込みが足りないというか味の染みが悪いような気がします。こんな感じの門前店、土産物屋で売っています。えーとこれ以外は温泉しか行ってないのでまたしばらく温泉の日記となります・・・今日は弥彦神社のおはなし・・・ではまた・・・
2015年09月12日
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さて初詣に行きました・・・毎年恒例ですが「弥彦神社」です、以前にも書きましたが弥彦神社の参拝方法は2礼4拍1礼です。現在一般的な神社の参拝作法2礼2拍1礼は明治以降に統一された作法です、荒魂(あらたま)・和魂(にぎたま)それぞれに拍手を供えるという意味がありますが和魂は本来、和魂・幸魂(さきたま)・奇魂(くしたま)の3つに分かれます、この四つを合わせて四魂(しこん)といいます。四魂はそれぞれ荒魂(勇)、和魂(親)、幸魂(愛)、奇魂(智)を司ります、この四つにそれぞれ拍手を打つというのが2礼4拍1礼の作法です。日本の神道はもともとこの2礼4拍1礼が正式な作法で、弥彦神社のような古社ではこのような昔の作法が残っているところもあります。近年おかしな事件が多いのも「荒」れた心を律することができず、「親」にばかり頼って蛮「勇」をふるい群れを作ってその中だけの「和」を良しとし、人と違ったものを受け入れられず「奇」を排除し、他人を「愛」することも「智」をもって考えることも忘れてしまって「幸」を逃してしまっているのかもしれませんね~さて言葉遊びはこの辺にして、お正月ムードもこの日曜日で終わりというところが世間一般の通常の感覚というものではないでしょうかね、このブログも次回から通常営業、いつも通りの日記に戻ります、まだアップしていない去年の日記も残っていますので、次回は少し遡って昨年の話に戻ります。まあ今日の以下の日記も昨年の話なのですがまあまあそれはそれ・・・さて、年末年始は外食の増える時期でもありますね、何かと物入りな時、出費は抑えたくもある時でもありますね。で、わりと見栄えがして美味しいんだけれど安いということで・・・居酒屋のランチはいかがでしょう・・・居酒屋というのは当然ですが夜の宴会がメインです、酒の肴ばかりと思いがちですが・・・居酒屋のランチは夜の客獲得のための宣伝で、夜の仕込みの準備の合間の空き時間に客に店を知ってもらうという目的があります。基本的に夜客の確保のための宣伝目的ですので安い・・・これは日替わりのおすすめランチですが鯖の味噌煮、刺身3種盛り、小鉢がついて680円です。ご飯はお代わり自由です。これは嫁が頼んだレディース膳・・・ミニ天丼・ミニ山菜うどん・ミニグラタン・サラダ・煮物・小鉢、ドリンクまでついて850円です、ちなみに丼物はミニ天丼、ミニ海鮮ちらし、ミニたれカツ丼から選べます。美味そうですがさすがに私がこれを頼むわけにもいかず。。。最近の居酒屋は女性客の獲得にも必死ですからね・・・このランチで味をしめて、夜に来てくれれば儲けものという計算があるのでしょうね・・・これは息子が頼んだ海鮮丼・・・850円です。まあこのボリュームでこの値段なら十分でしょうね・・・何しろ飲み屋なので刺身・生ものは慣れたもので、なかなか鮮度の良い魚介類が乗っていますね。さて新年会のシーズン、居酒屋は夜に行くものと思いがちですが、たまには昼に家族で行くのも良いものですよ。この値段だと下手にラーメン食うより安く上がるからね・・・今日は弥彦神社初詣と居酒屋ランチのお話・・・では皆様の健康とご多幸をお祈りして・・・パーン・パーン・パーン・パーン。。。4拍手ですよ~~ 注)弥彦神社でも、この作法を知らずに2拍手の人が大半です・・・ではまた・・・
2015年01月04日
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またまた間が空いてしまいましたが気まぐれブログはそういうこともあるのです、気にしない気にしない・・・今日は蓬平温泉の開湯にも影響する高龍神社を紹介しましょう。祀られているのは高龍大神、龍神様です。この高龍様の御使いが白蛇で、商売繁盛の神とも言われています。さあお参りに行きますよ。ん?どうしたの?・・・あ~、これね・・・高龍神社は蓬平温泉の最奥の山の上にありますので雪が降ると参道は雪に埋もれるのですよ、さあ気にしないで行きますよ・・・え?、こんなところは登れないって?。。。も~我儘だな~~仕方がない・・・エレベーターで行きましょう(笑)隣りにはエレベーターが完備されています・・・当たり前でないの、あんなところ登れますかいな・・・上から見た参道の階段がこれ・・・こんなところは登れませんね。。。とは言っても・・・エレベーターがあるのは途中までで・・・ここから先は石段です・・・まあ屋根があるので冬場も安心の設計ですが、まあ冬場に蓬平温泉の最奥まで来るのには結構な雪道を運転してこないとならないので・・・エレベーターがあるとはいえ神社は小高い山の上、途中雪道も歩かないとならないので、ハイヒールや革靴で来るのはやめた方がいいかもね・・・郷に入っては郷に従えといいますが、雪道に革靴で滑って転んで怪我をするなんてのは・・・なんとも間の抜けた話で、雪道を底のない靴で歩いたら滑るに決まってる、準備不足、注意力の欠如としか言いようがなく自業自得・・・階段から転げ落ちたりしたら大怪我しますからね。。。神社にきて運を捨てて帰ってはアホらしいので、まあ間抜けな怪我などしないように雪道を歩く準備はしておきましょう。山の上の社殿の前は屋根なんかありませんからね・・・結構な雪が積もっていることもありますよ。このあたりは中越地震で大きな被害を受けましたので、復興記念碑があります。3つあった蓬平の温泉旅館も皆営業再開し、神社もこうしてみごとに再建・・・高龍様のご利益ですな。。。神社の説明はこちら・・・でもって今日のおやつ・・・よもぎ大福・・・手作り無添加、原材料表示がとってもシンプルです・・・着色料・保存料・なんだかよくわからないものがたくさん書いてある食品が巷にはあふれておりますが・・・まあ食べ物に入れるのですから、毒ではない、食べれるものなのでしょうが・・・なんだかよくわからないものを食べているということが問題なのですよ。。。例えばね・・・一番一般的な化学調味料、味の素でおなじみのグルタミン酸ナトリウムが何から作られているかわかる人!!はい!!ほーら知らないでないの・・・、ゴキブリから作られていたらどうするのよ・・・知らないということはそういうことなんですよ、ひょっとしたらゴキブリから作られてるかもしれないし、ハエのうんこから作られているかもしれない、実際に虫の糞から作る着色料なんかはあるからね、なんだかよくわからないものを食べているというのはそういうこと、それに安全と言われていたものが実は安全でなかったなんてのもよくあることで・・・さて実際には・・・グルタミン酸ナトリウムは、廃糖蜜から作られています、砂糖を採った残りカスですね。まあ怪しいものは入っていないと思うのでご安心を・・・でもまあ、知らないものを食べているということは自覚しておいた方がいいかもね。。。わけのわからないものは入ってないに越したことはないわけで・・・今日は高龍神社のお話でした・・・ではまた・・・
2014年12月13日
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さてしばらく休んでいましたので久しぶりの更新になります、まあ気ままなブログですので特に書く気にならなかったので休んでいただけで何かあったわけではありません。今日は前回の湯田上温泉の帰り道のお話・・・この湯田上温泉の近くに、親鸞聖人所縁の萱があります。つなぎがやと言いましてね・・・その昔、親鸞が護摩堂山の城主に招かれ説法をした時の話・・・城主は親鸞に萱の実をさしあげました、それは萱の実を一つ一つ糸でつなげ、農民たちが年貢米の代わりに納めたものでした。親鸞がその実の人つを植えると翌年には芽を出し実をつけたといいます、不思議なことにその萱の実には糸を通した穴の痕があったそうです、そしてなぜか萱の葉はつなぎ合わせたように表裏交互になっていたという・・・この了玄寺の萱はその護摩堂山にあったものを移植したものでしてね。。。ここの萱もなぜか表裏交互に継ぎ合わせたように葉をつけます。なんだか以前よりこの表裏の葉が少なくなったような気もしますが・・・越後七不思議の一つに数えられる了玄寺の「つなぎがや」。。。寺の木々が見事に色づいておりました・・・秋の色彩ですね。ライトアップしているということでしたので夜に弥彦のもみじ谷に行ってみたのですが・・・やっぱり夜の写真は難しいですね。。。上手く撮れません・・・実は休んでる間にアメーバの方は更新しました・・・向うのブログのほうが気まぐれで、めったに更新しないのですが、書きたいテーマが向こうむきな内容でしたので・・・書いたのは犯罪者が背負うべき十字架についてです、これまでもこのブログで様々な批判反論を受けそうな事柄も書いてきましたが・・・その一部は向こうに引き継ぐことにします。。。こちらは行った場所のレポートという形で記載しておりますので、どうしても内容はそれにかかわることに限定されます。向うは文章だけでただ書きたいことを綴っていますし、基本コメントの返信もしませんので、読者に気兼ねすることもなく、ただ思うことを書く・・・気にいらないところは随時修正しているので、文章としては向うの方が完成されているかもしれませんね。。。もっとも内容は気分が暗くなるようなものばかりですが。。。私のブログの明と暗です・・・さて残りは光君・・・光君は無駄吠えはほとんどしないし、人見知りなので知らない人の前ではおとなしい・・・なので基本的には皆に「良い子ですね~」と言われます・・・まあ良い子と言えば良い子ですが・・・たぶんけっこう得な勘違いをされているような気がする・・・「うん?、良い子でしょうが・・・」そうだっけ?。。。「良い子だも~ん」そうなの?・・・らしいです・・・今日は了玄寺「つなぎがや」のお話でした・・・
2014年11月23日
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さて、頂き物というのはどういうわけか重なるもので、また頂き物です・・・キャベツ・・・なす・・・思えば子供のころは茄子が嫌いで、この茄子嫌いの原因が頂き物で・・・まだ幼い頃の夏、とにかく茄子をたくさんもらったようで、毎日のように茄子が。。。茄子のけんちん煮、茄子漬け、焼き茄子、茄子の味噌汁。。。毎日のように茄子料理が2~3品食卓に、すっかり飽きて見るのも嫌~~ということで茄子嫌い、茄子が食べれるようになったのは結構大人になってからでしてね・・・まあでもけんちんだけは今でもちょっと苦手で、茄子は焼き茄子か漬物が美味いように思います、まあこれは普通の丸茄子ですが、新潟は漬物用の茄子の産地でしてね、漬物用の小茄子で十全なすというのが新潟の茄子、水茄子なんかより美味しいと思いますよ。芋・・・まだある・・・西瓜に・・・桃。。。事あるごとに「メロン・メロン」と言ってくるブロ友さんがいるのですが、メロンなんてどこが美味しいのやら。。。青臭いし気持ちの悪歯ごたえだし。。。西瓜の方がよっぽど美味しいね・・・スイカの出来損ないがメロンなんですよ~~そうそう出来損ない。。。(私はメロン大嫌い!!)まったくもう。。。メロンは青虫の餌です・・・美味しくない!!(そのブロ友さんはメロン嫌い知ってて言ってます、笑)この小山みたいのは。。。菖蒲塚古墳です、日本海側沿岸部の古墳としては最北端に位置し、県内では最大規模の古墳です、全長53m、後円部33m、高さ3mの前方後円墳です。古墳時代前期のものでだいたい5世紀くらいのものではないかと思われています。国の史跡として指定されております。とは言ってもこうして看板がなければ・・・これが古墳だとは気づかないような気も。。。単なる小山?・・・・奈良あたりに来ると、古墳なんてそのへんにたくさんあるのですが、北陸にはそんなに沢山ないのですよ・・・新潟や富山には古墳は少ないですからね・・・新潟には国の史跡として指定されている古墳は5つ、富山には3つ(どちらも県指定史跡はもうちょっとあります)ところが奈良県には国の史跡として指定されている古墳が40以上あるんですよ・・・県指定の史跡を含めたらかなりの数に。。。しかも規模の大きものいくつもの古墳が集まっているものがそこらじゅうに・・・もう古墳なんか珍しくもなんともないのではなかろうかと。。。新潟ではね珍しいの。。。古墳。。。この近くにまだ咲いている大きな紫陽花があるというので行ってみると・・・白?・・・・・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・綺麗でない・・・・・・・赤でも青でも紫でもいいのですが、紫陽花は色があったほうがいいようですね。今日は・・・う~ん・・・ ・・・ ・・・菖蒲塚古墳のお話・・・ではまた・・・
2014年07月24日
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宝徳山稲荷大社に行ってまいりました。天照白菊宝徳稲荷大神・日本古峰大神・八意思兼大神です宝徳山稲荷大社の歴史は遠く縄文の時代までさかのぼります、殷帝大王が物部美万玉女尊に命じて瓊名の里に日の宮のみやしろを建てさせたのがはじまりといわれています。持統天皇の時代に越国56座の筆頭として「越国総鎮守一宮」の格式を賜りました。平安時代から何度も遷座を繰り返し、現在の位置に落ち着いたのは文政の時代、その後も増築を繰り返し、現在の大殿堂が出来上がりました。毎年11月2日の夜、神幸祭という行事が行われます、神々が出雲大社に行く途中、千五百万の神々がここに集まるそうです、その神々をお迎えし、願い事をするのがこのお祭り・・・歴史と格式ある神社ではあるのですが・・・社殿自体は新しく内宮が昭和49年、本宮が昭和54年、奥宮は平成5年に完成しております。鉄筋コンクリート製でいまいち趣にかけるのが欠点でしょうか?。。。しかし規模は非常に大きく、大神殿が出来上がっております・・・いくらなんでもこんなに大きな建物必要あるのだろうか?。。。入り口には奉納された酒樽がで~んと・・・これで半分くらいです・・・こちらが内宮・・・今の時期はこの内宮にしか入れません。神幸祭が終わると春まで本宮は閉じられます、神幸祭から春までの間使うのがこの内宮・・・一方春から神幸祭までの間は内宮は使用せず本宮が使用されます。本宮はこの奥・・・今は参道は雪に閉ざされていますが、外周の道路から廻れますのでちょっと覗いてみましょう・・・こんな感じです。。。本宮も内宮も建物の中は撮影禁止・・・五色のローソクを立ててお参りします。" 緑には身体健全 交通安全 学術増進"" 赤には商売繁盛 金融順行"" 黄には火難防止 五穀豊穣"" 白には家内安全" 紫には心願成就の意味がありますこれは祖霊殿・・・ここから奥宮に続く参道が伸びておりますが・・・この通り・・・まあ車道を通っていけないこともないのですがやめておきましょうね・・・この神社は・・・災害時の避難所にもなります。。。まあこれだけデカかったらね~収容人数3500人・・・やっぱりデカ過ぎな気も・。。。今日は宝徳山稲荷大社のお話・・・ではまた・・・
2014年01月27日
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今日も加茂山公園のお話です・・・先述の通り、加茂山公園にはリス園があります。中にはたくさんのシマリスが、この通り放し飼い・・・一応ケージはあるのですが、自由に出入りできるので、リスたちはその辺を走り回っております・・・入り口でヒマワリの種がもらえるので、リスたちに直接餌をあげることができます。気になる入場料は・・・・無料です、入り口にリスのエサ代をあつめる募金箱があるので志を入れて入場しましょう・・・入れなくても入れますが、気持ちです気持ち・・・追い回したり捕まえたりするのはマナー違反ですよ・・・リスをいじめてはだめです。なんだか大きいリスがいますね・・・ボスリスかな?もちろん冗談です、リスはあんなに胴長じゃあありませんね・・・もうちょっとスマートです。当然ですがリス園には光君は入れません・・・入り口で待ってましょうね。動き回る動物はなかなか撮れないものなのですが・・・何枚かは結構きれいに撮れました。。。このくらいきれいに撮れてれば十分ですよね・・・まあこれはカメラが良くなったからですね。本当はこのリス園のお話は前回の日記の後半に書くつもりだったのですが・・・写真の枚数が多くなるし長くなるので2つに分けました・・・なので今日のお話は・・・このリスだけなんですね~薀蓄に期待した人は質問をお受けしますよ~では最後にちょっとだけ・・・小泉元首相が、原発ゼロに向けて今こそ「決断」すべきだと各地で公演を行っていますね。ある意味正解、進むべき道を決めるのが政治家の仕事で、それを可能にするために考えるのは官僚の仕事・・・これ以上核のゴミを増やしてはなりませんので核に頼らないというところまでは大賛成なのですが・・・ひとつ気になるのはやはり核廃棄物の問題ですね、オンカロの最終処分場ですら原発2個分の容量しかないそうです、全国52個分の核廃棄物・・・火山列島日本、何万年も管理できる最終処分場などできる見込みはまずありませんね。そもそも地下に埋めた核廃棄物を1万年後の人間が危険なものであると認識できるのかがすでに怪しいところで・・・1000年前の遺跡から発掘された文字ですら読めない人間が?。。。ひとつ気になる技術があります、消滅処理という技術です、長半減期の核物質を核種変換して短半減期のものに変えて消滅させてしまおうという技術です。これを行うのに最も適した設備が・・・、悪名高い高速増殖炉・・・理論的には確立された技術ですが、まあまだ実際に行うとなると危険も多いようで・・・論理的には原発の原子炉でもできる、しかも核種変換は高エネルギー反応ですので発電の可能性もある・・・原発には反対ではあるんですけれどね・・・何より問題なのはこの核廃棄物の問題ではなかろうかと・・・、実際に数万年管理できると本気で思ってる人はいるのでしょうかね?・・・この問題を解決するのに、原発が利用でき地域の理解も得られるのであれば・・・使ったらよろしいのではなかろうかと・・・今はまだ無理ですよ、もっと安全に利用できる時が来たらね・・・それまでは前に進むのでも、後ろに戻るのでもなく立ち止まるという選択肢もあるのではないですかね・・・最後はやっぱり薀蓄ブログ・・・いつものように反論受け付けますが、最近はちょっと忙しいのでちょっと返信が遅れるかもね・・・今日は加茂山リス園のお話・・・ではまた・・・
2013年11月26日
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加茂山公園に行ってまいりました。加茂山には田上五社川から三条井栗、・保内までの23箇村青海郷を開拓した青海首一族の祖神椎根津彦命と大国魂命を祀る青海神社があります。青海神社は726年に創建された古社で、古くから加茂の明神様として親しまれてきました。まあそんなに古い建物が残っているわけでもないのですが・・・それでも古くからある神社ですので。。。この神社は第二室戸台風で大きな被害を受け境内の大杉200本が倒れたそうです。その後の植樹によって今はご覧のとおり・・・加茂山公園は近隣の小学校の遠足の定番でもあるのですよ・・・広い境内には広場に鯉の泳ぐ池、リス園まであります・・・低学年の遠足にはちょうど良い場所ということですね。まあ神社に来たらまずはお参りということで・・・はい、おじゃましますよ~今は珍しい鶯張廊下があります・・・こちらの庭木も冬の準備です・・・さてほかに目的もありますのでそろそろ下りましょうかね・・・神社の周りは広い公園になっていて、園内は秋色に色付き始めております・・・楓に銀杏・・・たくさんの家族や恋人たちが色付き始めた公園を散歩しておりましたよ・・・秋の風情ですね~いつもは解説を書きすぎて、雅でな~いと言われるので・・・今日はおとなしくしていましょうね・・・光君も・・・公園は大好きです・・・でもこの公園は坂や階段が多くてね~名前のとおり山ですので・・・写真も綺麗に撮れたでしょ・・・今日はちょっと短め・・・加茂山公園のお話でした・・・ではまた・・・
2013年11月25日
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三条の古いお寺に本成寺というお寺があります。主に東日本・東海地方に寺院・檀信徒を持つ法華宗陣門流の総本山です。毎年2月3日に行われる鬼踊りが有名で、日本三大鬼踊りの一つに数えられています。まあ今は時期じゃないので鬼踊りはありませんが・・・まあ秋の風情でも味わいに境内を・・・さて法華宗というのは、日蓮が興した宗教で、本尊は三宝尊、三宝尊というのは仏教の元である仏法僧を祀るための仏像で、仏の第一を釈迦如来・法の第一を法華経・僧の第一を日蓮としこれを一つにまとめたものが三宝尊ということになります。お経というとよく耳にするのは「南無阿弥陀仏」というものですね、これは南無「阿弥陀仏」、真宗などの本尊である阿弥陀如来に帰依しますという意味です、法華宗の場合は本尊は阿弥陀如来ではありませんので「南無阿弥陀仏」は唱えず「南無妙法蓮華経」を唱えます、南無というのが帰依しますという意味でこれは法華経の教えに帰依しますという意味になります。ちなみに「なんまんだぶ」とか「なんまいだー」とかいうのは「南無阿弥陀仏」の発音がなまったものでこれは阿弥陀様・・・さて日蓮宗が祀る釈迦如来、仏教の開祖「お釈迦様」のことですね。よくダメになることを「おしゃかになる」なんて言いますが、なんでダメになるのが「お釈迦様」なのでしょう?、昔江戸の金物細工の職人が、金物と金物を継ぎ合わせるときに半田を使っておりました。半田は火が強すぎると溶けて流れてしまいうまくつながらずすぐに外れてしまう粗悪品となってしまいます。そんな時職人たちは「あ~火が強かったんだな~」と言ったそうです、江戸の言葉は「ひ」が「し」に聞こえることがあります、「ひがつよかった」→「しがつよかった」→「しがつようかだ」はい、四月八日、何の日でしょう?灌仏会、お釈迦様の誕生日です、は~い「お釈迦様」になりました・・・って、駄洒落ですな・・・さて、お寺のお庭も秋の彩となってまいりました、木にひもが張ってありますね・・・なにをしているのかわかりますか?雪国では雪の重みで庭木がつぶれてしまわないように、こうして囲いをするのですね。これを雪囲いと言います。日ごとに寒くなる季節、もう雪囲いの時期なのですね。これも雪国の秋の情景です・・・色づいた楓の葉に雪囲いされた松・・・雪国の情景です・・・雪というのは軽いものと思いがちですが意外と重いものなんですよ・・・ま、30分も除雪作業をすれば雪の重さを実感していただけると思いますが・・・今年はずいぶんと早く山に雪が降り始めましたね・・・地球温暖化で雪女も退屈してたのかな?。。。暇つぶしに変な時期に雪を降らすのはできればやめていただきたいところですが・・・今日は本成寺のお話・・・光君は・・・元気です、寒くなったのでそろそろ服を着させ始めております・・・ではまた・・・
2013年11月21日
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夜の弥彦神社に行ってまいりました。なぜ夜なのかと言いますと・・・弥彦神社近くの弥彦公園にはこの時期ホタルがあらわれます。ということで蛍を見にね・・・夜なので写真はみにくいですが公園は灯篭で彩られています。蛍は写真に写そうと思っても無理なので最初からあきらめておりますので写真は無・・・たくさんの蛍が飛んでおりましたよ。弥彦神社の前は弥彦温泉の温泉街となっており温泉旅館が軒を連ねています、この灯篭の弥彦グランドホテル・・・弥彦温泉の老舗ホテルですが、年内での廃業が決まっております、経営を悪化させ倒産するよりも、今のうちに幕を引こうという経営陣の判断のようです。弥彦温泉は江戸時代から続く歴史ある温泉地ですが、2度の源泉枯渇により温泉地としての魅力は薄れかつては弥彦駅前にあった弥彦観光ホテルも今は廃墟となっております。今回の弥彦グランドホテルの廃業により、弥彦を代表する大型ホテルは残すところは「みのや」くらいでしょうか?2度目の源泉枯渇の後、新たに掘り当てた弥彦湯神社源泉は今一つ特徴のない湯でね・・・地元に甘い私でも確かに温泉としての魅力は薄いかもしれませんね~越後一ノ宮「弥彦神社」の目の前、立地的にはとても良いのですがね~ちょっと離れた弥彦桜井温泉郷には硫黄分を含む湯も出ておりますので、引き湯という手もありますが・・・せっかく弥彦に来たので神社の方にも・・・夜の神社はちょっと不気味な雰囲気がありますな・・・中学生の息子が気味が悪いと怖がっておりました。県内一のパワースポット越後国開国の祖、天香具山命の神域、越後の民である私に危害をくわえるようなことはありますまい・・・今の時期は・・・境内に茅の輪があります。茅の輪をくぐると病気をしないといわれておりますね・・・茅の輪の後ろには・・・神社の本殿・・・夜なので閉まっておりますよ、ついでなので・・・蛍スポットをもう一つ・・・道の駅国上近くの長辰ホタルの里裏ノ沢・・・ホタルにも順序があるようで、弥彦にはたくさんいた蛍・・・こちらにはまだほとんどおりませんね。こちらの蛍はもう少し後のようです・・・蛍見物はライトなんかは使用禁止、カメラのフラッシュも禁止・・・蛍を驚かせないように見ましょうね。。。とはいっても・・・都会のブロ友さんはホタルなんか見れないか・・・今日は弥彦公園の蛍と弥彦温泉のお話・・・ではまた・・・
2013年07月03日
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さて前回は弥彦神社奥の宮のお話でしたが、この奥の宮には「天香山命(あめのかごやまのみこと)」以外にもう一柱、祀られている神様がいます、それは天香山命の妃神「熟穂屋姫命(うましほやひめのみこと)」、奥の宮には仲良く夫婦そろってお祀りされているのですね、麓の本宮には熟穂屋姫命は祀られておらず、天香山命だけが祀られております。ということで今日は弥彦神社のお話・・・前回の日記に書いた通り御祭神は「天香山命」、越後国開国の祖神です、万葉の昔から「おやひこさま」と言われ人々の信仰を集めてきた弥彦神社は神領地として朝廷や幕府からも手厚い庇護を受けてきました、実は新潟ではこの弥彦神社の御祭神「天香山命」は女神で夫婦で行くと焼き餅を焼くといわれることがあります、実際には弥彦神社の御祭神は男神で奥様にやきもちを焼くなどと言うことはありません、なぜこんな噂が出回ったのかと言いますとね・・・弥彦神社の門前は温泉街でここに遊びに行くのに奥様についてこられては困るのでこのような嘘が出回ったといわれています。夫婦で行っても大丈夫なのでご心配なく・・・拝殿の入り口には・・・随神門があります、この随神門には2柱の随神が収められています、紀州熊野から天香山命に随行してきた印南鹿神(いなしかしん)の子供たちだそうです。この随神門の脇に・・・境内摂社・境内末社があります、摂社が5つと末社が3つ摂社に祀られているのが天香山命の子孫武呉神社には第1嗣 天五田根命(あめのいつたねのみこと)が草薙神社には第3嗣 天戸国命(あめのとくにのみこと)が今山神社には第4嗣 建筒草命(たけつつくさのみこと)が勝神社には第5嗣 建田背命(たけたせのみこと)が乙子神社には第6嗣 建諸隅命(たけもろずみのみこと)がそれぞれ祀られています。末社に祀られているのはそれ以外の神々・・・二十二所社には近畿周辺の著名二十二ヶ所の大神が八所神社には京都以東の著名八ヶ所の大神がそれぞれ祀られています。最後の十柱神社には大己貴神(おおなむちのかみ)と大地・水・山・海・土など国土の安全を守護する十柱の大神が祀られており、この社殿が国の重要文化財に指定されております。さてここに出てこなかったお妃様と第2嗣は・・・境外摂社としてお妃様「熟穂屋姫命(うましほやひめのみこと)」は野積の妻戸神社に・・・第2嗣「天忍人命(あめのおしひとのみこと)」は新潟の船山神社にそれぞれ祀られています。まあ家族そろって越後に祀られているということで・・・神社の石畳の真ん中は神様の通り道で、通常は空けて通るのが神社参拝の作法、神様の通り道はほかにもありまして・・・この橋は神様がわたるための橋「玉の橋」、人がわたってはいけません、境内に流れる御手洗川にかかっております、別名「御神橋」・・・こちらは手水舎、ここで手や口を清めたから参拝するのが作法となっておりますね。この手水舎の近くにはほかに火の玉石やご神木があるのですが、今日は別のものを・・・これです、これはこの国初の石油蒸留釜です、新潟出身の田代虎次郎が考案したもので、現在に残るのはこれを含めて2基だけ・・・さて参拝も済んだところで鹿でも見に行きましょう・・・境内に鹿園があるのですね・・・まああとは鹿の写真でも・・・お食事中だったようで・・・ちょいとお邪魔しますよ~立派な角が生えているのが雄ですね・・・今日は弥彦神社のお話・・・ではまた・・・
2013年06月16日
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久しぶりに弥彦神社の奥の宮に行ってきました。弥彦山の頂上にありますが、9合目までは車で行けますので、登るのは1合だけです。弥彦山はスカイツリーと同じ634mですので、その1割60mほど登るということになりますね。麓から登山道が整備されていますが、弥彦山スカイラインもあり、今は無料で登ってこれますし、駐車場も無料なので、車で手抜きもできるわけですね。麓の本殿からはロープウェイもあります、スカイラインは冬季閉鎖になりますが、ロープウェイは初詣、二年詣り用に年末年始は運転されます。年末年始に上まで来たことはないですけどね・・・ここが9合目、です、ロープウェイもこのあたりに着きます、最後の1合は車でもロープウェイでも上らねばならないことになっています。で、やがて見えるのが・・・奥の宮のこの鳥居・・・ここからは越後平野が一望できます。関東平野と同じく泥炭層が分布する広い平野で、この系統の平野はある程度の深さまで掘るとすぐに温泉が出る・・・温泉が出やすい地形でもありますね、平野部ですので火山性の温泉のような変化にとんだ泉質には期待できませんが・・・新潟には活火山がほとんどありませんので、火山性の酸性泉はほとんどないんですよ。。。その分海岸線が長いですので、古代海水起源の温泉はたくさんあります、ボーリング技術の発達により、温泉もいたるところで出るようになりましたね。今日は温泉日記ではないのでこの辺で話題を弥彦山に戻しましょう、この鳥居をくぐって階段を上ると・・・弥彦神社の奥の宮です。弥彦神社の参拝は4礼4拍4拝ちょっと変わっていますね、弥彦神社は越後国開国の祖、天香具山命を祀る神社です、その御霊は山の頂上のこちらに祀られております、同時にここは弥彦山の山頂でもありますね。実は634mの山頂はここではなくて峰続きの多宝山だったりしますが・・・さてさてこの頂上からは・・・先ほどの蒲原平野の逆側から、佐渡島が見えます・・・この日はちょうど霞がかかっており、このように雲の上に浮かんでいるような景色となっておりました。天香具山命が上陸したとういう野積浜近くの寺泊からフェリーで渡ることができますね。この寺泊に、この日記でもたびたび登場する魚の市場通りがあります、あちこち出歩いているように見えて、意外と狭い範囲なんですね。三条・弥彦・寺泊・まあ1時間圏内というところでしょうか?、山頂にはこの神社があるほかは特に何もありません・・・参拝も済んだのでそろそろ降りましょうかね・・・山頂の神社周辺は比較的平らな場所が多いので登山客のお弁当スポットではありますが・・・光君もついてきたのですが、あんまり階段を昇り降りさせると腰を痛めると悪いので・・・帰り道は抱っこです、意外に降りの方が負担が大きかったりします、まあ我が家は居住空間がほぼ2階なので、光君は階段平気ですけどね・・・かってに登るし、かってに降りる・・・まあでも念のため・・・歩き疲れた光君は素直です・・・で、1合ほど降ると・・・食堂や売店があります、ロープウェイの駅があるあたりですね、ここにはミニ遊園地(本当に小さい)もあり、平らな場所も多いので第二のお弁当スポット・・・向かいには気象観測所などがある多宝山があります。弥彦山と峰続きの山ですが弥彦山の最高峰634mはこの多宝山の山頂、神社のある弥彦山はちょっと低い・・・帰り道に・・・こんなのを見つけました、電線の終点?・・・今日は弥彦山のお話ではまた・・・
2013年06月14日
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秋葉公園に行ってまいりました。秋葉公園の名前はは園内にある秋葉神社と公園のある秋葉山に由来するもので、この秋葉神社は新津の旧家桂家によって建設されたものです、桂家三代目誉春は功により新発田藩主溝口候より田家山を賜りました、ここに邸内の秋葉神社を移し、山を秋葉山と名付けたのがこの神社の始まり。秋葉神社は全国に約400社ある神社で、その本宮は静岡県浜松市の秋葉山本宮秋葉神社です、秋葉神社は元は秋葉山の山岳信仰と修験道が融合した神仏習合の神、秋葉大権現を祀る神社です、秋葉大権現は、三尺坊大権現を祀る秋葉社と観音菩薩を祀る秋葉寺とが同じ境内にある神仏混淆で、人々はこれを一つの神として秋葉大権現と呼びました、しかし慶応4年の神仏分離・廃仏毀釈によって修験道の神である秋葉大権現は廃され、明治6年遠州大登山秋葉寺は廃寺に追い込まれ、秋葉神社に強制的に改組されました、現在に残る秋葉神社の多くは火之迦具土大神を祀る神社に改組されております。ここにもかつて観音堂があり、三代目の遺志を継ぐ孫の成章はここに祈祥碑を建立しました、ところが廃仏毀釈により観音堂は分離移転され、祈祥碑だけが残ったのが・・・これ・・・ちなみにこの秋葉神社は・・・御祭神は火之迦具土大神ではなく大国主命のようです。秋葉権現は火避け、火伏せの神として信仰された神で、同じく火の神である火之迦具土大神を無理やりあてはめたのが現在の御祭神ですので、中には違う御祭神となった神社もあるのですね・・・神仏分離・廃仏毀釈というのはこの国の寺・神社に大きな影響を与えたのですね。。。秋葉神社も大きな変換を求められた神社の一つですね。拝殿から本殿に向かう途中に・・・なぜか句碑がありました・・・由来は知りません。。。境内に猫が気持ちよさそうに寝ておりました・・・猫にとっては神社も寺も変わりはないようですね。。。さてこの公園には・・・鹿がたくさんいます・・・いるのはヤクシカ・・・、長野県の上田市から寄贈されたものだそうです。丁度餌の時間だったようで、大量の鹿が・・・まだ増える・・・う~ん、あんまりいすぎるのも可愛くないような気も・・・以前はサルもいたのですがお亡くなりになられたようで・・・今は鹿と孔雀だけ・・・孔雀の方は・・・悠久山公園の孔雀ほどサービス精神旺盛でないようで・・・ちっとも羽を広げてくれません・・・まあしょうがないですね。こっちは雌・・・この秋葉公園にも・・・キャンプ場があります。ただし秋葉山という山の中にありますので、アップダウンが激しい・・・歩き回ると結構疲れます・・・今日は秋葉公園のお話・・・今日の光君は・・・あれ?大きくなりましたね・・・って冗談です・・・こっちですね・・・ではまた・・・
2013年06月08日
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今日は悠久山公園の続きです・・・この公園には。。。猿山があります。いるのはニホンザル・・・犬猿の仲などと言いますが、光君は興味津々です。。。またサルを見物している気になっておりますね。。。これなんか家で寝ている光君にそっくり!!「うん?、なんか言った?、僕はあんなだらしない寝方はしないよ・・・」(光君)あ~さいですか・・・このように、あちこち駆け回っているサルたちですが・・・一匹気になる猿が・・・子猿を抱いた母猿なのですが、この子猿、ピクリとも動かずぐったりしているのですよ・・・これ死んでるんじゃないの?・・・結局見ている間、まったく動かない子猿、母猿は動かない子猿の毛づくろいをしたり、心配そうにしております。きっと母猿は気づいていないのでしょうね、それとも気づきたくないのか。。。何が原因かは知りませんが、自然とは厳しいものですね。。。この公園には・・・なぜか熊がたくさんいます・・・アライグマ・・・アライグマも光君に興味津々・・・向こうは向こうで犬を見物しているつもりのようです。。。これはアナグマ・・・ダックスフントは本来このクマを狩るために改良された犬です、光君のようなミニチュアは、アナウサギを狩るために小型改良されたもの。グータラですが一応猟犬です。。。「うるさいね~、誰がグータラなのよ!!」(光君)今日はやたら出てきますね~・・・この公園にはほかに大きなツキノワグマもいますが上手く撮影できなかったので写真は無し・・・他には・・・狸・・・これは朱鷺の近縁種のクロトキとムギワラトキ・・・多摩動物公園から譲り受けたそうですよ。あとは・・・コハクチョウにカモ・・・孔雀もおります・・・まあそんなに珍しい動物はいませんが・・・無料で入れるミニ動物園ですね。。。今日は悠久山公園の動物たちのお話・・・光君は途中何度か出てきていますので・・・今日の〆は・・・コハクチョウさんに譲りましょうね。。。うんうん、光君より美しいですね~「ん?、なんか言った?・・・」いいやなにも・・・ではまた・・・
2013年05月31日
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長岡の悠久山公園に行ってまいりました悠久山公園は長岡開府300年を記念して市民の有志によって作られた公園です園内には国指定有形文化財の蒼紫神社があります昨年映画化された「明治浪漫譚 るろうに剣心」の江戸城御庭番衆「四乃森蒼紫」はこの蒼紫神社から撮った名前ですね。この映画の原作者、和月伸宏が新潟出身でこの漫画の登場人物の多くは新潟の地名から取られていますね、明神弥彦→弥彦神社・巻町操→巻町(現新潟市)・三条燕→三条市&燕市・柏崎念至→柏崎市とまあこんな感じ・・・ハッハッハ、私のブロ友さんは平均年齢高めだからこんな漫画を原作にした映画きっと見ない、知らない人がほとんどだったりして・・・御祭神は天照大神です。長岡市は長岡藩の本城があった城下町ですが戊辰戦争で焼失した後、廃城となった長岡城、長岡には当時の遺構を偲ぶものが何も残っていないのですね。この悠久山公園に僅かな記念碑と資料館があるだけ・・・以前戊辰戦争で新潟は会津ほど遺恨を残さなかったと書いたことがありましたが、遺恨は若干ありましてね・・・ここ長岡では北越戦争の敗戦のきっかけを作った新発田藩の寝返りを恨み、新発田に嫁は嫁がせられないといわれました(今はそんなことはないと思います)、今日はちょっと時間を遡って戊辰戦争について書いてみたいと思います、長岡藩は奥羽越列藩同盟の越後国の中核とはいえその石高はわずかに7万4千石、同盟の中核となった会津藩(23万石)、庄内藩(17万石)、仙台藩(62万石)、米沢藩(18万石)、盛岡藩(20万石)といった大藩と比べれば小さな藩です、小藩ではありますが長岡藩は河井継之助の指揮のもと藩政改革、富国強兵を行っておりその装備は最新式に更新された精鋭であったようです。当初新政府軍、奥羽列藩同盟軍どちらにも属していなかった長岡藩、継之助は武装中立、獨立特行 を主張し新政府軍と旧幕府軍の調停を行うことを申し出ましたが、交渉は決裂、以後長岡藩は奥羽列藩同盟に合流、奥羽越列藩同盟が誕生するに至ります。越後の地は海外からの武器調達が可能な新潟港を有し、同盟軍の武器弾薬の調達はほぼここで行われており重要な武器調達拠点であると同時に阿賀野川の川筋を抑えることにより庄内・会津への重要な防御拠点でもありました。奥羽越列藩同盟に参加した長岡藩は先に新政府軍が占領していた榎峠を奪回、世にいう北越戦争の幕開けです・・・長岡藩は小藩ながら最新装備の精鋭、新潟港を有する立地もあり当時日本に3門しかなかったガトリングガンを2門も装備していたそうです、長岡藩は新政府軍を大いに手こずらせ、与板藩の助けを借り奇襲によってようやく長岡城を落とすも、再びこれを奪還されます・・・新政府軍は一度落とした城を再び敵に奪われる異例の事態に指揮は混乱を極め迷走・・・、しかしながら数に勝る新政府軍、長岡藩はしだいに劣勢に追い込まれます、この時、新発田藩の裏切りにより上陸した新政府軍によって新潟港が陥落、日を同じくして長岡城も再び陥落、奥羽越列藩同盟軍は会津に撤退を余儀なくされます。この時通ったのが・・・現在建設中の国道289号線(現在は点線国道)、三条市から只見に抜ける八十里越・・・この撤退の途中、負傷した河井継之助が破傷風によって会津を見ることなく亡くなっております・・・、継之助の辞世の句、「八十里 腰抜け武士の 越す峠」・・・越後を守りきることができず会津に落ちる継之助の心情が表れておりますね。新潟港・長岡城の陥落によって・・・戊辰戦争の中でも激戦と言われた北越戦争は新政府軍の勝利で終結、越後国全土は新政府軍の管理下に置かれることとなります。戦略上重要な武器調達の拠点であり防衛線としても重要な要衝越後の陥落はその後の戦局に重大な影響を与え、力の差は広がるばかり、戦争は次第に一方的となり掃討戦の様相を呈していきます。激戦の北越戦争をへて長岡藩の戦死者は会津藩・仙台藩・二本松藩に次ぐ四番目の戦死者数、これは藩の規模を考えれば実に大きな犠牲であったと言えるでしょう、長岡藩は戊辰戦争の敗北により石高を2万4千石に減らされ、北越戦争で壊滅的被害を受けた上に財政的にも困窮し全国的廃藩置県に先立って廃藩、柏崎県に編入されました。この蒼紫神社本殿の脇に並ぶ霊廟が・・・歴代長岡藩主牧野家の霊廟・・・しかし、まだ戦力の拮抗していた北越戦争で滅んだ長岡藩はまだよかったのかもしれませんね(実質的廃藩は廃藩置県の1年前)、その後の会津の悲劇は皆さんもご存じのところ・・・戦後処理の問題もあり会津は大きな遺恨を残すこととなります・・・戊辰戦争の敗北により会津藩は23万石から3万石にまで減らされてしまいます、会津藩の石高は23万石ですが実際の内高は40万石を上回っておりました、移封され新たに立てた斗南藩は3万石ですが実際の内高は7千8百石にすぎません、実にその石高の98%を没収されたのです。戦死した多くの老若男女の犠牲者たちはその埋葬を禁止され遺体は鳥や獣に食い荒らされて異臭を発する、遺体はごみのように扱われ被差別部落民によって墓ではなく罪人塚に葬られる・・・この時の仕打ちが、薩長に対する恨みとなって長い間残ることとなるのですね。現在でも会津では薩長に対しては言い表しようのないこだわり、毛嫌いが続いているのですね(特に長州ね・・・)長い時間が過ぎ去ったあとで恨みというにはあまりに抽象的ですが・・・会津はその後の近代化の波からも完全に取り残され、「もとは逆賊長州の逆恨み、なぜに会津がこのような目にあわねばならないのだ」という心理が自然と刷り込まれているのですね。これも戦争が生んだ悲劇・・・これは北越戦争で死んだ河井継之助の碑・・・こちらは佐久間象山門下の2虎と言われた小林病翁の碑・・・長岡駅のあたりにあったという長岡の城、今はその遺構を垣間見ることはできません城下町の面影が残るものはただ城をかたどって作られた資料館のみ・・・過去の戦争の歴史など知る由もない光君は・・・広い公園でたっぷりと散歩を楽しんだのでした・・・今日は戊辰戦争のお話・・・ではまた・・・
2013年05月29日
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加茂市に出かけました、まず最初は加茂市にある桜並木を見物に・・・このところ外出が花見に集中していて(桜に限りませんが・・・)、似合わないお花の日記ばかりアップしておりますね~あ~、ちなみにこの傾向はまだしばらく続きます・・・加茂市といってもピンときませんよね・・・え~と・・・桐箪笥の産地です。全国の桐箪笥の約70%をこの加茂市で生産しております。桐の木は成長が早く、女の子が生まれた時に桐の木を植えて、その子が嫁に行くときにその気で箪笥を作るなどと言われましたが今はそのような風習はありませんね、桐の木は生物分類学上は木よりも草に近い植物でしてね・・・桐という字は木と同じと書きますね、湿気に強く燃えにくいという特徴があり箪笥には適した材料ですね、一方で近年、桐の木をまな板やフローリングに使うという風潮もありますが、これはちと材質的には向きませんね、桐の木は柔らかく、傷、打痕が残りやすい材質、フローリングには、ナラやクルミ、サクラといった硬い木の方が向いておりますね、適材適所、桐の木は箪笥には向きますがフローリングには向きませんね。。。(まあ肌触りは良いかもしれませんが・・・)桜並木の後は加茂市の町中を流れる加茂川の河川敷に・・・もうすぐ端午の節句・・・たくさんのこいのぼりが泳いでおりましたよ・・・「屋根より高いこいのぼり」「甍の波と雲の波」などと表現されますが、ここのこいのぼりは家並みより1段低い河川敷を泳いでおりますので・・・屋根よりはだいぶ低いところを泳いでおりますね・・・この加茂川は信濃川水系の川でだいぶ内陸に位置しておりますが、この川にも時期になると鮭が遡上いたします、今は時期でないので、今頃上ってくるようなのはのはよほど季節感の無い間抜けな鮭だけですね・・・この川岸に・・・ちょっと遊び心のあるベンチがあります。ラッパ吹いてるおじさんが・・・こっちは猫が本の上に乗っかっておりますね~どうしてこんなものがあるのかは・・・不明・・・こちらは加茂山公園の青海神社です・・・町通りを挟んで加茂川の反対側にあります、神社のある公園に行ったらまずはお参り・・・神域にお邪魔しているわけですので、まずは「お邪魔いたしますよ」と神様にご挨拶・・・ちと階段が長いですけどね~はい、お邪魔します・・・苔むした石灯篭が良い雰囲気ですね~お参りがすんだら散策ですね・・・池のほとりに噴水と茶屋が数軒あります・・・池には鯉が泳いでおり(こいのぼりじゃないですよ~)亀君も・・・この水車もよい雰囲気ですね~この上の広場に彫刻の森というのがありまして多くの彫刻が展示してあります・・・その一つ・・・「宿借り(住宅事情)」ですって・・・(西巻 一彦作)どこぞの誰かさんの駄洒落みたいですね~加茂山公園には目的があってきたのですが今日は長くなったのでここまで・・・加茂市といえば・・・というお花を見にね、まあそれは次回ということで・・・最後にいつものように・・・あちこち歩き回ってお疲れです・・・今は寝てますよ~今日は加茂市いろいろ・・・ではまた・・・
2013年04月24日
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村松公園に行ってまいりました・・・・村松公園は明治39年に日露戦争戦役記念として造られた公園です、公園の発祥が戦役記念ですので園内には・・・戦没者の鎮魂のためのものがいくつかあります、これは日露戦争の戦没者の慰霊塔・・・こちらは忠魂塔、まあ慰霊碑ですね・・・この後時代は大正昭和と進み太平洋戦争に入っていくわけですね・・・戦没者の慰霊というとこの大戦のものの方が多いかもしれませんね、こちらはその前の大戦のもの・・・現在この公園は・・・県民が選ぶ景勝地第3位に選ばれているそうです、とっいうのも・・・この公園、県内有数の桜の名所です、咲いてないので分かり難いですがこれ全部桜の木・・・蕾は硬く開花はまだ先ですね・・・・園内にはまだ雪が残っております・・・園内には鹿苑があり・・・エゾシカ君が昼寝しております・・・戦死者の慰霊のための公園の為でしょうか・・・園内の高台には神社があります、戦没者の慰霊と言って思いつく神社と言えば靖国神社ですがここは愛宕神社・・・よく非難の的になる靖国神社ですが、靖国神社ってどういう神社かご存知ですか?創建当時は軍務官が人事を所管し、大日本帝国陸軍と大日本帝国海軍が祭事を統括していたんですよ・・・明治維新以降の事変・戦争等国事に殉じた軍人・軍属を英霊として祀った神社です。日露戦争で亡くなり、ここに祀られている人々はの数は8万8429人・・・大東亜戦争で亡くなり、ここに祀られている人々の数は213万3915人・・・その他日清戦争・日中戦争など含め246万6532柱の英霊が眠ってます。たびたび非難を受ける靖国参拝問題ですが・・・個人的な意見といては、国に殉じた先人にこの国の人間が感謝をこめて参拝し、平和を祈る、ここに何の不都合があろうか・・・A級戦犯合祀の問題など言われますが、確かに軍国主義に偏り勝てぬ戦争へと導いた彼らの罪は重いかもしれません。しかし、彼らを裁いたのが日本国政府であるのならここに祀れれているのははなはだおかしい、異なことでありますが、彼らを裁いたのは連合国なのですよ・・・A級戦犯の罪とははたしてなんなのでしょうか?・・・それは「平和に対する罪」「通例の戦争犯罪」「人道に対する罪」のいずれかを犯したもの・・・しかし平和に対する罪・人道に対する罪というのはあとで作った法律で、法の不遡及原則に反しています、そもそも平和に対する罪というのであれば、アジア諸国に植民地を広げていったイギリス・フランス・アメリカの行為は侵略以外のなにものでもない。人道に対する罪をいうならば広島・長崎への原爆投下、ドレスデン大空襲、ハンブルク大空襲、東京大空襲・大阪大空襲など、民間人に対する無差別戦略爆撃は人道には反しないのでしょうか?(このような民間人を対象とした無差別爆撃に関しては連合国側の方が圧倒的に規模が大きい)ソ連によるポーランド、フィンランドに対する侵略行為は?・大戦末期ドイツにおける虐殺・略奪行為は?