山口小夜の不思議遊戯

山口小夜の不思議遊戯

PR

バックナンバー

2025年11月
2025年10月
2025年09月

キーワードサーチ

▼キーワード検索

2005年09月18日
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類
 長い静寂がおち、小夜はこっくりこっくりし始めていた。

 ふいに小枝の折れるぽきりという小さな音が近くでして、小夜は我に返った。見ると、喜平じぃがせせらぎに、手折ったばかりの紅の小花ひともとをかざしていた。

 ──お小夜、この花は「われもこう」いうだが。漢字で書くなら「吾亦紅」じゃ。

 喜平じぃはやがて静かに語り始めた。

 ──むかし、このあたりをおさめる山の神さんが、家来たちに命令しよったが。赤い花が好きな姫さんのために野に咲く赤い花を全部集めてくるように・・・・とな。
 家来たちが野を歩き、山に分け入り、目についた赤い花という赤い花を全部摘み取り、さあこれくらいでよかろうと立ち去ろうとしたときのことじゃ。
 草の間から小さな声が聞こえたっちゃ。『吾も紅なり』。驚いてよくよく目をこらすと、小さな小さな赤い花が木の実のようにかたまって咲いとっただ。

 小夜は、なぜかみたされていく思いがしながら、静かに聞き入っていた。

 ──「われもこう」は、決してはなやかなたたずまいではないが。

 いっしょうけんめい、自分を摘んでくださいと訴えかけている様子が目に浮かぶような、一途で健気な花だが。

 喜平じぃの言葉に、小夜は曖昧にうなずいた。

 喜平じぃは小夜にそうなってほしい、と言いたかったのか。
 今となってはもう知るよしもないが、ともかくこれは、ある大長老がいつか出会う小夜のために身の内にたくわえておいてくれた、彼の長い長い人生のうちで、小夜だけに語られた民話であった。

 小夜もいつかこの民話を待つ誰かに語るのだろう。

 そうやって数知れぬ人生を宿した物語ほど、物語自身が力を持ち、途切れることなく語り継がれてゆくのだ。


 本日の日記---------------------------------------------------------

 このところ鳥取出身の方、または鳥取に住まわれている方にもご訪問いただいており、嬉しいかぎりです。

 ところが、鳥取物語では実際の地名、モデルとしての地域は存在するがあくまでも架空の地名、その両方を本文中にごちゃまぜにして書いているので、混乱する方もいらっしゃるようです。

 なので、トップページに一文を書き添えてみました。
 この物語に出てくる地名は、実在のあるなしに関わらずすべて仮称のものです、といった内容です。



 顧みれば、この物語を書き始めた頃より、会話文などから‘相生村’は因幡の国にあるであろうとの図星の推測をはじめ、‘相生村’はたいこうがなるの北側なのか等の鋭いご指摘もメールでいただいたりしておりました。
 地域性を重んじる鳥取の方々の心を、ここにきてふたたび思い出せたような気がして、懐かしいような気持ちになります。

 ‘相生村’は、鳥取の因幡の国のどこかにあるのだけれど、日本一目立たないので誰も知らない─とでも流してごしなんせ。

 さて、民話といえば、広義の意味でブログの世界などもそれに相当するのだと思うのです。
 誰かがブログの中で語り、それを読む人もまた、自分のブログの中でなにかを語っている。それがめぐりめぐって世界を作っている。

 最近、‘お題を持ち帰る’というインターネット特有というべき風習も知りました。‘バトンを渡す’とも。
 早くからネットの世界に住んでいた住人たちが作り出した慣習を、聞き手が持ち帰って、さらに現在に伝えてきたのでしょう。
 これが民話と呼ばずになんと呼ぶのでしょうか。

 似て非なる例としては、‘チェーンメール’などがあると思います。悪しきものだとわかっていても、‘チェーンメール’の一員になってしまう人もいるでしょう。
 日本人だから、仕方ないのです。

 鳥取で幼心に思ったこと。
 日本人は生きていくなかで、自らも気がつかないうちに語り手となり、民話を生み続けるという宿命を持っている──。

 この宿命がなくては、現代の民話ともいうべきインターネット上の日本人特有の諸々の慣例など、あり得ません。

 現代日本人は意識して民話を語り伝えるのではなく、日本人である証として、自分でも気がつかないうちに語り伝え、だからこそブログの世界などの慣習も普遍性を帯びるのだと思います。

 聞き手の日本人も日本人であるだけに、数々の人々から伝えられてきた力ある言葉に敏感です。人気のあるブログなどは、なにかしらの言葉の力を持っているのでしょう。

 私はことさら‘日本人’を強調するつもりはありません。
 けれども、ほかの諸国の人々がよくするように、「自分の言っていることを聞いて欲しい」と主張するよりむしろ、日本人は「誰かの言っていることが聞きたい」ひいては、「誰かの言っていることを語り伝えたい」民族なのだと感じるのです。

 その是非は別として、民話を語り継いできた日本人の民族性から鑑みると、私はそのことがよく理解できるのです。

 長々と私見を論じてしまいました。
 明日は●小夜の正しい名●です。タイムスリップして、言霊の世界に飛び込んできなんせ。








お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2005年09月18日 08時00分17秒
コメント(4) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: