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March 10, 2024
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邪馬台国の所在地が全国あちこちに比定され、現在に至るまで定まらないのは、
学者先生が魏志倭人伝をちゃんと読まないせいだと言うのが僕の持論である。

例えば国の規模を示す場合に、戸数を「戸」と書いたり「家」と書いたりしているし、
文法的にも、
不彌國までは、「東南陸行 五百里 到伊都國」のように、
「方角」+「動詞」+「距離」+「到達地」と言う書式で書いているのに、
投馬國と邪馬台国は「南至投馬國 水行二十日」のように、
「方角」+「目的地」+「動詞」+「距離」と言う書式で書くなど明らかに使い分けているのに、
そう言う陳寿のこだわりと言うか、几帳面さを正確に論じている学者はいない。


それどころか自分が理解できないのを、古代の人達が未熟なのだと馬鹿にする始末である。
例えば古事記では「天(アメ)」と「空(ソラ)」を使い分けているが、
その違いを論じている学者は少ない。
でも今日岩波新書の「古事記の読み方(坂本勝著)」を読んで、
やっぱりちゃんと研究している優秀な先生もいるんだなと思った。

先生は、現代人は頭上に広がる空間を「空(ソラ}」と呼んでいるが、
古代ではソラとは別に「アメ」と言う言い方が有ったと説いている。
本居宣長は古事記伝で「天は虚空の上に在って、天神たちの坐します御国なり」と説明し、
古代では「天翔ける」と言うことはあっても「空翔ける」と言う例はないと言っていると、
坂本先生は書いている。

うーん正しいと思った。

古代人にとっては神威の現れで、その根源は「空」ではなく「天」だったのである。

何故なら雨が水であるならば、雨が降る水源が空に有るのならば空に川や湖があるのか?
いやどう見ても頭の上には川も湖も無い。
ならば雨はどこからくるのか?
それは神々が降らすので天から来るのだと古代人は理解していたのだろうと思う。


そう言う事を理解しないと魏志倭人伝は理解できず、いつまでたっても邪馬台国は分からない。
学者先生にはそう言う研究をして僕ら庶民に分からせるような発表をして欲しいと思う。

もう一つ例を挙げるならば、
古事記や日本書紀には「根の国」と「黄泉の国」と「常世の国」と言う死者が関わる国が有る。
Wikiの「根の国」を見ると以下のように書かれている。
 根の国(ねのくに)は、日本神話に登場する異界である。
 『古事記』では「根之堅洲國」(ねのかたすくに)・「妣國」(ははのくに)、
 『日本書紀』では根国(ねのくに)・「底根國」(そこつねのくに)、
 祝詞では根の国底の国・根國底國(ねのくにそこのくに)・底根の国(そこねのくに)と書かれる。
 根の国は、その入口を黄泉の国と同じ黄泉平坂(よもつひらさか)としている記述が
 『古事記』にある(大国主の神話)。
 しかし六月晦の大祓の祝詞では根の国は地下ではなく海の彼方または海の底にある国としている
と書かれている。
間違っている。と言うか、もしかしたらちゃんと分かっているのに誤解を与える書き方である。
大国主の神話では(何となく地下のような気はするが)地下とはどこにも書いていない。

