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2008.04.12
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カテゴリ: 幸せのかたち
昔の同僚が亡くなったとの訃報が入ったのはつい3日前だった。
その日の朝通勤途中に交通事故にあったのだと
知らせてくれた友人のメールに書かれてあった・・・。


えっ・・・・・?


一瞬何を言ってるのか分からなかった。
それはあまりに突然だったから。
そして当然のごとく、そんなことはもちろん予期していなかったから。


そして今日は彼の葬儀だった。


まだ30代という若さ。



身内でない私でさえ
なかなか受入れることが出来ないこと。

家族は今どんな思いでいるのかと思うと
とてもせつない思いでいっぱいになる。


幼い子供たちは父がいなくなるという試練を乗り越えて
彼らは強くなっていくのでしょうけれど
その死を受け入れ、その出来事が感謝に変わるには
まだまだたくさんの思いを乗り越えていかなければならないだろう。


彼はどうであったのか。
今生で遣り残したことはなかったか。
せめて愛する家族に



テレビドラマのように
例え10分でも
ロストタイムがもらえたらどんなにいいか。



別れはほんとに突然やってくることがある。
老いを感じ、やがてはやってくるであろう死を思う時もあるし


何の前触れもなく
あっけなく訪れることって実は特別なことではなかったりする。


「限りあるいのち」

けれど人はそのことを忘れてしまう。
明日も明後日もその次も
永遠に時は続くかのように
何かことが起きないと
大切な限りある今この一瞬を大切に生きることを忘れてしまうのだ。



大人になってからの知人の突然の死は二度目だった。
彼の訃報を聞いた時思い出したのはそのことだった。


星になった人


ブログを書き始めた頃ちょうど一周忌で
その思いを綴っていた。





散りぬべきとき知りてこそ世の中の
花も花なれ
人も人なれ



この歌は
戦乱の世に生まれた細川ガラシャ夫人の時世の句として伝えられているもの。
「生きて人質になるか、死を選ぶか」の人生の選択に迫られた彼女がの
散り時、引き際の美学としてよく引用されている。
まるで美しく咲き散っていく桜の花のよう。

それでも人生の選択について
こうして自分に近い人の突然の死を突きつけられたとき
生かされている自分を振り返らせられる。


この限りある「いのち」。
今この瞬間にいのちつきても
私は満足だったと言えるだろうか。
精一杯生きていたと言えるだろうか。


自分の人生、
私はなんのために生きているのか・・・・。







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Last updated  2008.04.13 00:42:33
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