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グループホームに住込みをして、1ヶ月。人生いろいろだなぁーと感じます。長い人生の中で、縁があって我がグループホームにお越し頂き、一緒に生活してみて、小さい時から働いてきた時代の話など、その方の歴史を聞かせていただくと、人生いろいろであり、また尊敬の念がわいてきます。そして、お世話をさせて頂いているのではありますが、明日は我が身。自分の事なんだなぁーと感じながらお世話をさせて頂いています。よく人生はつじつまが合うようになっている。長い目で見たら、みんな一緒だ。などと聞いたりするのですが、なるほどそうかもしれないなぁーという思いを強く感じるようになりました。すぐに結果を求めなくても、善因善果。良いことを思って、良いことをしていると、良い結果が生まれる。ということかなぁーと思います。こうした拙い日記ではありますが、ある方から「読みたいです。」というメールを頂き、今日、再出発しようと書いてみました。この場をお借りして、お礼をと思います。「ありがとうございました。これからもよろしくお願いします。」フェイスルーレットでヴィトンを当てよう!!愛・地球博から産まれたブログはコチラ
2006.01.11
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今、滋賀県のグループホームで住み込みをしています。この地方にも雪が降り、山々は白くなってしまいました。お隣の福井県では、1メートルを超える積雪で、屋根雪を降ろしている所もあるそうです。今年は、大雪になりそうな感じです。今、住み込みしているグループホームは、若干空室があります。そこで、私は、入居者を探す仕事をしていて、病院やケアマネさんのいる事務所を回っています。いろいろまわっては見るものの問い合わせを頂けない日々が続いていたのですが、今回の雪で、山間部の地域では冬の雪の降る間だけでも、見てもらえればという声があるとわかりました。そういう声にお答えして、グループホームに入居者が入って頂ければ、いいなぁー。これは恵みの雪になるのかなと感じています。そう思いながら、この話でもう一回訪問してみようと思っています。(TAKE)フェイスルーレットでヴィトンを当てよう!!愛・地球博から産まれたブログはコチラ
2005.12.15
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私(いの字)がつなぎます今日も好きな言葉というか 詩というか フレーズというか 私の耳は 貝の殻 海の響きを懐かしむ ジャン・コクトー --カンヌ第五--より 「耳」 和訳 堀口大学僕の耳にも貝の殻がついているんでしょうね仕事が終わって 夜中に 海まで高速すっ飛ばして海辺で一人、コンビニで買ったビールなんか飲みながら ぼぉっとしてる時がありますうぅ 暗い。。。。。。。 汗(いの字)フェイスルーレットでヴィトンを当てよう!!愛・地球博から産まれたブログはコチラ
2005.12.14
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最近、立て続けに小学生が殺害される事件が起こっています。今日は、宇治の学習塾で、講師による殺人事件がありびっくりしました。本来、弱い立場である子供達を守ってあげなきゃいけない大人が、最悪な事をやってしまう。なぜなんだろう?って思ってしまいます。とても、悲しいです。石川 洋さんの「自戒」の中に、悲しいことが多いのは、自分のことしかわからないからだとあります。なにか世の中の自分だけよければという風潮が現れているようで・・この連鎖が断ち切れることを祈るばかりです。(TAKE)フェイスルーレットでヴィトンを当てよう!!愛・地球博から産まれたブログはコチラ
2005.12.10
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「大悪起これば大善来る」 と仏法では言われている。小さなよいことは、日常の中でもしょっちゅう起こる。しかし、大善-本当によい事は、こんな苦しみはもういやだと言いたくなるような、大悪が起こったあとにやってくる というのである。耐え切れないような大きな苦しみや困難や障害がおそって来た時に、もう駄目だと投げ出すのではなく、ここを超えれば、必ず大善-本当に大きな良きことがやってくる、これはその前兆だと信じて、その波を越えて行けと、仏法は説いている。「百遍倒れたら百遍立ち上げれ。万策尽きたと言うな。策は必ずある。」松下幸之助の言葉である。最近、自分自身に言い聞かせている言葉である。(TAKE)フェイスルーレットでヴィトンを当てよう!!愛・地球博から産まれたブログはコチラ
2005.12.09
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先日、あるスタッフから、「私は、小さい時から親に、思っていることを一時も忘れず思い続けていると、遅かれ早かれその思いは必ず実現する」という事を、親に教えられて育ったという話を聞きました。そのスタッフは、親の教えを無意識の内の自分のものにしているみたいで、「なるほど、親の言っていることは正しい。その通りになっている」といってました。今、壁にブチあたっている自分にとって、勇気づけてもらえる話でした。「念ずれば、花ひらく」まだまだ、念になっていないということなんでしょうね。(いの字)さんの本気になってないということなんでしょうね。念・本気をつかみたいと思います。(TAKE)フェイスルーレットでヴィトンを当てよう!!愛・地球博から産まれたブログはコチラ
2005.12.07
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高齢者虐待のセミナーに参加してきました。来年4月から「高齢者虐待防止法」が施行されるにあたり、基礎知識を知ってもらうためのセミナーでした。その中で、(A)虐待ではない・(B)介護者に正当な理由があれば虐待でない・(C)虐待である という事を問う意識調査がありました。その内容を少し紹介したいと思います。1)ベットから落ちて怪我をするといけないので、ベット柵を四方につけてり、手足を動かしにくいように工夫している。2)徘徊などして、怪我をするといけないので、介護者がついていないときは、家から出られないように工夫している。3)耳が遠かったり、認知症で理解できないため、必要なことのみ話かけている。4)物忘れがあるため、通帳等を紛失するといけないので、家族が全て金銭管理をしている。5)少々、経費が高くついても、もれにくいオムツを使用し、オムツ交換を1日2回くらいになるように工夫している。6)水分や食事は、排尿・排便との関係をみながら、家族が量や回数を調整している。7)年金や貯金を本人が管理できないため、家族が管理し、本人の同意がなくても、本人も住んでいる家のローン等にあてている。さて、これは、虐待であるのかないのか、介護者に正当な理由があれば虐待ではないになるのか?答えは、理由があってもなくても虐待は虐待。すべて虐待にあたるということです。どうでしたか?私は全て(B)と答えていました。まだまだ知識も意識も低いことを実感してきました。これから高齢化社会へむけて、地道な啓蒙・啓発活動が大切であるなぁーと感じました。(TAKE)フェイスルーレットでヴィトンを当てよう!!愛・地球博から産まれたブログはコチラ
