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June 27, 2024
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倭國のことを考える時に、
日本だけではなく中国(魏だけではなく漢や秦を含む)や
韓国(特に三国期)のことを知らないと何も分からず、
独断と偏見でストーリーを作ってしまいそうな気がして、
中国や韓国の本を読み始めた。

韓国アレルギーのある日本人や、日本アレルギーのある韓国人はたくさんいて、
そのせいで事実関係が滅茶滅茶になっている感じがあるが、
日本でも中国でもあるいは韓国でも「史書」とされるものは、
他国で読まれることを意識しており、その結果複数の国の史書と比較されるので、


特に「1国対複数国」の比較ではウソを書いてもすぐにばれるので信頼がおける。
1国対1国の場合はお互いにゆずらないと思うので、どちらが正しいかは分かりにくいが、
韓国の三国史記を読んで(まだ途中だけど)、
変だなと思う所もあるけれど、なるほどと思う所も結構ある。
なのでこれを使って調べると、
日本のいわゆる「空白の4世紀」もある程度わかってくるのではないかと思う。

例えば三国史記では、第4代目の新羅王は「倭人」であると書いている。
ものすごい事だと思う。
自国の王が他国から来た人間だとは普通は書けない。下手をすると本を焼かれる。
でもしっかりと書いてある。

巻1新羅本紀四に、

西暦57年に62歳で即位しているが、
元々は「多婆那國」の出身で、この国は倭国の東北千里の所に有ると書かれている。
これをしっかりと読み解けば当時の日本のことが分かるはずである。
但し、三国史記の元になった史料のレベルによっては正確さには疑問がある。
例えばこの付近の時代に関する記述としては、

卑弥呼が若い頃の話なのか、あるいは記録された時期が不正確なのかが分からないが、
時期が不正確なのは資料の時代の不正確さはレベルの低さのせいにしても、
流れとしてはある程度信用できるような気がする。
三国史記に書かれた倭人の王統は下の系図の通りである。


字が見づらいが画像を右クリックして出るメニューから「新しいタブで画像を開く」を選ぶと
別のタブで、大きな画像で見られる。
また倭人の王がいると言うことは倭人の臣もいると言うことで、
なんと初代の頃から倭人の重臣がいる。

そしてこの第4代新羅王「脱解尼師今」が大事なのは、
日本書紀に書かれた神功皇后の事績とけっこう重なるからである。
つまり神功皇后そのものに疑義があったとしても、モデルは居たことになる。

日本書紀を見てみる。
仲哀天皇2年1月に仲哀天皇は神功皇后を后にしている。「気長足姫命」である。
この年仲哀天皇は熊襲を討とうと九州に行幸されるが、
神功皇后に神の啓示が有り、
熊襲なんてとるに足らない、新羅が宝の山である。新羅を攻めれば熊襲も自然と従う。
と言うのだが仲哀天皇は信じなかった。
仲哀天皇は9年に神の宣旨に従わず熊襲を攻めたのに勝てず、帰って来て亡くなる。
そこで神功皇后と竹内宿禰は天皇の死を隠して、熊襲を討つとあっという間に勝った。
新羅に出兵した所、新羅の王はこれもすぐに降伏した。

これを読むと韓国アレルギーのある日本人や、日本アレルギーのある韓国人は反発して、
そんなのは伝説で信じられないと言うだろうが、
三国史記を読むと、
実は第16代新羅王「訖解尼師今」までは第4代新羅王「脱解尼師今」の子孫であり、
もし神功皇后が「多婆那國」の関係者ならば、
第16代新羅王「訖解尼師今」が戦いを避けて、それに従ったとしても不思議ではない。

三国史記でも、「訖解尼師今」36年に倭兵が攻めて来たが、
新羅の軍人である伊伐飡(いばつさん)は静観を決め、兵糧攻めにして、
倭兵が退却するのを待っている。
つまり倭側から見れば新羅は弱くて戦わなかったと言うことだし、
新羅側から見れば倭は兵糧が無くなって退却したと言うことである。
「訖解尼師今」36年は346年つまり4世紀中頃なので、
もしかしたら日本書紀の神功皇后の事績はこの時のことかもしれない。

では何故両者は戦わずして別れたか?
それは神功皇后と第16代新羅王「訖解尼師今」が遠い親戚だったからだと思う。
神功皇后は「金銀財宝」は欲しかったけれども、自分の兵を危険にさらす必要はなく、
成果が得られれば引き返した方が得だったからであり、
第16代新羅王「訖解尼師今」も相手がその程度で引き返してくれればよかったのである。

では神功皇后と第16代新羅王「訖解尼師今」は遠い親戚だったのか?
それは古事記や日本書紀に書いてある。
「天之日矛(アメノヒボコ):日本書紀では天日槍」は垂仁天皇の時代に新羅から来た。
本人は新羅の王子で、弟に王の座を譲り(妻の後を追って)日本に来たと言ったらしい。
妻の後を追ってと言うのは古事記に書かれた伝説なので本当かは疑わしい。
天皇は最初播磨国宍粟邑と淡路島出浅邑の2邑に天日槍の居住を許したが、
天日槍は諸国を遍歴し適地を探すことを願ったので、これを許した。
そこで天日槍は、菟道河(宇治川)を遡って近江国吾名邑にしばらくいたのち、
近江から若狭国を経て但馬国に至って居住した。
古事記では但馬国に留まり多遅摩之俣尾(たじまのまたお)の娘の前津見(さきつみ)を娶り、
前津見との間に多遅摩母呂須玖(たじまのもろすく)を儲けたと書かれている。
Wikiにその辺の系図が載っていたので、古事記における系図を載せる。


えー!神功皇后は天之日矛の子孫じゃん!
もし天之日矛が本当に新羅の王子だったら、
神功皇后と第16代新羅王「訖解尼師今」は遠い親戚じゃん!
でも結構遠い親戚であって、ほとんど他人じゃんと思うかもしれないけれど、
皇子が気軽に渡ってくるほど、日本と新羅が親密だったのならば話は別である。
例えば訖解尼師今3年には倭国が使臣を遣わして王子の婚姻を求めてきており、
訖解尼師今は阿飡の急利の娘を送っている。
つまり日本の朝廷と新羅の王家は親戚関係だったのだと思う。

では神功皇后と第16代新羅王「訖解尼師今」は遠い親戚だとして、
他には証拠は有るのか?それは日本書紀に書いてある。
カギは垂仁天皇紀に出てくる「丹波道主命」である。
「丹波道主命」と第4代新羅王「脱解尼師今」の故郷が「多婆那國」である事は関係ないか?
韓国では日本の「県」にあたる地域区別を「道」と言う。
これが古代日本でもそう呼ばれていて、
それを「訖解尼師今」が新羅に(名前を)連れて行ったのならば、
「丹波道主命」と言うのは「丹波地方の王様」のことではないか?
また「多婆那國」と言うのは「丹波奴國」のことではないか?
奴国は領土を広げていく際に、征服した国の名前に「奴」を付ける場合が多い。
魏志倭人伝に書かれた女王国の北側の国々の名前を見ても、
「彌奴國」、「姐奴國」、「蘇奴國」、「華奴蘇奴國」、「鬼奴國」、「烏奴國」と多い。
奴国が東側に国を広げる途中で征服した丹波に有った国なのではないだろうか?
そして国が亡びる際に逃げ出した王族の子孫が、
新羅に逃げて第4代新羅王「脱解尼師今」になったとしたら話のつじつまが合う。
丹波の王子が新羅に逃げて、その子孫の新羅の王子が隣の播磨に戻ってくる。
そして地元の昔の親戚たちの中に溶け込んで隣の但馬の人間になり、
その子孫が神功皇后である。
なお、神功皇后は新羅から帰った後に、仲哀天皇の遺児「麛坂王」、「忍熊王」を滅ぼす時に、
播磨や丹波・但馬の力を借りて勝っている。

ちなみに「丹波道主命」は崇神天皇紀に出てくる四道将軍の一人で、丹波に派遣された。
つまり日本でもこの当時は「四道」と書いており、「道」は地域や方面のことである。
と言うか北海道は今でも「道」?

第4代新羅王「脱解尼師今」は「丹波道主命」に負けた王の子供では?
そう思ってしまった。
そうすれば、細かい所には不正確さが残るが、
神功皇后(のモデルかもしれない)の実在が証明されて、
今まで良く分からなかった「空白の4世紀」が見えてくるのかなと思う。

<後日追記>
系図の中の第25代新羅王「真智(しんち)」を「まち」と読むのならば面白いと書いたのは、
蘇我氏の系図の中に日本人らしくない名前が有り、
その人物と年代や名前が重なるから。
Wikiから蘇我氏の系図を引用する。


蘇我韓子とか蘇我高麗とかはものすごく韓国らしい名前。
もっとも国としての高麗は10-14世紀の国なので、
ここで言う高麗は高句麗の別称としての高麗である。
何でこんなわざとらしい名前にしたのかと考えると、
蘇我氏は本当に新羅から来て葛城氏の中に入り込んだのではあるが、
素性が知れないので、何とかごまかして祖先を偽作したのではないかと思う。
その際にたまたま新羅王が「真智(シンチ)」だったので、それを利用しようとしたが、
さすがにそのままでは問題があるので、ちょっと読み方を変えて、
同一人物ではないがいかにも関係ありそうな架空の人物を作り上げた、そう言う事だと思う。

何の根拠もないけれども、ものすごく面白そうなので書いてみた。





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最終更新日  June 29, 2024 02:42:45 AM
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