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日本のブログ文化は今や世界一。
2006 年の統計によれば世界に約7000万のブログが存在し、そのうちの 37% が日本語で書かれたものだそうだ。私のこの楽天ブログもこの 37% に貢献しているに違いない。ちなみに英語は 36% 。その違いは英語ブログは独自の分析を書くジャーナリスティックなものが多いのに対し、日本語は日記形式が多いらしい。
そう考えるとメジャーリーグで活躍する松井稼頭央選手、田口壮選手、井口資仁選手などはオフィシャルサイトにブログ日記を公開している。若いヤンキース・ピッチャー、フィル・ヒューズ選手のブログは有名だが、これは彼がそういうジェネレーションにいるからだと思う。
ふと思ったのが、もしこのブログ文化が戦後日本にあったとしたら・・・?
仲間の家でミーティングをしている時に見せてもらった本があった。英語版の栗原貞子著『黒い卵』(英語題Black Eggs)だった。彼は私と出会い、 Hibakusha Outcry (ヒバクシャの叫び)というグループを立ち上げる数年前に原爆詩を集めた朗読パフォーマンスを行っている。そんな話を聞いて出会うきっかけとなったのだが、彼はまだヒロシマ、ナガサキを訪れたことは無い。
ページをパラパラとめくると、これを読んで彼が詩を選んだのだとわかったのだが、すると彼がこう言った。
「表紙を見てごらん。文字が黒く消されてるだろう?検閲された痕だよ。」
旧字体を使ったその文章を読むと、まるで試験勉強をするためにハイライトを引いた参考書のようになっていた。
戦後の日本には GHQ によるプレスコード、検閲があった。 Wikipedia によると原爆詩人、栗原貞子や峠三吉の詩集が発禁処分に処されたという。このプレスコードにより日本国内だけではなく、世界にも原爆の恐ろしさを伝えれられることが無かった。プレスコードは 1953 年まで続き、その間も核実験は繰り返されていた。
だから、もしブログ文化がその頃の日本にあったとしたら、きっと栗原貞子さんはブログ発信したのではないだろうか?たとえ検閲でページが消されたとしても、またブログを立ち上げ、と繰り返したのではないかと思う。
「原爆のことはやめておきなさい」
そう私も日本人に言われたことがある。私の活動についての反応もアメリカ人よりも日本人からの方が冷たく、無関心と感じる時の方が多い。もしかしたら、日本人の DNA の中にプレスコード時代の何かが植えつけられてしまったのかもしれない。
忘れないで欲しい。 1945 年 8 月 6 日も 2001 年 9 月 11 日も青い空が広がっていたことを。
【追記】 表紙になっている詩 『戦争とは何か』を載せようとしたら、こんなメッセージが出てきました。
わいせつ、もしくは公序良俗に反すると判断された表現が含まれています。
この方の ブログ
をご参照下さい。
Happy New Year From New York ! Jan 1, 2010
ニューヨークより Jul 14, 2009
アメリカン・ドリーム☆Keep on Dreaming! Jul 2, 2009
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