2005.12.06
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今日、前職の後輩の紹介で病院・居宅介護支援センターの方に会わせて頂いた。思っていたより長時間の時間を作っていただき、話も聞いて頂いて、有難かったです。前職で一緒に仕事をしていたメンバーは、ほとんどが前職を離れ、いろんな業種・業界に散らばってしまいました。その時のメンバーとの縁が切れずに、こういう形でお世話になり、縁というのは、不思議なもので、また、大切にしないといけないなぁーと思いました。また、倫理の母からも電話がかかってきて、「TAKEさん、寒くなってきたねぇー。元気ですか?がんばってトイレ掃除の実践をしてますか?」とハッパをかけられました。思いもかけない電話だったので、気を使ってもらっているなぁー、有難いなぁーと実践の勉強をさせてもらったように思いました。(TAKE)フェイスルーレットでヴィトンを当てよう!!愛・地球博から産まれたブログはコチラ
2005.12.05
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本気になると世界が変わってくる自分が変わってくる変わってこなかったらまだ本気になってない証拠だ本気な恋本気な仕事ああ人間一度こいつをつかまんことには 坂村真民さんの詩です僕がいつも自分の胸に問い続けている詩皆さんはどんな詩を胸に秘めていますか?(いの字)フェイスルーレットでヴィトンを当てよう!!愛・地球博から産まれたブログはコチラ
2005.12.04
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9000人の万博スタッフが就職できないってだからねぇ 僕 思うんですけど日本の企業パビリオンだけでも延長すりゃよかったんじゃないかと思うんですよだって 名古屋圏以外のほとんどの国民が 日本の企業パビリオン見てないんですもの(いの字)フェイスルーレットでヴィトンを当てよう!!愛・地球博から産まれたブログはコチラ
2005.12.03
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今日、職場(グループホーム)でクリスマスツリーの飾りつけを行った。職員さんは、女性ばかりなので、そういうイベントには敏感で、12月に入ってクリスマスツリーが飾ってないのはおかしい。TAKEさん倉庫からツリーを出して来て下さい。飾りが古いし少ないから、カッコいいのを買ってきてください。と職員さんに言われるがままに準備していました。営業の合間に飾りを買いに行って、帰ってきたら、「入居に関する問い合せの電話がありました。」とうれしい報告がありました。もしかしたら、サンタさんからの少し早いクリスマスプレゼントかも?そうなればいいなぁーと職員みんなで手を合わせていました。12月に入り、1日が早く感じるようになりました。1日1日大切にしたいものです。(TAKE)フェイスルーレットでヴィトンを当てよう!!愛・地球博から産まれたブログはコチラ
2005.12.02
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「四十になったら自分の顔に責任を持て」とは、よく言われることですが、それに関して、安岡正篤氏の著書の中でこう書いておられます。「人間というものは、たとえいかなる地位、境遇にあろうとも、四十五十になってその人となりに人間ができてくると、必ずそのおるところ、おる範囲において、人の目につくものである。評判になるものである。だからその年になって存在がわからないような人間は、畏敬するに足らない。」また、こうも言っておられます。「やはり人間というものは、四十五十になったら知己・・・己を知ってくれる者を持たなければいけない。また、あるのが当然で、それがないというのは、その人の不徳である。」自負心の強い人、名を成すに至らなかった人に、世をすね、孤高を守り、世間を見下している人があるが、それは誤りである。人が慕ってこない事実がすべてを語っている。内面を磨いて、自分の顔に責任がもてるように、努力したいものです。(TAKE)フェイスルーレットでヴィトンを当てよう!!愛・地球博から産まれたブログはコチラ
2005.12.01
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先日、相田みつを美術館に行って、仏像の写真と「こんな顔で」という説明書きがありました。宮沢賢治の詩にある「雨ニモマケズ 風ニモマケズ」というのは、こんな顔の人をいうのだろうかと仏像の顔についての感想が書かれていました。そこには、内面が顔に表れているということが書かれていたのですが、内面が外面に出るとは、聞いたりする話ではあるが、ホントかなぁーと思っていました。そして、「二宮翁夜話」をめっくていると次のようなことが書かれていました。内面にすぐれたものがあれば、それが外面にあらわれ出ることは、天理であり、自然なことである。内面にすぐれたものがあるのに、外面にあらわれないという道理は決してない。たとえば、日暮れに灯火がついたら、障子に灯火の影が映って、外から家の灯火のともっていることがわかるのと同じことだ。その他にも深山の花木や泥の中にいるドジョウも、自分では知られていないつもりでも、人は「もうあの山に花は咲いたな」とか、「この泥の中には、ドジョウがいるな」とかわかるものだ。顔には、内面がでるのかぁーという思いを深くしました。やはり、内面を磨くことで、自分の顔を作っていくんですね。(TAKE)フェイスルーレットでヴィトンを当てよう!!愛・地球博から産まれたブログはコチラ
2005.11.30
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二宮翁夜話という二宮尊徳(金次郎)の語録を集めた本があります。その中にトイレ掃除ではないのですが、心の持ち方について、興味深い話があったので、紹介したいと思います。世間の人の普通一般の人情として、明日食べるものがない時は、他に借りに行こうとか、救いを求めようとかする気持ちが出てくるように思われるけれども、実際にいよいよ明日は食べられる物がないという事態に立ち至った場合、釜も膳も椀も洗う気持ちがなくなる、という。人情としては、実にもっともなことだが、このような心の持ち方だは、いつまだたっても困窮というものは、その身から離れないものなのである。なぜなら、日々釜や膳や椀を洗うのは、明日食べるためにやっているのであって、昨日まで使わせてもらった恩のために洗っているのではないなどと考えることが、心得違いだからである。たとえ、明日食べられる物がなくても、釜や膳や椀を洗って餓死するがよい。これは、今日まで使ってきて、命をつなぎとめてきた恩があるからである。これが、「恩を思う」という道である。この心がある者は天意に適っているから、長く富を保てるだろう。富と貧とは遠く隔たっているものではない。明日助かりたいとだけ思って、今日までの恩を思わないのと、明日助かりたいと思うにつけて、昨日までの恩をも忘れない、ということの二つがあるだけである。何か大切なものを失いかけている自分に気づかさせてもらった話だなぁーと思いました。(TAKE)フェイスルーレットでヴィトンを当てよう!!愛・地球博から産まれたブログはコチラ