・中立条約を結んでいた日本や満州に侵攻・略奪した行為は?平和に対する罪・人道に対する罪、もっともらしく聞こえますが、それはお互い様、敗戦国側だけが犯していた罪ではないのです、これが戦争の醜さであり悲劇であるのです。東京裁判は戦勝国が敗戦国を制裁する復讐でしかないのですよ、A級戦犯が犯罪者となったのは「戦争に負けたから」「勝てない戦争を起こしたら」に他ならない、平和に対する罪、人道に対する罪などというのは取ってつけた詭弁にすぎない、本当にそのような罪で裁くのなら、裁かれるべきものは、アメリカにもソ連にもたくさんいる、「勝てば官軍」の言葉通り、彼らは勝ったから裁かれなかっただけなのです、罪がないわけではないのです・・・まあだからと言って・・・A級戦犯たちに罪がなかったとは言いませんけどね、罪は両方にあるのです・・・そもそも靖国神社の祭神となる基準はいまいちあいまいで、よくわからんのですよね・・・戊辰戦争でなくなった軍人たちも神として祀れれていますがここには新潟や会津、奥羽越列藩同盟の戦死者は入っていないんですよ・・・ここでは彼らは賊軍とみなされているのですね・・・戊辰戦争で功績のあったものでも先の西南戦争で賊軍とみなされた西郷隆盛などの薩摩軍も入っていません、一方戊辰戦争以前の幕末期、当時日本の中央政府として朝廷にも諸外国にも認められていた江戸幕府が処刑した吉田松陰・橋本左内・久坂玄瑞などは新政府側ということで合祀されています・・・空襲などで亡くなった民間人は含まれておりませんが東京裁判で刑死し合祀された者の中には文民も含まれています・・・いまいち基準に一貫性がないのですよね・・・A級戦犯の合祀が問題ならA級戦犯は分祀したらどうかという意見も何度か出ているのですよ、靖国側はA級戦犯は国内法で裁かれた罪人ではなく一度合祀した御霊は一つになっており分離できない、選別もできないと主張しておりますが、国内法で裁かれた罪人ではないという点は置いといて(その通りだから・・・)、日本の太古の宗教である神道では合祀した神々が混ざり合い一つになるということはない、靖国神社も戦死した一人一人に神としての名をあたえております・・・、分祀によって依り代となる御霊が残る残らないには小難しい理屈があるのですが、靖国神社は身元が分からない戦死者について形式上分祀分遷は過去に何度も行っていますよ、そもそも目に見えない霊的なものを選別しようというのが間違ってるんですな・・・分けられないということはないはずなんですがね~、理屈上・・・まあそれぞれに異論反論多々あることと思いますので・・・、いつも通り受け付けます。。。さて・・・愛宕神社の奥には・・・稲荷神社があります、ということで・・・光君はここで待て!!。狐の神様は犬は嫌いますので・・・この神社どちらも園内の小さな小山の上にありますので・・・眺めは良いです・・・日露戦争にはこの村松から歩兵第30聯隊が出征しております当時この小山の麓に兵舎があったそうですよ・・・日露戦争に日本は勝つことができましたが、その犠牲は決して小さいものではありませんね・・・勝った日露戦争と負けた太平洋戦争、そのあとに残るものは各地に残る多くの慰霊碑、多くの尊き命が戦争の犠牲となって消えていくなんと愚かなことでありましょうか・・・今日は村松公園のお話・・・え~、最後に連絡事項・・・、アクセスカウンターが見えないという方・・・けん家持さんより情報をいただきました、インターネットの表示画面の倍率が高いとと楽天ツールバーが邪魔してアクセスカウンターが見えなくなるようです。インターネットの表示画面バツ印の下あたりに歯車のような形をしたツールというボタンがありませんでしょうか?その中の拡大という項目から倍率を変更できますよ。高い倍率に慣れている人には小さくなって見にくいかもしれませんが・・・ただいまのアクセス数は99134散歩でくたくたの光君・・・ではまた・・・
2013年03月22日
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前回の弥彦神社の日記であえて載せなかった場所があります、それは・・・鶏舎と鹿苑です、まず鶏舎・・・こちらには新潟所縁の鶏4種が飼育されています、これは越後南京・・・軍鶏と地鶏の交雑種で新潟で生み出されたためこの名前がついています、天然記念物の鶏だそうです、こちらは蜀丸(とうまる)・・・唐丸と書く場合もありますね、高知の東天紅、秋田の声良とともに日本三大長鳴鶏の一つですね、鳴き声はテノールで長く一声の中に大きな抑揚があり音色の美しい上品な長鳴鶏と言われていますね。これも天然記念物・・・これは髭地鶏・・・これも天然記念物・・・3日に1度くらいしか卵を産まず孵化率も低いため貴重な鶏となっているようです。最後のこれは芝地鶏・・・これも天然記念物、新潟特有の地鶏だそうです。こちらの鶏舎には・・・全国の貴重な鶏が飼育されています、東天紅や声良・蓑曳・矮鶏・・烏骨鶏などなど天然記念物の鶏も数々・・・これはその中の一つ薩摩地鶏・・・だったかな?・・・うる覚え・・・(笑)こっちはたしか手羽先の材料だった気が・・・名古屋種ですね・・・う~ん、ブロ友さんが住んでるところの鶏を重点的に撮ったのですが覚えてないね~・・・これはハックさん用・・・前のはshu君さん用ね・・・でもってこっちは東北通の悠々愛々さん用のきりたんぽ鍋の材料・・・だったと思う・・・、比内地鶏ね・・・後は残念ながら見つからな~い!!ごめんなさい・・・鶏舎のお話は以上です・・・次は・・・大きくなって足が長くなった光君・・・ではなくて、鹿苑の小鹿です・・・動く動物にしてはなかなか綺麗に撮れたと思うのですが・・・牡は喧嘩の最中のようです・・・本物の光君は・・・この通り胴長短足・・・今日は弥彦神社の鶏舎と鹿苑のお話・・・ではまた・・・
2012年10月02日
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久しぶりに弥彦神社に行ってまいりました、弥彦神社は越後一宮、御祭神は「天香山命(あめのかぐやまのみこと)」です、天香山命は天照大神の孫神「饒速日尊」と「天道日女命」との間に生まれた神ですので天照大神の曾孫にあたりますね、神武天皇の大和国平定後、勅命を受け越後国を平定、開拓に従事したと伝えられており、越後国開国の祖として祀られています。これは山麓にある本殿ですが御霊が祭られる御神廟は山頂の奥の宮にあります、弥彦神社はお参りの作法が通常と若干違います、通常の神社の参拝は2礼2拍手1礼(出雲大社系は2礼4拍手1礼)ですが弥彦神社は4礼4拍手4礼が正しい参拝の方法・・・一応説明書きも貼り付けておきましょう・・・季節はもう秋・・・神社は・・・菊まつりの準備に入っております、時期には6000鉢の菊が神社の境内に並ぶ恒例のイベントですね。こちらはその中でも目玉の一つ30000本の挿芽小菊を使った大風景花壇の準備・・・さてさて今年の風景はなんでしょうかね~・・・我が家の予想・・・この木から予想するに・・・、スカイツリーと見ました、スカイツリーは弥彦山と同じ634mきっとこれではないかと・・・まあ完成してみないことには分かりませんけれどね・・・なんだかんだでほぼ毎年行っている弥彦の菊まつり・・・行くならやっぱり前半がお勧めですね~後半になると・・・、カメムシが出てね・・・、ちょっと臭い・・・去年の写真でもアップしようかと思いましたが、まあ、やめておきましょう、それは後のお楽しみということで・・・今日は準備の写真だけ・・・私のブログでもたびたび登場する弥彦神社ですが、紹介しているのはほんの一部・・・今日もまた少しこの神社の一部をご紹介いたしましょう・・・まずは舞殿・・・向かいにこれを観覧する参集殿という建物もあります、共に国の登録有形文化財となっております、こちらは手水舎、これも国の登録有形文化財です・・・重要文化財指定には境内の末社十柱神社があるのですが、これは以前紹介しておりますので・・・十柱神社は文字通り十の神を祀る弥彦神社の末社です、神様は1体とか1人とか言わずに1柱と数えるのですよ。他に宝物殿に備前長船派の刀匠、家盛の打った大太刀が重要文化財に指定されていますね。通称「志田大太刀」、室町時代の作です。こちらは文化財ではありませんが・・・弓道場があります。結構使われているようですのでタイミングが良ければ和弓を射る姿が見れますよ。こんなものもあります・・・火の玉石・・・通称重い軽いの石願い事をかけてこの石を持ち上げる重ければ願い事がかなうのは遠い・・・軽ければ願い事がかなうのは近い・・・持ち上がらなければ願い事はかなわない・・・いつも簡単に持ち上がるのですが・・・いつも願い事をするのを忘れているので意味なし・・・今日は弥彦神社のお話でした・・・ではまた・・・
2012年10月01日
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前回は青海神社と爺杉だけで終わったので、今日も加茂山公園のお話・・・加茂山公園には・・・ーリス園があります。入園料は・・・エサ代、いくらかわかんない、エサ代入れに適当な金額入れる仕組み・・・中は・・・一応柵に入っていますが、自由に出れるようになっているので、勝手に出てくる無秩序状態・・・外周は外に出れないようになっています。エサをあげることもできます・・・リス園の前には売店が・・・こっちは歌碑・・・小林幸子「雪椿」・・・ここは雪椿で有名な公園なので・・・加茂市の花は雪椿・・・、日本酒の銘柄にもありますね。こっちは以前紹介した善作茶屋以外のところてんで有名な店・・・鬼面茶屋・・・これがそのところてん・・・善作茶屋よりちょっと硬めかな?・・・店の前は・・・池・・・、鯉が気持ちよさそうに泳いでいます・・・噴水の周りに虹が見えますね・・・これが公園の案内板・・・結構広い・・・図では平坦ですが実際にはかなり起伏があるので・・・これは野外ステージ使ってない時は駐車場になってるのかな?・・・これは句碑・・・かな?・・・公園の駐車場の近くに・・・美味しい餅屋さんがあります・・・豆餅も美味しいのですが、時間が遅かったのでほとんど売り切れ・・・大福が残ってたので・・・「僕もほしい!!・・・」餅は詰まるからダメ・・・さっきクッキーとところてんも食べたしね・・・今日は加茂山公園のお話・・・リス園のそばに・・・紫陽花が咲いていました・・・にほんブログ村ではまた・・・
