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April 27, 2024
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2023年9月23日に、
何故「古事記」と「日本書紀」があるのか?(その11)古事記偽書説を書いた。

何故「古事記」と「日本書紀」があるのか?(その11)古事記偽書説

その中で、古事記の「序」とされている部分は、
古事記の序文ではなく、
日本書紀の研究の場である「日本紀講筵」の場で、
漢文で書かれた日本書紀の特定の部分の日本としての独特の読み方(漢字の訓では読めない)を
どう読むのが正しいのかと説明する際に「古事記」を参考書として使っていたのだが、
(古事記は本文は変体漢文を主体とし、古語や固有名詞のように、漢文では代用しづらいものは

 古語や固有名詞が古事記を参考にすれば読めるのである。)
その使用する根拠(つまり古事記が正しく古くから伝わる書で信頼できるものだと言う)を
先生(弘仁4年(813年) 博士は多人長)が自分の家に残っていた、
太安万侶(多人長の祖先でこの序と誤解された上奏文の主)の元明天皇への上奏文を見せて、
それを見た生徒が写本に写してしまったのが「序」と誤解されて後世に伝わったと書いた。

そもそも朝廷行事である「日本紀講筵」の場で「日本書紀」の参考書として使われたことが、
はっきりと記録に残っているのだから古事記本文は偽書ではありえないと思うのである。
ただ、序に関しては上に書いたように書写した生徒があいまいな書き方をしており、
後世の人がそれが原因で「古事記の序」として勘違いしてしまったもので、
最初から「古事記の序」として扱われたものではなく、勘違いした後世の人が悪いと思う。

なので、ちょっと「序」を調べてみた。

(原文)
臣安萬侶言夫混元既凝氣象未效無名無爲誰知其形然乾坤初分參神作造化之首
(意訳)
部下である安萬侶が申し上げます。
それ混沌とした世界が固まり始めました。
いまだ自然界の形ははっきりとせず、その名前も無く何もなされてはいませんでした。
ところが、初めて世界が天と地とに別れ、造化の造化創造主となりました。

つまりこのような感じで始まるので、現代人の感覚だと「序文」ではない。
どう考えても太安万侶が元明天皇に「説明」しているスタイルである。


説明されて、
天武天皇が壬申の乱で勝利し、正しい天皇である天武天皇により平和になったことを説明し、
有名な古事記編纂の経緯になります。

ここ(古事記編纂の経緯)が大事なので原文と意訳を下に書く。
(原文)
於是天皇詔之朕聞諸家之所賣帝紀及本辭既違正實多加虛僞當今之時不改其失未經幾年其旨欲滅
斯乃邦家之經緯王化之鴻基焉故惟撰錄帝紀討覈舊辭削僞定實欲流後葉
時有舍人姓稗田名阿禮年是廿八爲人聰明度目誦口拂耳勒心
卽勅語阿禮令誦習帝皇日繼及先代舊辭然運移世異未行其事矣
(意訳)
ここに、天皇(今までの経緯から元明天皇ではなく天武天皇?)はこう仰いました。
朕の聞くところでは、諸家(各豪族)に伝わる帝紀(帝の系譜)、本辞(旧辞·言い伝え)は
すでに真実と違ってきており、多くはうそいつわりが加えられている。
もし、今この時(正しいことが)失われてしまうのを改めねば、
何年も経たぬうちに本当の内容が消滅してしまうであろう。
これすなわち、邦家(支配下の各地の豪族)のいきさつであり、
また王化(王権国家にするため)の大いなる基本である。
そこで、帝紀(帝の系図)を整理記録し、旧辞(旧い出来事)を調査検討しようと思う。
うそいつわりを削り真実を定め、後世に伝えたい。
その時にたまたまいたのが、姓を稗田名を阿礼という舎人でした。
年龄は28歳で、その人は聡明で、一通り目を通すだけで難読文字も難なく理解し、
音訓も瞬間に判断して話し言葉に直し意味の分かる言葉で読み上げられることができました。
そこで(天皇は)阿礼に命令を下し膨大な帝紀(天皇の系図)と旧辞(先人の言い伝え)の資料を
しっかり読み込み、全体像を把握しておくよう命じられました。
けれども、天皇継承などの複雑ないきさつにより混乱し、時が移り世も変わり、
未だに完成できませんでした。

こんな感じである。
ここは今まで色々な人が伝えて来た通りなのだが、問題はこの後である。
(原文)
伏惟皇帝陛下得一光宅通三亭育御紫宸而德被馬蹄之所極坐玄扈而化照船頭之所逮日浮重暉雲散非烟
(意訳)
謹んで皇帝陛下が一代で徳を国に大きく広げられ、
三統(天·地·人)の徳にて民衆を養い育てられたことを、御推察申し上げます。
紫宸(北極星:天皇の威光?)において国中を治められその徳は馬が駆けて行ける限りを覆い、
玄扈(天子の座す場所)におかれまして御風習(その威厳)は船を漕いで行ける限りを照らします。
日は浮かび輝きを増し、雲は消え霞むこともありません。