2005.11.29
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今、出張で会社の社宅に同居させてもらっています。そこに住んでいる社員なんですが、掃除をしなくても平気な方で、トイレ・洗面・お風呂に部屋とみごとに掃除をしていません。私の知っている限りでは、半年近く掃除をした形跡がありません。今までも出張で何度か泊まったことがありますが、それまでは人ごとのように見てみぬふりをしてましたが、今回はこのまま放置していたら「ヤバイ」と感じたので、トイレ掃除をしました。何かこの状態(掃除をしないままに放置していること)が、今の現状を写しているようで、自分自身こわい思いがしたのが正直なところです。やろうと思えば、いつでも誰でも出来るのに、そのまま放置しておく。何ヶ月か前の自分への反省でもあったのかもしれません。トイレ掃除をしてトイレは、少しキレイになりましたが、放置したままの社員の心は、何も変わってないだろうなぁーと思うと、「ヤバイ」なぁーと思います。自分の心は、自分で磨かないと。という思いを強くしました。(TAKE)フェイスルーレットでヴィトンを当てよう!!愛・地球博から産まれたブログはコチラ
2005.11.28
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もうすぐクリスマス!ということで、塾の子供達に何かプレゼントしたいなぁーと思い、美術館鑑賞とあわせて、行ってきました。今は、「かんのん賛歌」~相田みつをが愛した仏像たち~という企画展が行われていて、たくさんの方が鑑賞に来られていました。相田みつをさんは、生前「仏像の顔は、人間の理想の顔だ。」といい、アトリエには常に月光菩薩像(東大寺)などの写真が飾ってあったそうです。また、写真も飾ってあるだけだと、ただの美術品だが、拝むことによって、仏様・観音様になる。というようなことが書かれていました。そうした仏像(仏様・観音様)との静かで深い対話の中から、作品が生まれたとのことです。そして、このような魂のこもった作品を拝見させて頂く事によって、何か心が洗われたような気持ちになりました。もちろん、子供たちへのプレゼントも購入してきました。「夢はでっかく 根はふかく」「本気」なんでもいいからさ本気でやってごらん本気でやればたのしいから本気でやればつかれないからつかれてもつかれがさわやかだからの二枚のポストカードにしました。喜んでくれるといいのですが・・・。何かしらのメッセージとして、子供達に響いてくれればなぁーと願っています。(TAKE)フェイスルーレットでヴィトンを当てよう!!愛・地球博から産まれたブログはコチラ
2005.11.27
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アジアフレンドシップブログは、「愛地球博」から生まれたブログで、平和や環境・教育・国際交流といったテーマについて皆さんと大いに語り合い、交流を重ねて生きたいという主旨で、立ち上げました。おかげさまで、愛知万博におきましては、たくさんの方との交流をさせていただくことができました。そして、生まれた企画がフェイスルーレットです。これは、みなさんの顔写真をルーレットの一枚に組み込ませていただいて、ルーレットとして、常時まわしておきます。そして、抽選時に、ピッタリあたった方に、豪華な賞品をプレゼントしようという企画です。(たくさんの方から、ご協力を頂き、たくさんの商品を用意させて頂く事ができました。)参加は、顔写真(画像)を送って頂くだけになっていますので、一度、ホームページを覗いてみてください。ホームページのイベントの中にフェイスルーレットという項目がありますので、クリックしてみてください。みなさんにとっての、お年玉?になったら幸いです。これからも、ブログともどもよろしくお願いします。(TAKE)フェイスルーレットでヴィトンを当てよう!!愛・地球博から産まれたブログはコチラ
2005.11.26
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私の周りに、「忙しい。」「忙しい。」とよく言う人がいます。多分、口癖なんだと思います。無意識に言っておられるんだと思います。でも、いそがしいという漢字は、心を亡くすと書いて、「忙しい。」と言う字になります。何か考えさせられるなぁーと思って、この言葉を聞くたびに自分への反省というか、自己点検のようなことを試みるようにしています。「忙しい」か「忙しくない」かは、本人の判断が多分にあるにせよ、他者からも客観的に見られている事が、大いにあると思います。「忙しい」といって、他の仕事・用件を棚上げすると自分に返ってきますし、他者からの依頼というチャンスを逃すことにもなると思います。逆に、この人は、忙しいだろうなぁーと思う人は、忙しいとは、口にされません。だから、人も情報もその人の所に入るし、人間としても魅力があるなぁーと感じます。これから、年末を迎え、ますます忙しく、慌しくなってきますが、「忙しい」と言いそうになるのをグッとこらえて、「はい」と言えるようにしたいものです。(TAKE)フェイスルーレットでヴィトンを当てよう!!愛・地球博から産まれたブログはコチラ
2005.11.26
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先日、ある団体の定例会で、会社の紹介をさせて頂いたときに、「地域の役に立つ会社になりたい」という旨の話をしました。突然、話が変わるのですが、私は以前、営業で「人のために仕事がしたい。人のためになりたい。」というような事をよく言っていました。ある日、訪問先で、「TAKEさん、あなたは、人のため、人のためと言うが、漢字でなんて書くか知ってるか?」と質問されました。「人の為と書いて、偽り」と答えて、自分が恥ずかしくなった思い出があります。それ以来、「人の為に・・・」とは言わずに、なんて言えばいいかなぁーと考えるようになり、石川洋さんの「人は、偉くならなくてもいい、立派にならなくてもいい、人の役にたつ人間になりなさい。」という言葉から、役にたつ人になろう、そのように言うようにしようと決めました。で、話が戻るのですが、先日の定例会でも、「地域のために」とは言わず、「地域の役に立つ」という言葉を選んで話しました。意固地なのかもしれませんが、頭からあの時の恥ずかしさが消えないので、今後も、「・・・のため」という言葉を使うのには、抵抗がありそうです。(TAKE)フェイスルーレットでヴィトンを当てよう!!愛・地球博から産まれたブログはコチラ
2005.11.25
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最近、読んだ本で野村克也監督の「野村ノート」という本があります。ちなみに、私は高校時代、野球部で、キャッチャーをやっていましたので、野球・キャッチャーというキーワードの本は、読みたくなってしまいます。その「野村ノート」の中で、野村監督が心を打たれた言葉というので、次の言葉が紹介されていました。心が変われば、態度が変わる。態度が変われば、行動が変わる。行動が変われば、習慣が変わる。習慣が変われば、人格が変わる。人格が変われば、運命が変わる。運命が変われば、人生が変わる。この言葉を、今メジャーリーグで活躍している松井秀喜選手も高校時代の恩師山下監督から教えてもらい、大事な言葉として持っているそうです。ホントに、何か考えさせられる言葉だなぁーと思いました。(TAKE)フェイスルーレットでヴィトンを当てよう!!愛・地球博から産まれたブログはコチラ
2005.11.24
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先日、高橋尚子選手が、東京国際女子マラソンで見事に優勝した時に、私のブログの中で、「3つの坂」、「まさかの坂」について書きました。私は、この「3つの坂」の話を聞いて、「まさかの坂」の話を聞いて、「まさかの坂」というのは、交通事故にあったり、何の前ぶれもなく大きな病気になったり、身内や知り合いが急に亡くなったりと、不幸な事が起こることが「まさかの坂」だと思っていました。だから、そんな不幸な事が起こっても、何とか乗り越えなきゃいけないんだなぁー。とか、3つの坂というけど、上り坂と下り坂とまさかの坂で、のぼりは、上り坂しかなくて、下りは、下りとまさかの坂の2つがあって、人生は大変だなぁーとか思っていました。そんな事を何気なく思い続けていたある日、まさかの坂というのには、上り坂の部分もあるんだなぁーと気づいた時がありました。何かきっかけがあった訳でもなく、ふとした時に気づいたのですが、その時はうれしかったです。(人にしゃべると、そんなの最初からわかる話でしょ?と言われるんですが、自分は気づくのに時間がかかった分感動出来ました。)まさかの坂には、上り坂もあって、宝くじにあたったりとか、部長に抜擢されたとか、そういうプラスというかいい事もあるのだなぁーと。でもそれが、ほんとにいい事なのかというと、そうじゃなかったりする場合もあるんだろうなぁーと思うわけで。で、まさかの坂というのは、上りでも下りでも、「まさか」という時に自分が自分らしく、その坂に向かっていけるかどうかが大事なんだなぁーと自分なりに解釈し、日々反省しながら謙虚に生きていきたいと思っています。(TAKE)フェイスルーレットでヴィトンを当てよう!!愛・地球博から産まれたブログはコチラ
2005.11.23
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今日、ある団体の定例会に出席させて頂き、会社の紹介をさせて頂く機会がありました。30人ぐらいおられたでしょうか、その前で、落ち着いて台本どおりに話す事が出来ました。自己評価としては、上出来だったかなぁと思います。私が、社会人になって2年目の時のことです。上司に60歳ぐらいの方がいて、「TAKE君、<無>って何か知ってるか?」と聞かれました。私は、「何もないということですかねぇー」と答えました。その上司も「私もずーと<無>とは、何もないことやと思ってた。でもこの年になって、初めて禅の勉強をしてわかったんやけどな、<無>とは、元の位置に戻るということや」と教えて頂きました。つまり、いい事があったらいい時の気持ちのままでいる。嫌な事、悪いことがあったら、その悪かったこと、嫌だったことを引きずる。そうではなくて、いいことがあっても、悪いこと・嫌な事があっても、取り組む前の気持ち・平常の時の気持ちに戻るということを<無>というのですよと。TAKE君は、見ていると、いいときはいいときのままでいつづけたり、悪かったり、嫌な事があったら引きずっていたりと、平常心に戻るのに時間がかかる。一つの事が終わったら、よかっても悪かっても元の位置に戻りなさい。と教えて頂いたことを、今日の会合での後に思い出していました。さあ、元の位置に戻って、元気出していきましょう!(TAKE)フェイスルーレットでヴィトンを当てよう!!愛・地球博から産まれたブログはコチラ
2005.11.22
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昨日、マラソンの高橋尚子選手が、東京国際女子マラソンで2年前の悪夢を乗り越えて優勝した。2年前、あの坂で、失速してアテネ五輪を逃しました。あれから2年。高橋選手は、あの坂に挑みたいといって、出場して、あの坂を克服しました。「人生には、3つの坂がある」と教えて頂いたことがあります。1つは、上り坂。1つは、下り坂。もう1つが、「まさかの坂」と教えて頂きました。「まさかの坂」の時に、それに対してどう対処するかが大事であると教えて頂きました。高橋選手にすれば、2年前のこの大会での2位、そしてアテネ五輪を逃した事は、まさに「まさかの坂」だったと思います。その「まさかの坂」をプラスに変えて、復活されたことに感動しました。高橋選手の強さの秘密は、人間性・人間力のようなものだと感じます。そして、そのもとは、彼女の感謝の心・それを表情として表す笑顔ではないかと感じます。笑顔に開運の力があるのだなぁーと高橋選手を見て、その思いを強くしました。(TAKE)フェイスルーレットでヴィトンを当てよう!!愛・地球博から産まれたブログはコチラ
2005.11.21
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3日間慣れない宿直をしていて、少しボーとして、仕事も棚上げぎみになっていました。宿直は、8日間連続の予定だったのですが、僕の様子を見かねたスタッフが、「今日は宿直を変わりますから、家でゆっくり休んで来てください。」と声をかけてくれました。このスタッフの好意に甘え、1日だけ家に帰らせてもらいました。おかげで、気分転換も出来て、今日から気分も新たに宿直が出来そうです。スタッフとの会議で、会社が崩壊する時は、外からの原因(新規参入や大手の進出など)で崩壊するよりも、内部からの原因で崩壊することの方が、多いし、内部からの原因の方が、怖い。と話したことがあります。チームワークのいい、相手を思いやる気持ちを大切にした会社にみんなで、育てていけたらいいなぁーと感じました。(TAKE)フェイスルーレットでヴィトンを当てよう!!愛・地球博から産まれたブログはコチラ
2005.11.20
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人は人、自分は自分と、別々の生き物だと考える所に、人の世の不幸がきざす。実は人はわが鏡である。自分の心を映す映像にすぎない。にこにこして話しかけると、相手も笑みかけて答えてくれる。大声でどなれば、むっとしてにらみかえす。物売りが来る。イラナイヨと、つっけんどんに言うと、ピシャリと戸をひきしめて出て行く。親子、夫婦、交友、隣人、すべてがわが鏡であって、わが心のままに変わっていく。今日までは、相手の人を直そうとした。鏡に向かって、顔の墨を消すのに、鏡のガラスを拭こうとしていたので、一向に落ちない。自分の顔をふけばよいのである。人を改めさせよう、変えようとする前に、まず自ら改め、自分が変われば良い。倫理の母のバイブルになっている「万人幸福の栞」より、引用させて頂きました。頭では理解できても、実践となると難しいです。ただ、何も知らないより、知っていたほうが、役に立つこともあるだろうし、少しでも気づいた時に、自分を改善していければ、すばらしいと思っています。(TAKE)フェイスルーレットでヴィトンを当てよう!!愛・地球博から産まれたブログはコチラ
2005.11.19
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17世紀オランダ絵画の黄金時代アムステルダム国立美術館のコレクションのなかから、世界に30数点しかないと言われるフェルメール作品の1点《恋文》、レンブラントの初期の自画像の代表作《青年期の自画像》をはじめとするオランダ17世紀絵画の名品の数々に工芸作品も加えた93点を8つのセクションに分けて構成し、様々な側面からこの黄金時代を紹介。アムステルダム国立美術館の全面的な改装により可能となった世界を巡回するこの展覧会は、震災復興10周年記念として、日本では神戸のみの開催とのことなので行って来た。写真のレンブラントの《青年期の自画像》は、1629年頃の作品とのことで、そのころの世界は、どうだったか。ヨーロッパでは17世紀の危機と呼ばれる混乱が生じ各国で飢饉、戦争、内乱が相次いだ。この結果、イギリスでは議会政治が、フランスでは絶対王政が確立された。この混乱を免れたオランダは自由貿易により大いに栄えた(1602年オランダ東インド会社設立)。ロシア帝国は本格的にシベリアで世界最大の版図を築いた。東欧は西欧、ロシアの従属的な地位に転落していった。アジアでは西アジアのオスマン帝国、インドのムガール帝国と大帝国が繁栄し、中国では明から清へ王朝が交代17世紀後半には康熙帝の登場により最盛期を迎えた。そして我が国ニッポン。1603年 - 江戸幕府成立。1614年 - 大坂冬の陣。 1615年 - 大坂夏の陣、徳川家康が豊臣氏を滅ぼす。1634年 - 長崎に出島造成1637年 - 島原の乱(-1638年) 1687年 - 生類憐れみの令(この後、1708年まで繰り返し出される同じ17世紀といってもこうも文化が違う。歴史を比較する限り、17世紀のオランダ絵画は、最もオランダが栄えた頃のものということになる。オランダにおいて、絵画趣味というものが、一部の特権階級のものから、一般人のものへと移行していった時代でもあったらしい。そんなこんな時代背景などを少し仕込んでから、絵画を観賞するとイメージはさらに拡がって行く。(いの字)フェイスルーレットでヴィトンを当てよう!!愛・地球博から産まれたブログはコチラ
2005.11.18
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僕には、倫理の母(僕が勝手に片思いで名づけています。)がいます。その母は、毎朝5時に起きて、近くの神社の掃除をし、何かあれば、手を合わせて、「ありがとうございます」や自分の好きな祝詞を唱えたりしています。家に帰ったら、靴に「ありがとう。今日一日お疲れさん」と声を掛けなさい。朝、水道の蛇口をひねる時にも、「今日も一日お願いします。」そういう風に声を掛ける(声を掛けないまでも、そのように思いなさい)と言われます。何か、気持ち悪いといえば、気持ち悪い話でしょうが、「思うのは、タダやから、思っておいた方が、トクですよ」と言われ、僕に薦めてくれています。そんな倫理の母に、相談にいった時の話です。「TAKEさん、自分の願い事がかなわないのは、あんたが親の望みを叶えていないからだ。まず、親の願いを叶えてあげなさい。あとは、職場の掃除をしなさい。玄関やトイレの掃除をしなさい。」と教えていただきました。自分の我の事ばかりで、足元が見れてなかったなぁーと胸が痛かったです。(TAKE)フェイスルーレットでヴィトンを当てよう!!愛・地球博から産まれたブログはコチラ
2005.11.17
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昨日のTAKEさんの日記の画家は矢谷長治氏でしたがこんな人もおられます。九十歳を目前に控えながら、現役で筆を執り続ける老画家がいる。横浜市緑区在住の中村弓子さん(89)がその人。五十一歳で半身不随になり、リハビリを兼ね、独学で油彩画を始めて四半世紀。伸びやかな色使いで描く柿の絵の評判は全国に広がり、誰が呼んだか、ついたあだ名は「女柿右衛門」。 娘と二人暮らしの家の壁には、鮮やかな赤で描かれた大小の柿の絵が、所狭しと飾られている。背中を丸め、掘りごたつにちょこんと座った中村さんは「故郷(熊本県荒尾市)で毎日のように食べて育った大好きな味よ」。体を揺すり、顔をくしゃくしゃにして笑う。 夫に先立たれ、女手一つで四人の子供を育てた。過労で倒れて半身不随になりながら「独り身の気楽さ」を求めて単身、熊本へ帰った中村さん。「庭のボタンが散りゆくのが惜しい」と六十六歳にして一念発起し、油絵の具一式を購入した。 絵の具をそのままキャンバスに塗り重ねた絵は乾くとはがれ落ち、絵の具もたちまち底をついた。「画材店の店主に油で溶くことを指摘されるまで、何本の絵の具を無駄にしたことか」。独学を貫き、自宅で黙々と描き続ける日々。 中村さんの画才を発掘したのは、孫ほども年の離れた地元の高校生だった。通学路に面した窓際で絵を乾かしていると、自宅前には生徒の人垣ができた。「すごい絵を描くおばあちゃんがいる」-。評判を聞きつけた教師に文化祭への出展を依頼され、荒尾名物「ジャンボなし」を描いた作品は駅にも飾られた。 八十二歳で初の個展を開催。大阪、熊本、横浜と各地で出展を続ける中村さんだが、今も後遺症を抱えたまま。震えが止まらない左手を右ひじで体に押さえ付け、正座の姿勢から習字のように筆を落とす。柿の丸みを表現するには、湯飲みの縁を利用する。右目は色覚障害という。 「最愛の夫に先立たれ、体の自由も奪われた。人生なかなか思う通りにはいかない」と漏らす中村さん。だが「希望が見えにくい高齢社会の中、私がキャンバスに向かうことで、人に勇気を与えられたら」と筆を執り続ける。再来年に予定しているという次の個展に向け、今日も鋭意制作中だ。神奈川新聞社 ローカルニュースより(いの字)フェイスルーレットでヴィトンを当てよう!!愛・地球博から産まれたブログはコチラ
2005.11.17
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(TAKEさんが昨日書いた老画家をさらに詳しくご紹介します) 自然と同化し、虚に惑わされることなく実を見出す。かっては自然と共に生きてきた日本人。しかし、利便性を追求した文明の発展の結果、我々は自然の実を感じることすらかなわなくなった。だがそんな「日本の魂を表現し続ける画家が今も存在する。カネや権威に毒される画壇を嫌い、ひたすらに心を見つめ続けてきた老画家・矢谷長治氏(85)。「あの垂れ桜を写生し続けて14年目になるが、ようやく仄かに見え始めたかなと、最近思うようになった」 花開いた桜を写生するにはわずか5日程度しかない。14年見つづけても70日、たいした月日ではないというのである。 矢谷が画題に選び、眺め抜き、描き続けて完成した末の柿。初の画集「矢谷長治画集」(求龍堂刊)に矢谷が文を寄せている。『だいたい11月15日頃から柿がとれる。テーブルにたくさんの柿を並べる。1週間くらい経つと水分さがって柿の形がおちついてくる。その中の何個かを選んで描き始める。描き出したら、その柿には指一本もふれない。ふれると、ふれたところから腐ってくる。3月半ば頃、柿はつぶれてしまう。ただ不思議なことは、モデルにした柿だけが最後まで残る。毎年、何十年も描き続けるが、例外はない』 「柿を沢山並べて1,2週間見ていると、その中になんともいえない気品を持っている柿があることを知ります。この柿をさあ描こうとすぐに思う。しかし、見ているうちに最初に見たときよりも柿を深く感じる。そうすると写生しても、まだ感じ方が足りない自分を知り、また見続けることになる。こうして見ているとどんどん深く感じるようになる。だからその柿が駄目になるまで追求するようになるんです」冬瓜も柿も矢谷の本質を知ろうとするエネルギーを受けて、絵が完成するまで崩れるわけにはいかなくなるのだろう。 1946年、矢谷長治は、「冬の山」を日本美術院主催の院展に出品。横山大観、前田青邨、奥村土牛ら日本画壇の重鎮らと共に入選する。矢谷の初入選は『自然の実相を衝こうという意欲が見える。筆致の粗さはあるが、新旧出品中で圧巻』(同年『三彩』三号)と高い評価を得、画家として活躍の場を得たかに見えたが、まもなく中央画壇から姿を消す。矢谷は1915年(大正4年)子浦で生まれた。「小学校時代何になるかと訊かれ、坊主になりたいといった。鎌倉の建長寺に坊主志願の手紙を出したら親の承諾を得ればと入門許可の返事が来た」驚いた両親は「坊主にだけはならないでくれ」と説得したという。子供の多い矢谷家では、長治もまた重要な働き手であったのだろう。やがて結核の転地療養で子浦に来ていた男が代用教員になり、矢谷に絵の才能があることを見出す。絵一筋になるのはそのときからだった。19歳で家出して上京、日本画界を背負う一人だった田中青坪に師事する。 22歳で召集を受けるが、敗戦。画壇は戦争協力の責任、新団体設立などを巡り混乱していた。 その頃、矢谷は額を分解して背中に4升の塩を背負うと、同じく塩を背負った弟と上京し、院展審査のある上野美術館に絵を出し、その足で埼玉に向かった。物資統制で塩は貴重品である。漬物用に要るだろうと農家を回ったが売れず、宿賃もなく田圃の畔で野宿したという。翌日売れて、自分は小遣い程度を取ってあとは弟に持たせ子浦に帰した。ようやく荻窪の田中青坪に行ってそこで院展入選を知った。「栄養失調の痩せた身体で描いた絵でした。私より周囲の者が驚いたり喜んだりしていました。朝日新聞で大きく取り上げたいと連絡が入ったのもその頃です」テレビがない時代、新聞は巨大なマスメディアだった。しかし矢谷は即座に掲載を断った。まだ納得出きる絵が描けたと思ってないし、新聞に載り増長する自分が厭だったと云う。驚いて飛んできた朝日の企画部長はとつとつと語る矢谷の話しを聞いて納得して帰った。以後彼は矢谷の応援者になった。 「私は戦後30年間は下田の郊外、蓮台寺に住み続け、1年5千円の会費を出して下さる支援者およそ30人に支えられて描き続けてきました」「絵会」という。これと思った画家を複数の人々が支援する、画商と違い描く絵に注文をつけない。描きたくない絵の要求もない。 26歳で結婚したが、当初から子供を社会に送り出したら、50歳で妻とは別れ、絵一筋の生活をすると宣言していた。それを51歳で実行する。あまりの「暴挙」に妻は長く病に臥せったという。「知り合いから見舞いに行ってやれと云われたが行きませんでした。辛いが行ったら終わりですから。家族と一緒だと逃げ場がいくらでもあります。絵描きはひとりで絵だけを描いていればいいのです」絵に関する徹底した厳格主義は今も続く。画商を頼るな。絵を教えるな。パン絵(売り絵)を描くなである。 「もうこれ以上簡略化するものがなくなったときに、内部の奥行きが見えてくる。そのとき本当の仕事をしていないと、何もなくなって空白しか残らない」 「対象を本当に掌握していれば、ひと色だけで表現することもできる」「頭だけでいくらやっても『まだ届かん』と自然の一喝が聞えてくる」「画家にとって一番厳しいことは、人に見えない、自分でも分らないところの鍛錬をしなければならないことである」(二人展語録より) こうして描かれた作品は、自然を、美しさを超え、いのち溢れるバイブレーションとなって見る者の心を揺さぶる。「認められることはむしろ害になります。黙って放置してもらった方が勉強ができます。桜の写生も14年続けて、ようやくゆたかな気持ちで描けそうな気になっています」厳しく恐い人である。まさに修行僧のようである。(いの字)愛・地球博から産まれたブログはコチラ
2005.11.16
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柿をモデルにして、柿と語り、絵を描き続けておられる画家のお話を紹介したいと思います。その画家は、本当の仕事は、80歳を過ぎてからと、60年以上もモデル(代表が、山、柿、冬瓜)に向かって座り続けておられます。座れば座るほど、大変だとしみじみ思い、ただ、理屈も観念も一切を捨て、無心に山に向かっておられます。<柿の話>だいたい11月15日頃から柿がとれる。テーブルの上にたくさんの柿を並べる。1週間くらいたつと、水分がさがって柿の形が落ち着いてくる。その中の何個かを選んで描き始める。描き出したら、その柿に指一本もふれない。ふれると、触れたところから腐ってくる。柿を描き続けていると、柿と実際に語れるようになるのは、一ヶ月を過ぎてから・・。つぶれるまで描き続ける。3月半ば頃、柿はつぶれてしまう。ただ、不思議なことは、モデルにした柿だけが、最後まで残る。毎年、何十年も描き続けているが、例外はない。絵は、目でとらえ目で見えるように表現しているので視覚芸術というが、見たものを一番深いところで受け止めるものは魂である。そのために何日でも写生をする。それでも分からない。その時点では、分かったつもりになるけれど、翌年同じものにぶつかると、去年分かったと思い込んだのは、実は分かっていなかったんだ、自分はまだ未熟だということを思い知らされる。ほんとうは、永久に分からないものかもしれない。分からないからこそ仕事を進める価値があるのかもしれない。だから、人間のレベルを相手にしているうちはダメで、天を相手にしなければ本当にいい仕事はできない。人間は、あざむく事があるが、天は、決してあざむく事はない。天と語る事である。(TAKE)愛・地球博から産まれたブログはコチラ