2012年06月28日
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ちょっと体重が増加傾向にあるので極力運動をと思っているのですが(食事制限はしたくない)、ぐ~たらなのでそれさえもままなりませんね~・・・とりあえず公園でも散歩・・・ということで少しは運動になりそうな公園を選んでみました。加茂山公園です。加茂山公園は加茂青海神社を中心とした総面積15ヘクタールの都市公園です。加茂市の町通りのすぐ裏にあるのですが、名前の通り山でして・・・今日はそのうちの一部、青海神社と爺杉のお話です加茂山公園は先の説明のようにこの青海神社を中心に広がっています、先ほどの鳥居が公園の入り口、これをくぐると・・・亀がいます・・・(笑)神社ってなぜか亀がいますよね・・・まあこれは本物じゃあないけれど。青海神社は加茂山の中にある神社なので階段が多い・・・ちょっと長い階段を上ると(まあちょっと長い程度疲れるほどではありません)青海神社があります、加茂青海神社は古くから「加茂のお明神さま」として親しまれており。青海郷を開拓した青海首一族の護り神として726年に祖神椎根津彦命と大国魂命をまつる青海神社を加茂山の山麓に創建したのが始まりです、青海郷は、田上五社川から三条井栗、保内までの23箇村であったと伝えられており一帯から多くの遺跡や古墳、平安時代の集落跡が発掘されています。その後桓武天皇の平安京へ遷都に当たり、京都の賀茂別雷神社、賀茂御祖神社の神領となり、御分霊をまつり「加茂大明神」となりました。加茂青海神社の本殿は流造と称するもので青海神社・賀茂別雷神社・賀茂御祖神社の三社が覆屋におさまっています、今の本殿は1357年の造営でかもしの文化財となっています見にくいけれどこれが本殿・・・三社おさまってるの分かりますかね~この神社には他にも文化財指定がいくつかありますがそのうちの一つ鶯張廊下・・・1757年の造営で鶯音を発する全国でも極めて稀な廊下なんですって・・・この神社にも・・・浮き彫り彫刻が・・・神社なので当然奉納された酒樽があるのですが・・・ 加茂錦(加茂錦酒造・加茂市) 萬寿鏡(マスカガミ 加茂市)甕覗の酒蔵です 雪椿(雪椿酒造 加茂市)ハハハ、全部地元の酒・・・当然か・・・さてさて、この加茂山には、御神木がありまして・・・・それがこれ・・・爺杉樹齢約1000年の杉の老木です、対になる媼杉というのも有ったそうですが昭和36年の室戸台風で倒れてしまったそうです、妻に先立たれたお爺ちゃん杉ですね・・・え~と・・・これは日記を書くときに使おうと思って写しておいた看板なんですが、うっかりフォト蔵にアップしてしまったのでついでに張ります、今の説明を含め細かな説明が書いてありますよ。私がすごく雑学に詳しいと思っているブロと友さんもおられるようですが、実はそんなことはなく、結構調べながら書いてるんですね(コメも・・・)知らないことは調べる、知らないままにしておかないというのが私なので・・・加茂山公園は山の中の公園・・・爺杉を見るためにはちょっと山道を登らないとなりません・・・近くに見晴らし台が・・・麓の加茂の町がよく見えますね・・・こんな山の公園を1時間半ほど散歩しましたかね・・・光君はまたお疲れ・・・光君は平均して運動過多気味かも・・・山の中に・・・額紫陽花が咲いていました・・・(あってるよね・・・)今日は加茂山公園のお話・・・咲花温泉の温泉キリ番のお話・・・結構しつこく記事情報1位をキープいたしまして・・・おかげさまで1週間1位キープさせていただきました(日帰り温泉・スーパー銭湯)この場を借りましてお礼申し上げます、ところでこの記事情報のランキングって何が基準なんですかね?にほんブログ村ではまた・・・
2012年06月26日
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金曜日の日記(1つ目の)結局待ち人は来たらず・・・まあ、いずれ来るかもしれないからこのままにしておきましょう。ていうかこの記事がなんとファミリーキャンプ記事ランキング5位、新潟県情報記事ランキング10位・・・意味わからん・・・、コメント0なのにね~(笑)運動大嫌いなこの私、最近体重が増えてきましてね・・・スポーツジムに通う気などさらさらないので、とりあえずちょっと運動を・・・今度は下から登ってみました、634m・・・スカイツリーじゃいよ~、弥彦山だよ~出発地点は・・・弥彦駅・・・(電車で行ったので)これは隣の弥彦公園です・・・紅葉の名所紅葉谷を抜けて・・・弥彦神社の参道を抜け・・・(脇参道)これが登山口・・・現役時代は頂上まで休憩なしノンストップ30分で登れたのですが・・・はたして何分かかったでしょう?ここは五合目・・・弥彦の登山道はよく整備されていて一合ごとに目印が建っていて、5合目には鳥居が・・・これは7合目手前里見の松付近から撮影・・・写真撮り忘れたけど7合目に湧水が・・・実はカメラ忘れて今回の写真は携帯電話から・・・これは前回の写真、9合目・・・ここからは前回と一緒だから・・・到着~・・・弥彦神社奥殿・・・、これも前回の写真、他の登山客に教えてもらいました通常の神社は2礼2拍手1礼(出雲大社系は2礼4拍手1礼)ですが、弥彦神社は4礼4拍手4礼・・・今までさんざん登ったのに知らなかった~弥彦山は登山会ができるくらい地元に親しまれてる山ですからね、人によってはほとんど毎日登る人も・・・9合目の売店に戻って約束のアイスクリームを・・・、この写真も前回のね、一緒だから・・・実はアイスで釣って息子をつきあわせたんですね~ここまでの所要時間約2時間!!、数分間の小休憩も含めると休憩回数10回以上!!ハハハ、現役時代の4倍・・・、こりゃあかん・・・下に降りて麓の本殿にもお参り・・・往復約3時間・・・麓で息子に昼飯ねだられました・・・、ちょうど昼時だったからね~ラーメンでごまかして一路弥彦駅に・・・ハイ到着~、これが弥彦駅・・・「次回は温泉に入って帰ろうか」と次の餌をまき、無事帰宅・・・弥彦山の麓には弥彦温泉があるからね・・・今日は弥彦山のお話・・・ではまた・・・
2012年06月03日
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弥彦神社奥宮の後、ちょっと寄り道して西生寺によりました。知りませんよね・・・西生寺は真言宗智山派のお寺です・・・宗派の説明は置いといて・・・このお寺で有名なのが、弘智法印入定の地ということです、弘智法印は鎌倉時代のお坊様で千葉の生まれ、若くして千葉蓮花寺の住職を務め、その後全国を巡り33ものお寺を建立しました、で、最後亡くなったのがこの寺泊の西生寺なのですが・・・これだけだと何の話?ですよね・・・弘智法印は生きたまま御仏となられました、すなわち即身成仏となられたのですね、この西生寺の弘智法印の即身成仏は現存する日本最古の即身成仏と言われています、現存する即身成仏は江戸時代の行者さんのものが多くだいたい200年~300年前のものがほとんどです、弘智法印は鎌倉時代の僧、今から約640年前のものです。次に古い即身成仏が京都の阿弥陀寺にある弾誓上人のものと思われる即身成仏で入定が慶応18年(1613年)と言われています、弘智法印の入定は貞治2年(1363年)と言われていますので群を抜いて古いといってよいでしょう。完全に私が写りこんでしまっておりとても見にくいですが、これは身代わりの木像、即身成仏ではありません・・・弘智法印の即身成仏を拝観するためには、御祈祷料を払いお念仏を聞いた後で拝観できるのですが、ちょっと撮影できる雰囲気じゃなかったもので・・・(汗・汗)木像の方はこの宝物殿に収められています、拝観無料です、こちらが・・・弘智法印の即身成仏が収められている弘智堂です江戸時代後期に建てられたもので、それまでは修業した地である奥の院の小さなお堂に安置されていたそうです。弘智堂は江戸時代後期の寺院建築で・・・随所に飾り彫りが・・・これなんぞは中が透いてあります・・・当時の匠の技術の高さが窺えますね・・・西生寺は明治維新の廃仏毀釈で寺自体が衰退してしまった時期もあり、保存状態が良いとは言い難いかもしれませんが、当時の建築技術を知る建物ではありますね。特に文化財に指定されているわけではないですよ~ということでざざっと弘智堂のお写真を・・・こっちはお堂の中の鏝絵です・・・これは弘智堂の隣にある金毘羅堂・・・これにも飾り彫りが・・・この銀杏は樹齢800年の親鸞上人乳銀杏、別名お杖木・・・上人がこの地に訪れたさい信者が上人に差し出した杖代わりの銀杏の枝を、別れを惜しむ信者のために「我の身代わりに」と地面に突き刺したのがこの銀杏・・・とこの脇の看板に書いてあります・・・、読めないと思いますので・・・ここからも・・・日本海が見渡せます、一応景勝地です・・・今日は西生寺のお話・・・・ではまた・・・
2012年05月30日