うーん「皇帝陛下」なの?この言葉が入ってては「序」じゃあり得ないじゃん。
そもそも皇帝陛下って誰?天武天皇?元明天皇?話の流れからすると元明天皇だな。
だったら、これは天武天皇から命令されたのに何でできなかったの?と言われそうなのを、
必死に弁解している(後にお世辞を並べている)だけじゃん。「序」ではない。

さらにこの後はさすがに弁解だけではダメだと感じたのか、
提出する古事記の「書き方(古い言葉や人名が多いので色々と例外的な部分が多い)や、
不確かな内容」について説明する。
そしてその後に決定的な記述が続く。

よく古事記がたった4か月で作られたと言う誤解を招く表現をする先生がいるのは、
下の部分が原因である。
(原文)
於焉惜舊辭之誤忤正先紀之謬錯
以和銅四年九月十八日詔臣安萬侶撰錄稗田阿禮所誦之勅語舊辭以獻上者謹隨詔旨
(意訳)
旧辞、先紀の誤りや食い違いは惜しまれながら正されました所ですが、
和同四年九月十八日に至り、
わたくし安万侶に稗田阿礼が先に詔された旧辞を読み上げるところを撰録(選び記録)するよう、
詔(命令)されました。
このたびこれによって献上します(古事記)は、謹んで御旨に従うところであります。

ちゃんと「命令されたので、古事記を献上します」と書いているじゃん。
これって「序」じゃないよ。古事記を献上する際の「上奏文」だよ。

そして、僕が今まで色々な人から教えてもらった、
「古事記は天武天皇が命令して作られた」
「命令が有って4か月で作られた」
と言うのは間違いだと分かる。
「古事記を書け」と言ったのは元明天皇で天武天皇は準備しろとしか言っていない。

まず和銅4年と言うのは西暦711年である。天武天皇は686年に崩御されている。
つまり天武天皇が「古事記を作れ」とは言ったのではない。
ただ、稗田阿礼が覚えている「帝紀」と「本辞(旧辞)」が間違っているので直せと
そしてしっかり読み込み、全体像を把握しておくよう命じただけであり、
この時点では天武天皇は文書化しろとは言っていない。
天武天皇は身分の低い太安万侶には(諸家の説得を伴う)修正は無理だと分かっていたからである。
ただ、太安万侶としては文書化の必要性を感じており、焦ってはいた。
そして、その作業は和銅4年つまり元明天皇の時代まで修正が終わっていない。

それを和銅4年に元明天皇が早くしろ!と怒ったので、
「先紀(帝紀)、旧辞(本辞)の誤りや食い違いは惜しまれながら正されました所ですが」、
と嘘を言いながら仕方ないので、
太安万侶は稗田阿礼の口述を未修正のまま文書化しているのである。
なので(本来必要な諸家への根回しはできず)たった4か月で出来上がり、
案の定、天武天皇が修正したかった所は修正ができていないのが発覚し、
元明天皇に奏上したものの、採用されなかったのだと思う。
それで「修正が未完成な」古事記には出雲の記述が多く、
修正の終わった日本書紀には出雲の記録が少ないのである。
また続日本紀等の後世の書に書かれていないのも当然である。
元明天皇により「不可」とされた物なのだから。

でもこれは太安万侶のせいではないと思う。
天武天皇の「すでに真実と違ってきており多くはうそいつわりが加えられている」と言うのは、
「俺にとって都合が悪い。だから俺の好きなように書き換える。お前らは黙って従え」と、
諸家(豪族達)に無茶振りをしているのだから、太安万侶のような下位の者にはできない仕事。
当時はまだ石川氏(蘇我氏系:出雲の派閥)等が残っており、修正に反対したのだと思う。

そして古事記は「修正が未完成」ながらも、日本書紀の原典になり、
諸家にも無茶を言える舎人親王を中心とした日本書紀は修正を加え、
また新たに収集した資料を加え完成したのだと思う。
でもさすがに修正しきれなかった部分は「一書」として日本書紀に残っているのである。

古事記は乙巳の変で失われた「帝紀」と「本辞(旧辞)」を稗田阿礼が暗記していたもので、
それ故に日本書紀の元本になったのである。
なので、「日本紀講筵」の場で「日本書紀」の参考書として使われたのだろうと思う。
但し、現代人の考える「古事記」としてではなく、「帝紀・本辞」として。
「序」はその説明の為のメモだったのだろう。






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最終更新日  April 30, 2024 01:38:51 AM
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