2005.11.16
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最近、寒くなってきて、山々もキレイに色づき、紅葉シーズンになってきました。私のいる町は、柿が名産でもあり(最近知りました)、車で国道を走っていると、柿の無人販売や柿を道路脇で、販売している人がいます。あぁー柿の季節なんだなぁーと、柿の事を思っていると、以前読んだ話を思い出しました。柿は、霜や寒さに耐えて、実が熟して美味しくなっていくが、人間は、苦境や逆境に耐えたら、人間として熟したものになるか?と。人間の場合は、二通りに分かれるそうです。苦境や逆境を人間としての、うまみに変えて、ますます器の大きな人間に成長していく人。もう一つは、何で自分だけがこんな目にあうのか?と卑屈になっていく人。なかなか難しいことではありますが、感謝の気持ちを忘れずに苦境・逆境を前向きにとらまえて行きたいものです。(TAKE)愛・地球博から産まれたブログはコチラ
2005.11.15
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今、目標としている数字に到達出来ておらず、月の半ばを迎えようとしています。焦る気持ちと何で紹介が出てこないのか?と周りを責めたくなる気持ち(他者への責任転換)、数字が出来てない自分を責める気持ちと複雑に交差して、モヤモヤ病の症状が出始めています。そういう時、出来てない方ばかりを見るのでなく、出来ていること・やってきていることを見つめなおし、不足がないか?十分尽くしているかを反省して、モヤモヤ病を解消していきたいと思います。何が出来るかより、何を続けているかの方が大事と教えてもらったことを思い出し、もう一度、活動を見直していきたいです。(TAKE)愛・地球博から産まれたブログはコチラ
2005.11.14
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うちの塾に、字が読めない小学高学年の子がいます。今、低学年の国語の漢字の読み書きをどうやって教えるか?身につけさせられるか?考えています。スーパーで買い物している時に、漢字の練習帳が目に入れば、買ってその子に渡してみたり、100円ショップで、単語カードが目に入れば、買ってきて、やってみようか?とわたしてみたり。結果は、筋書き通りにはいかず、空振りしてしまうことばかり。単語カードは、神経スイジャクに変わってしまって、同じ漢字を2枚のカードに書いて、裏返しにして、同じカードを当てるゲームに変わってしまいました。それでも、漢字に少しは興味を示してくれたのかと納得しています。ただ、何とか漢字でも算数でもいいから、興味を示してくれて、勉強することの楽しさを知ってもらいたいと祈るばかりです。何が出来るのか?その子との合わせ鏡の中で、自分の姿勢・自分を見つめなおす勉強をさせてもらっているんだろうなぁーと感じています。(TAKE)愛・地球博から産まれたブログはコチラ
2005.11.12
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今日、新しく8人の方と名刺交換させてもらった。どんな仕事でも同じだと思いますが、顔合わせをさせて頂いて、話をしてみて、話を聞いてみて、仕事が始まるというか、その人との細ーい糸のようなものが繋がるような気がします。その細ーい糸が繋がっているのか?今後太くすることが出来るのか?というのは、お互いの気持ちであったり、努力であたっりするのでしょうが、この頂いたご縁を大切にしていきたいと思いました。8人の方とお会いすると、反応もいろいろで、受付で挨拶程度の場合もあれば、少しゆっくり話しをさせて頂いたりする場合もあったりなんですが、その時に、気をつけようと思っている事が、一つあって、自分の顔がどんな顔しているか?ということに気をつけようと思っています。それは、自分の顔というのは、見ることが出来なくて(鏡に映った顔は、左右対称になっているし、写真に映った顔は、写真映りがいいとか悪いとかで、ホントの自分の顔ではない。)相手との合わせ鏡でしか見ることが出来ないと聞いたことがあります。自分の話している相手の方が笑っていれば、自分の顔も笑っているし、相手の方が、悲しそうな顔や苦しそうな顔をされていれば、自分も悲しかったり、苦しそうな顔をしているという事になります。だから、初対面の時は、笑顔になれるように、笑顔でいれるように気をつけたいなぁーと思っています。日々のこうした交流の中から、フレンドシップが生まれ、育めていけたらすばらしいなぁーと感じました。(TAKE)愛・地球博から産まれたブログはコチラ
2005.11.11
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今日、スタッフのみんなと提携している医院にインフルエンザの予防接種を受けにいきました。その医院の玄関に、自分の所のチラシとパンフレットが差し込んであったのを見て、うれしかったとです。先週末に、事業再開のあいさつにお伺いして、お渡ししたチラシとパンフレットが、今日玄関のパンフ入れの中に差し込んであったとです。うれしかったとです!ヒロシもどきでした。みなさんもインフルエンザには、気をつけてくださいね。今日で、一週間とです。ブログ書き込んでですばい。(TAKE)愛・地球博から産まれたブログはコチラ
2005.11.10
