山口小夜の不思議遊戯

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2005年08月25日
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 彼の相生での仮名(かりな)はそれゆえに‘ゆた’(あてにならないの意)であった。制度上、戸籍に登録されている本名で呼ぼうが相生の仮名で呼ぼうが、響きは似たようなもので、このあてにならないという意味の名は、彼の性分によく適った。

 彼はその年齢の少年に似合わず、がき大将やら斥候やら、何かの責任を負うことを考えただけでぞっとするという性質だった。彼はぼんやりしていることが大好きな少年で、仕事の煩わしさから逃れ、この性質を遂行するには、なるべく人づきあいを避けることだと心得ていた。

 それからというもの、このなまけ者の少年はできるだけ長い時間を、村の家畜の群れを預り、その世話をして過ごすようになった。それは適当に仕事をしている風に見えて、実はひとりでいられるという利点があったからに他ならないからであった。

 豊はしかし、ある特別な霊力に恵まれていた。
 自然──つまりこの村でいう神々は豊を好いていた。またよくしたもので、彼は呪(まじない)の家に生まれた子だった。呪師については、たくさんいる兄たちが受け継ぐものと思っていたが、神人の言葉である御詞(みことば)にかけては、豊は誰よりも正確に発音することができた。兄たちが暗記や暗唱に苦労しているのを尻目に、豊はらくらくと聞き覚えてしまっていた。しかし、彼はそのことを決して口外しなかった。言えば、呪方の継承は自分にまわってきてしまう。そんな面倒なことは御免こうむる。

 また、豊は生きとし生けるものの出産や死の時刻を、何時間も前から正確に言いあてることができた。どんな手に負えない種馬でも、彼の言うことは不思議に頭を垂れてよく従った。御詞による病気や怪我の治療にかけては、呪方のどの大人よりもずっと腕利きだった。あるいは、本当の医者よりも。彼がそばにいるだけで、病人たちはずっと元気になるように見えた。

 だがそんなことは、豊の性質としては二番目だった。二番目で、二の次だった。今も彼が動物と一緒にいるのは、なによりもこの家畜たちが草を食べながら村から遠く、時には向こうの峠を越えることもあり、それについて豊も遠くまで行けるという理由があるからであった。全能の父親の目から離れ、年下の者たちの世話という面倒な仕事から離れ、生業(なりわい)を維持するためのいつ果てるともない雑用から離れて。

 豊はなにか特別なことでもない限り、仲間同士の遊びにはめったに加わらなかった。
 そしてこの午後も集落闘争で揺れている村の子供たちから遠く離れ、おちついた気分でいた。
 豊は戦いにはほとんど興味はなかったものの、いずれ自分も戦場へ赴かなくてはならないと承知していたので、お達しがくるのをこうして静かに待っているのだった。この一時間ほど、群れのほかには自分ひとりだけという、めったにないぜいたくを味わっていた。今の彼は世界一しあわせなのんびり屋でいられた。おまけに今日お達しが来なければ暗くなるまで帰る必要がなく、夕方はまだ何時間も先なのだ。

 大きな馬の群れの真ん中にひとりぽつんと寝ころんで、彼はその背中で地球の質量を支えているという空想にふけった。そうなればこの地球をどこに持っていこうか・・・・・だがそのとき、なにか地面のの上で動くものがあった。

 大きな、緑色の青大将だった。どうしてこんなたくさんのひづめがあちこち動き回っている真ん中に迷い込んだものか、あわてふためいてにょろにょろと動きながら、逃げ道を探そうとしている。

 豊は蛇が好きだった。
 それにこの大きさや様子から察するに、きっとおじいさん蛇なのだろう。
 おじいさんが困っている。ほうってはおけない。

 彼はその年寄りの蛇をつかまえて、この危険な場所から逃がしてやろうと思い、寝椅子代わりの馬の背からとびおりた。

 蛇を追いかけるのは楽ではなかった。
 彼はとてもすばやく動くのに、豊のほうはぎっしりと寄り集まった馬の群れのなかに閉じこめられている。少年はひっきりなしに馬の首や腹をよけて頭をひょいひょいと上下させなければならず、彼が地面の上でのたうつ保護色の身体を見失わずにいられたのは、彼の持つ並ならぬ視力をもってでしかありえなかった。



 そのとき、穴の上に立っている彼のかたわらで、何頭かの家畜が低いいななきを上げ、耳をぴんと立てるのが見えた。
 そして突然、自分のまわりの家畜の首がいっせいにぐるりと同じ方向に向いた。動物たちは何かがやってくるのを見たのだ。

 一瞬後、豊にも人影がさっと前方を通り過ぎたのを見てとれた。
 視界がさえぎられていてよくは見えなかったものの、たしかに何人かの人間が通ったように思えた。
 家畜たちが騒ぎ出すふうでもなかったので、きっと彼らにとってもそれが顔見知りの人間であることが豊にも知れていた。なので、彼は別段おびやかされたような気にもならないでいた。



 神生(かにゅう)のじゃりたちだ。
 彼らは十数人を数えることができた。
 まっすぐ相生へと向かっていく。先回りしてみなに知らせるには、もう遅すぎる。豊は仕方なし、といった調子でため息をつくと、そばに控えていた牝馬をできるかぎり静かに群れから引き出した。

 豊は地面を蹴って裸馬にひらりとまたがると、たてがみを手首に巻きつけた。そして、くるりと向きを変えると、神生の連中の方を目指して、疾走をはじめた。

 ほどなく、豊は敵の姿を見いだした。そして彼らも豊を見た。
 神生の連中にとって、乗り手は恐るべき速さで、まともに来ればこちらとぶつかる方向に疾走してきた。

 ──はいーっ
 蒼白になって立ち尽くしている神生の子供たちのすれすれで、豊は手首に巻いたたてがみを引いた。
 馬は急に止まり、前脚を高くふりかざした。

 ──うわぁ!!
 ──どこに行きよるだ。
 豊は馬を鎮めると、馬上高くから声をかけた。
 彼は答えを待ったが、じゃりどもは押し黙り、震えているだけだった。

 豊はこれ以上の接触をよしとせず、馬をくるりと振り向かせ、いずこへともなく駆け去った。






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最終更新日  2005年12月17日 06時33分07秒 コメントを書く


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