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先日弥彦に行きました・・・これは元日本一の大鳥居・・・車内から撮ったのでちょっと映り込みが・・・(汗・汗)高さ30m~!!、大きい!!え~、元と書いたのは今は熊野本宮大社の大鳥居が33m日本一・・・残念・・・よく行く弥彦ですが、今回はちょっと山に登って、越後一宮弥彦神社の奥殿に行ってみました。これが奥殿・・・このような山岳信仰に近い神社は、山頂に奥殿があり、参拝しやすい麓に本殿を置くのが一般的です、御霊は奥殿にあると考えるのが妥当でしょうが、毎度毎度頂上までは上ってられないからね・・・特に冬は雪も降るし・・・これは奥殿の鳥居・・・奥殿は山の麓を見下ろすように建てられていて、鳥居にはお尻を向けて立っています、神社は鳥居をくぐると神域、神の領域となります、ん?、弥彦の大鳥居は弥彦村のだいぶ入口の方にあるけれど・・・村全体が神域?・・・まあそんなことはないでしょうが、鳥居の定義は本当ですよ、だからお神輿の四方にも鳥居がついていますね、神輿の中は神域、神の領域です。弥彦山は標高634mスカイツリーとほぼ同じ・・・なので・・・各社の電波塔がたっています・・・これはNHK・・・こっちはBSN(新潟放送)見にくいけれどTeny(テレビ新潟)に・・・UX・・・これはどこかな?山の上からは・・・日本海が見渡せます・・・反対側は・・・蒲原平野・・・ここが9合目・・・9合目付近に・・・軽食コーナーとレストランがあります。さてさてそろそろ種明かし9合目までは・・・車で行けます、登ったのは最後1合だけ~9合目までは・・・ロープウェイでもこれます・・・インチキでご利益半減したりして・・・それでも光君は・・・くたくた・・・山道60m(高さ、距離はその何倍やら・・・)はそれなりに疲れるようですね・・・実は私も疲れた・・・、持っていったお茶が足りなくなりました・・・(汗・汗)今日は弥彦山(弥彦神社奥殿)のお話・・・ではまた・・・
2012年05月29日
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こちらも染井吉野は葉桜となり、八重桜が咲き始めました。こちらは三条市歴史民俗産業資料館の桜・・・思えば今回は随分と桜の日記を書きましたね、まあ私は「雅」だから・・・(笑)こちらの八重は白い・・・桜の色は何に影響されるのでしょうかね・・・ずっと昔のお話ですが、桜の色が赤いのは、桜の木は死体を抱いていて、その血を吸って赤く染まると考えられていたそうです、桜染という染物は開花前の桜の枝を使って桜色に染め上げます、不思議なことに花の咲いた枝を使うと色は茶色くなり、花が散った後ではさらに茶色が濃くなるそうです。木の吸った血液が幹を通って葉に伝わり花を赤く染める・・・昔の人が桜が死体の血を吸うと考えたのも不思議はないのかもしれませんね。そんな怪談じみた話ができたのも桜の花が妖しいほどに美しく、人々に愛された証拠でしょう・・・桜の花は散り際が美しく、醜く枯れていくところ見ることがありません、潔さを大切にする侍の心をもった日本人の気質にあっているのかもしれませんね・・・ところでこの桜のバックに写っている建物・・・実は国の登録有形文化財です。三条市歴史民俗産業資料館なのですが、旧武徳殿です。武徳殿というのは平安時代の大内裏にあった殿舎の一つですが明治28年に設立された大日本武徳会の本部及び全国各地の道場についても平安時代の物に因んで武徳殿と称されます。日本伝統の武道を奨励された当時の建築だけに、現存するものは文化財としての価値が高いものが多いようです。この建物もその一つ・・・ついでに歴史的価値のある場所をもう一つ・・・お寺ですが・・・、法華宗の人なら分かるかな?こちらが入口・・・(本当は総門から内側は境内なんだけど、今は中にも道が通っているから・・・)法華宗陣門流の総本山「本成寺」です山号は長久山・・・節分の鬼踊りは有名で日本三大鬼踊りの一つに数えられます。見どころはこちらは・・・県指定登録文化財の三門(山門の変換間違いじゃないよ三門が正しいの・・・)境内入口にある総門で1786年に建立された二重門、桟瓦茸で建物全体に朱が塗られていることから赤門とも呼ばれています。こちらは市指定登録文化財千仏堂・・・六角形の形をしたお堂ですね・・・内部は2つに区切られ前側が人々が礼拝する外陣、後ろ側が本尊を安置する内陣、内陣に千体の仏像を安置することから千仏堂と言われます、こちらの千仏堂は正面に釈迦牟尼尊の坐像が安置され、左右に如来形の分身仏約千体が安置されているそうです。これは鐘楼 ・・・ちょっと変わってますよね、鐘が全く見えない・・・余談ではありますが数十年前まで、このお寺に天然の温泉があったそうです、なんと硫黄泉!!・・・とても良い泉質だったらしいのですが、40年ほど前に無くなり今は本成寺保育園に・・・残念・・・、入りたかった・・・今日は三条市歴史民族産業資料館と本成寺のお話・・・今日のおまけ動画は・・・本成寺の鬼踊り・・・ではまた・・・
2012年05月02日
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昨日の梅の花に続き白山公園のお話です・・・今日は公園内の白山神社のお話・・・向いてないから雅は終わり・・・新潟の白山神社は加賀の白山神社(白山権現)を勧請したもので、御祭神は菊理媛大神、伊邪那岐大神、伊邪那美大神ですこれより先は神域光君は入れません・・・ちょと待っててね・・・ここから先のお話・・・古事記や日本書紀の伊邪那美と伊邪那岐のお話が分かっていないとちんぷんかんぷんかもしれません、けどここから書くととっても長くなってしまいますので・・・解らなかったら飛ばしてください・・・菊理媛は伊邪那美と伊邪那岐が泉平坂で争う時、その間に立ち仲を取り持った神とされています、そのため縁結びの神とされていますね、死者(伊邪那美)と生者(伊邪那岐)の間に立つことから巫女(シャーマン)ではないかといわれています、全国の白山神社の御祭神で白山比め神と同一とされています(本当は違うんですけどね~、まあ一般的には・・・)。菊理媛は加賀の銘酒「菊姫」の最上級品の銘柄にもなっていますね。日本の神様はお酒に対して寛容ですね、お神酒上がらぬ神はなし・・・神社には奉納された酒樽がで~んと・・・新潟の銘酒がいっぱい・・・ついでですが白山神社は歯の神様でもあるんですって・・・まあこれはごろ合わせみたいなものですが・・・「歯苦散」ですって・・・この石を持ち帰ると歯痛が治るとか・・・治ったら返しにくる・・・白山神社の説明はこれで終わり・・・この後は・・・狛犬のお話・・・はいこれ・・・これは吽形の狛犬・・・でもって・・・こっちが阿形・・・狛犬、阿吽の違いだけで同じものと思っていませんか?これがそうではなくて・・・左側が口を閉じ角を持った狛犬・・・角があるでしょ~で、右側が・・・口を開いた獅子・・・こっちは狛犬じゃなくて獅子です・・・こっちには角がない・・・まあ神社によってどっちも狛犬だったり、角が無かったりすることもありますけどね・・・白山神社のはこの一番一般的なやつ・・・狛犬(獅子も)は神仏の守護獣、神使、ゆえに守るべき神社に背を向け参拝者と正対するような形でおかれます。狛犬は吽形だけでこちらは獅子とはいえ、通常は獅子と狛犬左右一対、合わせて狛犬というのが一般的ではありますけどね。今日は白山神社のお話と・・・狛犬のお話・・・今日のおまけ動画は・・・KARA・・・ではまた・・・
2012年04月15日
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弥彦神社に行っていました・・・弥彦神社の近くに「ばば杉」という大杉がありますこのお寺の裏にあり、お寺の境内を抜け、こんな杉木立の小道を歩くと・・・これが「ばば杉」・・・これでは大きさが良く分からないと思いますので・・・手前の水色のシャツが我が家の息子・・・樹齢約1000年、高さ40m、周囲10mの杉の巨木です、新潟にはこのような巨木がいくつかあり・・・加茂市には「じじ杉」なる杉の巨木があります、夫婦ですかね~(笑)有名どころでは、三川の「将軍杉」、三川は杉の産地で巨木が多い地域ですね、弥彦神社は・・・この奥ですね・・・神社の参拝の礼儀作法の一つに、参道の中心は歩かないというものがあります、参道の真ん中は神様が通る所なんですって・・・知ってましたか?、この神社の参道脇にこのようなものが・・・もうすぐ菊祭りその準備が始まっているようですね、暑い暑いと思っていたらじきに菊の季節が来るんですね~この神社には・・・鹿君がいます・・・角があるのが鹿君で・・・角がないのは鹿ちゃんね・・・続きまして・・・とあるブロ友さんを真似しまして・・・今日の着弾酒・・・・・・て、私の場合はただいつもの酒屋さんから買ってきただけですが・・・月不見の池ひやおろし純米酒(猪又酒造)八海山の原酒で仕込んだ梅酒(八海醸造)です月不見の池の猪又酒造は糸魚川市の酒蔵です、純米酒の原酒ですね八海山梅酒の方は、八海醸造の日本酒、八海山の原酒に梅を漬け込んで造った梅酒ですね、でもって、ついでの着弾酒(?)こんなものをいただきました・・・ノンアルコールビールのセット・・・焼酎で割ってみましょうか?(笑)冗談です・・・最後に光君・・・お出かけおねだりの光君です・・・ここしばらく、日記、コメントの返信、訪問とも不定期になりつつある私のブログです、極力定期的に書きますが・・・いいかげん更新もこのブログのスタイルなので・・・せめて返信だけでも早めにとは思うのですが、なかなかね~、ごめんなさい・・・ではまた・・・
2011年09月10日
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本当は昨日書く予定だったのですが、帰ってきたら、不快なブログがいっぱいで、昨日の日記となりました・・・で、本来昨日書く予定だった日記です加茂山公園に行ってきました光君の散歩がてらです、この坂の上に青海神社がありますこの公園はこの神社の周囲に広がっています、アップダウンが激しいので光君にはよい運動になりますね、もう少し暖かくなるとこの池のほとりにところてんなどが食べれるお店が出るのですが、まだ寒いのでしまっています。池も段々畑のようにいくつかに分かれ、ほとりもアップダウンが激しいここから上に上るとリス園があるのですが、まだ開園してないので、この日はここまで・・・これはこの日の写真ではありませんが、光君の散歩スタイルです、まだ寒いので・・・光君も着込んで出かけます。
2011年03月28日
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