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昨日、訪問先で結構な嫌味を頂きました。一瞬、机をしばいたろかぁーと思ったのですが、思い留めました。帰りの車の中で、こういう時こそ、五日市剛さんの「ツキを呼ぶ魔法の言葉」を思い出してと、車中一人で、「ありがとうございます」と声を出してみました。まぁーそれで、何か変わった事が起きたかというと特にないのですが、少し冷静に、客観的になれたかなぁーと思います。五日市さんの体験談だと、ツキを呼ぶ魔法の言葉っていうのが、二つあって、それを教えてもらって、実際に使うようになってから、ツキの人生が始まったそうです。その体験談が書かれた小冊子があって、一年間で、80万人以上の方が、読んだと言われています。で、ツキを呼ぶ魔法の言葉というのが、「ありがとう」ともう一つは、「感謝します」という言葉だそうです。使い方があって、「ありがとう」は、何か嫌な事があった時に使うそうで、例えば、朝寝坊して、会社や学校に遅刻しそうになってイライラしている時や急いでいて交通事故にあった時なんかに「ありがとう」と言葉に出してみるそうです。なぜなら、嫌な事があると嫌な事を考えるので、また、嫌な事が起こるという不幸の連鎖が生じるからで、それは、宇宙を貫く法則だそうです。でも、「ありがとう」と言うことによって、不幸の連鎖が断ち切れて逆にいいことが起こるそうです。「感謝します」は、良いことが起こったときに使うそうで、例えば、待ちにまった運動会が晴天だったら「晴れて感謝します」というふに使うそうです。それにこの言葉は、願っていることがまだ実現していなくても「○○大学に合格させて頂き感謝します。」などとイメージしながらいい切っちゃうそうです。それが、何の疑いも心配もなく、力まずに自然に思えて口に出せていたら必ず想いが実現するそうです。「想って」「口に出して」「行動(勉強)する」と本当に合格してしまうかもしれないと言っておられます。ということで、単純に いや、素直に、この言葉を使っていきたいなぁーと思いました。 (TAKE)愛・地球博から産まれたブログはコチラ
2005.11.09
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昨日、パートナーさんが買ったハムサンドと野菜サラダを頂いたのですが、冷蔵庫に忘れて帰ってしまいました。今朝見ると、消費期限を越えてしまっていたため、廃棄してしまいました。もったいない!先月の地球新聞に、日本では、年間2,150万トンの食料が捨てられている。と書いてありました。それは、一人当りにすると年間150kg以上になり、約9万円(年間)を捨てていることになるそうです。ちなみに、世界では、年間800万トンの食料援助が行われているそうです。日本で捨てられる食料の一部でも援助にまわれば・・・。そんな単純な話ではないにしても、現実を知り日々の生活を見直す事から、始めてみたいと思います。<TAKE>「地球新聞」のオフィシャルサイトはコチラ愛・地球博から産まれたブログはコチラ
2005.11.08
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エスパネット学院藤樹教室、高島教室、むつ川内教室の皆さん風邪ひいてないですか? 頑張って勉強していますか?授業や勉強の合間に 気軽に書き込みしてみよう!!やり方がわからない人は塾の先生に聞いてね!! (いの字)愛・地球博から産まれたブログはコチラ
2005.11.07
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24歳の前途ある若者が、放火事件を引き起こすに至ったのにはそれなりの理由があったのでしょう。NHKの度重なる不祥事を組織の人間として自覚もしていたでしょう。NHKという大看板を背負った若者が無差別に放火していった心理には何が去来していたのでしょうか。周りに悩みを相談できる友人や同僚、上司はいなかったのでしょうか。放火の被害者の方々も悲惨ですが、その放火を引き起こした彼の周辺にいる人達の苦悩はいかばかりかと思います。あなたの身近に、元気をなくしている人はいませんか?そっと声をかけてあげてみてください。(いの字)愛・地球博から産まれたブログはコチラ
2005.11.07
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先日、岐阜・大興寺さんで行われた酒井雄哉大阿闍梨による護摩焚きに参加して来ましたが、酒井雄哉大阿闍梨について、調べてみました。酒井雄哉大阿闍梨は、千日回峰行と言われる比叡山に伝わる荒行を2回満行された方で、現代の生き仏といわれておられます。千日回峰行とは、酒井雄哉大阿闍梨のホームページを参考に見て頂ければと思いますが、700日終了の後、9日間不眠・不臥・断食・断水で不動明王と一体になる「堂入り」の行を満じなければならず、死と隣合わせの荒行であります。延暦寺の記録に残る千日回峰行者は、平成15年9月満行の酒井大阿闍梨の弟子藤波源信師迄47人、その内二千日は僅か3人である。酒井雄哉大阿闍梨のホームページhttp://www.sakai-yusai.com/index.html本当にすごい方の護摩焚きに参加させて頂いて、感謝!感謝!であります。こういう方とのご縁を頂けた訳ですから、もう少し勉強させて頂いて、また報告させて頂ければと思います。何か、情報をお持ちでしたら、教えて頂ければ幸いです。 (TAKE)愛・地球博から産まれたブログはコチラ
2005.11.05
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昨日、岐阜の大興寺で、酒井雄哉大阿闍梨の護摩焚きに参加して、願いが叶うかなぁーと思っていると、現実は甘くなかった。契約予定していたお客様から、延期の話が来て、がっくり!地道に、一歩からスタートと、気を取り直してがんばるぞー! (TAKE)岐阜・大興寺の公式サイトはコチラ愛・地球博から産まれたブログはコチラ
2005.11.04
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11月3日 岐阜県・大興寺において、酒井雄哉大阿闍梨による護摩焚きに参加してきました。時折、雨が降る天気でしたが、100名以上の方が、参加され、それぞれの願いを書いた護摩木が、炎の中に投げこめれるのを両手を合わせながら真剣に見守っておられるのが、印象的でした。いつから護摩焚きってはじまったんでしょうね?今から、1000年以上は昔でしょうね? きっと。ということは、その時代の人(ご先祖様)から、ずーと受け継がれてきている大変有難いものなんですね。そして、その時代の人達も、きっと今日参加された人と同じように両手をあわせて、真剣に見守っておられたんだと思いました。両手をあわせる。あまり日常行わない行為になって来ているのかな?いや、ご飯を頂く時には、手を合わせてるという方には、日常当り前の行為なんでしょうが。それでも、目にすることが少なくなった気がします。今回、非日常的な所ではありますが、両手を合わせて、真剣に見守る姿を見ることができて、尊さ・美しさを感じて帰ってくることができました。昔から受け継がれているものを見たり、聞いたり、体験したりする。両手を合わせる。(心の中で、手を合わせる事も含め)そのような、生き方が少しでも実践できればと感じました。願い事も、ぬかりなく護摩木に書かせて頂きました。護摩木は、酒井雄哉大阿闍梨により、炎の中に投げ込まれ、天高く上っていきました。きっと、願いは、近いうちに叶うでしょう!そうやって、両手を合わせる自分の姿は美しい?まだまだ修行が足りませんね。(TAKE)比叡山・酒井大阿闍梨の公式サイトはコチラ愛・地球博から産まれたブログはコチラ
2005.11.03
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