ちゃんと古事記原本を見てみよう。
(原文)
 爾八十神覓追臻而矢刺之時自木侯漏逃而云可參向須佐能男命所坐之根堅州國必其大神議也
(意訳)
 (2回も殺された大国主命は母に助けられて生き返ったが)
 それでも八十神(大国主命の兄達)は行方を探し求め追って行き、
 八十神が矢を向けた時木の股を潜り抜けて逃げました。
 そこで、御母の命は言いました。
 「須佐能男命が行かれた根堅州国に向かい参り、必ず大神に相談しなさい。」
この後に大国主命は須佐能男命から試練を与えられて、スセリヒメに助けられて、
「蛇の部屋」や「ムカデとハチの部屋」及び「火がつけられた野原」の試練をクリアーするが、
須佐能男命が眠っている所をスセリヒメと共に逃げ出す。
ここにWikiで書かれたように「黄泉平坂」が出てくる。
(原文)
 寢大神聞驚而引仆其室然解結椽髮之間遠逃故爾追至黃泉比良坂遙望呼謂大穴牟遲神曰
 其汝所持之生大刀生弓矢以而汝庶兄弟者追伏坂之御尾亦追撥河之瀬
 而意禮為大國主神亦為宇都志國玉神而其我之女須世理毘賣為嫡妻
 而於字迦能山之山本於底津石根宮柱布刀斯理於高天原氷椽多迦斯理
 而居是奴也故持其大刀弓追避其八十神之時每坂御尾追伏每河瀬追撥始作國也
(意訳)
 寝ていた大神(須佐能男命)はそれ(2人が逃げる時に持っていた天詔琴が大音響で鳴った音)
 を聞いて驚き、(2人が垂木に結んだ須佐能男命の髪が引っかかって)部屋を引き倒しました。
 2人は須佐能男命が垂木に結はれた髪を解いている間に、遠くまで逃げてしまいました。
 2人を追いかけ、黄泉比良坂まで来たところで遥かに望み、大穴牟遅神に叫びこう告げました。
 お前は持ち出した大刀と弓矢でお前の庶兄弟を坂の峰に追い詰めて倒しまた川の瀬に追い詰め
 屈しさせ、大国主の神となり宇都志国玉の神となり私の娘須世理毘売を正妻とし、
 宇迎能山の山本(現在の鳥取県西伯郡南部町倭らしい)の地の底の岩に巨大な宮柱を立て、
 高天原に届く千木が立つ宮に居れ。それが奴の国だ」
 このようにして、大刀と弓を持って八十神を追い立て坂の峰ごとに追い詰めて倒し
 河の瀬ごとに追い詰めて屈しさせ、ようやく国を作ったのでした。
つまり、Wikiは「根の堅洲国」が地下に有り、そこは「黄泉平坂」の上方にあると解釈し、
書いているのである。
しかし根の堅洲国が地下の国とは限らない。ただ「根の」なので地下の可能性は有る。
でも地下ならば何故黄泉平坂の上?

でも「天」と「空」の違いと同様に、
「空」のように現実的に死者を埋める「根の国(つまり地下)」又は「根の堅洲国」と、
現実ではなく想像の世界の「天」と同様に「死んだ人の行く死後の世界」である「黄泉の国」を
書きわけているような気がする。
もしそうならば根の国は地下で黄泉の国は(物理的な位置ではないので)黄泉平坂の上で良い。

どう言うことかと言うと、
須佐之男命の根の堅洲国がイザナミが死んだ時にイザナギが行った黄泉の国と似ているのである。
イザナギはイザナミを求めて、髪(みづら)に刺していたクシに火をつけて中に入る。
つまりイザナミの居る所は暗いのである。
またそこのイザナミには「ウジ」がたかり、頭や腹や胸には雷神(鬼)が乗っかっている。
それに驚いたイザナギが逃げる際に追ってくるのはヨモツシコメであり、
イザナギが黄泉平坂のふもとまで逃げて来た時に、そこに千引の岩を置いて塞ぐ。

イザナギがイザナミを探していく所は地下の「根の国」なんだけれども、
黄泉の国の食べ物を食べて、鬼達がいるのは「黄泉の国」である。
そして黄泉平坂は現実世界と死者の国の境にあり、イザナギにより千引の岩で塞がれたのである。

須佐之男命の根の堅洲国も同様である。
須佐之男命の試練に出てくる「蛇の部屋」や「ムカデとハチの部屋」は地下のイメージだし、
(ハチはミツバチではなく似我蜂(じがばち)で地中に巣をつくるハチだと思う。
 ムカデとハチが同時に居るパターンは地下しかないから)
「火がつけられた野原」で助けてくれるのはネズミで地下に居る生き物だから、
イザナミが居た黄泉の国と同様に、スサノオが居たのは地下で、
大国主の試練は現実のものではなく、スサノオの墓の中の想像上の出来事だと思うから。

そこでふと思ったのだが、イザナミ・イザナギの例と、
大国主命と須佐之男命の例を現実的に考えると、この2つは古墳のことなのではないだろうか?

何故そう思うかと言うと、イザナギは黄泉平坂を「下る」からである。
(イザナギがヨモツシコメや8種の雷神達から逃げた先は黄泉平坂のふもとだと書いている。)
この事に学者先生はずーっと困っていたらしい。
地下に有るはずの「根の国」が「黄泉の国」と同じならば、「黄泉の国」が上に在るはずは無い。
どう考えればこの問題は解決するのか?

でもこの話が死んだイザナミを忘れられずに古墳の頂上付近の石室に葬られたイザナミを、
石室のフタつまり千引の岩を開けて見たイザナギが、
腐敗して変わり果てたイザナミを見てショックを受けて、幻を見たのならば、
その幻から逃げて、再度千引の岩を閉じて難を逃れて黄泉平坂を下ったのならば、
そこには死者を祀る際に置かれた桃の実も有るだろうし、
現実的に考えられるのかなと思う。
下にイメージ図を作ってみた。

大国主命に須佐之男命が国をつくれと言ったのは、
スセリヒメと結婚する際に、今は亡き須佐之男命の墓前に祈った大国主命の脳裏に響いた
過去の須佐之男命(既に黄泉の国に居る?)に言われた過去の言葉なのではないだろうか?

<1日だけど後日追記>
簡単に2行でまとめると、
死んだ人を埋葬するのが「根の国」(地下)で、
死んだ人が行くのが「黄泉の国」なんだと思う。

なお、ここでは「常世の国」には触れられていないが、
天岩戸で天照大御神が隠れられた際に鳴いたのは常世長鳴鳥であり、死者とは関係ない。
「古事記」上巻の記述では、この国を作り固めた後、少彦名神は常世の国に渡ったとあり、
別に死んだわけではない。常世の国に渡っただけである。
神武天皇の兄である御毛沼命は波の穂を跳みて常世の国に渡ったとのみあるが死んだ訳ではない。
「古事記」では垂仁天皇が多遅摩毛理に時じくの香の木の実(ときじくのかくのこのみ)を、
「日本書紀」の垂仁紀では垂仁天皇が田道間守を常世国に遣わして「非時香菓」を求めさせたが、
その間に天皇は崩御したという記述があるが田道間守は別に死んで常世の国には行っていない。
むしろ垂仁天皇の崩御に間に合わなかっただけである。
これらの記述を読むと、常世の国は死者の国ではなく「海の向こうの国」の可能性の方が高い。
少彦名神(いわゆるスクナヒコ)は大陸から渡って来た渡来人で大国主命を助け、
役目を終えて自国に帰って行ったのではないだろうか?
なので「常世の国」を「根の国」や「黄泉の国」と結びつけるのは誤りだと思う。

このように従来同じこと、あるいは同じものとして簡単に片づけられていた言葉を、
ちゃんと解釈すれば魏志倭人伝も違った読み方になる。
例えば冒頭で書いたように、
国の規模を示す場合に、戸数を「戸」と書いたり「家」と書いて有ることに意味が有るならば、
次のように考えられる。
中国の使者は何故わざわざ倭国に来ていたのであろうか?
貿易の為?いやそれは使者の仕事ではなく、商人の仕事である。
まさか倭国に何かしてあげることが有った?倭国を見下していた中国の偉い人にそれはない。

恐らくは中央政府から「倭国に来ている中国の僧や技術者の管理を命ぜられたから」だと思う。
後世にフランシスコザビエルが日本に来てキリスト教を広めようとしたように、
僧侶や技術者は独自の倫理と決意を持って未開の地に行く。
本当は色々な理由は有るのであろうけれど、だからと言って放ってはおけない。
だいたいそう言う人達は良家の出身で、偉い人達も放っておけないからである。
なので使者は彼らに会って、中国の家族・親戚に報告していたのだろうと思う。
なので魏志倭人伝を書いた陳寿は不彌國までは使者に実際の所が聞けたのである。
しかるに投馬國や邪馬台国は使者は行っていないので聞けず、手元に有る古い資料に頼った。
なので不彌國までは実際に行った行動形式で書かれており、
投馬國と邪馬台国は伝聞形式なのである。

また不彌國には中国から来た僧侶や技術者がおり、彼らの家は高床式の立派な家であった。
なので不彌國の規模を示す戸数は「家」で書かれており、
奴国や伊都国のように倭人の家は竪穴式住居だったので「戸」で書かれているのである。
「戸」と「家」の使い分けをちゃんと考えていれば、この程度の事は簡単に分かるし、
これが分かれば邪馬台国までの経路は分かるのになぁと思う。

だから学者先生は魏志倭人伝をちゃんと読むべきだと思う。






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最終更新日  March 12, 2024 08:36:01 PM
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