山口小夜の不思議遊戯

山口小夜の不思議遊戯

PR

バックナンバー

2025年11月
2025年10月
2025年09月

キーワードサーチ

▼キーワード検索

2005年08月26日
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類




 そのままいつしか山の深みに入り込み、小夜は自分が迷子になりかけていることに気がついた。

 さて、このまま引き返すにしても、いまいち道がわからない。
 さしあたって、小夜は目にした小川に沿って里まで下ることにした。

 歩きながら途方にくれる小夜の耳に、突然ひづめの音が飛びこんできた。
 小夜は次第に近づくその音に耳を澄ませた。

 ぱかっぱかっぱかっ──。

 確かに馬のひづめの音だ。
 小夜は草をはね散らかして小川の淵から上がった。



 馬に乗っている人が村の人なら、あわよくば助けてもらえるかもしれない。


 だが、小川から這い上がった瞬間、すべてが消し飛んでいた。
 それは何の前触れもなく小夜の目の前に現れた。

 そこに見えたものは、さながら華麗な舞台の一幕だった。
 信じられない光景を目のあたりにして、小夜は息を呑み、なすすべもなく立ち尽くし、ただ茫然と眺めていた。

 激しく駆け抜ける駿馬の、地面を叩くひづめの音。
 光輝く毛皮。勒とたてがみ、ひらめく尻尾。

 その背にまたがり、木馬に乗って遊ぶような奔放さで馬をあやつっているのは、なんと少年だった。
 光沢のある肌の色。それはその昔、秘色(ひそく)と賞され、今は工法を失った陶磁器の艶。筋肉の上にくっきりと浮き上がった筋が、みなぎる力を表わしていた。光彩を放つ漆黒の髪、知性にきらめく瞳、着ているものに描かれたおかしな模様。そうしたすべてがまた、無類の調和をつくりだしていた。
 人馬が一体となり、まるで巨大な鋤の一本の刃のように眼前の風景を切り裂いた。

 小夜は今、神や精霊と呼びうるものを見ていた。


 一枚の生きた壁画の中にとらえられた、大いなる生命の躍動。

 小夜は一個の人間というよりもただ、純粋にふたつの目と化して立ちすくんでいた。
 指ひとつ、動かすことができなかった。あらゆる思考力を失っていた。
 小夜は身じろぎもせず、ただ魅入られたように前方の場面だけを見つめていた。

 ──ゆたぁ!
 ──おーい、とまれぇ!
 ふいに小夜の前方の頭上で呼び声がした。

 すると驚いたことに、それを聞いた馬上の少年が素手でぐいとたてがみを引き寄せたのだ。
 馬は失速し、文字通り地面に腰を落として座りこんだ。興奮した馬は反動で上に飛び跳ね、首をさげ、ぐるぐると回った。少年は悍馬をしっかりと抑えこみ、自分の下の激しい動きにもほとんど頓着していない様子だった。

 ──ゆた、探したわ! どこにおった。
 声は木の上からしていた。声から察するに、それは相生の斥候たちのものだった。

 ──いしきなが呼んどったぞ。今から神生に出陣やと!
 ──そんなら今しがた逃げてったが。

 ‘ゆた’と呼ばれた少年の物静かな声が響き、小夜は我に返った。

 ──なに、なら連中ここまで来よってたんか。
 ──来よったんが、逃げたっちゃ。わしはもう戻らな。今、牛置きっぱなしで来よるのに。
 それだけ言うと、少年は馬の頭を返して、もと来た道を駆け去った。

 彼がゆたであった。
 小夜とあと一人だけ残っていた村の仲間との出会いだった。



                                 第二話のおわり                             





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2006年01月21日 13時38分55秒
コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: